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セレシュの疑問
――さて、どないしようかなぁ……。
セレシュは一人、物思いに耽って座り込んでいた。
陽の成長はセレシュが思っていた以上に目覚ましい。素直にセレシュの言葉を受け入れ、それを自分が理解して納得する。最近では能力を勝手に使う事もなく、その成果は見事に見られるとセレシュは実感していた。
――そろそろ地下ばっかりってのもあかんかなぁ。
セレシュがそれを考えるようになったのはごく自然な成り行きだ。
再び彼女は考える。宵闇に紛れ、“社会”を見せる頃合ではないだろうか。
人の往来に構えた鍼灸院。そして、この年齢設定に合わない容姿では、自分の子供と言い張るには無理がある。実際、馴染みの客にはセレシュは独り者だと知られてしまっているのだから、と自分で自分の案に決着をつけた。
――せやったら、知り合いか親戚のお子さん預かっとる言うたらえぇんか。
思い立ったセレシュが立ち上がった。幸か不幸か、今日の鍼灸院の仕事はもう予定にない。セレシュは早速外看板を消し、行動に移したのだった。
―――
――
―
オレンジがかった空と濃い藍色に染まった空を見つめながら、陽と共に手を繋いで商店街を歩いて回る。
見た事もない人の数に、見た事もない光景。元々人が好きで人になりたいと感じた陽にとって、そこは小さい子供がまるでテーマパークにでも訪れたかのような魅力的な世界らしい。陽の横顔を見つめながらセレシュが心の中で呟いた。
家を出る前に教えた事を、素直な陽はしっかりと守っていた。
一つは、もしもセレシュと知っている人と出会い、会話になったら挨拶をするぐらいで他にはあまり喋らないこと。
そしてもう一つは、手を放して勝手に何処かへ行かないこと。
初めて見る外の世界に興味を抱いた陽は、セレシュのその約束と、普段から教わっている能力を使わない約束を破るつもりはないらしく、セレシュのその言葉をコクコクと頷いて約束した。
そして今、その約束をしっかりと守って陽は目を輝かせながらセレシュの隣りを歩いている。
「セレシュお姉ちゃん、あれは?」
「靴屋さんやな」
「へぇー……。あ、あっちは?」
「時計屋さんや」
さっきから続くこのやり取りに、セレシュは小さく笑ってしまった。
本に書かれた事を真剣に勉強している陽だが、こうして目の当たりにする世界とではその感動も違う。
「陽、今晩何が食べたい?」
「え? んーと……」
陽が考え込む。
「うん、何でも良い」
「……陽、マナーの本読んどったけど、それの真似してるんちゃうやろな?」
「うっ……」
グサっと突き刺さったセレシュの言葉に動揺を隠せずに陽が俯いた。
「あんな、陽。マナーは他人同士や友達同士に使うもんや。うちと陽は家族やろ?」
「家族だったら、使わなくていいの?」
「親しき仲にも礼儀あり、って言うんやけどな。家族はそんなに気遣たらあかん。もっと思った事や感じた事をぶつけ合っていくんよ」
「思ったこと……?」
「せやから、もう一回聞くで。陽は何が食べたいん?」
セレシュの言葉を飲み込むように陽が俯いて考え込み、セレシュを見上げる。
「ハンバーグ……」
「ほな、それにしよか」
「……うん!」
――カロリー高いもん好きやなぁ……。男の子って感じやわ……。
セレシュの頭の中にそんな事が思い浮かぶ。
それと同時に、ふとある疑問が浮かび上がった。
―
――
―――
「ほら、出来たで」
「わー……。えっと、いただきます」
「はい、召し上がれ」
目の前に出てきたハンバーグに目を輝かせながら、陽が最近慣れてきた箸を使ってハンバーグを口に頬張る。口を膨らませながら、セレシュに向かって「おいしい」と告げた。関西弁で喋るセレシュとは違い、なかなか陽は関西弁に慣れないらしく、言葉がいちいち標準語に戻っているのがセレシュはなんだか可笑しく感じていた。
もぐもぐと口を動かす陽の身体を見つめて、セレシュが買い物の途中で考えていた事が脳裏を過った。
――しっかし、陽が食べた分の食事ってどうなるんやろう……。
セレシュが陽を見つめながら、昔の自分を思い出した。
―――。
「……セレシュ、お前太ったんちゃうか?」
「……。」
“おっちゃん”と暮らし始めた頃の事だった。
元々飲食不要な身体であるセレシュだったのだが、食事は大事な団欒の場だ、というおっちゃんの言葉から、食事に付き合うようになって少しした頃。
「……なぁ、セレ――」
「――うるさいうるさい!」
