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<東京怪談・PCゲームノベル>


呪いの藁人形と彼女






 依頼人の仲田信吾を従え、定食屋の扉をくぐると、所々畳の剥がれた奥の座敷で、店主のオヤジが、内輪を片手に台の上に置かれたテレビを見上げているのが、見えた。
 得体の知れない黄ばみで汚れた壁には、べっこべこに波打った厚紙に、筆で書かれた手書きの御品書が並んでいる。
「よお」
 メーカーから配布されたと思しき、それも随分昔に配布されたと思しき、ジュースのメーカーのロゴが入った、錆だらけの四角い冷蔵庫を、勝手に開けていた少年が、瓶の栓を抜きながら、軽く手を上げた。遥風・ハルカだった。
「町田も何か飲む? あ、そっちの人も?」
「いえ、僕は水で」
 とか何か言って、町田は、カウンターに置かれたコップに、ステンレス製のピッチャーから、自分で水を注ぎ、席に着く。
「じゃあ、アンタには、これ、あげるね」
 とか何か言って、ハルカがどん、と赤色の液体の入った瓶を、おずおずと席についた仲田の前へ、置いた。
 そしたらそれまで、気だるげにテーブルに肘とかつきながら、テレビに映る競馬中継を、全く興味ないですけど、何か、ついてるんで見てます、くらいの表情で、ぼーとか眺めていた朱月・ヒカルが、「お前が何飲もうか迷い過ぎて、間違って開けた方のやつな」とか、視線はやっぱりテレビを見たままで、ポソ、と言った。
 ほんの数秒、店内が、テレビから流れる競馬中継の音だけになった。
「いや、何だろな」
 唐突に、ハルカが、言う。
 無造作に後ろで束ねた、肩くらいまでありそうな柔かそうな髪の襟足の辺りを、何か、撫でた。
「俺何か最近、耳の調子とか悪いのよね。ピカが何言ってんのか全然分かんない。むしろ、ぼそぼそ喋って、全然分かんない」
 ピカ、とか呼ばれた瞬間、ちょっと、あーコイツめんどくさ、みたいな顔でチラ、とハルカの顔を見たヒカルは、それでも特に何も言わず、はいはいそうですか、みたいにまた、どうでも良さそうにテレビを見た。
 けれど、何がそんなに気に食わなかったのか、「いやもう、ピカが何喋ってんのか、ぜーんぜん分かんない。ねえ、何つったのねえ、もっかい言ってみ」とかもう、わりとしつこく、明らかに絡んでいく。
「いやもうちょ」とか何か、覇気のない声で呟き、彼は眉のあたりを指でかいた。「黙って」
「え、なに? 聞こえない!」
「あー煩いわーこの人ー」
「ちょちょちょ、え、なに? え、言いたいことあんならさ、ハッキリ言えばいいじゃん、さっきからさ、何かさ」
 いやもうちょっと笑っちゃうんだけど、みたいに笑いを滲ませながら、ハルカが言う。
「べつに」
「あ、またそう言う顔した!」
「いや顔ぐらい自由にさせてくんないかな」
「何かこうその、晴臣さんの、人のこと馬鹿にしたみたいな顔が、すっごい時々、苛っとすんだって。何かさっきだってさー」
 って、ああそう、勝手に苛っとしてればいいんじゃない、みたいな顔で、ヒカルはまた、ちら、とハルカの顔を見て、「何でもいいけどとりあず、あんまり人前で本名とか呼ぶのやめてくれるかな」とか何か言った。
「いやだからそういう態度がさ! 何かこうもう、のらりくらりさー。いやいいんだよ、別に晴臣さんは晴臣さんで。でも仕事の打ち合わせとかさ、そういう時くらいはさ、もうちょっと何かこう、リアク大きく。真剣にさ、もっとこう熱くさ」
「いや今仕事の話、してないから」
「してないけどさ! 俺はさっきの事、言ってんの!」
「いやいつから、さっきの事なの。全然意味分かんない」
 何だろーこのテンション高い珍獣は、みたいな、見たことのない生物を眺める目で、じーとか、見る。
「だって晴臣さんが先に、絡んできたんじゃん。あれでしょどうせ、さっき俺が言った、歌詞の事、怒ってるんでしょ。だからそんな回りくどい嫌がらせみたいなことしてくんでしょ」
「俺は、本当のことを言っただけで、別に絡んでないけど」
