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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


[ Sweet, sweet runaway! ]


 二月十四日。
 草間興信所の朝。長閑で、少しだけ甘い香りの漂う朝。
「っ……甘い…?」
 その香りはキッチンから漂ってくる。
 昨日は結局ソファーに寝転がったまま夜を明かしてしまった草間・武彦は、起き上がると同時、わずかに寝癖のついた髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でソファーから降りた。向かう先はキッチン。そこで彼はやはりというべきか、彼女――草間・零の背中を見つけた。
「…………何、してんだ?」
「ぁ、おはようございます兄さん。実はチョコレートを」
 笑顔で振り向いた零に、武彦は「あぁ…」と呟くと目を閉じた。正直眠い。
「それにしては…チョコレートの姿がないが?」
 目を閉じたまま呟く武彦に、零は「此処に」とボウルを見せた。薄目を開ければそこには粉末状の何か。
「――お前、まさか……」
「はい、カカオ豆から作ってます。『手作りチョコ』ですからね」
 そう言った後、零は前を見て作業に戻った。その姿に、武彦はただ適当な応援の言葉を投げソファーへと戻っていく。まぁ、物好きも居るものだ――そんな程度の気分だった。

 しかし、それからわずか数十分後の事だ。興信所から煙が上がったのは。火災というものではない。何かが爆発したような――。
 ソファーから飛び起きた武彦は零の安否を気にするが、それ以前に気になることがあった。
「俺が、もう一人?」
 丁度キッチン正面、そこに見た目は茶色で統一されているが、明らかに自分と同じ容姿を持った動く何かがある。
「……あ゛!?」
 刹那、武彦に向かい来る茶色い液体は唐突にその身を翻した。何が起こっているのかさっぱり分からない。
 ただ武彦の隙を突くよう、彼と瓜二つの動くモノはご丁寧にドアを開け、一気に階段を駆け下り……街へと出て行ってしまった。
「っ……兄さん、無事でしたか!?」
 どこからともなく姿を現した零は、顔にチョコレートをつけたまま真剣な形相で武彦に駆け寄ると、開いたドアの先を見る。
「大変です……手作りチョコレートが命を持ってしまったようです。やっぱりコレが原因だったのか…も?」
 そう言いながら、エプロンのポケットから出したのは小さな瓶。

