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<東京怪談・PCゲームノベル>


花筐



 何故こんな場所に来てしまったのか、呼んだとはどういうことなのか、一体ここはどんな場所なのか。
 考え出せば疑問は次から次へと浮かんでくるが、御巫・楓耶は紅茶を一口飲むと小さく息を吐き出し、目を瞑った。
 考えたところで、どうせ答えは出てこない。無駄に悩むより、現状をありのまま受け入れてしまったほうが利口だ。幸い目の前の少女から敵意は感じられず、場所自体も穏やかで、殺気じみた雰囲気はない。ゆっくりお茶を飲みながら少女と話していても、危険な目に遭うことはまずないだろう。
「そんなに緊張しなくても、氷菓もこの世界も、あなたに危害を加えるつもりはないわ。 あなたもソレは分かっているでしょう?御巫家当主の御巫楓耶さん」
「俺が名乗らなくても、分かっていると言うことですか」
「ここは氷菓の世界よ。いくら氷菓があなたに呼ばれたとは言え、この世界に来た以上、あなたのことは何でも分かるわ。あなたのスリーサイズも分かってるし、過去も今も分かっているわ。そして‥‥‥あなたですらもまだ知らないことも」
 あなたの未来も知っている。 口には出さないけれども、氷菓はそう言いたいのだろう。
 見た目は小学生くらいだが、中身は楓耶の何百倍も歳を重ねているのだろう。
「生きている年数で言えば、あなたのほうが長いわ。でも、存在している年数で言えば、氷菓のほうがずっと長い」
 けれど、存在している年数だけ長くても意味はない。存在しているだけでは何も生まれない。そこにあるだけならば、何にだって出来るのだから。
 寂しそうに小さくそう呟くと、氷菓は凛とした眼差しを楓耶に向けた。
「これからいくつか質問をするわ。正直に思ったままを答えて。ここは氷菓の世界。嘘や誤魔化しは、するだけ無駄」
「分かっています」
「それじゃぁ、好きな色は?」
「蘇芳色です」
「蘇芳は高貴な色。希少で気高い色。 けれど同時に移ろいやすい色。時と共に褪せやすい色。そして蘇芳は血の色として用いられる場合もあるのよ」
 血 ―――――
 その漢字一文字に、自嘲にも似た笑みが浮かぶ。
 その色は、臭いは、目を瞑れば簡単に思い出せるほど身近なモノ。けれど決して好きにはなれないモノだった。
「あなたは血と聞いて、他人の血を真っ先に思い浮かべるのかしら? 血は、あなたの中にも流れているのよ」
 でもね、氷菓の中には流れていないの。血は、生きる者が持つべきもの。存在しているだけの氷菓には決して持てないもの。
「あなたは四季の中で、どの季節が好き?」
「秋ですね」
「1年で一番鮮やかな季節。厳しい冬に向けて、生を絶やさないようにと自然が実りを恵んでくれる季節。世界は優しく包み込むようで、風はときに冷たくときに暖かく、日差しは柔らかで優しく、生命は穏やかな時の流れに身を委ねる。 山々は着飾り、鮮やかな色の葉を散らす。赤、黄色、茶色、赤」
 赤 ―――――
 氷菓の唇が、紅を塗ったように真っ赤に染まっている。
 楽しそうに細められた目は大人びており、肩口でそろえられていたはずの艶やかな黒髪は、腰元まで伸びてきている。あどけない顔には大人びた陰がさし、外見年齢は17歳ほどだった。顔から視線を下げれば、鮮やかな蘇芳色の着物が目に入った。
「あなたは、自分の事が好き?」
「昔よりは、嫌いではなくなりました」
「昔よりはと言うことは、今でもあなたは自分の事があまり好きじゃないのね」
 氷菓が寂しそうに目を伏せる。長い睫毛は桜色の頬に薄っすらと影を落とし、下唇を噛む白い前歯が見える。
「自分が嫌いなのは悲しいこと。だってそうでしょう?あなたの事を一番分かっているのはあなただけ。あなたの気持ちはあなただけのモノ。あなたという入れ物の中に詰まった記憶の全ては、他でもないあなたのためにあるもの。あなたにしか意味のないもの。例えその記憶がどんな記憶であっても、あなたはそれを大切にする義務がある。辛い記憶でも悲しい記憶でも、あなたと言う人間を作るにいたった欠片の一つだから」
 幸せな記憶だけあれば良いと考える人もいる。でも、氷菓はそうは思わない。悲しい記憶でも、辛い記憶でも、あなたが体験し、あなただけが持った感情と言うものがある。同じものを見ても、他人があなたと全く同じ事を感じることはないの。
