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<東京怪談・PCゲームノベル>


宵待ちの宿 日常風景・歌鴉


 夏も近づくある昼下がりのこと。特別行く宛もなくさ迷い歩いていた鳥塚がふと足を止めたのは、一軒の古ぼけた日本家屋の前だった。
 簡素でどこか温かみのある門には『宵待ちの宿』と刻まれた札がかけられている。
「宿、ですか」
 誰にとでもなくぽつりと呟く。
 太陽がさんさんと陽光を注ぐ中でも、満月が眩しい夜でも、決して光の宿らない鳥塚の瞳には確かに一軒の宿が映っている。
 ――どこか自分と同じような香りがするのは気のせいだろうか。
 特別目立つわけでもなく、かといってその場の景色に溶け込むようでもない。ただ、そこにあるだけの宿。けれど、懐かしい感じがする。
 しばらくの間、じっと門を見つめていた鳥塚はおもむろに宿の敷居を跨ぎ、ガラス張りの引き戸に手をかけた。
「宵待ちの宿へ、ようこそいらっしゃいました」
 戸を引いた鳥塚をそう言って出迎えたのは、金髪の若い女だった。その隣には同じ金髪の男が立っている。後者に見覚えがある気がするのはこの際、置いておこう。
 一見すると兄弟のようにも見える二人は、まるで初めから鳥塚が来ることを知って待っていたかのように極々自然な様子で玄関先に立っていた。
 けれど、鳥塚がこの宿を訪れたのは偶然で、予約なんてものはもちろんしていない。自然すぎる二人の存在は逆に不自然さを醸し出していた。
「宿を一晩、とりたいのですが」
「ではこちらの宿帳にお名前をお願いいたします」
 金髪の男がどこからともなく取り出した宿帳と筆を受け取り、鳥塚は空欄に『鳥塚』とだけ名前を綴った。
 綴った名前はフルネームではないのだが、男は特別気にした風もなく宿帳を受け取るとにっこりと微笑む。
「鳥塚様が当宿を訪れるのは初めてなので、当宿の説明をさせていただきたいと思います」
「…説明ですか?」
 男の言葉に、鳥塚は少々厄介な宿に来てしまったかと思ったのだが、それは杞憂に終わった。
 なんてことはない。この宵待ちの宿には、人間や鳥塚のようなそうではない者達が集うが、ここでは争いはご法度。決して暴力沙汰はしないようにという忠告だけだった。
 暴力沙汰が法度なのは、どこの宿――それこそ人間の経営するようなホテルでも同じようなものである。今更、気をつけることもないだろうと鳥塚は異論なく頷いた。
「ご存知でしょうが私はミツルギ、こちらは妻のイチと申します。御用があればなんなりとどうぞ」
 男――ミツルギがそう言って下がった後は、ミツルギの妻であるというイチという女が簡単に宿の間取りを鳥塚に教えた。 
 それから鳥塚の使う部屋まで案内されたものの、いかんせんまだ昼間である。こんなに日の高い内から惰眠を貪る気にもなれず、鳥塚は部屋を出て宿の散策を始めることにした。

