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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


CHANGE MYSELF! 〜シオン・ザ・シャドウ〜


 後悔はしていない。戦いに敗れた以上、どうなろうと。とうの昔に覚悟はできている。
 しかし自分が敗者だからとはいえ、敵の甘い囁きに身を委ねることまで許してはいない。
 味方に危害を加えかねない誘惑は、人間として即座に断ち切らなければならない。

 自分の体に別のものが、今まさに侵食している。それにあがなう力が失われていく。
 強い意思を保ちながら、彼はこの戦いを振り返った。結論から言えば、戦った時点で負け。
 霊能力を持たない彼が霊的要素を持つ非実体型の敵と戦って勝利するのは、極めて困難だ。
 これは最初から仕組まれていた……そう考えるのが妥当だろうと結論付けた。

 思考能力が奪われていく。それでも最後まで抵抗し続ける。
 たとえこの先、別のものに支配されようとも。私は私、彼は彼。いつまでも戦い続ける。
 私には理想がある。友と呼ばせてもらえるかどうかはわからないが、心強い同僚もいる。
 それを握り締めたまま、漆黒の影と戦い続ける。わずかな希望を灯し続けるために……


 すべての戦いが終わった。敵と味方が混ざり合い、勝者がゆっくりと立ち上がる。人間だ。人間だが、どこか変だ。この密室空間では風もなびかないのに、髪が不自然に揺れている。

 『やっと終わった。』

 美しく伸びた青い髪を蠢かしながら、紺青を瞳に湛える麗人が一声発した。彼が勝者である。敗者の体を奪った張本人……そう、勝者は人間ではない。敗者が人間なのだ。勝利を収めるのに手間取った仲間をいたわるような声が四方八方から響き渡る。まるで影がスピーカーのようになっているかのようだ。彼もまた、人間ではないのだろうか。

 『赤き翼を纏いし堕天使・レイモンドの言ったとおりだったか。霊能力を持たずとも強さを発揮する人間には注意せよ、とはな。最初は信じられんかったがな。』
 『まったく、あなどれないね。キミも十分に気をつけるといいよ……影に消える黄色い砂塵・バラクマ。』
 『若造が大口を叩くな。とはいえ、この人間の捕獲には高い評価を与えるべきと「組織」から連絡があった。ダークネスより称号を預かっている。お前の名はシオン。時の歯車を護る蒼針……』
 『まだ抵抗されそうで怖いけどね。そんな状態でも名乗っていいの?』

 シオンと名付けられた人間は無邪気な笑みを浮かべた。彼が言うように、ごく稀にその瞳が金色に輝き、髪が力なく落ちていく時がある。シオンの戦いはまだ、終わっていないのかもしれない。


 アカデミー日本支部の古城に衝撃が走った。ここ数日、主任の紫苑が姿を現さないのだ。
 マジメを絵に描いたような人間がいなくなると、同僚のリィールやメビウス、果ては教頭のレディ・ローズまで心配になってしまう。しかし激務をたやすくこなす人間がいないと、こうも忙しくなるものだろうか。皆が彼の安否を気遣うも、それに時間を割けないほど絶え間ない忙しさが襲う。リィールは書類の整理、メビウスは外での活動、レディ・ローズは上への報告で手いっぱいになっていた。紫苑がいなくなって初めてわかるアカデミーの仕事量に、誰もがいつでも紫苑のことを頭の片隅にあった。

 「マ、マジで1日くらい休ませてくれ……これはシャレにならん!」
 「私も新規のメイド選考会があったのだが、泣く泣く後日に変えた。紫苑はいったい何をしているんだ。」
 「ハードディスクレコーダーに魔女っ子アニメがたまっていく一方なんだけど……」

 数日前は冗談も言えなかった3人だが、ここにきて激務に慣れてきたようだ。だが、その目に余裕がない。誰が見ても疲弊しきっている。今日もまた限界ギリギリで仕事をしている状態。そしてついに『仕事そっちのけで紫苑を探そう』という逃げ口上にも似た案をメビウスが提示。ふたりがこれに同調した。
 ところがこの計画はひとときの心の潤いになることはなかった。親友である渉からの電話が、すべてをぶち壊したのだ。

 『義経、ちょっといいか? 今度、真由美が3人で食事に行きたいって言うんだけどさ……』
 「なんで俺を誘うんだよ。フィアンセと飯だろ? いちゃいちゃして来いよぉー、勝手にさぁー。」
 『お前、疲れてるのか? まぁ、そうだろうなぁ。紫苑さんがあの状態じゃ、そっちも忙しいか。何か協力できることがあったら言』
 「ちょっと待て。お前、うちの紫苑のこと知ってんのか? わりぃけど、一から全部話してくれ!」

