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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【東京衛生博覧会 前編】



真っ黒な壁。
闇の中に閉じ込められているみたいだと城ヶ崎竜子は思った。

薔薇の花びらが。

とめどなく降り注いでいる。
金色の髪が風もないのに揺れていた。

かさかさに乾いた唇が微かに震える。
竜子の首に縋り付いているのは、灰色の王様。
本来ならば玉間となっている部屋は、「出口も入り口もない」部屋、大きな正方形の箱へと変化を遂げていた。

「ベイブ…ベイブ…いい子だから、放しておくれよ…。 あたい、誠を助けに行かなきゃなんねぇんだ」

真っ白な髪を優しく撫でながら竜子は子供に言い聞かせる母親のような口調で言う。
ベイブは何も答えないまま、竜子の体に抱きついて動かない。
ゆっくりとその頭を撫でながら竜子は、泣き出したいような気持ちになった。

いや、実際泣いたのだ、何度も。

ベイブと一緒にこの箱に閉じこもり、一体どれだけの時間が経ったというのだろう。
黒須が、中国系マフィアのK麒麟に攫われた。
まだ、ベイブの状態が此処まで酷くなく、白雪によって黒須の現状を知る事が出来ていた時は、まだ、対策を練る余裕があった。
だが、ただでさえ、普段から正気と狂気の間を行ったり来たりし、竜子と黒須の存在で辛うじて、理性を保っていたベイブのか細い神経は、突如前触れもなく、呆気ない程に壊れた。
当然、彼の精神状態を反映して様相を変える、「千年王宮」も狂った姿へと変貌し、竜子はこうして、彼の心に閉じ込められた。
ベイブの精神状態を快方に向かわせる為には、どうしても黒須の存在が必要不可欠だし、完全にベイブが壊れてしまえば、千年王宮自体が崩壊し、王宮に住む無数の住人が現実世界へと流れ出て深刻な影響を日本、もしくは世界にすら与えるかも知れない。

未だ18の少女である竜子の肩に乗っている使命は余りに重く、辛い。

竜子は自分で自分の体を抱きしめて、小さく小さく呟いた。

「誰か 助けて」

ポロリと閉じた瞼から小さな雫が転がり落ちる。

その瞬間、竜子は背後から優しい腕に抱きすくめられた。

「オーケィ。 女王様。 手を貸してやるよ」

息を呑む。
薔薇の花びらが、竜子の肩に、首に、頬に滑り落ち、その花びらの愛撫を遮るように、道化師が竜子の顔を覗きこんだ。

「ハロー? ハロー? ハロー? ご機嫌はいかが?」

道化師は笑って、ベイブの様子に視線を走らせる。

「あーあー、酷い様子だ。  ジャバウォッキーはいない。 ベイブはこんな状態。 女王様は、お疲れのご様子。 誰が、私と遊んでくれる? さぁて、さて、どうしようかねぇ?」

この部屋にどうやって入ってきたかなんて事、もうどうだって良かった。
竜子は悲鳴のような声で「助けてくれ!!」と叫ぶ。
道化師は、目を眇め、そんな竜子を見下ろして「ま、ガラじゃないんだがねぇ」と言った後、ついと、正面を見据えた。
「それでも、私は、こう見えて結構フェミニストなんで、女の子の泣き声っつうのは我慢ならないんだ」

その瞬間、黒い壁に細い隙間が生じる。
ズ、ズズズと開く壁の無効から白い光が差し込んだ。
次の瞬間「ベイブ様!!」とベイブの名を呼びながら転がり込んでくる少女が一人。
真っ白な肌、真っ白な服、白雪が一目散にこちらに駆け寄ってきた。
この部屋の外側から、なんとか此処に入ろうとしていたのか、その爪は剥がれ、指先が血だらけになっていた。
「ベイブ様! ベイブ様ぁ!!!」
何度も繰り返し名を呼びながら、膝をつき、泣き伏してベイブの体に取りすがる白雪に、竜子は掠れた声で「外の状況は?」と問い掛けた。
「城の連中はどうしてる?」
その言葉にキッと睨み返してくる白雪を、竜子は、彼女という人間の性質を考えれば異質なほどの厳かな目で見返した。
白雪は、その目に気圧されるように「…チェシャ猫が反乱を起こした。 最下層に閉じ込められていた筈なのに、あの女、この期に、この城を乗っ取ろうとしている。 既に、彼女にたらし込まれたこの城の下層住人達が、この上層を闊歩し、好き勝手に振舞ってるわ。 この部屋も危うい。 ここに踏み入れられれば…」と、そこまで言って、震えたまま竜子に縋りついているベイブに震える手を伸ばし、血塗れの指先で頬にそっと触れると「ベイブ様は、もう壊れ果ててしまう」と呻く。
竜子は、ぎゅっと目を閉じ、そして、道化師に問うた。

「どうすれば…いい?」

道化師は、二人の少女を交互に見比べると「中々の難問だ」と言って肩を竦め、それから、竜子に「三つ」の課題を与えた。




SideB

【舜・蘇鼓 編】




変身ヒーローがメタモルフォーゼ中に攻撃をされないように。

細目・にこやか・柔和キャラには、大抵裏があるように。

眼鏡を掛けたお下げの図書委員長は、眼鏡を外せば超美少女であるように。


世の中には突っ込むのも野暮ってものよね?な、お約束がある。
舜蘇鼓は、そういうお約束の一つだって考えてた。


魏幇禍が従うべき、理の話である。


千年前、生後間もなく間引かれた赤子の肉体を人間人形として、中国の妖怪でもあり、蘇鼓の父でもある巨龍燭陰が蘇生させたのが幇禍である。
己が目玉を通じて、棲家である鐘山より動けぬ燭陰に世界の様相を伝えるが役目の筈の人形が、一人の少女への思慕により、その理から外れた。
神に連なる血族が血で縛りし理は絶対であり、その理が崩れる事は、世界の崩壊に等しき、あってはならない事である。

不条理、とすら言って良い。

毎日、朝になれば飽きずに上る、あのギラギラの太陽が、ある日突然、真っ青になっちまったら、あんた、一体、どうするよ?

有り得ない。
まさしく。

そういう事だ。
今、幇禍の身の上に起こっている事は、まさに、そういう事だ。

『産まれ出ずりまする。 新たに、産まれ出ずりまする。 盟約により、新たに産まれ出ずりまする』

お約束だろ? 不肖の弟よ。

まだ、会った事すらない幇禍を、わざと親しげに呼んでみる。
野暮ってもんさ。 神の理を打ち破る原因が女なんて真実は、野暮ってもんさ。

抱えたウクレレを爪弾きながら、蘇鼓は自分が座り込んでいる通りの向かい側に聳え立つ『メサイア』を見上げた。

(しかし…まぁ、日本にいたなんてなぁ…)

彼の存在に気付いたのは、ごく最近。
目と耳と精神が常に繋がっている燭陰に、監視をしろと言われたので、気配に聡い幇禍に気付かれぬよう細心の注意を払って見張ってはいたが、この蘇鼓、悠久の時を生き、凡そありとあらゆる出来事を見聞きした身の上故か、かなり飽きっぽかったりする。
楽器と自身の喉さえあれば、どの国に行ってもそこそこ日銭を稼げるもんだから、世界中を飛び回り、腰の据わらぬ生活を続けてはいたが、それもこれも、退屈の為せる技。
それが、何の因果か、自分の弟をがっつり見張る日々を送る事になり、最初の内こそ、そんな毎日も新鮮だったが、今日になるに至って、もう、完全にうんざり!という境地に達してしまっていた。
我慢とか、耐久とか、忍耐とか、もう、そういう行為とは120%無縁で生きてる奔放な性質なので今の状況に対する鬱屈感に、ともすれば盗んだバイクで走り出したくなる衝動にさえ襲われる。
そして、勿論夜中、誰もいない校舎の窓ガラスを全て叩き割るのだ…って、何? この、今の子には一切通じそうにないネタ?!

(あー、つーまんねぇぇ!)

手遊びにウクレレを鳴かせていれば、知らぬうちに周りに人の輪が出来ている。
古ぼけたこの本日の相棒は、現在住まいにしているアパートの倉庫より無断拝借してきたもので、別段使い込んだ品でもないが、どれだけ手に馴染んでいるか否かなんて事は蘇鼓には関係ない。
まさに神業ともいうべき、音楽の才を持つ者故、どんなおんぼろ楽器とて彼の手に掛かれば、どんな名器も叶わぬ至高の音を奏でた。
紀元前より生きる彼が、それでも、なんのかんのと毎日暮らしていられるのも、音楽という暇つぶしがあるからで、今とて、ふにゃふにゃと、言葉にもなっていない歌詞をリズムに乗せて口ずさめば、連日35℃を越えるような猛暑の空の下だというのに、大勢の人々がその歌声に聞き入っている。
コンと置いてある、桃缶の空き缶には一曲終わるごとにカン、コン、カランと、小銭が放り込まれ、蘇鼓は帰りに近所の駄菓子屋でカキ氷でも喰って帰ろうか…等と考えていた。
黄色い生地に赤いハイビスカスを散らしたプリントが施された、派手なアロハシャツのボタンを腹の近くまで空けて着用し、ダボンとした短パンを辛うじて腰骨に引っ掛けて穿いている、大層だらしのない姿ではあったが、ヒョイと目深に被っていた麦藁帽子を白い指先で上げれば、正面に立っていた女性が、この暑い中ただでさえ茹だっている状態だろうに、更に頬を上気させた。
唇にゆるゆると刻まれた笑みも嫣然と、長い睫を伏せ、白い頬に影を落としながら、目を見張るような美貌を惜しげもなく晒す。
暑さのせいもあって、益々意識は茫洋の一途を辿り、蘇鼓は己の音に酔う半ば自家中毒に近い状態で、夢見心地に陥ってく。
ポヨン、ポヨンと聞いている者の酩酊を誘う気の抜けた音で歌ってはいるが、それでも、最低限の視線は一箇所を見据えたまま、微動だにしない
青山の新名所、メサイアビルの正面入口。
たくさんの人々が出入するそのビルの前に、一台のド派手な外車が停められた。
間をおかず車から降り立った男は、モデル並にスタイルの良いスマートな男性。
仕立ての良いブランド物のスーツを隙なく着こなし、チャリチャリとキーを回しながら、飄々とした身のこなしで入り口に向かって歩いていく。
間違いようのない弟の姿に「おーおー、かっこつけちゃってぇ…」なんてだらりとした口調で呟くと、
「…さぁて…どうすっかねぇ…」と、眉を下げてみる。
これが最近の蘇鼓の、マイブーム。

「困ってみる」というやつだ。

実のところ、どんな状況であれ、然程蘇鼓は困った事はない。
性格的に思い悩むという事と無縁であった蘇鼓にしてみれば、「どうしようかねぇ?」なんて先の行動に対して思案を巡らせてみるという事は、まるで、人間の真似事をしているみたいで、そこそこ楽しい。
いつも一緒に行動している幼馴染だかペットだか、蘇鼓自体、もうどっちとして扱ってるのかよく分からない神属妖怪・帝鴻は、ダラダラとこのままだと、一回りぐらい小さくなるんじゃない?というような大汗をかきながら、とろんと蘇鼓の傍にある木陰の下で転がっている。
「うぉーい、そろそろここも、日なたなっちまうから、移動すっぞー」
そう声を掛け、簡易椅子を折りたたんで小脇に抱える。
今までの稼ぎをポケットに突っ込んで、それからひょいと帝鴻の足に繋いである黒いコードを握った。
と、いうのも、この帝鴻、外見は肌色の妙にツルツルした肉団子に手足と小さな羽根が生えているかのような姿をしており、先日、ふよふよと、自由に飛び回らせて街を歩いていたら、大層奇異な目で見られたので、ごまかしの為に、このコードを装着させる事にした。
こうすると、電気仕掛けの玩具にでも見えるのか、それほど不思議がられはしない。
本人は大層鬱陶しがっていたが、監視役に徹しているのに、そうそう目立つわけにも行かないので、苦肉の策ってことで、壊れた扇風機のコードを引き千切ってカモフラージュの為に利用していた。

ポトポトと地面に汗の雫を二人して落としつつ、前もって目星を付けておいた「背徳」での幇禍の様子を監視するのに最適な立地条件のビルへと向かう。

本日メサイアビル、最上階にて行われる「K花市」。
幇禍が正式招待するその催し物は、新興のマフィアK麒麟主催のキメラやら異種族のオークションって事で、咄嗟に蘇鼓、扇風機が壊れたせいもあり、帝鴻をオークションに出せば、幾らになるかしらん?なんて真剣に考えてみる。

(もし…クーラー代を稼げるなら…)

間違いなく売る!と、思いっきり本気の眼差しで、ぱたぱた、ぽてぽてと前方を飛ぶ帝鴻の後姿を眺めつつ、よろよろとと歩き、メサイアビル脇の裏道をふいと横目で眺めた時だった。
搬入口脇に横付けされている大きなトラックから、黒い布がかけられたこれまた、大きな檻が下ろされていた。
運んでいる人間達が、どう見ても普通の運送会社に見えなかったので、思わず歩みの速度を緩めてみると、風に吹かれてその黒い布の裾が捲れ上がり、檻の様子が一瞬垣間見れる。

