コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【女王様失踪】

〜OP〜

【Side:A】


おっす! 俺、黒須誠、38歳! 獅子座の、A型! 趣味は、競馬とパチンコ!
最近の悩みは、朝起きた時、自分が先程まで頭を埋めていた枕から若干の加齢臭が漂い始めてるって事かナ☆
と、まぁ、余りに久しぶりすぎて、咄嗟の自己紹介から始めてみる訳だが、今現在俺は、最っ高に困り果てていた。 、

「よりにもよって帽子屋にとっつかまってんのかよ…」

げんなりした声で呻けば、同じくげんなりしたような表情を見せて、千年王宮の王様リリパット・ベイブが「アレばっかりは、どうにも、私の言葉をはぐらかす。 命令を聞かぬわけではないのだが、妙な理屈と論理のすり替えで命じた内容とかけ離れた事をやってくれる。 今だって、全く私の言葉を取り違え、竜子を茶会から一向に帰そうとしないのだ。 この城に棲まうものは、あいつの狂った言葉に煙に巻かれるばかりか、下手をするとマッドな振る舞いの犠牲者になってしまい、全くもって役に立たん」と呟く。
「迎えに行こうつったって、城の何処で開いてやがんのか、一向に見当がつかねぇ。 よりにもよって、そんな場所に迷い込む、竜子も竜子だ」
俺の言葉に頷いて、「不用意に客人が紛れ込まぬよう、深層で茶会は開くようにと厳命したはずだが竜子の方向音痴に掛かれば無駄な措置であったか」とベイブは面倒くさげに鼻を鳴らす。
「もう、三日だろ? 幾らなんでも、命までは取られやしねぇだろうが、こんだけ長い間拘束されるのは、あんまりだ。 あの乱痴気騒ぎ、まだ続いてんのかよ」
俺が問えばベイブは王座に体を埋めたまま、戯れに手を伸ばし「白雪」と一言名を呼ぶ。
すると、ヒタヒタヒタと滑るような足音をさせて一人の何処もかしこも真っ白な、白いワンピースを身に纏った女が現れると、うっとりとベイブを眺め、微笑んで「何をお望みで?」と、高い声で問いかけた。
「竜子だ…というより、帽子屋の茶会の様子を見せろと言った方が良いかも知れぬ」
ベイブの言葉に、「また、あの女がご厄介をかけているのですか?」と気に入らぬ気に囁けど、「鏡風情が、いらぬ事を申すな」とベイブに叱責され、哀しげに口を噤む。
そして渋々といった風に「御意」と頷き、白雪はずぶりと自分の胸に両手の指を突きたて、ずずずとまるでこじ開けるように自分の胸を「開いた」。
そこには真っ黒な闇の中に浮かぶ銀色の鏡面が存在し、白雪が目を閉じれば、銀色の鏡にある情景が浮かび上がる。

鏡の中には、この「千年王宮」にて、俺と同じく王のベイブに使える「奴隷」として暮す竜子の姿が映っていた。



-------------------本編--------------------



渋谷にあるパティスリー「エレガ」のシブースト。
甘すぎない上品な味わいのスイーツが、最近のモーリスのお気に入りだった。
今日も、自分の主人や、大事な人の分も含め購入するために、春の明るい日差しが眩しい並木通りを優雅な足取りで歩く。
「今日のお茶に早速頂きましょう」と微笑みながら思案して、それから、五月に最盛期を迎える庭の薔薇の手入れに着手しようと午後からの予定を詰め始める。
桜の花弁がゆらゆらと散っていた。
柔らかな美貌を有するモーリスの滑らかな頬を撫ぜるように散るその花弁の甘い感触に目を細め「ああ、良い天気だ」と呟いた瞬間、モーリスは千年王宮にいた。

目をパチパチと瞬かせ首を傾げながら周囲の様子を見回す。
見慣れない景色。
知らない場所。

此処はどこ?と思えど答えはない。

豪奢な作りがやけに目に付く部屋だった。
だが、何処かちぐはぐで、何か空虚だ。
まるで、無理矢理「別の場所」に縛り付けられているかのような気配。
深く息を吸い込み周囲の気配を探りながら視線をめぐらせれば、玉座に座る男が目に入った。

「ようこそ。 千年王宮へ」

真っ白な肌には一切の血の気というものを感じられず、生気のない虚ろな灰色の目を瞬かせながら、だらしなく玉座に身を埋め、モーリスに対し薄い唇を無気力げに開いた。

「初対面…だったかな?」

そう呟く男に、すっと美しく一礼し、「いえ、一度だけ御目文字した事が御座います。 その際はご挨拶も出来ませんでしたので。 ほぼ初対面に近いのですけどね。 リリパット・ベイブさんで、宜しかったですよね? 私はモーリス・ラジアル。 庭園設計を生業としております。 以後お見知りおきを」と澱みなく挨拶し、澄んだ宝石の如き緑の目を微笑みの形に緩ませると、柔らかな声で問い掛けた。

「さて、お伺いしたいのですが、何故、私はここに呼ばれたのでしょう?」

そう肝心の問いかけを行うモーリスの背後から、「それは、俺が説明する」と声が掛かる。
金属質の声。
聞き覚えがある。
振り返れば案の定見知った顔で「黒須さん」と名を呼べば「よりにもよってお前かよ」と既に憔悴したような声で呟き、ガクリと肩を落とした。
相変わらずゾッとする程に美しく、どこか魔性めいた引力を持つ長い黒髪と、それに相反するような、目を逸らしたくなる程の嫌悪感を掻き立てる、陰湿で、陰険めいた容貌をしている。
余りに久しぶりだからか、懐かしいような気持ちすら盛り上がり「お元気そうで何よりです。 竜子さんはどちらに?」ともう一人、この千年王宮の住人となったはずの女の名を口にした。
すると、黒須は眉根を下げ「まぁ、そいつの事で相談があって、お前に来てもらったんだよ」と告げてくる。
モーリスは首を傾げ「えーと、女王様プレイがマンネリになってきたとか、そういう相談ですか?」と至って真剣に問い返せば、黒須は驚愕の表情を見せ、それからワナワナと体を震わせて「な ん で、 わざわざそんな事をお前に相談するんだ?っていうか、違う!! 断じて、そんな相談じゃないし! あと、改めろ、そういう竜子と俺へのイメージを!」と訴えてくる。
だが、「はいはい」といなすように微笑むと、「分ってます、分ってます。 黒須さんが究極のド変態体質だというのは、私はちゃんと理解してますから、ほら、オープンユアマインド☆ ちゃんと、そういう相談にもばっちり、私乗れますんでっていうか、若干普通の相談よりも、そっちの相談の方が多分得意分野なんで、なんでもぶつけてみて下さい」とモーリスは心からの親切心で言ってのけた。

「ち が う !! 俺が相談したいのは! あいつが三日ほど帰ってこねぇもんだから…!」と絶叫する黒須に「え? 家出ですか?!」とモーリスは驚き、「それとも、放置プレイ?」と首を傾げた。
「うわあああん、なんで、こいつ、俺の言葉を一切聞こうとしねぇんだよ!!」と黒須が喚き始めた時だった。



突然、部屋の真ん中に二人の若い男女が現れた。
「新しい客だな」と黒須が呟き、片手を挙げながら「よぉ」と二人に声を掛ける。

黒須の声に反応して、女性の方がギ、ギギギと軋んだ音を立てそうな速度で声の方向に顔を向けた。

見覚えがあると思い、すぐに「蒼王翼」である事に思い至る。
男の方も、何度かその姿見かけたことがある…と考えて、そういえば、ブラウン管の中に映っている姿を見た事がある事に思い至り、そこで漸く彼が今売り出し中のアイドル夜神潤である事にモーリスは気付いた。
「…帰らせてください」と、微笑みながら、翼がいっそ朗らかなまでの声音でそうきっぱり言い放つ。
だが、そんな切実な翼の申し出に対し、黒須は遮光眼鏡を指先で一度押し上げて、無表情なまでに「無理です」と処刑宣告にも似た無慈悲さで告げた。
「翼? 翼? ここ、何? 前にも来た事があるのか?」
何故かワクワクとした、明らかに好奇心満点の声で夜神に問いかけられた翼が低い声で「地獄」と端的に答えている。

地獄とは、また酷い言い方だと思い、ではこの部屋を出たら血の池とかが広がっているのかしら?なんて有り得ない妄想に、くくくと肩を笑いで揺らしたモーリスは、「へえ。 それにしては、何だか、随分ときれいなところだな」と、真面目な調子で答える夜神に同調した。

確かに地獄と言うには、この部屋は美しすぎる。

スタスタと勝手に歩き回る夜神の大胆さに感嘆しつつ、彼も自分と同じく、こういった事態には慣れてる人間なのだろうと推測した。
翼とも随分親しい様子だし、今まで偶々一緒になった事がないだけで、興信所の仕事なんかもこなした事があるのかもしれない。
とはいえ超常現象に幾ら慣れている身にしたって、夜神の現状適応能力は高すぎやしないかと自分を棚に上げて思えども、夜神は辺りを面白げに見回しており、流石、こんな場所に呼ばれるような人間は肝が据わっていると、またも自分を棚に上げて感じ入る。

翼はと言えば、ここに来たのが相当不本意らしく、半眼になって黒須を問い詰めていた。
「前に言ったよな?」
「ん?」
「ここの事を忘れれれば、もう君と、僕達が会う事もないって」
「あー…うん、言ったな」
「な ん で、会ってるの? ねぇ? なんで、君は僕の前にいるの? ねぇ? ねぇ? ねぇ??」

そんな翼に、「お前…俺の事忘れられなかったんだな」と真顔で黒須が告げ、咄嗟の握りこぶしでその頭を殴りつけられている。

「僕のシナプスは、優秀だが、こんな益体のない場所と相手を覚える為に活動したりはしない!」
そう力強く宣言する翼に、「おお、なんか知らんが格好良いぞ翼」と夜神が訳も分ってないのに拍手を送っておりモーリスもならって拍手したい気持ちになった。

まぁ、何にしろ、虐められるのが大好きな黒須にとっては何よりもの挨拶に違いないと、うんうんと頷くモーリスに「そこ! また、妙な勘違いしてんだろ?」と黒須が問い掛けてくる。

ギリリと睨み殺しそうな勢いを見せる翼を、「まぁ、んな、怖い顔すんなって」と黒須に諌め「ちっとばかり手伝って欲しい事があんだよ。 それが済めばすぐに出してやる」と、告げていた。
モーリスにも竜子の事で相談があるといっていたし、何にしろ、今黒須は困っているらしい。
「なんで、僕が!」と抗議しかけるも、「逆にこの城の中の事は、そこそこ力のある奴じゃなきゃ、対処出来ない。 竜子がらみの事なんだ。 手貸してくれよ」と言われ、翼が口を噤む。
「竜子さん…? 彼女の身に何か?」と女性に対してはとことん甘い翼が心配げに呟き、「何があったのか、説明してくれないか?」と、黒須に問いかるのを見て、タイミングよしと、モーリスは、黒須の背後から顔を出した。
「こんにちわ。 お久しぶりです、翼さん」とそう声を掛ければ、翼も夜神もこちらに視線を向けてくる。
「モーリスさん! どうして此処に?」
そう翼が問いかけてくるので「ご主人様が帰ってこない可哀想なマゾ奴隷の黒須さんに、呼び立てられてしまいまして。 とりあえず、竜子さんの代わりに、出来るだけの事はしようかなと、張り切ってるところなんです」と笑顔で告げた。
翼は二歩ほど後ずさりして笑顔のままに「えーと…ガンバって下さい」と、思いっきり他人事の声で告げてくる。
夜神は、夜神でコソコソと「え? そういう人? 黒須さんってそういう人?」と翼に問いかけていて、翼は「いや知らないっていうか、どうでもいい」と心からの声で答えていた。
「そこ!! 間に受けるな!っていうか、お前は、なんで、そんなに好い加減な事ばかり!!」と怒鳴ってくる黒須をモーリスは不思議に思って首を傾げ、「ああ、そんなに苛々してたら、容赦なく剥げますよ? 大丈夫です、ちゃんと虐めて、そのストレスを発散させてあげますからね?」と親切な声音で言ってやる。
竜子が三日も帰ってこないという事は、相当溜まっているに違いない。
だから、こんなに苛々しているのだ。

そう納得したモーリスは、とにかく彼を確りと虐めてあげようと、心からの優しさでもって決心していた。
普段は美しい物にしか興味のないモーリスだが、前回竜子探しの際に、随分愉しい思いをさせて貰ったし、実際若干最近退屈していた事もあって、親切心という名前に置き換えた、刺激を求める心を満足させるべく、この可哀想な奴隷で少々遊んでやろうとワクワクする。
そんなモーリスの思惑に気付いたのか、「うがああ!! なんで、同じ日本語同士なのに、俺の意思が伝わらねぇんだぁぁぁ!!」と黒須が地団太を踏みながら喚き声を上げた。

「うるさい。 はしゃぐな」

虚ろな声でベイブが黒須を制する。

翼が眉を顰め「貴方とも随分久しぶりだ」と告げれば、ふと顔を上げ翼の顔を数秒眺め、視線をスススと逸らすと「あー…うん…えー、久しぶりだな…」とベイブは曖昧に頷いた。