 だらけきった返答から一転、メビウスは渉に噛みついた。こうなれば、恥も外聞もない。とにかく紫苑の居場所を突き止めるのが最優先。リィールもレディ・ローズもケータイに耳を近づけた。すると渉が申し訳なさそうな声で話し始める。何を遠慮しているのかはわからない。

 「早く言えよ! 俺たちゃ、紫苑がいないと大変なんだ!」
 『し、紫苑さんね……い、いま、渋谷中央署で指名手配になってるんじゃないかな。ひ、人を襲ってるみたいだし……』

 それを聞いたレディ・ローズは魔法で水晶玉を出し、不慣れな遠視を試みる。すると砂のような形の影が語り始めた。これは彼女の見たい映像ではない。

 『我が名はバラクマ……影に消える黄色い砂塵。シオンは「マスカレード」の一員となった。ダークネスの忠実なる下僕となって生まれ変わったのだ。それを満天下に知らしめるべく、次の水曜に渋谷で破壊活動を行う。多くの人間を獣に覚醒させ、一気に形勢を逆転させる。アカデミーよ、邪魔をするでないぞ……ふふふ。』

 教頭が魔法の力で紫苑の様子を見ることを読まれていたのだろう。紫苑が敵の手に渡っているのはショッキングな情報ではあったが、次回の犯行予告を手に入れられたのは不幸中の幸いだった。レディ・ローズはメビウスにすぐさま渋谷中央署の桜井警部に情報を提供し、ハンターたちと連携することを指示する。さらにリィールにはメイドの精鋭を用意するよう願い出た。そして自らも教頭室へ赴き、ヴァリアブル・サークルが納められた秘密の部屋で来るべき戦いの時に備える。

 「まさか紫苑と戦うことになるなんてね……皮肉だわ。もしかするとメビウス抜きで時間停止ができるのかもしれないわね。そうなると厄介だわ。あの生真面目が自分から組織を裏切るはずはないから、おそらく何らかの力で操られていると考えるべきかしら。これでうちも『マスカレード』と全面戦争になるわね。ふふ、ちょっとは暇つぶしになるかしら?」

 中世の魔女もさすがに苦笑いを浮かべた。紫苑の能力の厄介さは、誰よりもよく知っている。とても「遊び相手」と呼べるレベルではない。そんな複雑な思いがよぎる中、メビウスがノックと同時に入ってきた。

 「教頭さん、失礼しますよっと。やっぱりここか。あ、智恵美から電話。しかもアカデミー専用回線で。」
 「ああ、私が教えたのよ。どうせ調べたらわかることだし、面倒だったから。あとは任せていいわよ。」

 ひとつのリングを魔力で操りながら、アンティーク調に飾られた電話の受話器を握った。レディ・ローズはいつものように世間話から入ろうと思っていたが、相手は挨拶もそこそこにいきなり本題から入る。
 本題は智恵美の警告に始まる。一連のマスカレード事件に端を発する異能力者犯罪の増加は、智恵美が懇意にしているIO2にとって頭の痛い話。今までは基本的に一般人が代表を務める渋谷中央署が事件の収拾をしていたから、組織としては口出しも手出しはしなかったが、今回はアカデミーが原因だから過敏になっているらしい。しかも問題のマスカレードに寝返って人間を襲うなど言語道断と、鼻息が荒くなっているそうだ。このままでは絆などの穏健派集団と足並みを揃えようとしていたアカデミーもマスカレードと同列に並べられ、最終的には標的になってしまう可能性があるという。さすがのレディ・ローズも、これには難色を示した。

 「今の時点で『忠告』ってことは、まだ大丈夫なんだろうけど……これ以上はまずいわねぇ。」
 『あらあら、予想通りの反応ですわ。』
 「今後のアカデミーの繁栄を考えると、どうにかして丸く収めたいところね。あなたならなんとかしてくれると思ってるんだけど、その辺はどうなの?」
 『お察しの通りに事を進めたいのですけど……まず、現時点でのローズさんの見解が必要です。紫苑さんに関するすべて、ですね。教えてくだされば、ある程度はご助力できます。』

 智恵美も『アカデミーを存続させたい意思』がなければ警告などしない。その辺はレディ・ローズもわかっている。ただ、それを実行するにはかなりの苦労が伴う。レディ・ローズには離反したとされている紫苑の状況を分析してもらい、それを材料に智恵美がIO2を説得するしかないのだ。しかもこの話にはアカデミーにとって有利になるような取引材料がない。すべては智恵美にかかっているのだ。