 寂れているのか廃れているのか――ああ、どちらも同じような意味だった――宿の中には、客らしい姿はほとんど見当たらなかった。食事時でもない今は一階にある食堂には誰もおらず、何を考えて作ったのか、地下にある厨房ではイチが忙しなく何かを作っている。
「あら、鳥塚様。どうなさいましたか?」
 鳥塚の気配に気づいたイチはにっこりと笑って声をかけてくるけれど、仕事の邪魔をしては悪いだろうと鳥塚もにっこりと笑って、「いえ、ただ宿の散策をしているだけですよ」
 すると、イチは鳥塚が暇なのだとそれとなく察したらしかった。作業をする手を止めて口を開く。
「それでしたら宿の庭を見てはいかがでしょうか。この時間なら、小鳥たちが梅の木で戯れていますよ――まあ、時々人面鳥も訪れますが」
 ――最後の人面鳥云々は聞かなかったことにしておく。
 イチに言われて鳥塚は一先ず、宿の庭園に向かうことにした。
 玄関まで戻って外に出るのも面倒なので、和室を横切って縁側から外へ出ようとしたところ、そこには先客がいた。
 微かに日の光が当たる陽だまりで、齢15歳ほどだろうか――少年が丸くなって眠っている。人間、のようにも見えなくもないその少年は、けれど人と呼ぶには必要のないものがついていた。
 二又に分かれた尾と、茶色い髪の合間から覗く猫の耳――
 以前にも会ったことがある。名前は確か、
「ヤサカニさん」
 小さく呟いた鳥塚の声に、猫又の少年――ヤサカニの耳がぴくりと動いた。
 ヤサカニは身じろぎをしてちぢこめていた首を伸ばし、目を開ける。金色の瞳が床から鳥塚を見上げた。
「あれ……おまえ?」
「お久しぶりですね。鳥塚です。今晩この宿でお世話になることになりました」
「ああ、お客さんかあ」
 のっそりと体を起こしたヤサカニは一つ景気のいい欠伸をしてから眠そうに目をこすった。
「元気そうだな、鳥塚」
「ヤサカニさんこそ、お元気そうで」
「おいらは元気が取り得だからな」
 以前とは見違えるような明るい笑顔でヤサカニはからからと笑った。
「ところで鳥塚。おまえ、何してるんだ? こんな時間から宿に来るお客なんてそんなにいないぞ」
 興味津々と言った様子で鳥塚の顔を見上げてくるヤサカニに、鳥塚は少しだけ笑ってその隣に腰を下ろした。
「この宿には偶々――そうですね、自分と同じ匂いがしたので立ち寄ってみただけです」
 ヤサカニと目線を合わせて言った鳥塚に、ヤサカニは「ああ」と呟いた。
「おまえ人間じゃないもんな。おいらも猫又だし」
 そう言ってぴこぴこと耳と尻尾を動かす。
 鳥塚はなんとはなしにその耳と尻尾の様子を眺めながら頷いた。
「そうですね。ミツルギさんはともかく、イチさんもそうなのではないですか?」
 と、ヤサカニの耳と尻尾がぴんと伸びた。
「すっげえ。よくわかったな。イチさんも変化が得意なのに」
 驚いているのだろう。表情だけでなく尻尾や耳にまでしっかりと感情の変化が見られるヤサカニに、鳥塚はくすりと笑った。ずいぶんと子供らしくて微笑ましい。
「なんとなくですよ。狐みたいな方だと思って」
「そうそう。イチさんもミツルギさんと同じで狐なんだ。尻尾なんか九つに分かれててさ、おいらもあれくらい尻尾が欲しかったなあ」
「猫又の尾は二本ですから、九本は無理ではないでしょうかねえ……」
「そうなんだよな――って、あれ、今喋ったの鳥塚?」
「いいえ、私は何も言っていませんよ」
「え、じゃあ……」
 ゆっくりと首を横に振った鳥塚を見て、ヤサカニは目を白黒とさせた。反して鳥塚は声の降ってきたほうへと目を向ける。それと時を同じくして、屋根の上から黒い影が降ってきた。
「うわあ!」
 悲鳴を上げて後じさったヤサカニが、後ろにあった障子にごつんと頭をぶつけた。蹲るヤサカニに鳥塚が「大丈夫ですか?」と声をかけると、屋根から降ってきた影が立ち上がる。
「すみません。口を挟むつもりはなかったのですが、私どもの話が聞こえたので」
 日差しに金色の髪が煌いて、そこでようやく降ってきた人物が宿の主であるミツルギだとわかった。
「ミツルギさん、どちらにいらしたんですか?」
「ええ、今の今まで屋根の上におりました。今日はとても日和がいいもので船を漕ぎそうになっていたところです」
「ヤサカニさんと同じようなことをしていたんですね」
 ――これではどちらが猫だかわかったものではない。
 鳥塚の心の内を見透かしたかのように、ミツルギはにこりとして言った。
「狐はネコ目のイヌ科だそうですよ。人の定義としては、ですが」
「どっちだかわかりませんね」
「人間の考えることですから。その逆もまた然り、ですが」
 くつくつと笑うミツルギは、相変わらずどこか飄々としてつかみどころのない性格のようにも思えた。
 ――最も、鳥塚に言えることではない。
 障子に頭をぶつけて蹲っていたヤサカニは目じりに涙を溜めて、ミツルギを見上げた。
「ミツルギさん、そうやってどこからともなく出てくるのやめてくれよ。おいら、肝が冷えるよ」
「ああすみません」
「全く、宿が神出鬼没ならその主も主なんだもんなあ」
 ぶつぶつと文句を言うヤサカニの様子に、ミツルギは困ったように笑う。
「そう拗ねないでください。今頃、イチが鳥塚様のために団子をこしらえているはずですよ」
「それ本当?」
 ヤサカニがぱっと目を輝かせた。鳥塚もミツルギの言葉にふと思い出す。
「そういえば、先ほど調理場で何か作業をしてましたね」
「おや、そうでしたか」
「そうでしたかって……ご存知だったのでは?」
 予想外の反応を返したミツルギに鳥塚がことりと小首を傾ぐと、ミツルギは「いいえ」と首を振る。ではどうしてと鳥塚が問えば、ミツルギは穏やかな微笑を浮かべた。
「夫婦、ですから」
 そう微笑むミツルギから溢れ出る感情の波は、鳥塚が感じたことのない類のもので鳥塚は少しだけ戸惑った。言葉に詰まった鳥塚をミツルギは慈しむように笑む。
「いずれ、わかる時がくればよいのですが」
 ――何が、とは問いかけることはできなかった。
 そんな二人の様子を見て蚊帳の外だったヤサカニが口を曲げる。
「ミツルギさん、惚気だったら他所でやってくれよ。おいらもうお腹いっぱいだよ」
「そうですか。でしたら、イチの団子はいらないのですね」
「違う! そういうお腹いっぱいじゃないってば!」
 慌てて声を上げるヤサカニに、今度は鳥塚もミツルギと一緒に笑った。

