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シャンパンの泡の様に
「――へぇ、それは大変だったわね、フェイト?」
「いやー、そうなんだよ。ブザーが――じゃなくて、ヨーハンがコートを貸してくれなかったら今頃冷凍フェイトの出来上がり、って――」
「――凍ってたら砕いてあげたのに」
「はい、反省してます。ごめんなさい」
指示室へと訪れたフェイトと、そのサポートに入っていたエルアナのやり取りを見て、メイはなんだかホッとしていた。
メイにとって、今回のエルアナとフェイトの行動は、理解が追いつかないレベルでの仕事ぶりだ。
能力を使わずして敵を鎮圧する実力と、更にそれを上回る圧倒的なまでの能力。
そんなエージェントを導くエルアナの対処の早さと絆の深さ。
エルアナとフェイト。この二人はメイにとっては崇めるに相応しい程の高い場所にいる二人。最高のチーム。
そこにいつかは自分も加わりたい、と願うのは彼女の真面目さ故なのか、はたまた魅了されてしまった所為なのか。
それは、メイには解るはずもない。
指示室に戻ってからのフェイトは地面に正座し、何度もエルアナに叱咤されている。その度に謝っている姿は、まるで姉弟の様にしか見えない。
周辺にいる男共と言えば、エルアナに“怒られる”という感情を向けられるだけでも嫉妬の対象に成り得たりもするのだが、フェイトがそんな事を知る訳はない。
「機材を壊して、冬のイーストリバーにダイブするなんて。あの機材高いのよ?」
「う……、それは、知ってます……」
「いきなり通信が切れるから、てっきり何かあったのかと思ったわよ……」
「え?」
「何でもないわ。それより、風邪引くかもしれないし、能力の使役が激しかったんだから、ちゃんと医務室で看てもらいなさい」
「いや、俺は――」
「――これはサポーターとしての命令です、エージェント・フェイト。能力値の変化は数字にして確認する事。自分の勘や感覚なんてアテにならないわ」
「う……、はーい」
仕方ない、と言わんばかりにフェイトが返事をして医務室に向かって歩き出す。
「はぁ……。まったく」
「お疲れ様です、エルアナさん。でも、フェイトさん大丈夫だったんじゃ?」
眼鏡を外したエルアナに、メイが声をかける。
「……ダメよ。フェイトは自分の事を蔑ろにする癖があるの。私がしっかりと注意しないと、また同じ事を繰り返すわ。今回は良かったけど、次は? その次は? いつも大丈夫だって保証、何処にもないわ……」
エルアナの言葉に、思わずメイは絶句した。
サポーターの役割として、エージェントの身体能力や体調を管理するのは確かに珍しい事ではない。しかし、そこまでプライベートに足を踏み入れる様な真似を、他の誰ではなく、エルアナがそれをしていると言うのだ。
今までにエルアナが組んだパートナーは、大体が恋沙汰を迫って解消。
エルアナはそれが嫌で、誰に対しても仕事の面以外には接することを嫌うというのは、有名な話なのだ。
だからこその絶句である。
メイが見たエルアナの横顔は、どこまでも優しく、包み込む様な美しい笑み。それは他の誰でもなく、間違いなくフェイトに向けられたものだ。
「……じゃあ、今日は有難う御座いました」
「えぇ。お疲れ様」
「ちゃんとお店、調べておきますね」
「お願いするわね」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――以上が、今回の件の報告となります」
『ふむ、ご苦労』
電話越しに聞こえる相手の声に、ジャッシュはピクっと眉間に皺を寄せた。
今回の一件、バクを泳がせて捕まえたのは確かに『フェアリーダンス』の密売だ。予定通り、とも言える。
しかし、問題はヴィクターの方ではないか。
ジャッシュはその事を示唆した上で報告したと言うのに、それに対する答えは電話の向こうからは何も聞こえて来ない。
『……ジャッシュ』
「はっ」
『今回の件については、お前に言える事と言えない事が多すぎる。そう苛立つな』
「……いえ、その様な事は……」
『まったく、棘が抜けていないのは相変わらず、だな』
電話越しの声――ジャッシュのかつての上司は小さく笑った。
こんな時にまで新人時代の話を出す先輩。そんなものは勘弁してもらいたいんだが、とジャッシュは受話器越しにはバレない様にため息を密かに漏らした。
『さて、お前の子飼いのフェイトだったか。日本に帰りたいそうじゃないか』
「えぇ。ですが、やはり彼は……――」
『――これは独り言なのだがな、ジャッシュ。どうにも日本のディテクターが、能力者を生み出すクスリの存在を追っているという噂が流れている』
ジャッシュはその言葉に、再び眉間に皺を寄せる。
日本のディテクター、草間 武彦。フェイトと繋がりがあるとされ、IO2に推薦した一人だという話は、ジャッシュの耳にも届いている。
『それを追っているディテクターに恩を売ってやっても良い、とは思うんだが、さてはて困った事に、ディテクターは日本のIO2支部出身で、それも私とは一切関係がないのでなぁ』
それはつまり、「フェイトをディテクターに“こちらから”貸し与える」という話にしたい、というものだ。
ジャッシュはその意味を理解した上で、口火を切った。