 「私だってかわいい部下のためにね、給料の査定とかで人となりをマジメに見てるつもりだけど……こんなにあっさりとうちを裏切るような人間じゃないわ。アカデミーの理想が自分の理想って人間だから。仕事っぷりも素晴らしいわよ。ただね、意外と頑固なのよー。ああ見えて。表情や言葉には出さないけど、『ここを引っ張ってるのは自分だ』っていう意識は強くあると思うわ。」
 『なるほど……ではもしかすると、今までに他の組織から引き抜き工作などにも遭ったことがあるのかもしれませんね。』
 「おたくの組織にも声をかけられてるんじゃないかしら。だから目くじら立ててるんじゃないの? てっきりそういう流れだと思ってたんだけど。」

 智恵美は『あらあら』とため息混じりに返答をするが、すぐにローズが冗談で言っているわけではないことはわかった。これは紛れもない事実だ。説得のきっかけをつかんだ智恵美は、ここで話を切り上げる。そして周囲からの心証をよくするためにも、アカデミーは全力で渋谷中央署と連携すべきだと念を押した。

 「あ、うちの生徒を使いたかったら言ってね。研修させるから。」
 『あらあら、それは助かります。まだまだマスカレード事件が続きそうなので、戦闘時に発動させる渋谷全域をカバーする結界陣を用意しようかと思っています。ただ、これには人数が必要なので、ぜひ協力をお願いしたいです。』
 「それって、うちのポイント稼ぎにもなるわね。ま、これ以上の下手は打たないつもりだから安心して。こういうこともちゃんとあっちに言っといてよ?」

 アカデミー日本支部の約束と協力を確認すると、智恵美はさっそく頭の中でどう交渉するかを組み立て始めた。戦闘開始まで、まだ時間はある。今は思案する時だと、軽く目をつぶって考えを巡らせた。必ずある。事態が好転させるためのきっかけの光が……


 バラクマの宣戦布告から、数日が経った。
 亮吾は毎日さまざまな組織を飛び回り、極上のスイーツをいただきながら熱心に自分の仕事をこなしていた。状況が激変し、一気に窮地へと追い込まれたアカデミーは彼の技術協力の要求をあっさりと受け入れた。しかしアカデミーの掲げる「異能力集団を現実社会に認知させる」というモットーから推測しても、亮吾が驚くほどの技術力を持っていないのは火を見るより明らか。それでも貪欲に使えそうな情報を拾い集め、この日は氷雨の元を訪れていた。
 シャドウレインは白鳥財閥の開発した装置で変身する。ダークネスの持つ装置とは若干ニュアンスが違うが、ほぼ同じ仕組みであると亮吾は踏んでいた。今までに獲得した情報に加え、最高機密であるシャドウレインのベルトの構造も吟味する。目的はもちろん、紫苑の救出のためだ。

 「あれ、このベルト……ずいぶん拡張の余地を残してるけど、なんで?」

 亮吾は装着者であり、この屋敷の当主である氷雨に素朴な質問をぶつける。今日は社交界の仕事はないらしく、ずっとラフなパンツルックで付き添っていた。

 「マスカレード対策、といったところ。私の力を増幅させる特殊な思念装置と連動させるようにシステムを組んでもらってるの。最初はこんなものなかったけど、事件が多発してから開発をお願いした。だから、このベルトは5代目くらいかしら?」
 「ふーん、中核部分はいじれないから、その周りに拡張装置をはめ込むってわけか。ロールアウトしっぱなしってことね。でさ、こっちの書類に……そうそう、ここ。この小難しーい文書の間に『ドレインシステム』って書いてあるんだけど、完成は先週になってるんだよね。もちろん、この装置の説明もしてくれるでしょ? 当主の氷雨さんが知らないわけないもんね。」

 亮吾だってわかっている。これはいじわるな聞き方だ。自分のキャラに即して聞けるからいいものの、本当はこんな聞き方はしたくない。だが、不明な点はすべて明らかにするのが、技術屋やハッカーの仕事。それに氷雨は、すぐに自分ですべてを背負いたがる。それをさせないためにも、こういうことはやっておかないといけない。たとえ毎回のようにおいしいケーキをご馳走になっていたとしても。
 すると氷雨は、意外にも戸惑いの表情で口を開いた。

