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<東京怪談ノベル(シングル)>


其は歯車の一片なりや


「現、妖精王国における最大の過ちとは何だと思います?」
 優雅な所作で茶を一口飲み下した女が、向かいに座する女へ問うた。発明家の館は、名立たる女史の有する一室にて。
 科学を崇拝する者ならば、その名を知らぬ者は居ないと言われるほどの人物。それが、この部屋の主だった。
「古い力――ことに魔法に固執していることでしょうね。世界はそれ一つで成り立っているわけではないと言うのに。男性主権に固執していることも、そう」
 女の言葉に女史は答えた。けれど、彼女の返答を聞いた女は、否と緩くかぶりを振る。思わず、女史は怪訝な顔をした。
 女の表情は傍目には穏やかだったけれど、言葉の端々には氷の棘が混じっているような印象を与えた。女史も恐らく、それに勘付いていたのだろう。一応隠してはみるものの、気付かれても構わない。その程度の悪意を交えていることに。
「愚者王と呼ばれる現国王その人を、国の頂点に立たせてしまったことですよ。そして彼の王をその場所に押し上げた力こそが、科学。皮肉なものですね」
 女がこそりと囁いた。嘗てこの世界は、科学が繁栄しすぎてしまったがために為に一度滅びたと言われている。過去の英知が砂礫に埋もれた荒野へ、新たな国を築いたのが愚者王その人だ。
 そうして滅びた現在の国を復興しようとする動きに、科学傾倒派の者達が尽力している現状は、何とも滑稽な光景だった。
 女――否、魔法の力によって女へと変化した元老院議員の男は、その矛盾と脆さを示唆していたのだ。
 今度こそ眉を潜めた女史は、口に付けていた紅茶のカップをソーサーへ戻した。
「だからこそ、妖精王が謀反を関知し議会の解散を命じる前に、女性優位社会の正当性を示して王の権限を削ぎ落とそうとしているのです。我々が女尊男卑時代の歴史的物証を得ようとしているのも、全てはそのため」
「ですが、事はもう既に手遅れかもしれませんよ?」
 語気荒く、まくし立てるように反論を述べていた女史へ、彼女の話を遮るように元老院議員は告げた。女史の声よりも圧倒的に凪いだ声であったにも関わらず、議員の声は女史の話を押し留めるに十分の力を持っていたらしい。
「どういうことです」
 低く唸るような女史の言葉に、元老院議員は満足げに頷いた。
「聞こえませんか。民の訴える怒りの声が。不満を募らせればやがて憤懣となりましょう」
 ――戦に次ぐ戦。銀翼龍の襲撃に、王都周囲で起こる内戦に、民も土地も疲弊しているのです。
 議員がそう言って笑った、その刹那。
 遠くで地を轟かす爆撃の音が響き渡った。

