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<東京怪談ノベル(シングル)>


笑顔を失った少女たち
 デスクの前には、引き伸ばされた写真がずらりと並べられている。
 それも全てが全て少女であり、それら全ての写真の中の表情は全くない。ただただ強張ったままの少女たちの写真。
 深夜の病院。
 遠くでさわさわと小さな人の気配はするものの、院内はしんと静まり返っていた。
 その中の一室。
「異常はない!?」
 医師の言葉に、三島・玲奈 (みしま・れいな)は思わず同じ言葉を返す。
 脳裏によぎるのは、この病院に入院している友人の姿。玲奈が献身的に看病をしても、何度言葉をかけても、ぴくりとも反応しないのだ。
 そしてその友人の写真は、並んだ写真の一番右側にあった。
 一番新しい犠牲者として。
「見た限り、出来る限りの検査はした。体には全く異常が見られない。とはいえこのままの状態が続けば保障はしかねるが」
「じゃあ心因性なの?」
「心の病について私は詳しくはないが、未知の症例としか言いようがない。むしろそう言われたならば納得するね、私ならば」


 そもそも友人がこのような症例に見舞われたのは、玲奈が遭遇したとある事件が原因である。
 下校途中に隅田川で溺れる友人の姿に、思わず翼を開き救助してしまった。それはいい。目の前で友人を失うことに比べたなら代償としては安いものだ。
 問題は別にあった。
 友人を川から引き上げたその時から、彼女から表情は消えた。
 ただ事ではないと玲奈はその後も病院まで付き添い、何度となく呼びかけ、献身的に看病を続けたが友人の様子に変化は見られない。
 医師は体には異常が見られないと言っていたが、このままの状態が続けば、いずれ肉体的に衰弱していくのは目に見えている。
 医師の元から友人が入院する病室に戻った玲奈は、相変わらず強張ったまま微動だにしない友人の頬をそっと撫でる。
「絶対に、元に戻してあげるから……安心して」
 声が届いているのかも分らないが、言わずにはいられなかった。
 電気を落とされた個室の中で仄かに光る手元のスタンドライト。柔らかな光が友人の頬にうっすらと赤みを落とすのを見て玲奈は切なくなった。


 カタ、ン──。


 部屋の外で、小さな物を落としたような音が響き、反射的に顔を上げ、座っていた椅子から腰を浮かせる。


 カタ、ン──。


 その音はまるで玲奈を引き寄せるかのように、さらに玲奈に行動を促すかのように再び響く。
「何かしら……?」
 恐れはない。ただただ好奇心の求めるままに、玲奈はそっと友人の上にかけられた布団を整えると、ゆっくりと立ち上がった。
 ドアの先に、音の主はいた。
 暗い陰湿な雰囲気のする廊下で、うっすらと光る人影。ぼやけた輪郭のそれはあくまで人の形をしているというだけで、表情や服装などは全く分らない。
「どうしたの?」
 互いに距離をつめることもない動きのない状態がしばし続いた。
 玲奈の問いかけに人影は明確な言葉で答えることはなく、だがゆっくりと動き出す。まるで玲奈を誘うように。
 滑るように廊下を移動する影に導かれた玲奈がたどり着いた先は、玄関を入ったすぐのホールだった。玄関からちょうど正面にあたる壁の前で、壁の方を指し示すようにして影が消える。
 先ほどまで影が立っていたのと同じ場所に立ち、玲奈は壁にかかった絵を見上げた。
「どこかで見覚えのある絵ね……」
 絵の中に描かれた少女の姿は、どこかで見た覚えのあるもの。
 知人の類でないことだけは確かだが、玲奈にはその名前を思い出すことは出来なかった。


