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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


事件はいつも気まぐれに






 ジョン・F・ケネディ国際空港を飛び立ち、白い雲海とその眼下に広がる広大な大地を見つめながら、フェイトは静かに深呼吸をして気持ちを落ち着かせようと試みるも、じわじわと実感が沸いてくる懐かしい故郷を思い出し、頬を緩ませる。

(だ、ダメだ……ッ、落ち着かねぇ〜!)

 そわそわとしながら頬を緩ませる日本人の青年。そんな姿を見ていた、隣に座る老夫婦は微笑みを浮かべていた。フェイトはそんな温かな眼差しで自分が見られていた事に気付くと、咳払いをして平然を装う。手遅れである。

 日本とフェイトのいたニューヨークでは相当な距離がある為、時間がかかるのは当然だ。ましてや旅客機ともなれば、IO2の専用ジェットとはスピードも違う。


 ちなみにIO2の専用ジェットは、エージェントが任務の際に使う物で、そのスペックは旅客機の比にはならない。その中でも群を抜くのが、風を扱う能力者が空気中の摩擦をゼロにしようと試みた、恐ろしい代物だが、生憎フェイトは乗った事はない。

 幸か不幸か、と訊かれれば、それに乗った事のある人物は皆口を揃えて「前者だ」と断言する代物だ。何せ、重力のせいで泡を吐きながら意識を失う者もいれば、重力の影響で、普段ならば自制出来るものも自制出来ずに垂れ流れる事があるという。

 皆まで言わずとも、フェイトはそれに乗る事が必要だと言われれば、迷わずテレポートで逃げ出すだろう。


(凛や百合、それに草間さん……)

 懐かしい面々の顔を思い浮かべて、フェイトは再び小さくはにかんだ。

(うん、やっぱりIO2で修行してたんだし、ちょっと格好良く登場するのが筋ってヤツだよな! エルアナは「男は多少キザなぐらいでなくちゃ」とか言ってたし、派手にテレポートで、とか……)

 男、フェイト。ちょっとばかり男としての自覚を抱いたアメリカ生活である。

 客室乗務員の案内で迷わず「ビーフ!」と答えて老夫婦を再びクスクスと笑わせたのはご愛嬌であるが、それは譲れない。エビフライを所望したい所ではあるが、白身魚か肉かと言われれば、アメリカで慣れ親しんだ肉を選ぶ方が無難であるからだ。

 空の旅は実に快適なものだ。
 エコノミークラスであるものの、観光シーズンではないこの時期に満席特有のゴミゴミとした雰囲気は漂っていない。どちらかと言えば旅慣れている人々が搭乗しているせいか、ずいぶんとゆったりとした時間が流れている。

 その間、フェイトは映画を見ながらぐすっと鼻をすすっていた。
 犬と飼い主の、切なくも悲しい物語。最期には少年に看取られて、犬が亡くなってしまう物語だ。
 クライマックスを見ながら、フェイトは鼻を啜っては「あぁぁ……」と悲しげな声をあげ、今度は前に座っていた女性にクスっと笑われた。
 男としての自覚はあっても、やはり何処か気の抜けた東洋人。そんな印象を抱いた彼女や老夫婦であった。






◆◇◆◇◆◇





 黒く揺らめく、長く伸ばされて切り揃えられた髪。烏の濡羽色に染まった艶のある髪は、何処か内向的な印象を与える黒髪とは違い、妖艶さを醸し出している。
 女性らしい身体を包む、黒いパンツスーツ。パンプスを履き、黒いサングラスをして踵を踏み鳴らすその姿は、下手なナンパ男には近寄る事すら許さないだろう。

 胸元には銀色のロケットがついたペンダントをつけ、白いワイシャツの間からは柔らかな傾斜が顔を覗かせている。

 ――その日は朝から電話で呼び出され、彼女は少々不機嫌だった。

 久しぶりの休日を、ショッピングでもして過ごそうかと考えていた彼女へとかかってきた一本の電話。それは、彼女の直属の上司である鬼鮫その人からであった。

『とある人物の迎えを頼みたい』

 そんな事を言われて、怒りはピークを迎えたのだ。

 ここ数日続いた任務によって疲れていた彼女にとって、休日のショッピング――否、衝動買いはストレス発散の為の大事な要因である。

 本来より巫女の力も相成って、彼女の神気と呼ばれる力は強いものがあるが、唯一のストレス発散を邪魔された彼女の周りに渦巻いている、禍々しい程までに黒いオーラは、かつての大罪人を彷彿とさせるものがある。

 ――とは言え、仕事は仕事だ。

 白塗りのスポーツタイプの車を駐車場から、鬱蒼とした気分を振り払うかの様に走らせる。助手席側のフロントガラスに映ったナビゲーション映像は、IO2の技術責任者である『影宮 憂』によって開発された物だそうだ。渋滞コースを抜ける最短ルートを常時計算し、それを示す。

