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解糸の合図
望月・健太郎(もちづき けんたろう)が大人になった、とクラスメイト達の間で話題になっていた。以前は、同じクラスメイトの弓槻・蒲公英(ゆづき たんぽぽ)を何かにつけてはからかっていた。その次に、健太郎が蒲公英の事が好きなのだと噂になってからは、逆にからかわれていた。その度に、健太郎は顔を真赤にして必死になっていた。
だが、先日いきなり学校内が靄に包まれた事があってから、健太郎の様子ががらりと変わった。蒲公英に近づくと、からかうどころか普通に楽しそうに話をしている。クラスメイト達からからかわれても、すらり、と受け流しているのだ。以前のように、必死に言い返したりする事はない。
「お前ら、できているのかよ」
そんな事を言ってきても、健太郎は動じない。笑いながら「何がだよ」と言い返す。
「それより、あれってさ」
そう言って、切り替えしたりもする。それを続けていると、だんだん周りが健太郎に何か言ってからかおうとしても無駄なのだ、という事を認識する。
(なんだ)
健太郎は心内で思う。簡単なことではないか、と。こうやって、受け流してやればよかったのだ。ただ、それだけ。
だが、それとは対照的なのが蒲公英だった。
蒲公英の周りに、女子が固まっていた。親しく話をしている雰囲気は、全くない。それどころか、険悪なムードが漂っている。
「あんたさー、とろとろしてんじゃないわよ」
「昨日の掃除だって、あんたがとろとろするから、遊ぶ時間が減っちゃったじゃん」
「他のクラスの子と遊ぶ約束してたのに」
「ひっどーい!」
女子達の言葉は止まらない。蒲公英は、それらに反論するわけでもなく、泣き出すわけでもなく、怒り出すわけでもなく、じっと黙って俯いていた。
ぎゅっと唇は、強く噛み締められており、開かれる事はない。
「ちょっと、聞いてるの?」
ずっと押し黙る蒲公英に痺れを切らし、女子の一人が強い語気で言い放つ。蒲公英は俯いたまま、何も答えない。
「無視してんじゃないわよ」
どん、と蒲公英の肩を小突く。その反動で、思わず蒲公英は「あ」と声を出す。
それを聞き、健太郎は「なぁ」と言いながら、女子の輪の中に割って入る。
「何か、あったのかよ?」
「何か、じゃないわよ。この子がとろとろするから、昨日の掃除がなかなか終わらなくてさー」
「他のクラスの子と約束してたのに、遊ぶ時間が減っちゃったんだから」
女子達はこぞって言い放つ。別に、蒲公英がとろとろしていたから、掃除が中々終わらなかったのではない。早く遊びたいばかりの女子達が、適当に掃除を終わらせようと適当にしてしまった為、ちゃんと掃除しきれていなかった。それをフォローせんばかりに、蒲公英が人一倍掃除をした結果、遅くなってしまっただけなのだ。
だが、そのような理屈は女子達には通じない。彼女達は、何かしら理由が欲しいだけなのだ。
蒲公英にやっかみをつける、他愛もない理由が。
ほんの小さな理由でもあれば、それを大きく膨らませて言えばいい。ただ、それだけなのだ。
「お前ら、手伝った?」
健太郎の問いに、女子達は顔を見合わせる。健太郎は「だからさ」と言いながら、なるべく事を荒げないように気をつけて、言葉を選ぶ。
「掃除が長くかかってしまいそうだったんだろ? だったら、お前らが蒲公英を手伝ってやりゃ良かったじゃん」
女子達は、ざわざわとしながら顔を見合わせる。
健太郎のいう事はもっともだ。蒲公英が遅いのならば、手伝ってやればいいだけの事。手伝っても遅くなってしまい、尚且つ蒲公英一人が酷く遅いと言うのならば、その点を問い質せばいいだけだ。
実際、男子の方が蒲公英に対して特に遅かったとは思っていない。女子だけが過大に取り上げ、問題としているだけだ。
「……今度から、気をつけてよね」
リーダー格の女子がそう言い、輪が崩れた。健太郎はほっと息を吐き出し、俯いたままの蒲公英に「大丈夫か?」と話しかける。
「健太郎……さま……」
「掃除、大変だったみたいだな」
「いえ……遅かったのは……本当、ですし……」
蒲公英は俯いたまま、ぽつぽつと言う。健太郎は「あのさ」といい、蒲公英をじっと見つめる。
「言い返してやれよ」
「え?」
「だからさ、あいつらのいう事ってちょっとおかしかったろ? そういう時は、言い返してやればいいんだよ」
健太郎の言葉に顔を上げる蒲公英だが、小さく首を振るだけだった。
(分かってる)
健太郎は心の中で呟く。言い返してやれ、といったって、蒲公英の性格上それは無理なことなのだと、分かっているのだ。
「あの……大丈夫……ですから」
やんわりと微笑む蒲公英に、健太郎はとりあえず頷く。それ以外、どうしようもできない。
(どうすりゃ、いいんだろ)
健太郎は蒲公英に分からぬよう、そっと小さな息を吐き出す。答えなど出ない。蒲公英がもう少し気丈でいれば、とは思うものの、そうしない所が蒲公英のいいところでもある。難しいな、とそっと呟いた。