 ◇ ◆ ◇

 城の一部に、魔法炎弾が打ち込まれた。
 誰かがクーデターだと叫び、誰かがすぐ様謀反の鎮圧をと指揮を執る。ちょうど城の守衛部隊を訪っていた妖精王国王女の玲奈は、守衛部隊へ城の防御障壁を最大出力で展開するよう言い渡して踵を返した。
 兵士たちの全権を師団長へ委ね、彼女が向かったのは城の裏手に聳え立つ愚者の塔・エッフェルだ。王都を守る結界障壁は今もまだ正常に稼動しているところを見て、これは外側からの襲撃ではなく、内側からの謀反なのだと知る。
「父上!! 父上はご無事ですか!」
 エッフェルの最奥、大きな寝台と簡素な家具の並ぶ室内へ駆け込んだ玲奈は、今尚寝台に伏す父王へ呼びかけた。
「玲奈か。何があった」
 天蓋から垂れ下がるカーテンに遮られ、父王の顔は玲奈からは見えない。けれど普段と変わりのない王の声が聞こえて、玲奈は気付かれぬように胸を撫で下ろした。
「謀反です。都内部の何者かが、城へ火炎弾を打ち込みました。その後、複数方向から城へ向けての砲撃を受けています」
 どうかご命令を、と次の言葉を呑み込んで、玲奈は父王の思索を待った。喧騒響く外に反する室内の静寂は、相手の顔が見えないだけに酷く彼女の心を騒がせる。
 早鐘を打つ心臓が、刻一刻と進む時間に警笛を上げた。
「今はまだ保っているのだろうが、後手に回っているのならば城が落ちるのも目に見えておる。そうなれば、この塔もいずれ敵の手に落ちるだろう。それだけは回避せねばならん。お前は城の守備ではなくこの塔の守備に回るように。何としても死守するのだ」
「御意に」
 程なく賜った勅令に、玲奈は深くこうべを垂れて踵を返した。王の居室から外へ出た玲奈は、両開きの大きな扉を背に仁王立ちで警護に当たる。
「耐霊障フィールド展開。半径一キロ以内に絞って完全防御を図って」
 指先で印を切るように空を掻くと、塔を覆うために張った力は一瞬だけ光って宙に溶けた。自身は使役する宇宙船の物質構築能力で生み出した光線銃を手に、長く伸びる回廊を凝視する。
 王城から塔へと繋がる回廊はそこのみであり、城を制圧して向かってくるならばここから入ってくるしかない。
 或いは断崖絶壁の崖にも似た、塔の外壁を這い上るしかないが――。
「お粗末な防壁ね。こんな一枚岩、すぐに壊れてしまう諸刃の刃と大して変わらないのではなくて?」
「誰っ!?」
 光線銃を構えた玲奈が、突然聞こえた声に向けて鋭い声を飛ばした。等間隔で並ぶ、身の丈よりも大きな窓のカーテン裏から、少女の問いに答えるように一人の女が現れる。
 まるで攻撃の意思はないとでも言うように、女は両手を上げてこちらを見ていた。武器を構えているのは玲奈の方であるのに、丸腰に見える女は余裕の笑みを口元へ滲ませている。
「エヴァ・ペルマネント。世界の裏側、虚無の境界を視る者よ」
 エヴァと名乗った赤い瞳の女に、玲奈は訝りの眼差しを寄越した。睨め付ける少女の眼光には、王命の遵守という使命感が燃え滾っている。
「何者でも構わないわ。あなたが王に危害を加えるつもりなら、あたしは引き金を引くだけよ」
 玲奈が臨戦態勢に入ったと見るや、エヴァは笑い声を漏らしながら近付こうとした足を止めた。長い金のポニーテールが、ちろちろと揺れる。落ちていく夕日で赤みを帯びて、窓の外で上がる火の粉のようだ。
「そうカッカしないで、王女・玲奈。わたしたちはユーへ取引を持ちかけに来ただけよ」
「取引?」
「そう。出てらっしゃい!」
 目を眇めてエヴァを見遣った玲奈に、彼女はにんまりと笑うと手近な窓へ手榴弾を投げ付けた。途端に、土煙を巻き上げながら爆風が髪を靡かせる。
 耳を劈く爆音を合図としたかのように、窓の向うから唸るような機械音が聞こえた。
 また銀翼の龍だろうか。とうとう王都に乗り込んできたのかと焦りに顔を上げると、もうもうと視界を遮る煙の向うへ巨大な影が見えた。
 砂塵から眼球を守るように掲げた腕の間から、玲奈は目を細める。徐々に晴れてきた煙の向うには、天空船の船体がこちらを威嚇するように迫っていた。
「敵襲!?」
「だから、そうカッカしないでと言っているでしょう。あそこに、わたしたちの切り札である過去の遺物が積んであるわ。女性優位制を立証する、過去の世界で使われた女性専用の乗り物。男性優位を正当化し、女性優位の証拠を隠滅したいユーたちとしては、喉から手が出るほど欲しい物証でしょう」
 断言するような口調で、エヴァが尋ねた。彼女は王政側と科学者側の事情を、一般人以上に理解しているようだった。
 確かに、ことごとく女性優位の証拠を潰してきた玲奈たち王政側としては、エヴァの持つという物証は喉から手が出るほど欲しい。けれど、彼女も言ったとおりこれは切り札だ。ならば、エヴァにはその切り札を使うべき要求があるのだろう。
「何が狙いなの?」
 警戒を解かないままに、玲奈が問う。エヴァは待っていましたとばかりに口角を持ち上げ、要求を口にした。
「わたしたちの望みは一つ。この謀反に介入することを認可してちょうだい」
「王政側の人員として、ということ?」
「ええ。そうでなければ、ユーの前に手土産を持って現れると思う?」