 言葉は感情に劣るから、単純な言葉だけで表せば他人と同じ言葉が出てくるかもしれない。でも、その言葉の奥に隠された深い感情の移りや、心の葛藤は決して他人と同じになりはしない。
「あなたの感情はあなただけのもの。他の誰のものでもない」
 悲しいコトも、辛いコトも、全ては御巫楓耶と言う人間を作るために必要だったもの。
 もしそうだとすれば、全てに意味があったことになる。
 あの日のことも、あの時のことも、あのとき感じたことも、あの感情も、全ては楓耶のためのもの。
『楓耶』
 ふと耳の奥で、優しい声が名を呼んだ。温かく慈愛に満ちた声に、立ち上がって叫びそうになる。
「記憶の中で呼ぶ声は、あなたの過去を呼んでいる。今のあなたじゃないの。今のあなたは、あの人と同じときを過ごしていないの。過去からの呼びかけに答えてはダメ。あの人が呼んでいるのは、幼い日のあなたなのだから」
 目を瞑れば、幸せそうに手を繋ぐ親子の姿が見える。
 あのとき右手を握ってくれていた人が、今はもうどこにもいない。あの時はあんなに近かったのに、手を伸ばせば届いたのに、名前を叫べばどこからでも飛んできてくれたのに、孤独に震えればそっと抱きしめてくれたのに、今はもう、あまりにも遠い世界の人。遠く時間を遡らなければ、会うことすら叶わぬ人。
「あなたの能力は、誰のためのものなの?」
「‥‥‥連綿と連なってきた結果のもので、伝えてきた先祖と従ってくる者達の為のものです」
「その力は、あなたの為のものではないの?あなたの一部なのに、他人の為のものなの?」
 その力を使う人たちは、あなたにとって大切な人たちなの?あなたにとって、本当に大切な人たちでないのなら、あなたは一生その力を好きにはなれない。その力を持つ自分を、好きにはなれない。
「連綿と連なってきた結果にたまたまあなたがいるのかもしれない。偶然あなたがその力を持つべき星の下に生まれてきてしまったのかもしれない」
 でもね、偶然は必然であるべきなの。力の星は確かにあなたを選んだ。あなたがどう思おうと、星が力ずくであなたを自身の下に引き寄せたのかもしれない。けれどきっと、あなたもその力を受け入れた。そうでなければ、あなたと力は合い入れない関係になったはず。
「偶然は1つだけでは真にならない。偶然が対になることによって、必然となり真になる」
 世界は半分に割れた偶然の欠片で出来ている。偶然は自分に合う偶然を探し、2つが合わさったときに必然となり現実となる。
 今まであなたに起きてきたことは全て、偶然と偶然が合わさって起きた必然。あなたの持つ偶然の欠片と、誰かの持つ偶然の欠片が一致した結果の真。
「あなたには大切な人はいる?」
「います」
「それが現実にいるのか、それとも記憶の温かな場所にいるのか、氷菓には分からない」
 氷菓の世界で氷菓が分からないと言うことはね、あなたにも分からないと言うことなの。
 けれど、目の前の少女はきっとその答えを知っている。 直感的にそう思った。
「俺は、ちゃんと分かってますよ」
「本当に? それは錯覚ではなく、思い込みでもなく、本当に分かっているの?」
 にっこり ――― 微笑んだ氷菓は、楓耶と同じ歳くらいに見えた。
 艶やかな黒髪は床につき、波打ちながら広がっている。蘇芳色の着物はやや色が褪せ、長い袖口からは白い指先だけが見えている。
 耳の上辺りに留められた、銀色の蝶々のピンがキラリと光る。今にも動き出しそうなほど精巧に作られているソレに目を奪われていると、楓耶の手の上に冷たい何かが重ねられた。
「あなたに帰る場所はある?」
 視線を手元に落とせば、氷菓の華奢な手が乗っていた。血が通っていないと言っていたが、確かに掌からぬくもりは感じられない。
「帰る場所は、ある」
 氷菓がききたいのは、家があるかどうかとか、そう言う事ではないのだろう。
 心の拠り所とでも言うべき、決して楓耶を拒絶することのない、神聖な場所。誰もが持っていそうで、けれど案外持っていない人 ――― 持っていないと思い込んでいる人 ――― も少なくない、心の故郷。
「そう、帰る場所があると言い切れるのは良いことだわ」
 ふわり、氷菓は無邪気に微笑むと楓耶の手を両手で包み込んだ。
「今からあなたを、古に連れて行きます。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全てあなた次第です」
 氷菓がギュっと強く楓耶の手を握った瞬間、ふわりと体が宙に浮き上がり、急降下した ―――――