どうも、翼とは「再会」している間柄らしいが、向こうに覚えはないらしい。
翼のような目立つ人間を「忘れられる」事が驚異的だと思いつつ、マジマジとベイブをモーリスは眺める。
そして黒須の首輪に手を伸ばし、そのフチに指を引っ掛け、ぐいと引き寄せると「黒須さん、黒須さん、ベイブさんって、健忘症を患ってたりするんですか?」と問い掛けた。
「ぐえ」と苦しげな声を上げた黒須が「手、放せ!」と怒鳴りつつ、モーリスの指を振り払う。
「あ? 健忘症? さぁな! あいつ、年中ぼけてやがるから、よく分らんねぇけど、なんか小さなこととかは、すげぇ執念深く覚えてたりして、粘着っぽく延々と責め立ててくるぜ?」
そう黒須が言うのに頷いて、「それも、そういう趣向で?」とモーリスが問えば、黒須は「あ、あああ…」と呻きながら項垂れ「お前、俺の事、何だと思ってんだよ…」と唸る。
「極度のMな方。 竜子さんに虐められずに三日も経てば禁断症状でも出ていそうですし。 普段どんな感じで虐めて貰っているのを教えていただければ私、それを参考に出来る限り頑張りますから!」
そうガッツポーズを決めて見せれば「良い! そんな気遣い一切いらねぇから!」と黒須が怒鳴る。
そんな黒須の髪を掴みぐいと引っ張り尖った頤を無理矢理上げさせると、顔を上から覗き込むようにして微笑みかけ「遠慮しなくても良いんですよ? こういうのとかが、イイんですか?」と問い掛けた。
黒須は目を見開いて、焦ったようにパクパクと口を開閉し、それから掠れた声で「やめろ! ちょっ、…放せっ!」と喚く。
するとそんな騒ぎを見咎めて、「あー、そこ、もう、そういうプレイとか、どうでも良いから、ちゃんと説明してくれ」と翼が告げてきて、「誰がプレイぞぉぉ?!!!!」と即座に黒須に怒鳴り声をあげた。

「大体、なんでこんな俺にとって面倒臭いメンツなんだよ!」
そう翼と、モーリスを交互に指し示しベイブに詰め寄る黒須に、面倒臭い扱いなんて、心外だなぁと心から思いつつ視線を向ければ、ベイブはベイブで「いや…、現状、この王宮で……、役に立つ程の力を持ち…、通り道となる穴の…傍にいたのがこの面々だったからな…」と余りにも好い加減な説明をしていている。
「俺、こいつら纏められる自信がねぇよ!」
そう訴える黒須から鬱陶しげに顔を背け、その髪をぎゅっと遠慮の無い力で引っ張り黙らせると「だから、お前のリクエスト通り、一人緩衝材を呼んでやるだろう…?」とベイブが意味の分からない事を告げた。

緩衝材?

そう首を傾げれば、突然、女性の声が玉座の間に響き渡った。

「願わくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃…」

西行法師の有名な句だ。
翼は即座に思い至り、次いで声の持ち主にもすぐ気付く。

この声は、エマさん。

シュライン・エマ。
草間興信所の事務員である彼女の声が、どうして広間に響いているのか、訳が分らず黒須を見れば「今は、この城と現世を繋ぐ『穴』を全て、この玉座に通じるようにしてあるからな。 お前らもそうだったが、穴の傍を通る人間の声は全部この広間に筒抜けになってるんだ」と説明される。

「まぁ…、咲く桜 散り逝く桜に…食う桜ってね!」

そんなおどけた声で、可愛らしい句を読むエマの声まで聞こえてきて、翼がくすっと肩を竦めると、「ああ、この声、エマさんの声だ」と夜神が呟いた。
「知ってるの?」
翼に問いかけられて、夜神が頷く。
流石の顔の広さと言うべきか。
確かに、個性的なメンツの緩衝材として、彼女以上に最適な人材はいるまい。 とはいえ、個性的な面々の中に自分が放り込まれてしまっているのは不本意極まりないのだが。
「凄く頼りになる人だし、来て貰えるなら心強い」
そう呟く翼にタイミングを合わせたかのように、薄紫の小花が散った風呂敷包みを抱えたエマの姿が忽然と玉座の間に現れた。
キョトンと訳が分からないといった様子で立ち尽くすエマに、黒須が心底といった声で喚く。

「お前、おせぇよ!!!」

久しぶりの挨拶も何もかも吹っ飛ばして、金属質の、いやに鼓膜を引っ掻くような声で怒鳴られ、エマが「は?」とポカンと口を空け、辛うじてそれだけ言葉を吐き出した。
その気持ちは、凄く分る。
実際、いきなりこんな場所に立っていたら、他の言葉なんか出てくる隙は無い。
「大体、ちんたら、ちんたら歩きやがって! 何が、『咲く桜 散り逝く桜に…食う桜ってね!』だ! あえて言おう! その歌は…どうかな?ってな!」
捲くし立てられ、あまりと言えばあまりのハイテンションに、エマが咄嗟といった様子で拳を正拳突の要領で前に突き出し、その腹に埋めると「う る さ い」と、渾身の声で、そう厳かに告げた。

流石である。
流石の反射反応である。

「おお…」と微かに感嘆の声を上げるモーリス。

「大体! 言い訳させて貰うと! 自分も人に聞かせるつもりで詠んでないから、『どうかな?』っていうのは分かってるわよ! 私の実力舐めんじゃないわよ! その気になれば、西行が墓場から蘇ってブラボー!!って叫ぶ位のスーパー俳句が詠めんのよ、コンチクショウ! おっけー! ちょっと時間下さーい! 今から俳句考えますんで、1時間ほど時間下さーい! て い う か ! な、なな、なんで、私の『川原ウォークin独り言祭り』の様子を勝手に見てくれちゃってんのよおおおお!!!」

拳を叩き込んだ仁王立ちの姿勢のまま、そう顔を真っ赤にして喚き散らすエマに、「あ、エマさん、恥かしかったんですね!」と、朗らかな声でモーリスはツッコミを入れた。
そのままモーリスは柔和な微笑を浮かべ「こんにちは」と挨拶をしつつ、エマに向かって手を上げ、エマは漸くここに集められている面々に気付いたのか、こちらに視線を向けて「あら?」と小首を傾げる。
先程までの勇ましい様子から一転して、友好的な微笑を浮かべつつ片手を挙げて、「こんにちは」と挨拶をしてくる彼女の背後に「猛者」という字が浮かんで見えるのをはっきり読み取りつつ、モーリスは曖昧に微笑み返した。

ベイブはと言えば、真っ白な肌には一切の血の気というものを感じられず、生気のない虚ろな灰色の目を瞬かせながら、だらしなく玉座に身を埋め、薄い唇を無気力げに開く。

「…ようこそ」

あまりと言えば、あまりに素っ気無い一言に、即座に、(あ、この人エマさんも忘れてる)と確信する。
やはり健忘症なのか、そもそも、人の顔を覚える気がないのか。
どうも、覚えられてない事を、『都合が良い』と認識したらしいエマが、「どうも〜」という、好い加減な返事をベイブに返しつつ黒須を腰に手をあて見下ろした。

「本当に、久しぶりねぇ。 どう? 元気してた?」
何気ない調子でエマが黒須に問いかければ、腹を押さえたまま「ついさっきまでは元気だったんだけどな、今は、もう、なんか、渡っちゃいけない感じの川とかが薄っすら見えてるんだが、これって生命の危機に瀕しているという事で良いんだろうか…?」と涙目で答えている。
「うん! がんばって!」と限りなく無意味な返答をエマは返しつつ、「で? えーっと、これは、どういう集会なのかしら?」と、首を巡らせ、集っているメンバーを一人一人確認してきた。
エマが最初に顔を視線を向けた先にいた翼が、「僕も、潤と一緒にいたところをエマさんと同じく急に此処に連れてこられてしまって、詳細は分かっていないんです」と、簡単に自分の状況を説明する。
そして、お手上げといったポーズをひらりと見せ、それから見惚れるしかないような完璧な顔立ちに、完璧な笑みを刷かせると、「でも、まぁ、エマさんに会えるなら、此処に連れて来られたのも、強ち悪い事ばかりじゃないって思えますね」と、心からの声でエマに告げた。
途端に、蕩けそうな笑みを中性的で知的な容貌に浮かべると、「私も翼ちゃんに会えて嬉しいわ。 こんなトコでじゃなきゃ、もっと素直に喜べるけどね」とエマが答える。
「エマさんは、以前此処に?」と夜神が問い掛ければ、案の定、コクンと頷くエマに、「それは羨ましい」と、モーリスは場違いなまでに明るい声を上げた。
「このような場所、ご存知でしたのなら是非、私にも教えて欲しかったです」というモーリスの言葉に、エマが奇特な人間を見る目で眺めてくる。
まぁ、そういった視線に晒されるのは、何も今回が初めてでないので笑顔で受け流せば、エマは一歩下がり、三人の姿をぐるりともう一度見回した。
そして、何故か「よし!」と無意味な小さくガッツポーズを決めるエマを不思議そうに眺めれば、モーリスに「…いや、あの事務所いたら、この手の異空間慣れっこになっちゃって、取り立てて人に教えなきゃ!とも思えなかったし…」と軽く答えてくる。
(さっきのガッツポーズの意味は?)と首を傾げども、まぁ、取り立てて問い質したい事でもなし、モーリスは、あえて疑問を口にしない事にした。
「貴方だって、別段、『こういう事態』に不慣れな訳じゃないでしょう?」
そう問われ、「まぁ、お陰さまで」とモーリスは曖昧な返事をして、ひらりと軽やかな笑みを見せる。

こういった事態は、生まれのせいもあって、そりゃあ、慣れっこですけどねと、心中で嘯けども、微笑で誤魔化せば、エマはそれ以上深くは追求してこなかった。
そう、今はそこを追及している場合ではないのだと、黒須へと顔を向ける。

「…なんだか…残念ね」

またも意味の分らぬ事を沈痛の面持ちで言うエマに、黒須はエマが言いたい事が分ったのか、よろよろと立ち上がりつつ「それで、俺にどう言えと?」と低い声で問い返す。
久しぶりに会う筈だろうに、どうしてこれ程までに遠慮の無いやり取りを繰り広げているのだろう?と首を傾げながらもエマは、テヘっと笑って「大丈夫! 宇宙の果てとかにまで行けば、黒須さんも奇跡的に、夢の中ではモテない事もないかもしれないわよ!」と、訳が分からないなりに、フォローなんだか、罵倒何だか、限りなく罵倒寄りだよね?な台詞をかましつつ、その背後にスタスタと回り、こめかみを両拳でがっちりロックオンした。

「で? 私が、またも改心の、これもう、ちょっと革命じゃね? 和菓子業界激震じゃね?っていう出来栄えの桜餅を事務所に差し入れ途中に拉致られた理由を教えて貰えるかしら?」と、唇をにんまりした形に裂きながら、ぐりぐりと回転させれば、「んぬああああ!!」と悲痛が響き渡る事数秒。
「説明! したくても! この、ままじゃ!無理っ!!」と最もな事を黒須が喚いた。

「で…コントは終わったのか?」
胡乱気な眼差しでベイブに言うのを、中々失礼な男だと認識しつつ、モーリスは先程叫ぶようにしてなされた黒須から聞いた説明を頭の中で取りまとめた。
「つまり…竜子さんは三日間も一箇所に拘束されているという事なのか?」
翼の不安げな声に黒須が頷けば、唇を噛み「可哀想に…」と翼は心底の声で彼女の身の上を案じる。
「きっと、疲れ果ててしまっている事だろう。 こうしちゃあいられない。 出来るだけ早く助けてあげないと」
そう焦ったように言いながら、翼がツイと強い眼差しでベイブを見つめた。
「で? 彼女の居場所の手がかりは何もないのかい? その、白雪…だっけ? 鏡には、場所を特定できそうな何かは映ってないの?」
翼に問われ、ベイブは気怠けに答えた。
「映っている事は映っている。 森だ。 あと、まぁ、花やら、木の机やら、テーブルの上に広げられた甘ったるそうな菓子類やら…。 ガーデンパーティを洒落込んでいるらしい。 だが、では、その森が何処にある?と問われれば、白雪?」

呼ばれ、現れたのは真っ白な女。
真っ白なベイブの傍に突如として出現したように見える彼女は、優雅に一礼して、にっこりと笑った。
「女王は地下三階、嘆きの森にいるようです」
そう答え、微笑みながらベイブを見るも、ベイブの視線は正面に据えられたまま、彼女の方には向けられない。
(おや?)
思わず首を傾げる。
出会ってからたった数秒。
だがその眼差しだけで、どれ程疎いものでも気付くだろう。
(彼女はベイブに恋慕しているのか…)
そう確信し、モーリスは一人頷く。
(と、なると、ベイブさんの態度は自分を思慕してくれる者に対して、余りにも冷淡が過ぎるな)とベイブの態度を評しかけた所、白雪はベイブを見つめたまま「まぁ、このまま帰ってこないほうが、この城の平穏の為には良いかと白雪は思うのですが」とあっさり怖いことを言った。
ベイブの傍にいる女は皆憎しという所か。
強い想いになれば、なるほどその気持ちは病に近づくものだとモーリスは軽く納得する。
百戦錬磨のモーリスに掛かれば白雪の態度も、恋する者にはありがちな姿にしか見えなかった。
翼が「黒須さん。 案内できるかい?」と黒須に話を振る声に、モーリスも話に意識を向ける。
「地下階ねぇ…。 俺も不案内だからな、あそこは。 表層には引き上げ効かねぇか?」
不思議な言葉だと、その台詞の意味を判じかね、首を傾げる。
すると、そんなモーリスの疑問に答えるかのようにエマが口を開いた。