「そうですか。さすが、上層部の方は色々大変そうですね。とりあえず私は、彼との“約束の為”に日本への帰還を認めます。もちろん、短期になってしまうとは思いますが、ね」
『おぉ、そうか。いや、すまないな。“独り言”を聞かせてしまって』
「いえいえ。私には“理解が及びません”が、聞くだけならいつでもどうぞ」
『あぁ、判った。それでは、後は頼んだ』
「はい」
電話を切ったジャッシュは小さくため息を漏らした。
「……ご機嫌取りをしなくちゃいけないなんて、馬鹿馬鹿しい」
ネクタイをグッと緩め、小さく舌打ちしたジャッシュの中には苦々しい想いだけが残っていた。
元祖、ディテクター。IO2を抜けた男が、IO2に未だ関わっている事も解せないが、上層部がフェイトを駒として使おうとしているのであれば、それはもっと許し難い、というのが本心だ。
ジャッシュの視線は虚空を射止め、眉間に皺を寄せる。
「フェイト、お前が思っている以上に、お前はつくづくトラブルに巻き込まれる星の下に生まれているらしいな……」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日、フェイトはエルアナとの約束を果たすべく、待ち合わせしていた店へと先に訪れた。
フェイトの姿は、いつもより派手めなスーツだ。
以前デートと称して出かけた際にパーカーとジーンズというラフな格好をしていたフェイトは、エルアナを怒らせ、デートの前に服を買わされるという事件があったからこその教訓だ。
「おまたせ」
周囲の視線を一身に浴びた、髪を髪留めで留めずに下ろし、赤いドレスを身に纏い、その上から黒いロングコートを着たエルアナが姿を現した。
胸元の深く空いたドレスに、フェイトが思わず視線を泳がせるが、エルアナはフェイトの服装を見て頷いてみせる。
「今日の服装は悪くないわね」
「エルアナが選んだ服だからだろ?」
「あら、そうだったかしら?」
エルアナがフェイトの腕に抱きつき、店の中へと入る。
そこはそれなりに人気を博しているスシバー、『琥珀』。予約がないと入れないと言われるその店の中は、身なりをキチッと整えた人達が多い。
ウェイターが二人の前へと歩み寄る。
「ご予約のお名前は?」
「エルアナ・リステーよ」
「リステー夫妻様ですね。確認が取れました。どうぞ」
「ぶっ」
「あら、どうしたの?」
「どうしたの、って……おわ――!」
「――いきましょ」
エルアナの悪戯か、はたまたメイの気遣いか。それをフェイトは知る由もない。
スシバーと聞いて、フェイトはメニューを見つめてホッと肩を撫で下ろした。と言うのも、フェイトは基本的に生魚がダメなのだ。
しかしそこはアメリカの店。日本では“外道”ともされるカリフォルニアロールやら生春巻きを巻き寿司として出している辺り、勇太でも食事は無駄になりそうにはない。
仕事の成功を祝う形となった二人は早速、エルアナの勧めでシャンパンを頼んだ。
軽快な音を立てて開けられたシャンパン。注がれたシャンパンソーサーを手に二人はグラスを軽く持ち上げた。
「仕事の成功に」
「乾杯」
早速二人はシャンパンに口をつけた。飲みやすいジュースの様な味わいに、フェイトも珍しく苦い顔をせずに料理を口に運ぶ。
食事中の会話は至ってシンプルなものだ。仕事の話は外では出来ない為、テレビの話題であったり、エルアナの学生時代の話であったり。それこそ、まるでカップルの様に会話を楽しんでいた。
空腹も満たされ、酒が回ってきたフェイトが顔をいつもより上気させて口を開いた。
「やっと日本に帰れるんだ〜」
「日本に?」
エルアナはそれを知らなかったのだ。フェイトは特に気にせずに、ジャッシュに告げられた内容を思い出す。
「日本のIO2で少し勉強する事になったから、一時的にね。でも、しばらくは向こうで動く事になるだろうって」
「……そう」
「草間さん達元気かなぁー……。凛とか百合とか、あぁ、あと萌もか……」
「……ちょっとフェイト? それ、女の名前よね?」
「へ? あぁ、うん」
デート中に他の女の話をする事がタブーだという事など、フェイトに解るはずもなく、酒に酔っている事も相成って、エルアナの肩が震えている事などフェイトは知る由もない。
「まったく、しょうがないわね。ちょっと失礼するわね」
「トイレ?」
「聞かないの」
フェイトの額を指で押してエルアナがトイレに向かって歩いて行く。
携帯電話を取り出し、トイレに入ったエルアナはポチポチと携帯電話を操作し始めた。
宛先は、ジャッシュだ。
「――……フフフ、これで良いわ」
席に戻ったエルアナがフェイトを見ると、フェイトはエビフライを頼んでそれを嬉しそうに頬張っていた。
「えうああおひゃえう?(エルアナも食べる?)」
「頂こうかしらね」
椅子に座ったエルアナも、フェイトと同じくエビフライをフォークで刺し、口に運ぶ。
「フェイト」
「んぁ?」
「日本って、良い所?」
「あぁー、うん。良いトコだよ」
「そう。それは楽しみね」
クスっと笑みを浮かべたエルアナの言葉に、フェイトは盛大な勘違いをして受け止めるのであった。
「あぁ。楽しみだなー」
エルアナの笑みの眼光が鋭く光っている事など、フェイトが知る由もなかった。
to be countinued...
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