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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【女王様失踪】

〜OP〜

【Side:A】

おっす! 俺、黒須誠、38歳! 獅子座の、A型! 趣味は、競馬とパチンコ!
最近の悩みは、朝起きた時、自分が先程まで頭を埋めていた枕から若干の加齢臭が漂い始めてるって事かナ☆
と、まぁ、余りに久しぶりすぎて、咄嗟の自己紹介から始めてみる訳だが、今現在俺は、最っ高に困り果てていた。

「よりにもよって帽子屋にとっつかまってんのかよ…」

げんなりした声で呻けば、同じくげんなりしたような表情を見せて、千年王宮の王様リリパット・ベイブが「アレばっかりは、どうにも、私の言葉をはぐらかす。 命令を聞かぬわけではないのだが、妙な理屈と論理のすり替えで命じた内容とかけ離れた事をやってくれる。 今だって、全く私の言葉を取り違え、竜子を茶会から一向に帰そうとしないのだ。 この城に棲まうものは、あいつの狂った言葉に煙に巻かれるばかりか、下手をするとマッドな振る舞いの犠牲者になってしまい、全くもって役に立たん」と呟く。
「迎えに行こうつったって、城の何処で開いてやがんのか、一向に見当がつかねぇ。 よりにもよって、そんな場所に迷い込む、竜子も竜子だ」
俺の言葉に頷いて、「不用意に客人が紛れ込まぬよう、深層で茶会は開くようにと厳命したはずだが竜子の方向音痴に掛かれば無駄な措置であったか」とベイブは面倒くさげに鼻を鳴らす。
「もう、三日だろ? 幾らなんでも、命までは取られやしねぇだろうが、こんだけ長い間拘束されるのは、あんまりだ。 あの乱痴気騒ぎ、まだ続いてんのかよ」
俺が問えばベイブは王座に体を埋めたまま、戯れに手を伸ばし「白雪」と一言名を呼ぶ。
すると、ヒタヒタヒタと滑るような足音をさせて一人の何処もかしこも真っ白な、白いワンピースを身に纏った女が現れると、うっとりとベイブを眺め、微笑んで「何をお望みで?」と、高い声で問いかけた。
「竜子だ…というより、帽子屋の茶会の様子を見せろと言った方が良いかも知れぬ」
ベイブの言葉に、「また、あの女がご厄介をかけているのですか?」と気に入らぬ気に囁けど、「鏡風情が、いらぬ事を申すな」とベイブに叱責され、哀しげに口を噤む。
そして渋々といった風に「御意」と頷き、白雪はずぶりと自分の胸に両手の指を突きたて、ずずずとまるでこじ開けるように自分の胸を「開いた」。
そこには真っ黒な闇の中に浮かぶ銀色の鏡面が存在し、白雪が目を閉じれば、銀色の鏡にある情景が浮かび上がる。

鏡の中には、この「千年王宮」にて、俺と同じく王のベイブに使える「奴隷」として暮す竜子の姿が映っていた。



-------------------本編--------------------


青山にある、オープンテラスのカフェ。
並木通りでは、桜の花が散り始めていて、柔らかな光の中で舞うピンクの花弁が翼の目を楽しませる。

「休日ですか? そうだな。 最近は、単館上映系の映画なんかを観に行くのが楽しいんですよ。 ジムの帰りなんかにね、フラっと立ち寄って見ると、結構面白いものが上映されてたりしますよ?」
記者の質問に答える合間にも、カメラマンが何度かシャッターを切ってくる。
周りの客の中は、翼やその対談相手の正体に気付く者もちらほらいて、何組もの女性客同士が頬を染め、お互いの肩を叩きあいながら、ちらちらとこちらの様子を伺っていた。
「最近だと…フランスの映画なんですけどね…」
柔らかな微笑を浮かべながら語る翼の美貌に、記者の女性は魅入られたかのようにメモを取る手をおろそかにしつつも、夢中になって頷いている。
その様子が可愛くて、「くす」と小さな笑い声をあげ「泡。 ついてますよ?」と小首を傾げ、先程まで彼女が飲んでいた、カプチーノの泡が唇の端についているのをテーブルに備え付けてあるペーパーナプキンで拭ってやった。
「あ、やだ! 恥かしい」
頬を染め、そう恥かしげに身を捩る記者に「そんな。 恥かしいなんて…。 なんだか、可愛いです」と優しく言えば、眼の形をハート型に変えて熱っぽい視線で翼を見つめてくる。
「相変わらずだな」
そう呆れたように呟かれて「ライフワークなんでね」と涼しい声で嘯いておいた。
翼の向かい側に座っているのは、TV等でも頻繁に見かける売出し中のアイドル夜神・潤で、その立場に相応しい爽やかな微笑を浮かべ、カメラマンのシャッター音に相対している。
「では、夜神さんは、オフの日はどう過ごされているんですか?」
記者の問いかけに、夜神が答える姿を眺めながら、(まさか、潤と雑誌の企画で対談する日が来るだなんて…)と翼は感慨深い思いに浸る。
世間には公表していないが、歴とした異母兄である夜神は端麗な表情を崩さないまま、明るい声音で記者の質問に答えており、彼の生真面目で不器用な所のある性格でアイドルなんて仕事勤まるのだろうか?と随分心配したが、この様子だと順調に仕事をこなしているらしいと安堵する。
夜神の語る声音の心地良い響きに耳を傾けながら翼は空を見上げ、「いい天気だ」と一人呟き微笑んだ。

インタビューが終わり、その日はそのままオフになる翼と次の収録までまだ時間があるという潤は、一緒に表参道をショッピングがてら歩く事にした。
マネージャーも帰し、最近お気に入りのブランドのショップへと向かう。
「ごめんね。 付き合わせて」
そう詫びれば、夜神は首を振り「翼と買い物なんて凄く久しぶりだし、滅多にスケジュールも合わなくて、最近会えてなかったからな」と答える。
「収録って何時から?」
「18時までにスタジオ入りすれば大丈夫」
「そうか。じゃあ、他にも色々付き合って貰おうかな?」
「仰せのままに。 お姫様…いや、さっきの記者の様子だと、王子様とお呼びした方が良いのか?」
そう軽口を叩きあいながら歩く美男美女の様子は、表参道を歩く華やかな若者達の目から見ても、視線を引くものらしく、どちらもサングラスや、帽子で軽く変装はしているので正体が看破される事はなくてもカフェと同じく注目を集めてしまう。
「潤といると目立ってしょうがない」と翼が呆れたように呟けば「翼にだけは言われたくない」とやり返されて、何にしろ衆目を集める兄妹である事を、お互い自覚した。

「あ、あそこのショップだよ。 春物のシャツで、凄く良いのがあってね…」
そう店を指差し、一歩翼が踏み出した瞬間、彼女達は千年王宮にいた。

夜神が目を見開き、硬直している。
翼も同じような心境だが、周囲の風景に見覚えがあるのが尚彼女の心境を凍りつかせていた。

「よぉ」

そう声を掛けられ、ギ、ギギギと軋んだ音を立てそうな速度で声の方向に顔を向けるとそこには、この千年王宮の住人黒須誠が立っていた。
「…帰らせてください」と、微笑みながら、いっそ朗らかなまでの声音でそうきっぱり言い放つ。
だが、そんな切実な翼の申し出に対し、黒須は遮光眼鏡を指先で一度押し上げて、無表情なまでに「無理です」と処刑宣告にも似た無慈悲さで告げた。

黒須とは何と言っても、かなりの無沙汰を経ての邂逅である。

(ま、別段、思い出したり、会いたかったりする手合いの人間じゃないけど)

そんな心からの本音を胸中で呟きつつ見下ろす視線の先には、相変わらずゾッとする程に美しく、どこか魔性めいた引力を持つ長い黒髪と、それに相反するような、目を逸らしたくなる程の嫌悪感を掻き立てる、陰湿で、陰険めいた容貌をしていた。

「翼? 翼? ここ、何? 前にも来た事があるのか?」
何故かワクワクとした、明らかに好奇心満点の声で夜神に問いかけられ翼は低い声で「地獄」と端的に答える。
「へえ。 それにしては、何だか、随分ときれいなところだな」
そう真面目な調子で答え、スタスタと勝手に歩き回る兄の姿に翼は呆れる。
超常現象に幾ら慣れている身とはいえ、夜神の現状適応能力は高すぎやしないかと思えども、夜神は辺りを面白げに見回しており、流石…と肩を落とす。
まぁ、こういう事態に際して怯えたり、惑ったりするような兄ではないが、それにしたって度胸がありすぎだと、自分の事を棚に上げて兄を評し、翼はいやいや黒須に顔を向けた。

「前に言ったよな?」
「ん?」
「ここの事を忘れれれば、もう君と、僕達が会う事もないって」
「あー…うん、言ったな」
「な ん で、会ってるの? ねぇ? なんで、君は僕の前にいるの? ねぇ? ねぇ? ねぇ??」

半眼になって問い詰める翼に、「お前…俺の事忘れられなかったんだな」と真顔で黒須が告げ、咄嗟に握りこぶしでその頭を殴りつける。

「僕のシナプスは、優秀だが、こんな益体のない場所と相手を覚える為に活動したりはしない!」
そう力強く宣言する翼に、「おお、なんか知らんが格好良いぞ翼」と夜神が訳も分ってないのに拍手を送り「で、この人は?」と問いかけてきた。
「黒須誠さん。 この城の住人」
そこまで説明し、それ以上の何も相手の事を知らない自分に気付く。
前回だって訳も分からないうちに、この城に迷い込んだ金蝉を追って、短い間だけ顔を合わせただけなのだ。
城の事は勿論、此処の住人である黒須の事なんか何も知らないに等しい。
なのに、どうして、こんな場所にまた訪れることになってしまったのか。
そもそも、何故、自分なのか。
頭を抱えたい気持ちになりつつ、ギリリと睨めつければ、「まぁ、んな、怖い顔すんなって」と黒須に諌められる。
「ちっとばかり手伝って欲しい事があんだよ。 それが済めばすぐに出してやる」
そう言う黒須に「なんで、僕が!」と抗議しかけるも、「逆にこの城の中の事は、そこそこ力のある奴じゃなきゃ、対処出来ない。 竜子がらみの事なんだ。 手貸してくれよ」と言われ、咄嗟に口を噤む。
「竜子さん…? 彼女の身に何か?」と前回此処を訪れた時に、親切に対応してくれた女の化粧の濃い顔を思い出し、女性の為ならばと態度を改めた。
「何があったのか、説明してくれないか?」
そう、黒須に問いかると、黒須の背後から「こんにちわ。 お久しぶりです、翼さん」と名を呼びつつ顔を出すものがいて、視線を向ければ、そこには、美貌のガーデナー、モーリス・ラジアルがいた。

「モーリスさん! どうして此処に?」
そう翼が問いかければ「ご主人様が帰ってこない可哀想なマゾ奴隷の黒須さんに、呼び立てられてしまいまして。 とりあえず、竜子さんの代わりに、出来るだけの事はしようかなと、張り切ってるところなんです」と笑顔で告げられ、翼は二歩ほど後ずさりして笑顔のままに「えーと…ガンバって下さい」と、思いっきり他人事の声で告げておく。
夜神は、夜神でコソコソと「え? そういう人? 黒須さんってそういう人?」と翼に問いかけてきていて、咄嗟に翼は「いや知らないっていうか、どうでもいい」と心からの声で答えてしまった。
「そこ!! 間に受けるな!っていうか、お前は、なんで、そんなに好い加減な事ばかり!!」と怒鳴る黒須に不思議そうに首を傾げつつ、「ああ、そんなに苛々してたら、容赦なく剥げますよ? 大丈夫です、ちゃんと虐めて、そのストレスを発散させてあげますからね?」とモーリスが親切な声音で言っていて「うがああ!! なんで、同じ日本語同士なのに、俺の意思が伝わらねぇんだぁぁぁ!!」と黒須が地団太を踏みながら喚き声を上げた。

「うるさい。 はしゃぐな」

虚ろな声。

視線を向ければ、玉座に座るベイブの姿が目に入った。
この城の王様。
虚ろな王宮の、狂った王様。
リリパット・ベイブ。

翼は眉を顰め「貴方とも随分久しぶりだ」と告げれば、ふと顔を上げ翼の顔を数秒眺め、視線をスススと逸らすと「あー…うん…えー、久しぶりだな…」と曖昧に頷く。

忘 れ て や が る !

そう確信しつつも、むしろ忘れて貰ってた方が良いような相手なので、そこはあえて追求せず、後ろでモーリスと騒ぐ黒須に向かって「あー、そこ、もう、そういうプレイとか、どうでも良いから、ちゃんと説明してくれ」と翼が告げると、「誰がプレイぞぉぉぉ?!!!!」と即座に怒鳴られた。

「大体、なんでこんな俺にとって面倒臭いメンツなんだよ!」
そう翼と、モーリスを交互に指し示しベイブに詰め寄る黒須に、面倒臭い扱いをするなら呼ばないでくれ!と心から思いつつ視線を向ければ、ベイブはベイブで「いや…、現状、この王宮で……、役に立つ程の力を持ち…、通り道となる穴の…傍にいたのがこの面々だったからな…」と余りにも好い加減な説明をしていて、翼は心底自分の運の悪さを恨みたくなった。
「俺、こいつら纏められる自信がねぇよ!」
そう訴える黒須から鬱陶しげに顔を背け、その髪をぎゅっと遠慮の無い力で引っ張り黙らせると「だから、お前のリクエスト通り、一人緩衝材を呼んでやるだろう…?」とベイブが意味の分からない事を告げた。

緩衝材?

