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<東京怪談・PCゲームノベル>


――懺悔に教会――



 君と僕は遭遇する。
 だからこそ君と僕は、交差しない。



×× ネジ ××



 夜、家に帰るために道を歩いていると、自動販売機の前で、ふと、見知った人物を見つけた。
 喫茶店「宿り木」の店員、厳密に言うとバールマンの、久世・優詩だった。
 歩道の上に落ちた自動販売機の、ぼんやりとした灯りが、彼の繊細な作りの横顔を、照らし出している。
 店内で見るのとは違う、シンプルなシャツとパンツの格好が、その細身の体躯を包んでいた。
 葛井は、出て来た缶ジュースを取り出すためにしゃがみ込んでいるその背中に、「やあ」と、声をかけた。ゆっくりと振り返る彼は、店で見るのと同じ透明さで、葛井をぼんやりと見やり、少し間を置いてから「ああ、どうも」と、微かに微笑んだ。
「バールマンでも缶ジュースなんて、飲むんだね」
 葛井は、彼の手を指さし、言う。
「そりゃあ……」
 と、彼は、少し戸惑ったような表情を浮かべた。
 まともに受け取ってしまって、一体それはどういう指摘なのだ、と呆れているようでもある。けれど、自分の手元を見やり、すぐに挨拶のような嫌味とも冗談ともつかないものなのだな、と理解したらしく、弁解に相応しいはにかみを浮かべた。
「残念なことに、チープで手軽な缶ジュースで済ませる事があるんです、たまに」
「あんなに美味しい、こだわりのコーヒーを入れるバールマンが」
「マスターには内緒ですよ」
「そこですかさずマスターとか出てくるあたり、あの人の下で働くのも、大変だよね。同情するよ」
 葛井は、宿り木の店主である老紳士の顔を思い浮かべる。外見こそ上品な西洋の老紳士のように見えるのだけど、口を開けばその毒舌ぶりには驚くばかりで、良く言えば闊達とした、悪く言えば口煩い、子供のような屁理屈で人をけむに巻くような所のある人だった。
「葛井さんは、今、帰りですか」
「そうね。今、帰りだね」
「何か、飲みますか。奢りますよ」
 優詩が、ちら、と自動販売機を振り返った。
「申し出は有難いんだけど、バールマンが上手いコーヒーを飲み慣れた常連客に、缶入りのジュースなんかを奢っていいのかとか、わりと気になっちゃうよね」
「はい、マスターには、内緒です」
「どうせなら、君の淹れたコーヒーが飲みたいんだけどね」
「っていうか、缶入りのジュースなんか、なんて言い方したら、缶ジュースを一生懸命作ってる人に怒られそうですよね」
「でもやっぱり折角だし。奢りなら、飲むよ」
「一気に卑しさが露呈した感じですけど、大丈夫ですか」
 自動販売機に向き直りながら、優詩が言う。小銭を入れ、ボタンを押してくれ、と指で示した。
「じゃあ言い直すね。仕方ないから、奢りなら飲んであげても、いいよ」
 葛井は言いながら、いい加減に選んだボタンを押しこむ。
「卑しさは確かに下がりましたけど、その代わりありえないくらい偉そう度が上がってる感じですけど、大丈夫ですか」
「日本語って難しいね」
「言葉で言い表せる事なんて、たかが知れてますしね」
「んー」
 とか何か言いながら、葛井は、出て来た缶ジュースを取り出す。
「っていうかそれ、本当に飲みたかったんですか」
 すかさず優詩が、気味の悪い物でも見るように、見てきた。
 確かにそれは、新発売と銘打たれた若干エキセントリックな内容のジュースだった。
「だって、どうせ奢って貰うなら、普段自分では絶対買わないようなの、買いたいじゃない」
 とか答えてる間も、優詩が、じーとか、手元を見てくる。
 暫く見て、顔を上げた。
 そして、「不味くても、最後まできちんと飲んで下さいね」とか、言った。
「ええ、はい、もちろんですよ」
 すかさず、むしろ被り気味に、葛井は、答えた。
「いや絶対、嘘としか思えない顔してるんですけど、大丈夫ですか」
「おかしいな。何でばれたんだろう」
「いや不味くても、最後まできちんと飲んで下さいねって」
「君こそ意外に小さい事を言うんだな。不味かったら、捨てるのは仕方ないじゃないか。そういうのを、ケチって言うんだよ」
「お金の問題じゃないです。心の問題です」
「心?」
 とか何か言いながら、自動販売機の前で延々と喋ってるのも何だな、とか思って、ちょっと歩きだした。
 優詩もついてくる。
「気持ちというか、思いやりというか、ああ、これは買って貰ったものだから、ちゃんと最後まで飲もうかな、とか、そういう問題ですよ」
「ごめんね」
「ごめんね?」
「俺はどっちかっていうとそういうの全くないから、何か、とりあえず謝っとくね。ごめんね」
「反省のごめん、ではないんですね」
「反省のごめん、ではないんですよ、申し訳ないことに」
「そういう事を言う人に、友達とか、絶対いなさそうですよね」
 そう、軽口を叩き、こちらを見上げた優詩の顔に、一瞬、ほんの一瞬だけ、しまった、と後悔したような亀裂が、走った。
 あの日の事を思い出したのだ、とすぐに思い当たった。風邪を引いた自分を訪ねて来た、あの日の事を、あの写真を見てしまった事を、思い出したのだ。と。
 けれど、それは機械の検索に似て無機質で、そのことで何らかの感情が沸き上がることは、なかった。
「そうね。友達もいないし、恋人も、大切な人も、いない」
