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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


宵待ちの宿 攻防戦


 それは異界からの帰り道だった。丸い月が見下ろす暗闇の世界を、一台のオープンカーが走っている。
 車の運転手は一人の若い女性だった。艶やかな黒髪と海のような神秘的な色を湛えた瞳がわずかな月明かりに照らし出されている。彼女の名前は、桃・蓮花といった。
 蓮花の隣の助手席には一頭のパンダがきちんと座っていて、後部座席の真ん中には一匹のメガネザルが人間がそうするようなくつろいだ様子で葉巻を吸っている。
 ややちぐはぐな三人組だが、これでも立派なサーカス団だ。その日はちょうど用事があって、はるばる異界までやってきていた――が、
「……団長、大分暗くなってきたアル」
 車を運転していた蓮花が言うと、助手席のパンダ――飛東が「バウ」と同意するように鳴いた。
 団長と呼ばれたメガネザル――もとい団長・Mはその言葉に空を仰いだ。月の明るさに星の明かりもまばらだが、冷えた夜風が今の時刻を表している。
「一泊するかの?」
 顎に手を当てて考えるような素振りを見せながら、団長が言う。
「ラブホテルあるか?」
「違うわい。由緒正しき宿じゃ」
 至極真面目な顔でラブホテルと言い切った蓮花に呆れた様子で団長が答えた。
 それからせわしなく周囲へと目をやり始めたかと思うと、後部座席から身を乗り出して蓮花に言う。
「確かこの辺じゃ。蓮花、車を止めておくれ」
「分かったアル」
 素直に頷いた蓮花が車を止めるなり、団長は車から降りて戸を叩くように空気の壁を握り拳でノックする。とたん、ノックの音が静かな空間に響き渡った。そしてたちまち団長たちの前に一軒の宿屋が姿を現す。
「メエエエ!」
 飛東が金色の瞳を丸くして驚きの声を上げる。傍からみればパンダにしか見えない飛東の鳴き声にも驚くべき要素はあったかもしれない。
 興味をひかれて車から降りた蓮花も、驚きを瞳に湛えてしげしげと建物を見つめている。
「これどこに隠してたね。新しい芸あるか?」
「違うわい。これは――」
 ちょうど団長が説明しようと言いかけた時だった。
 ふいに引き戸に人の影が映ったかと思うと、引き戸が開く。団長いわく由緒正しき宿の中から現れたのは金髪の若い女性だった。
「ようこそ、宵待ちの宿へ」
 にこりとして言う女性に、蓮花が首を傾げた。
「宵待ち? 夜を待つあるか」
「その通りでございます」
「でも、今はもう夜ね。待つ必要ないアル」
「いいえ、異界では時の流れの違う地があります。今この世界で夜であったとしても、他所の世界では朝であることもあるのです」
「そういうことじゃ」
 二人の会話を聞いていた団長が口から葉巻の煙を吐き出して言った。
「お久しぶりです団長さん」
「うむ。元気そうで何よりじゃ」
「ええ、おかげさまで」
 親しげに話す女性と団長の姿に、蓮花と飛東が不思議そうな顔をする。
「バゥ?」
「団長の知り合いあるか?」
 蓮花の率直な質問に、宿から出てきた女性が微笑んだ。
「以前にも一度だけですが、泊まって頂いたんです」
「うむ。あの時は世話になったの」
「いいえ、とんでもないです」
 女性はそう言って微笑むと、蓮花と飛東を見た。
「蓮花さんと飛東さんですね、お名前は団長さんから聞いております。私の名前はイチ。どうぞよしなに」
 イチは優雅に一礼をしてみせ、そのまま手で団長たちを宿の中へと促した。

 宿の中に入ると金髪の男が一冊の宿帳を片手に立っていた。和服を着こなす姿はいかにも旅館で働く者のように見える。
「久しぶりじゃのぉ、ミツルギ」
 団長の言葉に目を細め、ミツルギと呼ばれた金髪の男は口を開いた。
「お久しぶりです、団長さん」
「その敬語は止せと言ったじゃろう。おぬしら夫婦のほうがよっぽど長生きしておるじゃないか」
「団長さんはお客様ですから」
「ふむ、ならば外ならばよいのじゃな?」
「ええ、お会いすることがあればの話ですが」
 どこか含みを持たせたミツルギの言い方に、団長は少し怒ったような顔をした。腕を組みながら少し乱暴に葉巻の火を消す。
 宿には喫煙を嫌う者もいる。これは宿の中での争いを避けようという団長の配慮だ。
「おぬしらは引きこもりすぎじゃ。たまには宿を出てワシらのサーカスでも見に来ればよいものを」
「考えておきましょう」
 ミツルギは微笑んで宿帳とペンを蓮花たちに渡した。
「そちらのお二方のお名前はまだ記入していただいていないので、こちらにお名前を」
「メエェ」
「わかったアル」
 二人が頷いて宿帳を受け取ると、それまで黙っていたイチが口を開いた。
「団長さんがいらっしゃるので問題はないと思いますが、一応こちらで説明させていただきますね」
「うむ、そうしてくれ」
「なんのことね?」
「宵待ちの宿の決まりでございます」
 イチはそう言って蓮花と飛東を見た。
「宵待ちの宿には、人間の方やそうではない異形の者達が集います。私達も今はこの形をとっていますが、もとは狐です。元来ならばいがみ合う立場の者達もいるでしょう。ですが、ここでは争いはご法度。決して暴力沙汰はされませぬようにお願いいたします」
 深く頭を下げたイチに、蓮花と飛東は安心させるように口を開いた。
「大丈夫アル! 私たち争いに来たわけじゃないあるね」
「バウバウ!」
 二人の顔を見て、イチは安心したようにそっと微笑んだ。それから笑みを浮かべたまま、イチは三人を宿の一室まで案内する。

