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<東京怪談ノベル(シングル)>


砂塵は花の夢を視るか


 乾いた風が、枯れて丸まった落ち葉を転がしていく。
 夕暮れに染まる緋色の村は、嘗ての精彩を欠いてただそこに在った。
 妖精族、リアノン・シーの住まう村。その片隅に存在する、小さな娼館通りの一角。もうじき店が開く慌しさが漏れ出る門構えの脇で、桶を抱えた女が遠くに見える尖塔を睨み上げていた。
 これでもかと据えられた瞳には、斬って捨てても余りある憎悪が浮かんでいる。女の掌には、両手で抱えた水桶よりも遙かな重みの現実がぶら下がっていた。
(あの塔が……私の誇りと幸せを奪ったんだ)
 噛み締めた奥歯が軋む。視線の先に佇む塔は、今尚そしらぬ顔で女の身を蝕み続けていた。
 愚者の塔、と呼ばれるかの塔は、妖精王国の王都を守る要だった。
 今この国を苛んでいるのは、機械仕掛けの飛龍を率いたナタリア海兵隊による度重なる襲撃だ。怪我も疲れも知らない鉄塊の龍を前に、国内のありとあらゆる街や村は焼き払われた。辛うじて残っているのは、リアノン族の村のような森に程近い辺境か、歯牙にも掛けられぬ程に小さな辺境の村落くらいだろう。
 幾つかの主要都市が陥落する中、妖精王は魔導師達に命じて塔の結界を作動させた。王都が落ちれば、この妖精王国はお終いだ。頭ではわかっているけれど、感情は理解をねじ伏せるように否を叫ぶ。
 かの塔の巡らせた結界が放つ未知の波動のせいで、結界外に住まう妖精族に様々な悪影響を及ぼしたのだ。
 ある者は目が見えなくなった。極彩色と謳われる視覚を持つ、美しいものを好む妖精だった。
 ある者は歌が歌えなくなった。様々な者を魅了する魔法の声を持つ、お喋り好きな妖精だった。
 ……そして女は、子を孕めなくなった。
 強き武人の子を授かり産み落とすことが尊ばれるこの村では、彼女のように子を生めない女は恰好の嘲りの対象だ。年頃になり良縁をもらった矢先に、女の身体の不調が発覚した。
 縁談は破談となり、自分を愛してくれる筈だった男は去った。親族からは一族の恥だと見放され、街ほどに大きくはない村中に、噂は忽ち広がった。
 そうして娼婦に身をやつし、自らを貶めて早幾月が過ぎただろう。
 吹き荒ぶ風は、無遠慮に女の頬をなぶった。
 冷たい温度と共に、じくりとした傷みが心臓を刺していく。
(龍が、ナタリア海軍が攻めてこなければ……いいや、魔導師たちさえいなければ。いっそ愚者の塔がなかったなら、私の身体は元気な子を宿せるままだったろうに!)
 憎々しげに見上げる内に、桶を握り締める女の手には力が籠もる。ぶるぶると怒りに戦慄いた肩は、疲れと悔しさを一緒くたに背負っていた。
「あんな塔など、明日にも崩れてなくなってしまえばいいのに……!!」
 怨嗟を振りまく嗚咽じみた声に、応える者は誰もいない。
 ――その、筈だった。
「ユーのその願い、叶えてあげましょうか」
 突如響いた涼やかな声が、暗雲立ち込める女の心に一筋の光を差した。


 同日未明、王都郊外に位置するエーラの森にて。
 ナタリア海兵隊の一団が、太古の昔に墜落したと言われる《伝説の大傘》を巡って妖精王国陸軍と睨み合っていた。彼らの目的は、《伝説の大傘》に積み込まれていたというパイオニア11号の銘板だ。ナタリア海兵隊の動向を一手遅れて察知した王国軍が、《伝説の大傘》へ到達した海兵隊の周囲に包囲網を敷いたのだった。
 目当ての物を探し出し確保に成功したナタリア海兵隊の一団だったが、さて、後は撤退するのみというところで、周囲を王国陸軍に囲まれてしまったのだった。
「伝説の大傘については諸説ありますが、これは恐らく、古代の探査機の名残かと思われます。機器の少ないこの場では解読が思うように進みませんが、どうやら搭載の銘板に誤謬があるようです。この誤謬が、我らの悲願を叶える物的証拠となる筈」
 ナタリア海軍工廠の娘であり、学者の叡智をも持つ片眼鏡の女は、自らの知識を総浚いしながらそう結論付けた。
 男性世襲の王制を廃し、人間の男を駆逐するという悲願に魅入られたナタリア海兵隊の女たちは、どれほどにこの瞬間を待ちわびていたことだろう。
「都に建つ発明家の商館には、この銘板と対になる女王の銘板が保管されています。これらの物的証拠をもってすれば、王国の理念を根底から覆すことができる」
「確証は」
 熱弁する工廠の娘に、部隊長の冷静な問いが投げられる。工廠の娘は淡く微笑んで、鷹揚に頷いた。
「商館では現在、元老院議員を招いての博覧の宴が催されている最中です。三日三晩に渡る討論に討論を重ねる席で、貴賓の前にこれらの銘板を引っ張り出せば、もはや隠蔽は出来ますまい」
 なるほど、と納得の声を上げた部隊長の女は、ざわつく周囲を一喝で抑えて指揮を取った。
「伝説の大傘周囲一帯の防衛線を強化しろ。何としてでもこの銘板を死守し、運び出すための血路を開け! 商館に運び込むまで、己の命は捨てたものと思え!」
 依然として膠着状態が続く中、海兵隊一団を包囲していた王国陸軍が今晩打って出ることを宣戦布告したのは、それから半時後のことだった。

