|
奮闘編.2 ■ ある日の出来事
――泡姫。
日本という国には、そういった類の様々な種類の店がある。
通常、泡姫と呼ばれる類の店、いわゆるソープランドに働く女の子の事を指すけど、決してそれは敬称であるとは言えないのかもしれない。
オブラートに包んでも、所詮私達は風俗嬢なのだ。
私はその日、そんな事をまざまざと突き付けられたのかもしれない。
―――
――
―
今日はレギュラー出勤――つまりはほぼ毎日の様に出勤している子が体調を崩し、代わりにフリーで来たお客さんを相手にする事が多い。
「はふー……」
ようやく客足が途絶え、私は少しの間休憩させてもらう事になった。
待機所は相変わらず緊張するせいか、ゆっくりと休む事が出来ない。他人の視線というのは、案外疲れるもの。
そういう点では、こうしてスタッフルームでゆっくりする事が一番の休憩。
飛鳥さんのお店であるここは、基本的には上等・良質なお客さんが多い。
高額な値段設定と一見さんお断りという営業スタイルでこの手の店が成功している、というのはなかなか聞かない事。
飛鳥さんはやっぱりやり手なんだと思う。
対する私は、今もまだ心の何処かで普通の仕事に舞い戻りたいという気持ちが強く、最近はその悩みが原因でストレスを感じているのかもしれない。
眠りが浅いせいで、心がすり減っている様な気分だ。
そんな疲れのせいか、目の奥と言うか頭の中というか、何とも言い難い部分がずっしりと重く感じる。
「美紀ちゃん、お疲れ」
「飛鳥さん」
飛鳥さんがスタッフルームに顔を出してきた。
飛鳥さんは月末や月始めは何かと忙しなく動いている為、こうしてお店に顔を出してもすぐに出かける事が多い。
とは言っても、今日は6月の10日。一番忙しい時期はどうやら抜けたらしい。
ただ単純に飛鳥さんがこの時間――昼の三時にお店にいるという事には少しばかり驚かされた。
いつもこの時間は、外で誰かと会っているか接客しているか、そのどちらかなのに。
「珍しいですね、今日」
「ん? あー、今日はちょっと早めに用事切り上げたのよ」
向かい合う様に座った飛鳥さんは、いつもの細い煙草を咥えて火を点けた。自他共に認めるヘビースモーカー。それが飛鳥さんだ。
「それにしても美紀ちゃん。あなた三日ぐらい休んだ方が良いわ」
「え?」
「か・お。この仕事って意外と神経磨り減るから、疲れてくると表情が暗くなるの。
今の美紀ちゃんに接客されても、お客様もあんまり嬉しくないでしょうね」
「そ、そんなにですか?」
思わず自分の顔を両手で触れて尋ねると、飛鳥さんは小さく笑みを浮かべた。
「そんなに、よ。うちはレギュラーの子には休日手当を出してるから、心配しないで休みなさいな」
「うぅ……」
正直言って、借金まみれの私は出れるだけ出て稼いでおきたい、というのが本音。
飛鳥さんにはそれがすっかりお見通しだったみたい。
「そうだ、美紀ちゃん。今日は5時上がりよね?」
「はい、そうですけど?」
「だったら、一緒に接待に付き合ってくれないかしら? もちろんこっちも弾むわよ」
そう言って人差し指と親指をくっつけて飛鳥さんは手のひらを上に向けた。
「じゃあ行きますッ」
なんだか釣られてる気分になるのは気のせいって事にしておこう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
飛鳥さんに連れられて来たのはレストランでもなく、綺麗な内装と外観をした高そうな服屋。
中には上質です、とでも言わんばかりのドレスが飾られていて、店員はスーツ姿で手袋までしてる。
「……あの、飛鳥さん……?」
「あぁ、ここは私が出すから。ちょっと高級なお店に行かなきゃいけないから、その格好じゃ困るのよね」
そう言って飛鳥さんは私の服を見て告げた。
私は今日、黒の七分袖の上着と、アンダーウェアに半袖のシャツ。下はジーンズ。
うん、我ながらラフだよね。
って言っても、働き出してまだ二ヶ月だもん。
服を買いに行く気になれないっていうのが本音。
――それは多分、外でお客さんと会ってしまうんじゃないかっていう、ちょっとした不安からだけど……。
「いらっしゃいませ、飛鳥様」
飛鳥様……だって。
飛鳥さんはこのお店の常連さん、なのかな?
