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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


Ash to ・・・

「…遺灰を取り返して欲しい?」

 草間が顔を顰めて問い返した先。零に差し出された茶をおずおずと受け取った少女はその言葉に頷いた。ちらりと壁の張り紙を見て、僅かに項垂れる。張り紙――「怪奇ノ類 厳禁!」と書かれた、この室内で恐らく最も軽視されているそれを、彼女は不安そうに何度か眺めていた。
 どうも嫌な予感がしやがるな。草間は火のついていない煙草を片手に、少女のその所作をじっと観察する。
 おおよそ怪奇現象とは縁遠そうな、しごく普通の――いささか野暮ったい印象さえある少女である。年は17だと言っていたか。だが外見の印象など、「その手の話」に関係あるかどうかの判断に対しては一切あてにならない。
「遺灰、って、どなたか、亡くなられたんですか」
 茶を差し出したついでのように少女の隣に座った零に、少女が顔を上げた。見た目に年の近い零に、それまで張りつめていた彼女の緊張が傍目にも緩むのが分かる。先程よりもいささか明瞭な声で、彼女は零の方を向いて同意した。
「祖母の…なんです。祖母は一週間前に亡くなりました」
「…それは、ご愁傷様です」
 零が頭をさげ、草間もそれに倣った。少女は項垂れてはいたものの、「ありがとうございます」と僅かに微笑んだ所を見ると、それなりに離別の悲しさを乗り越えたものらしい。
「それで、問題なのは――遺灰?」
「はい」

 少女の依頼は単純明快。「盗まれた遺灰を取り戻してほしい」というものだった。
 だが、盗難ならば警察の仕事だ。それをあえてこの事務所へ持ち込んだということは、と草間はきな臭さにまた煙草を弄った。

「…警察へは?」
 それでも無駄と知りつつ問わずにはいられない。はたして、期待を込めた彼の問いには
無情な答えだけが返ってきた。
「警察では話を信頼してもらえなくって…その、盗んだ相手と言うのが」
 彼女は自分でも困惑しているのか、次に言うべき言葉を選ぶ間を置いて、ゆっくりと告げた。
「…私の友人の、錬金術師なんです」
 今すぐに断りたい、何としても断りたい。草間は心底からそうは思った。思ったのだが、少女を心配そうに見つめる零の様子と、何よりも、数日前に祖母を喪ったばかりだという少女の心細そうな薄い肩を見れば、そんな言葉は到底口には出せない。
 せめてもの抵抗は、一言、ため息混じりの愚痴をこぼすことだけだ。
「――本来ウチは怪奇事件はお断りなんだが、な」
「いえ、あの、すみません…」
「兄さん!!」
 俯いてしまった少女を庇うように、零がじろりと彼を睨む。ああ、そんな顔をしなくても、分っているさと彼は胸中だけで義妹に返し、少女を――たった今、「依頼人」になった少女に告げた。

「詳しい話を聴こう。あと、報酬についてもな」


**

 草間興信所には、主の意向――怪奇事件なんて関わり合いになりたくないのに、という――があるにも関わらず、様々なコネクションがあった。事務所に入り浸る妖怪変化の類やら魔法使いやら陰陽師やら、果ては、サーカス団に至るまで。

 事務所の扉が少々軋んだ音と共に開いた。いい加減修理しないとな、などとちらりと思いながら草間と零が同時に顔をあげる。
 僅かに開いた隙間からまず現れたのは、灰色の鼻先だった。依頼人の少女――入間由梨絵と名乗った――が小さく声を漏らす。
「い、犬?」
「……犬、じゃない…オオカミ…」
 次いで、灰色の大きな獣を従えるようにして、女性が姿を現す。涼しげなプラチナの髪を左でひとつに纏めた彼女、ミリーシャの緑の瞳が事務所内を一瞥して、由梨絵に目を止め、それから草間へ視線を移した。寡黙な性質の彼女が言葉を発するより先に、草間が口を開く。
「団長はお前らを寄越したのか。…まぁ、確かに人探しだからな、犬の方が鼻が利く分いいかもしれんが」
「……ミグは…犬じゃない…」
 似たようなもんだろ、と草間は肩を竦めた。釈然としない風にミリーシャはミグと呼んだ、足元に座る狼――更に正確に述べるなら、狼を模した霊鬼兵――を見やる。そのミグはといえば、不服そうに僅かに唸っただけでそれ以上の抗議はしようとしなかった。人より鼻が利く、という点については特に異論ない。
「こっちが依頼人。依頼の内容は聞いてるか?」
 こくんと頷くミリーシャ。ミグも同様に頷く。
「……遺灰を…盗んだ人を…探すって…」
「盗んだ相手は依頼人の友人だ。くれぐれも、手荒な真似は控えてくれよ」
 草間の釘をさす一言に、ミグがまた唸った。今度は少しばかり苛立ちのようなものを滲ませて、
「グルル…(訳:盗人に情けをかける必要があるのか?)」
 ――幸い、その発言はミリーシャ以外には理解できないものであったため、依頼人を怯えさせることもなかったが。
「…ミグ…依頼だから……」
 人間は理解し難い。そう言いたげに、ミリーシャの言葉にふいとミグは鼻先を明後日に向けた。
 