そう首を傾げれば、突然、女性の声が玉座の間に響き渡った。

「願わくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃…」

西行法師の有名な句だ。
翼は即座に思い至り、次いで声の持ち主にもすぐ気付く。

この声は、エマさん。

シュライン・エマ。
草間興信所の事務員である彼女の声が、どうして広間に響いているのか、訳が分らず黒須を見れば「今は、この城と現世を繋ぐ『穴』を全て、この玉座に通じるようにしてあるからな。 お前らもそうだったが、穴の傍を通る人間の声は全部この広間に筒抜けになってるんだ」と説明される。

「まぁ…、咲く桜 散り逝く桜に…食う桜ってね!」

そんなおどけた声で、可愛らしい句を読むエマの声まで聞こえてきて、翼はくすっと肩を竦めると、「ああ、この声、エマさんの声だ」と夜神が呟いた。
「知ってるの?」
翼に問いかけられて、夜神が頷く。
流石の顔の広さと言うべきか。
確かに、個性的なメンツの緩衝材として、彼女以上に最適な人材はいるまい。 とはいえ、個性的な面々の中に自分が放り込まれてしまっているのは不本意極まりないのだが。
「凄く頼りになる人だし、来て貰えるなら心強い」
そう呟く翼にタイミングを合わせたかのように、薄紫の小花が散った風呂敷包みを抱えたエマの姿が忽然と玉座の間に現れた。
キョトンと訳が分からないといった様子で立ち尽くすエマに、黒須が心底といった声で喚く。

「お前、おせぇよ!!!」

久しぶりの挨拶も何もかも吹っ飛ばして、金属質の、いやに鼓膜を引っ掻くような声で怒鳴られ、エマが「は?」とポカンと口を空け、辛うじてそれだけ言葉を吐き出した。
その気持ちは、凄く分る。
実際、いきなりこんな場所に立っていたら、他の言葉なんか出てきやしないのだ。
まさに言葉にならない想いというのは、こういうものを指すのか等と思いかけ、嫌だ! こんな益体もないシチュエーションで、そんなロマンチックな形容使いたくない!!と心から自分の感想を否定した。
「大体、ちんたら、ちんたら歩きやがって! 何が、『咲く桜 散り逝く桜に…食う桜ってね!』だ! あえて言おう! その歌は…どうかな?ってな!」
捲くし立てられ、あまりと言えばあまりのハイテンションに、エマが咄嗟といった様子で拳を正拳突の要領で前に突き出し、その腹に埋めると「う る さ い」と、渾身の声で、そう厳かに告げた。

流石である。
流石の反射反応である。

「おお…」と微かに感嘆の声を上げる翼の隣では、思わずといった様子でパチパチと夜神が拍手をする。

「大体! 言い訳させて貰うと! 自分も人に聞かせるつもりで詠んでないから、『どうかな?』っていうのは分かってるわよ! 私の実力舐めんじゃないわよ! その気になれば、西行が墓場から蘇ってブラボー!!って叫ぶ位のスーパー俳句が詠めんのよ、コンチクショウ! おっけー! ちょっと時間下さーい! 今から俳句考えますんで、1時間ほど時間下さーい! て い う か ! な、なな、なんで、私の『川原ウォークin独り言祭り』の様子を勝手に見てくれちゃってんのよおおおお!!!」

拳を叩き込んだ仁王立ちの姿勢のまま、そう顔を真っ赤にして喚き散らすエマに、「あ、エマさん、恥かしかったんですね!」と、朗らかな声でモーリスがツッコミを入れた。
そのままモーリス・ラジアルは柔和な微笑を浮かべ「こんにちは」と、エマに向かって手を上げ、エマは漸くここに集められている面々に気付いたのか、こちらに視線を向けて「あら?」と小首を傾げる。
先程までの勇ましい様子から一転して、友好的な微笑を浮かべつつ片手を挙げて、「こんにちは」と挨拶をしてくる彼女の背後に「猛者」という字が浮かんで見えるのをはっきり読み取りつつ、翼は曖昧に微笑み返した。

ベイブはと言えば、真っ白な肌には一切の血の気というものを感じられず、生気のない虚ろな灰色の目を瞬かせながら、だらしなく玉座に身を埋め、薄い唇を無気力げに開く。


「…ようこそ」

あまりと言えば、あまりに素っ気無い一言に、即座に、(あ、この人エマさんも忘れてる)と確信する。
こんな城に長い間閉じ込められていると、シナプスが衰えていくのか、記憶力と言うものは衰退していくのかなどと考察しつつ、黒須に乞われたから呼んだのであって、ベイブ自身は、ここに呼び込んだ客人の事など一切覚えていないのだろうと確信した。
翼と同じく、覚えられてない事を、『都合が良い』と認識したらしいエマが、「どうも〜」という、好い加減な返事をベイブに返しつつ黒須を腰に手をあて見下ろした。

「本当に、久しぶりねぇ。 どう? 元気してた?」
何気ない調子でエマが黒須に問いかければ、腹を押さえたまま「ついさっきまでは元気だったんだけどな、今は、もう、なんか、渡っちゃいけない感じの川とかが薄っすら見えてるんだが、これって生命の危機に瀕しているという事で良いんだろうか…?」と涙目で答えている。
「うん! がんばって!」と限りなく無意味な返答をエマは返しつつ、「で? えーっと、これは、どういう集会なのかしら?」と、首を巡らせ、集っているメンバーを一人一人確認してきた。
エマと最初に視線の合った翼は、「僕も、潤と一緒にいたところをエマさんと同じく急に此処に連れてこられてしまって、詳細は分かっていないんです」と、簡単に自分の状況を説明した。
そして、お手上げといったポーズをひらりと見せ、それから見惚れるしかないような完璧な顔立ちに、完璧な笑みを刷かせると、「でも、まぁ、エマさんに会えるなら、此処に連れて来られたのも、強ち悪い事ばかりじゃないって思えますね」と、心からエマに告げる。
途端に、蕩けそうな笑みを中性的で知的な容貌に浮かべると、「私も翼ちゃんに会えて嬉しいわ。 こんなトコでじゃなきゃ、もっと素直に喜べるけどね」とエマが答えた。
「エマさんは、以前此処に?」と夜神が問い掛け、確か前回此処に訪れた際に、エマの姿も見掛けたはずと、翼は記憶を手繰り寄せる。
案の定、コクンと頷くエマに、「それは羨ましい」と、心底といった調子でモーリスが場違いなまでに明るい声を上げた。
「このような場所、ご存知でしたのなら是非、私にも教えて欲しかったです」というモーリスの言葉に、翼は信じられない生き物を眺めるような目で、彼のことを眺めてしまう。

モーリスと良い、夜神と良い、どうして男は是ほどまでに好奇心が旺盛なのだろう?と疑問を抱きかけ、普段、こういう事態の際には必ず隣にいる男の顔を脳裏に思い浮かべる。

(金蝉は…違うか…)

金色の美丈夫を思い出す時は、いつも不機嫌そうな顰め面で、そんな空想の金蝉に苦笑を浮かべて見せると(潤や、モーリスさんの大らかさと、金蝉の頭の固さを足して2で割れば丁度良いのかも知れない)等と益体も無い事を考えた。

何故か一歩下がり、三人のメンツを眺め、「よし!」と無意味な小さくガッツポーズを決めるエマを不思議そうに眺めれば、この場所を教えてくれなかった理由を問うたモーリスに「…いや、あの事務所いたら、この手の異空間慣れっこになっちゃって、取り立てて人に教えなきゃ!とも思えなかったし…」と軽く答えている。
(さっきのガッツポーズの意味は?)と首を傾げども、まぁ、取り立てて問い質したい事でもなし、翼は、あえて疑問を口にしない事にした。
「貴方だって、別段、『こういう事態』に不慣れな訳じゃないでしょう?」
エマがそう問いかければ、「まぁ、お陰さまで」とモーリスは曖昧な返事をして、ひらりと軽やかな笑みを見せる。

なんだか、その意味あり気な返答は気にならないでもないが、今はそこを追及している場合じゃないと、即効、皆は黒須へと顔を向けた。

「…なんだか…残念ね」

またも意味の分らぬ事を沈痛の面持ちで言うエマに、黒須はエマが言いたい事が分ったのか、よろよろと立ち上がりつつ「それで、俺にどう言えと?」と低い声で問い返す。
自分と同じく久しぶりに会う筈だろうに、どうしてこれ程までに遠慮の無いやり取りを繰り広げているのだろう?と首を傾げながらもエマは、テヘっと笑って「大丈夫! 宇宙の果てとかにまで行けば、黒須さんも奇跡的に、夢の中ではモテない事もないかもしれないわよ!」と、訳が分からないなりに、フォローなんだか、罵倒何だか、限りなく罵倒寄りだよね?な台詞をかましつつ、その背後にスタスタと回り、こめかみを両拳でがっちりロックオンした。

「で? 私が、またも改心の、これもう、ちょっと革命じゃね? 和菓子業界激震じゃね?っていう出来栄えの桜餅を事務所に差し入れ途中に拉致られた理由を教えて貰えるかしら?」と、唇をにんまりした形に裂きながら、ぐりぐりと回転させれば、「んぬああああ!!」と悲痛が響き渡る事数秒。

あの風呂敷包みの中身は、桜餅か。
エマさんの桜餅は絶品なんだよな…等と翼はほのぼのとした気持ちで、黒須の処刑風景を眺めつつ、「つ、翼? いいの?」と夜神に問われるも、「何が?」と心底不思議そうに問い返せば「あ、いいんだ…」と夜神は、何かに納得したように頷き、黒須を気の毒そうに眺める。
そんな最中、「説明! したくても! この、ままじゃ!無理っ!!」と最もな事を黒須が喚いた。


「で…コントは終わったのか?」
胡乱気な眼差しでベイブに言うのを、何にしたって失礼な男だと、心の中で憤慨しつつ、翼は先程叫ぶようにしてなされた黒須から聞いた説明を頭の中で取りまとめた。
「つまり…竜子さんは三日間も一箇所に拘束されているという事なのか?」
翼の不安げな声に黒須が頷けば、唇を噛み「可哀想に…」と翼は心底彼女の身の上を案じる。
「きっと、疲れ果ててしまっている事だろう。 こうしちゃあいられない。 出来るだけ早く助けてあげないと」
そう焦りつつ、翼はツイと強い眼差しでベイブに視線を送った。
「で? 彼女の居場所の手がかりは何もないのかい? その、白雪…だっけ? 鏡には、場所を特定できそうな何かは映ってないの?」
翼に問われ、ベイブは気怠けに答えた。
「映っている事は映っている。 森だ。 あと、まぁ、花やら、木の机やら、テーブルの上に広げられた甘ったるそうな菓子類やら…。 ガーデンパーティを洒落込んでいるらしい。 だが、では、その森が何処にある?と問われれば、白雪?」

呼ばれ、現れたのは真っ白な女。
真っ白なベイブの傍に突如として出現したように見える彼女は、優雅に一礼して、にっこりと笑った。
「女王は地下三階、嘆きの森にいるようです」
そう答え、微笑みながらベイブを見るも、ベイブの視線は正面に据えられたまま、彼女の方には向けられない。
(おや?)
思わず掌を唇に当ててしまう。
出会ってからたった数秒。
だがその眼差しだけで、どれ程疎いものでも気付くだろう。
(彼女はベイブに恋慕しているのか…)
そう確信し、翼は一人頷く。
(と、なると、ベイブの態度は女性に対する者として、余りにも冷淡が過ぎるな)と翼ならではのブーイングをたれかけた所、白雪はベイブを見つめたまま「まぁ、このまま帰ってこないほうが、この城の平穏の為には良いかと白雪は思うのですが」とあっさり怖いことを言った。
ベイブの傍にいる女は皆憎しという所か。
思わず、スススと白雪の顔から目を逸らし、「女性って…時に…怖い…」等と己の性別を忘却の彼方に置き去りにするような感想を抱くと、彼を此処に閉じ込める要因となったアリスと良い、この白雪と良い、どうして怖い女にばかり好かれるのか、女難の相でもあるのか?等と翼は今現在、多分、それ、そんなに重要じゃないよね?という部分に思考を飛ばす。
だが、話を進めねば事態も進展しないと気を取り直し、翼は「黒須さん。 案内できるかい?」と黒須に話を振った。
「地下階ねぇ…。 俺も不案内だからな、あそこは。 表層には引き上げ効かねぇか?」
不思議な言葉だと、その台詞の意味を判じかね、首を傾げる。
すると、そんな翼の疑問に答えるかのようにエマが口を開いた。

「この王宮内にある全ての部屋が、ベイブさんの思うがままに姿も位置も変わるって事よね?」

まさか、そんな城が…と思いかけ、ここなら、そうであったとしても不思議はないと思い直す。
黒須が薄く笑って「よく覚えてんな」と褒めれば、「当然」とエマが片眉を上げて答え、彼女は前回の訪問によって、自分よりもこの城について詳しく説明を受けているらしい事を翼は知った。

