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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


兄と妹






「はぁ、はぁ……」

 身体の中を蝕む異質な力と、理性を打ち壊すような破壊衝動に駆られながら翼は一人、孤独な自分の世界の中で息を切らせていた。
 このままでは、きっと身体は保たないだろう。翼の頭にそんな考えが過る事は必然であった。

 実際に自分が何をして、誰と戦っているかという認識は既に翼にはない。虚無との戦いの中、兄である潤の血を口にした瞬間から、最悪のパターン――つまりは自分の死を引換にしてでも、潤を守ろうと決意していた。

「……長かった時が、もうすぐ終わるというのか……」

 生きる事に執着するつもりはない。
 長い長い年月を生き抜いてきた翼は、生き続ける苦しみというものも知っている。大切な人や友情を誓った友もやがては老いて息を引き取る。
 何年も前に知り合ったというのに、自分は何も見た目も変わる事はない。だからこそ、数年程度の付き合いからは顔を見せなくなる事も多い。

 そういう点で、栄華の道を極めるレーサーという仕事はある意味都合が良い。何年かやった後で適当な理由をつけて引退するのもまた一興かとも思えるからだ。

 心の檻。壁も鉄柵も存在しない檻の中で、翼はもがきながらも間もなく訪れるであろう死を受け入れようとすらしていた。

「――まったく、いつまでこんな所で遊ぶつもりだ?」
「――ッ!」

 不意に声をかけられた翼が振り返ると、そこには潤の姿があった。
 ついに自分は死期を悟ったのか、と感じながら翼は小さく笑った。

「兄さんの幻覚を視るなんて、ね。僕にもまだ未練があるのかな」
「せっかくこうして入ってきたのに、幻覚として片付けられては困るんだがな」
「……?」

 幻覚にしてはずいぶんとリアルな反応だな、と翼は少し困惑した表情を浮かべて潤を見つめた。その事に気付いた潤が小さく笑って翼の頭に手を置いた。

「まさかお前の心の中に入り込む魔法を使う事になるなんて思わなかったぞ。何百年という時間を生きてきて、初めての体験だ」
「ま、まさか……、本物の……?」

 翼の問いに、潤はそうだ、と答えて頷いた。嬉しさ反面、自分の中に入って来られた事に何と言って良いのかが分からずに翼が押し黙った。






 ――現実の世界で起こっている事を潤が翼に説明した。
 予想していたとは言え、既に虚無を封印し、先程まで潤と戦っていた事。それにオフィーリアと武彦とまで戦う事になっていたとは。そんな事を思いながら翼は静かに話を聞いていた。

「翼、このままじゃお前の身体はもう保たない」
「でも、どうしようもない。兄さんの血を吸ってから、この身体は僕の心も何もないまま動き続けてるんだ……」
「……生きる事が辛いか?」
「えっ……?」

 不意に潤が尋ねた言葉に、翼は動揺した。
 潤は感じていた。かつての自分と同じように、翼も生きる事が辛いと感じている事もあるのだろうと。そして、だからこそ生きる事への執着は薄れていく。
 今回の戦いでそもそも潤の血を口にした時から、翼が死を覚悟していただろう事は潤も理解していた。ただそれを、認めたくはなかった。
 だからこそ、今こうして翼の前で口にしたのだった。

「……兄さんは、生きる事が楽しい?」
「さぁな……。だが、死んでしまっては何もかもがなくなる。それは寂しいとは思う」
「……兄さんらしい、ね」
「だが、お前の為に死ぬ事なら厭わない」
「――ッ!?」
「俺にとっての大切な妹だ。俺より先に死ぬなんて事は許す気にはなれないな」
「……兄……さん」
「幾百年という月日を生きてきたお前にも俺にも、今の繋がりはある。どんな形であれ、それを築いてきた自分を蔑ろにする事が、お前の望みか?」

 潤の言葉に翼は静かに考えこむように目を閉じて、ゆっくりと目を開けてから首を横に振った。
 翼の決意が固まった。

 潤は改めて、翼の中に来た経緯をゆっくりと口にした。

「お前の身体は今、俺の血という異物――つまりは毒によって蝕まれていると考えるのが妥当だろう」
「もし毒として考えるのなら、その血を消し去る事が目的になる、って事?」
「いや、俺の血は既にお前の身体に染み渡ってしまっている。今から取り除く、というのは恐らく難しいだろう」
「手詰まりかもしれないって事、かな……」
「それは違う」

 暗い表情を浮かべて呟いた翼に向かって潤があっさりと否定した。

「そもそも、お前の身体に入った俺の血はもう取り除く事は出来ない。だとすれば、お前の身体そのものが変わりさえすれば良い」
「変わる……?」
「そうだ。これからお前にここで俺の力を渡して俺の血による侵食に耐える。お前の身体が耐えさえすれば、俺の突然変異による血を抑える抗体を作れると思う」

 潤の考えはこうだ。
 翼の身体は、少なからず自分と同じ血も通っている。だとすれば、潤の力に耐えられるだけの素養がない訳ではないだろう、と。
 現状において潤の血に対する抗体がない状態だからこそ、身体は蝕まれて壊れていく。潤の力によって抗体が出来るまで耐えられるのであれば、その潤の仮説が実証される可能性もある。
 つまり、これは賭けだった。

「……やってみよう」
「やれるか?」
「やれるさ。せっかく兄さんが来て力を貸してくれるんだ。このまま何もしないで死ぬなんて訳にはいかないだろうしね」

 翼がクスっと小さく笑った。
 今までの翼と同じその表情に、潤も少し安堵した。
 早速、潤が翼の身体の触れる。潤の身体に眠っている力を徐々に翼のその精神に直接流し込み、身体に送り込む。本来の肉体から肉体へと送り込もうとすれば、その力は反発しあう場合も多い。
 精密な魔力の操作が必要だが、潤も翼も目を閉じてそれを行う。二人の才能がもしも偽物なら、この方法はまずうまくいかない。
 それに成功している二人の才能がそれを実証する形となった。


 潤の予想とは違ったが、この賭けにはしっかりとした成功の理由があった。

 長い年月を欠けて造り出された翼という存在は、本来突然変異によって生まれた潤の血にも適合するだけの資質を携えていたという事だ。
 それを潤も翼も知る事はなかったが、結果として今回の潤の着目した、抗体という考えは偶然とは言え最善の手だった。

 長い長い、ただ耐えるだけの時間は、これまで何百年という時間を生きてきた翼にとっても潤にとっても、今までに過ごした事がない程の長さを感じさせた。
 時折翼の身体を走る潤の血という名の毒により痛みを伴い、翼の顔が苦痛に歪む。意識が徐々に深層心理の中から外へと浮かび上がっていく。




 ――耐える時間が数十分。間もなく一時間を過ぎるだろうという所で、武彦とオフィーリアは潤が入り込んでから動かなくなっていた翼の変化に気付いた。
 黒く染まった髪が根本から徐々に鮮やかな金色に戻っていく。
 そしてゆっくりと目をあけた翼の目が、吸い込まれるような鮮やかな青い瞳に変わっている。

 潤の作戦は成功したのだった。





to be countinued...




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ご依頼ありがとうございます、白神 怜司です。

今回は潤さんの話から翼さんの話へと続く、
虚無の境界編の終盤ストーリーです。

翼さん自身が生き抜こうと執着するか否か、
そこが個人的に気になったので描写させていただきました。

お楽しみ頂ければ幸いです。

それでは、今後ともよろしくお願い致します。

白神 怜司