 「それは……財閥が開発したパワーアップ装置の一種だ。」
 「え、氷雨さんの指示じゃ……なかったの?」

 さすがの亮吾もこれには慌てる。

 「どうやらレイモンドなる影の分析が早く終わったらしくてね。それに対抗するためのひとつの試案として『ドレインシステム』と名づけた装置を完成させたの。あくまで可能性と選択肢のひとつに過ぎないけど、次の戦いまでに他の開発が間に合いそうにないから、今回はそれを持っていくつもりよ。」
 「極秘扱いのプリントって嫌いだね。データと違って、ひとつも読めないから! で、これはどういう装置なの?」

 ずいぶん言いにくそうに喋る氷雨の口から語られた内容は、亮吾を呆れさせるには十分すぎた。いちおう最後まで話を聞いた亮吾だが、終わると同時に「この装置をいついかなる状況においても使用しないこと」を氷雨に約束させる。
 少年は「こ、こんな装置がなくても、お、俺がなんとかするからさ」と大きく出たものの、現時点ではおそらく『ドレインシステム』が次の戦いにおいてもっとも有効な手段であると認めざるを得なかった。もちろん氷雨もわかっている。しかし、このシステムを使うには、大きな代償を払わなければならない。氷雨の心には、頼りになる仲間を裏切ってでもこれを使う覚悟があった。そして亮吾も彼女の胸のうちを知りながら、改めて同じ言葉を発せないことに気づいていた。現実は非情である。


 決戦の時を迎えた。戦士たちは渋谷中央署の前に陣取っている。
 智恵美が用意したという結界は、いつでも準備オッケー。渋谷中央署の警察官とアカデミーの生徒によって、発動が可能である。これは邪悪な影を逃さないための結界なので、ハンターや異能力者は自由に出入りできる。影の能力を使うメビウスだけが渋い表情を浮かべていたが、常に誰かのサポートをしていればピンチを招かないと教頭に判断され、今回はリィールのアシストに回ることになった。
 最近ではおなじみのツーショットとなりつつある撫子と柚月も準備万端。ザコを倒す役目はパワーアップしたリィールが引き受け、麗しきふたりはレディ・ローズとともにバラクマと紫苑の相手をする手はずになっている。敵はメビウス抜きで『時間停止』を仕掛けてくるやもしれぬ最強状態の紫苑だ。

 「紫苑様とは長くお付き合いをさせていただいておりますが、何の理由もなくアカデミーを裏切るという不義理をなさる方とは思えません。きっと何かの手がかりをつかんだので、相手方もやむを得ず支配したのだと思いますわ。」
 「そそ、撫子さんの言うとおり。私も安易な鞍替えとは思えんかったんよ。昨日な、智恵美さんと相談したけど、結論は同じやったね。」
 「みんな『紫苑、紫苑』って心配してくれて、アカデミーとしてはホントに感謝してるんだけどよ。バラクマとかいう影もいるんだから、そっちもよろしく頼むぜ。」

 メビウスの何気ない念押しに、思わずその場にいた亮吾と氷雨が凍りついた。
 シャドウレインのベルトには追加された拡張装置を保管する『アペンドバンク』なる装備がある。その中に問題の『ドレインシステム』を発動させる純白のディスクが忍ばせてある。これを変身するための思念装置の前にスロットインすれば準備完了。あとは効果を発現させるだけだ。状況から考えても、紫苑を捕縛するためには使用できない。あくまで「対バラクマ」の最終手段だ。それを使うとわかっている亮吾は、もう気が気ではない。

 「あ、あのさ、バラクマって一気にちゃちゃっと消せないのかな。撫子さんも柚月さんも強いじゃない! ねぇ!」
 「そりゃまー殲滅できたら、その方が楽やね。本局に申請が通ってるから、そのつもりで戦うけど……バラクマとかの存在って謎が多いんよね。」
 「そ、それって、も、もしかして……つ、捕まえたい、とか、思っちゃったりなんちゃったり、あのそのモゴモゴ……」
 「撫子さん。亮吾くんって、こんな歯切れ悪い喋り方するん?」
 「緊張されてるんですよ、きっと。亮吾様、そんなに心配なさらなくても大丈夫ですわ。わたくしたちがちゃんとお仕置きしますから。ご安心くだ」
 「そーそー! お仕置き! きっちりはっきりばっちり、しーっかりお仕置きしてねっ!」

 周囲はおろか、亮吾自身も自分の様子がおかしいことはわかっている。だが、ついついやってしまう。亮吾の動揺は氷雨にも伝わり、よりいっそう表情をこわばらせる。撫子や柚月は不思議そうな顔をしていたが、さすがに氷雨のダンマリだけは見抜いていた。だが、その理由はわからない。これが最後の最後で仇になってしまうとは、この時は誰も予想だにしていなかった。