「それは随分と便利なお城だ」とモーリスが感嘆したような声で言う。
「じゃあ、それこそ、今いるこの王座の真向かいにでも、その部屋を呼ぶ事は出来ないのですか?」
夜神の提案にベイブは首を振り、「階層が違いすぎる」とだけ答えた。
「階層?」
重ねて問われ、「ふむ」とベイブは顎先に指を当てる。
「…つまり……、ああ、人の精神構造と同一であるという事だ」
ベイブの言葉に、皆が一様に首を傾げれば、ひらりと白く枯れ枝のようにも見える指先を動かし、まるで偏屈な教授めいた口調で語り始めた。
「人の心理の、他者からも目に見えて分かりやすい表面上の心理を表層心理、その奥にある真実の心理を深層心理と呼ぶ。 この表層の心理というものは、心理の持ち主自信が他者に対して『提示』したい、『こう見られたい』という思惑を含んだものである為、行動者本人によるコントロールが可能な心理となるが、深層の心理は、持ち主自身も把握しきれず、またコントロールが効かない場合が多々ある。 つまり『真実の想い』というのは、自分自身では操作不可能であるという事だ」
「元は考古学発祥のメタファーなんですよね? 表層・深層という隠喩は」
モーリスが流石の博識を披露すれば、ベイブは静かに頷いて、「そうだ。 そして、この城も考古学と同じく表層、つまり今我々がいる王座を含む城の上層域と、その地下部、深層階に分けられる」と答えた。
興味深く思い耳を澄ます翼の目の端に、黒須に対して何事か耳打ちしている白雪の姿が目に入る。
黒須の表情が一瞬固まり、そして唯でさえ険しい表情が更に険しくなった。
(何か、問題でもあったのか?)
不安に思うも、淡々と続けられるベイブの言葉の独特のリズムに引きずられ、とりあえず感じた不安は心の隅に置いて、今はベイブの話に集中する事にする。


「この城は、先程聞き及びの通り、私の意識の変化によって、その都度内部が変化を遂げる。 つまり、私の心そのものだ。 荒れれば…どうなるか、知っている者も此処にはいるだろうが、この城の内部自体が荒廃し、時に嵐が吹き荒れる」
つまり、荒れると前回に此処を訪れた時に目撃したような大騒ぎになる訳だと、あの時の事を思い出し翼は、少しだけ身震いする。
今は、酷く落ち着いて見えるし、あの時、ベイブの狂乱の火種となったらしいデリク……真意を一切読み取らせることのない、底知れぬ魔術師…ああいった類の人間も、この面子の中にはいない。
今度は、竜子を探し出しさえすればあんな乱痴気騒ぎに巻き込まれる事はないだろうと、翼はとりあえずは安堵した。

「客人を招き入れるような、『他者の目に触れる事を前提とした』この表層部分であれば、私の意識が今のように明確であればコントロールはかなり自由に出来るのだが、深層までは私自身でも、理解しきれておらぬ部分だ。 その様相が『私次第』で変わるものというのは間違いないのだが、深層域にあるものを表層まで持ち上げる事は不可能であるし…」そう説明し、黒須を見れば肩を竦め。
「ま、つまり、帽子屋ってえのは、そもそも、深層に棲む住人だったんだよ。 この城のな。 だが、こいつが不安定な時に、その隙をついて上層階でとんでもねぇ茶会を開き、混乱に拍車を掛けるもんだから、完全に深層から上に上って来れねぇように封じ込めた。 そうしたら、今度は、竜子が茶会に迷いこんじまって…」
「で、帰って来れない…と」
夜神の呆れたような声に、「…ま、生来のあいつの方向音痴プラス帽子屋の目論みも関係してんだろうけどな」と黒須は答えた。
「竜子ふん捕まえて、何を考えてんだか。 そのうち益体もねぇ、取引でも持ちかけてくんじゃねぇの?」
そう黒髪を流れ落ちるようにして揺らし首を傾げれば、「さぁて、然程に分際を弁えぬほど愚かでもあるまい」とベイブは静かに答える
「や、方向音痴と言っても、その深層…っていうのは、そんなに迷い込みやすい場所にあるのですか?」
夜神が重ねて問えば、黒須もベイブも一緒になって彼に顔を向け、声を揃えて「「いや?」」と答えた。
「まぁ、基本、人間が深層心理に他人が立ち入るのを嫌うが如く、城でも私が道を開かねば滅多に足を踏み入れる者もおらぬような階層だ」
「俺も、一度だって地下階には足を踏み入れた事ないしな」
そう答えられ、「じゃあ、なんでそんな場所に…」と呟く夜神に、「いや、それが竜子だから…」と黒須が当然のように言えば、思わず翼も、そしてその他のメンツも頷いた。
翼は、竜子の凄まじい方向音痴っぷりを実際に目にしたわけではないが、前回の騒動の後、エマや、興信所の面々からその噂だけは聞いている。
この場で竜子を知らぬのは夜神だけなので、しょうがないと言えばしょうがない反応なのだが、若干寂しげに「そんなに、凄いのか? その子の方向音痴って…。 なぁ、一体どんな子なんだ? その、竜子って子は…?」と夜髪が翼に問う。
翼は、夜神を見上げると「えーっと…凄く素直で可愛い方だよ」と、微笑みながら当たり障りのない返答をした。
「ええ、それで、とても赤い特攻服がお似合いで…」
微笑みながらモーリスが言葉を続け、エマが「私の事を姐さんって呼ぶのだけは勘弁してほしいんだけどね…」と呟き、ベイブが遠くを見るような眼差しで「まぁ、総じて言えば、歩くトラブル発生装置のような姦しい小娘だ」と言葉を締めた。
「…大体分かったか?」
黒須が問えば、夜神は爽やかな笑顔を見せながら「さっぱり!」ときっぱり答える。
「まぁ、何にしろ、翼の友達なんだろ?」
夜神が問うてくるので、翼は苦笑して「まだ、そこまでは親しくないけどね…」と答え、それから、軽く瞼を閉じて、此処で会った時の竜子の朗らかな様子を思い出すと「うん、でも、彼女が困ってるなら助けてあげたいよ。 僕は、全力を尽くして」と力の篭った声で言った。
大体、困ってる女性を見逃せる性質じゃない翼をようく分っている夜神も「じゃあ、竜子って子がどんな子にしろ、俺の目的も同じになる」と気負いなく答えてくれた。
夜神の言葉を心強く思い、翼は柔らかく微笑む。
そんな翼の頭に夜神は掌を置き、戯れのようにして、その金色の髪に指を遊ばせてきた。
「中々一緒にいれないからね。 こういう所で冒険してみるのも悪くない」
そう呟く夜神の言葉に、「なんて気楽な」と思えども、何にしろ、強い味方には違いないのだと翼は、前回此処に来たときよりも、ずっと自分が安定している事を再確認する。
「その…命には別状ないのかい?」
翼が問えば「それはない」とベイブがきっぱり答え、「この城の中で、誠と竜子が『危害』を加えられる事は絶対にない」と、断言した。
「普通の人間なら、三日間の拘束はかなり消耗を強いられると思うのですが?」
モーリスが問えど、黒須はヒラヒラと手を振って、「体力に関しちゃ、若いのもあって、かなり常人じゃない域に竜子は達してるから、そこら辺はまぁ、心配いらねぇよ。 そりゃあ、疲れ果ててはいるだろうが…まぁ、それこそ、命までは取られやしねぇ」と答えた。
この二人が、なんだかんだで切羽詰ってないのはそういう理由からかと納得しながらも、逆に言い換えれば、こうやって他人に助力を求める程には厄介な事態が訪れているのだろうし、この如何にも面倒くさがりそうなベイブがこうやって自ら来客に相対し、態度はとてもそうとは見えないが、竜子の救出を頼んでくるのだから、彼にとっては、やはり竜子というのは、そうやって守るべき存在として認識されているのだろう。


「…そのような事は、絶対に許さない」


何処か思いつめたような風情すらある言葉を、ベイブはただただ、無表情に口にした。

ベイブの言葉をどう感じているのか、一瞬だけ複雑な表情を浮かべるも、翼の視線に気付いたのか、また、意味の無いニヤケた笑みを浮かべて「さ!」と黒い皮手袋を嵌めた手を打ち合わせる。
「他に、何か質問は?」
黒須の声に、皆で顔を見合わせ、翼は手を挙げた。
「最後に…そのお茶会から解放してもらえる方法っていうものに、何か心当たりはないのかい?」
翼の問いかけに、エマも同調した。
「そう、その、どうも聞いていると随分儀式めいているというか、帽子屋さんは、帽子屋さんのルールに則ってお茶会を執り行っているようじゃない? だったら、王様として、お茶会そのものを終了させたり、もしくは新しい終了条件を作る事は出来ないのかしら?」
ベイブは目を細め、エマと翼の顔を交互に眺めて、小さく笑う。
「色々とよく考え付くものだ…」
それは、感心しているようにも聞こえる声で、素直に喜んで良いものか?と、翼は考え込んでしまう。
一々言葉の真意を汲み取るのに思考が必要だなんて、なんて厄介な相手だろうと思っていると、ベイブが考え込んだ後に、重々しく口を開いた。
「出来ぬ事はない…が…、それを帽子屋が素直に受け取るかどうか…」とベイブは言った。
「どういう意味だ?」
意味を判じかねて翼は問う。
「つまり、帽子屋は、人の言葉を『わざと』相手が曲解するのだ。 それも、最も望まぬ方向に」
「じゃあ、もし、君が『お茶会を即刻終了しろ』と伝えたとしたら?」
「まぁ、アレの思考回路等、そうそう計り知れるものでもないのだが…この前の茶会の際、同じような事を命じた時は、アレはお茶会の終了時には参加者を『とっときの方法』で持て成すイベントを執り行うのが決まりだと言ってな、その時不幸にもお茶会に居合わせたものどもは皆、鉄板焼きにされたのであったっけな?」
ぞっとするような事をいうベイブに黒須は首を振り「いや、フィナーレの花火と一緒に打ち上げられたんじゃなかったっけ?」と、もっと恐ろしい事を言う。
「…良いです。 もう、何も帽子屋さんにはお伝えにならないで下さい」
心底の声でエマが言い、翼もこくこくと頷き、同意した。

「どんな言葉であれ、向こうの都合の良いように捻じ曲げられるか分からない。 幾ら、命の補償はなされていても、『王の命令』の威光を笠に、竜子の命が奪われる事態が起こりえないとは断言できないのだ」
ベイブの言葉に納得したという風に頷き、「だから、どうしても、私たちで迎えに行き、竜子さんを返してもらわなきゃいけないんですね?」と、微笑みながら言うと「分かりました。 言う事聞かないとこっから出して貰えないみたいですし、何だか楽しそうな城だし、竜子さんの事も知ってる身ですからね。 ご協力いたします」とモーリスは、美しい緑の目を瞬かせながら明らかにワクワクと楽しげな声で告げ、結果それが、今そこに集っているメンバーの総意となった。

「では、出発前に、今の女王の状態を皆様にお見せします」

そう言いながら、白雪が自分の胸に両指を突き立てる。
「?!」
翼は目を見開き、その光景を凝視した。

ズ、ズズズと指先が胸部に潜り込み、顎を上げて恍惚とした表情で白雪が胸を開く。

そこには大きな楕円の鏡面が闇に浮かび上がり、こちら側に立つ者々の姿を映していた。
白雪が目を閉じる。
すると、鏡に竜子の姿が浮かび上がった。
竜子の頭上には、ぎらぎらと光る刃が吊り下げられていて、さながら処刑台の様相を見せている。
彼女の椅子の周りを、トランプの模様をプリントした服を来た小人達がぐるぐる走り回っている。
その奥には、演奏者もいないのに自立し、弦を当てられ弾かれるバイオリンの姿も見え、ぐったりとテーブルに突っ伏している竜子の姿を含め「乱痴気騒ぎ」と以外どう呼べばいいか分からない状況だった。

竜子の隣に座る、ちぐはぐで派手なタキシード姿に帽子を目深に被った男が紅茶を啜っていた。

この人が帽子屋。

その姿を翼は自分の目に焼き付ける。

不穏だった。
直感でしかない印象だが、それは確信にも似ていた。

不穏な男だった。

机の上には、砂糖細工の精緻な花々があしらわれた異常な大きさのケーキや、人型や髑髏型、ハートにわざわざ皹を入れた悪趣味な形のクッキーやら、毒々しい色合いの具材を覗かせる正体不明のミートパイ等が並んでいる。
と、同時に、机の真ん前に巨大なチェス盤が置いてあり、その上で血みどろになってチェスの駒とおぼしき人形達が闘争を繰り広げていた。

「何…これ…?」

そう漏らしたエマの呟きに、翼は同意せざる得なかった。
明らかに、尋常でない光景。

ベイブは肩を竦め「これでも、いつもよりかは幾分かマシだ。 竜子を捕らえている分、私が常に監視している事を警戒してるのだろう」と答える。

冗談じゃない。
こんな場所で囚われて、きっと、心身ともに衰弱している事だろうと、鏡の中の様子に視線を走らせ、そして、次の瞬間、あってはならぬ者の姿を見止め、翼は、翼のものとは思えないような、この世の終わりのような悲鳴じみた声で叫んだ。

「金蝉?!」

若干先程より手前に引いた情景を写す鏡の中に、見間違いようの無い姿が映っている…が…。

「…魔王?」

そう小さく呟いたモーリスの言葉に、エマが「魔王ね…魔王」と何度も頷き返している。
金蝉が腰掛けている椅子には竜子と同じく頭上に処刑用の刃。 
唯でさえ、難しい性質の男なのに、このトンチキな状況に怒りを覚えない筈はないというか、多分もう限界。
その位、全身から立ち上る怒りのオーラが凄まじく、表情と言えば、もう、多分この人、本来ならば世紀末とかに世界に降り立って人類を恐怖のずんどこに叩き落していた筈の人だよね!と断言したくなるほどに修羅めいている。

何でそんなところいるんだ?