「絡んだ。絶対、絡んだ」
「むしろ、人の嫌がるピカとかいうあだ名持ち出して、絡んできたのは、お前の方だよね」
「だから、それは、晴臣さんが、先に絡んできたから」
「だいたい、最近耳の調子が悪いって」
 とか、明らかちょっと馬鹿にしたように笑う。しかもそこで、言葉を切った。
「何だよ」
「別に」
「いや、そこまで言ったんだったら、言えよ」
「いや別に最近だけじゃなくて、最初からずっと調子悪いんじゃないのかな、とか思って」
 とか言った瞬間、ヒカルが、はー! とか、絶叫した。「どういう意味それ」
「いやーちゃんと音とか聞こえてんのかなあ、とか思って」
「いやいやいやいや、え? 何それ、俺の作る曲にセンスがないって、そう言いたいわけ?」
「そう思うなら、そうなんじゃない?」
「あー嫌味。すっごい嫌味。性格悪いわーこの人。最っ低。俺絶対、仕事でユニットとか組まされてなかったら、もう知り合いにすらなってないもん。友達になりたくない、タイプだもん絶対。分かりあえない。絶対分かりあえない、俺達」
「んーっていうかそもそも分かりあいたくないけど、別に」
 とか、わりとずばっと、覇気のない声にすかさず、言い返される。
 そしたら、
「え、わ、お、俺だって、わ、分かりあいたくなんか」ってそこで明らかにちょっと動揺したハルカは、そのまま分かりやすく、ちょっとしょんぼり、とした。「分かりあいたくないとか、言うなよ。ちょっと、ちょっと何か、ガーンってくるじゃん。二人でH2なんだからさ」
「いやすいません、あのー」
 と、やっとそこで町田は、二人の会話に、口を挟むことにした。
「何だよ」
 と、ぎろ、とハルカに睨まれ、恐縮する。
「いえ、すいませんあのー。ちょっと、何ていうか、お取り込み中大変申し訳ないんですが、こちらの依頼の話もしたいんですけどいいですか。こうして、依頼人の方もいらっしゃってることですし」
「あ、お、そ」
 とか、無意味な音を発したハルカは、そこでちょっと、回線切れちゃいました、みたいに停止し、「あ、そうだったね!」とか何か、慌てて、手を叩く。
「いやあ。何か、ごめんね。でもあれなんでしょ、アンタこれ飲みたかったでしょ、俺、分かるんよ、そういうの何か。空気読める男っていうの? いやあ、良かった良かった」
 って、結局そこに話を戻して、赤い液体の入った瓶をまたぐい、と仲田に押しつけ、何が良かったか全然分からないけど、とりあえず勢いだけでもう何かその場を纏めた。
「えーっと、この方たちは、『H2』っていうダンス系ユニットをされてるお二人で、朱月ヒカルさんと遥風ハルカさんです。ちなみにこれは芸名です。彼らは、実は、あの骨董品屋の近所に住んでる、サウンドエンジニアの方と懇意にされているもんで、その流れで知り合いでして。丁度今回、こちらに来られる用事があったみたいなんで、依頼も手伝って頂くことにしました」
「あ、はー、あー、そうですか。どうも、宜しくお願いします、あの、仲田です」
 この人達、本当に大丈夫なんだろうか、みたいな、不安げな目で二人を見やりながら、仲田が、頭を下げた。
 けれど町田から言わせれば、呪いの藁人形を作って貰おうとしている彼も、相当に大丈夫だろうか、の部類のような気がしたので、どっちもどっちだ、という気がした。
「あ、何今の、驚いた? いやま。何つーか、アーテイストにはよくあることなんだよ。な? 本当は、仲良し仲良し、な! アッキー!」
 ってどう見ても相当面倒臭がってるようにしか見えないヒカルの肩を、無理矢理掴んだハルカは、どちらかと言えば小柄な自分のそれより、少しだけがっちりとしたその肩を無理矢理ぶんぶん、と、揺らす。
 とかそのくだり、わりとどうでも良かったので、町田は、「まー。本来は、そういう藁人形の制作を依頼してくる人は、匿名で、あんまり会いたがらないのが通常らしいんですが、仲田さんは、別に、会ってもいい、ってことで」とか、話を進めることにした。