「今日は私は新作を。この子には〜、そうね。黒のロングドレスを見繕ってもらえる?」
「えぇ、畏まりました。飛鳥様はこちらへどうぞ」
「え、え?」
「お連れ様はどうぞこちらへ」
そそくさと歩み寄ってきた店員に連れられ、私は飛鳥さんとは別行動にさせられる様だ。
「あ、飛鳥さん?」
「コーディネートは任せて良いわ。後で会いましょ」
「え、あ。はぁ」
動揺しながらも、私はとりあえず飛鳥さんに言われた通りに店員に連れられ、試着室の手前に連れて行かれた。
「黒のロングドレス。お客様はまだお若いので、少し大人の色気を出せるドレスをお勧め致しますよ」
「はぁ……」
「マーメイドラインの物だと、飛鳥様と同じタイプになってしまいますので、こういったスレンダーラインの型に――」
うん、日本語でお願いします。
とりあえず説明が終わって、早速私は試着室に入って試着を促された。
黒を基調にしたこのドレスは、胸元から腰にかけてラインストーンがちりばめられていて、きらきらと光っている。
身体の線に沿った細身のドレスだ。サイズも申し分ないけど、姿見に映った自分の姿に思わずニヤニヤとしてしまった。
だって、こんなの着た事ないし……。
どうしよう、試着室から出るのが恥ずかしくなってきた。
「美紀ちゃん? 開けて良いかしら?」
「え!? あ、はい!」
軽快にレールを走るカーテンの音と同時に、そこには飛鳥さんが立っていた。
嫌味にならない程度の落ち着きを放った赤いドレス。ピッタリと身体に合うドレスは、同じ女性としても魅力的だと思える飛鳥さんの体型をしっかりと強調している。
マーメイドライン、と言っていたそれは、確かに足元が尾ひれの様に広がっていて、その呼び名が納得出来る。
「綺麗です、飛鳥さん!」
「あら、ありがと。でも美紀ちゃんもドレス似合うわね」
「へ……?」
不慣れなドレスを着込んだ私に向かって、飛鳥さんはそう告げて笑みを浮かべた。
お互いに靴まで用意され、服は家に送ってくれるらしい。
ちなみに私は飛鳥さんに言われ、下着まで買い換えるハメになった。ラインが出るからって、履いた事もない下着を用意された時はさすがに私も諦めの境地に至ったよ……。
ドレスに着替え、タクシーに乗り込んだ私達。
すっかりと空は夕闇に染まり、ネオンが煌めいていた。
「これから会うのはお得意様なの。って言っても、お食事に誘われただけだから、何かする訳じゃないのよ」
私の表情を見て察したのか、飛鳥さんがそう付け加えた。
てっきりこういう業界だから、出先でもサービスを求められるんじゃないかと考えた私だった。
見抜かれた事に思わず苦笑してしまった。
タクシーの外には、スーツ姿の男性や会社帰りのOLなど、ごく普通に生活している人々が行き交う姿。
こうして周りを見ても、私は少し普通の人とは違う立ち位置にいるのだと実感させられる。
――いつかは、あっち側の世界に、私も“帰れる”のだろうか。
そんな事を考えながら、私は景観ではなく、行き交う人々ばかりを見つめていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
飛鳥さんに連れられて来た場所は、かなり上流階級志向の強いホテルの展望レストランだった。
ドレスコードのあるレストランらしく、中に入った私はその格式の高さを納得させられるだけの綺麗な内装と、張り巡らせられた大きな窓の外に広がる東京の街並みに、思わず小さく緊張した。
そんな私を、飛鳥さんは手慣れた様子で歩いて行く。
店内の奥、窓側の席。
そんなVIP待遇にも近い席に通された私達は、隣りに座り、向かい合う様に二人分のテーブルセットが用意されている事に気付いた。
「さすがに二対一じゃ大変でしょう? 美紀ちゃんが来てくれて良かったわ」
にっこりと微笑む飛鳥に言われ、私はその空席に一体どんな人が来るのかと僅かに心を踊らせた。
飛鳥さんが懇意にしてもらっているお客。
それなりの立場がある人々だという事は窺い知れる。
けれども、外で夕食を共にするともなれば、それはただ店に来るだけの間柄ではないのだろう、と私も当たりをつける。
「どんな人が来るんですか?」
「それは見てからのお楽しみ、ね」
誰だろう。
そんな事を思いながら、私は周囲を見回した。
格式あるレストランだけあって、店内にいる人々は実に優雅な振る舞いだと感じさせられた。
私も元は良家の出自だ。それなりにテーブルマナー等に関しては自信もあるが、ここにいる人達はそれを当たり前のものとしてこなして見せている。
飛鳥さんはともかく、私がそんな事を出来ると飛鳥さんは知らないのかな。
それとも、私にそれを要求していない、とか……?
もしも私なら、今の内にマナーを確認したりとかもすると思うんだけど、なぁ。
「やあ、飛鳥。待たせたね」
ようやく現れた一人の男性の声に、飛鳥さんが振り返って立ち上がる。私もそれに倣って立ち上がり、その男性を見つめた。
壮年の男性は、その顔つきが柔らかいものの、独特な雰囲気を放っている。
顔に刻まれた皺は、険しい表情を浮かべればきっとそれを強調するであろう、要するに怒ったら怖い人、といった印象だ。
「いいえ、私達も今来た所ですわ」
「はっはっはっ、それはそうだろうな。実はフロントで電話をしていたのでね。さっき君達を見かけていたのだよ」
「あら、嫌ですわね。しっかりと到着を確認なさるなんて」
「おいおい、そういう言い方はしないでくれよ」
飛鳥の軽口に男性は困った様に後頭部に手を当てて椅子に座り込んだ。
飛鳥さんが隣りで腰を下ろし、私もそれに倣う。
「……それで、君が美紀さん、だったかな?」
「え……?」
「はい、美紀ですわ」
予め私が来る事を伝えていたのだろうか。
飛鳥さんは私を紹介してにこやかに続けた。
「社長。この度は私の願いを聞いて頂いて、有難うございます」
「よしてくれ。そういう話は後にしようじゃないか」
飛鳥さんと男性の話を聞きながら、私は小さな胸騒ぎを感じていた。
それが何なのかは解らない。
だけど、何だか落ち着かない気分で、私はその成り行きを見つめていた。
to be countinued,,,
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
ご依頼有難うございます、白神 伶司です。
今回は美香さんの主観という形で書かせてもらいました。
ある人物と会う、という所で二部構成にしたのですが、
美香さんがこれから会うのは誰なのか、希望があれば是非お書き下さい。
今もまだ普通の会社社員に憧れがちな美香さんですが、
これからどう変わっていくのか。
心理描写が多いので、こちらの物語はたまにこうして
主観でも描写させて頂ければと思っております。
それでは、今後とも宜しくお願い致します。
白神 伶司
|
|
|