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<東京怪談・PCゲームノベル>


Black crow


 デリク・オーロフの手から転がり落ちたのは、一つの鈴であった。ラピスラズリで作られ、黒い紐が付けられた鈴。それはりりんとかすかな音を立て、白い床へと転がった。
「どうやら、彼から話があるみたいだね」
「それとも、あなたが望まれたのでしょうか」
黒い少年と白い少女が呟く。青い空の下、二人の肌は妙に白く見えた。
 果たして、何が起きようとしているのか。デリクが二人に問いかけようと、口を開きかけた時の事だ。ひゅうと一陣の風が後ろから前へと通り抜け、床に落ちた鈴を再びりりんと鳴らした。直後、鈴から二枚の白い羽が生える。それは鈴を包み込み、一瞬の内に膨れ上がると、音も立てずにはっと弾けるようにして散った。少年と少女はもう居ない。舞い落ちる白い羽毛を見つめ、デリクはふうと溜息をついた。この世界で「何故」と言う言葉は意味をなさないのだろう、と言う結論に辿り着いたのだ。


 鈴の音は聞こえない。舞う羽毛の中から姿を現したのは、歳二十代前後の青年であった。座り込んでいた羽毛の中から立ち上がり、それを払う。すぐに風が吹いて、羽毛を攫っていった。羽毛は風に流され、空の天辺あたりで鳩になった。
「いやはや、これは面妖なことでスね」
眼鏡を人差し指でくいと持ち上げ、目の前の人物を見据えるデリク。浅黒い肌に短い黒髪、そしてラピスラズリの色をした瞳を持つ青年。これはまさしく墨哭鈴……あの深く青い色をした鈴が変化した姿だ。墨哭鈴は腰へ手を当て、もう片方の手で銀色のアクセサリ――それは体中至るところに飾られている――を弄った。

「墨哭鈴? どうしたんですカ、いきなり」
「どうしたもこうしたもねえだろ」
 それは非常に不機嫌である様だった。低い声で唸るように返事を返す。
「俺はあんたの所持品になった。それからなんだ、ただ持ち歩かれるだけのそのへんの鈴と一緒にされてるじゃねえか」
デリクはその様子を黙って見ていた。何も言い返せないのか、それとも。
「俺のことが嫌いか? なんだったらさっさと売り払っちまえよ。壊れるまでただの飾りとして生きるなんざ、ごめんだね」
「別に、嫌ってなど居ませンが」
墨哭鈴が眉間に皺を寄せる。道具と会話するのも大変な物だ、と、デリクは心の中で苦笑した。


 使い込まれた道具には心が宿るとか、物には魂があるとか、そう言う噂はよく耳にする。一面の白い床。空はどこまでも青く、雲ひとつ無い。飛び交う白い鳩。欠片のような白い羽。信じ切っている訳ではないが、無視することも出来ない言葉だ。ふと見た自分の道具がどう思っているかなんて推し量る事は出来ないのだが、時折何かを訴えてきているような気がする時がある。そして、その物との思い出に溺れるのである。はたしてこの物は意志あってここへやってきたのか。「もの」という呼び名が妙にしっくり来る瞬間だ。白い鳩が尾羽を広げて空の途中に座っている。そこに止まり木など無いと言うのに。赤い目でじっとこちらを見ている。何を話しているか理解できるはずも無いのに。いや、鳩でも、無機物でさえも人の言葉を理解できている可能性はゼロではないのではないだろうか? しかし、言葉を理解して何になるというのだろう。無機物はあくまで無機物であるのだ。ただここが夢の中であるだけで。
 夢から覚めれば。また物は「待つ」だけの存在になる。何も言わず、何も愚痴らず、表情をふいとも変えず。自らの運命を所有者に委ねる、いつ消えてしまってもおかしくない存在に。道具とはどうあるべきか、その答えを知るものは少ない。そもそも所有者と所持される物と言う関係が妙なものであると言われ始めたら、この世の説明書を一から書き直す必要が出てきてしまう。この世は、今のままである方が楽なのだ。


「私は、道具に頼りっぱなしになる状況が嫌なんでスよ。現に、あなたの事はいつも持ち歩いているでショウ」
 薄い笑みを浮かべながら、デリクは再び眼鏡の縁を持ち上げた。墨哭鈴は視線を合わさず、ただアクセサリを弄っている。
「本当に嫌っているのなら、この夢の中にそもそも出て来ないんじゃないでショウか」
辺りを見渡し、くすりと笑った。止まり木の無い空に座る鳩たち。その青い瞳で空を見つめ、墨哭鈴は腕を組んだ。
「俺はお前に所有される運命だった。だからこそここに居る」
鳩が首をかしげる。墨哭鈴が足で地面を突付き、鋭い視線でデリクの瞳を覗いた。
「今までの出来事で、俺に手伝える事が幾つあったと思う。俺が居るべくして居ると言う証拠を見せてくれよ」
道具にとって生きる意味とは、あるべく場所にあること、使われるべき場所で使われることなのだろうか。それとも、この言葉は彼に限ったことなのであろうか。彼の考える物の存在のあり方と言うのは、ここにあるのだろう。デリクはくくっと肩を震わせるように笑い、解りました、とでも言うように手をひらつかせた。
「ええ。これからは少しずつ、考えていきますヨ。……そうだ、今度銀の足輪を買ってあげまショウ。どうです?」
両手をポケットへ突っ込み、墨哭鈴はぼそぼそと何か口篭もった。それが現すことが肯定であっても否定であっても、夢はもう覚める。一羽の鳩が空から降りてきたのだ。