「ひゅーやるじゃん。やばー。すごくねー? だいたい呪いの藁人形作ってほしいとかさー、面白過ぎるし。しかも、何気に、思ってたのより、普通にイケメンじゃん。それなのに呪いの藁人形とか作っちゃうとか。俺てっきりもっと、気持ち悪い男とか出てくんじゃないかと思ってたー」
 って、それはもうすっかり歯に衣着せぬ物言いで、何ていうか、歯に衣着せぬ過ぎた。しかも、完全に興味本位丸出し過ぎた。
 町田は、何か凄い、どうしていいか分からなくなった。
「これってもしかして僕、やっぱりちょっと、馬鹿にされてますか」
 仲田が、自嘲気味に苦笑する。
「いえ、そんな事は」
 と、慌ててフォローした。けれど、全然聞いてないらしいハルカは、「ねー、何かさー。何で、んな、呪いの藁人形とかさー。作ろうと思ったわけー?」とか、聞いている。
「そうですね。やっぱり、未練があるんでしょうね」
 って仲田が答えたことに驚き、「え、答えるんですか」と思わず横を見たけれど、ハルカは、やっぱり全然驚かず、世間話でもするノリで、椅子に片足を乗せた格好で、「へー、そうなんだ」とか、頷いている。
 へーそうなんだ、って相槌もどうかと思ったけれど、何より、いきなり、のそのそ、と地べたに置いていた自分のバックから、ノートペンを取りだしたヒカルが、もそもそとか何かを書きだして、何でいきなりメモ取り出したんだ、とか凄い気になった。
「まー。そうなんです。それでわりとうじうじしてたら、ここの骨董品屋の友永さんでしたっけ。その方の、兄とかいう人の知り合いの女性に、ここの事を教えて貰いまして」
「え? なになに、ややこしいな。何だって?」
「ですから、骨董品屋の友永さんの、お兄さんの、知り合いの女性ですね」
 仲田は、掌を反対の指で叩きながら、記憶を辿るように、言う。







 唐突に彼女に別れを切り出されたショックで、真っ直ぐ自宅に帰る気分にもなれず、仲田は、自分の住む村の中を、うろうろと歩きまわっていた。
 すると、ふと、今まで素通りしていた、ある一軒の駄菓子屋の前で、足が止まった。
 ラムネ、と塵や埃で汚れた看板が掲げられているのが、見えた。
 がらがら、とガラスのはめ込まれた木のドアを開け中に入ると、古びた家が放つ独特の匂いに包まれた室内は、カンカン照りの外から来ると酷く薄暗く感じられた。ひんやりとした冷たい空気が、汗ばんでいた肌を撫でていく。
 あてもなく店の中を見回していると、レジの横に置かれた丸椅子に、顎くらいの長さの髪の小柄な女性が、ポツンと、女性が座っているのが、見えた。彼女は、文庫本に目を落としている。
 時折、かけている眼鏡がずってくるのか、指で押し上げている仕草が、見えた。
 棚を見て回ることにする。
 すると、ふとその棚の一つに、彼女が良く食べていたお菓子を見つけ、仲田は思わず手に取っていた。
 そのお菓子を食べている時の彼女の姿を思い出し、彼女の柔らかな肌を思い出し、そして気がつけば、両手でお菓子を握り潰していた。
「ちょっと、何してんの」
 声にハッとし、顔を上げる。
 レジに居た小柄な女性が、すぐ傍に、立っていた。
「あ」と、手の中のお菓子と、店員さんと思しき女性を見比べる。「えと」
「えっとじゃないよ。めちゃくちゃぐちゃぐちゃになってんじゃない」
「あーはい」
 って、まさしく否定できないくらいぐっちゃぐちゃになっていたのでそこはもう、素直に頷くことにした。「すいません、お金、払いますから」
 とか言ったら、「あー」とか、小柄な彼女は軽蔑しきったように首を振った。
「え、何ですかそれ」
「いや分かんないかなあ。あたしはね。お金の話してんじゃないのよ。分かる? お菓子を握り潰すという、その行為について、話してんのよ。お金払ったからって、握り潰されたお菓子は元には戻らないんだよ。分かる? ねえ、分かる? 勿体ないじゃない」
「はいすいません」
「いや、謝っても、許さないよ」
「えーどうしよう。いや何か。彼女を思い出しちゃって」
「いや何でもいいけど、だからって、お菓子を握り潰していいってことには、ならないよね」