 不敵な笑みを浮かべたエヴァが、当然のことのように告げた。確かに、加勢するつもりでもなければのこのこと足を運んで来はしないだろう。けれど玲奈の脳裏には、素直に頷けない理由が並んでいた。
 彼女の申し出を受け入れれば、過去の遺物を手に入れることは可能だろう。だがしかし、そもそも彼女は何故、介入を望んだのか。
 万一、彼女が敵側の人間だったなら、懐へ入れた瞬間に内側から突き崩されかねない。
 混乱に乗じて王を討たれることだけは避けなければ。暫しの逡巡の内に考えた可能性を纏め上げ、導き出された結論をそのまま声に乗せた。
「答えはノーよ!」
「そう。残念だわ」
 玲奈の答えを受け取った瞬間、天空船は砲撃準備を開始する。船体から突き出した無数の大砲に気付いた玲奈は、空に掲げた腕で空に印を切った。
「耐霊障フィールド、最大出力展開! 塔の完全防備を――」
 集う力を、形に成そうとした時だった。バチン、と電気がショートした時のような音を立てて、渡り廊が闇で覆われた。一瞬、何が起こったのかわからずに、玲奈は集中していた気を乱す。
 すぐにありったけの精神力を掻き集めて結界を張り直すが、エヴァは既に天空船に移った後のようだった。
 窓の外に視線を投げて、城全体が暗闇に沈んでいることを知ると、ようやっと城と塔の主電源が破壊されたことに思い当たった。夕日が落ちた瞬間を狙ったのだろう。城壁内部にまで敵が侵入していることを理解すると共に、城の向こう側から鬨の声が上がる。
 焦りをあらわに窓から身を乗り出した玲奈は、眼下を覗き込んで息を呑んだ。数に物を言わせたナタリア兵達が、城壁を這い登り矢継ぎ早の侵攻を進めている。
 兵士たちも負けじと応戦しているが、防戦一方で反撃にまで手が回っていないようだった。
 このままでは、城が落ちるのも時間の問題だ。
 窓の外へ向かって指笛を吹いた玲奈は、直後、下から巻き上がった烈風に床を蹴って飛び乗った。
 舞い上がった身体が宙に投げ出されると、彼女の華奢な身体を掬うように青い鱗を有した翼竜が飛び上がる。首筋に走る鬣を掴んで、玲奈は風を切る音にも負けない大声で翼竜へ命じた。
「城壁に群がるナタリア兵を一掃して! 城壁内部の敵は兵士たちに任せて外から戦力を断つのよ!」
 命じられた翼竜は、主さえも振り落としそうな勢いで急下降を計った。上空から勢いを付けた翼が、重圧を込めて城壁にしがみ付くナタリア兵たちを打ち据えていく。
 一人落としては二人が攻め入り、三人落としては四人が攻め入るという一進一退の状況が続く中、遂に戦況に変化が訪れた。
 城の奥、塔の裏手に当たる場所から、更なる鬨の声が上がったのだ。何事かとそちらへ目をやれば、燃える木々の隙間から割れた窓に鉤縄を掛けて上る兵の影が見えた。そこは先ほどエヴァが爆破した、塔と城の繋がる連絡経路だ。
 玲奈は体中の血が一気に引いていくのを感じた。
「連絡経路へ急いで!!」
 青褪めた顔で命じると、主人の命に倣い、翼竜は鉤縄を伝う兵士たちへ突進した。翼の一撃で鉤の先に繋がれた縄を断つと、ナタリア兵は次々に落下する。玲奈は翼竜が一番窓際に近付いた瞬間を見計い、割れた窓から繋がる回廊へ飛び移った。
 廊下の先へ視線を向ければ、先ほどしっかり閉めて来た筈の王の居室の扉が開いている。
 ――まさか。そんな。
 唾を飲み込む音が、耳の奥でやけに大きく反響した。
 嫌な想像を打ち消すように、玲奈が駆け出す。片手に光線銃を現出させた玲奈は、前のめりになる勢いのまま居室へ転がり込んだ。時を同じくして、寝台の奥で歓声が上がる。
「愚者王の首は今、我らが手に落ちた!!」
 さんざめく勝ち鬨が、玲奈の心を絶望に塗り潰した。
 両足から踏ん張っていた力が抜ける。へたりとその場に座り込んだ玲奈は、這いずるようにして父王の足元まで近寄った。ナタリア兵は、敵の総大将を討ち取った余韻で玲奈の動向に気が付かない。
 震える手で、破れかけたカーテンを持ち上げた時だった。
「……っ、どういうことだ!?」
 寝台の内側で、動揺もあらわな驚愕の声が上がる。怪訝に思った玲奈は、カーテンを引いて無惨な父王の姿をしかと目に焼き付けた。
「どういう……ことなの?」
 直後、玲奈の唇から信じられないとでも言いたげな問いがこぼれ落ちた。わなわなと震える玲奈の呟きを、拾い上げる者など居ない。
 否、拾い上げられる者が居なかったのだ。皆が皆、困惑に疑問の拠り所を探してうろたえている。
 玲奈が父と慕った者の、切断された首からは血の一滴さえこぼれ落ちない。肉片の代わりに刻まれたシリコンと、血管の代わりのコードが千切れてだらりと垂れ下がっているばかりだ。
「これは……機械人形? 愚者王は人間ではないのか?」
「何がどうなっているのだ!」
「もしや、これは偽者か。本物の王は何処に!?」
 口々に伝播した混乱と怒りは、やがて塔から城へとなだれ込んで行く者たちによって広がっていく。
 妖精王国の王城は、今や混沌と暴動の渦中に溺れてしまっていた。
「父上が……機械、人形?」
 相次ぐ衝撃で、玲奈はがくがくと震える自分の肩を抱き締める。焦点がぶれる中、壊れたラジオのようにただ一点の疑問だけが頭の中を回り続ける。
 ――だったらあたしは、一体誰の子だというの……?