「…大五…郎?」


思わず出たのは素っ頓狂な声。
雪のように白い毛皮に、黒い縞模様。
水色の永久凍土の氷の如き瞳を瞬かせながら、檻に入った虎がビルの中へと運ばれていく。
間違いない。
あんな虎は、他にいるはずなんてないのだ。
幼き頃故郷にて共に野を駆け、色々と悪戯を企て騒ぎを起こした幼馴染。

「なぁんで…こんなトコに…」と呟けど、先程一瞬見た大五郎の背中に、前にはなかった筈のものが生えていた事に気付く。


それは、「大きな黒い蝙蝠の羽」。
お前、キメラにされちまったのか。


ポカンと突き抜けるような気持ちで思い、それから「おお、かぁっこいい姿にされっちまって」と肩を竦めて笑う。
鐘山にて迎えた別れより、幾星霜時を経たか。
俺も随分長く生きたが、お前もかなり生きたはず。
長い歴史の中で、たかだか人間如きに捉えられ、姿を変えるような出来事が起こるなど、自分自身も考えていやぁしなかったろうに…。

つらつらとそこまで考えて、ふっと空白。
「ま…暑いからしょうがないな…」と、全ての規則性を無視した結論に達すると、そのまま目的地に向かいかける。
その瞬間、正面から、ポコンとぶつかってくる帝鴻。
それが、みぞおちにジャストミートして、おもわず「うぶっ!」とくぐもった声を上げる。

「ん…だよぉ…!」

そう非難の声をあげながら、ひょいと手を伸ばし、つるつる、びたびたの帝鴻の体を捕まえる。
小脇に抱え、ぐりぐりと拳を押し当てながら「おーまーえー! みぞおちは! 本当に痛ぇんだぞ!」と文句を言えば、短い手足をバタバタと激しく動かし、体をブルブル小刻みに震わせて、何か抗議の意を全身で盛大に表してきた。
その様子を眺め、ふと一時停止。
「ああ…まぁ、お前、仲良かったよな…、大五郎とは…」
そう声を掛ければ、コキコキとあるやなしやの首っぽいところを、縦に振ろうとして一苦労しているのを暫く眺めた後、「んー」と一度唸り、「確かに…暇だし…」と思い直す。
面白い事は大歓迎なこの状況で、目の前に幼馴染の窮状という大変耳障りの良い大義名分がぶら下がっている。

「K花市」。

幇禍が正式招待されていると知ってから、どんな生き物が集うのか、珍しい動物園に興味を持つ程度の好奇心で気になってはいたのだ。
それに、大五郎は、矜持の高い男だった。
キメラの材料になるというのは一体どのような心持になるものか。
本人の自我は如何なる状態になるものか。

助けてやろうと思ったのは、最早気紛れ。

ただ、本当の意味で何が何でも、その命を救ってやろうと思ったわけでもなく、彼の自我がもし、消え果ているのなら、この手で始末をつけてやるつもりでもあった。
アレとて、己が誇りを汚すような生き方をおめおめとさせられるとあっては、きっと耐えられまい。
何より、己が友として、そのような生き方をして欲しくないという、自分自身の希望もある。

「…じゃ、監視から、潜入に目的を切り替えないとなあ」と一人呟き、くるりと方向転換する。
幇禍が、オークションに招待されている以上、この潜入によって初顔合わせになってしまう可能性も多いにあるが、覚悟の上だ。
そもそも、ちまちま、ちまちま見張っているのが性に合わない。
ここまでよく、我慢したものだと、自分で自分を大いに褒めつつ「なんか、腹減ったし、昼飯にでもすっか」と、メサイア内に丁度いい店でもないかとひょいと、正面入り口脇のフロアガイドを眺めかけた時、一階にあるファーストフード店の店内の様子が目に入った。

ガラス張りになっている窓際のテーブル席に、山とバーガーを積み上げ、頬張っている金髪の女がいる。
ヨレヨレのジャージ姿で、アイラインが汗か涙かで流れたのか目の下を真っ黒にし、一心不乱にバーガーを頬張る姿をみて、一瞬、(山から降りてきたばかりの狸?)と首を傾げてしまった。
その位、必死なのにどこか滑稽な様子だったし、なんというか、現代社会にそぐわないほどに、原始的な姿に見えたからだ。
ふいと、メニューを見れば、ベジタブルメニューとかで、野菜スープとサラダのセットメニューを安価で提供してくれるらしい。
菜食主義者ではあるが、それ以外、然程食にこだわりのない性質なので、ふらふらふらっと店内に入り、ここで、腹ごしらえを済ませてしまおうと決め込む。
カウンターで注文の品を受け取り、さて、席はどこが開いているかと見回せば、大きなハンバーガーを咥えたままの金髪女と目が合う。
顎外れっぞ?などと胸中で注意しつつ席を探せど、そんな蘇鼓の行く先を、金髪女の視線がしつこく追い掛けて来る。
(んだぁ? 喧嘩売ってんのか?)
思わず反射的に睨み返せば、マジマジと蘇鼓の顔を眺めた後、咥えていたハンバーガーをぽとりと机の上に落とし「やっぱりそうだ! 幇禍! お前、幇禍だろう!」とコチラを指差しながら叫んできた。
思わずキョトンとしていると、「てっめぇ! あたいの事忘れやがったのかよう! 竜子だよ! 竜子! ほら、あの、探偵事務所で、中華料理食わせてくれたり、王宮におでん持ってきてくれたりさぁ! んだよぉ! 忘れんなよ! 久しぶりだなぁ」と言いつつ、ぽてぽてとこちらに向かって歩いてくる。

(竜子とかいうこの女、幇禍の知り合いか?)と訝しめど、先ほどの言動を鑑みるに、どうも幇禍は、何の目的を持ってか知らないが、この狸女の餌付けに成功しているらしい。

流石兄弟というべきか。
幇禍と寸分も違わぬ程に同じ容姿、同じ体型をしている蘇鼓を、幇禍と思い込んでいるらしく、「何だ? 髪の色変えたのか? その色も似合ってんな」と言い、「にしし」と笑う。
「お…おう、久しぶり。 そっちこそ、元気にしてたかよ」ととりあえず、情報を引き出す為にも、彼のフリをしてみれば、途端、竜子が不思議そうな顔をして「うおぇ? 幇禍って、そんな口調だったっけ?」と問うてきた。
「あいつがいないからか? ほら、雇い主の…」
「っ! お! おお、そうなん…で…するよ。 やはり、主人がいないと…なかなか、こう、敬語って…ね? 難しいのでするよ」
「ええ? だからって、そこまで不自然?! でするって、滅多に聞かないぞ?!」
思わずといった調子で突っ込んでくる声の方向を見下ろせば、赤茶色の特徴的な髪色をした青年が此方を目を見開きながら凝視していた。
滅多に使い慣れてない精一杯敬語に既に限界ヨロシクな蘇鼓は「マジでするか? いやいや、ワシは、昔から、このような喋り口調でござ候。 竜子殿は些か勘違いをしていると見受けられる」と明らかに生まれた時代を間違ってるよね?な口調になり、赤茶色の髪の青年の真正面に座っていた美しい少女が至極冷静な声で、「キミ。 無理しないほうが良い」と告げる。
その瞬間「無理! 敬語超っ無理!」と蘇鼓は喚き、「大体、なんで、俺より遥かに年下のテメェらに敬語を使ってやんなきゃなんねぇんだ!」と「いや、頼んでないですけど…?」な事を理不尽に怒鳴る。
「俺は! プライベートと、仕事を分ける男だ!」と咄嗟にもっともらしい事を口走れば、「お、おお! 分った! 分ったから、落ち着け! 落ち着けー!」と竜子に宥められ、「お前、ほんと、暫く会わないうちに、かなりキャラ変わったよなぁ」としげしげと眺められた。
「大体、ソレ、ずっと気になってたけど、何よ?」と帝鴻を指差され、「俺の幼馴染の帝鴻!」と勢いで咄嗟に素直に答えてしまう。
一般人の感覚から見て、肉団子な幼馴染は、多分許容範囲外だと思うのだが、流石、幇禍の知り合いというべきか、そこは「おお、そうか! ヨロシクな、帝鴻!」と言いつつ、その手を握って、ブンブンと上下に振り、他の二人も、然程表情を変えはしない。
まぁ、面倒な手間が省けたと喜べば、「んで、えーと、肝心のそちらさんは?」と、赤茶色の髪の青年がそう問い、美少女が頷くのを見て(ああ、幇禍、こいつらとは知り合いじゃねぇんだな)と悟って安堵した。
明らかに知能指数が低そうな竜子はともかく、この二人まで幇禍と知り合いだったならば、とても誤魔化せはしなかっただろう。
「えーと、こっちは、魏幇禍、あたいのダチ。 色々、昔世話になったんだ。 んで、こっちは、向坂嵐と…」とそこまで言って「ありゃ? 名前なんだっけ?」と問う竜子に、「そういえば、名乗っていなかったな…」と呟くと、「七城曜だ。 以後、よろしく」と素っ気無い位の口調で挨拶してきた。
一体どういう集まりなのか、気にならないでもないが、まぁ、今は、別の問題の方が大事だ。
「んで? お前は休暇中なの?」
そう口の周りをケチャップでべたべたにした竜子の問い掛けに頷き、幇禍の事を何か聞き出そうとして、さて、どうしたものかと首を傾げる。

なぁ、俺ってどうよ?という質問も、おかしいだろうし、彼女も久しく幇禍とは会っていないようだから、ここ最近の情報は持ってないだろう。
そもそも、蘇鼓が知りたいのは幇禍が崩した「理」に関わる事であるのだが、彼女がそんな事を知っているようには到底見えない。
結局、「あー、まぁ、じゃあ、お前らも良い休暇を」と適当な事を言って、傍を離れようとした瞬間、竜子が、ふっと何気ない調子で呟いた。

「ていうか、お前ってさぁ、ナニゲにすげー強かったよな…」

その呟きのリズムが気になって「んあ? まぁ…な…」と適当に返事をしたのが運の尽きなのか、もしくは幸運の始まりか。

がしっと突如、嵐に腕を捕まれ捕獲されると曜が立ち上がり、その顔をマジマジと覗きこんできた。
「…これは…充分合格点だろう」
そう言いながら、嵐と竜子の顔を交互に見る曜に二人が同じタイミングで頷く。
「幇禍はすげえ腕も立つし、度胸もあるし、信用できる奴だ。 あたいが保証する」
そう竜子が言い切るのを呆然と聞きながら、うっかり自分が、自分の意思も何も関係なく、勝手に保証され、勝手に信頼され、勝手に何かに巻き込まれようとしている事を悟り、「いや、俺忙しいんだけど…」と何が何だか分からないながらも、断りかける。
だが、それより早く「頼む! K麒麟から、誠を助けんのに協力してくれ!」とこちらを拝む竜子の「K麒麟」という部分が耳に入り「話、聞かせてもらおうか?」と咄嗟に答えてしまっていた。

「…へぇ…んじゃあ…その、黒須を、助けねぇと色々世界もドえらい事になるからつって、薔薇姫とやらになって潜入する…と…いうことか」
そこまで言って、「えらい事」っていうのがどういう状態なのか大変興味深く思うも、まぁ、とりあえず、今のところは、このメンツと一緒に行動する以上は大人しく協力しておこうかと考える。
「千年王宮」という異世界で暮しているらしい竜子は、異世界に住むものとは到底思えない程に、神秘とは程遠い佇まいをしていたが、自分とて、一応神の端くれではあるが、誰に言ったとて信じては貰えないだろう。
王宮の主の名が「リリパット・ベイブ」であり、彼の精神状態を安寧に導く為にも、黒須を救わねばならないらしいが、まぁ、そこら辺は、どうでも良い。
何にしろ、どうやってオークションに潜入しようか悩んでいたところでの渡りに船の展開だ。
「いいぜ。 面白そうだし、乗ってやるよ」
そう笑って言えば、「サンキュー! 助かるよ! 幇禍」と竜子は感激したような声をあげた。
一瞬、幇禍の名で呼ばれた為に反応が遅れた蘇鼓は、この先も、幇禍と呼ばれ続けるのは、些かうんざりする状況であると考えて、ガリガリと頭を掻いた後、「蘇鼓って呼んでくれ」と告げる。
「は? なんで? っていうか、何、その名前?」
そう問い掛けられ、「俺のラジオネーム」と笑顔で答える。
「ラジオネーム?」
嵐が素っ頓狂な声をあげるので、「おお、俺、ラジオ番組に投稿するのが趣味でな。 もう、あれだぞ? 職人とか呼ばれる採用率だぞ?」と、真顔で説明してやれば、へぇ…と三人それぞれ、納得したように頷いている。
「特に、声優の夢花ハニーがMCの『リリカル☆ハニーのはっぴーらじお♪』には、毎週100通以上ネタを投降していて、最早番組内ではフレンドリーに『蘇鼓にゃん』呼ばわりだぜ! という事で、プライベートでもある事だし、ハニーたんにも呼んで貰えているラジオネーム呼びで、是非宜しく!」と、無意味に、気紛れに弟の風評を害すべく、出鱈目を力説すれば、若干ヒいた表情で、「あー、まぁ…趣味は人それぞれだし…」と曜が、目を逸らしつつ、とりあえず、頷いてくれる。
「俺も…別に、初対面だし、ラジオネーム呼びに抵抗はないが…」と、正面から俯きつつ嵐が言えば、「…ていうか、お前、何があったんだよ! 悩みとか、あんのか? 彼女と巧くいってないのか? あたいで良かったら、相談乗るぞ?!」と、竜子も訴えてくる。

