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<東京怪談ノベル(シングル)>


     つぐないの詩
 
 ――人は嘘をつく。自分を偽ることで、他者とのバランスをはかろうとする。
 それでも、相容れないものはいる。我慢を重ね、己を見失うものもいれば、我慢をすることのできないものも。
 彼らは社会に適応できず、殻に閉じこもる。時にはそのまま、果ててしまう。
 生きたいという希望を、変わりたいという願望を胸に秘めながら――。

 『賢者の卵』と呼ばれる水晶の容器で、こぽこぽと加熱される『賢者の石』。
 物体は黒となり、白となり、最終的には赤色になる。 死と復活を経て、完成するのだ。
 灯火と煙が揺らぐ中、ラクスはガラス器具やカラフルな薬剤、粉末などを手際よく片付けていく。
 今回はいつもより複雑なものに挑戦してみたが、果たして成功したのだろうか。
 期待と不安を胸に、そっと検体を覗き込む。
 欠損がひどかった割には、肌には傷1つ見られず滑らかだ。
 白く柔らかな毛並みも見事なもので、外見においてはまず問題ないだろう。
 気になるのは精神面。それこそが、今回の実験のテーマなのだ。


「ん……」
 微かな声と共に、女性はうっすらと瞼を開いた。
 周囲を確認するように目を動かし、はた、とラクスと目を合わせる。
「……あなたは?」
 彼女は訝しげに、眉をひそめた。
 鮮やかな赤い髪に、緑色の瞳をしたラクスを物珍しげに見返す。背中に生えた鷲の翼から、視線が下に向かい、腰から下のライオンの身体に目を映す。
「なぁに、その格好。だっさいわね」
 突然の言葉に、ラクスは頭を殴られたかのようなショックを受ける。
 『優美な葡萄』とまで謳われた彼女が、そんな風に言われたのは初めてのことだった。
 しかし言い放った女性は、ハッと自分の身体に目を向ける。
「いやああぁぁっ、何これ――っ!!」
 甲高い悲鳴があがり、ラクスはビクッと身を震わせた。
 外見はいかにも屈強で威厳のあるスフィンクスでありながら、極度に臆病なのだった。
「な、何って、あの……お気に召しませんでしたか?」
 物陰に隠れるようにして、おどおどと問いかける。
 女性の下半身は、黒い梅の花のような斑点がある、白い毛皮におおわれていた。
 足には長い尻尾が垂れ、両手が前足になった姿はラクスに少し似ている。
「あなたの身体は、損傷が激しかったので、ユキヒョウの細胞を使用して、それを補いました。絶滅危惧種で幻の獣とされているんですよ。もちろん、細胞のサンプルをいただいただけで、ユキヒョウさんに危害は……」
「ユキヒョウなんてどうでもいいのよ! どうして私がこんな姿になってるの? あなた一体、何をしたのよ!」
 説明するラクスにつかみかかるようにして、女性は怒鳴りたてた。
「――覚えていらっしゃいませんか。あなたは、お亡くなりになったのですよ」
 静かな返答を受け、その表情を強張らせる。
「そ、そんな……」
「先ほども言いましたが、かなり損傷がひどかったのです。顔にも大きな傷があって……他の場所から皮膚を移植しましたけど、中々骨が折れる作業でした。ユキヒョウさんの身体を融合させなければ、今頃は……」
 青ざめる女性に、ラクスは言葉を続ける。
「獣人なんて、冗談じゃないわ。電話はどこ? パパに頼んで、あんたを訴えてやるわ」