 それが全ての元凶――。


   □□□


 武彦からの連絡を受け程なくし、チョコレートの香りが漂う草間興信所は賑わっていた。
「久し振りだな、金さん。ちょこが逃げたとか? まあ、詳しい話を聞こうじゃないか」
 ド派手な着流し姿でソファーに座り、武彦のことを金さんと呼ぶ雪森・スイ(ゆきもり・すい)。
「近くまで来たので挨拶に――と、思ったんですが。どうぞ宜しくお願いします」
 挨拶にと興信所のドアを叩き、たまたま依頼を受けることになった久世・優詩。
「お前の怪奇誘引体質はどうにかしろ」
 そして開口一番というよりも先、武彦にアイアンクローを極めつつそう言った黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)。
「……ごあっ、毎度毎度、コレは俺が悪いのかっ!?」
 理不尽だと言わんばかりの武彦の言葉に、冥月は思わず零へと視線を向けるが、結局武彦の問いには答えぬまま。彼の傍を離れると部屋の隅で腕を組み立つ。
「まあまあ、その辺にしといて」
 スイはそう言うと、テーブルの上にトンと一つの包みを置き武彦を見て言った。
「ぎりちょこを持ってきた、ありがたくいただけ」
「義理って、言っちまうんだな……ま、ありがたいもんだが」
 そう言い武彦が包みごと受けとろうとした所、スイは「さあ、皆も食べるといい」と包みを開ける。その中身はどれも色形が綺麗なもので、義理と言うわりには明らかに手作りと言えるチョコレート。
 しかしこの瞬間、唯一優詩だけがそのチョコレートに違和感を覚えていた。ただそれが何とは上手く言い表せず、勿論口にすることなど持っての他で。結局それは気のせいだということすると、スイに問う。
「これは美味しそうですね。ですが……良いのですか?」
 見るからに武彦個人宛のものに見えるものの、スイはあっさり「沢山あるから遠慮はするな」と言うと、それをテーブルの中央に置いた。
 離れていったチョコレートを武彦は少し名残惜しそうに見ながらも、思い出したように咳払いしこの場を仕切り直す。
「チョコは今回の件が解決したところで食うことにして――早く零が作り出した妙な物体をどうにかしてくれ……完全に繁華街に向かったようで、このままじゃ又変な噂が立つ」
「私は金さんの名誉なんてものはどうでもいいが、暇だし手伝ってやるとしよう」
 武彦の言葉の後、スイがポツリと呟いては冥月とは逆側の隅っこにポツリ佇む零に目を向けた。
「本題に入る前に零さんも、こちらへどうぞ?」
 優詩は武彦の言葉に同意すると同時、同じく零に目を向け優しく声を掛ける。今回の事件を生んだ張本人らしき彼女は、どうにも気まずそうな様子を見せながらも、優詩の言葉に後押しされ彼の隣、スイの正面のソファーに腰掛けた。
 そんな中冥月は、もたれ掛かっていた壁から背を離すと武彦を見て言う。
「誰が協力すると言った? ……馬鹿らしい、そんなモノ自分で探せ」
「帰るのか? てか、何しにきたんだ……お前は」
 古い長ソファーではなく、一人用の比較的新しいソファーに腰を落としたまま、武彦は出て行こうとする冥月を見た。
「…………帰る、当たり前だ」
 けれどドアの前で立ち止まった彼女の足。そのまま動かない冥月に、武彦は溜息と同時腰を上げると彼女の背後に立ち何かを話し始める。此処からでは何を話しているかは全く聴こえず、二人の様子も見えない。
「っ……い、いだろう、勿論協力する。私がいれば今回は尚のことあっと言う間だ」
 ただ、唐突に冥月が声を上げたかと思うと、あっという間にソファーの方へ向かって来た。
「それにしても以前は芋で今回はチョコレート、か。……零もな、怪しい物を安易に使っては駄目だとそろそろ学べ」
 そうして零のすぐ傍らに立った冥月はしゃがみ言うと、彼女におでこをこつんと軽くぶつける。
「ぁっ……ごめん、なさい」
 武彦の時とは違った対応に拍子抜けした零は、身構え思わずギュッと瞑っていた目を開けると深々と頭を下げた。それを確認すると冥月は立ち、ようやくソファーに腰掛ける。
 そのやり取りに優詩は思わず零に問う。
「小瓶の中身が何かは知っていますか?」
「えっと、手作りチョコレートの中に愛情と共に入れると、想いが伝わり相手も幸せになる魔法薬――の試供品って、言ってました」
 一体誰がそんなことを言って配っていたのかは誰も問うことが出来ないが、どうしてこうなったかは皆同時に理解した。
「それが結果的に、動く金さんちょこれーとになったのか? ふむ……それはなかなかに面白いな」
 興味深そうにスイが言う。
「しかし、これでは瓶の中身から解決には至らないようですね」
 零が渡してきた小瓶を見るものの、そこには用途が書かれているだけで、万が一何かあったときの解決方法など勿論書いていない。わずかに苦笑いを浮かべると、優詩は戻ってきた武彦に最近何か密かにしたかった事や、特に気になった事等がないか尋ねてみた。勿論、密かにしたかったことがあったとして、この場で口を割るかは分からないが……。
 ただ武彦は優詩の言葉に少し考える素振りを見せた後、苦笑いを浮かべた。
「煙草を、思う存分吸いたいとは思ったな。値上がりしてからイライラが酷――――」
 次第に愚痴になり始めたところ、武彦の口と動きが突然止まる。
「どうした、金さん?」
 スイの言葉が耳に入っているのかいないのか、武彦は上着のポケット付近を数度叩くと急ぎソファーを立ち、乱雑に物が積みあがったデスクの引き出しを次々に開けてはピタリと動きを止め。
「煙草が……無い」
 俯いたまま沈んだ声でそう言った。どうやら、封が開いている箱に加え未開封のストックまで無くなっているらしい。勿論知らぬ間に全部吸ってしまったわけでも、零がどこかへ隠してしまったというわけでもない。
「仮に薬の謳い文句が本当なら、お前の幸せは不幸ということか?」
 思わず冥月が言葉にし、武彦の肩だけがピクリと反応した。しかし、結局の所チョコレートは彼の口に入っていないのだからまだ効果は無いのかもしれないが。
 苦悩する武彦と彼の形をしたチョコレート、そして突然の煙草の失踪。
「あれこれ考えず、早くちょこれーとの回収に行った方がいいのではないか?」
「そうだな、とにかく早々に回収してくればいいんだろう?」
 そう言ってスイと冥月がソファーから立ち上がる中、色々な可能性を考えていた優詩は零に最後の質問をした。
「ちなみに、零さんは何を考えながらチョコレートを作ってましたか?」
 問いに対し零は微笑み武彦を見ると、その笑みを優詩にも向け答える。
「勿論兄さんのことを想いながら。このチョコレートを食べて幸せになってもらい、少しでも煙草のことを忘れてもらいたいな、と」
「……そういうこと、ですか」
 零の答えに対し優詩からはそれまでの緊張感が消え、思わず笑みを零し横目で彼を見てしまう。その視線の先に居る武彦は、複雑そうな顔でおそらく空っぽの引き出しをまだ見つめていた。
「零の強い想いを汲んだのか」
「なんだ、金さんの健康を気遣ってくれるいい奴じゃないか」
 口々にそう言う三人に対し、武彦は引き出しを強く閉めるとようやく顔を上げデスクを叩き。
「依頼内容変更――……早くそのチョコレートを回収し、俺の煙草も無事取り戻してくれ!」
 言葉と同時、積みあがっていたものがドサドサと音を立て一気に雪崩落ちた。