これで、幇禍が竜子に再会する機会に恵まれれば、多大な誤解をされている訳で、大層戸惑うに違いないと、悪戯が種をまいたような、ワクワクした気分になりつつダメ押しに「悩みは、ハニーたんに乗って貰っているから、大丈ブイ☆」とウィンクしつつ、ペロっと舌出しまでしてみせて、「「「うわぁ…」」」という、三人揃っての抑えきれない呻き声までゲットした。 
蘇鼓が弟の評判を、全身全霊で下げつつある最中、帝鴻は涼しい店内で、のびのびと両手両足を伸ばして、テーブルの上にへばりついている。
「…ていうか、今更だけど、お前、面白い生き物だなぁ。 鳴いたりしてぇの?」と言いつつ、ペタペタと帝鴻を触りまくる竜子。
それからサラダばっかりをつついている蘇鼓を見て「肉食わねぇと、力出ねぇだろ」と、自分の目の前に積んであるハンバーガーの内から一個手に取ると「ほい」と差し出し、にまっと笑う。
余計なお世話だと思いつつも、何だか、余りに底抜けの笑みに笑ってしまって「いや、俺ぁ、肉が苦手だから、いいや」と手を振って断わった。
「? あれ? お前、一緒に事務所で、餃子喰ったじゃん。 自分で作ったヤツ」と竜子に言われ、一瞬慌てるも「食の好みが変わったんだよ」と何とか煙に巻く。
しかし、竜子と幇禍はどういう経緯で知り合ったのか。
「そうなのか…ここのバーガーすっげぇ旨いのに…」と残念そうに言う竜子を見て疑問に思う。
(どうも、その千年王宮とやらを、訪ねた事はあるみてぇだが、一体どんな場所なのやら。 こんな能天気な奴が暮してる位だから、そこそこご機嫌な場所なのかね?)と思いを馳せていると、竜子の手からひょいと嵐がバーガーを取り上げて、一個齧り付くと、「おお、ほんとだ」と感心し、「お前も、喰う?」と曜に薦めた。
「いや、私は遠慮させて貰う。 竜子を見ているだけで、何だか胸焼けがしてきたよ」と肩を竦め、「私も、協力をすると決めたからには、四の五の言うつもりは毛頭ないが、しかし、潜入すると簡単に言ったとて、どうやって薔薇姫として潜り込むんだ? 私達の今の様子は…」とそこまで言って、順繰りに三人を見渡し、「…お世辞にも姫等という風体ではないぞ?」と苦笑する。
言われてみれば確かにそうで、自分はアロハに麦藁帽子だし、曜は学校帰りなのかセーラー服、嵐はラフなTシャツにジーンズで、竜子に至ってはヨレヨレのジャージだ。
なんていうか、姫って言うか姫って言うか…「…社会落伍者の集まりのようだな」と冷静な声で、そう評す曜に誰もグウの音も出ない。
「…あ、いや、それは…な」と言いつつ、竜子が取り出したるは、一枚のカードキー。
「これ、道化師…って、幇禍…っとと、蘇鼓は知ってたっけ? えーと、『千年王宮』の住人っていうか同居人でいいのかな? まぁ、そういう知り合いがいるんだけど、今回色々助けてくれていて、そいつが用意してくれた。 んで、あたい達の為に、なんか、ホテルの部屋用意してくれてるみたいで、そこに、着替える服もあるからって…」
そう言う竜子に「うお! すげ、これ、メサイアの中にあるホテルのカードキーじゃん」と嵐が目を見開く。
「え? 何? そんな凄いホテルなのか?」と蘇鼓が問えば「凄いも何も、一泊、4、5万位する宿だぜ?」と嵐が言い、曜は「私も何度か利用した事があるが、清潔で広いし使い勝手は良い」と、太鼓判を押す。
「うお! すげえ! 曜ってお嬢なんだな!」と驚く竜子に、一瞬言葉につまった後、「いや、まぁ、それほどでもないが…」ともごもごと答え、「では、キミのお腹も、そろそろ満たされただろう? その部屋に移動しよう」と言いつつ、颯爽と立ち上がる曜にならって蘇鼓も席を立った。



高さ200メートル強。
ビル内でも超上層に位置する、スイートルームの一室に足を踏み入れた蘇鼓は、「こんな部屋に馬鹿高ぇ金を払って泊まるような物好きもいるんだなぁ」と呆れるような気持ちになった。

長生きをしているからという事もあるし、ありとあらゆる物事を経験してきた蘇鼓は、王侯貴族が暮すような白亜の宮殿から、貧民窟のすえた匂いのするような地べたまで、ありとあらゆる場所を宿として過ごしてきたが、それにしたって、この日本の「場所代」というものは恐るべき高さだと感じていた。
狭い島国だから仕方がないとはいえ、根無し草の蘇鼓にとっては、こんな装飾過多の部屋で一晩過ごすのに、目玉の飛び出るほどの金を払うくらいなら、星空の下で野宿したほうがナンボか気持ちよく眠れると心から思う。
高い天井には、花を模した照明器具が取り付けられ、キングサイズのベッドは天使の羽がつまっているかのようにふかふかしており、早速、パフンと帝鴻が飛び込んで、ころころころと転がっていた。
有名なデザイナーがデザインを手がけたという部屋内の調度品の数々は確かにセンスの良い、高価な品ばかりで、その広さにも目を見張るばかりだったが、物事の価値基準が常人とは違う蘇鼓にしてみれば、つまらないものばかりで「んで! 衣装ってどれよ?」とぽかんと口を空けて、部屋中を見回している竜子に声を掛けた。
「んあ? ああ! えーと、確かクローゼットにあるって…」と言いつつ、広い部屋内を勝手が分らぬのか、うろうろとうろつき、一旦部屋を出て行く。
「ったく、大丈夫か? あいつ」
そう言いながら腰に手を当てる嵐に、「まぁ、確かに、無駄なほどに広い部屋だからな」と苦笑して見せ「だが、こんな部屋を即座に用意できるとは、道化師とは何者なのだろう」と曜が思案気な表情を見せる。
「いや…つうかさぁ、そもそも、竜子自体、俺あんま知らねぇしなぁ…」と蘇鼓が言えば、訝しげに曜は此方を見て「…以前からの知り合いじゃないのか?」と問うてきた。
ああ、また、やっちまったと顔を顰め「いや、知り合いは知り合いだが、それ程、俺も相手の事情とかって聞く性格じゃねぇかんな、あいつがどういうヤツなのかは、今いち掴めてねぇんだよ」と適当に答える。
「っつうか、まぁ、あんだけ単純で、アホそうなら、別にこっちからわざわざ聞かなくても、そのうち分るんじゃね? 隠してる訳でもなさそうだし」と蘇鼓が言えば、二人顔を見合わせ「まぁ…」「そうかな?」と若干竜子に酷い納得をしつつ、それから「ていうか、竜子遅くね?」と嵐が呟いた。

その一瞬後「うぎゃー! ここ、どこだぁぁ?! 迷ったぁぁぁ!!!」と信じ難い声が聞こえてくる。
「っ…マジかよ…」と嵐が頭痛を堪えるような顔をして、竜子を迎えに出るのとほぼ同時に「というか、クローゼットなら…」と言いながら、ベッドの横にあるスライドドアを引き、「…大体、ベッド脇にあるよな」と曜がスライド内に納められている衣装の山に、少し目を剥き、こちらを振り返る。
「…庶民はねぇ、クローゼットとかじゃなくて、四個セットになってホームセンターとかで売ってるような衣装ケースとかに服を入れがちだから、普通はどの場所にあるかなんて分んねぇんじゃねぇの?」と曜に答えつつ、クローゼットに顔を突っ込んで「ひやー! なんだ、この数!」と蘇鼓は、その品揃えに思わず声を上げた。

しょぼんとした顔で帰ってきた竜子や、呆れ顔だった嵐もクローゼット内の衣装の山には驚いたらしく「あいつ、王宮の衣裳部屋の服、全部掻っ攫ってきたんじゃねぇの?」と竜子がぼやく。
「…その『千年王宮』って場所は、服屋でもやってんのか」と呆れたように、嵐が言う。
確かに店が開けそうな程の点数だと、蘇鼓も、自分が何を着れば良いのか、途方に暮れるような気持ちになると、困った顔をしながら「こんな中から、どれが『薔薇姫』になるのに良いのかなんて分んねぇよ…。 ああ、でも、道化師に、あたいらに似合う服を選んで持ってこさせるのは、もっと不安だし…」と、ぶつぶつ呟く竜子の背後、クローゼットの中よりにゅっと白手袋を嵌めた手か伸びる。

「ハロー? ハロー? ハロー? ご機嫌はいかが?」

そういやに浮かれた声と共に、ひょいと竜子の首に腕が回され、ぐいと彼女を引き寄せた。

「ヨーホー! 女王様、そりゃあ、酷い物の言い! 私は今回、貴女の為に、中々の働きを見せていると思うのだがね?」

そう言いながら、ひらりと片手で帽子を取り、器用に挨拶してみせるタキシード姿の男に思わず蘇鼓は拍手をする。
「ケケケケッ! てめぇ、んなとこにずーっと潜んでやがったのか? まさか、まさか…な? いやいや、ご苦労なこった! しかし、驚いた! すげぇ、すげぇ!」

そう面白がる蘇鼓は、同時に、先程まで一切この男の気配を感じていなかった事もあり、大掛かりなマジックを見た子供のようにはしゃぐ気持ちと、得体の知れない相手に対して警戒心を抱く気持ちがないまぜになった不思議な気分に陥る。

何処から、どうやって入ったか?

まぁ、世の中、不思議なことばかり。
今迄だって尋常じゃない人間になど、腐る程お目に掛かってきたのだ。
異世界の住人相手だし、そんなに驚く事でもないかと思い直す。

「お褒め頂き光栄至極」と笑った男の腕の中でおぶおぶと、竜子が暴れ「アホー! 首を圧迫されると! 人間は息が出来なくなるんだぞー!」と物凄く当然の抗議をする。

すると、今まで、自分の衣装を家人に届けさせていた曜が、大きな桐の箱を抱えて部屋に戻り、部屋内の様子を見て表情を一変させた。

「貴様、何をしている?」

剣呑なほどの目つきで男を見据え、曜が問い掛ける。
「いやいや、お嬢さん。 そんな怖い目で見なくとも、何にも悪さはしちゃいないよ。 驚かせたお詫びの印に薔薇はどうだい」
そう言いながらパッと竜子を解放し、何処からともなく取り出した一輪の薔薇を胡乱気に眺め、それから、細い指先を伸ばして受け取る。
「花に罪はないからな」
そう言うと、竜子を眺め「信用は出来るんだな?」と問うた。
竜子は道化師に視線を向け、それから「おお、心配してくれてありがとう。 でも、信用できるよ。 とりあえず、今回に限ってはね」と請け負う。
「了解した」と、頷き、それで、道化師に対する疑いを、とりあえずは捨て置いたらしい曜。
しかし、嵐はそうはいかなかったらしく、「だが、何にしろ、突然こんな風に現れられると心臓に悪い。 きちんと挨拶はしてくれないか」と、もっともな事を言う。

すると、男は「成る程! 道理だ! 初めまして、お兄さん。 私は道化師というものさ。 神出鬼没が、トレードマークでねぇ。 いやいや、びっくりさせて申し訳ない。 以後よろしく頼むよ」と挨拶した。
その軽い態度に、嵐が目を剥いているのを横目に眺め、「いいねぇ。 中々のフザケ具合だ。 出鱈目で、面白ぇ」と言い「ケケケッ」と鳥のようなけたたましい声で笑うと、ひょいと傍に寄って、蘇鼓はその肩を抱いた。

「んでぇ…その、道化師は、何の目的で、ここに来てんだよ。 竜子に、どんなドレスが似合うか見立てに来たっつう訳じゃねぇだろ?」
そう言えば、にいっと笑って「勿論! そこまで私も暇な身じゃないよ。 君達に、新たな情報を提供に伺ったのさ」と言い、それから、不意に此方の顔を覗き込む。
「時に、君、初めまして、だっけかね?」
そう問われ、意味ありげな問い掛けに一瞬戸惑った後、己を幇禍と偽っている事を思い出し、「…いんや? 前に、会った事、あんだよ…な?」と、当てずっぽうに告げればうっそりと笑い「まぁ、いいや!」と道化師は顔を正面に向ける。