そう胸中で悲鳴をあげ、翼は床にへたり込む。

「お…終わった…何もかも…。 お、終わり尽くした……」

普段は冷静な翼なれど、この状況は余りに恐ろし過ぎて、項垂れながらぶつぶつと呟く。
「さぁ、どうする? どうする、僕!」
そう自問自答する翼に「翼? え? 大丈夫? っていうか、何? 金蝉って、よく話してくれてる男か? なぁ、どうしたんだよ?」と心配げに問いかける夜神の声も耳に入らず、暫くぶつぶつと呟き続けた数秒後、(とにかく、あの場所から金蝉を解放し、何とか機嫌を取らなきゃ! 世界が滅ぶ!!)と悲壮なまでの決意を固め、一度力強く頷いて立ち上がると、必死な声で「さぁ! 行きましょう! すぐ行きましょう! 即座に行きましょう!」と翼は訴える。
「う、うん、え? いや、行くけど…そんなに金蝉さんヤバイ状態なの?」
エマが恐る恐る問われ、思わず虚ろな笑みを浮かべて「ていうか、もう、ヤバイ状態とか突き抜けて、既に爆発してる状態です」と答える。
実際、周囲に漂うオーラがレッドゾーンを振り切りまくっていたのだ。
今の彼の心境を想像するだけで、全身が震えた。
「多分、竜子さんの事もあって我慢してくれてるんだろうけど、正直、僕の手に負える状況かどうかすら怪しいので、早く解放してあげないと…」
そこで一旦言葉を止めて「…滅びます」と告げれば、主語はないのがより恐ろしかったらしく、エマは何度も頷くと、とりあえず翼と並んで一目散に扉へと向かい始める。

「あ、おい! こら、勝手に行くな!」
「翼?!」
「あー、えっと、できればのんびり、お城の様子とか見学しながら向かいたいんですけどぉ…」

そんな男性陣の声を背にしつつ、エマと翼は必死に、お茶会会場を目指した。

「「金蝉(さん)が滅ぼす決意を決めうちに、とにかく茶会から解放させねば!!」」という、当初の目的とは全く違った必死な使命を抱いて…。




「うわぁ…! これは、大変に美しい庭だ。 ガーデナーの方は何処に?」

ここは宮殿中央にある薔薇園。
広大な面積を誇る城ならではの設備なのか、それとも、そもそも「面積」などという概念自体この城には無用で、この世界には限りなどないのか…。

翼は、気持ちを急かされつつも、その艶やかに咲き誇る薔薇に目を奪われる。

虹色の水を吹き上げる噴水に走り寄ったモーリスが何かに目を留めたかのように首を傾げた。

「デリクさん?」

そう問う声。
薔薇園に放たれているらしい、黒揚羽が一斉にヒラヒラと飛びかう中、その身にも何匹もの蝶を止まらせながらその男はいた。

真意の見えない謎めいた笑みを浮かべ、すっと優雅に一礼する。
その瞬間、彼に停まっていた蝶達がフワリと飛び立つ。
さながら、黒い羽を広げるが如く。
その姿は幻想的でありながら、何処か不吉だった。

「こんにちハ。 皆様。 ご機嫌は如何ですカ?」

微笑を浮かべるその顔を見て、黒須が何か言うより早くエマが叫んだ。


「帰ってえええぇぇ!」



突然の帰れコールに、さしものデリクも「はい?」と固まったまま問い返すのを見て、前回の騒動の原因が子の男にある事を思い出し「そうだ! 帰って下さい!!!」と翼も叫ぶ。
ベイブの天敵ともいえる存在が今、ここに存在しているというのは、マズイ。 非常にマズイ! 白雪を使って、この男の姿を確認された日には、あの時の悪夢再び!という状況は免れ得ないだろう。
「かーえーれ! かーえーれ!」
咄嗟に何にノせられてかは分からないが拳を突き上げながら叫ぶ黒須を見て哀しげな表情を見せると「久しぶりニ、お会いしたのというのニ、何故か即イジメ…、しかも小学生ノリ…」とデリクは項垂れた。 が、当然、全くもってノーダメージらしいデリクは、即座に顔を上げ二コリと笑うと、「マァ、そんな事言わズ、えーと、竜子さんでしたッケ? 一緒に、助けに行きましょうヨ? ネ?」と首を傾げる。
「あー、心配だナァ! 竜子さン! きっと今頃、辛くて、辛くテ、泣いてしまっているかも知れませン! そんなの、可哀想過ぎまス」
そう両手を合わせながら言うデリクに、「な、なんて心無い」と言いつつ「大体、そもそも、なんで、そんなに今回の事情に詳しいんだ」と半眼になる黒須。
エヘッと言わんばかりの笑顔を見せると、「黒須さーン? 魔法の力は、マジカル☆ミラクル。 魔術師に不可能はないんですヨ?」と言いつつ、「えーイ」とその額を指先でツンと突いた。
(わぁ…)
翼が咄嗟に眩暈を感じて、ふらつけば、夜神がその背中を支えてくれる。
「あ、ありがと…」
そう礼を述べれば「なんか…もう、理解の範疇外のやりとりだな」と夜神が苦笑を浮かべつつ呟く。
翼はもう、既に疲れきりながら「理解出来ない方が正常だよ」と返事をすると、事態は緊急に瀕しているのに呑気極まりない光景が目の前で繰り広げられる事に、苛立ちを感じ、ガジと親指の爪を噛んだ。

「黒須さん! 黒須さん!」

モーリスに名を呼ばれ「んだよ」と不機嫌そうに振り返る黒須に、「良かったですね! こんなに虐めてくれる人がたくさん集まって」と、無邪気な声でモーリスが告げると、もう涙目になりながら「意味が分からない!」と黒須は叫んだ。

「ア! 止めて下さいヨー? 私の言葉で変態的欲求を満たそうとするのハ!」
腰に手を当てて、プンプンといった調子で告げるデリクに、「駄目ですよ! デリクさん。 黒須さんは今傷心なんです。 ご主人様に会えなくて、ストレス過多なんです。 毛髪ズル剥け直前なんです。 だから労わって虐めてあげないと」とモーリスが声を掛ける。
「アア! それは思い至らズ、失礼致しましタ、このオス蛇! オス蛇なら、オス蛇らしく、大人しく、私の言う事を聞いていたら良いんですヨ!」
「わぁ! お上手です! 筋が良いです! さぁ、どうですか? 下等なオス蛇さん!」
「うっかり、死にたいわ!!!!!」

絶叫に近い声で叫ぶ黒須。

あ、最強だ。 何気に最強だ。 この二人揃ったら最強だ。

翼は余りに阿呆なやり取りに頭痛を覚えしゃがみ込みたい気分に襲われた。
夜神は、「何というか…無残という言葉がぴったりな状態だな…」と呟き、何がなんだか分からないながらに、黒須を哀れに思ったのだろう。
とりあえず両手を合わせて、黒須を哀悼の意を表している。

渦中の黒須はといえば髪を掻き毟りながら、「うがあああ! は ら た つ !」と喚き散らしている。
「だからネ?」
突然言葉を切り、ツイと自分を指差すと、「適任だと思いますヨ? 帽子屋さんには私のような人間ガ相手をするのが一番でス」とデリクが自信たっぷりに告げる。
「欺く言葉、惑わす言葉、言葉、言葉、言葉! さて、帽子屋さン! どれ程私を、楽しませてくれるでしょうカ? 楽しみだナァ! お会いするのガ」とはしゃいだ声で言うデリクに「確かにお前が適任だ。 あいつの言葉の煙に巻かれぬようせいぜい気張ってくれ」と黒須は言えば、「了解でス! ついでと言ってはナンですガ、噂の『白雪』嬢にも会わせて頂けませんカ?」と更に言葉を重ねた。
「白雪に…? 何が望みだ」
「……ちょっと、私の未来の姿なんかをネ、見せて頂きたいなァと、考えましテ」
微笑みながら言うデリクに溜息を吐き「別にいいぜ。 全部済んだ後で良いなら、会わせてやる。 その代わり帽子屋は頼んだぞ?」と黒須は答えた。
手を打ち合わせ「ありがとうございまス! どうせだったラ、もっとサービスで虐めてあげましょうカ?」と問いかけるデリクに、「結構です!」と即座に黒須は答え、此処までのやり取りで苛々も限界に達した翼は「もう…良いね? 行くよ?」と低い声で唸るように言った。

「でも…良いの? それこそ、デリクさんの姿、白雪さんを通してベイブさんに見られでもしたら…」
そう不安を口にするエマ。
翼も足早に廊下を急ぎつつ「そうだよ。 大丈夫なのか? 前のような騒ぎはもう、御免だよ?」と厳しい口調で言う。
「ああ、そりゃあ、心配ねぇ。 白雪は、全てを見通す鏡だ。 この城の全てだって勿論把握してる。 文字通り、その全てをな。 あの魔術師の侵入にだって当然気付いていた。 白雪は、ベイブにあいつの姿を映して見せはしないさ」
黒須の確信を持った言葉に、王座で白雪から受けていた耳打ちの内容はコレか…と翼は得心がいき、エマは「だったら、良いんだけど…」と、渋々と頷いた。
しかし、デリクだけ映さない等とそんな器用な事が出来るのか、デリクと共にこれから行動するのに、デリクだけ姿を映さないでいて、ベイブに不自然さを察知されないのか、気になる点が多々ある。
「うーむ、奥が深いわ。 千年王宮」
そうエマが呟けば、「これ以上深く関わるもの怖い気がしますね…」と翼は答えた。

脳裏に蘇るのは、前回此処を訪れた際に述べたベイブの言葉。

「この男、この王宮に閉じ込めれば、お前、八百年ほどなら永らえさせる事が出来るよ」

狂っている。
虚ろで茫洋とした佇まいの皮を捲れば、その下には狂気が潜んでいて、彼はその狂気のままに、この城に二人の住人を繋いでいる。

竜子と、黒須。

自分の前を歩く男の長い髪と、細い背中をじっと眺めた。

知っているのだろうか?
自らの運命を。

気付いているのだろうか?

悠久の時。
自分の身に架せられた時については、翼なりに宿命と思う事が出来たが、彼らは、ただの人間で、呆れる程に正常で、健全だった。

俯く翼の顔をエマが心配そうに覗き込んでくる。
女性に、不安を抱かせるだなんて、僕もまだまだだななんて思い、表情を正し足早に先を急いだ。

この城は嫌いだ。
止まった時が、嫌になるほど、自分の肌に馴染むんだ。

だから、この城は嫌いだ。


「ま、俺も、霧華の事がなかったら、関わろうたぁ思わねぇ城だな」
黒須の呟きに、翼は(霧華?)と聞きなれぬ名に首を傾げつつ、思わず「分っているのか?」と問いかけようとして彼を見上げ、そしてやはり問い掛けられずに首を振り、俯いた。
黒須が笑う。
「優しいヤツだな、あんた」
翼は黒須の言葉に目を見開く。
陰険な、酷く険しい眼差しを、それでも緩めこちらを眺める黒須の眼差しに、何も言えなくなった。

ああ、分ってるんだな。

それだけ、翼は理解して、それで、何だか余計に困ってしまった。

お人好しって、金蝉は言う。
分かってる。
自分は時々、何もかも、目に映るもの全て、何とか救いたくなって、どうしようもない気持ちになるんだ。
あんまり、そういう目で見ないで欲しい。
ちょっと憎たらしく思えている位の方が、きっと、丁度良い距離感なのだ、黒須とは。
そうでなきゃ、どうしようもないと分ってるのに、こんなに、何とかしてあげたいだなんて、思わず済むのに。

エマが、何処か急かされるような声で言ってくれた。
「そうよ、翼ちゃんは、凄く、凄く優しい子よ。 当然じゃない」
エマの言葉に翼は、益々深く俯く。

優しくなんか、ない。

「…急がないと」
小さく呟く翼の言葉の響きが、儚くなった。
一度だけ、翼はエマを見つめる。

優しいと言うのは、きっとエマのような人の事を言うのだ。
こちらを見返すエマから視線を逸らせば、何故かエマがフラフラと彷徨わせた手で、黒須の髪を強く引っ張った。

「んぎゃ!」

濁った悲鳴を上げる黒須を、エマがじっと見る。
「んだよ」
黒須に凄まれて、エマは困ったように眉根を下げた。
ああ、自分が困らせてしまったのだと、翼は申し訳なく思った。
黒須が肩を竦めて、小さく笑って言った。
「あんたも、優しいヤツだ」
この男が、こんな風に何だか何もかもを分っているような口を利く事が、翼は心底腹立たしかった。






中央大広間。

そびえ立つ。二階へと続く薔薇の意匠が施された白亜の螺旋階段を、圧倒されるような気持ちで翼は見上げる。

「この城の地上階。 つまり表層階域は、大体五階まである」
「大体?」
夜神の疑問の声に、「一度、地上200階建てになっていた事があってな…」
ひっひひひ…と不気味な笑い声を肩を震わせながら漏らす黒須。
「200階…高層ビル並ね…」
エマが呟けば、「わァ! 土地価格高騰の時代に何とも羨ましい話でス」とデリクが手を打った。
「何処が、羨ましいものか! もー、大変だぞ! 俺と竜子の部屋、1階にあって、あの腐れ殿様がおわす玉座200階な! 登るの! 俺達が! この階段を! しかも、あいつ、すげー、アホな事に、エレベーターとか、ゴンドラとか! そういうなんか、俺達を自動的に上に運ぶ装置一切思いついてなくて! そんで、やっと登りきったら『外が見えないなら、高い場所にいてもつまらんもんだな』って、ほんと、バカじゃねぇの?! バカじゃねぇの?!(二度目) 俺、基本的に、一時間に一回はぼんやりと、『あー、あいつ、ほんとに死なねーかなー』ってベイブの事を考えんだけど、あの時は、二分に一回考えた! 二分に一回『死ね!』って、竜子と一緒に叫んでた!」
ヒステリックに叫ぶ黒須に、先程聞いた話ではないが、こんな城に住むのは、常人の身では辛かろうと翼も少々同情する。