 零が少し離れた場所から不安そうに見守る中、冥月は彼女の頭をそっと撫でながら武彦を強く見た。
「相手がお前と同じ姿形ならば、お前の影を伝うのみ。幸いまだそいつはこの付近に居るようだしな」
「影、ですか?」
「それで一気にちょこれーとの居場所に辿り着けるということか」
「頼んだぞ。後、一応無事な姿形で回収してきてくれ――零が、アレだからな……」
 一応は自分のためにと作っていたチョコレートと使ってしまった薬だ。解決が第一だが、何も残らないのはかわいそうだと言うことだろう。
「……行くぞ、肩にでも掴まれ」
 そう言うと冥月は数キロ先を逃走し続ける、もう一つの武彦の影を目指した。
 冥月曰く武彦の影から、チョコレート武彦への影への移動。それは一瞬の出来事で、気づけば三人は興信所から離れた、どこかの商店街の一角に居た。
「此処はもしかして隣駅、でしょうか?」
 なんとなく見覚えがあるかもしれないと優詩が辺りを見渡せば、三人のすぐ目の前には奇妙な物体が立っている。
「おお、確かにちょこれーと色と香りの金さんだな。姿形は勿論大きさまで同じじゃないか」
「ふん……こんな奴影で束縛して、そのまま捕獲でもすれば――」
 口々に言葉にされるその意味が分かっているのか、武彦姿のチョコレートは三人の方を振り向くと同時、物凄い形相で口を開けた。
 反射的に冥月が身構えると、その口からは勢いよく何かが飛び出てくる。
「っ……小ざかしい。あくまでも抵抗する気か?」
「む、これはちょこれーと。……意外と美味いじゃないか」
「助かり、ました。ありがとうございます」
 咄嗟に冥月が張り巡らせた影による壁が三人への攻撃を塞き止めたものの、噴射されたチョコレートは多少辺りにも散らばり、今の攻撃で周辺の人間が異変に気づきざわつき始めた。
「このままでは大騒ぎになってしまいますね。早くどうにかするか、移動し――」
 言うや否や、今度はチョコレートの姿そのものに異変がおき始める。固形の状態を保っていたその身体の一部が、まるでチョコレートフォンデュのごとく、上から下へドロドロと流れ出し、そのまま下へ流れたものが別れ二つの形を作り出す。
「ふむ、ちょこの金さんは分裂ができるのだな」
 三体に増えた武彦を見てスイが関心の声を上げ、優詩が戸惑っている間に分裂した二体はそれぞれ別の方角へ尋常ではないスピードで走り去ってしまった。よく見れば、多少のサイズダウンは勿論、いつの間にか全員が全員小脇に煙草のカートンを抱えてもいる。
「よし。ここからは別れ、それぞれ終わったら金さんの元で落ち合おう」
 最初に動き出したのはスイで、あっという間に右方向へ逃走したチョコレートを追う。それに続くよう、冥月は左側へ逃走するチョコレートに目を向けた。
「それぞれ手分けするのが早いだろう。私は向こうの奴を追う」
「はい!」
 去り行く冥月の背中に返事をすると、彼女はあっという間に走り去っていく。