「この王宮内にある全ての部屋が、ベイブさんの思うがままに姿も位置も変わるって事よね?」

そんな城が実際に存在するのかと、モーリスは疑うより先に、羨ましい気持ちで一杯になった。
そんな玩具箱のような城を持っていて、何故、これ程にベイブは無気力なのだろう?とモーリスは首を傾げる。
黒須が薄く笑って「よく覚えてんな」と褒めれば、「当然」とエマが片眉を上げて答え、彼女は前回の訪問によって、この城についてかなり詳しく説明を受けているらしい事をモーリスは知った。

「それは随分と便利なお城だ」とモーリスが感嘆した声で素直に述べる。
「じゃあ、それこそ、今いるこの王座の真向かいにでも、その部屋を呼ぶ事は出来ないのですか?」
夜神が提案すればベイブは首を振り、「階層が違いすぎる」とだけ答えた。
「階層?」
重ねて問われ、「ふむ」とベイブは顎先に指を当てる。
「…つまり……、ああ、人の精神構造と同一であるという事だ」
ベイブの言葉に、皆が一様に首を傾げれば、ひらりと白く枯れ枝のようにも見える指先を動かし、まるで偏屈な教授めいた口調で語り始めた。
「人の心理の、他者からも目に見えて分かりやすい表面上の心理を表層心理、その奥にある真実の心理を深層心理と呼ぶ。 この表層の心理というものは、心理の持ち主自信が他者に対して『提示』したい、『こう見られたい』という思惑を含んだものである為、行動者本人によるコントロールが可能な心理となるが、深層の心理は、持ち主自身も把握しきれず、またコントロールが効かない場合が多々ある。 つまり『真実の想い』というのは、自分自身では操作不可能であるという事だ」
「元は考古学発祥のメタファーなんですよね? 表層・深層という隠喩は」
モーリスが博識な所を披露すれば、ベイブは静かに頷いて、「そうだ。 そして、この城も考古学と同じく表層、つまり今我々がいる王座を含む城の上層域と、その地下部、深層階に分けられる」と答えた。
興味深く思い耳を澄ます夜神の目の端に、黒須に対して何事か耳打ちしている白雪の姿が目に入る。
黒須の表情が一瞬固まり、そして唯でさえ険しい表情が更に険しくなった。
(何か、問題でもあったのでしょうか?)
疑問に思うも、淡々と続けられるベイブの言葉の独特のリズムに引きずられ、とりあえず感じたクエスチョンマークは心の隅に置いて、今はベイブの話に集中する事にする。


「この城は、先程聞き及びの通り、私の意識の変化によって、その都度内部が変化を遂げる。 つまり、私の心そのものだ。 荒れれば…どうなるか、知っている者も此処にはいるだろうが、この城の内部自体が荒廃し、時に嵐が吹き荒れる」
それは一体どのような状態になるのだろう?と想像し、まぁ、何にしろ、そういった事態に遭遇する事にならなければいいが…と思う。
面倒は避けるに越した事はない。
今は、酷く落ち着いて見えるし、ベイブ程に虚ろな人間が取り乱す姿が思い浮かばず、モーリスはは早々起こる事ではないのだろうと、勝手に判断した。

「客人を招き入れるような、『他者の目に触れる事を前提とした』この表層部分であれば、私の意識が今のように明確であればコントロールはかなり自由に出来るのだが、深層までは私自身でも、理解しきれておらぬ部分だ。 その様相が『私次第』で変わるものというのは間違いないのだが、深層域にあるものを表層まで持ち上げる事は不可能であるし…」そう説明し、黒須を見れば肩を竦め。
「ま、つまり、帽子屋ってえのは、そもそも、深層に棲む住人だったんだよ。 この城のな。 だが、こいつが不安定な時に、その隙をついて上層階でとんでもねぇ茶会を開き、混乱に拍車を掛けるもんだから、完全に深層から上に上って来れねぇように封じ込めた。 そうしたら、今度は、竜子が茶会に迷いこんじまって…」
「で、帰って来れない…と」
夜神は、呆れたように呟く。
そんな夜神に「…ま、生来のあいつの方向音痴プラス帽子屋の目論みも関係してんだろうけどな」と黒須は答えた。
「竜子ふん捕まえて、何を考えてんだか。 そのうち益体もねぇ、取引でも持ちかけてくんじゃねぇの?」
そう黒髪を流れ落ちるようにして揺らし首を傾げれば、「さぁて、然程に分際を弁えぬほど愚かでもあるまい」とベイブは静かに答える
「や、方向音痴と言っても、その深層…っていうのは、そんなに迷い込みやすい場所にあるのですか?」
夜神が重ねて問えば、黒須もベイブも一緒になって彼に顔を向け、声を揃えて「「いや?」」と答えた。
「まぁ、基本、人間が深層心理に他人が立ち入るのを嫌うが如く、城でも私が道を開かねば滅多に足を踏み入れる者もおらぬような階層だ」
「俺も、一度だって地下階には足を踏み入れた事ないしな」
そう答えられ、「じゃあ、なんでそんな場所に…」と呟く夜神に、「いや、それが竜子だから…」と黒須が当然のように言えば、思わずモーリスも、そしてその他のメンツも頷いた。

この場で竜子を知らぬのは夜神だけなので、しょうがないと言えばしょうがない反応なのだが、若干寂しげに「そんなに、凄いのか? その子の方向音痴って…。 なぁ、一体どんな子なんだ? その、竜子って子は…?」と夜神が翼に問う。
翼は、夜神を見上げると「えーっと…凄く素直で可愛い方だよ」と、微笑みながら当たり障りのない返答をした。
「ええ、それで、とても赤い特攻服がお似合いで…」
微笑みながらモーリスが言葉を続け、エマが「私の事を姐さんって呼ぶのだけは勘弁してほしいんだけどね…」と呟き、ベイブが遠くを見るような眼差しで「まぁ、総じて言えば、歩くトラブル発生装置のような姦しい小娘だ」と言葉を締めた。
「…大体分かったか?」
黒須が問われ、夜神は爽やかに笑いつつ「さっぱり!」ときっぱり答える。
「まぁ、何にしろ、翼の友達なんだろ?」
夜神がそう問えば、翼は苦笑して「まだ、そこまでは親しくないけどね…」と答え、それから、何かを思い出すかのように、軽く瞼を閉じて、「うん、でも、彼女が困ってるなら助けてあげたいよ。 僕は、全力を尽くして」と力の篭った声で言った。

まぁ、随分仲の良いことだ…と麗しい二人の様子を客観的に眺める。
どういった間柄なのだろう?
確か、翼は男性に対して手厳しい言動が多く見受けられる所があった筈だが、この夜神に対してはかなり打ち解けているというか、かなり親密な関係に見える。
じっと眺めていれば、夜神は戯れのようにして、その金色の髪に指を遊ばせていたりして、どういう関係?と問うのも憚られるし、恋人同士と見るには、何かが決定的に違う。
まぁ、他人の事はいいかとモーリスはすぐに関心をなくした。

「その…命には別状ないのかい?」
そう翼が問えば「それはない」とベイブがきっぱり答え、「この城の中で、誠と竜子が『危害』を加えられる事は絶対にない」と、断言した。
「普通の人間なら、三日間の拘束はかなり消耗を強いられると思うのですが?」
モーリスが問えど、黒須はヒラヒラと手を振って、「体力に関しちゃ、若いのもあって、かなり常人じゃない域に竜子は達してるから、そこら辺はまぁ、心配いらねぇよ。 そりゃあ、疲れ果ててはいるだろうが…まぁ、それこそ、命までは取られやしねぇ」と答えた。
この二人が、なんだかんだで切羽詰ってないのはそういう理由からかと納得しながらも、逆に言い換えれば、こうやって他人に助力を求める程には厄介な事態が訪れているのだろうし、この如何にも面倒くさがりそうなベイブがこうやって自ら来客に相対し、態度はとてもそうとは見えないが、竜子の救出を頼んでくるのだから、彼にとっては、やはり竜子というのは、そうやって守るべき存在として認識されているのだろう。


「…そのような事は、絶対に許さない」


何処か思いつめたような風情すらある言葉を、ベイブはただただ、無表情に口にした。

ベイブの言葉をどう感じているのか、一瞬だけ複雑な表情を浮かべるも、モーリスの視線に気付いたのか、また、意味の無いニヤケた笑みを浮かべて「さ!」と黒い皮手袋を嵌めた手を打ち合わせる。
「他に、何か質問は?」
黒須の声に、皆で顔を見合わせ、翼が手を挙げた。
「最後に…そのお茶会から解放してもらえる方法
っていうものに、何か心当たりはないのかい?」
翼の問いかけに、エマも同調した。
「そう、その、どうも聞いていると随分儀式めいているというか、帽子屋さんは、帽子屋さんのルールに則ってお茶会を執り行っているようじゃない? だったら、王様として、お茶会そのものを終了させたり、もしくは新しい終了条件を作る事は出来ないのかしら?」
ベイブは目を細め、エマと翼の顔を交互に眺めて、小さく笑う。
「色々とよく考え付くものだ…」
それは、感心しているようにも聞こえる声。
そして、暫しベイブは考え込んだ後に、重々しく口を開いた。
「出来ぬ事はない…が…、それを帽子屋が素直に受け取るかどうか…」とベイブは言った。
「どういう意味だ?」
翼が問う。
「つまり、帽子屋は、人の言葉を『わざと』相手が曲解するのだ。 それも、最も望まぬ方向に」
「じゃあ、もし、君が『お茶会を即刻終了しろ』と伝えたとしたら?」
「まぁ、アレの思考回路等、そうそう計り知れるものでもないのだが…この前の茶会の際、同じような事を命じた時は、アレはお茶会の終了時には参加者を『とっときの方法』で持て成すイベントを執り行うのが決まりだと言ってな、その時不幸にもお茶会に居合わせたものどもは皆、鉄板焼きにされたのであったっけな?」
ぞっとするような事をいうベイブに黒須は首を振り「いや、フィナーレの花火と一緒に打ち上げられたんじゃなかったっけ?」と、もっと恐ろしい事を言う。
「…良いです。 もう、何も帽子屋さんにはお伝えにならないで下さい」
心底の声でエマが言い、翼もこくこくと頷いて、同意を示した。

「どんな言葉であれ、向こうの都合の良いように捻じ曲げられるか分からない。 幾ら、命の補償はなされていても、『王の命令』の威光を笠に、竜子の命が奪われる事態が起こりえないとは断言できないのだ」
ベイブの言葉に納得したという風に頷き、「だから、どうしても、私たちで迎えに行き、竜子さんを返してもらわなきゃいけないんですね?」と、微笑みながら言うと「分かりました。 言う事聞かないとこっから出して貰えないみたいですし、何だか楽しそうな城だし、竜子さんの事も知ってる身ですからね。 ご協力いたします」とモーリスは、美しい緑の目を瞬かせながら明らかにワクワクと楽しげに告げ、結果それが、今そこに集っているメンバーの総意となった。

「では、出発前に、今の女王の状態を皆様にお見せします」

そう言いながら、白雪が自分の胸に両指を突き立てる。
「?!」
モーリスは目を見開き、その光景を凝視した。

ズ、ズズズと指先が胸部に潜り込み、顎を上げて恍惚とした表情で白雪が胸を開く。

そこには大きな楕円の鏡面が闇に浮かび上がり、こちら側に立つ者々の姿を映していた。
白雪が目を閉じる。
すると、鏡に竜子の姿が浮かび上がった。
竜子の頭上には、ぎらぎらと光る刃が吊り下げられていて、さながら処刑台の様相を見せている。
彼女の椅子の周りを、トランプの模様をプリントした服を来た小人達がぐるぐる走り回っている。
その奥には、演奏者もいないのに自立し、弦を当てられ弾かれるバイオリンの姿も見え、ぐったりとテーブルに突っ伏している竜子の姿を含め「乱痴気騒ぎ」と以外どう呼べばいいか分からない状況だった。

竜子の隣に座る、ちぐはぐで派手なタキシード姿に帽子を目深に被った男が紅茶を啜っていた。

この人が帽子屋。

その姿をモーリスは自分の目に焼き付ける。

不穏だった。
直感でしかない印象だが、それは確信にも似ていた。

不穏な男だった。

机の上には、砂糖細工の精緻な花々があしらわれた異常な大きさのケーキや、人型や髑髏型、ハートにわざわざ皹を入れた悪趣味な形のクッキーやら、毒々しい色合いの具材を覗かせる正体不明のミートパイ等が並んでいる。
と、同時に、机の真ん前に巨大なチェス盤が置いてあり、その上で血みどろになってチェスの駒とおぼしき人形達が闘争を繰り広げていた。

「何…これ…?」

そう漏らしたエマの呟きに、モーリスも同意せざる得なかった。
明らかに、尋常でない光景。

ベイブは肩を竦め「これでも、いつもよりかは幾分かマシだ。 竜子を捕らえている分、私が常に監視している事を警戒してるのだろう」と答える。
そして、次の瞬間、翼が、翼のものとは思えないような、この世の終わりのような悲鳴じみた声で叫んだ。

「金蝉?!」

何度か事件に一緒に取り組んだ事のある名に慌てて鏡を覗き込めば、若干先程より手前に引いた情景を写す鏡の中に、金色の美丈夫の姿が映りこんでいる…が…。

「…魔王?」

そう小さく呟いてしまったモーリスの言葉に、エマが「魔王ね…魔王」と何度も頷き返している。
金蝉が腰掛けている椅子には竜子と同じく頭上に処刑用の刃。 
唯でさえ難しい人なのに、このトンチキな状況に怒りを覚えない筈はないというか、多分もう限界。
その位、全身から立ち上る怒りのオーラが凄まじく、表情と言えば、もう、多分この人、本来ならば世紀末とかに世界に降り立って人類を恐怖のずんどこに叩き落していた筈の人だよね!と断言したくなるほどに修羅めいている。

金蝉さん、何でそんなところにいるんでしょう?