「で、時たま、此処の階数を気まぐれに高くしたりしちゃうあいつに、二人がかりで頼み込んで備え付けて貰った装置がこいつ」

そう言いながら、黒須が螺旋階段の吹き抜け部分真下。
これまた大きな薔薇の紋章が描かれている絨毯部分に立ち、「あー、ちょっと俺の周り集合」と声を掛けてくる。
パラパラと黒須の周囲に立つ面々を見回し、「ん」と小さく頷くと、突然一度「ドン!」と強く足を踏み鳴らした。

その瞬間金色の正方形の柵がせり上がり、四方を取り囲む。
天井から、同じく金色の鎖が垂れ下がってくるのを黒須は確認すると「潜る」と一言宣言して、ぐいと鎖を強く引いた。
その瞬間、三半規管の弱いものなら眩暈を覚えるほどのスピードで柵に囲まれている部分の床が、沈む。

「っ!」

金色の柵の向こう側の景色が猛スピードで駆け上がっていくようだった。

「ここら辺だろ」

そう言いながら黒須がぐいと再び金色の鎖を引けば、チンと涼やかな鐘の音。
せり上がってきた時と同じく、金色の柵が静かに沈んでいく。

「う…わ…」

誰かが息を呑む声が聞こえた。

翼も咄嗟に何も言えずに感嘆の声を漏らす。

青色のステンドグラス。
天井も、床も、壁も全てステンドグラスで出来ている。
その全てに精緻な花や、聖人の絵が描かれており、翼はその青く統一された色彩から、ランス大聖堂のシャガールのステンドグラスを思い出した。


深い澄んだ深海の底に沈んでいるような気持ちになる。
天井には教会などで天井近くに嵌められている明り取りの為の円形の薔薇窓が連なっていた。
何処までも青く透き通った、ほの暗い世界。

ここが、この城の、ベイブの心の深層。

なんて暗い…
なんて澄んだ…
なんて…なんて…

息を吸い込む。
空気が重い。

肺が、ずんと空気の重みに少し沈んだような心地さえ覚える。
それほどに、この空間は見るものを圧倒させる荘厳さを有していた。

四方全てがガラスで出来たホールを見回し「まぁ、あいつは落ち着いてやがんだよ。 今のトコは」と言いながら胡乱気な眼差しでデリクを見れば、「にこ」と音がしそうな笑みを浮かべて「大丈夫でス。 ベイブさんに見つかラないよう、大人しくしてますヨ」と大絶賛信用ならない声で請け負った。

天井からぶら下がっている巨大なシャンデリアが煌々とした光を放っている。
黒須が歩き出せば、壁に配置されているガラスの燭台にもその後を追うようにして灯りが灯り始めた。

「さぁて、こっからが面倒だ」

黒須が少し気合の入った声で告げる。
「分ってるのは、この階層の「何処か」に、乱痴気騒ぎの会場があるってぇ事だけ。 白雪の見立てでは中央部分にあるとは言ってたが、何にしろ、道筋なんか毎日変わるこの城だ。 果たして、この階層の中央部にどう道を行けば辿り着けるかはとんと分からねぇ。 さぁて、どうしよう?」

黒須の言葉に、翼が手を挙げて「一応、風に聞いて部屋の場所を探ってみよう。 ただ、地下階にある上『外界』のない世界だから、非常に微弱な風しか感じられない。 僕は僕で探り探り行く事になると思うから…」と言えば、続けて「じゃア、大変迷いやすい城ノ構造を考えるニ、6人でゾロゾロと動き回るより、少人数に分かれて探索した方ガ効率が良いかモしれまセン」とデリクが提案する。
「黒須さんは、この城の内部について、俺達より詳しいですよね?」
夜神の問いかけに頷いて、「ま、一応住んでるし、な」と黒須は答えた。
「どの道を行っても、このホールまで確実に戻って来れますか?」
「ああ。 こいつが…」
そう言いながら、飾台を指差し「俺の行った道には灯るようになってる。 つまり…」と黒須が最後まで言い終わる前に「ああ、では、灯りを逆に辿れば…」とモーリスが頷き、黒須は肩を竦めて「ま、そういうこった」と言葉を締めた。
「では、二手に分かれましょう。 俺は、一度行った道は忘れない。 翼と一緒に行って、中央部らしき場所に辿り着いたら、また逆を辿りこのロビーに戻ります」
「了解。 じゃあ…」
「あ、私、翼ちゃん達と一緒に行く」
ひらひらとエマが手を挙げながらそう宣言すれば、「何でだよ」と黒須が半眼になって問うてきた。
「だって…何かあった時、この二人と一緒の方が心強いし…」とそこで言葉を切り、残った、モーリス&デリクの二人を交互に眺めているのを見て、翼が先程の薔薇園で見た手に負えない状況を思い出せばエマも同じ事を考えたのだろう。
「…この組み合わせのが、絶対面白いもの」とぐっと握り拳を固めて見せる。

わぁ、エマさん、大胆!と思えど、まぁ、散々に振り回されているのだから、その程度の復讐は良いだろうと思い翼は「ナイスアイデア」と胸中で呟く。

思う存分翻弄ればいいよ!と高笑いの一つでもかましたいような気持ちになりながら満面の笑みを浮かべれば、黒須は一度、静かな顔になって背後を振り返り、黒須の視線を受けて、何故か意味無く揃ってピースサインとかを出したりするモーリスとデリクの顔を眺めて「嫌だあああああ!」と絶叫した。

「無理!! 色々、無理!!!」
そう叫び、がしっと腕を掴もうとする黒須を、エマが絶対零度的冷たさで跳ね除ける。

「ガンバッテ☆」
舌をちょろっと出し、あまつさえウィンクまでかます、かなりのはしゃぎポーズを見せた後、「分りましタ! では、黒須さン、案内をお願いしまス」、「ほらほら、ぼさっとしてると置いてきますよ?」と、二人に言われながらガシッと両側から腕を捕まれ、ずるずるずると引きずられだす黒須。

「もう、自分の足で歩かないと、文字通り首に縄着けて引っ張りますよ? 窒息するまで! わぁ! なんて、サービスが良いんだろう、私って!」
「ああ、丁度首輪も着けられテますし、それは、良いアイデアですネ!」と、あからさまに「黒須可哀想…」な会話を交わしつつ廊下の先へと消えていく三人を小さく手を振って見送るエマ。
その微笑みは、陽だまりのような暖かさに満ちていたが、見送るものがものなので、一言で言うならば場違いだ。
「さて、私たちも行きますか!」と笑顔で二人に声を掛けてくるエマに、「エマさんって…」と、そこまで言って夜神が口を噤む。
翼は、黒須とのやり取りにおけるエマの性質を既に理解したので、「先を急ごう」と何でもないように夜神に声を掛けて先に立って歩き出した。
背後で、夜神は今度は「女って…」と呟いているのが聞こえてくるが今は構っていられない。
金蝉を一刻も早く解放すべく、翼は焦る気持ちのままに足を進めた。

「しかし…綺麗なもんだなぁ…」
辺りを見回しながら夜神が呟く。
「ほんとね。 ほら、あのステンドグラスなんか、ほんとに細かい絵が…」
エマがそこまで呟いた所で、ステンドグラスに描かれていた蝶の絵がキラキラのガラスの羽をはためかせ、その近くに描かれている花に停まる姿を翼は目撃した。
「…あー」
「動きましたね」
夜神の存外に冷静な声に、エマも冷静に頷いて、「そういえば、この城に飾ってある絵とかも動くのよ」と夜神に伝えている。
翼にしてみれば、前回の訪問で驚くだけ、驚き尽くしたのだ。
もう、この不思議城で驚くことはあるまいと、タカを括ったし、エマも同じ気持ちらしい。
「そうなんですか? ああ、じゃあ、是非見せて貰わないと」
一人初訪問のはずの夜神は、動揺など一切せずに、期待を含んだ声で言い、「前に此処に来た時に翼も、見たのか? 動く絵を」と問うてきた。

だが、微弱な風の声に意識を集中して、足早に歩き続けていた翼は、その問いかけを聞き損ね、慌てて振り返り「え?」と首を傾げる。
「…ああ、邪魔をしたか?」
気遣わしげに夜神が問うてくるので、ああ、心配させてしまっていると表情を急いで取り繕い、「いや」と首を振り、「ちょっと…余裕をなくしてた」と小さく笑った。

すると、そんな翼の心理状況を表すが如く、その両脇にあるステンドグラスに、硝子の雨の絵がシトシトと降り始める。
「…好きじゃないんだ。 ここ」
雨の音に促されるように、思わず素直な心境を吐露すれば、夜神は「ふうん」と気のないような返事をし、あたりを見回して、「そうなのか」とだけ答えた。
「なんだか、この城とは合わない。 きっと、金蝉もだ。 早く…助けてあげないと…」
翼の言葉に、夜神は無表情のままポケットに手を突っ込み、少し背を曲げて翼の顔を覗き込む。
「大事なんだな。 金蝉が」
翼は表情を変えずに夜神を見返す。
だが、その足元から、一輪の硝子の花が突如芽を出し、すくすくと茎を伸ばし始めた。
「…大事だよ」
翼はそう答え、その咲き始めた花を見下ろす。
見る見る硝子の茎を伸ばした花は、そっと翼に寄り添うように立ち、凛と首を上げて白い色をしたガラスの蕾をつけた。
エマが、口を噤んだまま、静かな表情で、そっと硝子の壁に寄りかかる。
花に停まっていた蝶が、今度は、エマの傍へとふらふらと飛びながら寄ってきて、その肩口で羽を休めた。

「何が、そんなに気に入らない? 理由があるんだろう」
翼が夜神の言葉に目を見開く。
問われた言葉に、思いの外心が揺れた。
夜神が手を伸ばし、頭を優しく撫でてくる。

「俺が、翼の事を分らない筈ないじゃないか。 言ってくれよ。 なんだか、細い糸を強く張ってるみたいだ。 今にも、千切れてしまいそう見えて心配でたまらないんだ。 俺は勿論だし、エマさんだってきっと話を聞いてくれる」 
夜神の言葉に「とーぜん」と言いながら手を振って、エマは、「でも、無理に喋らなくてもいいの。 言いたい事だけ言ってよ。 自分が楽になれる方法を一生懸命考えて、私たちが手伝える事があるなら言って頂戴?」と言葉を続ける。

ああ、やっぱり優しい人だと、胸が痛くなるような気持ちになって、翼は一度だけ奥歯を強く噛み締めた。

夜神も頷いて、「つまり、翼。 俺も、そしてエマさんも、翼の力になりたいんだ」と言えば、翼は美しい顔にまるで子供のような、頼りない子供のような、寄る辺のない子供のような表情を浮かべて、「なぁ…潤。 優しいってどういう事だろう」と唐突に問う。
夜神は、その突拍子もない問いかけに「強いって事だよ」と即座に答えた。
翼が手を伸ばし、夜神の服の裾を掴む。


「じゃあ、僕は優しくないんだ」

「どうして?」
「強くないから」


夜神の服の裾を、指が真っ白になる程握り締める。
そんな掌に夜神そっと自分の掌を重ねた。
暖かな掌。

ああ、潤も優しい。

その優しい温度に促され翼は口を開く。
夜神にも、そしてエマにも聞いて欲しかった。

「この城は時が止まってるんだ。 千年後、ベイブが呪いから解放され息絶え、滅ぶその日まで、この城の中では時間が流れない。 つまりね、この城に囚われている竜子さんも、黒須さんも同じ運命を辿るって事だよ」

翼が、掠れた声で言った。

エマがショックを受けたように震える声で、「え…ねぇ…それって…つまり…、あの人達…千年もの間…」と呟くのを途中で遮り、「死ねないんですよ」と、翼はきっぱりとした声でエマに言う。

「この城から出ている間は、時間の経過の影響を肉体も受けるらしいのだけど、この城の中にいる限り彼らは一切『老いない』」

夜神は、翼の手を握り締めたまま何も言わずにじっと見下ろしてくる。

「知らなければ…ねぇ…」

翼は小さな笑い声をあげた。

「知らなければ…きっと、そのままで…いられるのだけど、知ってしまうと…どうしてもやりきれなくなるね。 こういう事は。 竜子さんも、黒須さんも『普通』なんだ。 呆れる位に。 『人間』なんだ。 どうなんだろう? 千年。 分んないや。 彼らにとって、その時間が苦痛なのかどうかが。 僕、『普通』じゃないから。 分んないや」

エマの肩に停まっている蝶が、ふいに壁から抜け出し、そして翼の足元に咲く花へひらひらと飛んできた。
硝子の羽。
キラキラと反射し、光の奇跡が三人の間を飛び回る。

「僕には、どうしようもない。 そんな事分ってる。 だから、ここは嫌いだ」

千年。 長い時だ。 不老不死の自分から見ても「嗚呼、長い」と思わずにはいられぬ程の時。
耐えられるのだろうか? 彼らは。
翼は思う。
健全に笑う竜子。
常識的な言動の多い黒須。
人間なんだ。
彼らは、呆れる程に人間なんだ。
己が「そういう生き物」として生れ落ちた事を享受し、生きてきた自分とは余りにも違うんだ。