「健太郎……さま?」
ふと気付くと、蒲公英が心配そうに健太郎を見ていた。健太郎は慌てて「え?」と聞き返すと、蒲公英はランドセルを持って小首を傾げる。
「一緒に……帰りませんか?」
「……うし、帰るか」
気付けば教室内には誰も居ない。健太郎も自らのランドセルを持ち、背負った。
「近所の……猫さんが、最近、子猫を……生んだんですよ」
嬉しそうに、蒲公英が言った。健太郎は「へー」と答え、にかっと笑う。
「子猫かぁ。可愛いか?」
「はい……! 小さくて……ふわふわで……」
子猫たちを思い出しながら放す蒲公英は、綺麗で、可愛らしくて、優しい。
(何でなんだろ。何で、駄目なんだろ)
子猫の話をしながら、健太郎は思う。
自分以外の友達を作るというのは、蒲公英にとって高いハードルなのだろう。健太郎には簡単に出来ることだが、蒲公英には難しい。性格の問題もあるとはいえ。
「子猫さんたち……凄く、可愛いんですよ」
(守りたい)
もしかしたら会えるかも、と足取り軽く歩く蒲公英を見て、健太郎は噛み締めるように呟く。
(蒲公英を、守りたい。友達以上でいたい)
とんとん、と蒲公英の軽やかな足音が響く。
「健太郎さま……早く……」
楽しそうにする蒲公英に、健太郎は「おう」と答え、地を蹴る。
(俺は、蒲公英が、好きだから)
自分で再確認しつつ、健太郎は頬を赤らめた。口元には、何故か笑みがこぼれて仕方がなかった。
数日後、健太郎は担任とつい話しこんでしまい、放課後遅くまで残ってしまっていた。既に校舎には夕日が差しており、担任からも「早く帰れよ」といわれていた。
「やっべ、遅くなっちまった」
慌ててランドセルを取りに行くと、教室の隅で小さく蹲っている蒲公英の姿を見つけた。肩を震わせ、何かから自分を守るかのように小さく小さくなっている。
「……蒲公英」
声をかけると、蒲公英はびくりと体を震わせた。だが、こちらを振り向かない。
「泣いているのか」
健太郎の問いに、蒲公英は答えなかった。ただ小さく小さく、震えているだけだ。
(また何か、言われたのか)
女子達を恨めしく思いつつ、健太郎はぎゅっと拳を握り締める。
守りたいと思ったのに、それが果たせていない気がしてならない。蒲公英にはずっと楽しそうにしていて欲しいのに。こんな風に、泣かせたいわけじゃない。
それも、声を出すわけでもなく、小さくなって泣かせたい訳ではない。
(蒲公英、我慢強いもんな)
健太郎は知っている。
普段は、じっと我慢をしていることを。何を言われても耐えて、口を挟まず、ただただ我慢する。
だから、今こうして泣いているのは、その我慢が出来なくなったのだろうと容易に想像がついた。我慢強い分、こうして泣きたくなることがあるのだと。
健太郎はポケットに手をいれ、何かを取り出す。
「蒲公英」
それを手に巻きつけつつ、健太郎は蒲公英の前にしゃがみこむ。蒲公英は目だけをそっと上げ、健太郎を見つめた。
目が、赤い。兎のようだ。
健太郎は手に巻きつけたものをするりと解き、両手に引っ掛ける。
あやとりだ。
何も言葉を発さず、ただただあやとりを続ける。橋を作ったり、タワーを作ったり、ゴムにしてみたり。
単なる一本の糸が、様々な形に変化する。
その様子を、いつしか蒲公英は必死に見つめていた。手品のように動き回る、輪になった糸。あっという間に変化して一つの形になったかと思えば、また違う形になる。
くるくると表情を変えていく一本の糸に、蒲公英は夢中になって見つめていた。
「凄い……」
いつしか、蒲公英は声に出していた。健太郎はにっと笑い、一つの形を作って蒲公英に差し出す。
「……え?」
「二人あやとり。ほら、そこの糸を小指ですくって」
「こう……ですか?」
「そうそう。で、次にこっちの糸をすくって」
「はい……」
健太郎に言われるままに糸を取っていくと、今度は蒲公英にあやとりが移っていた。感心したように見つめる蒲公英のあやとりを、今度は健太郎が取る。その様子を、蒲公英は楽しそうに見つめたり、自分もやってみたりしていた。繰り返して行くと、だんだん健太郎の指示がなくても自分で取れるようになっていた。
蒲公英は、いつしかあやとりに夢中になっていた。先ほどまで、泣いていたことも忘れてしまったように。
「元気出せ。俺が、いるから」
何度か続けられたあやとりの後に、健太郎はぽつりと言った。健太郎の糸を取りつつ、蒲公英は「はい」と答える。
「ありがとう……ございます」
あやとりの形を保ちつつ、蒲公英は顔を上げて微笑む。
窓から差し込む夕日の赤い光に良く映えて、美しい笑顔だ。
健太郎は思わず顔が赤くなるのに気付き、蒲公英の作っているあやとりの糸をじっと見つめる。
頬が赤く、口元がほころんでいるのを感じながら。
<解かれた糸に優しい時間を感じ・了>
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