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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


付喪神






 陽がここに来て既に結構な時間が経った。不安定な魔力の濃度を扱う技術。そして、人間として生きる為の常識については相応に身についている事はセレシュも理解している。親心というもので、セレシュはそろそろ陽には新しい体験をいくつかさせてやりたいとも考えながら鍼灸院の客を見送って一人考えこむ。
 そんな折、セレシュの携帯電話が着信かメールの有無を知らせるように静かに光を点滅させていた。

「ん、何やろ……?」

 慣れた手つきで携帯電話を手に取って内容を確認する。仕事の依頼だ。
 とは言っても、この鍼灸院の仕事ではない。メールの送り主はちょっと変わった場所にちょっと変わった店を構えているオーナー、碧摩・蓮(へきま・れん)だ。

『件名:面白いモノ
 本文:鑑定を頼みたい』

 随分と久しぶりに見た無愛想なメールはいつもの事だ。彼女はそこまで愛想を振りまくタイプでもなく、どちらかと言えば妖艶で物怖じも動じもしないタイプ。確固たる自分を確立しているタイプだという事はセレシュもじゅうぶんに理解している。
 鑑定、という言葉からセレシュは陽と初めて出会った日を思い出した。

「……外に連れて行く理由にもなるし、付喪神が憑いとるんやったら陽にとってもうち以外の人とも話す良い機会やな」

 思い立ったが吉日、とはよく言ったものだ。もう間もなく太陽は傾き、その色を朱色に染め上げる頃合い、十五時だ。予約は落ち着いているが、突然の客が来るケースもある。とりあえずあと一時間半程待って、それでも変化がないようなら陽を連れて出ようとセレシュは時計を見つめた後で一人静かに頷いた。



「――電車?」
「せや。電車に乗ってこれから出かけるんや」

 セレシュが陽のいる地下の研究部屋に訪れ、陽にあらかたの説明をした。陽はセレシュの言葉を聞くなり、パラパラと近くにあった本を開いてセレシュに見せた。電車が写真で載っているページを見せて小首を傾げた陽に、セレシュはそうだと頷いて答えた。途端に陽が目を輝かせる。

「すごい!」
「すごいって、まだ電車も見てへんのに……。外に出る時の約束は憶えてる?」
「うん。ちゃんと憶えてる」
「夕方はラッシュアワーやから、それなりに混んでるかもしれへん。しっかりうちの手握って歩くんよ?」
「うん!」

 楽しみが心を支配している、といった所だろうか。陽が何処か楽しげに強く頷いて答えた。


 ――鍼灸院から出て商店街を抜ける。それだけでも行き交う人々に心を踊らせている陽なのだが、駅に向かうに連れて握った手には力が入り、目を輝かせる。その反面、これから自分もこの人混みを歩く事になるのか、と少し緊張した面持ちだ。セレシュはそんな陽を見つめて小さく微笑った。
 セレシュから見れば、陽の反応は実に初々しい。セレシュ自身が社会に慣れる頃は人混みなど辟易とした。それは成熟し、何年何百年という歳月を生きていたセレシュとの感動のベクトルが違うからだ。対する陽は全てが新鮮で、新しい環境だ。
 手を引いて改札から券売機へと向かうセレシュの後をついて歩きながら、陽は行き交う人々を見上げて口を開けている。

 電車に乗るまでの道のりは順風満帆だ。自動改札の事を説明しながら歩いていたセレシュだったが、陽はそのタイミングがまだ掴めず、切符を入れてから小走りでセレシュに駆け寄った。慌てて排出口から出ている切符を取り忘れ、後続の若い女性に切符を手渡された。陽は「ありがとうございます」と深々と頭を下げてお礼を告げ、その女性に「偉いね」と褒められて何処か嬉しそうに顔を赤くした。
 駅の改札を抜けて電車の来るホームを見つめる。立ち並ぶ人々を見つめながらセレシュの手をクイっと引っ張ってセレシュを呼んだ。

「セレシュお姉ちゃん。あれ」
「あぁ、電車の出入り口はだいたい決まってるんよ。みんなああして並んで電車を待つんよ」
「へぇー……」

 感嘆にも近い声を漏らしながら周りを見つめて陽がセレシュの言葉を聞いた。
 初めて電車に乗る陽に、少しでも余裕のある車両に乗せてやろう、とセレシュは電車の最後尾の乗り口まで陽を引っ張った。途中、電車に乗る時は降りる人を優先して、降りる人がいなくなったら乗る事や、電車の中では大声で喋らない事など、基本的な事を説明していく。陽はそんなセレシュの説明に耳を傾けていたのだが、反対車線の電車の到着に思わず見入ってしまう。仕方ない、とセレシュは呆れながら笑い、自分達の乗る電車を待つ。
 電車が到着したのはその二分後だ。陽はセレシュと一緒に手を繋いで降りる人を待つ。基本的には賢く真面目な性格をしている陽なので、セレシュの言いつけはしっかりと守っていた。降りる人々がいなくなった、と判断したセレシュが陽を連れて電車の中へと歩く。
 電車の中央部とは違い、人がまばらな最後尾を選んだセレシュの勘は正しかった。席は多少空いているのだが、陽は大人しく座る事もせずに電車の中の光景と、車窓から見える流れるような景色に心を奪われていた。はしゃいではいけない、と指示された事が功を奏したのか、陽は度々セレシュの手を引っ張り、耳を寄せたセレシュに小さな声で見える景色について語ってきた。その姿を見ていた他の乗客も、その陽とセレシュの姿に小さく微笑んだ。