**

 ふじさき町はさして広い町でもない。ベッドタウンとは言うが、小さな駅と小さな神社と公園、それに公営団地をぐるりと囲む家々の立ち並ぶ、何の変哲もない町である。
「……神社には…人の気配が、ない…って…」
「そうみたいね」
 駅前のささやかな広場に立って、シュラインの隣で呟いたのはミリーシャだ。もう一人、否、正確には「もう一匹」、今回の依頼を引き受けたミグは、彼女たち二人とは別行動をとっている。
 シュラインの携帯にも、先行して偵察してきたミグからのメールが届いていた。いわく、「件の神社に、人の気配は無し。犯人は他に潜伏しているものと思われる。」とのこと。
「遺灰なんて、どうするつもりなのかしら?」
 携帯を閉じて、シュラインが溜息をついた。相手の行動を予測できればと思っての独り言だったが、ミリーシャが、ゆっくりとその自問に答える。
「……儀式に使う……とか…。ミグは…魔法薬の…調合に使うんじゃないかって…」
 なるほど、相手は錬金術師だ。ミリーシャとミグの考えには多少なりと説得力があった。
 シュライン個人の印象としては、依頼人の少女が「ことを荒立てたくない」と言うほどの友人なのだ。親しい相手の遺灰をそう粗末にするとも思えなかったが、もしも、ということはあり得る。
「急いだ方がいいかもね」
 ミリーシャがこくん、と頷く。そしてシュラインが開いた地図の一点を、とん、と指さした。少し入り組んだ構造になっている一角で、地図で見る限り、隠れる場所も多そうだ。件の神社と、駅の中間くらいの場所を指して、
「…私は…この辺りを探して、みる…」
 ちょうど彼女の発言の直後、まるでどこかで二人のやりとりを見ていたかのように、携帯にメールの着信。見ればミグからだ。
<俺は神社の裏手側から回ってみよう>
「それじゃあ私は、駅の方から回ってみることにするわ」
 何かあれば携帯に連絡して、と付け加え、シュラインは小脇に抱えたファイルから地図を取り出す。自身の持っているものと同じもので、既にミグには携帯のメールに添付するという形で送ってあった。
「もう一匹の彼にはもう届けてあるけど、ミリーシャさん、あなたにも。あった方が便利でしょ?」
 ミリーシャは頷いてから、地図を開く。意外と細々とした情報まで記されたそれと、クリップでとめられた二枚の写真――どうやら件の盗人の顔写真らしい――を眺めてから、まじまじとシュラインを見た。何か言いたいことでもあったのだろうか。だが寡黙な彼女は結局それを言葉にはせず、代わりに、ありがとう、というつもりで軽く頭を下げ、踵を返した。ただ歩いているだけのようで、驚くほどのスピードでその姿は住宅街に消えていく。
 ――心中、ミリーシャは密かに、シュラインはこれだけ有能で気が利くのに、どうしてあの小さな興信所で事務手伝いなぞしているのかと不思議に思っていたのだが、彼女はそうした気持ちを逐一口に出す性質ではないのだった。幸か不幸かは、さておき。
 他方シュラインはといえば、まさかミリーシャの考えなど読めるはずもない。ただミリーシャが何かを言おうとしていたことだけは察していたので、首を傾げた。何だったのかしら。そんなことを思いながら、駅周りを探索し始めた。