   □□□


 二人が居なくなったこの場所で、優詩は残ったチョコレートと対峙する。
「えっと……とりあえずこの場からは離れませんか? もう少し人の居ない、静かな場所でお話――っ!?」
 まずはこの場を移動し、その後対話をしたいと考えていた優詩は話をもちかけるものの、それは聞く耳を持たないのか再び噴射攻撃をしてきた。
 それを寸での所で避けたつもりだったが、左腕に違和感を覚えふと見ればそこが見事チョコレートに覆われている。量はそれほどではなかったはずなのに、コーティングされた左腕は重く、持ち上げることもままならない。
「……落ちない」
 チョコならば割ったり削ったり出来るかと思いきや、それが剥がれ落ちることはなく、その隙にチョコレートは踵を返し逃走を始めた。
「あっ、どうか待ってください」
 逃げるチョコレートを追いかける途中、優詩は噴射対策としてコンビニエンスストアで急ぎビニール傘を買い更に後を追い続ける。
 買い物中にその姿を見失ったものの、辺りは奇妙な物体の噂で騒ぎになっていて、道行く主婦が気味悪がり、子供が面白そうに話しているのを耳にしては道を選び。ようやく後姿を発見したのは、駅前商店街から大分離れた住宅街の中だった。
 重い腕を抱え長い時間走り続けたお陰か、大分息は切れていたものの、もうすぐで追いつけそうだという気持ちから優詩の足は止まることなくチョコレートを追う。
「…はぁ……はぁ…ようやく、追いつけましたね」
 そうして足を止めると、背中で大きく息をしながら前を見据えた。
 この時間人一人居ない公園の中央、そこに立ち止まり優詩をジッと見つめる武彦姿のチョコレートが居る。それはもうこれ以上逃げる様子を見せず、小脇に抱えたカートンを更にギュッと抱くと、再び対峙する。
「というより……私を待っていてくれたのですか?」
 思い返せば、分裂した二体は物凄いスピードで逃走していった。
 一度は見失い、再び見つけてからはずっとその背中を一定距離で追い続けられていたのも、よく考えればおかしなこと。最初に比べれば、優詩の速度も落ちていた筈なのだから。
「――もしかして、あまり人が居ない場所へと誘導してくれたのでしょうか」
 導き出した一つの可能性。けれど、それと同時に開く口。
「っ……!」
 一瞬にして左手に持っていた傘を素早く右手で開き、そのまま右手に持ち変え正面に構えると、間髪おかず透明な傘には茶色のチョコがべっとりと付着する。それと同時、噴射の勢いに負けた足はわずかに後退したらしい。それは、足元でした砂の音で後からそう感じたものだが。
 構えた傘をわずかに下ろすと、優詩は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「残念。まだ、攻撃を止めてはくれないのですね……」
 言葉と同時、先程より少し勢いの増したチョコレートが傘をめがけ飛んでくる。
「っ……でも、私は貴方とお話をしにきたのです」
 右手に受けた衝撃と重み、そして手首に走った痛み。チョコレートまみれの傘は、コロコロと転がりながら離れてしまう。
 それを取りに行く余裕など、この状況においてはない。ならばと優詩は屈み気味だった背筋を伸ばし、疲れや重み、そして痛みをも感じさせない穏やかな表情、優しい声色で武彦の姿をしたチョコレートに語りかける。
「何故興信所から、煙草のカートンまで抱えて逃げたのか、」
 その語り掛けに、本人が意識した何かがあるわけではない。けれど、無自覚で声に宿るその力は、命を持ったチョコレートの感情にすら影響を及ぼし始めていた。
「そうした行動には何か目的があるのか。」
 気づけば開いたままの口は閉じ、もう噴射はない。それどころか、左手のチョコレートがどろりと流れ落ち、目の前のチョコレートの一部に戻っては溶け込んだ。それに気づきながらも、優詩は言葉を止めることなく続けた。
