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季節の移ろい
肌を刺す様な冷たい風も、最近では数日に一度あるかないかという頻度に落ち着きつつあった。季節はすでに春を越えようとしている。
白と桃の色、いわゆる桜色の花弁は春一番どころか何番目かも解らない様な強風や大雨で散ってしまったが、それでも桜の柔らかい色合いが街の中を彩っていたのは記憶に新しい。
新しい家族が出来たセレシュは、自分の息子とも弟とも取れる相手――つまりは陽に、この世界の様々な体験をさせてきた。
そして今のこの時期、またセレシュはいつもの通り、陽に新たな経験を積ませようと考え、それを再び実行する事となった。
鍼灸印の営業を終えたセレシュは、夕食の準備をすると陽を呼び、共に食事をする。リビングに広がった今日の夕飯は、鶏の唐揚げに、レタスやパプリカの入ったポテトサラダである。
本来食事を摂らずとも生きていけるセレシュや陽だが、これは人間らしく振る舞う為の大事な行事と言える。当然、太らない為に自身の身体にある魔力や妖力を使い、相応に消費しなければならないのだが、それはもはや日課である。
過去の二の轍を踏む訳にはいかないセレシュは、その事を決して踏むまいと心に強く刻んでいる。
「――しおひがり?」
ポテトサラダを口に頬張り、唇の横についている事に気付いていない陽が、セレシュの案を聞いて尋ね返した。
「そうやけど……、ついとるで」
そう言って手を伸ばし、陽の口元を拭いたセレシュは座り直してそのまま言葉を続けた。
「せや、潮干狩り。五月の連休をゴールデンウィークって言うんやけど、その頃ぐらいの風物詩やな」
「へぇー……。何をするの? 狩り?」
陽の脳裏に浮かんだ、異世界でのハーピー。狩りという言葉から少々物騒な発想に飛び火してしまった様である。そんな陽の発想の着地点に気づいたのか、セレシュは小さく笑って陽へと説明を続けた。
「ちゃうよ、そないな物騒な事せえへん。潮の満引きがあるやろ? その干潮時に、熊手を使ってそこを掘って、貝を取るんよ。潮が干いてる時に狩る。それが潮干狩りやな」
「貝?」
「せや。アサリやハマグリなんかがメジャーな所なんやけどな。この時期やったら海辺も寒ないし、行ってみいひん?」
「うんッ、行ってみたいッ」
知識や経験を新たに吸収する事。そういった事に貪欲な陽は、やはり好奇心旺盛であった。
「決まりやな。そしたら今度の日曜にいこか」
「うん!」
◆◇◆◇◆◇
この数日不安定だった天気も、天気予報通りに快晴をもたらした日曜日。二人は潮干狩りの会場となる海へと訪れた。
さすがにこの日ばかりは白衣を脱いだセレシュ。
肩口の空いた七分袖の上着は袖が紐で縛れる、明るく灰色の上着に、同じく七分丈のジーンズ生地のパンツ。そして足元は、くるぶしソックスを履いたスニーカー姿である。
一緒にいる陽は、黒い七分丈のパンツに、スニーカー。上着は、シャツの上から、前がチャックで開閉出来るタイプの赤いパーカーを着ている。その頭にはキャップタイプの帽子が被されている。
昼の内に帰る予定だが、気温が下がる事も考慮して、長袖を着せたセレシュだったが、既に陽は意気揚々と腕をまくり、海を見つめて目を丸くさせていた。
「わぁ……」
見渡す限りに続く水平線。押しては返す、波の流れにその音。海辺で香る、独特な潮の香り。それらが総じて、ここは海である事を改めて感じる陽。
「驚いたん?」
「……うん……。すごいね!」
何がどう凄いのか、という無粋なツッコミは入れずに胸にしまったセレシュ。陽の感動に水を差すという無粋な真似をする気はない様である。
「よーし、やるで!」
「うん!」
水管を見極めつつ、小さな穴を探して熊手で掘る陽。順調に持ってきたバケツに取れたアサリなどを入れている陽だが、なにせずっと屈んで中腰の態勢である事に変わりはない。
時折立ち上がり、汗ばむ額を腕で拭った陽が、大波によって激しい音を奏でた海を見つめ、そっと波に近寄っては押し寄せる波から走って逃げる陽の姿を見て、セレシュは思わず大笑いしていた。
「夏には海水浴に連れて来るのも悪くないかもしれへんなぁ……」
午前中を通して潮干狩りを堪能した陽と、潮が満ちてきた時には砂浜にシートを広げ、作ってきたお弁当を頬張る。
ゆるやかな時間を過ごしている内に再び潮が引き始める。二人が片付けをしていると、大きなシャベルを持った老年の男性が、干いた地面を掘り出した。
「何してるんだろ?」