「ジャバウォッキーの救出には、シュライン・エマ、デリク・オーロフ、兎月原・正嗣の三名が向かう事になった。 また連絡を取ってみると良い」
「じゃば うぉっきー?」
道化師の台詞に、嵐が素っ頓狂な声を上げれば「誠のあだ名みてぇなもんだ」と竜子が軽く答え「ていうか、なんか、曲者!って感じのラインナップだな」と明るく笑う。
聞き覚えがある名は、草間興信所の超絶有能な美人事務員エマのみだが、正直、今日初めて名前を聞いたような、黒須という男の事は、心底どうでも良い以上、救出メンバーに誰がいようと関係ない。
あくまで、蘇鼓の目的は、幼馴染を救う事。
それ以外は、どのような結果を迎えようと、余り興味がなかった。
「何にしろ、心強いメンバーだ。 ありがと、道化」
そう竜子が礼を言えば、皮肉な笑みを唇に刷いて、「さぁて、私に出来るだけの事はさせて貰ったからね。 あとは、君達次第さね」と言う。
「あと役に立ちそうなもんは、全部クローゼットの中。 本来持ち出し厳禁な品々だが、まぁ、今回は仕方ないだろう。 変わり身薬も、白雪に言って貰ってきた。 今回は、あの強情娘も大人しく差し出したよ」
意味の分からない会話を繰り広げているが、つまりは、全て「千年王宮」の話だったりするのだろう。
道化師の出で立ちを見て分るように、どうにも尋常な者じゃないし、尋常な会話でもない。
(っつうことは、やっぱ『千年王宮』っつう場所自体尋常な場所じゃないって事か)と察し、退屈しのぎに、一度は遊びに行ってみたいものだと考える。
だが、もし訪ねる機会に恵まれたとしても、幇禍として遊びに行くのはつまらないし、だからといって、ここまで、弟として振舞ってしまうと、今更「別人でした!」とは言い難いしで、面倒臭ぇ事になっちまってるなぁと、内心溜息をつく。
一通り、何某かの説明を竜子に行った後、「では、私はそろそろ…」と立ち去りかける道化師に、慌てた様子で曜が声を掛けた。
「っ! 待て!」
そう呼び止め、それから、一瞬目を泳がせて、「…その、キミは今から王宮に、戻るのか?」と問い掛ける。
「ああ、そのつもりだが? 中々に、向こうの状況も悲惨でね。 私は、今日限りは売れっ子さ」
そう、道化師が答えれば、曜は真剣な眼差しで「興信所でも言ったが、燐の事、くれぐれも頼む。 彼女は、サポート役としては、これ以上ない程打ってつけの能力を持っているが、自身は何の力も持ってない、唯の子供だ。 私にとって…とても大切な子なんだ。 こちらで、私は、私に出来る限りの全力を尽くす。 だから…彼女の事…守ってくれと…、頼むと、向こうに集まっている者達に告げて欲しい」と、頼んだ。

どうも「燐」という曜にとって大事な人物が千年王宮を訪れているらしい。
曜は一足先に、興信所で道化師と会っていたのかと思えば、道化師は、ちょいっと帽子のつばを触り、それから竜子を見る。
「…分かった。 『女王』として約束する。 あんたの大事な子、何があっても、ちゃんと無事に帰すよ」
ふいに、静かな、波のない湖の如き声で竜子は請け負い、それから、道化師に「白雪と…ベイブにも伝えてくれ」とだけ言った。
道化師は、ツイと頭を下げ、クルリとベッドの傍にあったドレッサーの鏡に飛び込む。
その瞬間、道化師の姿は吸い込まれるように鏡の中に消え、竜子は曜を振り返ると「悪ぃな。 そんな大事な子、こんな事巻き込んじまって」と詫びた。
目を見開き、鏡を見ていた曜が、竜子に視線を向ける。
「いや…関わらせると決めたのは私だ。 すまない。 女々しい事を言った。 だが…約束してくれて安心した。 これで、思う存分私は私の仕事に打ち込める」
晴れ晴れとした表情で曜は言い、鏡に何か仕掛けでもないか鏡面を叩いたりして調べていた蘇鼓は、「んじゃ、そろそろ、用意するか」と皆に声を掛けた。

とりあえず、ドレッサーの前に立ち、さて、どれを着るべきかと考え込む。
(薔薇姫ってぇのは、つまり、あれっしょ? なんか、綺麗になんなきゃ、駄目なんだよな?)
今までの人生、既に充分派手な外見をしているせいで、自分を華美に飾り立てたいという欲望を抱いた事はなかったが、まさか着飾る必要に迫られるとは考えもしなかった。
「私は、自前のを持ってきているからいいが…キミ達は大変だな」
そう同情するかのような声で言う曜を羨ましげに嵐は見て「っつうか、自前で、そんな大層な服があるっつうのが、すげぇよ」と肩を落とした。
「…も…わかんね…あたいの一張羅は特攻服だけど、んな格好では、姫さんっつう訳にはいかないよな」
そう既に疲れた口調で言う竜子に「大体…その、姫っていう事は、女ばっかじゃねぇの? そのオークションに出されるのは?」と、そういえばの疑問を嵐が口にする。
「いんや。 白雪っつう、まぁ、千年王宮の情報通が調べてくれたトコによると、便宜上『姫』って読んでるだけで、男も売りに出されてるらしい。 見目が良けりゃあ、どっちだろうと、買い手はつくんだと」
竜子の答えに「だったら、なんか、男用の呼び名もあってもいいよな」と、どうも「姫」呼ばわりに不満を覚えているらしい嵐が、顔を顰める。
思わず、蘇鼓、物凄く冷静な声で「え? じゃあ、何が良いんだよ。 薔薇王子?」と聞き、嵐は更に顔を顰めて「薔薇王子…って、そんな、IQが20位のネーミング、尚イヤダ…」と首を振った。
「…ならば、薔薇殿はどうだ」
まるで、良い事思いついたくらいの声で曜が提案すれば、「薔薇なのに殿って…凄く気持ち悪いからいや」と否定し、竜子が「んじゃ、薔薇薔薇マンは?」と問えば、突っ込む気力も失せたのか「もう…良いです。 俺、観念して、姫で良いです」と項垂れる。
「べっつに、女装しろってぇんじゃねぇんだし、呼び名位我慢しろ、我慢」と竜子が言いながら「とりあえず、あたいは、これにしよう」と一着服を選び出したって、お前、それ女子プロの試合用のレオタード&マスクやんけ。
嵐は嵐で、「お、これ、すっげぇ、かっけぇ!」と目を輝かせながら選び出したのは省エネスーツって、もう、懐かしすぎて、説明するのもかなりだるいのだが、今ほど、エコエコと騒がれるよりも前の時代に、先見の明があったある政党の政治家が「時代は省エネ☆」って事で、夏も涼しく過ごせるようスーツを大胆に軽量化したファッションを提案し、世のサラリーマン達を震え上がらせたのだが、うん、スーツの半そで。 半そでスーツ。 大の大人が、着ている姿は間抜けすぎて、もう、ちょっと白目剥く級のスーパーファッション。 もう、斬新過ぎて、永遠に、時代は追いつけないよ!的そのスーツを初めて見た時、日本の将来を皆が憂いまくったとか、そんな話はどうでも良く、今、問題にすべきは、そんなトンチキスーツを片手に「超かっこよすぎる! やべぇ! 新しい! 多分、パリコレとかで、新作としてもうじき発表されんぞ!」と騒いでいる嵐のファッションセンスである。
あまつさえ、竜子とお互いに「お、それいいじゃん! なんか、最先端モードって感じだぜ」とか「お前、センスあんなぁ。 あたいのも、かなりイケてっだろ?」とか褒めあっている訳で、蘇鼓は、余りと言えば余りのその有り様に、全身がブルブルと震えだす。
そして、握り拳をぎゅっと固め、息を大きく吸い込むと「バッキャローー!!」と青春漫画の熱血コーチもかくやというような怒鳴り声をあげた。
「てめぇら…てめぇら…ふ…ふざけやがって…」
そうわなわなと二人を交互に指差す蘇鼓を、曜が「蘇鼓…」と名を呼びつつ、どこか頼もしげな目で眺めてくる。

「仮装大会なら! 最初っから、そう言えよ!」

心から、そう心から悔しくて、蘇鼓がそう叫んだ瞬間、曜が見事なまでにガクリと崩れ落ちた。

「もう、俺、超KYな衣装選ぶとこだったじゃねぇか! 超空気読めてない、マジ衣装、セレクトするとこだったじゃねぇか! 仮装大賞的、赤ランプが15個以上ついたら合格なイベントだったなら、俺だって、それ用の衣装を選んでやるさ!」

そう地団太を踏んで訴えつつ、返す刀で手を伸ばし、クローゼットの中から「俺、セクシー大臣」と書かれた帯がたすきがけをされた豹柄の全身タイツをチョイスする。

「どうよ、これ!」
思いっきり誇らしげに示せば、「せーくしー!」「超せーくしー!」と、意味の分からない褒め言葉と共に、嵐と竜子が拍手を送ってきて、益々蘇鼓は胸をそらす。

その瞬間だった。

「貴様ら まぁ ちょっと そこに並べや…」

地獄の釜の蓋開いてんじゃねぇの?的、ドスの効いた声が背後から聞こえてきた。
その迫力に、思わず三人固まって、それから、そろり、そろりと振り返る。

そこには先程まで崩れ落ち、項垂れていた曜が仁王立ちになっており、下から掬い上げるような剣呑な眼差しで三人を順繰りに、睨め付けてくる。

「ここ 並べ」

自分の目の前を指示し、もう一度低い声で言う曜の姿に、一瞬顔を見合わせた後、慌てて、言われたとおりに、横一列に整列した。

「こちとらな? 後輩には、千年王宮とかいう意味の分からん場所に行って貰ってるし、他にも色々事情はあるし、引き受けた以上の任義もあるしで、かなり真剣なわけだよ」
そう、半眼になったまま言い募り、それから、三人の手から、アホアホ衣装を没収すると、「こ ん な 衣 装 で 薔 薇 姫 に な れ る か ぁぁぁぁ!!!!!」と床に叩きつけ、更に重ねて、ダン!と、思いっきり踏みつける。
その足音に、ピョン!ベッドで眠りこけていた、帝鴻が飛び上がった。

「あ…ああ、カッコいいスーツが…」
「あたいの素敵レオタード…」
「これでセクシー度アップの筈だったのに…」

ふらふらと亡霊の如く手を伸ばし、哀しげに呟く蘇鼓達の手を「ええい! 鬱陶しい!」と払いのけつつ、「私が、選ぶから、キミ達はもう、何も選ぶな!」と曜が宣言する。
(やっぱ、仮装大会じゃなかったのか…)と残念に思い、がっくりする蘇鼓を他所に、曜は柳眉を逆立てて、クローゼットからポイポイポイと衣装を放り出すと、「まず、竜子は、これと、これと、これ!」と言いながら、薔薇の飾りがあしらわれ、裾の広がったゴージャスな赤いロングドレスと、華奢なハイヒールに、豪奢な薔薇モチーフの髪飾りを押し付ける。
「それから、嵐はこれだ」
そう言いながら、またもや、何やら物々しい衣装を一式纏めて嵐に渡すと、それから「蘇鼓には…」と悩む素振りを見せた曜を遮って、「俺は、これがいい」と言いつつ、背中の大きく開いた大胆なデザインの金糸で見事な龍の刺繍が施された光沢のある中国服を引っ張り出す。
蘇鼓の顔をその服を交互に見比べる曜の姿に、なんだか、テストの結果を待つような、意味の分からないドキドキ感を味わった蘇鼓は、「まぁ、いいだろう」と頷く曜の姿を見て、「おお!」と素直に喜ぶと、「んじゃ、嵐、向こうのメインルームで着替えて来ようぜ?」と嵐に声を掛ける。
「あ、その前に、ちゃんとシャワーを浴びる事。 ちゃんと、ブラッシングしながら、ドライヤーをかけるんだぞ? スイートルームには確か、浴室が二つあった筈だから、竜子、背中を流してやろう」
そう曜が誘えば「おお! いいな! 汗で、もうベタベタなんだ!」と竜子が手を打って喜ぶ。
「…まぁ…俺達は別々で」と、男二人で背中流し合いっこもなかろうと思いつつ嵐に言えば、嵐も同じ考えだったのか、何も言わずに頷くと、衣装と、ベッドに沈んでいた帝鴻を抱えて、ベッドルームを後にした。

交代でシャワーを浴び、曜からの言いつけを守って、ドライヤーで髪を乾かす。
「うえー、なんか、俺が今まで着たこともお目にかかった事もないような服なんだけど…」と、一足先に髪を乾かした嵐が越しにタオルを腰に一枚巻いただけの姿で、衣装を眺め、唸っている。
「えー? なんか、俺楽しくなってきてんだけど?」と言いつつ、髪を乾かし終え、同じくタオル一枚の姿で、ぴょんぴょんと跳ねるようにして嵐の隣まで行き、自分の服を手に取ると、「なっかなか、こういう格好日常で出来ないしな」と笑う。
「おっまえ、似合いそうだよなあ…」としみじみと言われ「おお、サンキュ」と礼を言うと、ちゃっちゃと着込みだす。
嵐もとうとう観念したのか「これ…どうやって穿くんだ?」と言いつつ、試行錯誤しながら黒の細身の革パンを履き、ごつめのブーツを履いている。
「うう、これは、どの段階で着れば良いのか…っていうか、ボタンはどういう仕組みになっているのか…」と試行錯誤する嵐を見かねて、手伝ったりしてやりつつ、二人なんとか着替えると、お互いの様子を眺め、思わずしみじみと胸中で「馬子にも衣装」と呟いた。

