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昔はあって今はなく
聖学園の学園案内パンフレットの表紙は、学園のシンボルとしてオデット像が飾られていた。オデット像は噴水に置かれ、その辺りは園芸部が手入れした花も美しかった事から、ここはカップルが多くたたずんでいた。
しかし、オデット像はなくなってしまった。
怪盗オディールが盗んだとはどこかで聞いたが、あんな重い物をどうやって盗んだのかは不明である。
オデット像がなくなり、この場には華がなくなってしまった。
華がなくなってしまったせいか、この辺りをたむろしていたカップルもパッといなくなってしまった。
今はただ、噴水のこぽこぽと言う水音だけが響く、やや寂しい場所となってしまった。
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「ん……?」
夜神潤はオデット像跡のある噴水に向かっている中、妙な匂いが鼻をかすめた事に気が付いた。
朝露に濡れた森のような、やけに濃い葉の匂い。
振り返るが、今は誰もいない。
「気のせい……か?」
魔法ではないような気がする。
でも、何かがいた。
まあ、おいおい分かるか。
潤はひとまずそれを流す事にして、約束した場所へと向かった。
噴水は頼りない水音を放ちながら、水を噴き出す。噴水の中央の台は中央の部分だけ槌汚れや日焼けが少なく、その場所にオデット像があったんだろうと言う事は想像できた。
人気のない場所で1人ぼんやりとベンチに座っている青年がいた。
海棠秋也か。
「先日は失礼」
「あっ」
ぼんやりとした顔のまま顔を上げる海棠を見る。
無愛想な顔で、黒曜石のような目からは、何を考えているのかがいまいち読み取れなかった。
「いえ」
「そうか。隣、座っていいか?」
「…………」
返事はなかったが、座っている場所から少しだけずれたから、肯定なのだろう。
潤は「ありがとう」とだけ言って、そのまま隣に腰を下ろした。
「……話と言うのは?」
「ああ。その、前に舞踏会にいた人の事。誰もが君だと思っていたようだが?」
「……行ってはいないので、よく分かりません」
「…………」
随分と頑なだな。
潤は視線を膝に落としている海棠を眺めながら、そう感想を持つ。
でも、その海棠からもう1人の彼の事を訊いても大丈夫か……。少しだけ迷ったが、意を決して口を開いた。
「じゃあ、彼に心当たりは……?」
「…………」
隣に座る海棠を尚も観察していると、海棠はまた視線を膝に落としていた。
少しだけ目を伏せた様は、何かを口にするのをためらっているようにも見えた。
「言いたくないのなら、これ以上は追究しない」
「…………?」
ようやく顔を上げた海棠は、少しだけ虚を突かれたような顔をした。
無表情で何を考えているのか相変わらず分からないが、こんな顔もできると言う事は、少なくとも話をする気はあるんだろう。表現するのが極端に苦手なだけで。
頑なと言うイメージを不器用に修正しながら、潤はそう考えた。
「……ありがとうございます」
「いや。こっちの都合で時間を取ってすまなかった。また機会があったら」
「…………」
頭を下げる海棠を見て、多分悪い人間ではないんだろうとだけは潤は気に留めておいた。
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そして噴水を出てから気付く。
さっきの匂い。
「……ん?」
潤は鼻をかすめていく匂いに、思わず振り返った。
確かに噴水の近くに近付いたらその匂いがしたが、噴水の傍ではその匂いはしなかった。少なくとも、海棠からはその匂いはしなかった。
じゃあ、この匂いはどこから……?
思わず潤は自分の服に匂いが残っていないか嗅いではみるが、この匂いは匂いとして認識しているだけで、匂いではないらしい。
この匂いは、誰かの魔法だ。
「誰かが……彼を監視している……?」
遠目からだが、海棠がベンチにいるのが見える。
いつの間にやら行儀悪く、ベンチに横になって寝そべって、空を見上げているように見えた。
彼自身、監視されているのかを分かっているのかは、よく分からない。
<了>
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