「レサシアン?」
 セーヌ川に浮かべた玲奈号の上で、聞きなれない単語に瀬名・雫が首を傾げた。
「そう。デスマスクよ」
「デスマスクの名前がレサシアン?」
「20世紀の始めのことよ。セーヌ川で命を絶ったらしい少女の遺体が引き上げられたの」
 玲奈は説明を始める。
「当時身寄りのなく名前や身元の分らない死体はデスマスクを作るのが慣習になっていたので、当然その少女のデスマスクも作られたわ。うっすらと笑みを浮かべた彼女の死は謎のまま。その後アスムンドレールダルという人物が、人工呼吸方を正しく教える、学ぶためのマネキンを開発したのだけれど、その訓練用のマネキンにその少女のデスマスクを採用し、マネキンはレサシアンと名づけられた──」
 視線を上げれば、ガーゴイルを模した排水口から水が流れ出している。ここはルーアンの町。そしてセーヌ川の上。
「で、病院の絵の女の子がレサシアンと同じ顔だったってこと?」
「そう。結局私も思い出せなくて看護婦さんに聞いたらすぐ教えてくれたわ」
「ふーん。でもだとしたら怨恨の線は薄いよね玲奈ちゃん。だってそれって20世紀の始めの頃のことなんだし」
「それに怨恨だとしたら誰が何故? レサシアンのモデルの子は穏やかな死に顔だったって言うし」
 穏やかな流れのセーヌ川。太陽の光がきらきらと川面に反射し、思わず玲奈と雫は目を細める。
「だよねー。あっ……!」
 穏やかな流れだった筈の川の流れが、不自然ともいえる唐突さで雫へと牙を向けた。風もないのに生まれた波が、小柄な雫の体を玲奈の元から浚っていく。
 雫を連れ去ろうとする波を追いかけた玲奈。その前に立ちふさがったのは、翼の生えたドラゴンのようにも見える、だがクチバシを持ったキメラのような醜悪な姿。
「ガルグイユ……!」
 かつて聖職者サン・ロマンによって退治され、最終的にはルーアンの町の人々に殺された化け物。
「20世紀どころか、500年代の化け物ね。察するに、レサシアンの死にもかかわっているのかしら」
『糧よ。レアシアンと呼ばれるに至った少女も、この娘も』
 鉤爪のある手で気を失った雫を抱えたガルグイユは笑っているようにも見えた。
「糧?」
『あの少女がなした死後の善行、その功徳によって殺されたはずの私はここに在る。更なる力のため、更なる蘇生力のため、この娘、そしてあの少女たちにも糧となって貰う』
 ガルグイユの言葉に、船上の玲奈が眉をひそめた。
 脳裏によぎるのは、病室で表情もないままにいずれ衰弱していくであろう友人の姿。
 ぎりり、と握り締めた拳の中に、いつの間にか握りこんでいたのは愛刀、天狼。
「女の子の笑顔と雫を奪ってやることがそれ? 許さないわ」
 再び波が玲奈号を襲う。ただの船ならば波に流されてしまったかもしれない。だが玲奈号はガルグイユのそんな予測をよそに、波に乗った。真っ直ぐに──目指すのはセーヌの主。蘇った化け物。
「笑顔も、雫も、返してもらうわ」
 すらりと抜いた白刃は、獲物を捕らえ逃すことはない。
 最初の一撃は腕──腕とともに波の中に消えていきそうだった雫の体を空中で器用に拾い上げ、再び玲奈は刃を振るう。
 そして次の攻撃が最後だった。肩から脇腹へと斬撃を叩き込んだ──空気を震わせる断末魔の悲鳴にも玲奈は眉一つ動かすことはない。
 渦巻く波はガルグイユの体を飲み込んでゆく。ぐるぐる、ぐるぐると細い奇怪な骨格の体が消えていくと、周囲には始めてこの場を訪れたときのような、穏やかなセーヌ川の光景が広がっている。
 規則正しい雫の呼吸を確認してほっと息をつくと、玲奈は日本の友人のことを思った。
 今頃は友人も、玲奈が好きだった穏やかな笑みを取り戻していることだろう。