「お…終わった…何もかも…。 お、終わり尽くした……」

普段は冷静な翼が床にしゃがみ込み、項垂れながらぶつぶつと呟く。
「さぁ、どうする? どうする、僕!」
そう自問自答する翼の尋常でない様子を心配し、「翼? え? 大丈夫? っていうか、何? 金蝉って、よく話してくれてる男か? なぁ、どうしたんだよ?」と問いかける夜神の声も耳に入らぬのか、暫くぶつぶつと呟き続けた数秒後、一度力強く頷いて立ち上がると、必死な声で「さぁ! 行きましょう! すぐ行きましょう! 即座に行きましょう!」と翼が訴える。
「う、うん、え? いや、行くけど…そんなに金蝉さんヤバイ状態なの?」
そう問い掛けるエマに虚ろな笑みを浮かべて「ていうか、もう、ヤバイ状態とか突き抜けて、既に爆発してる状態です」と翼が答える。

いやいや、どんな爆弾男ですか?と、モーリスは思えど、それは切実な危機状況であるらしい。

「多分、竜子さんの事もあって我慢してくれてるんだろうけど、正直、僕の手に負える状況かどうかすら怪しいので、早く解放してあげないと…」
そこで一旦言葉を止めて「…滅びます」と告げる言葉の、主語はないのがより恐ろしく、エマが何度も頷くと、とりあえず翼と並んで一目散に扉へと向かい始める。

余りに、性急な様子に「あー、えっと、できればのんびり、お城の様子とか見学しながら向かいたいんですけどぉ…」と希望を伝えども、聞き入れて貰えそうには到底ない。

「あ、おい! こら、勝手に行くな!」
「翼?!」

そんな男性陣の声を一切無視し急ぐ女性二人の後を、それぞれ顔を見合わせて、それから必死で後を追った。




「うわぁ…! これは、大変に美しい庭だ。 ガーデナーの方は何処に?」

ここは宮殿中央にある薔薇園。
広大な面積を誇る城ならではの設備なのか、それとも、そもそも「面積」などという概念自体この城には無用で、この世界には限りなどないのか…。

モーリスは、その艶やかに咲き誇る薔薇に目を奪われる、感嘆する。
見事としか言いようの無い美しさに、軽く興奮を覚えながら虹色の水を吹き上げる噴水に走り寄ったモーリスは、その視界に黒い衣服に身を包んだ男を捉え足を止めた。

「デリクさん?」

そう呼びかければ、薔薇園に放たれているらしい、黒揚羽が一斉にヒラヒラと飛びかう中、その身にも何匹もの蝶を止まらせながらその男はいた。

真意の見えない謎めいた笑みを浮かべ、すっと優雅に一礼する。
その瞬間、彼に停まっていた蝶達がフワリと飛び立つ。
さながら、黒い羽を広げるが如く。
その姿は幻想的でありながら、何処か不吉だった。

「こんにちハ。 皆様。 ご機嫌は如何ですカ?」

微笑を浮かべるその顔を見て、黒須が何か言うより早くエマが叫んだ。


「帰ってえええぇぇ!」



突然の帰れコールに、さしものデリクも「はい?」と固まったまま問い返すのを見て、「そうだ! 帰って下さい!!!」と翼も叫ぶ。
どうしてデリクがここまで嫌われているのか計り知れぬまま、状況を見守れば「かーえーれ! かーえーれ!」と、咄嗟に何にノせられてかは分からないが拳を突き上げながら黒須も叫ぶ。
そんな状況に哀しげな表情を見せると「久しぶりニ、お会いしたのというのニ、何故か即イジメ…、しかも小学生ノリ…」とデリクは項垂れた。 
が、そんな様子はポーズだけで、全くのノーダメージらしいデリクは、即座に顔を上げ二コリと笑うと、「マァ、そんな事言わズ、えーと、竜子さんでしたッケ? 一緒に、助けに行きましょうヨ? ネ?」と首を傾げる。
「あー、心配だナァ! 竜子さン! きっと今頃、辛くて、辛くテ、泣いてしまっているかも知れませン! そんなの、可哀想過ぎまス」
そう両手を合わせながら言うデリクに、「な、なんて心無い」と言いつつ「大体、そもそも、なんで、そんなに今回の事情に詳しいんだ」と半眼になる黒須。
エヘッと言わんばかりの笑顔を見せると、「黒須さーン? 魔法の力は、マジカル☆ミラクル。 魔術師に不可能はないんですヨ?」と言いつつ、「えーイ」とその額を指先でツンと突いた。
(わぁ…)
モーリスが咄嗟に眩暈を感じれば、エマも同じ心境らしく、ふらつく彼女背中を支える。
「あ、ありがと…」
そう礼を述べられ、「いえいえ」とモーリスは微笑むと、「それにしても、デリクさんは、上手に黒須さんを虐めますねぇ…。 勉強になります」と感嘆の声を上げる。
あのムカツク声音のトーンといい、相手の神経を引っ掻く台詞回しといい、ホントに見事な腕前だと感じ入るモーリスを、エマが虚ろな目で眺めてきた。
もう、既に疲れきたような声で「へえ…それは…良かったわね」とおざなりな返事が帰されるも一切気にせず、うずうずとした気持ちを抑えきれず「黒須さん! 黒須さん!」とその名を呼ぶ。
「んだよ」と不機嫌そうに振り返る黒須に、「良かったですね! こんなに虐めてくれる人がたくさん集まって」と、無邪気な声でモーリスが告げると、もう涙目になりながら「意味が分からない!」と黒須は叫んだ。

「ア! 止めて下さいヨー? 私の言葉で変態的欲求を満たそうとするのハ!」
腰に手を当てて、プンプンといった調子で告げるデリクに、「駄目ですよ! デリクさん。 黒須さんは今傷心なんです。 ご主人様に会えなくて、ストレス過多なんです。 毛髪ズル剥け直前なんです。 だから労わって虐めてあげないと」とモーリスが声を掛ける。
「アア! それは思い至らズ、失礼致しましタ、このオス蛇! オス蛇なら、オス蛇らしく、大人しく、私の言う事を聞いていたら良いんですヨ!」
「わぁ! お上手です! 筋が良いです! さぁ、どうですか? 下等なオス蛇さん!」
「うっかり、死にたいわ!!!!!」

絶叫に近い声で叫ぶ黒須。

ああ、やっぱりストレス過多だ。
唯一、黒須の持ち物の中で美しいと素直に褒められる頭髪にだって、これじゃあ良くない影響が出るに違いない。

そう思い「出来れば、鞭で打ってあげたりとかの方が良いんでしょうが、流石に衆目観衆の中では私が恥かしいので、もう少し我慢して下さいね?」と小首を傾げる。
「誰が、そんな事望んだ?!」と怒鳴り黒須は髪を掻き毟りながら、「うがあああ! は ら た つ !」と喚き散らしていた。
「だからネ?」
突然言葉を切り、ツイと自分を指差すと、「適任だと思いますヨ? 帽子屋さんには私のような人間ガ相手をするのが一番でス」とデリクが自信たっぷりに告げる。
「欺く言葉、惑わす言葉、言葉、言葉、言葉! さて、帽子屋さン! どれ程私を、楽しませてくれるでしょうカ? 楽しみだナァ! お会いするのガ」とはしゃいだ声で言うデリクに「確かにお前が適任だ。 あいつの言葉の煙に巻かれぬようせいぜい気張ってくれ」と黒須は言えば、「了解でス! ついでと言ってはナンですガ、噂の『白雪』嬢にも会わせて頂けませんカ?」と更に言葉を重ねた。
「白雪に…? 何が望みだ」
「……ちょっと、私の未来の姿なんかをネ、見せて頂きたいなァと、考えましテ」
微笑みながら言うデリクに溜息を吐き「別にいいぜ。 全部済んだ後で良いなら、会わせてやる。 その代わり帽子屋は頼んだぞ?」と黒須は答えた。
手を打ち合わせ「ありがとうございまス! どうせだったラ、もっとサービスで虐めてあげましょうカ?」と問いかけるデリクに、「結構です!」と即座に黒須は答え、此処までのやり取りで苛々も限界に達した翼は「もう…良いね? 行くよ?」と低い声で唸るように告げ、その迫力に皆は一斉に頷いた。

「しかシ、深層にまで足を踏み入れられるとは、きっと、この表層より面白い光景が見られるに違いありまセン。 そう思うと、ワクワクしますネ」
そうデリクが嬉しげに言うのを聞きながら、横目で夜神がその仔細を眺めている。
初対面ならば、そうやって気になる気持ちも分からないでもないと、怪しいとこだらけの魔術師をモーリスもちらりと横まで眺めた。
デリクは夜神に、クリンと首を向け「初めましテ。 ですよネ?」と問い掛ける。
夜神は頷いて「夜神潤です」と名乗れば、デリクは微笑みながら「私は、デリク・オーロフと申します」と言いつつ手を差し出した。
二人は握手を交わしつつ夜神が屈託ない様子で、「えっと…デリクさんは…此処、何度も来た事があるのですか?」と問い掛ければ「いエ、私も二度目でス」と愉しげな声で答える。
「二度目か。 なんだか随分と慣れたご様子なので、何度もお越しになられているのかと思いました」
柔和な笑みを浮かべつつそう言うモーリスにデリクは首を振り、「然程、気軽に来れるような場所じゃないようデ」等と、眉根を下げて彼は言う。
「中々面白い資料等がたくさん詰まっているのデ、それこそ図書館感覚でもっと通いたイのですが、ネェ」
そう嘆くデリクに、夜神は冷静な声で「中々剛毅な人ですね。 薔薇園にも一人でいらっしゃったし、怖いものなしの性質ですか?」と問えば、デリクはパチパチと瞬きをし、それから薄く微笑んで「とんでもなイ。 私は石橋を叩いても渡らない程の、臆病な人間でしテ、ただ、どうにも昔から向こう見ずな所もあり、夢中になると周囲の状況が見えなくなってしまうんデス。 普段は、しがない英語教室の講師をしておりましテ、剛毅なんて言葉とは、縁遠い生活を送っておりマス」と、立石に水の如くの口調で夜神の言葉を否定した。
「ただの…英語講師……ですか?」
白い指先を頬にあて、わざとらしい様子で首を傾げて見せるモーリスに「ええ、ただの…ネ?」とデリクが微笑み返す。
なんだか、胡乱気なやり取りに、夜神は辟易した様子で、「どうして、貴方、あれほど翼達にこの城に居る事を厭われていたんです?」と単刀直入に切り込んでいく。
デリクのような相手には、素直さが一番良い相対方法なのかもしれないとモーリスが興味深く見れば、デリクは夜神を見返し、「はっきり物をお尋ねになる方ダ」と、朗らかな笑みを見せ、それから暫し悩んだ素振りを見せた後、「いいヤ。 隠していても、翼さんからお伺いするでしょうしネ」と呟いて、「実は、前回此処を訪れた時に、ちょっとした問題を引き起こしてしまいましテ」とデリクは告げる。
「ちょっとした問題?」
夜神が首を傾げれば「ちょっとばかり、ここの王様を狂わせてしまいましタ」と軽い調子でデリクは告げた。
モーリスが目を見開いて、その底知れない思惑が沈んでいそうな顔を見返せばヒラヒラと手を振って「いやだなァ。 偶然でス。 偶然。 何だか私の事が、王様はお気に召さなかったらしくテ、お聞きになってるでしょウ? ここの王様が狂えば、どんな弊害が引き起こされるカ。 まぁ、だから、そのせいもあって、あれほど警戒されているんですヨ」とデリクは言い、にこりと音がしそうな笑みを浮かべる。
「え…じゃ、その…ここにいては…」
夜神がそこまで言って言葉を見失えばモーリスが、柔らかな声で「貴方がベイブさんに見つかれば、彼は、その?」と問いかけ、デリクは頷いて「まぁ、狂うでしょうネ」と答える。
「マズイんじゃないか? 白雪さんとかで、貴方の姿を確認されたら…」
そう夜神が言えば、デリクは首を振り「彼女は私の姿を映しませんヨ。 彼女はベイブさンの安定を何よりも尊んでますからネ。 白雪の知りえぬ事等、この世にはありえなイ。 よしんば、この城には、彼女の目が行き届き、どんな小さな鼠の侵入とテ、彼女は見逃しはしませン。 私の存在にだって、とっくに気付いている事でしょウ。 それでも、ベイブさんが、未だ安定を保っているのは、故意に彼女が隠しているからに他ならなイ。 大丈夫でス。 白雪は私の存在を隠し続けてくれますヨ」と断言した。