千年の命。

きっと、辛い。

「…大丈夫」

夜神が翼の煩悶を断ち切るかのようにきっぱりと言った。

「大丈夫。 それが、彼らの選んだ道だろう?」

厳しい位の、だが力強い声。
「後悔はきっとしない。 覚悟はあった筈だ。 『普通』でいられない覚悟が。 だから、翼が悲しむことはない。 大丈夫。 彼らは、彼らの強さがあるんだ。 それでも、もし、彼らが真実を知り、本気で救われたいと願い、翼に助けを求めてきて、翼が彼らを呪いから解き放ってやりたいと願うのなら…その時は全力を尽くせば良い。 勿論その時は、俺だって出来る限りの事はする。 だから、もう、そう決めてしまえば良いじゃないか」
アイドルという職業の浮わっついた印象からはかけ離れた、説得力のある、力強い言葉だった。
翼の、不穏な音を立て続けていた自分の心の波がゆっくりと凪いでいくのを感じる。

夜神とて、自分と同じく永遠の時を生きる種族。
だが、彼はその悩みには囚われず、その時、その時を精一杯生きているように翼には見えた。

永い時を生きる事に対し、諦念もなく、絶望も無く、ただ、その事をそのままに受け入れ、そして生きるという事の強さ。

エマが壁にもたれていた体を起こし「それに、多分黒須さんはもう知ってるわ。 自分に科せられた呪いを」と言う。
そう、あの時の翼との会話。
あれは、何もかも分っている者だからこそ言えた台詞だった。
翼も頷く。
「なんだか、僕が慰められたみたいな形になって…」
そこまで言って、やっと肩の力を抜くと、悪戯っぽい笑みを見せて「ちょっと、気に入らないです」と明るい声で翼は言った。

夜神の言葉で、これからの自分のこの城や、黒須達に対する気持ちが定まった。
もう、迷わないし、惑わない。
大丈夫、僕は、この城の中でだって笑える。

エマも「んふふ」と笑い声をあげ「そうね、気に入らないわよねぇ? 心配してあげてるのに、余裕っぽく振舞っちゃって、ねぇ? いいの、いいの。 あの人好きでこの城にいるんだもの。 それに、全くのバカって訳じゃない人よ。 大事にしてる竜子ちゃんの事だって考えてるわよ。 大丈夫。 そう、大丈夫」と明るい声で言い、パタパタと歩み寄る。

ふと目を向ければ、蝶が止まる花がいつの間にか開花していた。
真っ白な硝子の花。
美しいその造詣に目を細める。
凛とした、気高い花。


夜神も、微笑みながら、その花に手を延べた。
綺麗な指先を伸ばし、そっと、その花を愛しげに撫でる。


その瞬間。


花が、血のように紅く染まり。


そして、カシャンと硬質な音を立てて砕け散った。



目を見開く。
三人とも、赤い破片が散らばる床をじっと見ていた。
花に停まっていた蝶がまた羽ばたいていく。


忘れないで。
夜神潤が『突然変異』だという事を。

時々、ふっと自分の心を掠める不吉な予感。
自分の前にいずれ夜神が「敵」として立ち塞がる不吉な予感に襲われ、その予感を必死に振り払うと「…行こう」と、翼は何事も起こらなかったと言わんばかりの声で言った。

二人も翼の気持ちに同調するかのように、紅く砕けた硝子の破片から必死に目を逸らし、急かされるようにして頷いた。



「多分此処です」

随分苦労させられたが、翼が執念めいた集中力で持って漸く探り当てたその場所は、硝子で出来た青い薔薇が咲き乱れた広間だった。

円形の広間は十字の硝子の通路が引かれ、その脇を飾るようにして薔薇が咲いている。
薔薇の咲いている床部は澄んだ水が張られていて、ひやりと広間に満ちる温度は低い。
覗き込めば、サファイヤの如き色合いをした、美しい水の中、薔薇の茎部の間をすり抜けるように、真っ青な硝子で出来た小さな魚達が泳いでいる。

中央部には、大きな扉が一つそびえ立っていた。
裏側にまわってみても何もない硝子の扉。
だが、翼はその扉を開けた向こうで竜子が囚われているお茶会が開かれている事に対し確信を持っていた。

間違いない。
風は随分と弱々しいが、それでも、翼に嘘は吐かない。

翼は、夜神を振り返り「道、覚えられた?」と問う。
夜神は、自信たっぷりに頷き「じゃあ、戻りましょう」とエマにも声を掛けた。
余りに「壊れやすい物」に満ちた、青い硝子の情景が恐ろしいような気がして、美しすぎて不安感を覚えていた翼は、先頭を立って歩き始めた夜神の後を急いで追った。


「…つ…かれた」

最初にゴンドラで降り立った広間にて、膝を抱えて蹲り呻く黒須と、その黒須の髪を無意味に三つ編みにしていたモーリスの姿を見て、何故か安堵する翼。
「よぉ。 見つかったか?」
黒須に問われるも、「いや、うん、その前に、なんなの、それは?」と、エマがごく冷静に呟きながら指差す先には、何故か黒須の頭から生えた硝子の花。
ピョコンピョコンと人を馬鹿にするかのように揺れる花を眺めていて半眼にならざる得ない翼は、先程エマさんは、全くの馬鹿じゃない等とこの男を評していたが、この姿は馬鹿者以外の何者でもないな、と呆れつつ、頭から花を生やしている黒須をなんだか腹立たしいような気持ちで眺める。

「……色々あったんだよ」

何事か言おうとして諦めたのだろう。
そう纏めた黒須の頭にエマがひょいと手を伸ばし「えい」と平静な声で呟きつつ、その花を「ぶち」と抜きさった。
「っ…ぎゃあああ!!!」
叫ぶ黒須を放置し抜いた花に眼を向けるも、カシャンと砕け散ってしまっている。
「何をするんだぁ!!」と、痛かったのか、頭を押さえながら叫ぶ黒須に「いや、目障りだったから」とエマが真顔で答えていた。
「アアアア…クリスティーヌ…」
何故か、そう嘆くような声を上げるモーリスを見れば、哀しげに黒須の頭に手を伸ばしていて、あの花の名前はそうかクリステーヌなのか、うん、どうでもいい!と投げ遣りな気分になりつつ、向こうチームは向こうチームで、想像を絶するような事があったのだろうなぁ、ああ向こうチームじゃなくて良かった、良かったと心の底から思う。
夜神は、もう、このトンチキ騒ぎに口を出すことは一切控えようと賢明な判断を下していたのだろう。
騒ぎが一段落した所で「じゃあ、案内します」と声を掛ける。
「んあ。 頼むわ」と間の抜けた声で返事しつつ「どっこいせっと」と如何にもおっさん臭い掛け声をかけつつ立ち上がった黒須は、「さぁて、漸く女王様にご対面できるって訳か」と言いつつ、肩に手を当て、首をコキリと鳴らした。


夜神の正確な道案内のもと、中央広間に辿り着く。

「こりゃあ、是がねぇと開かねぇな…」と呟いて、黒須は胸ポケットから「薬指」を取り出した。
目を見開けど、その「指」が扉の鍵らしく、ぎっと鍵穴に差込捻れば、そのまま独りでに扉が開け放たれる。

人の指を鍵にするなんて、なんて悪趣味なんだろうと思う間もなく、その瞬間、青い硝子の薔薇の花弁が風もないのに舞い上がり、まるで、足を踏み入れるのを防ごうとするかのようにその鋭い花弁を翼達に降り注いだ。
「っ! 走れ!」
黒須の声を合図に、皆一斉に扉の中へと飛び込む。
無数の硝子の煌きを背後に、足を踏み入れたその情景は、白雪が見せていてくれたものと全く同じ、新緑の色深い森の姿だった。


「ようこそ!」


人を嘲るような、朗らかなのに油断ならぬ声。
声がする方に顔を向ければ、そこには帽子屋が立っていた。

「ひい、ふう、みぃ…嬉や、嬉し! 是ほどのお客人は珍しい! しかも、ジャバウォッキーやっと来てくれた! アンタはホントに罪な男さ! 何度も招待状は送っていただろう?」

そう言いながら何処か猟奇的ですらある声音で黒須を詰る帽子屋に対し「へっ」と鼻を鳴らすと、「毎回毎回、贈り物と称して趣味の悪いもんまで一緒に送りつけやがって。 あんな招待状で誘い込まれる奴なんざいるかよ」と告げる。
黒須の声に反応して顔を上げた竜子が、顔をくしゃくしゃに歪め「誠!」とその名を呼んだ。
「待たせたな」
ひらひらと手を振る黒須に「馬鹿野郎! おせーんだよ!!」と竜子が喚く。
「お陰でアタイの体の節々はもう限界だ! 老人だ! 老人と海だ! うん! 疲れすぎてて、意味が分からない! あと、もう、精神的にも限界越え! だって、怖い!! 隣に座ってる人怖いしぃぃぃ!!」
指差しつつ怒鳴る竜子に「う る せ ぇ」と地獄の底ボイスで答えた金蝉は、ふいとこちらに視線を向け翼の姿を見止めると益々眉根を寄せた。
「…随分とご機嫌で」
余りに不機嫌な様子に、思わず翼がそういえば、「おかげさまでな」と、険しい表情のまま獣が唸るような声で答える。

此処最近の不機嫌記録を更新しそうな声音に、頭が痛くなるも、よくぞ此処まで我慢してくれたと褒めてやりたい気持ちにもなる。

だが、そのまま翼のすぐ隣に立つ夜神に視線を向けた瞬間、「あれ? ここ、アラスカ?」と問いかけたい程に、金蝉の周りの温度が冷えこんだのを察し、翼は、自分の顔から見る見る血の気が引いていくのを感じた。

あ、やばい。
やばい、やばいやばい。

自分のすぐ隣に、親しげに立つ夜神の姿に、大絶賛、金蝉が誤解しているのを翼は用意に悟る。

マズイ、マズイのだが、流石にこの場で「彼とは異母兄弟なんだ!」と叫ぶ訳にはいかない。
一応世間には隠している事でもあるし、何より今は、金蝉にそんな言い訳をしている状況ではないのだ。
帽子屋が嬉しげに声を張り上げる。

「相変わらずジャバウォッキーはつれないなぁ! つれない、つれない! まぁ、いいや。 今は麗しきお客人を招いているからね」
そう帽子屋が言い指し示すテーブルには、竜子と金蝉の他にもう一人。


「デリク! あら、残念。 とうとう見つかってしまったみたい! 帽子屋! ねえ、このスコーンと、マカロンを包んで頂戴? あと、ストロベリーとクランベリーのジャムはそれぞれ瓶詰めにしてね? 瓶には薔薇色のリボンと、桜色のリボンを結んでそれぞれ区別がつくようにしなさい」
そう傲慢なのに愛らしい声で帽子屋に命じている人形めいた美しい少女が、こちらを向いてにこりと微笑む。
「ごきげんよう! お前達!」
前回もこの城で合間見えた少女、ウラは高らかに告げ「クヒッ」と引き攣った声で笑った。
「ああ、ウラ! また、こんな所に一人で遊びに来テ!」と言いながらスタスタと帽子屋の脇を抜け、デリクがウラの元へと歩み寄る。
「危ない目に合ってモ、知りませんヨ?」
そう言いながら手を伸ばせば、その手をピシャリと叩き落とし「デリーィク! 減点だわ、その口の聞き方! また子ども扱いね? いつになったらデリクにとって私は一人前にレィディになれるのかしら?」とウラは不機嫌そうに頬を膨らませる。
「その点帽子屋は紳士よ? ヒヒッ、ねぇ、お前達、音楽を変えて頂戴。 辛気臭いのはイヤ! 華々しい音楽に変えて? そうね…ドヴォルザーク! それも、謝肉祭がよくってよ?」

昂然とした言葉。
だが、ウラの佇まいはその我が儘をどうしたって叶えてやりたくなるような、そんな魅力に満ち溢れている。
帽子屋が「仰せのままに、お嬢様」と笑みを含んだ声で了承し、ふいと指をひらめかせば無人の楽団がまさにお祭り騒ぎと言って良い、派手な音を奏で始めた。
目を細め満足げに頷きながら薔薇の花弁が浮かぶ紅茶を口にし、ウラは「さぁ、お前達も席に着けば良いじゃない? スコーンは焼き立て、サンドイッチには、新鮮なスモークサーモン、お茶は摘み立ての薔薇の香りよ? 味合わない手はないわ?」と告げる。
「お褒めに預かり恐悦至極。 シェフにも、お嬢様のお言葉を伝えさせてもらいまさぁ」と帽子屋はにいっと牙のような歯を剥き出して答えた。
デリクは、目を細めて「随分とウラに良くしていただいたみたいデ、ありがとうございマス」と礼を述べる。
「いえいえ。 おいら達も、美味しそ…っと、いやいや、可愛らしいお嬢様とお喋りができて、こんなに楽しい時間は滅多とない!と喜んでいる次第。 さぁて、旦那様も席にお掛けなさいな。 あぁたは、どんな椅子がお好みで?」
帽子屋がパチンと指を鳴らせば、「トットット」と音を立てて、幾つもの椅子がその四つの足を交互に動かし走り寄ってきた。

「オディール、ガゼット、エカテリーナ、メヌエ、ジョセフィーヌ! さぁ、並んだ、並んだ、別嬪さん達!」
そう呼ばれた椅子たちは、それぞれ全く違うタイプで、樫の木で出来た重厚な椅子もあれば、革張りで如何にも座り心地の良さそうな椅子、近代デザイナーが手がけているようなインテリアとしても通用しそうなお洒落な椅子等々がピッと行儀良くお茶菓子の並ぶ長テーブルの周りに並ぶ。