陽が気にしてる様子を見て、セレシュはその老年の男性を改めて見つめる。幸い、その男性はセレシュの鍼灸院の客であり、見知った男性であった。
「行ってみよか」
「うん」
セレシュは持ってきたバスケットを片づけ、陽の手を引いてその男性の元へと歩み寄っていく。
「こんにちはー」
「おう、セレシュ嬢じゃねぇか。それに陽坊か」
浅黒い肌をした男性は、この潮干狩りを主催している漁業組合の男性である。買い物に出たセレシュや陽を見た事もあり、甥っ子という設定ではあるものの、陽の事を知っている人である。
「こんにちは!」
「おう、こんにちは」
「おじさん、何してはるんです?」
「あぁ、これか。よし、二人に面白いモン見せてやろう」
改めて、潮で濡れたその場所をザクりと豪快に掘り出した男性。すると、先程まで陽が探していた水管とは少し大きさが違う、大きめの穴が現れた。
「この穴に、この魔法の粉を吹きかけてやんのさ」
そうして男性が取り出したのは、最近では見なくなったカメラのフィルムケースに詰められた塩である。
「塩?」
「なんでい、もう分かっちまったのか。頭良いな、陽坊は」
陽はそれが塩である事を当てた事を褒められ、小さな胸を少しばかり張ってみせた。そんな陽の頭をセレシュが撫でると、満面の笑みを浮かべながら、男性が塩をふる様を改めて見つめる。
「――ッ!? 何か出た!」
「ほっ!」
突如穴から伸びてきた、肌色にも似た棒状の何か。それを男性が指で拾い上げると、その下には貝がついている。
「これは貝柱ってやつだ。マテガイって貝なんだけどな。塩の濃さに驚いて収縮する習性があってな。こうして取る事が出来るのさ」
これ見よがしに陽にそれを見せた男性に、陽は尊敬にも似た眼差しを向けながら感嘆していた。セレシュも知識上はそれを知っていたが、実際に見た光景には思わず喉を唸らせて感動していた。
こうして、二人の潮干狩り体験はゆるやかに過ぎていくのであった。
◆◇◆◇◆◇
街並みが徐々に茜に染まろうという頃、セレシュと陽は家に帰って来ていた。早速陽が頑張って取った貝の砂抜きをする為に、セレシュが貝を洗い、海水に近い塩分濃度の水を張り、重ならないように貝を並べていく。というのも、重なってしまうと、吐いた砂を再び吸ってしまう可能性があるからである。
二時間程度、貝をその状態で保って砂抜きを終わらせ、ようやく調理に入る。その間、陽はいつになったら砂を吐くのか、とその光景を飽きもせずに見つめていた。
一般的に食べやすい、バター焼き。醤油を垂らし、香ばしい匂いが充満する。それでも量が多く、残りは味噌汁に入れるといった具合に調理を進める。
砂抜きに調理。その時間だけで、既に空は藍色から夕闇へと包まれ、星が浮かび始めた。ようやくの夕食に、二人が舌鼓を打つのは、それから間もなくの事であった。
「美味しい!」
「せやな。陽が頑張って取ったんやから、うちも頑張って料理したんやで」
「うん!」
自分が取った、という事に対して満足気に胸を張る陽。そんな子供らしい一面を見て、セレシュは思わず小さく笑ってしまった。
「貝殻噛まない様に気をつけなあかんよ?」
「うん、大丈夫ー」
やはり自分で苦労して手に入れた貝は、食事の美味しさだけではなく満足感も得られるのだろう。陽は食事中、終始笑顔を浮かべながら貝を食べていた。
子供が貝をパクパク食べる、というのは些か珍しい構図ではあるが、陽に嫌いな食べ物というものは今の所見当たらない。
(将来はお酒とかも呑むんかなぁ)
なんとなく、陽が中年の男性――セレシュで言う所の、「おっちゃん」の姿と被る姿に成長していく様子を思い浮かべ、セレシュは頬張っていた貝を吹き出しかけるという悲惨な事態に見舞われたそうである。
ゆるやかな初夏。
もうじき訪れる梅雨を超えれば、季節は夏になろうとしていた。
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いつもご依頼ありがとう御座います、白神 怜司です。
今回は潮干狩りのお話ということで、
季節の風物詩を網羅していく勢いですねーw
今回は春から初夏にかけての潮干狩りで、なかなか季節の
移ろいを感じさせるものでした。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは、今後とも宜しくお願い致します。
白神 怜司
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