「ならないですよね。何でかな、おかしいな」
「分かった」
 パン、と手を叩き合わせた彼女は、「喧嘩でもしたんでしょ」と、指をさしてくる。
 大人しそうな風貌に見えたけれど、わりとずばずばと物を言うタイプのようだった。けれど、威圧的ではないからか、不愉快な感じは全くなかった。どちらかといえば、子供が無邪気に発言するような、不思議な可愛らしさすら、あった。
「何か」
 仲田は、じっと、手の中でぐちゃぐちゃになったお菓子を見つめる。「何か、フラれたんですよね、いきなり」
 それで何か、気がつけば、そんなことを言っていた。
 彼女の気取りのない、不思議な軽さに、すっかり影響されていたのかも知れない。
「ふーん」と、彼女は気のない返事をした。
 人が振られたとか言ってんのに、ふーんってどうかと思ったけれど、この人ならさもありなんというか、知りあってばかりでさもありなんも何だけど、あ、やっぱりそう流して貰えますか、みたいな、何かちょっと、感動した。
 そしたら彼女は更に軽く、更に驚くべきことを、言った。
「じゃあさ、呪っちゃえば、いいよ」
 当然、え、と言おうとした思った。思った矢先だった。それよりほんの少しだけ早く、店の奥に続いた住居スペースらしい場所から姿を現した、痩身の青年が、「え」と、言った。
「あ、トシ君」
「いやえ。何、今、何て言ったの、百合子姉ちゃん」
 って青年は思い切り戸惑っていたけれど、百合子と呼ばれた彼女は、全然知らん顔で、「あれは、トシ君って言って。俊久で、トシ。あたしの従弟なの」とか何か、説明してくる。
 別にその情報、要らない気もしたけれど、とりあえず、「あ、どうも」とか頭を下げておくことにした。
「それで、きみさ。そんなさ、お菓子に八つ当たりするくらいだったらさ、その彼女のことを呪っちゃえば、いいよ」
「呪っちゃえば、いいよ? いや、え? 何言ってんの」
 俊久が割り込んできて、仲田と百合子を見比べる。
「あたし、良い人知ってるし。あ。そうだ、あたし。歌川・百合子ですどうも」
「あ、仲田ですどうも」
「じゃあ、仲田さんはさ、あのーあれ。えーっと。呪いの藁人形って、知ってます?」
「知ってます、っていや、まあ、聞いたことくらいはありますけど」
「凄いの作れる人、知ってんですよ、あたし」
「いや何でいきなりそんな何か、商人みたいな喋り方なんですか」
「大丈夫大丈夫」
 って何が大丈夫か全然分からないけれど、手をひらひら、とさせた彼女は、「作って貰っちゃいなよ、呪いの藁人形」とか何か、やっぱりびっくりするくらいライトに言う。
 と言われても、どうしていいかちょっと分からなかったので、とりあえず「はー」とか、曖昧に相槌を打っておくことにした。
 けれど、相手は多分、そんな風に曖昧に頷いている人を、その不思議な勢いだけで持っていってしまう人なのではないか、という予感があった。ということは恐らく、このまま曖昧に頷いているだけではきっと、呪いの藁人形を作ることになっちゃうのではないか、という予感がした。
 ただ、それでも、慌てて逃げ出したりしなかったのは、それも、いいのかな、と心の何処かで思い始めていたからかも、知れない。
「あたしの知り合いに、友永有機ってめちゃくちゃ美形の作家さんが居るんだけどさ」
「はー」
「その人の弟さんがさ、骨董品屋やってて」
「はー」
「あたし、そこ、たまに手伝ってんですよ」
「あ、はー」
「その弟さん。呪いの藁人形、作るの、凄い上手いらしくて」
「いや、呪いの藁人形作るのが上手いって、何だよ」
 そこでそれまで黙って事態を見守っていたらしい俊久が、口を挟む。
「上手いっていうのは」
 そこで若干ムキになって言い返そうとした百合子は、「上手いってことだよ」と、結局何も思い浮かばなかったのか、もごもごと言う。
「とにかく! その業界では、有名な人なんだって」
「業界って何だよ。呪いの藁人形の業界って何だよ」
「もう、煩いなトシ君はいちいちいちいち。あたしが喋ってんだから、ちょっと黙ってよ」