 警戒中のパトカーが、謎の炎上を起こす。戦いの狼煙だ。撫子は考えるところがあってか『天位覚醒』はせずにすばやく移動。柚月は優雅な動作から非人格型魔導杖『ヴェルトシュリュッセル』をはじめとするすべての装備を纏い、氷雨もすぐにベルトを作動させてシャドウレインへと変身した。亮吾は撫子の目的と同じく、バラクマなどの正確な分析と戦闘援護をすることになっている。彼の場合、いつでも結界内を瞬時に移動できるよう、すでに準備は済ませてある。

 「リィール。ザコは少ないと思うから、早めにさらってきてね。」
 「了解。メビウス、増幅の具合は任せた。」
 「簡単に言ってくれるぜ。俺はそば屋の出前じゃないんだっての!」

 アカデミーの面々も遅れないように出撃。不規則に暴れる影の獣たちを静めるため、リィールが有翼類の死霊を呼び出して縦横無尽に暴れまくる。一方、レディ・ローズは撫子たちに追いつき、すっかり印象の変わってしまった紫苑と再会した。

 『おや……ボクの身体が反応した。キミは知ってる誰かなんだろ? 名前は?』
 「その身体の持ち主の雇い主ってところよ。私はレディ・ローズ。あなたのお名前は?」
 『ボクの名前は最近付けられた。シオンというそうだ。「時の歯車を護る蒼針」と呼ばれている。あまりなじみがないので、この名前で呼ばれても振り向かないかもしれないね。』

 不自然に揺れる髪は長さを一定に保たず、波のように動き続けていた。トレードマークであるタキシードはボロボロに破れ、確かに「紫苑」と呼ぶには戸惑いが残る。それほど影との戦いが壮絶なものだったことを物語っている。

 「確かに『シオン』と呼ぶのが正解やね。意識はおろか、能力まで自在に操ってるとこ見ると……元に戻っても、しばらくは治療に専念しないとあかんわ。」
 「自意識の表面に獣の凶暴性が押し出される、いわゆる『影の獣』の現象とは訳が違う。この状態はそれよりも格段に危ない。本体である影の支配が長引けば、人間としての存在そのものが失われていく可能性もある……」

 氷雨の分析は信憑性がありすぎて困る。常に冷静であろうとする戦士たちも、さすがにこれを聞かされてはたまらない。自然と表情がこわばっていく。身体にも緊張がじんわりと広がる。

 『いいじゃない。まだ抵抗できてるんだし。ボクのものにするには時間がかかるかな。ま、いずれもら……うぐ! な、何するんだ!』
 「あら、ごめんなさいね。無性に腹が立ったから、先に手を出しちゃった。ボクちゃん、戦いに礼儀とかゴングとかないわよ。覚えとくといいわ。」
 「さすが、アカデミー日本支部の教頭さんは戦い慣れてるねー。その感情については、女性的にも同調するとこがあるわー、うんうん。」

 撫子こそ不意打ちの一部始終を見て目を丸くしていたが、他の連中は当然といった面持ちで見届けた。これがレディ・ローズの雰囲気作り。氷雨の言葉の重さを残しつつ、鮮やかに全員のスイッチを切り替えさせた。
 その後は津波のようなラッシュで、全員が一丸となってシオンに襲いかかる。シャドウレインがライティングチェーンで足をすくったかと思うと、柚月は黒き珠『シュバルツ・クーゲル』をぶつけ、レディ・ローズもラプラス・ロンドで無数のヴァリアブル・サークルの結界を作り出す。今回は味方に当たらないように細心の注意を払う必要があるので、ローズはその場を動かずに精神を研ぎ澄ませていた。それに加えて、氷雨のアペンドバンクには亮吾の特製ケータイが入っており、まったく読めないタイミングでナイフや閃光弾が投げ込まれる。これには、さすがのシオンも防戦一方だ。