 生ぬるい風を受け、楓耶はゆっくりと目を開けた。広々とした草原を見渡し、足元に聳える城へと視線を落とす。
「ここは、一体‥‥‥」
「駿府」
 隣でじっと眼下を見つめていた氷菓が、小さく呟くと足元を指差した。
 一瞬にして地上に降り立った楓耶は、畳の上に小さくなって唇を噛む少年を見つけた。
 その表情は屈辱と悲しみに染まっていたが、瞳の奥には強く輝くなにかがあった。
「彼は、強い人だった。どんな苦境にも打ち負けない、粘り強い人だった」
 彼の偶然は、彼にとってプラスの偶然を引き寄せ、大きな必然を生み出した。
「決して幸せだとは言えないような境遇で、それでも下を向きはしなかった。前へ前へ、その心は夢のような大きな真を生み出した」
 指先を空へ向ける。 一瞬の飛翔。風すらも感じないほど、刹那の上昇だった。
 どこまでも広がる青い空を見つめる楓耶の手を、氷菓が強く引く。
「氷菓の言葉も、この世界も、全てはあなたの気持ち次第で見方が変わる。何を見て、何を感じ、何を考えるのかはあなたの自由。全てはあなた次第で、世界は何色にでも染まる」
 世界に色があるんじゃない。あなたが世界の色を決めるの。
 この空も、雲も、草原も、全てはあなたが染めた、あなただけの色。
 氷菓が歌うようにそう言った瞬間、ふわりと体が浮き上がると急降下した ―――――