「黙ってよって、従姉がいきなり、意味不明なこと言ってんのに、黙ってられないでしょ。海外に出張中の兎月原さんから頼まれてんだからさ。姉ちゃんが変なことしないか見といてねって」
「え、何。あの人、トシ君にそんな事言ったの」
「だいたい、手伝ってるって何よ。何をどう手伝ってるわけ?」
「いろいろだよ。だから、こうして人を紹介したりさ」
「なにそれ」
「トシ君が働けって言ったからじゃない。いい歳して、お菓子ばっか食って、だらだらしてるなって!」
「いや、働けとは言ったけど」
「ちょっと、太ったとかも、言ったし」
「いや、言ったけど」
「言ったよね! あたし、忘れないから。絶対忘れないから。太ったって、忘れないから」
「いや、何か別に、そんな深い意味で言ったんじゃないじゃん。だから、もう、あのー。っていうか、太るよ、って言ったんじゃなかったっけ」
「いや、太ったって言った」
「いや、太るよ、って言ったと思う」
「いや違う、ぜーったい太ったって」
「いやもう良くない? この話」
「だからね。とにかく。あたしは藁人形っていうロマンな感じに感銘を受けたの」
「でた」
「何が出た」
「ロマンとか、もうなにゾンビの次は、藁人形なの」
「次じゃないの。ゾンビはゾンビで進行しつつ、の、藁人形なの。分かる? 同時進行なの。こう、同時に、進」
「いやもういいよ」
「だって! 藁人形だなんてこんなロマンな物が他にあると思う!」
 とか、わりとテンション上がっちゃったみたいな、百合子のことを、凄い軽蔑した目で見つめて、俊久が凄い冷静に、言った。
「いや、あるんじゃないかな。むしろ少なくとも、29歳の良い歳した女性が、藁人形にロマンを感じるのはどうかと思う」
「ね?」
 って、そこでいきなり仲田を振りむいた百合子は、「もう全然分かってないでしょ。ねー、ほんっと、面白くない子なのよ、困りますわ。ねー」とか何か、やれやれ、みたいに首を振った。
「すいません。相手にしなくていいですから」
「だいたいさ、トシ君のその言い方には、もう悪意を感じるのよ。っていうか、29歳って歳とか持ち出した所に、悪意を感じるのよ」
「だって、本当のことじゃん」
「とにかく、仲田さん」
「いや、聞けよ」
「藁人形は、ロマンなんです。女の子の藁人形ですし、出来るだけ可愛く作って貰っちゃう感じで」
「呪うのにー?」
「いやもう、トシ君はとりあえず、ちょっと黙って」
 びし、と従弟に言っておいて、また、仲田を振りむいた彼女は、「大丈夫大丈夫。何も心配ないから。あたしが今から、ちょちょっと、友永さんに連絡を取って、一緒に、ロマンを追及して、そのついでに、ちょっと呪っちゃうっていう、それくらいの感じだから」とか何か、言う。
「それくらいの感じが分からないよ、姉ちゃん」
「それで、彼女、何ていう名前なの?」
「はー、天野道子です」
「あ、わりとさっくり答えちゃうんですね。やめた方がいいですよ」
「トシ君、煩い」
「まあ、別に名前くらいは」
「っていうか仲田さんでしたっけ。本当に、その、藁人形、作っちゃうんですか?」
「何だか、その百合子さんって人の話を聞いてたら、呪うっていうのも、一つの繋がり方かなって、気がして来て」
「いやいやいやいやいやいや、絶対、違いますよ。たぶん間違ってますよ、それ」
「ほら、仲田さんは分かってるんだよ、ロマンだよ。むしろ、ゾンビだよ」
「いや、ゾンビでは、ないよ。大丈夫?」
「えーっと、彼女の名前は、天野道子さん、と」
 何時の間にかメモ帳のような物を取り出した百合子が、ペンを走らせていく。「素敵な名前。絶対話とか合いそうだもん、何か」
「いやそれは、何の思い込みなの。どういう、定義なの」
「はい、凄く素敵な名前なんです。あと、彼女自身も素敵です」
「あ自分で褒めちゃった」
「はい、褒めちゃいました」
「ふうん。褒めちゃうくらい素敵な人なんだ」
「はい、褒めちゃうくらい、素敵な人ですね」
「へえ。どんな人だったの? 写真とか、あるの?」
「ありますよ、見ますか?」




 ××