**

 駅の周辺には、平日の昼間と言う時間のためだろう。散歩をしているらしい老人や、時折走っていく幼い子供がいる程度で、あまり人の気配はない。仕事をサボっているのだろうか、タクシーの運転手が大きく伸びをしている。
 ぐるりとその様子を見渡し、シュラインは頬に手をあてた。
(やっぱり、目立つような場所には居ない、か…)
 お世辞にも広いとは言えぬ町ではあるが、たった二人の人間を探すのには少々広すぎる。どこから手をつけたものかと、頭に叩き込んだ地図と目の前の景色を見比べながら彼女が思案していた、その時だ。
 シュラインの鋭い聴覚が、辺りをのんびり歩く人々とは全く異質な足音を捉えた。
 緊張を含んで駆ける足音は、路地の一つから駅前の広い道路の方へと近付いて来る。少女らしく軽い音には、緊張こそあれども警戒の様子はない。咄嗟に、シュラインは彼女から見えぬよう路地の曲がり角のブロック塀に身を隠し、懐に入れた噴霧器に手を伸ばした。
 足音で距離を測り、少女が路地を飛び出した瞬間、シュラインは彼女へ手を伸ばした。存外、あっさりと少女の手首はシュラインに掴まれる。
 弾かれたように振り返った少女は、この近隣のものらしい茶色のブレザー姿の女子高生だった。赤い縁の眼鏡越しに、驚きをたたえて丸く瞠った瞳が見える。間違いない、由梨絵が写真で見せてくれた人物だ。
「――東雲、響名さん?」
 名を呼ぶと更に彼女の緊張はいや増したようだった。不審そうに眉根を寄せてシュラインを見つめている彼女が、鞄に提げた防犯ブザーに指を伸ばしているのを見てとり、慌ててシュラインは手を放す。これではまるで自分の方が不審者になってしまったようではないか。
「待って!危害を加えるつもりはないわ、安心して。私は、入間由梨絵さんに依頼を受けて来たの」
「へ?由梨絵に?って、…あ」
 そこまで言われて、彼女は――ようやく、自分を捕らえようとした人物の目的に思い至ったらしかった。鞄を両腕で抱えるようにして、
「やば、そういや由梨絵に許可取って無かったんだった」
 あたしってばうっかりしてたわ!と1人納得する少女・東雲響名に、シュラインはやや呆れの混じる苦笑を返す。
「分かってくれたのなら、良かったわ。それじゃ盗んだものを…」
 由梨絵さんに返してあげて頂戴。
 そう言おうとした矢先である。まさに「脱兎」と称するに相応しい素早さで、目の前の女子高生が踵を返した。
「ごめんなさーいっ!ちゃんと後であたしからも謝るから、由梨絵に謝っておいて、おねーさん!」
 ひらりと短いスカートが翻り、叫びを残して響名の後ろ姿は曲がり角に消えた。シュラインも後を追うが、曲がり角の先は入り組んだ路地になっている。いくら地図を頭に叩き込んだとはいえ、土地勘の無い彼女が追跡を続けるのは困難だ。
 油断したわね、と内心呻きながらも、シュラインはすぐさま次の行動に移っていた。携帯電話を取り出して位置情報をミグとミリーシャに送る。都合よく、彼女の逃げ込んだ先は先程ミリーシャが探すと言っていた場所だ。あれだけ騒々しく走り回っていれば、ミリーシャの方でも容易く気付くだろう。
 ――そして、手にしていた噴霧器を懐へ仕舞った。
 突然踵を返して駆けだした彼女に、シュラインは咄嗟に噴霧器の中身を噴射していたのだ。
 危害を加えないでほしいという依頼人の意向に沿って、中身は無害なバニラエッセンス。だが無害とは言え、強烈な甘い匂いをさせる液体だ。それなりの量を噴射したので、当分、匂いは消えないだろう。
<追伸、犯人は甘い匂いがしているはずよ。目印にして>
 メールに付け加えて、シュラインは携帯を閉じ、目を上げる。そしてふと、アスファルトの上に鮮やかなものが落ちていることに気がついて、首を傾げた。
 それがどうやら響名の落し物らしい、ということは、匂いで知れる。僅かに残る甘ったるい匂いにそう確信しながら、シュラインはそれを拾い上げた。
 それは、どこにでもある何の変哲もない、ただの一冊の絵本。真新しい絵本のタイトルに、シュラインははっとした。
「…もしかして」
 呟いて、シュラインは脳裏に刻んだ地図の情報を思い起こす。
 もしかして、彼女の目的地は――


