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<東京怪談ノベル(シングル)>


祝福のサバト


 直立した象が、太い両手と長い鼻でギターをかき鳴らしている。
 人間大の蛸が、8本の触手それぞれにスティックを持ち、ドラムやシンバルを乱打している。
 巨大な百足が、無数の節足でキーボードを弾いている。
 歌っているのは、際どい衣装を身にまとった6本腕の美女だ。3つの手にマイクを握り、他3本の細腕を妖しく揺らめかせている。豊かな金髪からは3つの顔面が現れ、それぞれが違う歌詞を絶叫しているが、不思議に1つの歌として成立しているようだった。
 何を歌っているのかは、わからない。日本語でも英語でもない。恐らく、人間の言語ですらない。
 退廃的な内容の歌詞であるのは、間違いないだろう。
 魔界か、地獄か。とにかくそういった類の場所から召喚された、人ならざる楽団。
 彼ら彼女らが奏でる退廃的音楽に合わせて、百人以上もの魔女たちが踊り狂っていた。
 月が、ミラーボールの如く輝いている。
 赤、青、緑、紫……様々な色の篝火が無数、燃え盛っている。
 気が付いたら、松本太一は、こんな場所にいた。
(あ、あの……ここは一体、どこなのでしょうか)
 太一はその疑問を、口には出さなかった。うっかり何か言葉を発すると、全て若い娘の声になってしまうからだ。自分の口から女の子の声が出て、それが頭蓋骨に反響する。この感覚には、まだ慣れない。
 そもそも自分が女であるという感覚そのものに、太一はまだ慣れる事が出来ない。慣れてしまっては終わりだ、という気はするのだが。
 慣れていようがいまいが、今の松本太一は、48歳の痩せさらばえた中年男ではない。
 むっちりと膨らみ締まった美脚を薄紫のストッキングに包んだ、美女である。
 豊満な胸を黒のインナーと紫色のドレスに閉じ込めた、若い娘である。
 艶やかな黒髪に真紅の髪飾りを咲かせた、美しい魔女なのである。
 瑞々しく若返った頬に、かぁっと初々しい赤みが昇ってゆくのを、太一は止められなかった。
「これって、あの……女装、みたいなものではないのでしょうか……」
 うら若い乙女の声を、出してしまった。女装。48歳の男に、許される行いではない。
 頭の中から、女悪魔の声が聞こえた。
(何を言っているの。今のあなたは女……どこへ出しても恥ずかしくない、立派な魔女なのよ)
「ううっ……どこへ出ても、恥ずかしいです……」
 この女悪魔と一体化する事で、太一は魔女となった。
 周りを見回してみる。踊り狂っているのも、酒杯を片手に談笑しているのも、みな魔女である。女性である。だが太一のように、元は男であったという者も、もしかしたらいるのかも知れない。
 新春の、魔女の夜会である。いわゆるサバト、のようなものであるらしい。
 魔女に成った以上、顔を出さなければならない。女悪魔のその言葉に従って太一は今、こんな所にいる。どうやって来たのかは皆目わからない。気が付いたら居た、としか言いようがない。
 異界、という言葉を太一はぼんやりと思い出していた。
 都市伝説のようなものである。人間1人1人が所有する異世界。そういうものがあるという噂を太一は、しがない会社員であった頃に、何度か耳にした事があった。
 そんなものが本当にあって、そこに逃げ込む事が出来たら、どんなに幸せであるか。あの頃は、そういう事ばかリ考えていたような気がする。
 その願いが、もしかしたら叶ってしまったのであろうか。そんな事を思いながら、見回してみる。
 様々な楽器を巧みに扱う魔物たち。妖しく歌い踊る、三面六臂の歌姫。
 禍々しい歌曲に合わせて、魔女たちが肢体を揺らし、髪を乱し、香水の匂いを振りまいて踊りうねる。
 色とりどりの篝火に照らし出されたその光景に、太一は見入っていた。
 まさしく、異世界だ。これまで自分があくせく過ごしてきた環境とは、全く異なる世界なのだ。
(これが、魔女になるという事よ)
 女悪魔が言った。
(おどおどするのは、おやめなさいな。新米だと思われてしまうわよ?)