「さぁて、お客人方好きな子を選んで下さいな」

首を傾げて問う帽子屋に竜子が「お前、今度は何考えてんだよ?」と唸り声を上げる。
「また、妙な仕掛けがあんだろ? どうせ、この椅子みてぇにな!」
竜子の怒鳴り声に帽子屋は肩を竦め「まさか、まさか、女王様? どうして、おいらの事をそんなに疑うようになっちまったんだろう?」とわざとらしい嘆きの声をあげる。
だが、金蝉や竜子の状況を鑑みても、この椅子達にも何らかの仕掛けがあると考えるのが普通だろう。
同じ考えに至っているのか、翼以外の面々も決して椅子に座ろうとはしない。
「何にしろ、このお茶会から女王様を帰して欲しいのならば、お客人としておいらにもてなしさせて貰うか…そうさなぁ…ジャバウォッキー?」
掛けられた声に、黒須が顔を向ければ、「あんたが、女王様の代わりに此処に客として残るかい? それでもおいらは一向に構わないぜ? 素敵な時間を約束してやるよ」と、言いながら黒須へと歩み寄る。

帽子屋の声は、あながち冗談ではない偏執めいた響きがあり、どんな「素敵な時間」が繰り広げられるのか想像するだけで吐き気がする。 猟奇的嗜好の強い帽子屋の事だ。 竜子に対してはそれでも、未だ危害めいたものは加えてないが、黒須に対してもその態度が守られるとは言動からも到底思えなかった。 
どうも黒須はこの帽子屋から「熱狂的」に憎まれているらしい。
(人間関係構築するの確かにあんまり上手じゃなさそうだけど、それにしたって、黒須さん、どんな友好関係築いているんだ?)
そう思えども、では自分が目の前にいる帽子屋と良好な関係が築けるかと問われれば「絶対無理」と即答できるわけで、やはり色々な意味で住み難い城だと他人事として考える。

黒須は自分のすぐ目の前に立つ帽子屋の、己よりも頭一つ分低い場所にある顔を見下ろして「さぁて…、竜子どうするよ? お前の身代わりに俺に残れだとよ」と声を出した。
竜子が間髪入れずに叫んだ。


「誠はやらない!」


怒りに満ちたその声は明瞭な響きを持って、翼の鼓膜を震わせる。
黒須は唇を捻じ曲げキュウッと目を細めた。
その表情は、幸福そうにも見えたし、哀しそうにも見えた。

「だとよ。 女王様の仰せだ。 ただの『門番』には逆らえねぇよ」
帽子屋は黒須をじいっと見上げて首を振る。

「そりゃあ、どうかな? ジャバウォッキー! あんたは、おいらの椅子に座る。 座らなきゃ、女王は返してやんない。 あんたが、おいらの招待を受けるってぇんなら、此処で捕まえてある客人も、他の奴らも無事返してやるさ。 なぁ、お座りよジャバウォッキー。 オディールならば、夢見心地の座り心地、エカテリーナは刺激的、ガゼットならば熱い抱擁! さぁ、どの子が良い? ジャバウォッキー?」

黒須は「どれも御免だ」と吐き捨てて、そして振り返りもせず叫んだ。

「さぁ、詐欺師の魔術師! お前の出番だ」

デリクが「Okey-dokey!」とワクワクしたような声で返事をし、スタスタスタと歩き出す。
途中、エマと、モーリスの隣で立ち止まり、如何にも意味ありげな表情で、何かを囁いていたのがやけに気になった。
(何企んでいる?)
一応味方側の人間だろうに、どうしてこうも、安心してその挙動を眺められないのか、身に纏う空気の胡散臭さに辟易しつつも、その挙動を注視する。
エマとモーリスから得た回答に満足げに頷き返し、油断ならぬ魔術師が道化師の前に立った。


そしてデリクは両手を広げ、「ハロー、ハロー、ハロー? 帽子屋さん、ジャバウォッキーと遊ぶ前に、私の相手をしてくれませんカ?」と首を傾げた。

ああ、やっぱり、羽を広げた悪魔みたいだ。
黒い服装だからか、非現実的な世界でデリクは、益々非現実的な存在感を増している。


「ジャバウォッキーと取引したのですかい? お客人」
帽子屋が笑いながら問うた。
「エエ。 この先行き不透明な昨今、一寸先は闇と言えどモ、未来の自分を知りたいと願うハ、どなたも同ジ。 当るも八卦、当らぬも八卦な占い稼業モ、一向に廃れる気配はありまセン。 私とテ、一介の小市民。 雑誌の占いページを、毎回、毎回、アテにならぬと知りつつも、気になり覗いてしまウ程には、自分の未来に興味がありマス」
滑らかな口調、貼り付いた微笑み。
翻弄するような言葉の波を楽しげに聞き、帽子屋も負けじと口を躍らせる。
「白雪! 彼女を強請りなすったか! そりゃあ、お客人中々手強いものを所望なさる! 彼女は王様の言う事しか聞かぬ強情女! 惚れた、腫れたは世の常なれど、一途を極めりゃ物狂い! あの女から欲しい情報を欲しいように引き出すなんてぇなぁ、至難の技ですぜ?」
芝居がかった口調の応酬に翼は眩暈を覚え、地面に腰を下ろしかけて、不意に背後に気配を感じた。
振り返れば、いつの間にか白い木製の椅子が、翼が丁度腰を降ろしそうな場所に待機している。
「えーと…ジョセフィーヌ?」
そう呼ばれてたっけ?という風に呟けば、ジョセフィーヌはその通りというように一度跳ねた。

「座らないよ?」

その姿を睨みつけつつ唸れば、残念そうに身を震わせる。
油断も隙もあったもんじゃないと、腰を降ろすのは断念し、翼は二人の舌戦を腕を組んで見学する事にした。

「強情な女を、舌先で溶かすなんテ事、男として生まれたからにハ、是非、チャレンジしてみたいゲームじゃありませんカ?」
「確かに、お客人の舌先ならば、白雪の雪の如き冷たき心ですら溶かせそうだ! さぁて、しかしお相手をと所望されても、おいらは御覧の通りのつまらん男でして、お茶以外に貴方を持て成す術が御座いません」
「いえイエ、お気遣いなく、帽子屋サン! こうやって、お話しているだけで、私としては大変有意義な時間を過ごしておりまス。 折角、直接あなたにお招き頂いた身ですかラ、取るも取り合えず、御礼を申し上げたかったですしネ?」
デリクの笑みが深くなる。
「直接? どういう事かしらデリク?」
ウラが宙に浮いている足を揺らめかせ、興味なさ気に問いかける。
「ウラ? 君は、どうやって此処に来タんだイ?」
「間抜けなデリク。 私は、貴方が球体の硝子詰めにして保存してあった『異空間』を通ってよ来てよ?」
「イケナイ子ダ。 前回此処に来た際にまた直ぐに来られるよう、道筋を残しておいたのが失策だっタ! さぁて、では、更に質問ダ、お姫様? どうやって、硝子に詰めた異空間を見つケ、どうやっテ、この深層まで辿り着いたんだイ?」
ウラは、「クヒッ」と笑い、焦らすように口を噤んだまま周囲を見回すと、「呼ばれたの」と囁くように答えた。
「呼ばれタ? 誰ニ?」
「兎よ? デリク。 硝子詰めの異空間の隠し場所はサイテーだったわ。 あんな高い場所に置くなんて、私が手が届かないと思ってたんでしょ? でもね、お生憎様。 兎の手! 硝子の中で大暴れ! コロンと揺れて落ちてきた。 硝子が高い場所から落ちたらどうなる? デリク」
「割れますネェ、硝子ですもノ」
「そう、割れて出て来た異空間の向こうから、真っ白な手が私を手招いたの。 後は分かるわね?」
「エエ。 勿論。 私のアリス! 兎の穴に飛び込んでお城に辿り着いた貴女ヲ、此処まで案内したのはどなたですカ?」
ウラは笑って答える。

「当然、『兎』よ! 『真っ白』なね?」

謎かけめいたウラの答え。

デリクはクルリと帽子屋を振り返り、「さても素敵な招待状。 ウラがこちらに来た以上、私もこちらの世界へ彼女を追ってこなければなりませン。 貴方の差し金ですよネ? ウラを『兎』に、ここまで案内させたのハ。 貴方が招きいれたのでなけレば、この森に通じるあの硝子の扉は開かなイ」と冷静な言葉を並べ立てる。
帽子屋はニヤニヤ笑ったまま一度頷く。
「その通りですぜ、お客人。 だって、こんな場所で、どんなお祭りをしでかそうとも、客は誰も寄り付いちゃあくれないんです。 おいら、人一倍寂しがりなもんだから、ついつい貴方の大事なお嬢さんを此処に招待しちまった。 とはいえ、随分と楽しんで貰えたようだし、傷一つつけぬよう、大事に、大事に持て成させて頂きましたぜ?」
「ええ、本当にありがとう御座いまス」
デリクは一度にこりと笑い、その笑顔のままで「さァ、貴方の目的はなぁニ?」と問うた。
「目的? さぁて、何のことやら」
帽子屋がはぐらかす。

翼は、二人のまさに化かしあうようなやり取りを見ながら、それでも一つの結論を得ていた。

つまり、これは、「デリク・オーロフ」という「魔術師」を此処に呼ぶために仕掛けられた罠であったという結論を。

「ウラを此処に連れ去り、私ヲこの城へ呼んだ理由。 それは、私が此処に来ル事で、何が起こるかを考えれば自ずと答えが出まス」

「発狂現象」

翼は確信を持って呟く。

「ご明察! 私が来れバ、王様狂ウ。 前回の騒ぎは、ここの住人にとっても一大事だった筈。 貴方だって当然ご存知だっタ。 王様の一大事となった、魔術師の事もネ?」

デリクが笑いながら帽子屋に問いかける。

「だから『兎』を使っテ、私を此処まで連れて来タ。 後は待つだケ! 王様が私の存在に気付キ、発狂するその時ヲ。 私はジャバウォッキーとの取引で、貴方のお相手をしておりまス。 貴方も同じく、『兎』と取引をしタ。 兎、兎、何見て跳ねル?」

ウラが甲高い笑い声をあげた。

「アハハハハハハ! 流石よデリク! 全部、お見通し! 兎が跳ねる! 月見て跳ねる! 兎は、だ あ れ ?」

「白雪!」

黒須が叫んだ。

「あんにゃろ! お前とグルか!」
帽子屋を指差せば、「お前のせいだよ、ジャバウォッキー!」と帽子屋がやり返した。

「女王とジャバウォッキーが来てから、なぁんも面白い事なんかありゃしない! 王様は、イかれてた頃はさいっこーだった!! 毎日、毎日、人間共を酒の肴に血みどろになって楽しくお茶会をしていたというのに! ジャバウォッキー! お前を傍らに置くようになってからは、俺の事を城の奥底に閉じ込めて、見向きもしてくれなくなった!」

喚き、飛び跳ね、歯をむき出しにする帽子屋の狂気めいて凶暴な姿に翼は嫌悪を催す。

「お前が憎いよ、ジャバウォッキー! あんまり憎いもんだから、指の先から生きたまんま、少しずつ齧ってやりたい位だ! ああ、そうしてやったらどんなに愉快だろう! 全部、全部、長い時間を掛けておいらの胃袋の中に納めてやりたい。 泣き叫んだって許してやらない! 一番痛いとっときの方法で、一番苦しめてやる」

言い募る声には暗い熱。
だが、黒須は受け流すような涼しい顔をしている。
「白雪は、そこまで知ってんのか? お前が、そこの魔術師使ってお前を狂わせようとしている事までな?」
「まさか! あの女はベイブ様命! あのお方の今の正気を喜ぶ立場にある事ぁ、ジャバウォッキーも知ってんだろ? ただ、恋に狂った女ほど、愚かで扱いやすい生き物もない。 おいらの舌先三寸で誤魔化し、騙して、ここにそこのお嬢さんを案内してくれたに過ぎない」
「見返りハ、竜子さンですよネ? 白雪さンは、随分と王様にご執心の様子。 傍にいる女王様を憎んデ、一時的にでも彼女を王様から引き離したくテ、貴方の口車に乗ってしまっタ」
咄嗟に思い出す。
竜子がもう帰ってこなくても良いと言った白雪の冷たい顔を。

竜子の命まで奪う意図はなかったとしても、ここまでの所業を平然とやってのけるのだから、やはり女は怖いと確信せざる得ない。

帽子屋は、デリクの問いかけに、再び拍手喝采、喜んだ。

「その通り! 流石、流石、流石の魔術師様々だ!」
そう言いながら帽子屋が手を打てば、金蝉が鼻白んだような声で「おい、つまり、俺はアレか? 白雪だかなんだか知らねぇが、馬鹿な女が、あの馬鹿な王様だかなんだかのせいで、この馬鹿な小娘嫉んで、そこのキ印野郎の口車に乗ったせいでこうなってるって訳か?」と、余りに馬鹿馬鹿言いすぎて主語がどれなんだかも分からなくなりそうな台詞で口を挟んでくる。


その瞬間、ふっと皆の間に沈黙が落ちる。

そういや…何で金蝉は、このお茶会に参加させられてるのだろう?