そこまでデリクが言い切るならば、安心していいことなのだろうとモーリスは判断する。
しかし、あのベイブを「狂わせる」という男の存在は、なんともいえない興味の種をモーリスの心の内に蒔いた。





中央大広間。

そびえ立つ。二階へと続く薔薇の意匠が施された白亜の螺旋階段を、圧倒されるような気持ちでモーリスは見上げる。

「この城の地上階。 つまり表層階域は、大体五階まである」
「大体?」
夜神の疑問の声に、「一度、地上200階建てになっていた事があってな…」
ひっひひひ…と不気味な笑い声を肩を震わせながら漏らす黒須。
「200階…高層ビル並ね…」
エマが呟けば、「わァ! 土地価格高騰の時代に何とも羨ましい話でス」とデリクが手を打った。
「何処が、羨ましいものか! もー、大変だぞ! 俺と竜子の部屋、1階にあって、あの腐れ殿様がおわす玉座200階な! 登るの! 俺達が! この階段を! しかも、あいつ、すげー、アホな事に、エレベーターとか、ゴンドラとか! そういうなんか、俺達を自動的に上に運ぶ装置一切思いついてなくて! そんで、やっと登りきったら『外が見えないなら、高い場所にいてもつまらんもんだな』って、ほんと、バカじゃねぇの?! バカじゃねぇの?!(二度目) 俺、基本的に、一時間に一回はぼんやりと、『あー、あいつ、ほんとに死なねーかなー』ってベイブの事を考えんだけど、あの時は、二分に一回考えた! 二分に一回『死ね!』って、竜子と一緒に叫んでた!」
ヒステリックに叫ぶ黒須に、こんな城に住むのは、常人の身では辛かろうと夜神も少々同情する。

「で、時たま、此処の階数を気まぐれに高くしたりしちゃうあいつに、二人がかりで頼み込んで備え付けて貰った装置がこいつ」

そう言いながら、黒須が螺旋階段の吹き抜け部分真下。
これまた大きな薔薇の紋章が描かれている絨毯部分に立ち、「あー、ちょっと俺の周り集合」と声を掛けてくる。
パラパラと黒須の周囲に立つ面々を見回し、「ん」と小さく頷くと、突然一度「ドン!」と強く足を踏み鳴らした。

その瞬間金色の正方形の柵がせり上がり、四方を取り囲む。
天井から、同じく金色の鎖が垂れ下がってくるのを黒須は確認すると「潜る」と一言宣言して、ぐいと鎖を強く引いた。
その瞬間、三半規管の弱いものなら眩暈を覚えるほどのスピードで柵に囲まれている部分の床が、沈む。

「っ!」

金色の柵の向こう側の景色が猛スピードで駆け上がっていくようだった。

「ここら辺だろ」

そう言いながら黒須がぐいと再び金色の鎖を引けば、チンと涼やかな鐘の音。
せり上がってきた時と同じく、金色の柵が静かに沈んでいく。

「う…わ…」

誰かが息を呑む声が聞こえた。

夜神も咄嗟に何も言えずに感嘆の声を漏らす。

青色のステンドグラス。
天井も、床も、壁も全てステンドグラスで出来ている。
その全てに精緻な花や、聖人の絵が描かれており、モーリスはその青く統一された色彩から、ランス大聖堂のシャガールのステンドグラスを思い出した。


深い澄んだ深海の底に沈んでいるような気持ちになる。
天井には教会などで天井近くに嵌められている明り取りの為の円形の薔薇窓が連なっていた。
何処までも青く透き通った、ほの暗い世界。

ここが、この城の、ベイブの心の深層。

なんて暗い…
なんて澄んだ…
なんて…なんて…

息を吸い込む。
空気が重い。

肺が、ずんと空気の重みに少し沈んだような心地さえ覚える。
それほどに、この空間は見るものを圧倒させる荘厳さを有していた。

四方全てがガラスで出来たホールを見回し「まぁ、あいつは落ち着いてやがんだよ。 今のトコは」と言いながら胡乱気な眼差しでデリクを見れば、「にこ」と音がしそうな笑みを浮かべて「大丈夫でス。 ベイブさんに見つかラないよう、大人しくしてますヨ」と大絶賛信用ならない声で請け負った。

天井からぶら下がっている巨大なシャンデリアが煌々とした光を放っている。
黒須が歩き出せば、壁に配置されているガラスの燭台にもその後を追うようにして灯りが灯り始めた。

「さぁて、こっからが面倒だ」

黒須が少し気合の入った声で告げる。
「分ってるのは、この階層の「何処か」に、乱痴気騒ぎの会場があるってぇ事だけ。 白雪の見立てでは中央部分にあるとは言ってたが、何にしろ、道筋なんか毎日変わるこの城だ。 果たして、この階層の中央部にどう道を行けば辿り着けるかはとんと分からねぇ。 さぁて、どうしよう?」

黒須の言葉に、翼が手を挙げて「一応、風に聞いて部屋の場所を探ってみよう。 ただ、地下階にある上『外界』のない世界だから、非常に微弱な風しか感じられない。 僕は僕で探り探り行く事になると思うから…」と言えば、続けて「じゃア、大変迷いやすい城ノ構造を考えるニ、6人でゾロゾロと動き回るより、少人数に分かれて探索した方ガ効率が良いかモしれまセン」とデリクが提案する。
「黒須さんは、この城の内部について、俺達より詳しいですよね?」
夜神の問いかけに頷いて、「ま、一応住んでるし、な」と黒須は答えた。
「どの道を行っても、このホールまで確実に戻って来れますか?」
「ああ。 こいつが…」
そう言いながら、飾台を指差し「俺の行った道には灯るようになってる。 つまり…」と黒須が最後まで言い終わる前に「ああ、では、灯りを逆に辿れば…」とモーリスが頷き、黒須は肩を竦めて「ま、そういうこった」と言葉を締めた。
その言葉に、夜神が「では、二手に分かれましょう。 俺は、一度行った道は忘れない。 翼と一緒に行って、中央部らしき場所に辿り着いたら、また逆を辿りこのロビーに戻ります」と提案する。
「了解。 じゃあ…」
「あ、私、翼ちゃん達と一緒に行く」
ひらひらとエマが手を挙げながらそう宣言すれば、「何でだよ」と黒須が半眼になって問うてきた。
「だって…何かあった時、この二人と一緒の方が心強いし…」とそこで言葉を切り、残った、モーリス&デリクの二人を交互に眺めているのを見てエマが自分達に望んでいる事をモーリスは鋭敏に察する。
「…この組み合わせのが、絶対面白いもの」とぐっと握り拳を固めて見せるエマに、モーリスは微笑んで、「望みのままに」と心の中で嘯いた。

黒須は一度、静かな顔になって背後を振り返り、黒須の視線を受けて、何故か意味無く揃ってピースサインとかを出したりするモーリスとデリクの顔を眺めて「嫌だあああああ!」と絶叫した。

「無理!! 色々、無理!!!」
そう叫び、がしっと腕を掴もうとする黒須を、エマが絶対零度的冷たさで跳ね除ける。

「ガンバッテ☆」
エマが舌をちょろっと出し、あまつさえウィンクまでかます、かなりのはしゃぎポーズを見せた後、「分りましタ! では、黒須さン、案内をお願いしまス」、「ほらほら、ぼさっとしてると置いてきますよ?」と、二人掛りでガシッと両側から黒須の腕を捕み、ずるずるずると引きずり出す。

「もう、自分の足で歩かないと、文字通り首に縄着けて引っ張りますよ? 窒息するまで! わぁ! なんて、サービスが良いんだろう、私って!」
「ああ、丁度首輪も着けられテますし、それは、良いアイデアですネ!」と、あからさまに「黒須可哀想…」な会話を交わしつつ廊下の先へ進む三人。

「は、放せ!! 腕が、千切れる!」

そう怒鳴る黒須の言葉を受けて漸く放してやるも、ついと再び首輪に指を引っ掛けると「さ、とっとと案内してください」とモーリスは微笑む。
「お前、言っとくけどな、全部誤解してるぞ? どっから正せば良いのか分からないくらい、全部誤解してるぞ?」
そう呻くように言う黒須に「そうですか? でも、ほら、心が晴れやかになっていってるでしょ?」とモーリスが問えば「全く!」ときっぱり答えられて、「おかしいな?」とモーリスは首を傾げた。
「ああ、つまり、この程度ジャ、生温いって事ですカ?」とデリクが問うて「何で、そうなるんだ…」と黒須が項垂れる。
先を立って歩く黒須の猫背気味の細い背中を見ていると、何だか蹴り飛ばしたりしたくなるようなうずうずとした気持ちに襲われて、「黒須さんは、でも、大丈夫。 Mの才能ありますよ」と告げれば「え? 何が大丈夫? ねぇ、その言葉の何処を俺は心強く思えばいいわけ?」と嫌そうな声音が返ってきた。
「まぁ、Mでもなければ、こんな城、住難くって仕方がないデスよねェ?」
デリクの問い掛けに黒須は振り返り、ツと目を細め、魔術師を眺めると、「あの本、読めたか?」と問うた。
「本?」と首を傾げて見せれば、「アリスの魔術書でス」とデリクが教えてくれる。
「あの書物は非常に難解でシタ。 悠久の時をかけて編まれた術式、早々理解できハしまセン。 もう少しお貸し下さイ。 少しでもお役に立てるよう、鋭意努力させていただきますノデ」と胡散臭い声で告げる。
黒須も、モーリスと同じ印象を持ったのだろう。
疑い深い眼差しで眺め、それから肩を竦めて「了解」とだけ返答した。
そんな黒須の肩を掴み、「魔術書、何のために、デリクさんに貸してるんです?」と問い掛けてみる。

「あ? あいつを、ベイブを殺してやる為だよ」

何でもないように告げられた物騒な言葉に、モーリスは笑みを深め「殺す? 何のために」と問い掛けた。

「千年王宮。 文字通り、千年あいつが囚われている呪いの城だ。 昔、アリスとかいう魔女に、ベタ惚れされて、この城に千年縛られる呪いを掛けられた。 あいつは、千年間何があっても生きなきゃなんねぇ。 しこたま死にたがる余りに頭のタガが外れてやがる。 ああいう手合いはな、思い通りにさせてやるのが一番なんだよ」
「つまり…」
「ああ、殺してやるのが良いんだ」

そう告げる黒須の言葉は、だが、その言葉以上の別の焦りを含んで見えて、モーリスは探る瞳で、その横顔を覗き込む。

「ていうか、自分のためですよネ。 あと、竜子さんノ」

デリクの言葉に黒須の足が止まった。

「千年、縛られたのは、貴方も同じでしょウ? ジャバウォッキー」

振り返り、黒須が薄っすらと笑みを浮かべた。
陰惨で、隠微な、何処か背徳的な笑み。

「どうして…そう思う?」

くたりと、軟体動物の仕草で首を傾げ、湿った音を立てそうな速度で、黒須がデリクに顔を向ける。
三日月に裂いた薄い唇から、真っ赤な蛇の舌がチラチラと覗いていた。

「千年。 この城に時ハ流れなイ。 当然、貴方の身の上にも、そシテ竜子さんの身の上にも…ネ」

デリクが囁くように告げ、黒須は目を益々細める。

「可哀想なジャバウォッキー。 怖い王様に捕まってしまったんですネ? だから、彼から解放される究極の手段を求めて、私にあの本を託しタ。 私も、あの魔術書の解読し手に入る知識には、多大なる興味がありまス。 けれど、ねぇ、ジャバウォッキー。 青い鳥は、すぐ傍に、あるかもしれませんヨ?」

「どういう意味だ?」

黒須が唸るように問う。

デリクが手を伸ばし、ツトその目の前で指差すと「灯台下暗シ。 これガ、魔術師からの最大のヒントでス」と微笑んで、スタスタスタとその脇を通り抜けて言った。
黒須は立ち尽くし、熟考するかのように目を閉じる。
そんな黒須が、何故だか、吐き気を催すほどに可哀想に見えて、モーリスは手を伸ばし、その頭をゆっくりと撫でてやった。
薄く目を開いた黒須がモーリスを見る。
モーリスは、「微笑まずに」告げた。
「置いていきますよ? 『ジャバウォッキー』」