「まったく、せっかくの休みなのに……ッ!」

 怒りの権化と化した凛による、暴走車両。しかし彼女を止める者はいない。IO2の登録車両を、警察車両が邪魔をする事は禁止されているのだ。

 IO2とは、日本という国の枠組みの中でどの機関に対しても強いカードであり、優先されるべき事由に対処しているとされている。自衛隊・警察などが介入出来る問題ではない。
 だからこその特権、とでも言うべきだろうか。

『ずいぶんと不機嫌そうですね』
「当然ですッ!」

 一世代前、ナビがついていた場所には彼女のスマホがセットされ、そこから音声がスピーカーを通して流れた。あまりに不機嫌そうな彼女の声に、スピーカー越しには乾いた笑い声が響き渡り、それが彼女の機嫌を更に斜めに傾ける。

「それで、“わざわざ休日の私”が借り出されてまで迎えに行かなくてはいけない人物とは誰です?」

 強調する様に告げられた言葉に、スピーカー越しに話をしていた女性は「えっと……」と声を漏らしてデータを彼女の車に送った。顔写真が映るべき場所には、【UNKNOWN】と書かれた文字が記載され、彼女の視界の右斜め下に、B5サイズ程度に表示された。
 運転しながら彼女は「顔不明?」と静かに言葉を漏らし、再び視線を運転に集中させた。

『情報にロックがかかっていて、閲覧許可が必要みたいです……』
「私のコードで試してもらえます?」
『や、やってみます。音声認識……、お願いします』
「IO2エージェント、凛。エージェントナンバーはJT65921」

 彼女――凛の言葉に、しばしの沈黙が流れ――。

『ダメみたいです……』
「そんな……ッ」

 ――驚愕する事実を突き付けられた。

 この数年間で、IO2エージェントとして名を馳せた凛は、ある“もう一人の女性エージェント”と共に『一級エージェント』として、あらゆる情報へのアクセス権を手にしている。

 そんな彼女でもアクセス出来ない情報。ともなれば、『特級アクセス権』がなければならないという事が必然的に理解出来る。

 ちなみに、ニューヨーク支部にいるエージェントで、特級アクセス権を持っている者は、ジャッシュとエルアナの二人であるが、それは凛のあずかり知らぬ事である。

『一体……って、嘘……ッ!?』
「な、何? どうしたんです?」

 スピーカー越しの唐突な混乱の声に、凛は声をあげた。

『り、凛さんが迎えに行く予定の人が、ハイジャックに巻き込まれたそうです!』
「……はいぃ〜!?」

 穏やかな休日は何処へいったのか、と凛は心の底から深いため息と共に小さく愚痴を漏らした。






◆◇◆◇◆◇






 ――どうしてこうなった。

 フェイトは先程まで感じていた映画の余韻から引き上げられる様に、今まさに武装して乗客を絶望させている者達を見つめながらそう心の中で呟いた。

「はーい、皆さん。この機はハイジャックされましたー」

 ニッコリと笑っている女性が英語で告げる。
 金色の髪をピンクの大きなメッシュを入れた女性。その笑顔と雰囲気とは裏腹に、その腕に抱えられた鈍い黒い鉄塊――アサルトライフルの銃口を向けている。

 こんな機内に武器を持ち込める可能性は低い。そう考えたフェイトが、テレパシーを利用してその心を読み取ろうと試みるが――。

(……何だろう、この靄みたいなの……)

 前例のない違和感に、フェイトは嘆息した。
 思考を読み取ろうと試みたフェイトが感じ取ったものは、明らかなノイズである。人の意識にノイズが発生するケースは、今までにフェイトも感じ取った事はない。

 しかし、フェイトは逡巡する。

 かつて、これと少し似た気配を感じ取った事があるのだ。それは、あのバクによって精神を汚染された人間だ。明確な意志がなく、その上でノイズとは程遠いが、どうにも明瞭ではない違和感を覚えた事がある。

(って事は、精神状態が普通じゃない――いや、ドラッグ……?)

 フェイトは再び目を凝らし、女性を見つめた。

「フフ、フフフフ……! アハハハハハ!!」

 まるで目の前で喜劇を見ているかの様に響いた笑い声。その狂気に触れた乗客は、この犯人が普通ではない事を悟ったらしく、恐慌状態に陥り、互いに身を寄せ、身体を強張らせた。

 それは、老夫婦も同じだ。

 彼らは久しぶりに孫の顔を見に日本へと向かっている最中だった。日本の大手電機産業の会社に努めている息子と、日本人である息子の妻。そして、ハーフの血筋でありながら自分達と同じ西欧の血を受け継いだ孫娘。

 真面目に生きてきた自分達の人生に、こんな形で幕引きさせられる事になってはたまったものではない。
 そんな彼らの気持ちを嘲笑うかの様に、女は高笑いを続けた。

 苛立ちを胸に、しかしその冷たい牙が自分達に向けられている以上、下手な事をすれば周りを巻き込むかもしれない。

 そんな事を思いながら、恐らく自分達の息子よりも若いであろう、先程からそわそわとしていた青年を見つめ、老年の男性は息を呑んだ。

 ――そこには、人差し指を口の前に立てて、こんな状況にも関わらず柔らかい笑みを浮かべて、自分に落ち着く様に促す若い日本人の姿があった。






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