―――
――







 ドアに取り付けられた少し古びた鈴が、セレシュと陽の入店を鈍った音を奏でて店内に知らせた。何処か懐かしそうに陽が周囲を見回した。

「いらっしゃい……って、何だい、そのちんちくりんのは?」
「ちんちくりんて……。姐さんの手鏡から出て来た、陽。陽、自己紹介」
「はじめまして、陽です」
「ん、蓮だよ。そうかい、誰かと思えばあの時の……」

 小さく笑って蓮が陽に向かって呟いた。
 セレシュが蓮に手鏡の後々の経緯――つまりは陽の誕生について詳しく蓮に説明をする。不思議な道具ばかりを集める蓮にとって、この出会いはなかなかに興味深い話だったらしく、何処か楽しそうにセレシュの話を聞いていた。

「陽、これからうちは蓮さんと仕事の話をせなあかんから、妖気の制御をしっかりする事。それと、店にあるものに勝手に触らない事。わかった?」
「うん」

 早速蓮から送られたメールの元となっている魔具の話を聞きにいくセレシュ。その横で、陽は周囲の道具達に憑いた付喪神からの声を聞いていた。

『ほう、人化したのか?』

 不意に陽を見つめた金色の簪《かんざし》。その上に腰をかけた小さな翁が陽に向かって声をかけた。老人の男性のような声が陽に届き、陽は「うん」と頷いて簪に向かって歩み寄った。

『ほっほっ、そういう生き方も悪くなかったかもしれぬのう』
「人化しないの?」
『出来ぬ事ではないのじゃが、ワシは色々な人々の暮らしに触れてきた。今更人化しようとは思わぬ。人間の暮らしには興味はないからのう』
「そうなんだ……。楽しいよ?」
『ほっほっ、それなら良いんじゃよ。我々は宿り者。自由に生きる事は確かに魅力的じゃからのぅ。しかし、人間の世界とは時に残酷じゃ。ワシはその世界に身を投じようとは思わん……』
「でも、セレシュお姉ちゃんは優しいよ?」
『なに、心配するでない。色々な世界を見て、色々な事を知れ。ヒトではないワシやおぬしらの時は長い』
「うん……」
『ほれ、何やら向こうで困っておるようじゃぞ?』
「……うん、またね」

 
 陽がセレシュの元に歩み寄ると、セレシュと蓮が挟み合うテーブルの上に小さく、まるでルーブックキューブのように線の入った四角い箱が置かれている。

「これほんまに開くんですか?」
「そういう話だけどねぇ。絡繰箱ってヤツは仕掛けが拘ってるからねぇ」

 んー、と唸りながら絡繰箱を見つめたセレシュと蓮。その横から陽が絡繰箱の乗ったテーブルの上に顔を覗かせた。

『出して……。仕掛けは――』
「……セレシュお姉ちゃん」
「ん? どないしたん?」
「付喪神が開け方教えてくれるって。開けて良い?」

 セレシュが思わず蓮と顔を見合わせた。蓮が良いだろう、と頷き、絡繰箱を陽に渡す。

「壊さへんようにな」
「うん。あと、細くて硬い針が必要って」
「これで良いかい?」

 陽の言葉に蓮が机の引き出しから取り出した刺繍針を手渡した。陽はその針を絡繰箱の側面にあった小さく丸い穴に突き刺す。その穴はそれぞれを区切る四角い溝と繋がっていて、その状態で陽が針を横に動かしながら滑らせる。

「へぇ……、こいつは驚いた……」

 蓮が思わず声を漏らす。付喪神に誘導されながら陽が針を走らせていくと、時折手に伝わるカチっとした感触が走る。

「姐さん、これ……」
「あぁ。中に入っている錠を順番に針を走らせないと解錠出来ない仕掛けだね。迷路みたいに道を走らせるなんて、作った本人や開け方を書いたメモでもない限り、まずは開けられなかっただろうね」

 陽が驚く二人の傍でついに針を一周させ、再び最初に針穴に戻した。そして少しだけ深く差し込むと、手の上でカシャっと音を立てていくつかの面が上に横にと外へと向かって飛び出した。陽がその上部を引っ張り上げると、ようやく箱の中に入った綺麗な翠色に輝く宝石を装飾した指輪が出てきた。

『ありがとう』
「ううん」

 付喪神からお礼を言われた陽がそう言って机の上に絡繰箱を置く。

「すごいやん、陽!」
「まったくだ。セレシュよりも役に立つね」
「ひど! うちはこれからが見せ場なんですー!」

 ふざけ合いながらも、セレシュは陽の頭をしっかりと撫でる。ありがとう、と蓮にも笑顔を向けられた陽は、感謝される事に若干の恥ずかしさを感じながら小さくはにかんだ。





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ご依頼ありがとう御座います、白神 怜司です。

今回は陽くんとセレシュさんの物語でしたが、
初めての電車に乗っての遠出だったり
セレシュさんと蓮の役に立てた陽クンにとっては
非常に貴重な時間を過ごせたと思います。

お楽しみ頂ければ幸いです。

それでは、今後とも宜しくお願い致します。

白神 怜司