**

 近所の飼い猫だろうか。ブロック塀の上で赤い首輪の三毛猫が昼寝をしている。そろそろ暖かくなってきた風に銀色の髪を揺らしながら、ミリーシャは辺りの気配を探っていた。
 この周辺は人家ばかりだと言うのに、シュラインが言っていた通り、驚くほど人の気配は少ない。空を飛んでいくカラスが呑気に鳴いているのがやけに響いた。
 シュラインからのメールによるとどうやら、件の窃盗犯の一人はこの狭い入り組んだ路地の方へと逃げ込んだようだ。ミリーシャは地図を開いて、自分の居場所を改めて確認する。幾つもの複雑な曲がり角だらけの、まるで迷路のような路地。土地勘のある人間ならば絶好の逃げ道に違いない。
 どこへ行こうか、辺りに耳を澄ましながら彼女がそんなことを考えていると。
 遠くの方からやたらと響く声で、カラスが大きくカァ、カァと鳴いた。それも恐らく一羽ではない、数羽が集まって騒いでいるようだ。ミリーシャは眉根を寄せたものの、決断は素早かった。
 ――どうせ移動するなら直線の方が早い。
 彼女は軽く地面を蹴ると、軽々とブロック塀の上へ飛び移った。何しろ入り組んだ路地なのだ、障害物を無視して一直線に進む方が効率がいい。
 華奢な体躯からは想像もできないような身体能力で、ミリーシャはそのまま民家の屋根へ飛びあがる。
 屋根とブロック塀、時には電柱にも飛び乗り、観客無しでも軽業師のような身のこなしを見せながらミリーシャがカラスの方へ近付いていくと、次第に、カラスの鳴き声以外のものも耳に届き始めた。これは――人の声だ。言い争うような押し殺した声が、二つ。
 ミリーシャは地図を引っ張り出した。何かの行事の際に写した集合写真だろう、数名の学生が無邪気な笑顔で写る写真の中に赤丸が二つ。赤い縁の眼鏡をかけた少女と、もう一人は焦げ茶色の髪を無造作に短く切った少年。
 足音を殺して、ミリーシャはアスファルトへ降りた。電柱を盾にそろそろと近付く。二人は口論に夢中なようで、ミリーシャには露も気付かぬ様子。
 そのミリーシャを、電柱の上からカラス達が見守っている。
「…あのな、俺はちゃんと許可をもらってると思ったから協力したんだぞ」
 ようやくミリーシャの耳にも届いた押し殺した声の主は、不服そうに腕を組んだ。左手に祓え串を持っている。学生服には不似合いなそれをくるくると振り回しながら、
「ヒビ、聞いてるのか」
「聞いてるわよ…。し、しかたないじゃない、うっかりしてたのよ、それに慌ててたし…」
 ブレザーのスカートを落ち着きなく弄りながら、鞄を抱えた少女が呻いて答える。
「とにかく、いいから今からでも、入間に電話して謝って来い!」
 ぴしゃりと言って、少女のおでこに祓え串を突きつける少年。それまで憮然としていた少女は、ふん、と鼻を鳴らした。
「大丈夫よ、秋野。世の中にはね、『事後承諾』って言う便利な言葉があるのよ!」
「ねぇよ。今回に限れば絶対にねぇ。いいから謝れいますぐ謝れ。ついでに俺にも謝れ。ドロボウの片棒なんか担がせやがって。さくらに顔向けできねーじゃねぇか!」
 まるで、彼の言葉に応えるようにカラスが一羽かぁ、と鳴く。――まるでその言葉を理解したかのように、否、実際に理解しているのだろうか。少年がくるりと振り返ってカラスを睨みつけた。
「うるせー、お前ら、さくらに告げ口なんかしやがったら、神社にカラス避けのでっかい奴置くから覚悟し…て…」
 ――少年の言葉は、そこで止まった。
 振り返った少年は、そろそろと近付いていたミリーシャにぴたりと目を合わせていたのである。――しまった。ミリーシャも思わず動きを止める。
(素人…と思って…ちょっと油断した…)
「に、逃げるぞ!!」
 まさに獲物を前に逃げ出す兎の如く。祓え串を持った少年と眼鏡の少女が駆けだす。が、相手はごく普通の――少なくとも身体能力においては――高校生だ。狩る側のミリーシャにしてみれば、容易く追いつける距離。アスファルトを軽く蹴った、と思った次の瞬間には、彼女の姿は二人の高校生の背中にまで肉薄していた。細い腕を伸ばし、ミリーシャが少年の肩を掴む。
 が、相手もさすがに無抵抗ではなかった。少年が素早く祓え串を振る。
「いわまくもかしこきふじのひめかみのみまえにもうさく、これにあるわざわいからまもりたまえさきみたまえとかしこみかしこみもうす」
 息継ぎ無しに紡がれるそれが何らかの呪文であろうことは容易に想像がついた。ミリーシャは少年の口を押さえこもうとしたが、その手が何かに弾かれる。見ればそれは花びらだった。どこかの裏庭から舞い込んだ花びらが、意思を持ったようにミリーシャの周りへ集まってくる。が。
「……無駄…」
 ミリーシャはその花びらを見極めていた。常人離れした動体視力でひらひらと動く花びらを捉え、かわす。そのまま少年の懐まで入り込むと、祓え串を持つ左手を手刀で一撃、腕を捉えて押さえつける。アスファルトに叩きつけると怪我をさせてしまいそうだったので、そこは加減して、腕を捻り上げるに留めておいた。
「いてててて!ちょっとは手加減しろよ!」
「……十分…してる…」
「してねーよ痛ぇよ!ってこらヒビ、待て!!」
「ごめんね秋野!あんたの犠牲は無駄にはしないわっ!!」
 暴れる少年を押えるミリーシャの目の前を、少女が駆け抜ける。さすがに二人は押えこめないと判断したミリーシャだが、彼女は然程慌てた様子も無く彼女の逃げる後姿を見送った。
「おい、いいのかよ逃がして。盗んだ遺灰持ってるのはあいつだぜ」
「…心配…ない…」
 ミリーシャは頷いて、空いている左手で角を曲がる彼女の方を示して見せた。そこには、
「ガウ(訳:逃がさん)」
 ――彼女の信頼する、相棒がいる。