「あんたが本当に俺を大切にしてくれているか、必要としているのか。解るまで、俺はきっと着いて行くだろうぜ」
 はらはらと降ってくる白い羽毛を避けることなく、墨哭鈴は言った。デリクは頷き、「想いがあるのなら答えるだけでス」と、肩を竦める。落ちた羽毛は翼の形へと膨らんでいき、目を閉じた墨哭鈴を包み込んだ。それが浮き上がり、空を飛び先導する鳩になるまで、そう時間は掛からなかった。羽音と小さな鳴き声。他の鳩がじっとデリクを見つめている。


「物が呼ぶ声、そして物に呼ばれる人。僕はそれが本当に好きだ」
 黒髪の少年がどこかで呟く。見えない大木の枝に腰掛けて、夢から覚めるデリクを視線だけで追う。
「呼びかける声、答える声。私はそれをなんとかして伝えたいのです」
白髪の少女が目を伏せる。透き通るような白い肌は青い空から降り注ぐ光に照らされ、白い鳩の羽毛と同じくらい艶やかに見えた。直後、その枝から二羽の鳥が飛び立つ。白い瞳のカラスと、赤い瞳の白鳩だ。
 無限に思われる夢の空間は、本当ならもっと狭い。人が両手両足を広げるか広げないかの内に一杯になってしまうような場所だ。かすかに香る木の匂いは、古い建物へ入り込んだ時の不思議な期待感を思わせる。夜人が眠りに付いた後、物達のお茶会が開かれていないと誰が証明出来るだろう。彼らは知らぬ間に人々へと思いを伝えようとしているのかもしれない。自分の事を忘れないでくれと。道具が一番恐れているのは、自分の存在が金に置き換えられることなのだろうか。それとも、記憶からすらも消されてしまう事だろうか。



 デリクが辿り着いたのは、小さな喫茶店だった。そう、鳩を追って入ったはずの喫茶店だ。いつともなく辿り着いていた。ほんの一瞬だけ眠っていたのかもしれないし、本当に別の空間に迷い込んでいたのかもしれない。夢だったのか現実だったのか、何ともいえないあの空と床だけの世界は、もう影もなく消え去っている。

「いらっしゃいませ」
 ひとりカウンターに腰掛けていた店員が言った。
「どうぞ、お好きな席にお掛けください。……飲み物は何に致しましょう?」
デリクはそっと窓の縁を見た。鳩は居ない。ただ、白いティーポットが置いてあるだけだ。
「では、そのポットに入っているのを、一つお願いしまス」
「解りました。アールグレイのアイスティーになります」
グラスへ氷を入れる音をよそに、デリクは墨哭鈴を取り出した。窓から差し込む光にラピスラズリがきらきらと輝き、黒い紐に吊るされればちりんと音を鳴らす。夢の中に入った時、デリクは何の疑いもなくあの青年をこの墨哭鈴だと思った。勿論、これが地面に転がり落ちたと言うこともあるのだが……よくもまあ、何とも言いがたい直感が働いたものである。

『想いがあるのなら答えるだけでス』
 自分の言葉が、自分の脳裏に反芻される。そう、想いがあるのなら答えるだけだ。黒い紐をゆらゆらと揺らし、再び鈴を鳴らす。店の外で踏み切りが鳴り出した。鈴の音と踏み切りの音が重なり、一つの思い出をなぞるような音を新しく生み出す。写真にするならセピア色の色彩が似合いそうだ。ふとそんな事を考えて、一人微笑んだ。

「どうぞ、アイスティーです。シロップとミルクはこちらになります」
 グラスと一緒に、白い小さなミルク差しとガラスの容器に入ったガムシロップが出される。ストローで氷と共にアールグレイをかき混ぜれば、鈴に似た音が響いた。店員はカウンターの奥の椅子に座った。その隣には、いつから使われているのだろう、少し傷が付いた黒電話が置かれている。景色になじみ、そこにいるのが当然だとでも言い張るように。

「いつかこれも、私の元にいるのが当然になるのでしょうネ」
 墨哭鈴を手の中で転がしながら、なんとなく零した言葉。
「そうでしょうね」
店員が言葉を返す。カウンターの向こう側には、白いティーカップが並んだ食器棚。ここに生きる「物」達は……一体いつから必要とされ、そして今まで生きてきたのだろう。今でもずっと、ここに居てよかったと思っているのだろうか。想い想われ、そしてお互いに答え、物と人は同じ道を歩んでいくのだろう。デリクはアールグレイを一口口に含んだ。独特の香りと味が広がる。
「この紅茶、美味しいでスね。なんとなく、ですガ」
「ありがとうございます。十年付き添ってきたティーポットで入れた紅茶ですから」
一人そうかと納得し、微笑んだ。電車が線路を横切る音。かすかに音を立てる食器たち、踏み切りの歌声。夢から覚めた後の時間はまた、同じようにゆっくりと過ぎて行った。


おしまい

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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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PC/デリク・オーロフ/男性/31歳/魔術師

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ライター通信
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デリク・オーロフさん、はじめまして。北嶋と申します。
この度は「White Dove」にご参加くださり、真にありがとうございました!
墨哭鈴との対話、如何でしたでしょうか?
道具と人の関係について、雰囲気を出そうと頑張ってみたのですが……
もしもお気に召しましたら幸い、と言うことで。

またお会いできる日がありましたら宜しくお願い致します。
では、北嶋でございました。いつかまたどこかで!