曜のセレクトが素晴らしいというべきか、黒い透かし模様の精緻なレースが施された大き目な白い立て襟のドレスシャツの上に銀色の十字架モチーフがあしらわれ、いたるところにメタルボタンが付けられているインパクトのあるデザインの、裾の長いジャケットコートを羽織り、ゴシックファッションに身を包んだ嵐は、デコラティブで着る人を大いに選びそうなその衣装を完璧に着こなし、スレンダーな美青年になりおおせている。
そういう蘇鼓も、嵐から見れば、驚くべき変身を遂げているのか「ちょっと、シャレになんない似合い具合だな」と言われてしまい、それは褒められているのか、何なのか、とりあえず「やったぁ」と素直に両手をあげておく。
ソファーにて、勝手にプラズマテレビのリモコンを操作し、ワイドショーを見ていた帝鴻にも「どうよ? 似合う? 似合う?」と、まるで年頃の娘の如く問うて見るも、一瞬此方に顔を向けるも、すぐさま、「衝撃スクープ! あの、おしどり夫婦芸能人が破局していた!!!」と、見出しの出ている画面に夢中になり、思わず蘇鼓、帝鴻をむきょっと鷲掴むと、ぶんぶんぶんと不穏な速度で上下に振りつつ「似合うよな?」と笑顔で問い掛ける。
「…そんな…彼氏に無視された女じゃあるまいし」と蘇鼓の報復活動に、嵐がよろめいた声を出すも、帝鴻がふらつきながら頷く姿を見て、漸く満足した蘇鼓は、「竜子達も着替え終わったかねぇ?」と、ベッドルームに繋がる扉に視線を送る。
するとタイミングを計ったように、「そっちは、終わったか? こっちは、もういいぞ」と曜の声が聞こえ、二人はベッドルームへと再び足を向けた。

「うひゃあ! 見違えたなぁ!」

そう声を上げる竜子に、お前がだよ!と、心底驚愕した。
曜に丁寧に梳かしてもらったのか、ぼさぼさだった金髪がサラサラと背中で揺れている。
赤い豪華なドレスに負けない程の美貌に満面の笑みを載せて、パタパタと竜子が此方に近寄ってきた。
「「…お前…誰だよ…」」
思わず嵐と声を揃えて唸る。
「いや、普通に竜子だけど」と首を傾げ「畜生、ヒールって歩き難いな。 靴擦れが出来っちまいそうだ」と顔を顰める。

「…いや、一時はどうなるかと思ったが…」と言いながら、満足げに三人の姿を眺め回すと「とりあえず、これなら大丈夫だろう」と笑う曜は艶やかな、黒薔薇のモチーフを濃い黒糸で刺繍で施された和洋折衷の打ち掛けを、豪奢に重ねた、十二単を身に纏い、美しい絹糸の如き黒髪を背中に流して、銀色のティアラを頭に飾っていた。
その姿は、まるで気品ある姫君の如き佇まいで、先程、不良娘や、大の男二人相手に凄んで見せた姿は微塵も感じさせない。
透明感のある肌の上に、先程までの凛とした印象を一片させる柔らかで自然なメイクも施しており、艶やかな紅が刷かれた形の良い唇が、清楚で上品な雰囲気の中でやけ見る人間をドギマギさせるような色気を醸し出して、大人びた雰囲気を助長していた。
嵐が、口を開けたまま、暫く曜に見惚れる姿をさもありなんと納得しつつ、こんな娘がオークションなんかに出品されれば、金に糸目を付けない輩も多かろうと考える。
そう考える蘇鼓自身とて、かなりの高値が付きそうな容姿を誇っているし、薔薇姫として潜入するだけあって、それぞれが、それぞれ異なる美しさを存分に生かした姿になっている。
これで黙っていれば、一枚の絵の如き面々であるのに、既に限界を迎えているらしい竜子が「重い…鬱陶しい…足痛ぇ…」とうめき声を上げ、嵐が「着慣れないものを着てるからか、なんか、全身痒くなってきた…」と弱音を吐いていた。
一人元気な蘇鼓とて、「とりあえず、苛々抑える為にヤニ入れてくるわ…」と部屋を出かけた嵐の首根っこを捕まえて、「てめぇ! 愛煙者か! この鬼畜野郎! 俺の目の黒い内は、煙草の匂いなど漂わせねぇ!」と、煙や臭いすら耐え難い程の煙草嫌い故に、かなり必死に怒鳴りつつ、何処から取り出したのか、消臭スプレーを「煙草臭 滅殺!」と喚きながら、嵐に大量に噴射する。
「てめっ! ばか! 何しやがんだ! あと、なんか、殺虫剤みたいにそういうのを吹き付けられると、なんだか心が痛いんだぞ!」と怒鳴る嵐に「うるせぇ! 煙草なんか吸おうとする方が悪いっ! ほんと、煙草とか、とっとと千円になればいい!」と、時事ネタを織り込んだ悪態をつけば「やめてっ?! 今でさえ超苦しいのに、そんな事になったら、俺死んぢゃう!!」とこれまた必死に嵐が主張する。
その光景は、「見苦しい」の一言で切り捨てられそうな醜態であり、折角の素敵な衣裳も完全に台無しにしてしまっている。
そんな言い合いに、またしても項垂れた曜が、青筋を立てながら「…どうでもいいから、ドレッサーの前に座れ」と限界間近の声で言う。
再び、その迫力にぴたっと騒ぎを止め、大人しくドレッサーの前に座る嵐と、竜子。
「…へアセットやら、メイクなんぞ、キミ達が出来るとは思えないからな。 大人しくしてろよ? 下手の動いたら………」と、言葉を切った後の沈黙がやけに恐ろしく、「え? どうなんの?」「な、何されるの?」と、嵐と竜子が震え上がっているが、蘇鼓は曜の申し出を断わると、「俺は、メイクとかして貰わなくても、自前でなんとかなるんだよ」と言った
不思議そうな顔をする三人を他所に、「さぁて、巧くいくかねぇ?」と呟いて、蘇鼓は「ふっ…ふっ…ふぅっ…」と独特の呼吸を始める。
意識を静かに集中させ始めた。

蘇鼓は普段は人の姿こそしているが、本当は妖怪の性であるように、真実の姿はまた別にある。

第一の本性は全長2kmの黄金竜。
第二の本性は5m程の極彩色の美しい妖鳥。

今着ている、背中の大きく開いた、露出部の多い中国服。
これを目にした時から考えていたのだ。
この二つの本来の姿を、今の人の姿に交え、キメラとはまた違う、造形美を見せられはしないかと…。

完全に変身するのではなく、その特徴だけ、表出させようとするが故に、微妙なコントロールが必要で、静かに、静かに、意識を深層域に潜らせる。
ツと目を見開くと、蘇鼓の黄金の眼が、一際爛と光った。
顎を仰け反らせ、無意識のうちに、凄絶なまでに艶やかな笑みを浮かべる。


その瞬間、蘇鼓の真っ白な首筋や、腕から指先にかけ黄金の鱗が浮かび上がった。
髪の色が、竜子の染めた紛い物とは明らかに違う、輝くような黄金色に変化して波打ち、金色の細い角が二本秀でた額より生えた。
金の燐粉を振りまいているかの如く、その身の周囲がほんのりと黄金色に輝く。

(うし、第一形態は巧くいった。 次は第二形態っと…)

更に、意識を集中させる。

大きく開いた、その白い背中から色鮮やかな極彩色の大きな羽が広がった。
指先の爪が黄金色に染まった所で、蘇鼓は不意に両手を広げ、「どうよ?」と首を傾げてみせる。

三人が、これ以上ないってくらいの驚きの表情で蘇鼓を見ていた。
その並んだ表情が、なんだかえらく可愛く見えて「ケケケッ」と笑った後、帝鴻を抱え直し「こういうのも、毛色が変わってて良いだろ」と問い掛ける。
三人それぞれ頷いて、竜子が、目を輝かせながら「すっげぇ…綺麗…」と溜息混じりに言うものだから、やっぱり嬉しくなってしまって、蘇鼓は「ケケケッ」ともう一度笑うと、ぎゅうと、抱えている帝鴻を締め上げた。

さて、竜子も嵐も曜の手によって綺麗にメイクを施してもらい、へアセットも完了する。
シャワーを浴びる前にしていたような狸みたいな酷いメイクとは全く違う、正しい化粧を施された竜子は血色の良い頬や、滑らかな肌が、健康的で華麗な色香を放っており、金色の髪を纏められ薔薇の髪飾りで留められたいる事で露になった細い首筋も美しかった。
嵐も、本人大層、大層嫌がったのだが、有無を言わせぬ曜の迫力に負け、毛先を遊ばせるような今風の髪型にセットされ、メイクもされてしまっている。
紅まで薄く引かれた姿は、無性別めいた妖しい魅力すら感じさせ、曜は三人に対して、口が酸っぱくなる程に「良いか? 薔薇姫でいる間は、大人しく、黙ってるんだぞ? 口を開かなければ、ちゃんと薔薇姫に見えるからね?」と言い聞かせてきた。
若干悲しみさえ漂う注意事項だが、全くもって正しい物の言いだと蘇鼓は自覚する。
子供のようにコクンと頷いて、それからひょいと手を挙げる。
「あと、提案なんだけどよぉ…」
そう口を開き、なんだか、自分のスタンスは大五郎さえ、なんとか出来れば後はどうでも良いはずだったのに、懸命な彼らの手助けをしてやりたいような気になりつつ、「…俺さぁ、ちょっと楽器と歌には自信があって、歌で聞いてる者を催眠状態に陥らせたり、心を操ったりって出来んだけどな? もし、『K花市』の会場で巧く連中の前で歌を歌えたら、これって結構役に立たねぇ?」と提案すれば、「…結構どころか…それ、すげぇ、助かるぞ?」と嵐が嬉しげに言った。
「確かに、初動のイニチアシブを完全に掌握できる。 数では間違いなく此方が劣っているが、最初にある程度の人数を行動不能に陥らせる事が出来れば、かなり戦況を有利に運ぶ事が出来るな」
曜も期待に満ちた声で言い、「しかし、その変身といい、凄い特技を持ってるじゃないか」と感嘆の声をあげる。
「いやいや、どうも、どうも…」とへらへらっと答えたあと「たーだーし! ネックが2つ!」とブイサインをぐいっと突き出した。
「まずは、どうやって、オークションに出品されてる身の上で人前で歌わせて貰うよ?っつうのと、もう一つ! 俺の歌ってば、諸刃の刃っつうやつで、例え耳を塞いでてもその場にいる奴の脳に直接響いちゃって、俺以外誰彼構わず、作用しちまうんだよ。 つーまーり、てめぇらも操っちゃうの」
そうあっけらかんと告げる蘇鼓の言葉に、見る見るうちに三人とも意気消沈し「駄目じゃん…」と肩を落とす。
「んー、やっぱ無理かねぇ?」と言って、何とかならないか思案を巡らせると「あ…」と嵐が口を開けた。
「ん?」と竜子がその顔を覗き込めば「最初のネックなら…相談に乗ってくれそうな心当たりがあるぞ…」と考え、考えしているようにゆっくり言う。
「誰? 誰、誰?」と、竜子が勢い込んで尋ねれば「エマさん」と呆気ない位の速度で嵐は草間興信所のスーパー事務員の名を口にした。

「あの人、今回おっさんの救出チームのメンバーなんだろ? それこそ外側から手を回すなり、内側に潜り込んで操作するなり、エマさんなら蘇鼓に歌を歌わせるよう取り計う位はやってくれそうな気がする」