**
 
 曲がり角を曲がった矢先に、響名は目の前に巨大な灰色の塊を見た。見た、と思った次の瞬間には、彼女の身体は地面に叩き伏せられている。
 何が起きたのか、彼女の動体視力では認識できなかったに違いない。
 気付いた時には彼女の目の前数センチのところに、恐ろしげな牙の並ぶ口が迫っていた。
「きゃ、きゃああああああ!?」
 甲高い悲鳴にその灰色の塊――ミグが鬱陶しそうに鼻を鳴らす。
「グルル…」
 響名にしてみれば恐ろしげに唸っているようにしか聞こえないが、実際には彼は彼なりに投降を呼びかけていたのだった。残念ながら通訳を兼ねてくれるミリーシャは少し離れていたので、彼の意図は伝わらなかったのだが。
「いやー!助けて食べられちゃうー!!」
 ――涙目になって叫んだ響名は、命の危険を感じた人間のまさに「火事場の馬鹿力」を発揮した。落ち着け、とミグが宥める間も、悲鳴に気付いたミリーシャが彼女に近付いて落ち着かせる間さえ無い。彼女が手探りで鞄から取り出した本が、魔力を発した、とミグが気付いた時には、彼の身体は「何か」に吹き飛ばされていた。
 くるりと回転して地面に着地したミグが見たのは、どこから現れたのか、ホウキにまたがる少女の姿だ。短いスカートの裾を気にする余裕さえなく、半泣きの状態で少女はそのまま――空を、飛んだ。
「うえええええんっ、助けてええええ!!」
「…ミグ…おどかしすぎ…」
「グル…(訳:いや、そんなつもりは…)」
 やれやれ、と溜息をついてミグは辺りの気配に耳を澄ます。幸いにしてこの騒ぎにも関わらず、人が近付いてくる様子はなかった。
「…追いかける、の…?」
 ミリーシャの問いに、ミグは行動で答えた。
 ――ミグは怨霊を操り己の武器と成す。一機の戦闘機の怨霊を、彼は己の翼として実体化した。
 少女の飛んで行った方向は、覚えている。短時間で捕らえれば周囲から目撃されることもあるまい。実際、助走をつけて彼が飛んですぐに、空飛ぶホウキを見つけることが出来た。
 彼女の向かっている先は、小さな児童公園のある方向のようだ。
 ミグは地上のミリーシャに一声吠えてそれを伝えると、スピードを上げてホウキを追い始めた。