 ところが、撫子は一歩も動かない。動きらしい動きといえば、御神刀の『神斬』を抜いただけ。ここまではずっと戦いの様子を見守っているかのように見えた。
 動かない理由はいくつかあった。ひとつは、まだバラクマと名乗る影が出現していないこと。加えて、シオンが紫苑の記憶をつかんでいる可能性があること。これはふたつの影に逆転のチャンスがあることを示している。よって誰かがこの立ち位置を担う必要があった。優秀な指揮官である柚月はそれを一瞬で理解した上で、あえて戦闘に加わるよう呼びかけなかったのだ。
 そしてこれがもっとも重要なのだが、撫子は戦闘開始前から『龍晶眼』でシオンと名乗る影の様子を探っていたのだ。彼女も初めて見る現象なので、いい加減な表現で伝えるのは適当ではないと判断。あえて確証を得るまでは何も言わないと決めていた。ここまではシオンの能動的な動きがないため、なんとも説明のしようのない状態だったが、一瞬にして影が烈火のごとく燃え上がるようなイメージを得る。そして抜群の反射神経が周囲の変化をも感じ取った。すでにバラクマと名乗る影が、戦いのフィールドを侵食し始めていたのだ!

 「皆様! ふたつの影が動き出しますわ! 今すぐ防」


 この時、時間が止まった……

 さすがに撫子の忠告も、静止した空間では誰にも届かない。ライティングチェーンを振りかぶるシャドウレイン、視野を広げて有利な空間を維持しようとするレディ・ローズ。その背後には、軽くザコを片付けて救援に駆けつけたリィールの姿もある。すべては止まったままだ。

 『わかってたんだよね。この身体に本気で攻撃する人間なんていないことくらい。見た目に派手な攻撃だったけどさ。甘いよ、キミたち。』
 『ふっふっふ……時の止まった世界で串刺しにされる気分は、いったいどんなものなのだろうかね。できれば、私に感想を聞かせてもらいたいものだ。』

 バラクマがそうつぶやくと、周囲の影が不自然に伸びていく。それは鋭い刃へと姿を変え、敵を一掃せんと静かに迫った。
 時折、黄色く揺らめく刃……バラクマの正体は、影の中でしか存在できない実体のない影なのだ。レイモンドやシオンは影としての実体が存在するが、バラクマにはそれがない。つまり意思だけが存在する、ある意味で『影ではない影』である。これを捉えるのは至難の業。またバラクマは力を拡散することで広範囲に影響を及ぼすことができるため、さらに索敵が困難になる。
 力強い援軍を得たシオンは満を持して『時間停止』を発動したのである。逆転のチャンスを最大限に活かした。と、思うだろう。誰しもそう思うはずだ。

 シオンは一瞬だけ、何かが動く感覚を得た。
 そんなはずはない。彼は「今まで時間停止の世界を生で体験したことがないからだろう」と、その小さな変化を気にも留めなかった。シオンは甘い。自分が今、どんな状況に立たされているのかを正確に分析できていない。もう一歩先は自らを奈落へと誘う無限の闇だというのに……

 「教頭さんのさっきの言葉、覚えてるか? ホントに甘いなー。そんなんじゃ、うちの局員にはなれんね。」
 『じっ、時間停……! シオン、なっ、何をしている! じっ、時間を止めたのではなかったのかっ!』
 「何にせよ、こんな刃は無駄やね。私の甲冑は貫けんよ。さらに上から不可視のシールドが覆ってるからなー。」
 『そ、そんな! じ、時間停止の中を動く人間なんて……っ!』
 「黙って見てれば、ずいぶんと卑怯な連中やね。こういうのには、おしおきが必要やと思うんよ。ということで、エクスプロージョン・デス・リヒト!」


 時間が動き出すと同時に、すべてのヴァリアブル・サークルを叩き落す威力の光の爆発が巻き起こった!

 「こっ、これは! ま、まさか、じ、時間停止の直後?!」
 「いきなりこれって……私たちの目に悪いわよ! あなた、ちょっとは威力を落とすとか調整できないの!」
 「お説教と手加減はあんまり好きじゃないんよ。さ、みんなでお仕事の仕上げしよか。」

 エクスプロージョン・デス・リヒトによって焙り出されたバラクマは、黄色い塊となって実態を保とうと必死だ。ここに柚月が『シュバルツ・ウマールム』なる拘束魔法でバラクマを取り押さえると、レディ・ローズはヴァリアブル・サークルの列を空中と地上に作り出す。そして地上からはフルパワーのファイナル・サバト、空中からはリィールの霊弾で攻撃。さらには撫子が神斬の第壱段階封印を解除、月の神力を解放しての一閃を見舞う!

 『ぐごああぁぁぁぁーーーっ! が、がが、ぐははは……い、いくら私を捕らえても、いっ、意味はない! 私には影としての実体がないのだ! だっ、だからどのような能力者にも倒せないっ!』
 「そうやって俺の弟を嘲笑ったのは……貴様らか?」
 『ぐ、貴様、何者だ?!』
 「通りすがりの能力者……不動 修羅。借り物の力を自分のものと勘違いして得意げになってるのは、そっちの方か。」

 表情をいっさい崩さずに大口を叩く修羅がよほどお気に召さなかったのか、シオンは問答無用で凶器と化した髪で攻撃を繰り出す!