そう言う嵐に、思わず頷く蘇鼓。
彼女の人脈や情報網は確かに尋常じゃない域に達しているし、頭の回転の速さもピカ一だ。
そういった裏工作なら、一番の相談相手だろうと納得すれば、曜も竜子も同じ心境らしく、大きく頷き、竜子が「なんにしろ、こっちが囮役で向こうが潜入組っつう連携とってる以上連絡は一度取らなきゃなんないしな。 ちっと、話してみる」と答えた。
「そしたら、あとは、その歌の効果から、あたい達がどうやって逃れっかだよなぁ…」と頭を抱え、それから不意に竜子が顔を上げる。
「…なぁ、あのさ、その効果が現われるのに、大体どの位の時間がいる?」
「んあ? あー、そうだなぁ…計った事ねぇから、大体でしか言えねぇけど、一曲歌い終わる頃にはみんなイかれちまってっから、3分位だと思うぜ? え? なんで?」
とりあえずは答えるものの、質問の意図を計りかね問い返せど「…三分か…厳しいな…」と竜子はくぐもった声で呟き、それから「…なぁ、なんとか二分にならねぇか?」と言ってくる。
「…そんな、値切るみたいに……」と呆れ声を出しつつも、「二分で、蘇鼓の歌の効果が会場の連中に表れる事と、私達が彼の歌の効果から逃れる方法と、何か関係が有るのか?」と曜が問えば、竜子が頬を掻きながら「いや…な? つまり、蘇鼓の歌は『その場にいなければ』効果が及ばないんだよな?」と念押しするように聞いてきた。
「とーぜん! もし、その場にいない連中まで操れたら、俺ぁ、この世界の王様になっちまうよ」と、そんな退屈極まりない事、御免蒙るの意思を込めて答える。
「…だから、蘇鼓が歌い始めてから、その効果が現われるまでの間だけ、何とか別の場所にいけねぇかって考えたんだ」
竜子の言葉に「いや…んな事が出来りゃあいいけど…方法あんのかよ?」と嵐が問えば頷いて、竜子はクローゼットへと走りより、その中から小さな小瓶を幾つか持ってきた。
「…これは、白雪秘蔵の秘薬、『鏡渡り』。 なんか、精製に滅茶苦茶時間がかかるとかで、普段だったら絶対に渡してくれないんだけど、今回は王宮自体が危ういっつう事で、道化師にすんなり託してくれたらしい。 これは、白雪が鏡と鏡の間に作った経路を通り抜けられるようになる薬で、こっちの『オレンジ』の薬を飲んで鏡に飛び込めば薔薇姫達が待機させられている部屋の鏡から出られるようになってるそうだ」
竜子がそう言いながら、一人に一瓶ずつ小瓶を渡す。
「…そういえば、いざ薔薇姫になったとて、どうやって潜入するつもりか気になっていたのだが」
曜がそう呟けば、「おう。 そこら辺は抜かりなしさ」と、竜子は得意げに鼻の下を擦り、「…そんで、こっちが、『千年王宮』の白雪に繋がる経路を通れるようになる薬だ」と、紫色の液体が入った瓶を示して見せた。
「…白雪に?」
「ああ、白雪っつうのは、まぁ、鏡の化身なんだ。 だから、自分自身に経路を繋ぐ事も出来る。 こうやって鏡と鏡を繋いだり、鏡を使って他人とコンタクトを取ったり、気難しい奴なんで、ベイブの頼みでもなきゃ聞きゃあしねぇんだが、中々便利な奴なんだよ」
そう、自分の事のように自慢気に語る竜子の言葉を遮って「つまり、お前、俺達を一時『千年王宮』に避難させるつもりか?」と嵐が言えば、話の主題を思い出したのか、「おお!」とポンと手を打った竜子が流れるような動作で「そのとおり!」と嵐を指差した。
なんとまぁ、大胆なと呆れども、確かに、いかな蘇鼓の歌声とて、異世界にいる者に届きはしない。
「本当は、誠が無事逃げ出せた後、これを使って千年王宮に脱出する予定だったんだけど、蘇鼓の歌で相手の行動を封じる為に使う方がなんか良いような気がするし…」と竜子が言えば、蘇鼓も頷いて「逃げ出す時には、俺が龍の完全体になって、追手が追いつけねぇとこまで運んでやるよ」と軽く請け負う。
「…ていうか…色々見てきたし、今日も一生分位驚いたから、もう、驚かねぇけど…お前龍になれんのかよ…」と嵐が呻き、竜子も「歌が得意とかさぁ…、変身できるとか…何で、前に教えてくれなかったんだよ。 そういう、かっちょいい特技をよぉ!」と文句を言ってくる。
その言葉を聞いて、自分自身、そんな前提忘れがちに、自由気ままに振舞ってはいるが、竜子にとっては、自分は幇禍なのだなと思い出し、不意に何だか、むかっとした。

いや、偽ったのは自分だし…と思えど、「でも、料理も巧いし、喧嘩も強ぇし、特技のたくさんある奴ぁ、いいなぁ…」と呑気に喋る竜子の言葉を聞いていると、どんどんムカムカしてきて、突然「やぁ!」と叫ぶと、ばさっと体を振って、翼を竜子にぶつけてやる。
「あぶっ! なんだよ! 褒めてんじゃねぇか!」と怒鳴る竜子にばっさばっさと羽を数度叩きつけ、そのうち多分鼻を羽がくすぐったのが「ぶぇっくしょん! くっしょん!」とくしゃみが止まらなくなった竜子を腰に手を当て眺めつつ「幇禍って名前の時の話をすんじゃねぇよ。 今の俺は、蘇鼓だ」と強い語調で言う。
「うっ、ふぶぅえっくしょん! …なんだっ…その、こだわりは!」と喚きつつ、それでも「わぁったよ。 お前は、蘇鼓だ」と竜子が言うと、何だか満足感を覚え「よし! 許す!」とえらっそうに言ってやる。
「…んじゃ、脱出&最初に向こうにかます役目は蘇鼓頼んだ! あ、ただし、さっきも言ったけど、何とか二分で、歌の効果を発揮してくれないか? この薬の効き目が、そんなに長くないんだよ。 一旦、千年王宮に行ったは良いが帰れなくなっちまう。 いつもなら、あたいの持ってる王宮の鍵で、自由にコッチの世界と向こうを行き来出来んだが、普段の状態でも、こっちの出口を思い通りに定める事は難しいし、今の状況だと、向こう側から出てくることさえ難しいんだ。 だから、どうしても、薬の効果がある間に、こっちのカタをつけて欲しい。 頼むよ。 蘇鼓」
竜子の頼みに、無理言ってくれるよな…と思いつつも、無理などというのも癪に障るので「分かった。 やってやるよ」とそれも請け負ってしまう。

脱出も請け負って、最初の攻撃も請け負って、おいおい、結局、俺って、このメンバーの一員としてどっぷり働いてやってんじゃネェの? 幼馴染を助けてやるだけのつもりじゃなかったのかよ?と思えども、まぁ、楽しいからいっかー!と疑問をすぐに忘れ去る。
実際、蘇鼓にとっては、世の中の何よりもそれが大事で、楽しいという気持ちを得る事さえ出来れば、他の事は全て瑣末な問題に思えた。
「千年王宮へ行くには、鏡が必要なのだろう?」と言いつつ、曜がドレッサーから手鏡や、化粧に使ったファンデーションやアイシャドウの鏡付きケースを、竜子と嵐に渡し、代わりに薬を受け取る。
「この紫の薬が、千年王宮とやらに行ける薬か。 間違えないようにしないとな? 嵐」と確認する曜に、「何でだろう…こう、すごーく馬鹿にされたような気がするのは…」と項垂れつつも、竜子から受け取った薬を物珍しげに眺める。
「あ…じゃあ、あの道化師って男が鏡に飛び込んで消えたのも、この薬の力か…」と嵐が言うのに竜子は頷いて「まぁ、あいつは、ちょくちょく、あたいの知らないルートを使って、こっちに遊びに来てるみたいだけどな…」と呆れたような声で言う。
「んじゃ、ちょっと、今から姐さんに電話いれてくるわ」と言いつつ携帯を取りに、メインルームへと赴いた竜子の「姐さん」という呼び方に、一瞬「誰の事だろ?」と首を傾げれば、「あいつが呼んだ、姐さんてエマさんの事だから」と、小さな笑いを含んだ声で、嵐が教えてくれた。
「姐さん…なぁ…」
何故か、竜子が「姐さん」と口にした瞬間、ぴくっと体を反応させた曜が複雑そうな顔をして呟く。
「…まぁ…ぴったりじゃね?」
理知的な美貌に相反して、かなりの度胸を持っているエマの顔を思い浮かべて蘇鼓が言えば、「まぁ…な」と曜も同意し、「…ああ、やっぱり、ここでも誰も否定しねぇんだなぁ」と嵐は遠い目をしつつ、意味の分からない事を言った。


エマとの打ち合わせを終えた竜子を交え、四人それぞれ鏡の前に立つ。
蘇鼓の歌に関しては、彼女が出来るだけの事をやってみると請け負ってくれたらしく、こちらが騒ぎを起こす直前に、竜子が携帯のバイブ機能を使って、彼女に知らせ、此方からの知らせを受けて、エマ達は黒須の救出の為の行動を開始するそうだ。

「ま、向こうは向こうで、かなり強力なメンバーが揃ってるこったし、俺らは、俺らの出来る限りの事をやろう」と嵐が言い、曜も「人の尊厳を無視したK麒麟の行い、このまま捨て置く訳にはいかない。 全力を、尽くす」と宣言する。
蘇鼓は帝鴻を肩に乗せ、へろよんっと軽く笑い掛けて「さて、楽しんでくるか」と言い、薬を飲もうとした瞬間だった。

「あ!! 忘れてた!!」と竜子が突然大声をあげた。
今まさに、薬瓶に口をつけようとしていた所だったため、反射的に体が跳ねて零しそうになった事にヒヤヒヤしつつ、「んだよ! まだ、何かあんのかよ!」と蘇鼓が言えば、嵐も、曜も「びっくりさせんなよ!」「驚いて、薬を落とす所だったぞ!」と口々に抗議する。
「悪ぃ、悪ぃ」と詫びながら、「はい! 集合!」と竜子が手を挙げた。
一体、何があるのか、訳がわからぬまま、傍に寄れば、ひょいと手を下に向けて差し出し「円陣、やろうぜ?」とにかっと笑う。
「はぁ?」と嵐が疑問の声をあげる隙もあればこそ。
「んじゃ、作戦の成功と、みんなの無事を祈って、いくぞー!!!」と竜子が勝手に叫ぶものだから、ノせられ慌てて、手を重ね、四人揃って「オー!!」声を合わせてしまっていた。

「…うわぁ…俺…初体験かも…しんねぇ…」と嵐が何だか気恥ずかしげに言い、曜も頬を少し赤くしながら、「青春ドラマや、スポーツ中継でしか見たことがなかったが…」と呟く。
「おあー、すげー、ノせられたー! 否応なく波にノせられたー! 円陣のノせ力すげー!」と、蘇鼓は、ちょっとはしゃいでしまい、それから、竜子が「気合入んだろ?」と笑うと「うし! 行こう!」と告げた。

薬の味は、蜂蜜を更に煮詰めたように甘ったるく、思わず吐き出しそうになるのを堪えて何とか飲み干した。

間髪いれずに鏡に飛び込めば、全身を冷たい手が撫でるようなゾッとした感覚が走りぬけ、次の瞬間、薄暗い控え室のような白い壁の部屋に降り立つ。

他の三人も、無事辿り着いており、キョロキョロと周囲を見回している。
「…この子達が…薔薇姫」
痛ましげな曜の声に、視線を向ければ、何か薬でも打たれているのか虚ろな眼差しでソファーに座らされている数人の男女の姿が目に入った。
それぞれ、とても美しい容姿をしており、中にはまだ、あどけないと言っても差し支えない年齢の子供も混じっている。
十代から二十代前半の、若い者達が生気をなくした様子で、微動だにしない姿は、精巧なマネキンが並んでいるようにも見え、不気味でもあり、帝鴻がパタパタと傍によって、ちょん、ちょんっと恐る恐る、その頬を突いているのを興味深く眺める。
それぞれ、綺麗に飾り立てられ、殆ど裸同然のような格好をさせられている女性もいたが、余りに人形めいているせいか、視線のやり場に困るような気持ちも起こらず「やっぱ…動いてないと、どんだけ綺麗な見た目でもつまんねぇな」と一人ごちて、ついと部屋の隅に鉄製の殺風景な扉があるのを見つけた。
好奇心で、扉を開けてみれば、そこには真っ暗なだだっ広い空間が広がり、所々に檻や、ガラスケースが点在しているのが目に入る。
檻の中には、奇妙な生き物達が閉じ込められていて、ふと視線を彷徨わせれば、不意に、黒い鉄格子の檻の中に入れられた、幼馴染の大五郎の姿が目に入った。

「っ! 大五郎!」

そう名を呼びながら走り寄る蘇鼓の背中に「おい! 一人で行動すると危ねぇぞ!」と声を掛けつつ嵐がその後を追う。

曜と、竜子も後に続いたのか複数の足跡が聞こえたが蘇鼓は構わず、大五郎の檻の前まで一気に駆けた。

「…やぁっぱそうだ。 大五郎だ。 んだよ、てめぇ、なんかしくじったのか? この野郎。 ケケケッ、似合いもしねぇ、そんなトコに入れられっちまってよう」

そう声を掛け、寝そべってる彼に視線を合わせる為にしゃがみ込めば、のそりと大五郎は顔を上げ、暫く蘇鼓の顔を見つめた後、フイと顔を背ける。

(…こりゃあ…ダメかな…?)