黒須は、ふんと鼻息を吐き出して「その呼び方辞めろ」と言い、踵を返してデリクの後を追い始める。
モーリスは自分でも、一瞬自分の中に沸き起こった、余り性質の良くない憐憫の情の正体を見極めかねて、「ま、いいか」と呟くと、二人の後を追っかけた。

「で?」

「あー、これは、間違えたな」


黒須の言葉に、何となく、デリクと呼吸を合わせてその後頭部を叩く。

「んがっ!」
間抜けな悲鳴を上げて、叩かれた部分を押さえ「何すんだ!」と黒須が怒鳴り声を上げれば、「それはこっちの台詞です」とモーリスも答えた。

三人が歩く廊下は、どんどん先細りになっていっていた。
そのうち、辿り着いたのは、薄暗い小部屋で、扉を開けた先にはテーブルの上に置かれた硝子の種のようなものが一粒。
「何だこりゃ?」と黒須が種をつまみあげるも、他に何も見当たらず、上記の遣り取りに至っていたわけである。

「で、それ、一体何なんです?」
そう黒須が掌に載せている種を指差しながらモーリスが問う。
「さぁ?」と首を傾げた黒須は、歩きながら種をつまみ上げ、燭台の蝋燭の炎に透かして見ようとしした。
だが、力を込めすぎたのか、その指先から跳ね上がるようにして種が飛び上がり、見事な放物線を描いて、黒須の頭に着地する。

「「ブフッ」」

まるで漫画のような図に、思わずデリクと一緒に噴出せば、不機嫌そうに黒須は頭から種をつまみ上げようとして、真っ青になって固まった。

「黒須さん?」

そう名前を呼べば、軋んだような動きを見せつつ黒須がモーリスを見つめ、「お前、庭師とか言ってたよな」と問うてくる。

「はい。 そうですけど?」

どうして、唐突にそんな事を問うのか分からずに、問い返せば「なぁ、人体から生えてくる花への対処法って、お前分かるか?」と涙目で更に問いを重ねられた。
言っている意味が分らず、黒須の頭頂を覗き込めば、そこから、冗談のように硝子の花の芽が出ている。

流石のモーリスも人の体から、しかも頭のてっぺんから硝子の芽が出る情景は初めて見るものだから、一瞬思考が目の前の光景についていけずにフリーズした。
「どうしましタ?」とモーリスが黒須の頭を覗き込んだまま固まっている姿を不審に思ってだろう、そう声を掛けてきたデリクが、モーリスと同じように黒須の頭を覗き込んで、ミシリと固まる。

「花?」
そう呟いたデリクにあわせるかのように、見る見る内に硝子の芽は育ち、黒須の頭に美しい硝子の花を咲かせた。

「えーー?」

思わずやる気のない声をあげてしまったのは、余りにもその図が間抜けであった事を含んで、ピョコン、ピョコンと花が揺れる様が、人を馬鹿にしているようにしか見えなかったせでもある。

「な、ななななな、なぁ?! なんか、俺の頭取り返しのつかない事になってる感じがするんだけど?!」

焦ったように叫ぶ黒須に「いえ、よくお似合いです。 ベストドレッサーです。 いえ、頭の事なのでベストヘッダーです」と好い加減な事をモーリスは言いつつ、しげしげと花を眺めた。
硝子製ながらも、見事に花開いたその姿に、庭師としては、何だか愛情のような気持ちも抱いてしまい、「じゃあ、クリスティーヌという事で」と小さく呟く。

頭から花が生えるだなんて、絶対に奇妙が過ぎるのだが、こんな城の中ではそれも起こりうることだろうと軽く納得してしまっていたし、まぁ、その気になれば自分の能力でいつでも黒須をあるべき姿として、花の生えてない状態に戻す事が出来ると考えていたので、モーリスには一切の焦りは無く、何だか名付けてみたら余計に愛らしく見えてきた、クリスティーヌへの愛情を深めてしまった。

「お前、人の頭に生えた花に勝手に名付けんなよ!」

そう文句を言われるも、もう名付けてしまったものは仕方ない。
「クリスティーヌ、良い名前ですネ」なんて、デリクにも褒められて、モーリスは上機嫌でもと来た道を、集合場所として定められた広間へと向かって歩いていった。

「…つ…かれた」

最初にゴンドラで降り立った広間にて、膝を抱えて蹲り呻く黒須の髪を手慰みに、三つ編みにしつつ、何とかクリスティーヌを黒須の頭から別の植木鉢か何かに植え替えられないかと思案をする。
デリクはといえば、今は壁のステンドグラスを興味深げに眺めていて、そうこうしているうちに、エマ達が広間へと帰ってきた。
「よぉ。 見つかったか?」
黒須に問われるも、「いや、うん、その前に、なんなの、それは?」と、エマがごく冷静に呟きながら指差す先には、何故か黒須の頭から生えた硝子の花。
やはりクリスティーヌは目を引くのだろうとモーリスは納得し、ピョコンピョコンと揺れる姿に心和まされる。
だが、他の人間にとっては決して、和める代物ではなかったらしく半眼になったエマの視線に耐えかねたかのように黒須は、口を開き何事か言おうとして諦めたのだろう。
「……色々あったんだよ」
と、二手に分かれてからの出来事を一言でまとめた。

そんな黒須の頭にエマがひょいと手を伸ばし「えい」と平静な声で呟きつつ、その花を「ぶち」と抜きさった。
「っ…ぎゃあああ!!!」
黒須の悲痛な悲鳴に、モーリスが驚き立ち上がる。
「何をするんだぁ!!」と、痛かったのか、頭を押さえながら叫ぶ黒須に「いや、目障りだったから」とエマが真顔で答えているが、モーリスにとっては愛着が涌き始めた花が無残にも散らされてしまって、思った以上にショックを受けた。

「アアアア…クリスティーヌ…」

そう嘆くような声を上げるモーリスは、哀しげに黒須の頭に手を伸ばし、クリステーヌが抜けた跡を指先で撫でる。
「あなたの事は…忘れませんからね?」
そう切なげに語りかければ「鬱陶しいから離れてほしいんだけど」と黒須に平坦な声で言われ、なんてロマンを解さない男なんだ!とモーリスは腹立たしく思った。

夜神は、もう、このトンチキ騒ぎに口を出すことは一切控えようと賢明な判断を下していたのだろう。
騒ぎが一段落した所で「じゃあ、案内します」と声を掛ける。
「んあ。 頼むわ」と間の抜けた声で返事しつつ「どっこいせっと」と如何にもおっさん臭い掛け声をかけつつ立ち上がった黒須は、「さぁて、漸く女王様にご対面できるって訳か」と言いつつ、肩に手を当て、首をコキリと鳴らした。


夜神の正確な道案内のもと、中央広間に辿り着く。

「こりゃあ、是がねぇと開かねぇな…」と呟いて、黒須は胸ポケットから「薬指」を取り出した。
黒須の殺されてしまった妻。 霧華の指。

ぎっと鍵穴に差込捻れば、そのまま独りでに扉が開け放たれる。

その瞬間、青い硝子の薔薇の花弁が風もないのに舞い上がり、まるで、足を踏み入れるのを防ごうとするかのようにその鋭い花弁がモーリス達に降り注がれた。
「っ! 走れ!」
黒須の声を合図に、皆一斉に扉の中へと飛び込む。
無数の硝子の煌きを背後に、足を踏み入れたその情景は、白雪が見せていてくれたものと全く同じ、新緑の色深い森の姿だった。


「ようこそ!」


人を嘲るような、朗らかなのに油断ならぬ声。
声がする方に顔を向ければ、そこには帽子屋が立っていた。

「ひい、ふう、みぃ…嬉や、嬉し! 是ほどのお客人は珍しい! しかも、ジャバウォッキーやっと来てくれた! アンタはホントに罪な男さ! 何度も招待状は送っていただろう?」

そう言いながら何処か猟奇的ですらある声音で黒須を詰る帽子屋に対し「へっ」と鼻を鳴らすと、「毎回毎回、贈り物と称して趣味の悪いもんまで一緒に送りつけやがって。 あんな招待状で誘い込まれる奴なんざいるかよ」と告げる。
黒須の声に反応して顔を上げた竜子が、顔をくしゃくしゃに歪め「誠!」とその名を呼んだ。
「待たせたな」
ひらひらと手を振る黒須に「馬鹿野郎! おせーんだよ!!」と竜子が喚く。
「お陰でアタイの体の節々はもう限界だ! 老人だ! 老人と海だ! うん! 疲れすぎてて、意味が分からない! あと、もう、精神的にも限界越え! だって、怖いし!! 隣に座ってる人怖いしぃぃぃ!!」
指差しつつ怒鳴る竜子に「う る せ ぇ」と地獄の底ボイスで答えた金蝉は、ふいとこちらに視線を向け翼の姿を見止めると益々眉根を寄せた。
「…随分とご機嫌で」
翼がそういえば、「おかげさまでな」と、険しい表情のまま獣が唸るような声で答える。

そして、そのまま翼のすぐ隣に立つ夜神の姿を見ると、「あれ? ここ、アラスカ?」と問いかけたい程に、金蝉の周りの温度が冷えこんだような気がした。
金蝉が口を開くより早く、帽子屋が嬉しげに声を張り上げる。

「相変わらずジャバウォッキーはつれないなぁ! つれない、つれない! まぁ、いいや。 今は麗しきお客人を招いているからね」
そう帽子屋が言い指し示すテーブルには、竜子と金蝉の他にもう一人。


「デリク! あら、残念。 とうとう見つかってしまったみたい! 帽子屋! ねえ、このスコーンと、マカロンを包んで頂戴? あと、ストロベリーとクランベリーのジャムはそれぞれ瓶詰めにしてね? 瓶には薔薇色のリボンと、桜色のリボンを結んでそれぞれ区別がつくようにしなさい」
そう傲慢なのに愛らしい声で帽子屋に命じている人形めいた美しい少女が、こちらを向いてにこりと微笑む。
「ごきげんよう! お前達!」
少女は高らかにそう告げ「クヒッ」と引き攣った声で笑った。
「ああ、ウラ! また、こんな所に一人で遊びに来テ!」と言いながらスタスタと帽子屋の脇を抜け、デリクがウラと呼ばれる少女の元へと歩み寄る。
「危ない目に合ってモ、知りませんヨ?」
そう言いながら手を伸ばせば、その手をピシャリと叩き落とし「デリーィク! 減点だわ、その口の聞き方! また子ども扱いね? いつになったらデリクにとって私は一人前にレィディになれるのかしら?」とウラは不機嫌そうに頬を膨らませる。
「その点帽子屋は紳士よ? ヒヒッ、ねぇ、お前達、音楽を変えて頂戴。 辛気臭いのはイヤ! 華々しい音楽に変えて? そうね…ドヴォルザーク! それも、謝肉祭がよくってよ?」

昂然とした言葉。
だが、ウラの佇まいはその我が儘をどうしたって叶えてやりたくなるような、そんな魅力に満ち溢れている。
帽子屋が「仰せのままに、お嬢様」と笑みを含んだ声で了承し、ふいと指をひらめかせば無人の楽団がまさにお祭り騒ぎと言って良い、派手な音を奏で始めた。
目を細め満足げに頷きながら薔薇の花弁が浮かぶ紅茶を口にし、ウラは「さぁ、お前達も席に着けば良いじゃない? スコーンは焼き立て、サンドイッチには、新鮮なスモークサーモン、お茶は摘み立ての薔薇の香りよ? 味合わない手はないわ?」と告げる。
「お褒めに預かり恐悦至極。 シェフにも、お嬢様のお言葉を伝えさせてもらいまさぁ」と帽子屋はにいっと牙のような歯を剥き出して答えた。
デリクは、目を細めて「随分とウラに良くしていただいたみたいデ、ありがとうございマス」と礼を述べる。
「いえいえ。 おいら達も、美味しそ…っと、いやいや、可愛らしいお嬢様とお喋りができて、こんなに楽しい時間は滅多とない!と喜んでいる次第。 さぁて、旦那様も席にお掛けなさいな。 あぁたは、どんな椅子がお好みで?」
帽子屋がパチンと指を鳴らせば、「トットット」と音を立てて、幾つもの椅子がその四つの足を交互に動かし走り寄ってきた。

「オディール、ガゼット、エカテリーナ、メヌエ、ジョセフィーヌ! さぁ、並んだ、並んだ、別嬪さん達!」
そう呼ばれた椅子たちは、それぞれ全く違うタイプで、樫の木で出来た重厚な椅子もあれば、革張りで如何にも座り心地の良さそうな椅子、近代デザイナーが手がけているようなインテリアとしても通用しそうなお洒落な椅子等々がピッと行儀良くお茶菓子の並ぶ長テーブルの周りに並ぶ。

