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大切な物は失って初めて分かるもの
カンカンとあちこちで金槌が振るわれる音が響く。
既に目前に迫っている聖祭の舞台セットが作られているのだ。既に各学科も演目用練習にリハーサルが進んでいるらしい。
何と言うか空気が弾んでいるなあ……。
いつか怪盗が現れた時は、やけに空気が重くなっていたような気がするけれど、今はそれがなかったかのように、汗をかきつつも楽しそうにしている生徒達の顔を見ると、何となく工藤勇太も嬉しくなった。
さて。
音楽科ももう決まっているはずだけれど、今は海棠君いるのかな? 勇太の手にはトランペットのケースがあり、もう片方の手には楽譜を携えていた。
理事長館の門を潜り抜けると、ピアノの音が聴こえるのに気が付いた。
「ああ、今日はいるんだ」
それにほっとしつつ、ベルを鳴らそうと思っていた手を引っ込め、手でトントンとノックをするだけに留めた。
「失礼しまーす」
ピアノは、理事長館に入ってすぐの階段の上。2階の部屋から流れて来ていた。
今は理事長いないみたいだなあ。まあ、もうすぐ聖祭だから、理事会で話し合いとかもあるんだろうし。そう思いつつ、階段を昇ってみる。
ピアノの旋律は穏やかで、聴いていると胸がすっとしてくる。
この胸のすっとしてくる感覚をどう例えればいいのか、勇太にはよく分からなかった。
ここかな、ピアノの音は。
2階に上がると、部屋が2つ存在して、階段昇ってすぐ見える方の部屋から、ピアノの音が流れて来ていた。勇太はトントンとドアをノックすると、相変わらずのぶっきらぼうの声で「どうぞ」と返って来た。その返事と同時に、ピアノは最後の箇所を奏で、曲は終了した。
「お邪魔しまーす……」
「……アンタか」
「こんにちはー、海棠君」
「椅子はそこの机のしかないが」
「いいよ、気にしないで」
中は整理されていると言うには、いささか殺風景な部屋だった。
海棠の弾いていたグランドピアノの隣には小さな机と椅子。奥にはベッドがある。机に何冊か楽譜が立てかけてあり、机の隣にチェロケースが置いてある。生活感と言う物が全くなく、ピアノに広げている楽譜位しか乱れている所がない。
勇太がちらりとピアノの上の楽譜を見る。赤いペンでたくさん書き込みがしてある。
「もしかして、これ聖祭で君のする曲?」
「…………」
海棠は軽く頷く。
もしかして、邪魔した?
「練習、もしかして邪魔した?」
「いや? 今丁度通しで弾き終えた所だから」
「そっか。ならよかった」
「……この間の曲か?」
「うんっ。弾きたいと言っていた奴」
勇太は持ってきた楽譜を広げると、海棠はそれをぺらぺらとめくる。
「これなら弾いた事はあるが……工藤はこの曲、通しでは?」
「うん。自分の部分は」
「そうか。少し練習していいか?」
「どうぞどうぞ。俺も下手の横好きでやってただけで、上手く合わせられるかは自信ないや」
「そんな事はない。お前の音はいい」
「ならよかった」
こうして、2人で練習を始めた。
片やトランペット、片やチェロ。
トランペットは高い音は出るが、低い音を伸ばすのには力量がいる。チェロは低い音は出るが、高い音はどうやっても出ない。楽譜も元々この2つで合わせるものではないので、四苦八苦はしたが、どうにか様にはなってきた。
音が絡み、融け、流れて、奏でる。
少し下手をすれば不協和音になりかねない旋律も、互いに互いの旋律に合わせるようにすれば、独創的な音を奏でる。
最後の旋律を終えた時、気のせいか息が乱れていた。
「はぁ〜」
ようやく勇太がトランペットから口を離した時、海棠もチェロを肩から降ろした。
普段無表情の海棠の表情が、今は少し穏やかに見えた。
「やっぱり誰かと曲を合わせるのっていいなー」
「そうなのか?」
「うん。俺はそう思うよ。いやー」
勇太はトランペットをケースに片付けつつ、頬をポリポリと掻いた。
いつか見てしまった彼の心の傷については、未だに触れてはいない。でも未だに引き摺っている所だけは、勇太にも理解できた。
まあ、相手に踏み込むのに自分だけ何も語らないのはフェアじゃないもんなあ。
そう思いながら、勇太は口を開いた。
「俺、小さい頃いろいろあって児童養護施設とかに居た事あるんだけどさ。学校行っても人間不信でさ」
「……?」
海棠は勇太の目をまじまじと見た。
勇太は口元に笑みを浮かべながら、できるだけ暗くならないようにと、明るい声色で続けた。
「そんな時吹奏楽を薦められてさ。最初は嫌々やってたんだけどね。でもさ、一つの楽器の音がそれぞれ集まって一つの音楽になる。そのなんていうか感動したね。なんか皆と一つになれたって気がして」
「…………」
「あっ……ごめん。暗い話になって。でも今日海棠君と演奏できて嬉しかったのは本当なんだ」
「……いや。俺はお前が眩しい」
「眩しい……?」
「そうやって内に篭もっても前に踏み出せる所は、正直羨ましい」
「…………」
海棠は相変わらず表情自体は浮かんでいないが、少しだけ。本当にわずかだが、口調からは感情が滲みだしているように見えた。
「……そして、心底申し訳ないと思う」
「申し訳ないって……何が?」
「俺は、1番大事なものから、逃げ出したから」
海棠が目を伏せる。
そして、棚に差してある楽譜を1冊取り出すと、中から何かを引っ張り出した。
黄ばんではいるが、何度も新聞部で見慣れてすっかり馴染みの学園新聞だと言う事は、勇太にも分かった。
海棠が黙ってそれを広げ、勇太に見せた。
『祝・国際バレエコンクール出場』
その見出しが見える。
日付は4年前の春。
そこに書かれていたのは、学園で最年少で出場資格を得たペアの事だった。
あれ、でもそれが何で……?
海棠の意図が読めずとも、そのまま勇太は記事に目を通し。
「えっ……?」
目を、疑った。
『中等部1年バレエ科:海棠秋也さん(13)、星野のばらさん(13)、おめでとうございます』
それは、明らかに海棠だった。そしてもう1人の少女。
それはいつかテレパシーで流れてきたイメージにある少女の姿だった。
「……大事なものがいなくなって、自分の持っているものが空っぽになったような気がした。だから、逃げた」
「…………」
勇太は、まじまじと海棠を見た。
彼の中では、彼女のイメージは全く擦り切れてはいない。4年経っているのに、今でも彼女が亡くなった事が、心の傷になっているんだ。
「……悪かった。いきなり昔の話をして」
そのまま海棠は新聞を畳んだが、勇太は首を振った。
「俺は、それでも」
「?」
「話を聞けてよかったと思う。本当に、ありがとう」
「…………」
「海棠君がよかったらだけど、また一緒に演奏してもいいかな」
「……ああ」
その言葉に、嘘はないようだった。
<了>
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