「逃げているだけでは何も始まりません。誰かに話して楽になること、解決の糸口が見つかることもある。話を聞くことは勿論、私に出来る範囲でしたらお手伝いしますよ」
 ありきたりな言葉かもしれないけれど、その言葉を受けたチョコレートは確かに優詩の方へと一歩二歩近づく。そして彼の目の前に立つと。
「……ゆう、し…」
 と、武彦に似た声を出した。似た――と優詩が思ったとおり、それは武彦の声色そのものではない。
「良かった……言葉は話せるようですね。よろしければ、その心に秘めた思いを話してみてください。一時とはいえ、貴方は命を持ったのですから」
 安堵の息と共に向けた言葉。その声を聞き、チョコレートは思いもかけず優詩の手を引きベンチへと誘導した。
「あのな、零がこんな形で俺を幸せにしようとしても、チョコ一つで本当に幸せになるわけがないだろう?」
 そうして誘いのままベンチに座ると、すぐ隣に当たり前のように座ったそれは唐突に愚痴を零し始める。
「現実は値上げの波だ。いくら気持ちが篭ってたって、嬉しい止まりで幸せになどなれやしない。けれど、こんな言葉を零に向けるわけにはいかない」
 少し呆気に取られながらも、優詩はその言葉に耳を傾け続けた。それらは興信所で耳にした武彦の言葉に似たものと、あの時は聞かなかった思いがある。恐らくそこには本音が混じっている。だからこそ、このチョコレートは零に何か言ってしまわない内に、あの場から立ち去ったのだろうか。
 となると、今度は煙草のカートンを小脇に抱えている意味がよく分からないものの……。
 嬉しいけれど冷めていて、吸いたいけれど吸いたくない。けれど吸わなければ吸いたくなり、そうすれば財布が寒くなる。そんな思いの循環は確実にストレスとなっている。
 煙草の問題は正直難しいだろう。今回の大幅な値上げで禁煙や治療を始めた者が多いとは言え、喫煙者の多くは本数を減らしたり、それが出来なければ少しでも安い煙草に乗り換えたとも言う。
「煙草は勿論、コーヒーも値上げだろ? 缶コーヒーでも問題はないが、やっぱり豆から淹れたコーヒーが好きだってのに……」
 そんな悪態に、優詩はいつの間にか地面を見つめていた顔を上げた。
「――豆で淹れたコーヒーなら、私が淹れて差し上げることが出来ます。時折とびきりの一杯を楽しむのはどうでしょう? とは言え、貴方に淹れるべきか、草間さんに淹れるべきか……ですが」
 隣を見て最後は少し悩みながらそう言うと、武彦の顔ですっかり沈み込んでいたチョコレートも途端に顔を上げ、嬉しそうな顔を見せる。
「是非本人に淹れてやってくれ。そうすれば、俺もきっと浮かばれる」
 その声色、そして言葉の意味。空気の変化に優詩が気づくと同時、チョコレートはベンチを立ち彼の前に立った。
「しょうがない……コレは一気に吸いすぎるなと、一言加えて本人へと返してくれ。後は無事、零の元へ俺を送り届けて欲しい。本当は――このまま捨て置いて欲しいが、戻らなければあいつは悲しむだろうから……な」
 手渡された煙草のカートン。優詩はそれをゆっくり両手で受け取ると、一度は煙草に向けた視線を再びチョコレートへと戻す。
「貴方は…草間さん、そのものなのですか?」
「――――パラドックス」
 ずっと気になっていたこと、それはその一言で解決した。
 確かに言葉や考えは武彦のものだけれど、隠しきれないのかあえて出しているものなのか本音もある。多分最初から、このチョコレートは近づいて欲しくないけれど、誰かに話を聞いてもらいたい、そんな矛盾と葛藤を抱えていたのかもしれない。
 やがてチョコレートは又上から溶け流れ出し、体内に隠し持っていたらしきボウルに、自らその身体を流し込みゆっくりと固まっていった。
「草間さんの矛盾を抱えた思いの形……でしょうか」
 呟くと足元にコロンと転がったボウルを持ち上げ、それが見た目はとりあえずごく普通のチョコレートであることを確認する。
 そうして小脇にカートンを抱えると優詩はベンチを立った。