**

「…婆ちゃん、頼みって何?」
「いえね。もっとずっと先の話なんだけど。…響名ちゃん、不思議な道具を作ることが出来るんでしょ?」
 ――それは由梨絵の祖母が、病床につく前のことだ。
 響名は、入間家に遊びに行った際に、彼女に呼ばれてある頼みごとをされていた。
 響名の師匠でもあった曽祖母と、入間家の祖母とは付き合いがあった。その為、響名の一風変わった「特技」を、由梨絵の祖母は詳しく知っていたのである。
「――お願いがあるの。私が死んだら、その灰で……」

**

 響名が児童公園に到着したのは、ミグより僅かに先んじてのことだった。
 小さな砂場にブランコ、滑り台がひとつだけ。住宅街の真ん中の、神社に程近い公園は、本当にささやかな遊び場だ。
 ちょうど昼時のこの時間は、幼い子供達も昼食を食べているのだろう。幸い人の気配は、ない。
 否。

「…やっぱり此処へ来たのね」

 苦笑しながら現れた女性に、響名はぎょっとして身構えた。防犯ブザーに手をかけようとして――
 ちょうどそこへ、ミグが下りて来た。シュラインに目の前を、背後をミグに挟まれ、響名は「降参」と言った風に手をあげる。それでも鞄は持ったままだったが。
「んもう。由梨絵の奴、いったいどこに頼んだら、こんなとんでもない人材が出て来るのよ」
 苛立たしげに呟いた響名の言葉に、耳ざとくシュラインが返した。
「それは褒め言葉として伝えておくことにするわね」
 武彦さんはどんな顔をするかしら。シュラインはそんなことをちらりと考えたが、彼ならきっと、好きで築いた人脈じゃあない、と嫌そうな顔をするに違いない。
(今頃くしゃみでもしているかもね、武彦さん)
「――でも、何でここに先回り出来たの、おねーさん」
 口をとがらせた響名の表情は、悪戯が失敗した子供そのものだ。
「これ。落したでしょう」
 シュラインが取り出したのは、彼女の落した絵本だった。僅かに甘い匂いを残すそれを、ミグが不審そうに見やる。
「『はなさかじいさん』と言ってね。日本ではポピュラーな昔話よ」
 恐らく日本の童話など無縁なのだろう、ミグに説明するつもりでそう告げてから、シュラインはぱらりと、その一項をめくる。枯れた桜の枝に花を咲かせる老人の姿が描かれたページだ。
「グルル…(訳:だが、昔話がこの娘と何の関係がある?)」
 通訳を兼ねるミリーシャは不在だったが、ミグの声の調子の、不思議そうな響きを聴きとることはできる。シュラインは響名を見、ミグを見て、続けた。
「…この昔話にはね、愛犬の灰で、桜の花を咲かせるというくだりがあるの。…響名さん、もしかしてその遺灰で、桜を咲かせようとしていたんじゃない?この公園の、枯れてしまった桜の木に」
 シュラインの示した先には、枝ぶりも立派な樹齢百年ほどだろう桜の木があった。
 確かに、枯れているのだろう。初夏にもなるのにその木には葉の一枚さえついていない。
 響名は、不愉快そうに顔をくしゃくしゃとしかめた。せっかく仕掛けた罠を先回りされた、とか、或いは出したなぞなぞを一瞬で解かれてしまった、とか、そういった類の不愉快さを示した表情だった。
「そーよ、あたしは生前のお婆ちゃんに頼まれて、作ったの!お婆ちゃんの灰で…桜の花を咲かせるマジックアイテム!!」



 ――あなたの力を使って、私の灰で、桜を咲かせることが出来ない?
 皺くちゃの顔で無邪気に、悪戯っぽく笑った、由梨絵の祖母の表情を、響名はありありと思い出せる。
 ――公園の枯れ木があるでしょう。あれにね、桜、咲かせてほしいの。あなたなら、出来るでしょう…?