 温かな紅茶の香りが全身を包み、楓耶はゆっくりと目を開けた。夢現のまま目の前に座る氷菓の顔を見て、思わず息を呑む。 艶やかな大人の雰囲気は失われ、あどけない無邪気な笑顔がそこにはあった。
 初めて会ったときと同じくらいの外見をした氷菓は、銀色に見える瞳を細め、眩しそうに楓耶を見ると口を開いた。
「あなたは自分に対しても、そして他人に対しても厳しい人。例え世界中の全ての人があなたを許そうとも、あなたは自分で納得しない限り、決して自分を許しはしない。だからこそ、息が詰まりそうになる」
 温和で優雅な表面上のあなたは、中身の鋭さを隠そうとしているから。棘から目をそらすために、見事な花を咲かせる薔薇と似ている。
「でもそれは、本当に中身を隠しているからなのかしら? 薔薇は、棘を隠すために美しく咲くの?美しく咲いた花を守るために棘を持っているのかもしれないわ」
 そんな議論は鶏が先か卵が先かと同レベル。薔薇と棘の関係は、当事者にだって分からない。
「あなたは、弱い心を隠すために強い内面で囲い、さらに強さを誤魔化すために表面上優しく作っているのではなくて?」
 芯にある心はとても柔らかく傷つきやすいから、何重にも覆わなくてはいけない。弱さを覆うには強さで、強さを覆うには柔らかさで。
「あなたは秋が好きだと言った。実りの秋は、全ての生命に平等に優しさを与える季節。けれどそれは、厳しい冬を前にしての一時の安息の時間でしかない」
 氷菓が考えている事が、杞憂なら良いと思う。でも、きっとこれはいつか来る未来の必然。
「あなたの未来に、困難な何かが立ち塞がっている気がするの。それは、あなたが避けようとすれば避けられるかもしれない。でも、きっとあなたはソレを避けない」
 何故と問うの? 何故の答えは、あなたが一番よく知っているはずなのに?
 あなたは氷菓以上に御巫楓耶と言う人間をよく知っているはず。もし知れないというのなら、見えていないのか故意に目をそらしているかのどちらか。前者ならば、あなたは愚かだと言わざるを得ないわ。自分が見えていないのは、悲しいコト。でも、後者なら近い将来、あなたは自分と向き合わなければならない日が来る。
「でも、これだけは覚えていて。冬の後には必ず春が来る。四季は決して壊れはしない。永遠に続く冬などないように、永遠に続く春もないの」
 それは人の一生に似ている。 けれど、四季は見えざる手によって一定期間ごとに自動的に移り変わるもの。人生は、少なからず自分で調整出来るもの。
 あなたが春だと思えば、冬の日差しも柔らかく思える。あなたが冬だと思えば、桜の花びらは凍りつく。
「氷菓は、あなたのことが嫌いじゃない。弱いようで強くて、真っ直ぐで直向で、綺麗な人。 過去と言う地面が涙で濡れ、不安定なものだとしても、今はいずれ過去になる。あなたの思い描く未来はあまり明るくないかもしれないけれど、大切な人や帰る場所があると言い切るあなたの今は、きっと確かなもの。未来に立ち向かう上で、心強い過去になってくれるもの」
 今はまだ、実感はないと思う。でも、思い出は風化していく。 それを悲しむ必要はないし、風化させた自分を責める必要もない。風化は、思い出を優しいものへと変える魔法なのだから。
「あなたには、黎と言う字がよく似合う。“黎”一文字では、暗いだけ。でも、“明”がつけば“黎明”となる。あなたの近くにきっと、“明”はあるはず。その人と一緒なら、夜明けは近いわ」
 ニッコリと優しく微笑むと、氷菓は空中をすいと切り裂いた。丸くくりぬかれた空間に手を差し入れ、何かを取り出すと楓耶の目の前にトンと置く。
 黄色がかったオレンジ色の、あまり見慣れない花を咲かせる花筐を前に、楓耶は困ったような眼差しを氷菓に向けた。
「この花は、サンダーソニアよ」
「サンダーソニア、ですか?」
「そう。あなたにプレゼントするわ」
 氷菓の小さな手が花筐を持ち上げ、そっと楓耶に手渡す。
 楓耶の手が氷菓の手に触れた瞬間、サンダーソニアの花が輝きだした。
 目に痛いほど純白の光は周囲の景色を溶かし、瞬く間に世界が白く染められる。
「サンダーソニアの花言葉は、望郷、祈り」
 あなたにぴったりの花でしょう? 嬉しそうな氷菓の声を最後に、楓耶はこの不思議な世界から弾き飛ばされた。



 はっと目を開ければ、見慣れた室内が飛び込んでくる。
 少しだけ痛む頭に手をやりながら体を起こし、先ほどまで見ていた夢に出てきた少女の事を思い出す。
 銀色の瞳、闇色の髪、蘇芳の着物 ―――――
 1つ1つ色と共に記憶をなぞっていく楓耶の視界の端に、サンダーソニアが美しく咲き誇る花筐がチラリと映った。



END


◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 8124 / 御巫・楓耶 / 男性 / 22歳 / 御巫家当主