 ◇ ◆ ◇

「人類には嘗て、女性が国を治めていた歴史があったことを皆様も既にお知りでしょう。彼女達の治世において、人々の暮らしが大きく発展し、科学というそれが発達したのもまたこの頃」
 厳かに言い放った科学者の女に、魔導師一同は押し黙ったまま彼女の話を聞いていた。親睦と情報交換を兼ねた博覧の宴、その宴席は今や肩書きのみで、ナタリア側の科学者たちの独壇場となっていた。
 科学の再興を掲げ、人々の更なる進歩を願って建てられた発明家たちの商館は、魔導師側にとってはあまりにも居心地の悪い場であった。延々と聞かされる熱の籠もった弁舌に、彼らの顔は渋くなる一方だ。
 リ・ヴィクトリアとも、ヴィクトリア・リヴァイヴァルとも呼ばれるナタリア科学者たちの思想は、男系王制社会を支持する魔導師たちとは相容れないものだろう。
「だがしかし、長く続く治世の礎を作り名君と呼ばれた王の殆どは、女王ではなく男王であった筈だ」
 魔導師の一人が、科学者たちの意見を論破しようと口を挟む。しかしこれには、科学者側の数少ない男が否の声を上げた。
「それは女性が王位に就くことのできる機会があまりにも少なすぎた為だろう。世界中に根差した男尊女卑の傾向は、あまりに強すぎた。そこから推測されることに、男たちはこぞって女という存在を抑制することに躍起になった。それは何故か?」
 問い掛けるように、科学者が尋ねる。魔導師の女は涼しい顔で答えた。
「女性優位の社会が異分子だったからでしょう。社会はその殆どが男性優位。それがあるべき姿であり、本来の世界の在り方なのだから」
「いいえ。それならば、男が女を抑制することに躍起になる意味がない。押さえ付けなくとも、男が優位であるならば女は自ずと押し黙る筈でしょう。にも関わらず、男たちは女を抑え付けなければならなかった。それは、つまり、押さえ付けていなければ男たちが反対に女たちに抑え付けられたからに他ならないのではありませんか?」
 魔導師の答えに、反論を畳み掛ける科学者の女が熱弁する。同時に、女は脇に控えていた使用人にある品を持ってくるように言い付けた。
 ほどなく運ばれて来た仰々しい箱を開いて、科学者の女は中に収められていたものをテーブルの中央へ据える。
「これはとある遺跡から発見された、過去の先駆者の銘板の一部です。これには対になる銘板が存在すると言われております。この部分を見てください。この文面の一部に、不可解な検閲の跡が見られます。これもまた、女性優位であった時代の遺物。検閲の跡が見受けられるということは、恐らく事後検閲に掛けられたということでしょう」
 このように後々に検閲を掛け、重要事項を隠蔽する権力があったのは、即ち、女性が男性よりもより抑圧的であり、支配性を持っていたからではないか。対となる銘板が見付かったなら、その真相如何もわかるだろう。
 繰る言葉に力を込めて、科学者の女は男性優位である社会形態を糾弾した。
 広い室内には、科学者たちの息巻く声ばかりが響き渡った。