 言うなり、ユキヒョウの身体を持った女性はベッドから飛び降りた。
 雪山で暮らすユキヒョウは足の裏まで毛におおわれていて、ふかっとやわらかに着地する。
 『パパ』という単語に、男性恐怖症のラクスはギクリとした。
 連続した実験が行えないのも、人間社会で問題が起きるのを避けるため。自称正義の味方、なんて男が襲ってきたらと思うと、気が気ではなかった
 それでも、今の姿をみっともないと感じる彼女が、衆人の前に躍り出て親に泣きつくことなど、できるわけがない。
 死に至ったときの記憶は彼女にもある。戻る場所がないことくらい、わかっているはずなのだ。
「あまり、動かない方がいいですよ。手術後ですし……それにその身体は、あなただけのものではないんですから」
「何よ、ユキヒョウのものだとでもいうの? それともあなたの実験体だってこと?」
「いいえ。私はただの研究者であり観察者ですし、ユキヒョウは本能が残るだけ。それとは別に、その身体を共有する……もう1つの魂があるのですよ」
 にっこりと微笑んで見せるラクスに、相手はゾッとしたようだった。
「もう1つの魂って、何のこと?」
「あなたが亡くなった場所の近くで、今にも息絶えようとしているコがいました。身体は傷つき、ボロボロで。あなたと同じように、必死に生きたいと願う……仔犬でした」
「犬ですって? そんなものが、私の中にいるっていうの?」
 どうやら彼女は、動物自体が好きではないらしい。
 随分と困ったことになりそうだ。
「あなたの魂を安定させるには、その子の存在が必要だったのですよ」
「今すぐ元に戻して」
 フォローを入れるものの、聞く耳を持たない。
「……死にたい、ということですか? せっかく、生き返ることができたのに。新しい自分に生まれ変わりたかったのでは?」
「それは――」
 言いかけた瞬間、彼女はふっと、目を閉じた。
 貧血でも起こしたのだろうかと、ラクスが駆け寄ったとき。
 きょとんとした目が、じっと見返してきた。
 全く同じ顔なのに、まるで雰囲気の違う表情。長い尻尾を振りながら、首を傾げて見上げてくる。
「……もしかして、仔犬さんの方ですか? えっと、言葉はわかります?」
 尋ねかけると、少し考え込んだ後、うなずいた。
「あのね、きいてたの、さっきのハナシ。ワタシ、生き返ることできたのね?」
 たどたどしくも、話すことはできるようだ。
 幼いしゃべり方と一生懸命な表情が可愛らしい。珍しいそうにユキヒョウの手足を動かしてはじっと見つめている。 
 それにしても、これほどまでにはっきり人格が入れ替わるとは。魂がまだ、完全に融合しきれていないのだろうか。
 子供っぽい上に元は犬だというのに、彼女の方がまだ言葉が通じそうなのがおもしろい。
「何かしたいことや、欲しいものはありますか?」
 元に戻せとか外に出せといった要望には応えられないが、できるだけ居心地がよいようにしてあげようと声をかける。
 実験室とは別に、森や川などの自然を取り入れた場所があり、山小屋なども用意して。
 室内だが、天井を開け放って本物の陽光や風を取り入れたりなど、気を遣っているのだ。
 何を欲しがり、どういう生活をするのか観察し、記録するのも役目の1つなのだから。
 子供っぽい上に元は犬だとはいえ、彼女の方がまだ言葉が通じそうだ。
「うんとね……あるけど、ナイショ」
 仔犬の少女は、どこか照れくさそうに微笑んで見せた。