   □□□


 優詩が興信所に戻ると、どうやら既に冥月は戻っていて、彼女は零とキッチンでチョコレートを作っているようだった。
 顔に新たに殴られたような痕をつけた武彦に迎えられ、優詩は回収したチョコレートと煙草のカートンを手渡しては状況を説明する。まだ冥月からは詳細を聞かされていなかったらしき武彦は、チョコが街中で分裂したことやカートンをバラバラに持っていった事にいちいち顔をしかませながらも、全て聞き終えると安堵の息のようなものを吐いてみせた。
 そうして渡されたカートンを持ちデスクに向かうと、その上に置かれたもう一つのカートンに気づき、ようやくその表情を明るくする。
 そんな彼の様子に、優詩も思わず笑みを浮かべると上着を脱ぎソファーに掛ける。
「デスク周りと――キッチンは使用しているようですが、少しチョコレートで汚れてしまった室内部分は片付けたり掃除をしましょうか」
「あ……あ、そうだな」
 浮かない返答をしてきた武彦に、優詩は袖を捲り笑顔で床に落ちたままの書類を拾い言った。
「お手伝いしますから、ね?」
 それからデスク周りと、チョコが歩き回り飛び散ったらしい茶色く甘い香りのする汚れを落とし、途中帰ってきたスイに武彦が飛び掛り――時間はあっという間に過ぎていく。
 片付けと軽い掃除を終えると、ようやくキッチン周りが落ち着いたようなので、今度はそこの掃除――さすがに零が綺麗にしていたのか、この場はそれほど酷い汚れは残っていなかった――を終え、そのままキッチンに立った。
 キッチンの掃除に向かう少し前、武彦に持ちかけた話がある。チョコレートと約束した話のことだ。勿論詳細は話はしなかったものの、疲れている武彦にコーヒーを淹れたいと言うと彼は勿論それを快諾し、キッチンの戸棚に色々入っているから適当に任せると言っていた。
「えっと…これ、かな?」
 武彦の言ったとおり、戸棚からはまずコーヒーミルが出てくる。そして保存されていた珈琲豆を取り出すと豆を挽いていく。家庭用で手動のそれは、多少加減は難しかったものの、望みどおりの粉が挽け優詩は頷く。
「――うん……いい香りだ」
 そして大分年季が入って見える家庭用の直台式エスプレッソメーカーも出すと、手馴れたさまで人数分のコーヒーを淹れていった。