慌てる余りに、思いつきもしなかった疑問が突如翼の脳裏に浮かび上がった。

ウラには思惑が絡んでの招待だと理解したが、金蝉は前回、ベイブの発狂を抑えるのに一役買った功労者だ。
わざわざ意図的に呼び込むとは考え難い。

無人楽団が奏でる謝肉祭が最高の盛り上がりを迎える中、帽子屋が、今までになく物凄く殊勝気な声で「いや、そちらのお客人は運悪くというか、多分、異空間の穴やら、でジャバウォッキーが援軍を呼び込む為に開けた入り口等の影響で、唯々偶然このお茶会に迷い込んじまっただけかと…」と言えば、「ああ…」と皆それぞれに納得やら、溜息やらの入り混じった声を気の毒そうに吐き出す。

んが、本人にすれば堪ったもんじゃないだろう。

金蝉は虚ろな目をしながら、それは、それは、恐ろしい静かな声で、ただ一言「……もげろ」と呟き、「え? 何が? 何を? 何を、もぎたいの?」と、その意味の分らなさと、意味分からない割にかなり具体的に怖い台詞選びに戦慄が走り、黒須が青ざめながら口を開いた。
「うし、分った。 何やかやこれで、辻褄は合った。 まぁ、それは、今はもう、この直面している危機に比べれば瑣末な事だ! とりあえず、あいつは解放しろ。 なんか、もう、闇雲に世界の平和の為に、解放しろ」といえども、帽子屋は帽子屋で一心不乱に首を振りながら「解放したら、終わりじゃない? これ、逆に解放したら、その時点でおいらジ・エンドじゃない? ていうか、もがれるよね? 最初に、もがれるよね?って、そもそも、何をもぐの?!」とかなり的確な判断を下す。
金蝉といえば、これはもう、カタストロフの序曲としか思えないような不吉っぽい術の詠唱に既に突入しており、翼は、これを抑えられるのはこの場では自分だけだと自覚して、必死の声で「我慢だ! 金蝉我慢しろ!! もぐのは早まるな! そうだ、帰ったら、ほら、美味しいもの作るから! あ、ウィスキーあるよ? 焼酎も! あと、もうじき、知り合いが、春鰹を送ってくれるっていうから、それをタタキにしてあげるから!!」と、お菓子で子供の癇癪を宥めようとする母親の如くの声音で、思い留めさせようとした。
モーリスは「とりあえず、もげても、私、元に戻せるんで…ガンバッテもげて下さい!」と黒須にガッツポーズを見せていて、「あ、俺もお前の中ではもげ要員なんだな」と黒須が冷静な声で突っ込んでいる。
「と、とにかく、もがれるのはご勘弁! 全ての目論見そこの魔術師様に見抜かれちまわぁ、後は口封じしかござんせんや! 折角の楽しい楽しいお客人達。 一思いにもてなしちまうのは、至極残念極まりないが、これも一期一会の世の常だ! さぁ、別嬪さん達! ダンスの時間だ!」
帽子屋がそう宣言し指を鳴らせば、今度は楽団が陽気なジャズのダンスナンバーを奏で始める。
音楽に合わせるかのように、先程翼を座らせようとしていたジョセフィーヌが、ひらりと回り、その瞬間全身にビリビリと嫌な音を立てて、如何にも痺れそうな電撃の気配を身に纏わせた。
青白い電気の固まりが、肘掛の部分に宿る。

バチバチとした電撃音に身構えるより早く放たれたその電気の固まりに、翼は「遅いよ」と囁いて、神に及ぶ速さで、その攻撃を避け、ジョセフィーヌに詰め寄ると「バイバイ、ジョセフィーヌ」と女性に対する甘い声音で別れを告げて、その掌をヒュッと水平に振るった。
歪曲の力を宿したその一撃は、ぐにゃりと飴細工のようにジョセフィーヌを折り曲げ歪め、倒れ伏させる。
そのまま、拳を叩き込めば、ジョセフィーヌは一撃の下に粉砕し、瓦礫と化していた。

しかし電気椅子とは、時代錯誤も甚だしい。
あんなものに座らされていたら、一体どんな目に合っていたのやら。

翼が見回せば、それぞれ他の者々も、自分の能力で攻撃を仕掛けてきた椅子を倒していた。

帽子屋に目を向ければ、彼はデリクと相対したまま唆すような声で囁いている。


「…つまり、お客人。 貴方ならこの城の主になる事だって可能なんですぜ?」

帽子屋の言葉にもデリクは表情を変えず、微笑んだまま「ウラ? この城欲しいですカ?」とウラに声を掛けた。
ウラは、「クヒッ」と笑い声をあげ「いらないわ! こんな辛気臭い城! 時々遊びに来るから良いんじゃない。 バカンスの為の場所は、バカンスの為に存在するべきよ」と言い、それから、ひょいと椅子の上に立ち上がる。
「良いわね。 ジャズってもっとつまらない音ばかりかと思ってたけど、これは気に入ったわ。 デリク、ねぇ、踊っても良い?」
そう言いながら、足を伸ばしテーブルの上にウラが立つ。
デリクは盛大に眉を顰め、「お行儀が悪いですヨ。 ウラ」と咎めながらも、自分もひょいと長い足を駆使し、軽い調子でテーブルの上に上がると「家では禁止」と言い、そしてウラに向かって両手を広げる。
嬉しげに笑いながら、極彩色の料理の数々や、ケーキ、お菓子を蹴散らし、ウラがデリクの両腕に飛び込む。

「お茶会は終了よ。 帽子屋! 私、デリクと一緒にお家に帰るわ。 謎々の答えは、『愛している』! そうじゃなくって?」
帽子屋の全身が硬直するのが傍目にもよく分かった。
愛している?
謎々?
一体何の話だ。
彼らは、自分達が知り得ない『何か』を知っている。
一体、何を?
デリクが「正解! 賢いウラ!」と言い、そして指をパチンと鳴らして、「ほら、聞こえてきましたヨ」と宣言する。


「愛している」

その瞬間何処からもなく、ベイブの声が、その場に響き渡った。

ベイブのその声音に、帽子屋が、いや、その場にいる城の奇妙な住人達が全て恐慌状態に陥いる。

無人の楽団が、ギイギイとひっちゃかめっちゃかな音を出し、足元を走り回っていたトランプの小人達がめいめいに悲鳴を上げて逃げ惑う。
無表情に鋏を握りしめていた三月兎も、まさしく脱兎の如く逃げ出していた。

帽子屋が「ひいいい!」と悲鳴を上げて逃げようとするその周りに光の檻が現れた。
振り返れば、薄い花弁のような瞼を閉じ、白い両手に淡い光を宿らせているモーリスがいた。
デリクに視線を送れば愉しそうに笑っていて、全て彼の仕組んだとおりに事態が進んでいるらしいと翼は察する。
帽子屋も大概喰えない男だと思ったが、どうもあの魔術師はその上を行くらしい。
この騒動全て、あの男が仕組んだ事かと思うと、どうにもこうにも気に食わなかった。

ウラが、滅茶苦茶な音に、壊れたような笑い声をあげ、出鱈目なステップを踏む。

「クヒヒッ、ヒヒッ、ヒヒヒッヒヒヒヒッ!」

お腹を押さえ、黒髪を乱し、机の上で、Dance! Dance! Dance!

ウラが踊るその爪先に、ビリビリと稲光のようなものが走り、振り上げる指先にもその光が宿るとデリクは楽しそうに叫んだ。

「ウラ! ウラ! ウラ! よおおおク、狙っテ? よーーーーォい、ドン!」

その瞬間、デリクの合図に合わせて、鋭い雷が帽子屋の上に落ちた。

轟音と、眼を開けていられない稲光の後、翼がゆっくりと目を開けば、感電し、気を失っている帽子屋が倒れているのが目に入る。

金蝉が一歩一歩、それはそれは、人を圧迫するような空気を撒き散らしながら倒れている帽子屋の元へと訪れると「もぐぞ?」と一応の許可を求めるが如く、黒須に目を向けた。
「あ、どうぞ」
多分咄嗟にだろう、そう返事をしてしまった後で、「え? いいの? もぐの、良いの?」と誰にでもなく意見を求める。
竜子がうううんと、両腕を伸ばし、固まってるらしい体をバキバキとほぐしつつ「いいんじゃね?」と軽い口調で言った。
「もう、大絶賛もいでもらおう」
余りの言い様に、エマが慌てて、「ちょ、ちょっと待って!」と声を上げる。
「え、えーと、それよりもね? ここは、ハンムラビ法典にならって、目には目を…って事で…」といいつつ、金蝉と帽子屋の間に入り、帽子屋を何とか抱え起こそうとするのを、「手伝います」と言いつつ夜神がひょいとその体を抱え上げた。
「ありがとう」
エマが礼を述べて帽子屋を先程まで竜子の座っていた場所に座らせれば、流石というべきか彼女が何を望んでいるのか察したらしいモーリスが、三月兎の手を引いて、椅子の脇まで連れてくる。
「ハイ、首チョッキンゲーム、再開です」
落ちていた鋏を握らせて、そうモーリスが耳元で囁けば、コクンと兎少年は頷いた。
帽子屋の足首に、竜子が巻きつけられていたらしい拘束具を装着し、「…これで如何かしら?」とエマは、額の汗を拭いつつ言い、流石に金蝉の「帽子屋のどっかもぐ姿」を見たくなかったらしい面々が「おお」と感心の声をあげる。

金蝉が、「何でもいい。 とりあえず、ここから今すぐ出せ」と唸り声をあげ、足音荒く出口へ向かう背中を見てほっと安堵の溜息をつき、「ああ、今回もくたびれた」と翼は、前回といい此処に来るとくたびれ果ててしまうのは何とかならないだろうか、心から願った。


さて、そんなこんなで、漸く城を脱する事が叶ったわけだが、その前にと、翼は「竜子さん、竜子さん、マッサージしてあげる」と微笑みながら声を掛ける。
「マッサージ??」
首を傾げる彼女に、「スポーツインストラクターに教えて貰ったんだけど、僕結構上手なんだよ? 三日間もお疲れ様でした。 強張った筋肉をほぐした方が、疲労の回復も早いからね?」と優しく翼が提案する。
竜子は翼の言葉に「ほんとか? いいのか?」と嬉しげに念押しして、それからその手を引くと「じゃあ、あたいの部屋に来てくれよ」と言ってくる。
「ごめん、金蝉。 あともう少し待って」
そう金蝉に声を掛け、撮影の為に先に城を辞した夜神を見送ると、竜子に案内されるがままに、その部屋に辿り着いた。
「流石に、もう部屋までは迷わなくなったんだ」と嬉しげに言う竜子に、迷ったらまた、風に聞かねばならないであろうと半ば覚悟を決めていた翼も安堵する。
部屋の中は、案外女の子らしくって、ぬいぐるみや、ピンクの水玉のクッションが転がっている様子に翼は微笑む。
壁には「これ、昔漫画で見て、すげえ羨ましくってさぁ、ベイブに頼んでこういうのにして貰ったんだ。 ヘンかな?」と恥かしげに竜子に示された、天蓋付きを見上げ、翼は「いえ、とっても可愛いよ」と柔らかな声で評した。
枕元には、UFOキャッチャーで獲ってきたらしいぬいぐるみが並べられ、パフンと軽い音を立ててうつ伏せに寝転ぶ竜子の背筋を、翼はゆっくりとほぐし始める。

「あ、そうだ」

そう言いながらポケットを探れば、掌に転がり出たのはイチゴ味のキャンディ。
これ、この前この城に来た時にも、一緒に迷った子にあげたっけと懐かしく思い出しつつ、「疲れたときには糖分が一番良いんだよ?」と言いながら、竜子に示す。
竜子は「優しいな、翼は」と言いながら、甘えた様子で口を「んあ」と開くので、何だかそういう動物を餌付けしているような気持ちになりつつ口の中に飴を放り込んでやれば、目をふにふにと細め嬉しそうに「うめぇ」と呟いた。

「ありがとな。 助けに来てくれて」

気持ち良さそうに表情を緩ませながらの竜子の声に「いつでも困っている時は呼んで。 絶対に助けに来るから」と強ち冗談でもない声で言う。

そういうスタンスで良い。
竜子が、助けを求めたら、その時は、手を差し伸べる、そういうスタンスで良い。

夜神の言葉に決意した心のままに述べた台詞に、竜子は驚いたように目を見開いて、それから、「じゃあ、あたいも」と告げる。
「じゃあ、あたいも、翼が困ったら助けに行く。 呼んでくれ。 何があっても、飛んで行くから」
その声は、生真面目な律儀さに満ちていて、強大な力を持つ翼を、ただの女の子でしかない竜子が救う時なんて、きっと訪れないに違いないと思いながら、そう確信しながらも翼は嬉しくて微笑んだ。

「ありがとう」

肩をぎゅっ、ぎゅっと揉みながら、翼は幸せな声で言う。

「違わぁな。 あたいが、助けて貰ったんだから…あたいのが…」
「いや、言いたいんだ」
翼は、竜子の言葉を遮って「言いたいんだ。 お礼が」と言葉を続けると、小さく微笑えむ。

この城は嫌いだ。
だけど、この場所に友達が出来た。

だから。

「ありがとう」

もう、この城を怖がらなくて良い。



fin



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【2916/ 桜塚・金蝉  / 男性 / 21歳 / 陰陽師】
【7038/ 夜神・潤  / 男性/ 200歳 / 禁忌の存在】
【2318/ モーリス・ラジアル   / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者】
【3427/ ウラ・フレンツヒェン / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】


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■         ライター通信          ■
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お久っぶりです!!
よくぞ、「女王様失踪」に御参加いただきまして有難う御座います。
ライターのmomiziで御座います!

3年ぶりのOMCのお仕事に戸惑いつつも何とか書き上げさせて頂きました。
ご参加くださってる方も、皆さん、現役の頃にご参加くださった方々ばかりで、
私は何たる幸せなライターと、忘れられずにいた、幸せを噛み締めております。

本当に本当にありがとうございました!

僅かばかりでも腕前が上がっていればいいのですが、何にしろ発注して良かったとおもっていただける作品を仕上げる事が私の最大の使命だと思っております。
また、ちょくちょく窓の方は開けさせていただきたいなーと考えているので、その際は再び遊んでくだされば幸いです。

それでは、momiziでした。