「……実際、その通りじゃないですか」
 頭の中にしか会話相手がいなかった太一に、何人かの魔女が声をかけてきた。
「そこのあなた、新米さん?」
「うふふ、可愛らしくおどおどしちゃってぇ。ま、この雰囲気。最初は面食らっちゃうわよねえ」
「そのうち慣れるからさ。ま、一杯やんなよ」
 美しい、だが若いかどうかはわからない、年齢不詳の魔女たちである。
 女性は、とにかく化けるものだ。魔女ともなれば、百歳くらいは平気でごまかしてしまうに違いない。
(ほら、初心者扱いされちゃったじゃないのっ)
「だから実際、初心者なんですってば……すみません、いただきます」
 差し出されたグラスを受け取り、唇を触れ、傾けてみる。
 美味いのか不味いのか、それすら定かではない味が、口中に、そして喉に、流れ込んで来た。
 目眩がした。よろめいた身体を、魔女の1人が支えてくれた。
「ほらあ、新米さんにはキツいって」
「あっははは。口当たりはアレだけど、そのうち癖になってくるから」
 接待の場で、取引先の相手に半ば無理矢理、酒を勧められている。あれと似た感じの気分である。
 あれと違うのは、この場の空気。
 耳から脳に染み入って来る、禍々しくも甘美な音楽。きらびやかな、様々な色の篝火。その明かりの中で踊り狂う魔女たちの、艶やかな肢体。微風のように漂う、甘く濃密な香気。
 ひたすら針の筵であった接待の席とは違う、邪悪なほどに甘美な空気が、太一の心を麻痺させてゆく。
 冴えないサラリーマンであった松本太一の、暗く苦しいだけの記憶を、溶かしてゆく。
「ふう……久しぶりだから、つい効いちゃったわよ……このお酒」
 女悪魔が、太一から発声権を奪い取り、言った。魔女たちが、怪訝そうな顔をする。
「あら、新米さんなのに飲んだ事あるの? これ……」
「ちょっと待って。この魔女さん、どっかで見た事あるような」
「あなた、ひょっとして……じゃない?」
 魔女の1人が、女悪魔の名前を口にした。人間の耳では聞き取れない、人間の口では発音出来ない名前である。
「やっぱりそう! ひっさしぶりぃ〜、全然わかんなかったよぉ」
「ふふっ、化けたものでしょう」
 かつて松本太一であった魔女の身体を、女悪魔はくるりと軽やかに回転させた。豊満でありながらも引き締まった肢体に、長い黒髪がフワリとまとわりつく。
 魔女たちの羨望の眼差しを、太一は感じた。
「素敵……こんな素敵な魔女になれるなんて、よっぽど相性のいい人間ちゃんを見つけたのねえ」
「見ての通り、ちょっとお酒は弱いけれど……ね」
 女悪魔に会話を任せながら、太一は心の中で、陶然と呟いていた。
(素敵……私が……?)
 素敵だなどと言われた事は1度もない。蔑まれ、罵倒されるだけの48年間だった。
 それが今、ゆっくりと溶けてゆく。
 蕩ける心地に陥ってゆく太一に構わず、魔女たちは楽しげに会話を続けた。
「私はこんな魔女になれたけど、あなたたちは最近どう?」
「もー最悪。結局ほら、2012年も人類滅びなかったじゃない?」
「いろいろ準備してたのにさぁ、全部無駄になっちゃったよ。責任者、出て来ぉーい!」
「あんたたち、1999年の時も同じ事言ってたじゃんよ」
「人間どもはしぶといからねえ。もう2、30世紀は保つね、こりゃ」
「あたしらも踊ろうよ、人間どもへの祝福と呪いを込めて!」
 魔女の1人が、太一の手を引いた。
 女性と踊った事など無論ない。が、今宵は最高の踊りが出来そうだ。
 ぼんやりと、太一はそんな事を思っていた。