「じゃあ、とりあえず何でもいいからさ。さっさとその相手の人の情報、教えてくれる? 俺ら行って、髪の毛、適当に取ってくるから」
「お前さ」
 ハルカの言葉に、ふと思い立ったように、ヒカルが、言う。「適当、って、何か考えてんのか」
 んーとか何か、呻いたハルカは、暫くして、言った。
「まー、基本ノリと勢いで何とかなるんじゃね?」
 そんな事だろうと思っていたよ、と言わんばかりに、微かに首を振りながら、ヒカルが明後日の方を向いた。
 とかもう全然見てないハルカは、「ほら、俺らフェスの準備とかで忙しいしさ。ぱぱっとやって、ちゃちゃっと終わらせちゃおうぜ」とか何か、言う。
「じゃあ、一応これ、彼女の住んでる場所とか、職場の情報なんですけど」
 と、町田は、これいいのかなあ、とか、少しは思いながらも、結局は他人事なのでまあいいか、みたいに、仲田から聞いた天野道子の情報を、テーブルの上に、出した。
「お、これかー」
 とか何か、言って、手に取ったハルカは、ページをめくってすぐに、「え」とか、固まった。
 隣から、ヒカルが何だよ、と言わんばかりに覗き込む。それからやっぱり、え、みたいに無表情に固まり、それから、ちょっとえ、どうしよう、みたいに若干、苦笑いのようなものを口元に浮かべ、でもそれは駄目だろ笑うのは駄目だろ自分、みたいに、最終的にわざとらしい咳払いで誤魔化した。
 俺、一旦ちょっと関わるのやめるわ、の、意志表明みたいに、書面から目を逸らし、俯く。
「えーっと。あれ? これ、が。呪いたいくらい、好きな彼女、なのかな」
 違うよね、違うと言ってくれ、くらいの感じで、ページに印刷された彼女の写真を見つめながら言ったハルカは、「はい」って思いっきり頷かれて、「あ、えーおー」って、もうどうしていいのか分からなくなったのか、最終的に、ちょっと仰け反る。
 やっぱり、そうなるよね、と町田は思った。
 道子さんは、ブスだった。
 それはもうまぎれもない、びっくるするくらいの、ブスだった。
 町田は、それを知っていた。知っていたけれど、ここは二人に任せよう、とか、他人事の決め込み、知らん顔で事態を見守ることにする。
「あれ、どうされました?」
 仲田が、不思議そうに、言った。
 確かに、明らかに二人からは、さっきまでの勢いが消えていたけれど、それをそんな無垢な、不思議そうな顔で二人に聞くのは、酷だった。その不思議そうな顔が、余計に二人を追いつめているのだ、ということに、もちろん本人は気付いていないのだろうけれど、それはもう一種の嫌がらせなのではないか、という気がした。
「え、あーうん。じゃあ。えーっと、どうしようかな」
「彼女の髪の毛、取って来るんですよね」
「え、あ、うんそうね。髪の毛」
 って呟いた後、お前も何か言えよ! みたいに、ヒカルを見つめる。けれどがん無視されて、凄い途方に暮れたような表情で、俯いた。
「どうされたんですか、二人とも」
「うん、あの。ちょっと事実確認をしたいんだけれども」
「はい」
「えっとー。仲田、がこの道子さんって人に振られたんだよね」
「はい。振られました。突然、別れを切り出されて。それ以来、会っても貰えなくて」
「あー、うんすごい、えー、へー」
 とか、すっごい白々しい感じで、ハルカが頷く。
「でも、男らしくないんですけど、まだ、諦められてないんですよね、実際。だから、少しでも彼女と繋がっていたくて、こんなことを」
「あーうんそうかー、んー、うんなるほど」
 世にも奇妙な現象を見たかのような深刻な表情で、ハルカが頷く。
「っていうか何で」
 そこで、それまで黙っていたヒカルが、まるで自問するかのように、ポツンと呟いた。「振られたんだ?」
「それは、僕も聞きたいんですよね」
 仲田が、切ない笑みを浮かべ、呟く。




 ××




「そりゃあもちろんそれは、俺がそいつより良い男だからすよ。頼りない奴らしーすよ、その男」
 とか何か、ぬけぬけと言った男の、若干ニキビ跡の残る浅黒い顔を、兎月原・正嗣は三秒間くらい眺めた。