「ついでに言うと、この町には、桜の神様が居るからな。桜が咲けば、力が多少なりと戻るんだ」
 そこへ、少年の声が加わった。シュラインとミグの見やった先、公園の入口に、ミリーシャに引きずられるようにして学生服の少年が憮然とした表情で立っている。
 彼は桜の枯れ木の方へ、ゆっくりと歩み寄った。
「…入間の婆さんは、さくらの奴をよく拝んでくれてたからなぁ。さくらのことを心配してくれたのかもしれないな」
 さくら、と彼が親しげに呼んだ名に、ミグがぴくりと耳を動かす。カラスが口にしていたのと、同じ名前だ。
「グルル…(訳:この町の、カミサマとやらか)」
「…この町の…かみさま…?」
 ミリーシャが不思議そうに問い返したが、口をとがらせた少年はその問いには答えずにぼそぼそと呟く。独り言のようだった。
「さくらは、弱ってるんだ。ここのところも寝込んでて、顔見せねぇし」
 溜息をついたところを見ると、彼はその「神様」と親しいのだろう。憂鬱そうな彼の表情に、しかし頭上からカァ、とカラスの声がした。ミグが顔をあげると、電線の上の一羽のカラスが、厳しい調子でこう告げている。
<お前なァ、だからって他人様に迷惑かけんじゃねぇよ。さくら様だって、喜ばねぇだろう>
「うるせぇな、分ってるよ…反省してる」
 ふむ、とミグはカラスと少年を見比べた。周囲は藤の言葉の唐突さにきょとんとしていたが、ミグだけは、彼が何を言っているのか理解していた。
「とにかくさ。どうしても枯れ木に桜を咲かせたかったんだよ、俺も、ヒビも」
「理由は分かるけどね…」
 シュラインが腕を組む。ミリーシャがぽつりと、言った。
「…盗みは…よくない…と、思う…」
「俺は盗んだつもりはなかったんだよ!」
 じろり、と藤に睨まれた響名が、気まずそうに身じろぎする。
「あ、あたしは後でちゃんと許可はとるつもりだったわよぅ」
 それぞれの抗弁も、盗んだ理由も分かったが――矢張り、依頼は依頼だ。不安そうに草間興信所のソファに座っていた依頼人の姿を思い出し、シュラインが厳しく二人を一瞥する。
「故人の遺志だというのは分かったわ。でも、やっぱり、遺族の意思も大事よね?」
 窘めるようなシュラインの口調に、響名が憮然としてそっぽを向く。が、本人なりに反省はしているらしい。しょげた様子で、彼女はポケットから携帯電話を取り出した。
「…分かったわ。今から由梨絵や、由梨絵の両親にも謝って、ちゃんと確認する。これでいい?」
 まだ不服そうな口調ではあった。が、これで一件落着だろう。
 ミリーシャとミグも目を交わし合い、シュラインが大きく安堵の息をついた。

** 


 依頼を終えてサーカス団に帰る途中、ミグはふと本屋の前で足を止めた。ミリーシャが少し首を傾げてから、ミグの視線の先を辿って、納得した様子で頷く。
 本屋の店頭には、児童向けの絵本が回転棚に入れて置かれていた。もちろん、その中には、「花さかじいさん」も並んでいる。
「…買う…?」
 ミグは苦笑する風だった。声にはせず、いや、と首を横に振る。絵本なんて買って帰った日には、サーカス団の面々に一体どんな顔をされるやら。
「…桜…咲く、かな…」
 絵本の方にじっと視線を据えたまま、ミリーシャがふいに呟いた。ミグはどうだろう、と考える。あの少女、東雲響名は、それなりに腕の立つ魔道錬金術師だと名乗っていたが。
「…見に…行ってみる…?」
 ミリーシャが、ぽつりと言う。ミグは彼女の顔を見上げ、耳をぴんと立ててから、ふん、と鼻を鳴らした。
 ――否定、ではない。ミリーシャの表情は相変わらず無表情だったが、わずかに緑の瞳に、好奇のようなものがきらりと浮かんで、消えた。

「…うん…行ってみよう、か…」

 初夏に咲く、桜の花。
 絵本の表紙に咲いたピンクの花びらを、一人と一匹は眺めていた。





◆◆登場人物◆◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
6814/ミリーシャ・ゾルレグスキー/女性/17歳/サーカスの団員/元特殊工作員
7274/ー・ミグ/男性/5歳/元動物型霊鬼兵

◆◆ライターより◆◆

初めまして、夜狐と申します。お待たせいたしました。
飛び込み参加大歓迎です(笑)ありがとうございます。
ミグさんとの絡みで活躍させたかったのですが、どうでしょうか。ちゃんと描けていると良いのですが。

ではまた、機会があればよろしくお願い致します。
今回はご参加ありがとうございました。