 「はぁ……人から教えられた奇襲なんて、慣れないうちはするもんじゃないな。みっともない。」
 『こうでもしないと戦ってくれないようだからね、キミは!』
 「どうせならこのくらいの力を借りれるようになってから粋がるんだな。強力招来、超力招来……っ!」

 修羅の降ろした神、それは北欧神話では『トール』の名で知られる「雷神ソー」。瞬時に彼の頭上から、無数の稲妻が渋谷の街に降り注いだ!
 鳴り響く雷鳴、そして気味の悪い悲鳴。ソーの力は的確にマスカレードだけを狙い打ち、焼き切った。シオンだけは超スピードで避けたが、肝を冷やすほどギリギリの回避だったらしく、さっきまでの余裕が表情にない。一方のバラクマは神の怒りに焼かれ、うなり声をあげるだけだった。

 『がばばばばぁぁぁ! うう、うぐぐ、ば、バカ……ながぁ……』
 「神霊の力だからな。霊魂だろうと影だろうと、すべてを焼き切る。ま、とりあえずは気が晴れた。後はアンタらで好きにやれや。」
 「教頭さん、あっちの方がムチャクチャやよ。手間は省けたけど。」
 「通信聞いてて慌ててきたんだけどさ。バラクマって倒せそうにないのなら、今のうちに氷雨さんを……」

 その場にいた全員が亮吾の突然の登場に目を奪われた瞬間、シャドウレインはアペンドバンクから『ドレインシステム』のディスクを取り出して拡張スロットにセット。そのまま装置を作動させる!
 捕らわれた影はゆっくりとベルトに吸い寄せられ、ライティングラインと同じ鮮やかな青に染まっていたバックル部分の思念装置が徐々に黄色く染まっていく!

 「うう、い、いける、か……バラクマも弱っている。吸収は、成功するかもしれ、な、ああ、きゃあああぁぁぁぁーーーーーっ!」
 「氷雨様! こ、これは、影を封印するための装置! き、危険すぎますわ!」
 「亮吾くん、さては知ってたな! こんな大事な話、なんで先に言わんかったん!」
 「ちょっと、こんなの聞いてないわよ! このままじゃ、紫苑の二の舞になるじゃない!」

 亮吾は柚月からもローズからも責められる。だが、この状況は止められない。こんなことを言ってもしょうがないことは誰もがわかっていた。
 シャドウレインへの変身はベルトを介していることは誰の目にも明らかだ。あれを壊すことはできない。かといって、中途半端にバラクマを取り込んだ状態でとどめを刺すわけにもいかない。戦いの中で「修羅の力が有効」とわかったが、あれもまた決定打ではない。氷雨の取った行動は危険だが、野放しにしておくよりも安全……そう、現実は非情なのだ。

 「わかってるんだよ、そんなことみんなに言われなくたって! でも、他に何か手段があったの?!」
 「手段のあるなしではありませんわ、亮吾様。わたくしたちは誰ひとりとして犠牲を出したくはないのです。ですから……」
 「それもわかってる!」
 「じゃあ、なんで先に……先に言えんかったんや!」
 「それはっ! みんなが氷雨さんだったとして……みんなが同じことをするって思ったから。」

 氷雨の悲鳴が響く中、全員が声を失う。あまりにも正しい。亮吾のその言葉は残酷までに現実を物語っていた。亮吾はうつむきながら続ける。

 「自分しかできないってわかってたら、みんな絶対にやるでしょ。もう何度も見てるから知ってる。そういう人たちだもんね、みんな。だから、言い出せなかった。もし俺がみんなに言ったら、やさしさで氷雨さんを止める。それが氷雨さんの決心を鈍らせるんじゃないかって思った。だから……言わなかった。言えなかった。」
 「亮吾様……」
 「それとさ、俺は諦めてなんかないよ。もし今が最悪の状況になったって、ここから逆転する。紫苑さんも氷雨さんも助けて、最後にマスカレードを倒す。みんなもあんなこと言いながら、そう思ってるんでしょ。たぶん、みんなもそう思ってる……かどうか、わかんないけど。」

 最初の威勢のよさはどこへやら、最後にはトーンダウンしてしまう亮吾を支えたのは柚月だった。覚悟していたとはいえ、この光景を目の当たりにすることは辛い。だが、あえて顔を上げるように言った。