「さぁて、お客人方好きな子を選んで下さいな」

首を傾げて問う帽子屋に竜子が「お前、今度は何考えてんだよ?」と唸り声を上げる。
「また、妙な仕掛けがあんだろ? どうせ、この椅子みてぇにな!」
竜子の怒鳴り声に帽子屋は肩を竦め「まさか、まさか、女王様? どうして、おいらの事をそんなに疑うようになっちまったんだろう?」とわざとらしい嘆きの声をあげる。
だが、金蝉や竜子の状況を鑑みても、この椅子達にも何らかの仕掛けがあると考えるのが普通だろう。
同じ考えに至っているのか、モーリス以外の面々も決して椅子に座ろうとはしない。
「何にしろ、このお茶会から女王様を帰して欲しいのならば、お客人としておいらにもてなしさせて貰うか…そうさなぁ…ジャバウォッキー?」
掛けられた声に、黒須が顔を向ければ、「あんたが、女王様の代わりに此処に客として残るかい? それでもおいらは一向に構わないぜ? 素敵な時間を約束してやるよ」と、言いながら黒須へと歩み寄る。

帽子屋の声は、あながち冗談ではない偏執めいた響きがあり、どんな「素敵な時間」が繰り広げられるのか想像するだけでゾクゾクする。 猟奇的嗜好の強い帽子屋の事だ。 竜子に対してはそれでも、未だ危害めいたものは加えてないが、黒須に対してもその態度が守られるとは言動からも到底思えなかった。 
どうも黒須はこの帽子屋から「熱狂的」に憎まれているらしい。
(人間関係構築するの確かにあんまり上手じゃなさそうだけど、それにしたって、黒須さん、どんな友好関係築いているんでしょう?)
そう思えども、では自分が目の前にいる帽子屋と良好な関係が築けるかと問われれば「絶対無理です」と即答できるわけで、やはり色々な意味で住み難い城だと他人事として考える。

黒須は自分のすぐ目の前に立つ帽子屋の、己よりも頭一つ分低い場所にある顔を見下ろして「さぁて…、竜子どうするよ? お前の身代わりに俺に残れだとよ」と声を出した。
竜子が間髪入れずに叫んだ。


「誠はやらない!」


怒りに満ちたその声は明瞭な響きを持って、モーリスの鼓膜を震わせる。
黒須は唇を捻じ曲げキュウッと目を細めた。
その表情は、幸福そうにも見えたし、哀しそうにも見えた。

「だとよ。 女王様の仰せだ。 ただの『門番』には逆らえねぇよ」
帽子屋は黒須をじいっと見上げて首を振る。

「そりゃあ、どうかな? ジャバウォッキー! あんたは、おいらの椅子に座る。 座らなきゃ、女王は返してやんない。 あんたが、おいらの招待を受けるってぇんなら、此処で捕まえてある客人も、他の奴らも無事返してやるさ。 なぁ、お座りよジャバウォッキー。 オディールならば、夢見心地の座り心地、エカテリーナは刺激的、ガゼットならば熱い抱擁! さぁ、どの子が良い? ジャバウォッキー?」

黒須は「どれも御免だ」と吐き捨てて、そして振り返りもせず叫んだ。

「さぁ、詐欺師の魔術師! お前の出番だ」

デリクが「Okey-dokey!」とワクワクしたような声で返事をし、スタスタスタと歩いてくる。
そして、不意にモーリスの隣で立ち止まると「…檻を他人の合図ニ合わせてタイミングよく作レますカ?」と問うてきた。
「はい?」
モーリスはデリクが何を企んでいるのか愉快な気持ちを思いを巡らせながら、魔術師を見る。
「合図はベイブさんが言う、『愛している』。 その声が響き渡ったら、あの帽子屋さんハ、慌ててこの場から逃げ出そうとしマス。 それを、逃げられないようニ、檻の中に閉じ込めて欲しイのでス」
青い青い、まるで、先程までいた、この深層階域のステンドグラスのように澄みながらも油断ならない目がモーリスの目をじいっと覗き込んでいる。

「了解しました。 お任せ下さい」

モーリスが何でもない事のように請け負えば「ブラヴォー」と小さな賞賛の声をあげ、満足げに頷いて、油断ならぬ魔術師が行く。


そしてデリクは両手を広げ、「ハロー、ハロー、ハロー? 帽子屋さん、ジャバウォッキーと遊ぶ前に、私の相手をしてくれませんカ?」と首を傾げた。

ああ、やっぱり、羽を広げた悪魔みたいだ。
黒い服装だからか、非現実的な世界でデリクは、益々非現実的な存在感を増している。


「ジャバウォッキーと取引したのですかい? お客人」
帽子屋が笑いながら問うた。
「エエ。 この先行き不透明な昨今、一寸先は闇と言えどモ、未来の自分を知りたいと願うハ、どなたも同ジ。 当るも八卦、当らぬも八卦な占い稼業モ、一向に廃れる気配はありまセン。 私とテ、一介の小市民。 雑誌の占いページを、毎回、毎回、アテにならぬと知りつつも、気になり覗いてしまウ程には、自分の未来に興味がありマス」
滑らかな口調、貼り付いた微笑み。
翻弄するような言葉の波を楽しげに聞き、帽子屋も負けじと口を躍らせる。
「白雪! 彼女を強請りなすったか! そりゃあ、お客人中々手強いものを所望なさる! 彼女は王様の言う事しか聞かぬ強情女! 惚れた、腫れたは世の常なれど、一途を極めりゃ物狂い! あの女から欲しい情報を欲しいように引き出すなんてぇなぁ、至難の技ですぜ?」
芝居がかった口調の応酬にモーリスは酩酊感を覚え、地面に腰を下ろしかけて、不意に背後に気配を感じた。
振り返れば、いつの間にか樫の木で出来た色合いの美しい重厚な椅子が、モーリスが丁度腰を降ろしそうな場所に待機している。
「えーと…オディール?」
そう呼ばれてたっけ?という風に呟けば、オディールはその通りというように一度跳ねた。

「座らないよ?」

その姿を微笑みながら眺めれば、残念そうに身を震わせる。
油断も隙もあったもんじゃないと、腰を降ろすのは断念し、モーリスは二人の舌戦を腕を組んで見学する事にした。

「強情な女を、舌先で溶かすなんテ事、男として生まれたからにハ、是非、チャレンジしてみたいゲームじゃありませんカ?」
「確かに、お客人の舌先ならば、白雪の雪の如き冷たき心ですら溶かせそうだ! さぁて、しかしお相手をと所望されても、おいらは御覧の通りのつまらん男でして、お茶以外に貴方を持て成す術が御座いません」
「いえイエ、お気遣いなく、帽子屋サン! こうやって、お話しているだけで、私としては大変有意義な時間を過ごしておりまス。 折角、直接あなたにお招き頂いた身ですかラ、取るも取り合えず、御礼を申し上げたかったですしネ?」
デリクの笑みが深くなる。
「直接? どういう事かしらデリク?」
ウラが宙に浮いている足を揺らめかせ、興味なさ気に問いかける。
「ウラ? 君は、どうやって此処に来タんだイ?」
「間抜けなデリク。 私は、貴方が球体の硝子詰めにして保存してあった『異空間』を通ってよ来てよ?」
「イケナイ子ダ。 前回此処に来た際にまた直ぐに来られるよう、道筋を残しておいたのが失策だっタ! さぁて、では、更に質問ダ、お姫様? どうやって、硝子に詰めた異空間を見つケ、どうやっテ、この深層まで辿り着いたんだイ?」
ウラは、「クヒッ」と笑い、焦らすように口を噤んだまま周囲を見回すと、「呼ばれたの」と囁くように答えた。
「呼ばれタ? 誰ニ?」
「兎よ? デリク。 硝子詰めの異空間の隠し場所はサイテーだったわ。 あんな高い場所に置くなんて、私が手が届かないと思ってたんでしょ? でもね、お生憎様。 兎の手! 硝子の中で大暴れ! コロンと揺れて落ちてきた。 硝子が高い場所から落ちたらどうなる? デリク」
「割れますネェ、硝子ですもノ」
「そう、割れて出て来た異空間の向こうから、真っ白な手が私を手招いたの。 後は分かるわね?」
「エエ。 勿論。 私のアリス! 兎の穴に飛び込んでお城に辿り着いた貴女ヲ、此処まで案内したのはどなたですカ?」
ウラは笑って答える。

「当然、『兎』よ! 『真っ白』なね?」

謎かけめいたウラの答え。

デリクはクルリと帽子屋を振り返り、「さても素敵な招待状。 ウラがこちらに来た以上、私もこちらの世界へ彼女を追ってこなければなりませン。 貴方の差し金ですよネ? ウラを『兎』に、ここまで案内させたのハ。 貴方が招きいれたのでなけレば、この森に通じるあの硝子の扉は開かなイ」と冷静な言葉を並べ立てる。
帽子屋はニヤニヤ笑ったまま一度頷く。
「その通りですぜ、お客人。 だって、こんな場所で、どんなお祭りをしでかそうとも、客は誰も寄り付いちゃあくれないんです。 おいら、人一倍寂しがりなもんだから、ついつい貴方の大事なお嬢さんを此処に招待しちまった。 とはいえ、随分と楽しんで貰えたようだし、傷一つつけぬよう、大事に、大事に持て成させて頂きましたぜ?」
「ええ、本当にありがとう御座いまス」
デリクは一度にこりと笑い、その笑顔のままで「さァ、貴方の目的はなぁニ?」と問うた。
「目的? さぁて、何のことやら」
帽子屋がはぐらかす。

モーリスは、二人のまさに化かしあうようなやり取りを見ながら、それでも一つの結論を得ていた。

つまり、これは、「デリク・オーロフ」という「魔術師」を此処に呼ぶために仕掛けられた罠であったという結論を。

「ウラを此処に連れ去り、私ヲこの城へ呼んだ理由。 それは、私が此処に来ル事で、何が起こるかを考えれば自ずと答えが出まス」

「発狂現象」

翼が呟く。

「ご明察! 私が来れバ、王様狂ウ。 前回の騒ぎは、ここの住人にとっても一大事だった筈。 貴方だって当然ご存知だっタ。 王様の一大事となった、魔術師の事もネ?」

デリクが笑いながら帽子屋に問いかける。

「だから『兎』を使っテ、私を此処まで連れて来タ。 後は待つだケ! 王様が私の存在に気付キ、発狂するその時ヲ。 私はジャバウォッキーとの取引で、貴方のお相手をしておりまス。 貴方も同じく、『兎』と取引をしタ。 兎、兎、何見て跳ねル?」

ウラが甲高い笑い声をあげた。

「アハハハハハハ! 流石よデリク! 全部、お見通し! 兎が跳ねる! 月見て跳ねる! 兎は、だ あ れ ?」

「白雪!」

黒須が叫んだ。

「あんにゃろ! お前とグルか!」
帽子屋を指差せば、「お前のせいだよ、ジャバウォッキー!」と帽子屋がやり返した。

「女王とジャバウォッキーが来てから、なぁんも面白い事なんかありゃしない! 王様は、イかれてた頃はさいっこーだった!! 毎日、毎日、人間共を酒の肴に血みどろになって楽しくお茶会をしていたというのに! ジャバウォッキー! お前を傍らに置くようになってからは、俺の事を城の奥底に閉じ込めて、見向きもしてくれなくなった!」

喚き、飛び跳ね、歯をむき出しにする帽子屋の狂気めいて凶暴な姿にモーリスは嫌悪を催す。

「お前が憎いよ、ジャバウォッキー! あんまり憎いもんだから、指の先から生きたまんま、少しずつ齧ってやりたい位だ! ああ、そうしてやったらどんなに愉快だろう! 全部、全部、長い時間を掛けておいらの胃袋の中に納めてやりたい。 泣き叫んだって許してやらない! 一番痛いとっときの方法で、一番苦しめてやる」

言い募る声には暗い熱。
だが、黒須は受け流すような涼しい顔をしている。
「白雪は、そこまで知ってんのか? お前が、そこの魔術師使ってお前を狂わせようとしている事までな?」
「まさか! あの女はベイブ様命! あのお方の今の正気を喜ぶ立場にある事ぁ、ジャバウォッキーも知ってんだろ? ただ、恋に狂った女ほど、愚かで扱いやすい生き物もない。 おいらの舌先三寸で誤魔化し、騙して、ここにそこのお嬢さんを案内してくれたに過ぎない」
「見返りハ、竜子さンですよネ? 白雪さンは、随分と王様にご執心の様子。 傍にいる女王様を憎んデ、一時的にでも彼女を王様から引き離したくテ、貴方の口車に乗ってしまっタ」
咄嗟に思い出す。
竜子がもう帰ってこなくても良いと言った白雪の冷たい顔を。

竜子の命まで奪う意図はなかったとしても、ここまでの所業を平然とやってのけるのだから、やはり女は怖いと確信せざる得ない。

帽子屋は、デリクの問いかけに、再び拍手喝采、喜んだ。

「その通り! 流石、流石、流石の魔術師様々だ!」
そう言いながら帽子屋が手を打てば、金蝉が鼻白んだような声で「おい、つまり、俺はアレか? 白雪だかなんだか知らねぇが、馬鹿な女が、あの馬鹿な王様だかなんだかのせいで、この馬鹿な小娘嫉んで、そこのキ印野郎の口車に乗ったせいでこうなってるって訳か?」と、余りに馬鹿馬鹿言いすぎて主語がどれなんだかも分からなくなりそうな台詞で口を挟んでくる。


その瞬間、ふっと皆の間に沈黙が落ちる。

そういや…何で金蝉は、このお茶会に参加させられてるのだろう?