 2人は違いは当初、目に見えてわかった。
 表情や仕草がまるで違うし、仔犬の方はボール遊びが大好きで地面を転がり、他の動物たちともよくなじんだし、ラクスにもすぐになついた。
 人間の方は髪が乱れた、服が汚れたといっては怒り、動物たちはもちろん、ラクスにさえ距離を置いていた。
 動物たちは2人の違いなどわからないので混乱していたようだが、人間が出てくる率が高いため、怯えて逃げることが多かった。
「あーあ、また逃げちゃった」
 最初の頃よりは流暢なしゃべりで、仔犬の方が言った。
「あの人が、いじめてばかりいるからだね。どうしてそんなことするんだろ」
「すみません、私の人選ミスのようですね」
 頬を膨らませる少女に、ラクスは申し訳なさそうにつぶやいた。
「どうして謝るの? ラクスは、ワタシのお願い叶えてくれたでしょ。チャンスを与えてくれたでしょ。すごく嬉しいよ。どうしてあの人、ラクスに冷たいのかわかんない」
 屈託のない笑みに、ラクスはほっとする。


 変化は、少しずつ訪れた。
 仔犬でいることが増えてきたせいもあって、彼女が少しずつ変わっていくのがわかる。
「ねぇラクス、ラクスはスフィンクスっていう、神獣なんでしょ。ワタシは違うの?」
 自分がどういう立場になるのかと、興味を示したり。
「ユキヒョウって、毛皮のためにいっぱい殺されちゃったんだってね。でも、ちょっとわかるなぁ。素敵なお洋服着てるみたいで嬉しいもの」
 同じ動物であるユキヒョウの身体を、毛皮や洋服と称したりするようになった。
 知識が増えること、そして人間の魂と共にあることによって、互いに会話をすることはなくとも影響を受けているようだ。
 一方、人間の女性はというと……環境に慣れてきたせいもあるのか、文句は減り、かなりおとなしくなってきていた。
「……あなたって、意外と綺麗な髪してるのね。どうやって手入れしてるの?」
 なんて話しかけてきたときには、びっくりしたものだ。
 よくも悪くも、そうした変化はラクスにとって非常に興味深いことだった。
 このまま魂が同化していけば、最終的にはもしかしたら、どちらかの自我を主軸に1つの意識になるのかもしれない。
 その場合、核となるのはどちらなのだろう。当初から主導権を握っていた人間か、それとも少しずつ挽回しつつある仔犬なのか。
 人と動物が一体化したその身体で、生き残るための見えない攻防が繰り広げられているのだ。
「最近、森の中にいることが多くなりましたね。以前はずっと、小屋に引きこもってらしたのに」
 木の根元に座り込んでいた女性に、ラクスはふと声をかけた。
「……今まではね。パパにお願いしたら、たいていのことは何とかなったんだけど」
 すると女性はため息をつき、語り始めた。
「だから私は、人より優れてるんだって思ってた。周りに理解されなくても、それは向こうがバカなだけ。やっかんでるだけだ、って」
 自分は人よりも上。まして動物なんかとは比べ物にならない。そんな異様なまでのプライドが、周囲を見下す高圧的な態度をつくっていたのだろう。
「けどなんか、バカらしくなってきちゃった。ここにはパパはいないし、変なヤツだって、見下されてるのは私の方。動物相手にいばってみても、なんだか空しいのよね」
 弱々しい口調で言って、彼女はそっとラクスに寄りかかった。
「――ひどいことばかり言ってごめんなさい」
 一瞬、仔犬の方が出てきたのではないかと思った。けれどその言葉は明らかに、彼女自身のもの。
 これも、魂が融合した影響なのだろうか。ラクスは驚きを隠せなかった。
「私、ひどい人間だったのよね。相手を見下したり、都合が悪くなると人のせいにいしたり、平気でしてた。罪悪感なんてなかったの。だけど……」
「そんな自分が、嫌だったのでしょう。だから、新しい人生を望んだのですよね」
 ラクスは静かになだめようとする。しかし相手は、怯えるように青ざめていた。
「――ねぇラクス、これは罰なの? あなたは、わざとそれを選んだの?」
「何のことですか?」
「パパの車を、友達と運転してたの。夜だったし……慣れてなかったから、避けきれなかったのよ」
 震えた声での告白に、ハッとする。
 事故に遭った車。跳ね飛ばされ、血まみれになっていた仔犬。
 近くとはいえ、それなりに距離があったので、その関連性に気がつかなかった。
 だとすると、彼女たちは――。
「あの犬を轢き殺したのは私なの。その後、動揺もあって事故を起こしちゃったけど……まさか、こんな風に同じ身体に同居することになるなんて!」
 そう口にした途端、彼女は勢いよく自分の二の腕に噛みついた。
「ど……どうしたんですか!?」
 手加減のない攻撃。その口には牙がついていたので、今にも肉を食いちぎってしまいそうだった。
「やめてください、落ち着いて!」
 ラクスの言葉を受け、彼女はようやく動きを止めた。
 口元と腕から血を垂れ流しながら、ラクスに目を向ける。
「止めないで。この人、ワタシの仇なの。復讐するの。ワタシが生き返ったのは、そのためだった」
 言いながら、涙を流しているのは、どちらの彼女なのだろう。
 無邪気な仔犬。人なっつこくて従順そうに見えたのに、その胸にこれほどの怒りを秘めていたなんて、気づかなかった。
「この人、動物嫌いって言う。でもワタシは人間が嫌い。お母さんも人間に殺された。捨てられて蹴られて、連れていかれた」
 積み重なったものが、痛みと苦しみの中で爆発したのだろう。
 息絶える中、去っていく車を見つめながら、その恨みを抱えていたのだ。
 嘘をついて笑ってみせるのは、人間ばかりではなかった。
 飼い犬に手を噛まれるというけれど、どれほど忠義心のある犬だって、人に危害を加えることはあるのだ。
 その人間と彼女とは違うといったところで、納得できるはずもない。
 動物を嫌う女性と、人間を嫌う仔犬。
 彼女たちは元々、相容れない存在だったのだ。
「――落ち着いてください。だからといって、自分を傷つけることはないのですよ。それはあなたの身体でもあるのですから。……どちらが主導権を握るかは、あなたたち次第ですけど」
 私情は挟まないつもりだったけれど、どちらかというと仔犬の方が正しいと思えたからだろうか。
 ラクスは遠まわしに道を示してやった。
 人並みの知恵を得た仔犬の少女は、その意味を理解したようだった。

 ――そうして、人間の少女の人格は、二度と表面に出てくることはなかった。
 内でどんな戦いがあったのかは知らないが、仔犬の意識の中に融合され、彼女が生きるのに役立っていることだろう――。

  END