「何かありましたらいつでもお気軽に声をおかけくださいまし」
 三人を無事に部屋まで案内したイチがそう言ったとたん、蓮花の手が上がった。
「私、お風呂に入りたいアル」
「ワシは晩酌を頼みたいのぉ。どうじゃ飛東、付き合わんか?」
「バゥ」
 遠慮なく注文する三人の様子を見て、イチはくすくすと笑った。
「わかりました。お風呂と晩酌でございますね。しばしお待ちを。蓮花さん、浴場へご案内いたします」
「行ってくるアル」
 そう言って手をひらひらさせながら蓮花はイチの後を追いかけていった。
 その後、間もなくイチによって酒瓶が運ばれ、団長と飛東は向かい合うようにちゃぶ台を挟んで座りながら晩酌を始めた。一人でちびちびとお酒を飲む団長に付き合い、飛東はむしゃむしゃとささのはを食べている。どこか静かな空間だったが、互いに気を許しあっている二人にはその静けさもどうということはなかった。
 むしろ心地よい静寂に、二人の心は満たされていくようだった。

 ――けれど、その静けさは突然破られてしまう。
「なんだと!?」
 突然上がった怒鳴り声。それに素早く反応したのは飛東だった。
「バウゥ……」
「ふむ、何か揉め事のようじゃな。どれ、行ってみて来よう」
 そう言ってお猪口をちゃぶ台の上に置いた団長が「よっこらせ」と立ち上がる。それに続いて飛東も立ち上がった。
 問題の声の正体は、天狗と大入道だった。互いに口汚く罵り合い、ともすればどちらか一方が殴りかかりそうなほどに辺りの空気は緊張している。
「何あるか、今の声!?」
 遅れて現れたのはバスタオル一枚を身体に巻きつけた蓮花だった。
 見た目年頃の女がそんな格好で人のいる場所へ来るものではないのだが、本人は全く気にしている様子はない。ただ今にも殴り合いの始まりそうな天狗と大入道に、慌てて飛東と一緒になって仲裁をしようとする。けれど、そんな二人を手で制したのは団長だった。
「まあまあ二人とも、少し落ち着いたらどうじゃ」
「うるさい!」
「余所者は引っ込んでろ!」
 団長が仲裁に入ろうとしても、二匹が話を聞く様子はまるで見られなかった。そんな様子に団長は少しだけ困ったような顔をする。
「しかしのぉ、この宿では争いはご法度。ここで争った者は不幸な目にあってしまうのじゃ」
 そう言って団長が少し視線をずらした先には、腕を組んで傍観しているミツルギがいた。その顔にはいつもの笑みはなく、ただただ感情の読めない瞳で二匹を見つめている。
「残りの余生を不幸に暮らすのかの?」
 団長の言葉とミツルギの冷え冷えとした視線に、天狗と大入道は震え上がった。
「どうじゃ、ワシと一緒に飲まんかの?」
 にこやかに団長が言うと、二匹はしぶしぶといった様子で頷いた。
 一つのちゃぶ台を囲んで団長は天狗や大入道に酒をすすめるが、二人の間には未だに険悪な空気が漂っている。その様子を見ていた飛東は思いついたようにちゃぶ台の傍へと駆けていく。そしてあろうことかドジョウすくいを踊り始めたのだ。
 パンダがドジョウすくいとは前代未聞である。呆気に取られている二人の物の怪の隙を見て、団長はこそこそとお猪口に酒をついでいく。
 蓮花はその光景を黙って見ていたものの、ふいにその肩をイチに軽く叩かれる。
「私たちも踊りましょう」
「私の舞は中華風の剣舞アル。あなたは?」
「神楽舞ですよ」
 にこやかに告げると、イチは早速と言わんばかりに蓮花を別の部屋へと連れて行く。やはりというべきか、バスタオル姿で躍らせることはできないと思ったのだろう。そこで二人は着替えを済ませ、団長たちのいる部屋へと戻る。
 いつの間にか酒の進みがよくなっている三人の前に出て、蓮花は宝剣と青龍刀を構えた。静かに、けれど猛々しさを損なわない蓮花の舞に、天狗と大入道は言葉を失くした。イチも続くように神楽を舞い始める。
 竜宮城にも負けない美しい舞と美味い酒に、さっきまでの険悪な空気は消え去っていた。
 だが、怒りを忘れた者達は己の限界すら忘れてしまったようだった。その後、見事に泥酔した三人はだらしなく寝転んで、お猪口が畳の上に転がっている。翌朝になってイチがその片付けをしていると、ミツルギがまだ意識のある団長に声をかけた。
「どうもありがとうございます、団長さん。おかげで助かりました」
 深く頭を下げたミツルギに、団長は赤ら顔で笑いながら言った。
「何……これくらいのことは……」
 笑い上戸なのか、その後もずっと団長の機嫌のよさは続いたのだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【6873 / 団長・M / 男 / 20歳 / サーカスの団長】
【7317 / 桃・蓮花 / 女 / 17歳 / サーカスの団員/元最新型霊鬼兵】
【7318 / 飛東 / 男 / 5歳 / 曲芸パンダ】


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■         ライター通信          ■
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 初めまして、諸月みやです。この度は『宵待ちの宿 攻防戦』を発注してくださり、まことにありがとうございます。
 団長・M様の発想はとても独創的で、これもまた一つの戦い方なのだと思いました。とても勉強になりました。ありがとうございます。
 まだまだ未熟者ですが、もしまたの機会がありましたらば、ぜひよろしくお願いいたします。