ウラには思惑が絡んでの招待だと理解したが、金蝉は何の意味があってこの場にいるのか?
これ程性質の難しそうな男を、わざわざ意図的に呼び込むとは考え難い。

無人楽団が奏でる謝肉祭が最高の盛り上がりを迎える中、帽子屋が、今までになく物凄く殊勝気な声で「いや、そちらのお客人は運悪くというか、多分、異空間の穴やら、でジャバウォッキーが援軍を呼び込む為に開けた入り口等の影響で、唯々偶然このお茶会に迷い込んじまっただけかと…」と言えば、「ああ…」と皆それぞれに納得やら、溜息やらの入り混じった声を気の毒そうに吐き出す。

んが、本人にすれば堪ったもんじゃないだろう。

金蝉は虚ろな目をしながら、それは、それは、恐ろしい静かな声で、ただ一言「……もげろ」と呟き、「え? 何が? 何を? 何を、もぎたいの?」と、その意味の分らなさと、意味分からない割にかなり具体的に怖い台詞選びに戦慄が走り、黒須が青ざめながら口を開いた。
「うし、分った。 何やかやこれで、辻褄は合った。 まぁ、それは、今はもう、この直面している危機に比べれば瑣末な事だ! とりあえず、あいつは解放しろ。 なんか、もう、闇雲に世界の平和の為に、解放しろ」といえども、帽子屋は帽子屋で一心不乱に首を振りながら「解放したら、終わりじゃない? これ、逆に解放したら、その時点でおいらジ・エンドじゃない? ていうか、もがれるよね? 最初に、もがれるよね?って、そもそも、何をもぐの?!」とかなり的確な判断を下す。
金蝉といえば、これはもう、カタストロフの序曲としか思えないような不吉っぽい術の詠唱に既に突入しており、翼が必死の声で「我慢だ! 金蝉我慢しろ!! もぐのは早まるな! そうだ、帰ったら、ほら、美味しいもの作るから! あ、ウィスキーあるよ? 焼酎も! あと、もうじき、知り合いが、春鰹を送ってくれるっていうから、それをタタキにしてあげるから!!」と、お菓子で子供の癇癪を宥めようとする母親の如くの声音で、思い留めさせようとしている。
モーリスは「とりあえず、もげても、私、元に戻せるんで…ガンバッテもげて下さい!」と黒須にガッツポーズを見せ、「あ、俺もお前の中ではもげ要員なんだな」と黒須が冷静な声で突っ込んだ。
「と、とにかく、もがれるのはご勘弁! 全ての目論見そこの魔術師様に見抜かれちまわぁ、後は口封じしかござんせんや! 折角の楽しい楽しいお客人達。 一思いにもてなしちまうのは、至極残念極まりないが、これも一期一会の世の常だ! さぁ、別嬪さん達! ダンスの時間だ!」
帽子屋がそう宣言し指を鳴らせば、今度は楽団が陽気なジャズのダンスナンバーを奏で始める。
音楽に合わせるかのように、先程モーリスを座らせようとしていたオディールが、ひらりと回り、その瞬間体中から毒の霧と思わしき、甘いにおいのする空気を発散させた。

これは確かに座っていたなら随分と夢見心地にさせてくれただろうと、先程の帽子屋の、オディールの紹介台詞に頷きつつ、毒の霧を撒き散らしながら此方に迫ってくるオディールに「余り積極的が過ぎると、女性はモテませんよ?」と忠告をする。
そして、形の良い唇を組み合わせた両手に寄せると、淡い光が両手に宿り、ゆっくりと蕾が開くかのように、その美しい手を広げれば、手の内に小さな正方形の檻が出来ていた。

その檻をオディールに差し向け、「これは貴女の鳥籠」と囁く。

その瞬間オディールの周りに、檻というよりも、光の箱が出現していた。
今回は毒の霧を外に漏らさぬよう、檻の目を細かく、細かく作り、殆ど隙間の無い光の箱として出現させたのだ。
そして、モーリスは流麗な顔に一瞬冷酷な微笑を浮かべると、「ぐしゃ」と小さく呟いて、両手を握り合わせた。
その瞬間、光の箱がぐしゃりと潰れ、その中に閉じ込められたオディールごと粉砕する。

モーリスが両手を開けば、光の箱も消え去り、その中には、最早椅子の原型を留めていないオディールの姿が転がっていた。

「さよなら。 オディール」

柔らかな声でモーリスが囁く。


モーリスが見回せば、それぞれ他の者々も、自分の能力で攻撃を仕掛けてきた椅子を倒していた。

帽子屋に目を向ければ、彼はデリクと相対したまま唆すような声で囁いている。


「…つまり、お客人。 貴方ならこの城の主になる事だって可能なんですぜ?」

帽子屋の言葉にもデリクは表情を変えず、微笑んだまま「ウラ? この城欲しいですカ?」とウラに声を掛けた。
ウラは、「クヒッ」と笑い声をあげ「いらないわ! こんな辛気臭い城! 時々遊びに来るから良いんじゃない。 バカンスの為の場所は、バカンスの為に存在するべきよ」と言い、それから、ひょいと椅子の上に立ち上がる。
「良いわね。 ジャズってもっとつまらない音ばかりかと思ってたけど、これは気に入ったわ。 デリク、ねぇ、踊っても良い?」
そう言いながら、足を伸ばしテーブルの上にウラが立つ。
デリクは盛大に眉を顰め、「お行儀が悪いですヨ。 ウラ」と咎めながらも、自分もひょいと長い足を駆使し、軽い調子でテーブルの上に上がると「家では禁止」と言い、そしてウラに向かって両手を広げる。
嬉しげに笑いながら、極彩色の料理の数々や、ケーキ、お菓子を蹴散らし、ウラがデリクの両腕に飛び込む。

「お茶会は終了よ。 帽子屋! 私、デリクと一緒にお家に帰るわ。 謎々の答えは、『愛している』! そうじゃなくって?」
帽子屋の全身が硬直するのが傍目にもよく分かった。

謎々?
一体何の話だ。
彼らは、自分達が知り得ない『何か』を知っている。
一体、何を?

モーリスは疑問を抱き、デリクに視線を向けた。

全てお見通しらしい魔術師が、「正解! 賢いウラ!」と言い、そして指をパチンと鳴らして、「ほら、聞こえてきましたヨ」と宣言する。


「愛している」

その瞬間何処からもなく、ベイブの声が、その場に響き渡った。

ああ、合図だ。
いよいよ、大詰めだ。
モーリスは確信を深め、帽子屋を見つめると、再び掌の中に光の檻を作り出した。

ベイブのその声音に、帽子屋が、いや、その場にいる城の奇妙な住人達が全て恐慌状態に陥いる。

無人の楽団が、ギイギイとひっちゃかめっちゃかな音を出し、足元を走り回っていたトランプの小人達がめいめいに悲鳴を上げて逃げ惑う。
無表情に鋏を握りしめていた三月兎も、まさしく脱兎の如く逃げ出していた。

帽子屋が「ひいいい!」と悲鳴を上げて逃げようとするその周りに光の檻を出現させる。
デリクに視線を送れば愉しそうに笑っていて、全て彼の仕組んだ通りに事態が進んでいるらしいとモーリスは察する。
帽子屋も大概喰えない男だと思ったが、どうもあの魔術師はその上を行くらしい。
この騒動全て、あの男が仕組んだ事かと思うと、どうにもこうにも快哉を上げたいような気持ちになった。


ウラが、滅茶苦茶な音に、壊れたような笑い声をあげ、出鱈目なステップを踏む。

「クヒヒッ、ヒヒッ、ヒヒヒッヒヒヒヒッ!」

お腹を押さえ、黒髪を乱し、机の上で、Dance! Dance! Dance!

ウラが踊るその爪先に、ビリビリと稲光のようなものが走り、振り上げる指先にもその光が宿るとデリクは楽しそうに叫んだ。

「ウラ! ウラ! ウラ! よおおおク、狙っテ? よーーーーォい、ドン!」

その瞬間、デリクの合図に合わせて、鋭い雷が帽子屋の上に落ちた。

轟音と、眼を開けていられない稲光の後、モーリスがゆっくりと目を開けば、感電し、気を失っている帽子屋が倒れているのが目に入る。

金蝉が一歩一歩、それはそれは、人を圧迫するような空気を撒き散らしながら倒れている帽子屋の元へと訪れると「もぐぞ?」と一応の許可を求めるが如く、黒須に目を向けた。
「あ、どうぞ」
多分咄嗟にだろう、そう返事をしてしまった後で、「え? いいの? もぐの、良いの?」と誰にでもなく意見を求める。
竜子がうううんと、両腕を伸ばし、固まってるらしい体をバキバキとほぐしつつ「いいんじゃね?」と軽い口調で言った。
「もう、大絶賛もいでもらおう」
余りの言い様に、エマが慌てて、「ちょ、ちょっと待って!」と声を上げる。
「え、えーと、それよりもね? ここは、ハンムラビ法典にならって、目には目を…って事で…」といいつつ、金蝉と帽子屋の間に入り、帽子屋を何とか抱え起こそうとするのを、「手伝います」と言いつつ夜神がひょいとその体を抱え上げた。
「ありがとう」
エマが礼を述べて帽子屋を先程まで竜子の座っていた場所に座らせれば、流石というべきか彼女が何を望んでいるのか察したモーリスは、辺りを見回し、森の木陰で蹲って震えている兎耳の少年を見つけると、その腕を軽く引く。
怖がって出てこようとしない少年に、にっこり微笑みかけて、「もう、怖い事は何もありません。 面白いゲームを再開しましょう? ね」と告げれば、モーリスの柔らかな空気に当てられたのだろう。
頬を染め、小さな声で「首チョッキンゲーム?」と問い掛けてきた。
なんて、そのままな名前だと呆れつつも「ええ、首チョッキンゲーム」と頷けば、コクンと大人しげに頷き返し、ふらふらと木陰から出てくる。
三月兎の手を引いて、椅子の脇まで連れてくると、「ハイ、首チョッキンゲーム、再開です」と、落ちてた鋏を握らせ、モーリスが耳元で囁けば、コクンと兎少年は頷いた。
帽子屋の足首に、竜子が巻きつけられていたらしい拘束具を装着し、「…これで如何かしら?」とエマは、額の汗を拭いつつ言い、流石に金蝉の「帽子屋のどっかもぐ姿」を見たくなかったらしい面々が「おお」と感心の声をあげる。

金蝉が、「何でもいい。 とりあえず、ここから今すぐ出せ」と唸り声をあげ、足音荒く出口へ向かう背中を見てとりあえず、帽子屋の「どっかもぎショー」は回避されたのだと理解すると、「まぁ、それもちょっと見たかったかな」と残念に思いつつ、ふらふらと体を揺らしている竜子を支えて歩いている黒須を、手伝いに傍へと走り寄った。
黒須が支えている側の反対側から、竜子の体を支えれば「おお、さんきゅ」と疲れた声で竜子が言う。
「災難でしたね」
そう気の毒そうな声で言えば、竜子は「もう、暫く、紅茶は見たくねぇ…」とうめき声を上げた。
「まぁ、随分酷い目に合った記憶しかないが、何にしろ助かった。 ありがとな」
黒須に礼を言われ微笑み返すと「こちらこそ、もっと上手に虐めてあげたかったのに、要領を得ずにすみませんでした」と詫びる。
「とりあえず、次回の機会の際に、今回のように手間取らずに住むよう、竜子さんから、色々女王様の御技をレクチャーしていただきたいのですが、いけませんか?」と問えば、竜子がポカンとすれども「あたいが、教えられる事があんだったら、今回の恩もあるし、何でも教えるぜ?」とわけが分からないなりの返答を帰してきて、黒須が逼迫した声で「いらん事を聞くな!!そして、教えるなぁぁぁ!!」と絶叫した。

そんな彼の悲鳴を愉しく聞きながら、今回これほど退屈を紛らわせてくれた事だし、そのお礼の為にも次回は、もっと腕前を(何の?)上げておこうと決心するモーリスなのであった。


fin


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【2916/ 桜塚・金蝉  / 男性 / 21歳 / 陰陽師】
【7038/ 夜神・潤  / 男性/ 200歳 / 禁忌の存在】
【2318/ モーリス・ラジアル   / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者】
【3427/ ウラ・フレンツヒェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
お久っぶりです!!
よくぞ、「女王様失踪」に御参加いただきまして有難う御座います。
ライターのmomiziで御座います!

3年ぶりのOMCのお仕事に戸惑いつつも何とか書き上げさせて頂きました。
ご参加くださってる方も、皆さん、現役の頃にご参加くださった方々ばかりで、
私は何たる幸せなライターと、忘れられずにいた、幸せを噛み締めております。

本当に本当にありがとうございました!

僅かばかりでも腕前が上がっていればいいのですが、何にしろ発注して良かったとおもっていただける作品を仕上げる事が私の最大の使命だと思っております。
また、ちょくちょく窓の方は開けさせていただきたいなーと考えているので、その際は再び遊んでくだされば幸いです。

それでは、momiziでした。