 何を考えているのか分からない、と良く形容される、覇気のない無表情で、葛井は、答えた。
 そんな自分と同じ空気で、やっぱり何を考えているのか分からない表情の優詩が、ぼんやりとこっちを見ている。
「大丈夫です、僕も居ません」
 暫くして、柔らかい声が、無機質に、言った。
「でも、別に、君と一緒でも、全然癒されないから、大丈夫だよ」
「知ってます。だから、言ってみました」
「ああそう」
 気がつけば、帰り路とは離れ、自動販売機の傍から続く、公園の遊歩道へと入っていた。
 あてもなく、理由もなく、ただそこに路が続いていたので、何となく、歩き続けた。
「葛井さんって、基本、何を考えてるか分からないですよね」
「何を考えているのか分からないのは、何も考えてないからだよ」
「そんな風には見えないですけど」
「だいたい君こそ、何を考えているか、分からないけどね」
「ミステリアスな男を目指してるんです」
「誰にでもそつなく相槌を打って、空気を読んで、適切な言動を選んで、結局どんな人なのか、全く分からない」
「でもそんな僕の能力は、揺るぎなくて確かな物の前でしか、有効ではないんですよ」
「相手が分かりやすいと、確かに、合わせやすいよね」
「貴方のように、瞳のぼやけた人には、通用しません」
「ぼやけてるかな」
「ぼやけてますね」
「近視だから?」
 とかちょっと思い付いてしまったので、思わず言ったら、物凄い面倒臭そうな表情で、「うんいや、そういうのはいいですよ」と、すかさず、流される。
「でも、奇遇だよね。俺も、君の事をそんな風に思ってたもの」
「そうですか」
「人を見てる時にさ。君って、全然、瞳に力とかないんだよな。ガツガツした意志のある人の瞳って、力あるじゃない。君は違って、何だかぼーっとして。それを柔らかいだとか、暖かいだとか勘違いしてる人もいるけど、結局、見てないだけなんだよね、それって。淀んでるとか、くすんでるとかじゃなくて、瞳に力がなくて、ぼんやりとしてる」
「まーそれ何か、物凄い上から言ってくれてますけど、貴方もそうですからね」
「自分もそうだから、上から言ってるんじゃない」
「怖いですよね。葛井さんには、見抜かれてるんじゃないかって、面倒臭い気分になる時があります」
「俺そんなに君のこと、見てる?」
「見てませんね。誰のことも」
「だろうね」
「でも、気付く時ってありますしね」
「大丈夫だよ、そんな確信するような事、しないから」
「かたく信じて疑わない、なんて思うくらいに、人の事を見てないってことですか」
「君は勘がいいね。喋ってて、楽だよ」
「僕には沢山のヒントがあって、優秀だからですよ」
「仕方がないから、そういうことにしておいてあげるね。他の人ではこうはいかないのは、確かだし」
「全然嬉しくなさそうですよね」
「だって別に、嬉しくないもの」
「葛井さんってあれですよね。何処かのネジが、緩んでますよね」
「むしろ、取れてるのかも」
「取れてますよね」
「君と同じ場所のネジなんじゃないかと思ってるんだけど」
「そうですか、気のせいなんじゃないんですか」
「留め具が緩んで取れてしまってるから、もう出入り自由でさ」
「それでその扉、フェイクですしね」
「フェイクなんだ?」
「フェイクなんでしょ」
「俺はそんな事、言ってないけど」
「じゃあ、僕も言ってません」
「いやそれは言ったよね」
「んー言ってませんねー。全く記憶にないですね」
「それで誤魔化せると思ってるとか、凄い怖い人よね」
「あと、どっちにしろこの会話、全然意味不明ですしね」
「うん、しかもここが何処かも、もー不明だしね」
「間違いないですね。何で男二人で公園奥へ奥へ歩いて来てるのか、凄い謎ですもんね」
「やっぱり思ってた?」
「思ってましたね。意味のある会話、全くしてないのに、どんどん歩くだけ歩いてこれ、どーなるんだろーとか」
「うん、俺もちょっと心配になってた」
「せめてもう少し、実のある話してたら良かったんですけど」
「仕方ないね。目の前にボタンがあっても、俺も君も絶対に自分からは押さないタイプだから」
「気付いてても、押さないタイプですよね」
「だいたい、押したからってどうなんだって気もするし」
「押した後で、責任持てないんですよね」
 飄々と返される言葉に、葛井は少し、笑う。
「分かる」
 と、呟いた。
 彼からの返事はない。
 沈黙が、落ちる。
 風が、公園の木を揺らす音を、聞いた。
「じゃあ、ジュース、有難う。今度は、俺が奢るから」
「別に店で毎日お金を使ってくれたら、それで、いいですよ」
「毎日は難しいな」
「いえ、毎日、です」
 彼は微笑みながら、そんな事を言う。
「ふうん、そう」
 葛井も微笑みながら、頷いた。
「では、また」
「ああ、また」
 そうして、踵を返して行った痩身の背中が、夜道を歩いて行くのを、暫し、見つめた。



×××



 君と僕は、遭遇する。
 そして君と僕は平行する。
 だからこそ君と僕は、交差しない。

 けれど。
 そんな彼との、他愛もないやりとりを、葛井はどういうわけか鮮明に、その時、この白い教会で思い出していた。





    END






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 8440/ 久世・優詩 (くぜ・ゆうし) / 男性 / 27歳 / 職業:バリスタ】