 それから、「あ、そ」とか何か頷いて、また、履歴書に視線を落とした。
「じゃあ」
 とそれを折りたたんだ。そして、立ち上がった。
「とりあえずまた、二、三日中に連絡するから。今日はもういいよ」
 そしたら、男も「どうもす」とか何か言って立ち上がり、「お疲れ様でした」と、部屋を出て行く。
「はい、お疲れさん」
 その背中を玄関まで追い、最後にまた、「お疲れした」とか頭を下げた男に軽い会釈を返す。
 さっさと戸を閉め、ロックをかけながら、携帯を取り出し、操作した。友人の名前を呼びだし、コールする。
 部屋のソファに戻り、ネクタイを緩めた所で、相手が出た。
「ねえお前マジ勘弁してよ。何だよ、あれ」
 出て来た相手に文句を言っていると、隣の部屋で荷物を整理していた紀本がふら、と出て来て、リビングを横切りキッチンの冷蔵庫を開けた。
「だから、いやもう、あんなん使いもんにならないしー。えー? いやもう不良品の押しつけでしょマジで。うん、うん、いや。いやいや、ないわ。あれはないわ。俺もう、海外から帰ってすぐなんだけどさー。分かってるー? お前の紹介っつーから面接したんじゃん。えー? いやもう、無理だよ。自分の武勇伝とか語りだしたよ、あの人。全然聞いてないもん。うん、えー? うん、おー、うん。ま、そうだろ」
 缶ビールを取り出し、また前を横切った紀本に向け、手を差し出した。ひらひら、とさせ、俺にもくれ、とジェスチャーする。「おん、おん、じゃあ、そういう感じで、あい、あいあい、はいじゃあ、はいお疲れー」
 ぴ、と通話を終えると、「はい」と、紀本が缶ビールを差し出してきた。
 それを受け取り、プルタブを引く。
「なに、あれ」
 隣に腰掛けた紀本が、少し笑いながら、言った。
「何だろ」
 兎月原も少し笑って、小首を傾げる。「わかんないわ。ただ、海外から帰って来てすぐには、見たくない物ではあるよね」
「結局、半年くらい向こう行ってたっけ」
「んー」
 と、兎月原は、背伸びをして、そのまま、紀本の華奢な肩に頭を預けた。「あっちに住んでる客の予約が、何かやたら重なった感じ」
「その間、一回も百合子ちゃんには、会ってないの」
「会ってないなー」
 缶ビールで頬を押さえながら、ぼんやりと百合子の顔を思い出す。
「元気だったよ」
「なに、会ったんだ」
「うん、何回か」
「ふうん」
 頷きながら、缶ビールをガラステーブルに戻した。
 それから、何気なく、紀本の腕を取る。
 細い手首に、薄っすらと傷のような物が浮かんでいるのが、見えた。それを指で撫でながら、「何にしろ、あいつは、不採用だな」と、肩を竦める。
「当然でしょ。女性を騙した武勇伝語りだす奴なんて、馬鹿だね」
「騙すのが仕事なんじゃなくて、夢を見させるのが俺達ホストの仕事なのに」
 そしてそっと、傷の残る手首を口元へと、運ぶ。
 仄かに、香水の匂いのするそれに、尖った犬歯を突き立て、力を込めた。
「つ」と、紀本の体が微かに震え、悲鳴が漏れる。眉が微かに顰められ、瞳が、鬱陶しげに細められた。更に力を込めると、ぷち、と身を切り裂くような感触が、脳を刺激する。
「さすが」
 痛みを堪え、吐息を吐き出すようにした紀本は、また、平然と話を続ける。「高級出張ホストの経営者。言うことが、違うね」
「でも、その女も女だな。あんな男に引っ掛かって、彼氏と別れたって言うんだからさ」
「天野道子、とか、言ってたね、確か」
「なあ、そうやって平気なふりすんの、それってもっと、酷くしていいってこと?」
「完璧に満たしてくれるものなんていないのに、人はついつい、不満や不安の方に引き寄せられちゃうから。きっと、その彼女も、分かりやすい方に、逃げちゃったのかな」
「分かりやすいものは、時々、魅力的だしね」
 兎月原は、血の滲みだしたそこに、そっと自分の爪を立て、ぐい、と力を込めた。「俺は、分かりやす過ぎると、すぐ飽きちゃうけど」
 紀本の体の震えが、服越しに肌に伝わってくる。
 唇を噛み、必死に痛みに耐えているその横顔を、温度のない瞳で、じっと、見つめる。