 ◇ ◆ ◇

 水晶球には、戦火の巻き上がる王城が映し出されていた。次々と移り変わる映像を見つめる双眸は二対。
 元老院議員側の男と、科学傾倒派の女が一人ずつだ。
 男がとん、と水晶球を指先で叩くと、場面は妖精国王の居室へと変わった。寝台で次々と疑問の声を上げるナタリア兵たちが映し出されている。
 彼女らは王の首を討ち捨てるなり、次々と居室を飛び出して王城へと向かって行った。直前の会話を聞くに、“本物の王”を探しに向かったのだろう。
「本物の王など、どこにも居ないということも知らずに。無知とは憐れなものだ」
 男が笑いを押し殺した声で呟いた。苦い色を混ぜた女の声が、それに相槌を打つ。
「今の世は仮初め。妖精王国は意図して作り出された箱庭ですものね」
 妖精王国は、城から遠く離れた商館にて。剣戟と魔法の破裂する音を遠く聞いていた二人は、水晶球を台座から外して映し出されていた映像を切った。必要な情報は粗方手に入った。後は二人の思い描く通りの未来へと成るべくして成るだろう。
 その場所の本来の意味を知るごく少数の者は、そこを“愚者の商館”と呼んだ。城内に聳える塔と同じ呼称で呼ばれるその商館は――元を辿れば現国王の存在すらも――ある一人の人物によって生み出されたものだ。
 すべては、この茶番劇を繰り返すために。
「嘗て戦乱で滅亡の危機に貧した人類は、戦を引き起こす凶暴な男という存在を間引いた。残されたのはごく少数の温厚な男と、強い理性を兼ね備えた女たち」
「全人類は女性に主権を譲り渡したけれど、戦乱の潰えた世は人口増加の一途を辿った。そこで我らが主である建国者は、この商館と国の主君を創り上げた。命が増えるにつけ、数を調整するためのからくりよ」
 男と女が代わる代わる謳う。彼らは、言わば調律者だ。奏でる音に僅かな狂いが生じた時、それを正すための存在。傍観者とも、中立者とも言えよう。この際、呼び名は関係ないのかもしれないが。
 人口が増えすぎれば、古く弱い芽を摘んだ。人と人をぶつけ合い、人為的に戦乱を引き起こすための引き金とでも言えばいいだろうか。
 けれどすべてがすべて潰れてしまわないように、彼らは折りを見て粛清を食い止めるのだ。
 すべては、緻密に組み込まれた歯車の一つだとでも言うように。
「結果はお望みの通りに行きまして?」
 ノックもなしに、突然の女の声が空気を割って入ってくる。二人は振り返り、視線の先の人物を認めると一笑して見せた。
「エヴァか。ああ。何もかも計画の通りだ」
「そう。それは良かった」
 男が答えると、エヴァも軽く返事を返す。かねてからの顔見知りのような気安さで、その実、互いに信用の一片も抱くことのない奇妙な関係は、もう暫くの間保ってきたものだ。
 クスリ、とエヴァの口元が歪む。おかしくておかしくてたまらないと言うように、形の良い唇からは堪えきれない笑い声が漏れた。
「ああ、これこそが私の求めていた世界。繁栄と衰退は紙一重。虚無の境界とはこのことだわ」
 うっとりと呟かれた言葉は、愚者の商館の闇に溶ける。
 やがて王都は、そう遠くない未来に崩壊を迎えるだろう。血で血を洗い、その行為が新たな破壊を生む。
 灰燼と還る妖精王国の行く末は、そうして再び歴史の闇へと沈んで行くのだろう。
 人知れず閉ざされた扉の音が、エヴァの脳裏に強く刻まれた。

◇ 了 ◇



◇ ライター通信 ◇

三島・玲奈様。
この度は、シチュエーションノベルの発注ありがとうございます。
妖精王国編の終章、とのことで、幕引きに相応しい最後となりましたかどうか。
前回に比べ、玲奈PC様の活躍場面をぐんと引き伸ばしてみましたが、如何でしたでしょうか? ご依頼内容に少々のアレンジも加えてお届けさせて頂きました。
お気に召す仕上がりになっていましたらば幸いです。
それでは、ここまでの読了ありがとうございました。
また、再びのご縁があることを願いつつ、締めとさせて頂きます。
今一度、発注ありがとうございました。