 「そのつもりなら、今をしっかり見といて。呪縛を解く鍵が、もしかしたらここにあるかもしれんよ。撫子さんはずっと見てると思うけど、目を凝らして見といてな!」
 「小さいくせに背伸びするガキだぜ。いつの間にいっちょまえになったんだ? って、痛ってぇぇぇ! 足を踏むな、足っ!」
 「メビウスさん、集中できないだろっ!」

 全員の目は上を向いている。今ではなく、もっと先。未来へと向けられた眼差しは、自分たちの信じた結果を見ている。どんな困難が立ち向かおうとも、決して目を背けない。最後まで戦い抜く気持ちを宿した心は引き寄せあい、またこの街へと帰ってくる。戦いが終わる、その時まで。


 数日後、智恵美はレディ・ローズと面会した。いつもの場所だ。それぞれが好物を前にして、リラックスムードで話す。

 「そちらさんには耳の痛い報告で申し訳ないんだけど……これが現実よ。だけど、これだけで上が裁決するとは思えないわ。もう一度、チャンスをもらえないかしら。私は口が悪いから丁寧に言えないけど、とーっても頭を低くしてお願いしてるつもりよ?」
 「あらあら。紫苑さんに続き、氷雨さんまで影の手に。もちろん報告はしますが、アカデミーの不利になるようなことはしませんよ。ご心配なく。」

 結局、氷雨の賭けは悪い結果を生んだ。ドレインシステムによって封印されたかに見えたバラクマは装置の中から氷雨の意識を奪い、黄色いライティングラインを持ったシャドウレインへと変貌。その直後、シオンとともにいずこかへ逃げ去った。あの結界は人間を通すため、ふたりの影は容易に脱出できたのである。
 とはいえ、あの結界が力になることは明らかである。結界の要所を街灯などでカモフラージュし、必要とあらば即座に発動できるよう極秘裏に工事することになった。

 ここまでは湿っぽい報告が続いたが、満を持してレディ・ローズが今後の策を披露する。
 影としての実体がないとされるバラクマは、氷雨という媒体を介しての攻撃が可能になった。これは撫子の『龍晶眼』で明らかにされた事実である。
 また氷雨の内面から接触し、覚醒を促すことで自らの意識を取り戻す可能性があることも報告された。ベルトの制御が人間に作用するように設計されているのが幸いしたらしく、このおかげで「影を退治する」よりも「強い意思で押さえ込む」ことも可能かもしれないとのことだ。これは紫苑にも当てはまることだろうが、柚月からの報告で「現時点では難しいのではないか」という分析があった。
 なお内面への接触は、亮吾が予備の変身装置を使っての実験に成功している。なんでも影を吸収して使役するための拡張装置『ドレインシステム』は変身へのプロセスを逆にすることで対応しているそうで、彼ほどの能力があれば容易に操ることができるそうだ。もっとも心霊手術を得意とする智恵美にも打つ手はあるだろう。

 「マイナスをマイナスと受け止めるよりも、プラスに変える努力を……ってとこかしら。みんながんばってるわよ。」
 「まずは氷雨さんの救出を最優先にするべきでしょうね。そして影たちを封印・使役するシステムを確固たるものにした上で、紫苑さんの救出。そしてダークネスとレイモンドの撃破。道筋が見えましたわね。」
 「FEARとかの邪魔がなかったら、ね。なーんかあの人も関係ある気がするんだけど、気のせいかしら?」

 一時の敗北を味わったが、まだまだ戦いは続く。だが、得たものは大きかった。ここから戦士たちの逆襲が始まる。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名 /性別/ 年齢 / 職業】

7305/神城・柚月  /女性/18歳/時空管理維持局本局課長・超常物理魔導師
0328/天薙・撫子  /女性/18歳/大学生(巫女):天位覚醒者
7266/鈴城・亮吾  /男性/14歳/半分人間半分精霊の中学生
2390/隠岐・智恵美 /女性/46歳/教会のシスター
2592/不動・修羅  /男性/17歳/神聖都学園高等部2年生 降霊師

(※登場人物の各種紹介は、受注の順番に掲載させて頂いております。)

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■         ライター通信          ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回は「CHANGE MYSELF!」の第18回です!
一気に展開が進み、さらには前・後編の様相を呈してきた今回。このままでは終われない!
次のシナリオは早めに出しますので、熱の冷めないうちにぜひご参加くださいませ!

今回も本当にありがとうございました。また『CHANGE MYSELF!』でお会いしましょう!