世間の常識を知らずとも、外の世界を知らなかったセレシュも女の子であり、“太った”などという言葉はNGワード直行コースなのは当たり前だった。しかし相手はデリカシーに欠ける“おっちゃん”。当然、その言葉にセレシュが過剰に反応するのは当たり前な事だと言える。
しかし、NGワードとは言え、当時のセレシュはその自覚を持っていなかった。食事をしない自分には無関係だったせいか、気が付けば時既に遅し、といった所だ。
ゴルゴーンであるセレシュが口にした食事。それらは非常時の魔力源として生体エネルギーとして蓄積される……。
有体に、かつ直球に言えば太るのだ。
基礎代謝などというモノとは無縁な存在であるゴルゴーンである以上、それはもう目に見えて効率的に蓄積されていた。
その結果、魔力を消費する事によって生まれてきて必要もなかったダイエットなどというものに散々な苦渋を舐めながら、セレシュはその体系を維持するようになった。
―――。
「――……ちゃん? セレシュお姉ちゃん」
自らの思い出したくもない黒歴史に、思わずセレシュが頭を抱えていたのだが、それを見ていた陽が心配そうな表情を浮かべてセレシュに声をかけている事に気付き、セレシュは現実に引き戻された。
「あ、あぁ。どないしたん?」
「んと、“かぎや”って、なに?」
「鍵屋かぁ。簡単に言うたら家とかの鍵穴と鍵を売ってて、取り付けてくれる所やな。まぁ開けられへん鍵を開けてくれるっていう事もあるみたいやな」
勿論ゴルゴーンであるセレシュにその後者の役目が必要か、と言われればそこにお世話になる事は今までにない仕事ではある。
「じゃあ靴屋さんは靴を作ってるの?」
「店の形態にもよるんやけど、なぁ。作ってるトコと売ってるトコが一緒なトコもあるにはあるんやけど、最近は売ってるだけやったりするからなぁ」
「別の場所で? どうして?」
「同じ種類の靴とかを多く作って売るっちゅーのが今の世の中のやり方やからな。手作りやなしに、機械を使ったりもしてたくさん作るみたいやな」
現代で手作りの靴屋、というのも確かに珍しいな、とセレシュは陽に説明しながらも改めて実感していた。
「それにしても、陽。そういうのやってみたいって思っとったんか?」
「え? うーん……」
言われて初めて気付いたらしい。セレシュの問いかけに陽が腕を組んで考え込んだ。
「わかんない……。でも、興味はある……」
「知的探究心ってヤツやな」
「セレシュお姉ちゃんは?」
「へ?」
「いつも研究したりなにか作ったり。何でやってみたいって思ったの?」
――……ダイエット目的で魔力消費する為に手伝った結果なんて言えるかー!
セレシュが心の中で悲痛な叫び声をあげて、小さくため息を吐いた。
思えば、それがそもそものきっかけとなって魔具や神具の研究。つまる所、幻装学(幻想装具学)の研究を始めたのだ。
――そう考えると、人生どう転ぶもんかっちゅーのは解らんモンやなぁ……。
とは思ったが、答えを目の前で待っている陽にそれを言ってもまだ解らないだろう。
「うちは興味を持ったから、やな」
結果として大人は子供に小さな嘘をついた。
「興味?」
「せや。うちがやりたいなぁって思ったからやっとる。単純にそれやろうな」
うんうん、と自分に言い聞かせるように頷くセレシュ。
「……ぼくも、そういうの見つかるのかな?」
自信さなそうに陽が俯き、ハンバーグを食べる手が止まってから呟いた。セレシュは小さく笑って向かい合って座る陽の頭を撫でると、陽がそのままセレシュを見上げた。
「陽が何をしたいかはこれからゆっくり考えていき」
「これから?」
「そうや。焦らんと、自分で選べばえぇんよ。間違ったって時間かかったって、何も心配することない」
「……うん!」
陽の顔に笑顔が戻り、再びハンバーグを食べて幸せそうな姿をしている陽を見つめて、セレシュは微笑んでいた。
食卓を囲んだ団欒が大事だという、おっちゃんの言葉もやっぱり解る。
セレシュはそんな事を実感した。
その後も続く食事の穏やかな時間だったのだが、セレシュの“陽の食事エネルギーの行方は何処にいくのか”という疑問はまだ解らないままだ……――。
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いつもご依頼有難う御座います、白神 怜司です。
確かに食事不要で代謝がなければ、それはもう食べた分、
すぐ太りますよね……。
そんなリスキーな食事はご遠慮したいですねw
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後とも是非とも宜しくお願い致します。
白神 怜司
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