そう思いつつも再度「大五郎? だーいごろーう。 俺の事忘れたのかよ? 色々一緒に悪さしたじゃねぇかよう!」と声を掛けていると、「知り合いかよ?」と言いつつ、追いついてきたらしい嵐が、ポンと蘇鼓の肩を叩いた。
「ああ、大五郎っつう幼馴染なんだ」と振り返りつつ蘇鼓が紹介すれば、「なんで、お前は中国名なのに、幼馴染が、そんな純和風な名前なんだよ…っていうか、そもそも虎が幼馴染って、お前、どんな環境で育ったんだ…」と、嵐が気の抜けたような声でツっ込む。

「だけど、こいつ、俺の声に反応しねぇんだ。 変な薬打たれてんのか、そもそも、脳を弄られたか…もう、自我がないのかも知れねぇな…」

(もし…そうなら…)

一思いに…。

そう考えながら、ふいと脇を見れば、部屋から曜が連れてきてくれたらしい帝鴻が目に入る。
帝鴻は、自分自身よりも更に大五郎とは親しい間柄。
きっと大層懐かしかろうと、蘇鼓は、優しく微笑んで……


帝鴻を ぷぎゅっと 檻の中に 押し込んだ。


「………えええええええええ???!!!!」


思わず絶叫しながら、蘇鼓と帝鴻を交互に指差す嵐。

「ん?」

にっこりと笑いながら嵐に視線を向けると、「お、おま、おおお、おまっえっ、さっき、大五郎の自我はもうないかも…とかい、言ってなかったっけ?」と問い掛けてくる。
「うん、そうなんだよなぁ。 俺の事は忘れる筈がねぇのに、完全シカトだぜ? もう、こいつは、見た目こそ、大五郎だけど、頭の中は違うのかもしれねぇな…」
そうしみじみ答えれば、「いや? いやいやいやいや? え? ちょっと、待って、え? 俺、蘇鼓の考えてる事がさっぱり分からねぇんだけど、それは、俺の頭がおかしいからなのか…な?」と竜子と曜に、嵐が縋るような視線を向けた。
その視線に応えるように、二人は揃って首をぶんぶんと打ち振り「「…こいつがおかしい」」と蘇鼓を指差してくる。
「お前らなぁ…、友情っつうのを…信じねぇのかよ」
そんな三人に対し、言い聞かせるような静かな口調で蘇鼓が語りかける。
「帝鴻はな…大五郎とは、マブダチを超えた、心の友同士だったんだよ…。 俺は、帝鴻に会わせてやる事で…大五郎が正気を取り戻せると信じて…こうやって、あえて、あいつを檻の中に送り込んだんだ。 この関係は、他人には分かんねぇよ。 まさに、俺とお前と大五郎…な関係なんだよ」
そう言い終えた蘇鼓を前に、皆一瞬黙り込み、そして曜が呆然とした口調で「ま…まさか、とは、思うが『俺とお前と大五郎』っていう、いつの時代かも思い出せないような古いフレーズネタの為だけに、その虎の名は大五郎という名になったのではないだろうな…?」と誰に向けてか分からない問いかけを行う、うん、正解!(by天の声)
「大体、帝鴻を大五郎に会わせたいんだったら、檻越しでいいじゃん! 充分じゃん!」と竜子が喚くも、「いや、だって、あいつが、今正気かどうか確かめるのに、この方法が最適だろ!」と笑顔で告げて「「「…思いっきり、リトマス試験紙代りじゃないか!!」」」と渾身の声で三人に突っ込まれた。
挙句、「あとさぁ、折角だし、大五郎が正気かどうか、賭けしねぇ? 俺は、大五郎はもう正気じゃなくて、帝鴻がパクっとヤられっちまうに500円な?」と笑顔のまま提案すると、「賭けるんかい! どんなイベント感覚だ! しかも、食べられる方に賭けんのかよ! さっきの友情の話とはなんだったんだよ! っていうか、帝鴻もお前の幼馴染じゃないのかよ!!」と嵐が矢継ぎ早に攻め立てられる。
クリンと首を傾げ「そんなにいっぺんに喋ると、苦しくなっちゃうぞ?」と心配してやれば、嵐は両手で顔を覆い、「もーやだ、俺、こいつとまともに喋れる自信が、一切ねぇ」とさめざめとした声で言われた。
曜はといえば、阿呆なやり取りにさっさと見切りをつけ、果敢にも檻の中に手を差し入れ、帝鴻の体に手を伸ばし「こっちへ来い! なんとか引っ張り出してやるから!」と呼びかけていた。
帝鴻は、何が起こったのかわからず暫し呆然としていた様子だったが、漸く状況が掴めたのか、途端に右往左往と短い手足や小さな羽根をぱたぱた、ばたばた慌てだし、曜の声もとんと耳に入っていないようで、そんな帝鴻に気付いた大五郎が、のそりと身を起こし、のそり、のそりと近付いてくる。
ぷるぷるぷると身を震わせ、何かを訴えるかのように、忙しなく手を振る帝鴻を暫く見下ろしていたが、大五郎は喉の奥で「うぐるる」と低く唸ると、突如鋭い爪を光らせて、帝鴻にその腕を伸ばした。
(お…賭けに勝ったかな…?)と、わくわくしつつ経過に見入れども、大五郎はくるんと所謂猫の手にして爪を引っ込め、丸めた足先でころん、ころんと帝鴻を突く。
ぷるぷると震えていた帝鴻は、それから、数度撫でるように突かれ「うにゃん」と大五郎が猫の鳴き声のような声をあげるに至って、漸く、彼が自分に危害を加えようとしている訳でない事に気付いたのか、ぱたぱたぱたと飛び上がると、大五郎の顔の周囲を飛び回り、それから、蘇鼓に顔を向けると、抗議するかのように、短い手をきゅっきゅと振り上げる。
(なんだ、正気、残ってるんじゃなぇか…)と、少し残念に思いつつ、そんな帝鴻の様子に、「ハハッ☆」といつになく爽やかな笑い声をあげ、さらりと髪を掻き上げると「俺は信じてた・ぞ? 俺達の友情ぱわぁを…な?」と朗らかな声で言う。
そんな蘇鼓から一歩引いた遠巻きから眺めていた曜が、顔を強張らせながら「こんな白々しい嘘は、初めて聞いた…」と呻いた。
檻の中の帝鴻を何とか引っ張り出し「…正気があるなら何よりだ。 てか、なんで、無視したんだよ」と大五郎に文句を言えば、「ぐる、ぐる」と低く弱々しい唸り声で返してきた。
どうやら、薬で意識を朦朧とさせられているのは間違いないらしい。
だが、自我があるのなら、昔の縁だ。
今から起こす騒ぎに便乗して解放してやろうと、算段する。
大五郎自体、自由に暴れ回れば充分以上に戦力になる虎なのだ。
義理堅い男だし、役にだって立ってくれるだろう。
そう思い、「悪ぃ、付き合わせた」と竜子達に声を掛ける。
「いいのか?」
「ああ、今の時点では、逃がすのは難しいからな。 一暴れする時に、何とか檻から出してやる」
そう曜に答え、「…まぁ、もうちょっと待ってろ」と大五郎に言い聞かせた。
大五郎は、「ぐるぅ」と一度応え、再び、床にだらりと寝そべる。

「さて、そろそろ薔薇姫になりきらねぇと、不味いんじゃね?」と言いつつ、先程の部屋に戻り、ソファーに座っている薔薇姫たちに混じって座る。
暫し後、がやがやとした足音が聞こえ、乱暴に先ほど倉庫に繋がっていたドアが開けられた。

ヒュウと口笛を吹いた粗野そうな男が数人、どやどやと部屋に雪崩れ込んでくる。
「今回は、また、特に上玉揃いじゃねぇか」
そう一人の男が言えば「確かに、しかも、いつもよりも数も多い。 知らされてた人数より増えてねぇか?」と別の男が問い掛ける。
薔薇姫達を舐めるような目で見回していた男が、「確かに、人数は違うが、直前になって良いお姫さんが手に入る事なんざザラだし、減ってんなら大問題だが、増えてんだから、まぁ、いいだろ」と適当な事を言いつつ、不意に曜の顎を掴みあげた。
「おらぁ、こういうねぇちゃんが好みだなぁ…。 こんな別嬪な娘、どの店行っても絶対にいねぇぜ? 清純そうなとこが、余計ソソんじゃねぇの」と言い、下卑た声で笑えば、別の男が蘇鼓の顔を覗きこみ「…俺は、こいつがいいな。 多分、天然物だろう? Drの飼ってる異形の女共も、色っぺーが、こんな極上なのはいないぜ?」とニヤニヤ笑いかけてくる。
(げ!)と身を竦めかけども、不意に喉仏に目を留められて「…んだよ、男かよ」と毒づかれ、「…こっちは?」と言いつつ、嵐に視線を向けて「まじかよ! こいつも、男か、つまんねぇな!」と文句を垂れる。
とりあえず、「絶対殺すリスト」に男の顔を刻み込んでいると、竜子も、髪を撫でられ、にやけた男達に眺められてはいたが、それぞれ、然程忍耐強いとは言い難い性質なれど、この時ばかりは「今動いたら、今までの準備が、全部パーになる!(あと、曜に叱られたくない!@曜以外のメンバー)」という強迫観念にかられ、皆、驚くほどに微動だにしない。
「おら、こいつらは大事な売り物なんだから、とっとと『籠』に詰めろ!」と男の一人が声を荒げ、ばらばらと覇気のない返事をしつつ、漸く男達が動き出す。

彼らが、薔薇姫を中に納め始めたのは、無骨な檻とも、ガラスケースとも違う、銀色の美しい鳥篭を模した容れ物だった。

鳥篭の中には、色鮮やかな花が敷き詰められ、柵に凭れさせるようにして座らされ、台車に乗せられた蘇鼓は、微かに瞬きながらも、これからどういう展開になるのか、鰻上りに期待が高まっていくのを感じる。
はしゃぎ出しそうな体を必死に押さえ、微かな微笑を唇に浮かべると、蘇鼓はかってない程に超大人しく猫を被りきり、会場へと運ばれて行った。

会場の中は、驚くほどの人混みでごった返していた。
きつい香水の匂いに顔を顰めかけ、葉巻の匂いが漂ってきたところで、息を止める。
(最悪! 人が集まる場所なら、禁煙がマナーだろうが!)と普段、マナーなんて言葉とは無縁に生きてる身の上で、そう胸中で喚く蘇鼓。
薔薇姫が運び込まれると、そこらかしこでどよめきが起こり、我先にと駆け寄ってくるものもいる。

(目玉商品って事か…)

そう判断し、澄まし顔のまま薔薇姫に徹する。
瞬く間に、周囲に人だかりが出来、男女問わず、蘇鼓の、その美しい姿に見惚れ、感嘆の溜息を漏らしていた。
「この子は、幾ら位になるかしら?」
「10億で手に入るなら、俺は買うな」
「見て御覧なさいな。 あの羽を。 まるで楽園に棲む鳥のように鮮やかだわ…」
そう感想を漏らす声を聞きながら、そのどれもがちっとも嬉しくない自分に気付く。
それよりも、竜子が溜息混じりに言った、「すっげぇ…綺麗…」という言葉の方が染みた。

あいつは、アホだが、間違いなくアホだが、だけど、子供の声を持っている。
あれは、本当の言葉だ。
ああいうのが、本当の褒め言葉だ。

飾り立てられた言葉や、金額でしか美しさを表現できない客達を哀れみつつ、蘇鼓は妖艶な笑みを浮かべ続ける。

それからどれ位の時を経たのか、送られる数多の視線の中に異質な温度を持つ二つの視線があることに気付き、気配だけで、その主を探す。

ダークブロンドの髪と、深い群青色の瞳。
薔薇姫の中に混じっていてもおかしくない程の容貌をしたボーイ姿の男と、同じく薔薇姫級の酷く甘く整った顔立ちをしたこれぞ、男の色気と言いたくなるような空気を身に纏ったボーイが蘇鼓を眺めていた。
ボーイ二人に見覚えはないが、直感的に、この男達は、エマと黒須を救出する為に動いて言うという「兎月原」と「デリク」ではないかと察する。
確か、竜子から聞いた話では、会場にボーイや、フロアレディを装い潜伏し、蘇鼓達が騒ぎを起こすと同時に隠密裏の行動を開始すると言っていた。
蘇鼓の歌声に対しても、メンバー内に、次元を歪められるものがいるから、異次元の壁で音を遮断するので問題ないらしい。
ボーイ達の視線が不意に、蘇鼓から外れ、背後へと向けられた。
知らず、目玉だけで、その行方を追う。

い た。 


どうしてだろう 咄嗟に 大声で嗤いたくなった。


蘇鼓の目に映るは、自分と全く同じ顔。

こんなに近くにいる。

弟が。

幇禍が。

人形が。

全身の毛が逆立ちそうになるのを必死に抑える。


気付くな。
気付け。

こちらを見るな。
こっちを見ろ。

破滅を望んでいるような、それでいて、このまま何事もなく終わる事を望むような不思議な心境だった。

ただ、興奮した。
大層、興奮した。

高そうな革張りのソファーに身を埋めて、おいおい、いやに、えらっそうじゃないか。

揶揄するような言葉を心の内に吐き捨てて、じっと眺めていると、不意に幇禍が立ち上がり、こちらに歩いてこようとする。
まだ、蘇鼓には気付いてないようだが、もう、時間の問題だ。

蘇鼓の笑みが僅かに深くなった。
ゾクゾクと背筋が震える。


おお 不肖の弟よ
お前 俺に 気付いたら



一体、幾らで買ってくれる?