「鳥塚様、よろしかったら甘味でも――あら、ミツルギさん、いらしたんですか」
 そこへひょっこりと顔を出したのは、話題に上がっていたイチだった。手にしたお盆の上には山積みになった団子と三つの湯のみ。
「本当に団子を作っていらしたんですね」
「え? ええ、まあ……」
 ちょっと驚いた風に鳥塚が呟くと、縁側に団子の載った皿と湯のみを置いていたイチはきょとんとして首を傾げた。
「もしかしてお団子はお嫌いでしたか?」
「いいえ、いただきます」
 鳥塚はそう首を振って見せ、団子を口に含んだ。たれもあんこもついていないが、団子そのものの素朴な甘さが口の中に広がる。
 ――おいしい。
 団子を咀嚼しつつ鳥塚が湯のみに手を伸ばしたところで、ミツルギが言った。
「湯飲みが一つ少ないようですね。イチ、おまえが飲みなさい」
「いいんですよ、私はミツルギさんと一緒に飲みますから」
 そんなミツルギとイチのやり取りを鳥塚がしげしげと眺めながら茶を飲んでいると、ふいにヤサカニが言った。
「なあ鳥塚」
「なんですか?」
「なんか聞かせてよ」
 なんの脈絡もなくねだりだしたヤサカニの声に、イチが顔を上げて不思議そうにした。
「聞かせる……? 鳥塚様は吟遊詩人か何かなのですか?」
「ええ、このギターを弾きながら各地を回っているんです」
「そういえばそうおっしゃっていましたね」
 鳥塚が背負っていたギターを見せるとミツルギが思い出したように言う。そこで空かさずイチが口を開いた。
「よろしければ一曲弾いていただけませんか? 私が舞わせていただきます」
「いいんですか? それでは是非」
 にこりと鳥塚が笑む。ヤサカニは団子の串を加えて嬉しそうに笑った。
「ミツルギさん! 歌と舞ときたら、やっぱりあれだよな!」
「はいはい、わかっていますよ」
 ヤサカニに促されるような形でミツルギがふいに庭に植えられた一本の木へと歩み寄った。かと思いきや、懐から一枚の札を出して木の幹に貼り付ける。
 とたん、枝に茂っていた青葉はみるみる内に縮み始め、終いには固く結んだ木の芽になってしまった。鳥塚が何をしているのだろうと目をしばたかせていれば、やがて枝に白い花が咲き始める。
「これは……」
「梅の花ですよ。時期外れですが、そこから眺めるにはこの木が一番いい」
 ミツルギが振り返って鳥塚を見、それからイチへと目を移す。イチは心得たとばかりに帯から扇を取り出して広げた。
「それでは一曲、お願いいたします」
 満開の梅の木の下、優雅な仕草でイチが礼をする。鳥塚は微笑んでそれを受けた。
「わかりました」

 弦を爪弾く音がする。季節外れの梅が咲き、少し汗ばむ陽気の中、軽やかな旋律が流れ出す。それを追うのは小さな手拍子。
 季節を間違えた異界のウグイスが迷い込み、梅の木に留まって歌いだす。そよいだ風に儚く散る淡雪のような花弁の下で、金糸と鮮やかな色の扇が乱れ舞う。

 それはどこか遠くの世界。宵待ちの宿のとある日常風景。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【7566 / 鳥塚・きらら / 女 / 28歳 / 鴉天狗・吟遊詩人】


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■         ライター通信          ■
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 初めまして、諸月みやです。この度は『宵待ちの宿 日常風景』を発注してくださり、まことにありがとうございます。
 宵待ちの宿、初めての日常風景になります。元々はのどかな宿を想定していたのですが、なかなか書く機会がなかったため、どのような商品になるかわからない中でのご発注、ありがとうございます。
 ミツルギとイチのおしどり夫婦を表現するのに四苦八苦でしたが、書いている側としてはとても楽しかったです。
 今回が初めての登場になるヤサカニですが、いかがでしたでしょうか? いつかヤサカニの過去にも触れたい、ということなのでヤサカニ、ミツルギとは既に知り合いであるという前提で書かせていただきました。
 もしまたの機会がありましたらば、ぜひよろしくお願いいたします。