 ◇ ◆ ◇

 リアノン族の女は、闇に包まれた戦場を駆けた。
 木々が重なり、月の光も差さない森の間を縫ってひたすらに。息を切らして肺が苦しくなるほど疲れても、女は足を止めなかった。
 遠ざかろうと背を向けた墜落遺跡、《伝説の大傘》。その戦の渦中からは、ひっきりなしに交わる剣戟の音と矢の飛び交う音、魔法の爆ぜる爆音が聞こえてくる。
 彼女が駆け付けた頃には、既に戦いの火蓋が切り落とされていた。戦場などとはとんと無縁の女だ、命からがら逃げ出す足は、情けないほどにぶるぶると震えている。それでも、彼女はこの仕事をやり遂げねばならなかった。
『ユーのその願い、叶えてあげましょうか』
 夕刻に寂れた村の片隅で出合った女を思い出す。金の髪と、赤い瞳を持った女。親しみ易そうでいて本心の知れない微笑が胡散臭かったけれど、彼女のたった一言でリアノンの娘は揺り動かされてしまった。
『たとえば、あの愚者の塔を壊してあげる――と言ったら、ユーは私の願いを聞いてくれるかしら?』
 それはあらゆる希望を打ち砕かれ、絶望に身を浸していた娘には願ってもいない言葉だった。溺れる者は藁をも掴むと言う。今更身体を蝕む害が消え失せるとも思えなかったが、せめて塔という支柱を失うことで、宮廷に対する復讐が叶うなら。
 その一心が、リアノンの娘を突き動かした。
 女の要求はこうだった。村近くのエーラの森で、王国軍とナタリア兵団が開戦しようとしている。森の中央に在る遺跡、《伝説の大傘》へ赴き、そこに居るだろうナタリア海兵隊の海軍工廠の娘を殺し、彼女の持つ銘板を戦場から隔離すること。手に入れた銘板は都の発明家の商館へ届けること。ナタリア海軍工廠の娘を騙れば、容易に門を通してもらえるだろう。
 命の危険を冒す取引だが、元より今のリアノンの娘には、失って惜しいものなどなかった。戦の始まった戦場だ、混乱に乗じて紛れ込むのは思いのほか簡単だった。《伝説の大傘》付近まで辿り着いたリアノンの娘は、女の言うとおりに工廠の娘が一人になった瞬間を見計らい、闇に乗じて短剣で刺し殺した。
 女の懐から銘板の包みを取り出すと、後は一目散に逃げるだけ。高揚する心臓を宥めながら、真っ直ぐ森を進み今に至るというわけだ。
 もうすぐで森を抜けるだろう。そう思われた矢先のことだった。
「耐霊障フィールド展開。歪曲弾倉、現出。サイキックガン、撃ち方用意!」
 程近い背後から、場にそぐわない可愛らしい少女の声が聞こえた。その声音には似つかわしくない、攻撃魔法に似た文句を紡いで。
「撃ち方、始め!!」
 油断した足が、一瞬緩んで背後を振り返ってしまった。それが、恐らくリアノンの娘の敗因だったのだろう。
 或いは足を止めずとも、振り返らずとも、末路は等しく同じであったかもしれないが。
「ッぁああああアアア!!」
 獣の声もかくや、耳をつんざく悲鳴と共に、無数の弾丸が女を貫いては地面へ埋まった。一瞬にして意識が飛び、貫かれたせいで動きを止めた心臓は、即座に身体中への血液の供給を止める。
 それを見て取った追撃者――玲奈は、宙で構えていた残り少ない弾丸を手の一振りで地に落とした。急いた風もなく女へ近付く足音も、前線から離れた場所では聞く者など居ない。
 玲奈は地にくずおれた女の腕から、血の色に染まった包みを拾い上げた。中身を確認して、少女は漸く安堵の息をつく。
「やっぱりこの人が持ってたんだ。一人だけ前線から逃げていくんだもん。おかしいと思ったのよ」
 全力で娘の後を追っていたせいで、乱れた黒い髪を払いながら玲奈は独りごちた。手の中の銘板を破壊してしまえば、この防衛戦線は彼女達……妖精王国側の勝利で一先ず収まるだろう。
 玲奈は空中へ放り投げた銘板に向けて、掌を掲げた。途端、そこを中心として集められた微粒子の光の熱が勢いよく放たれる。細かな筋が硬い銘板を貫いて、文字盤を綺麗に焼いた。
「ごめんね」
 玲奈は地に伏したリアノン・シーの娘にそれだけを告げると、いまだ収拾の付かない戦場へと引き返す。
 もはや物言わぬ骸となった身は、少女へ何の言葉も返さない。
 ただただ、赤の混じる涙が血の気の引いた頬を落ちるばかりだった。


 銘板奪取とその顛末の一部始終を見ていたエヴァは、興を削がれたようにため息をついて踵を返した。
「はぁ……やっぱり駄目だったようね。戦闘経験もない娘を駒にするには、今回は少し無理が過ぎたかしら」
 金糸の髪を揺らしながら駆け出した女は、期待半分だったのだろうか、大した感慨もなくそう呟いた。人選を誤った。彼女にとってはたったそれだけのことなのだろう。
 それ以上でも、以下でもない。
「上手くすれば商館に潜入できるかと思ったのだけど」
 やっぱり事はそう上手く運ばなかったか。唇の端を引き結びながら、エヴァはもう一度ため息をついた。
 赤い瞳が闇を見る。まだ明けぬ夜を引き裂くように。
 さて、こうなったら次はどう動こうか。
 巡らせる策は方々に。複数ある可能性の内の幾つかを摘み取りながら、女は軽快な足取りで森の外へと消えて行った。

◇ 了 ◇



◇ ライター通信 ◇

三島・玲奈様。
この度は、シチュエーションノベルの発注ありがとうございます。
場面転換・視点転換が複数あり、内容が詰め詰めになってしまいましたが、如何でしたでしょうか。
これでも文字数が大分オーバーしておりまして、チェックに引っ掛からないか冷や冷やしております(苦笑)
場面・視点転換の都合上、玲奈PC様の活躍シーンが本当に最後のちょこっとになってしまい、それだけが心残りではありますが、お楽しみ頂けましたら幸いです。
それでは、ここまでの読了ありがとうございました。
また、再びのご縁があることを願いつつ、締めとさせて頂きます。
今一度、発注ありがとうございました。