突然、幇禍が方向を転換した。
フロアレディに腕を引かれている。
見覚えのある、美しいシルエット。
エマだ。

エマは、幇禍とも知り合いなのか、人混みに紛れ、彼を蘇鼓の視界から連れ去って行く。

全身が虚脱する程の残念な気持ちと、安堵感に襲われた。
背中に冷たい汗をかいている。

二人のボーイもいつの間にか姿を消していた。

不意にキイと微かな音を立て、蘇鼓の鳥篭が開けられた。
黒スーツの男が「出ろ」と蘇鼓に声を掛け、蘇鼓は大人しく、籠の外へと踏み出す。
そこには、派手な色に染めた長めの髪を、後ろに撫でつけ、オールバックにした、精悍な男が立っていた。
他の面々とは一味も、二味も違う、ヒリヒリとした危険を感じさせる男は、蘇鼓を値踏みするように眺め、「お前、歌が巧いんだそうだな?」と問い掛けてきた。

間違いない。
こいつが、呉虎杰。

「天上の鳥もかくやというような声を出すらしいじゃないか」

虎杰に問われ、エマの差し金か…と察し、蘇鼓は儚げな笑みを浮かべ、頭を垂れて、「…恐れ多いお言葉にございますが、手前は確かに演奏と歌には多少自信がございます。 どうせ、どなたかの手に渡る身の上なれば、せめて、自由の身である、最後の一時に、一曲鳴かせて頂けはしないでしょうか?」と、か細い声で訴えれば、少し悩む素振りを見せる。
バーガーショップにて竜子達の前では、咄嗟であった事もあり、あれほど拙くしか使えなかった敬語なのに、本気で人を騙す為ならば、幾らでもスラスラと慇懃な言葉が吐き出せて、自分の余りの調子のよさを自分で褒め称えたいような気持ちになった。
「…手前勝手な思惑ではございますが。ただの薔薇姫よりも、歌う薔薇姫の方が、高値がつくかと思われます。 私も、この喉を枯らすような目に合わされぬ人の元へ行きたいのです」
そうダメ押しをすれば、「中々に強かな奴だ。 気に入った。 良いだろう、歌わせてやる。 楽器は何を所望する?」と聞かれる。
内心ガッツポーズを決めながらも、しおらしい態度は崩さず、今の姿のコンセプトに合わせ「ハープを…」と言えば、瞬く間に、会場の真ん中にスペースが作られ、ハープが設置された。

観客たちが、何が始まるのかと、固唾を呑むのを眺め、てめぇらの期待に応えてやるよと心の中で舌を出す。
用意されたのは、西洋音楽の独奏やオーケストラの合奏などに使用される、大きなダブル・アクション・ペダル・ハープで、静々とその優雅な姿に歩み寄り、ハープの側面に設置された華奢な椅子に腰掛、ハープを抱え込むようにして弦に指を滑らせた。

その瞬間、背後に感じていた竜子達の気配が消えるのを感じ、蘇鼓は唇を凶悪な形に捻じ曲げた。

さぁて、おねんねの時間だ、お前達。


本当は殺し合わせるつもりだった。

だが、竜子も、嵐も、曜も反対したから、とりあえずは眠らせるだけで許してやる事にした。
彼らは、むしろ、蘇鼓の能力によって「客」や、薔薇姫、無理矢理囚われているだけのキメラ達が、無駄に動き回らなくなり、危害を加えなくて済むようになる事を何より喜んでいた。

それは、大層つまらないと思ったが、今回は、中々、楽しい時間を過ごせたし、そういうお人好しの子らの言う事を気紛れにきいてやる事にして、眠りを誘う調べを喉から紡ぎだす。
巧みに、滑らかに動く指先は、ハープからこの世のものとは思えぬほどの、美しい調べを奏で、蘇鼓の唇から少女のものとも鳥の声とも区別のつかぬ、唯々清らかで、可憐な、それでいて官能的な程に甘い歌声が零れ、会場中に響き渡った。
不思議な旋律は、聴くものの酩酊を誘い、皆の目が、次第にとろとろと緩みだす。

(おやすみ)

微笑を浮かべ、ご挨拶。
竜子が急げというものだから、些か気合を入れすぎたのか、ソファーから崩れ落ち、昏々とした眠りについている者たちも多く見られる。
薔薇姫や、会場内に展示されていたキメラ達も、皆、ぐっすりと眠りこけ、そろそろ竜子達が戻ってくる頃だと判断した蘇鼓は静かに歌を終えた。

すると、丁度良いタイミングで竜子達が、鳥篭の中に戻ってくる。

曜は、十二単姿の下に下着として着込んでいたのであろう、動きやすそうな小袖姿に変じており、鮮やかな椿の柄があしらわれた着物姿に、下ろしていた髪を簪で纏めた姿は、薔薇姫姿とはまた違う凛とした美しさに満ちていた。
手に提げていた、柄の装飾も美しい剣の朱色の下諸を、ついと口に咥えて引き解くと、一閃、居合いの要領で抜き様に、籠を斬り裂く。
すると一瞬の間の後、ずらりと鳥篭は綺麗な斬り痕を見せつつバラバラと崩れ、籠内から脱出した曜は同じ要領で、竜子と嵐も救い出す。

「さんきゅ! 曜! っていうか、すっげぇな、お前」

褒められども、表情を緩ませず、「第二陣、間もなく来るぞ…」と曜が告げる。
すると、言葉どおり、会場の異変を察したらしい、K麒麟の連中が、一斉に会場内に飛び込んできた。
皆、どこか、異様な姿をしており、どれもこれも、キメラである事を、蘇鼓は察し「やだねぇ…」と薄っすら笑う。
黄金色の鋭い爪をつるりと舐め上げ、「なぁ、好きにやっちゃっていいんだろ?」と竜子に問えば、竜子は少しだけ困った顔をして、「出来たら…殺すな」と蘇鼓に言った。

甘っちょろい考えの アホ娘

「あいよ。 出来たら…な?」

そう、さらさら守るつもりのない口約束だけ交わしてやり、蘇鼓は大きく羽を広げて高い天井近くまで飛び上がる。
羽の間に姿を隠していた、帝鴻が、しっかと羽にしがみ付くのを感じながら、空中から急襲してこようとしていた蝙蝠羽のキメラ達を、瞬く間に切り裂いていく。
血飛沫を浴びながら、奇声を上げ、大声で笑い、今まで溜まりに溜まっていた鬱憤を晴らしていると、眼下には、明らかにキメラ達とは違う異形の存在が大量に群れ、敵に喰らいついていっている。
それは、大小様々な、鬼達。
先導しているのは、剣を片手に、次々と敵を切り伏せて行っている曜で、彼女が鬼を使役していると察すると「やるなぁ」と蘇鼓は感嘆の声を上げた。
嵐や竜子も、千年王宮から、何やら面白い武器を得てきたらしく、派手な音と光を放つマシンガンを両手に抱えた竜子が、喚き声をあげながら無闇矢鱈に周囲に打ち放し、嵐も薄紅色の美しい両刃の剣を振り翳している。

これ以上ない程に、派手に暴れ、それぞれの役目を全うしていた面々であったが、「さて、そこまでだ」という低い男の声に、敵味方共に思わず動作を静止させられた。
「背徳」の入り口に、背後に大勢の部下を従えた男が立っている。

「呉虎杰…」

唸るような声で、曜がその名を呼ぶ。
確か、会場にいた筈なのに、何故眠っていないのか、蘇鼓が疑問を抱けば、空中に浮かぶ蘇鼓を見上げ「いやいや、素晴らしい歌声だった。 情けない事に、俺も前後不覚の状態にされたんだがね、うちには優秀な『Dr』がいてね、彼の処方してくれている『気付け薬』のお陰で、漸く意識を取り戻すことが出来た」と両手を広げた。

ケケケッと、蘇鼓は笑い「馬鹿な野郎だ。 そのまま眠っていた方が、なんぼかマシな死に方が出来たぜ?」と高らかに告げる。
曜が剣を構え、「…キミ達は、こちらのシマを荒らしすぎた。 余りに無法が過ぎる、外道振り。 カタギに迷惑掛けるなんて、無粋の極みってものだよ。同じ裏稼業で偉そうな事は言えた筋ではないが薬と人買いは許さん 女・子供に手を出さないっていうのが、この国の任侠人の決まり事だ」と、地の底から響くような声で並べ立てる。
「生憎、大陸では、なんだって儲けた者勝ちでね、この国の、しみったれた任侠道など、一切聞く耳なんざ、持ってないんだ。 さて、お嬢さん? どうするつもりだ?」
虎杰が愉快気に笑いながら問う。
「知れたこと…。 呉虎杰、その首もらいうける!」と、酷く迫力のある声音で声を荒げ、曜は凄まじい眼力でもって虎杰を睨み据えた。
「…お前…何者だ?」
虎杰の問い掛けに、静かに笑って答えぬ曜だが、蘇鼓は「同じ裏稼業つってたし、曜…、あいつ、カタギじゃねぇな」と、素早く察する。
時折見せる尋常じゃない覇気も、裏稼業の人間ならば得心がいくといったところだ。
それも、そこらのさんぴんやドチンピラとは、格の違う超・大物。

おお、極道VSマフィアなんて、Vシネでしか見れねぇぞ…なんて、若干見学モードに突入する蘇鼓の隙を突くかのように、数匹のキメラが高速で突っ込んでくるが、片手でおざなりにいなした。
「邪魔すんじゃねぇよ!」とぶうたれ、それから、今のうちに大五郎だけでも、解放しようと、彼が閉じ込められている檻の近くに降り立つ。
曜は、キメラ達を鬼を使って足止めし、本丸の虎杰と斬り結んでいた。
青竜刀を操る虎杰と一合、二合と激しく打ち合い、更に激しく曜が果敢に攻め立ていく。
「おー、すげー、すげー」と他人事のように呟く、蘇鼓の頭上を、何かがポンと飛んで行った。

虎杰が腕を伸ばして、その物体を受け止める。

それは、ホテルから、薔薇姫の控え室へと潜入した際に目にした、まだ、幼い、美しい少女。
虎杰は腕を伸ばして、少女を受け止め、その喉に刀を突きつける。
途端、曜の動作が止まった。

「…甘いな。 『鬼姫』」

曜がその呼び掛けに、「…知っていたのか」と呟く。

『鬼姫』
それが曜の二つ名か。

(勇ましい名前だねぇ…)と蘇鼓は、面白く思う。

「いや、つい先ほど気付いた。 だが、有名人だよ、お前は。 俺も、その評判は散々聞き及んでいる。 とはいえ、冷酷非情で有名な『鬼姫』がお前のような小娘とは想像もしていなかった」と虎杰が答えた。
「…お前も、組織を率いる身の上。 人質などという卑怯な真似をせず、正々堂々と私と立ち合ったらどうだ」
冷たい声でそう告げる曜に、虎杰は優しい程穏やかに笑いかけた。

同じ笑い方が出来るから、蘇鼓は気付いた。


あいつ やべぇ 狂ってやがる

「人質? 違うよ。 ただ…」

その瞬間、虎杰の抱えていた子供の頭が


パンって 鮮やかに弾けた。

「この花を鬼姫に特等席で見せてやりたかったんだ」

笑いながら、血の飛沫を浴びた虎杰が言う。

その瞬間、パン! パン! パン!と弾ける音が連続して響き、蘇鼓の背中からも一際大きな音が聞こえてきた。

背中に生暖かな液体が浴びせられる。

指先で羽に触れれば、羽は真っ赤に染まっていた。

振り返る。


蘇鼓は、虎杰と同じ笑い方が出来る男だったので。


「おいおいマジかよ」と、呆れ声で呟いて、少しだけ笑って、頭が弾けちゃってる大五郎の屍骸を眺めた。
ぎゅっと、帝鴻が蘇鼓の羽を掴んだので「いてぇよ」と文句を言って小突き、それから周囲に目を向ける。

御覧
薔薇姫は綺麗だった顔が全部飛び散って、オークションに出されていたキメラ達も、みんな、首がない。

「安全装置。 キメラや、薔薇姫が不要になったり、危険な反抗に及んだ際に、すぐに『処分』出来るように、客に渡して合ったんだ。 Drに、キメラ達の後頭部に埋め込ませた爆弾のスイッチをな? Drが、今回納入予定の全キメラ達の爆破スイッチを持っていてねぇ。 肩甲骨の下に埋め込んだ、キメラ達のGPS発信機の反応が不穏だったから、おかしな事をしていれば、すぐにスイッチを押すよう言ってあったんだが…」

そう言いながら、キメラ達を眺め回し「こりゃあ、中々爽快な光景だ」と虎杰は大声で笑った。

頭の おかしい 笑い方

「…赤い花の、花畑みたいだな」


そう言う虎杰に震えながら「お前…どいうつもりだ…。 キメラ…達は、大事な売り物なんじゃないのか?」と曜が問う。

「どうせ、こんな騒ぎを起こしてくれたんだ。 『K花市』は今回で仕舞いになるし、お陰さまで、K麒麟の評判も地に落ちるだろう。 この業界、評判が何より大事…なんて事は言わずとも分かるだろ? だが、良いんだ。 別に、こんなもの。 組織だって、本当はどうでも良い。 俺には、もっと大事なものがあってねぇ、『女王』」

そう、虎杰が竜子に呼びかけ「俺の目的が、あの城だって言ったら、驚いてくれるかい?」と穏やかに告げた。



竜子が息を呑み立ち尽くす。


千年王宮とK麒麟の首領、虎杰が繋がった。


意外な展開に、蘇鼓も、我知らず虎杰と全く同じ穏やかなのにどこか狂った笑みを浮かべる。


一体、この物語の、本当の背景はなんだ?
そして、俺は、どう動けば一番楽しい?

蘇鼓の抱いた疑問に呼応するかのように、虎杰が問い掛けてきた。


「さて、お前達、これからどうするね?」


〜to be continued〜


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】
【3343/ 魏・幇禍 (ぎ・ふうか) / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【7521/ 兎月原・正嗣 / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者 】
【3678/ 舜・蘇鼓 (しゅん・すぅこ) / 男性 / 999歳 / 道端の弾き語り/中国妖怪 】
【4582/ 七城・曜 (ななしろ・ひかり)/ 女性 / 17歳 / 女子高生(極道陰陽師)】
【2380/ 向坂・嵐/ 男性 / 19歳 / バイク便ライダー】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【3427/ ウラ・フレンツヒェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【4236/ 水無瀬・燐 (みなせ・りん)  / 女性 / 13歳 / 中学生】

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■         ライター通信          ■
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お届けが遅くなってしまい大変申し訳御座いませんでした。
今回は前編のお届けに御座います。
是非続けて後編も参加くださいますようお願い申し上げます。

それでは少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

momiziでした。