 それからすぐに優詩の淹れたエスプレッソと、冥月が手伝い零が作り直した手作りチョコレートがテーブルに並ぶ。
 零が作ったのは最も簡単に出来るトリュフなものの、ココアパウダーやホワイトチョコレートで出来たものなど、バリエーションは豊かだ。
 スイは主に自分が持ってきたチョコを摘みつつ、結局今回不要になってしまった、先程まで逃走を続けていたチョコの処理に回る。
 そんな中、武彦はトリュフを手に複雑そうな表情で口を開いた。
「とりあえず色々な意味での危険物回収には礼を言う。だがっ――」
 そして頭を抱えるとそのまま項垂れる。
「隣の商店街で俺がチョコレートを吐いているだの、それで一部クリーニングが必要になっただの……」
 結局妙な噂が立っては、すぐ彼の元に届いたらしい。
「そうは言っても、予想より被害状況は少ないだろう。最終的には皆、人ごみを離れた場所へ向かったのだからな」
「人の噂など、時が経つか新たに噂が立てばすぐに消えてしまうもの。あまり気になさらないほうがいいですよ?」
「まあその発生源は又、金さんかもしれないけれど」
 その結果、噂の積み重ねで異名が付くということがあるわけで……。
 三人の言葉を受けて、もうピクリとも動かない武彦をよそに、キッチンから戻ってきた零が新たなチョコレートを追加した。
「まだまだありますから、一杯食べていってくださいね」
 事件を解決してくれたことと日頃の感謝の気持ちとして出されたチョコは、今までと明らかに何かが違う。
 優詩が眉を顰め、冥月が嫌な予感に手を伸ばすことを躊躇う中、武彦とスイは同時に手に取り同時に口へと入れた。
 言うまでも無い。一人はその美味しさに更に手を伸ばし、もう一人はソファーから落ちる。
「えっ……に、兄さん?」
「「…………」」
 チョコレートパーティーは、まだまだ続く。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 [2778/ 黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒]
 [8440/久世・優詩/男性/27歳/バリスタ]
 [3304/雪森・スイ/女性/128歳/シャーマン/シーフ]

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライターの李月です。この度はご参加ありがとうございました。
 共通パートもPCさんによって若干差がありますが、今回チョコ捕獲パートのみ完全個別とさせていただきました。
 零の想いが篭ったチョコレートでしたが、彼女の想いや願いや願望や理想、そこに加えて武彦本人の意思までもが入り混じっています。
 一応オリジナル的存在が優詩さんの元に、そこから派生的に生まれたのが、冥月さんが対峙したちょっと気持ち悪い(笑)零の理想が入った武彦、そしてスイさんが対峙した混沌状態の武彦と零になります。逃げていた理由的にはオリジナルが一番持っているかと。
 零の想いを抱えながらこの世にチョコレートとして生まれたことを、このチョコは酷く後悔しています……コレ(カカオ成分が異様に高すぎる、もはやチョコどころか食品といえない物体)を武彦がこの後食べる羽目になるのですから。でも零の優しさ(?)は無碍に出来ない。
 逃げたのは武彦の意思。煙草を持ち去ったのは零の想い――になります。

 結果的には皆無事回収し、被害も最小限に治まっています。お力添えもありチョコが作り直し。最悪の結果は免れました。
 最後に武彦が口にしたのは、薬を入れる前のチョコレートの残りです…。
 何か問題などありましたら、ご連絡いただければと思います。お疲れ様でした。

【久世・優詩さま】
 初めまして、ご参加ありがとうございました。好きなタイプの男性なので、楽しく書かせていただきました。口調をもう少し緩めの敬語か悩んだのですが、武彦と出会ってから日も浅いようですし、今はまだこの位でも大丈夫かなと…イメージからかけ離れすぎていなければ良いのですが。
 最初は主に統率に回ってしまったので、やたら話す機会が多くなってしまいましたが、唯一話を聞きだす動きをしたため穏便に事が進んだと思います。行動的なチョコですが、粘り勝ちもあるかと。
 そして勝手にコーヒー淹れさせてしまいましたがっ。
 少しでも楽しんでいただけたり、お気に召していただければ幸いです。

 それでは、又のご縁がありましたら…‥。
 李月蒼