「痛い?」
 兎月原は、血の滲むそこに、更に爪をたて、力を込めた。そして、溢れ出て来た血を、舌で、すくう。
「もしかしたら」
 痛みに微かにあえぎながら、紀本が、言った。「彼女は、望んで、騙されてるのかもね」
「どうしてそう思う?」
「分からない事があると、乱暴な場所に自分を置いて、逃げたくなることがあるから」
「それは、お前だけだろ」
「彼女も、少し、分からなくなったのかもしれない。話に聞くと、自分に自信のない子だったみたいだし、そうなると、余計に、彼とのことが、彼の気持ちが、分からなくなったのかもね」
「そんなもんなのかな」
「アンタには分からないんじゃない。ドSで美形の王子様には」
「ドМで美形の王子様には、分かるんだ?」
「だいたい」
 紀本は、そこで、挑むように微笑み、兎月原の肩を押しやる。
「もっと、酷くなんて、出来るの」
「試してみる?」
 兎月原はその整った美しい顔に、酷薄な笑みを浮かべた。





 × ×





「俺、思ったんだけどさ」
 やがて、沈黙を破って、ハルカが、言った。
「呪いの藁人形作るの、やめよう!」
「え」
 と、まず、ヒカルが反応した。
 遅れて、仲田と町田も、身を乗り出す。
「藁人形作るの、やめよう? え? やめるんですか、え?」
「だってさー。振られた理由も分かんないとかさー。すっきりしないしさー。とりあえず、ちゃんと聞きに行った方がいいって絶対。もう一回ちゃんと話合ってみてさ。連絡取れないつっても、家とか、職場とかは知ってんでしょ」
「ま、まあ」
「だったら、当たって砕けろだよ。ちゃんと、顔見て話合った方がいいって、一回」
「でも」
「何なら俺ら着いてってやるからさ。だって、めちゃくちゃまだ好きなわけなんだろ」
「まあ、はい。好きです」
「だったら、行けよ! こんなブさ」
「え?」
「いやあの、何だ。そんな好きになれる人になんて、そうそう、出会えるわけじゃねえんだからさ。まずは、いろんなことやりつくすべきだよ」
「まあ、それは、一里、あるかもな」
 と、基本興味とかないけど、くらいの調子でヒカルが、呟く。「でも」と、ちら、とハルカを見やった。
「あ、ううん、ううん。あの、決して、髪の毛を取りに行くのが馬鹿らしくなった、とか、そういうのでは、ない」
「あ、そ」
「だからさ。な。行こうぜ。一緒に、な? 相手も、アンタ一人で行くよりこう、会いやすいかもしれないし」
「いや、逆に会いにくいんじゃあ」
「ほら、つべこべ言わずに、ほら、立つ! はい、行く!」
 とか言ったかと思うと、ハルカはさっさと立ち上がり、先頭切って店を出て行く。
「おっちゃん、またなー!」と、出しなに、定食屋の店主に挨拶をした。
「これは一体」
 仲田が、途方に暮れたようにヒカルを振り返る。「どうすれば」
「まあ何つーか」
 ヒカルは、オレンジ色に染めたふわふわとした髪を、ぼりぼり、とかいた。「そんな藁人形で呪う、とかさ、回りくどいことしなくてもさ、あの人みたいに、細かいこと気にしないで単純な馬鹿になるのも、時々は、ありなんじゃないの。意外とあーゆー分かりやすいのが、強い時、あるし」
 眠そうに、言った。










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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 5548/ 遥風・ハルカ (はるかぜ・はるか) / 男性 / 18歳 / 職業:自称マルチアーティスト】
【整理番号 5549/ 朱月・ヒカル (あきづき・ひかる) / 男性 / 21歳 / 職業:ヴォーカリスト】
【整理番号 7520/ 歌川・百合子 (うたがわ・ゆりこ) / 女性 / 29歳 / 職業:パートアルバイター(現在:某所で雑用係)】
【整理番号 7521/ 兎月原・正嗣 (うつきはら・まさつぐ) / 男性 / 33歳 / 職業:出張ホスト兼経営者】