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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


夏の兆し





 灰色に染まった、薄暗い雲が今日も街の空を埋め尽くしている。
 何日連続、だとか。そんな瑣末な日数記録も、今となっては数える事を忘れてしまった人々。
 毎日飽きる事なく降り続く雨に、べたつく肌。
 鬱蒼とした気分が募るのも無理はない。

 雨というのは、人を外出から遠ざける。つまり、客足が遠退くとも言える。
 こうした時期に関節や腰痛を持っている人間は、気圧変化をその痛みによって感じる事も多く、なかなか苦労が耐えない時期だ。

 痛みが募るからこそ、本来は鍼灸院などに来るべきなのだが、こうも雨が続いては家から出るのも億劫になるのだろう。

 ――そんな事を考えながら、セレシュは退屈そうにレジカウンターに置かれた椅子に腰を下ろし、頬杖をついて外を見つめていた。

「はぁ……。億劫やなぁ……」

 いつまでも続く雨に、さすがに気持ちも滅入るというものだ。
 今日は診療予定もなく、予約も入っていない。たまにそんな日がある分には、陽と共にゆっくりとした一日を愉しむ事も出来るのだが、この梅雨に入って以来、そんな日が続いている。

「外は生憎の空模様ですって、もう聞き飽きたわぁ……」

 天気予報のお姉さんが悪い訳ではないが、いちいち言わなくても分かっている事を口にされるというのはセレシュにとっても良い気はしないものである。
 朝見たニュースを思い出し、昼過ぎのこの時間帯になってツッコミを入れるセレシュ。それだけでも退屈さは窺えるというものだ。

「セレシュお姉ちゃん」
「ん、どないしたんや?」

 最近では地下の工房に引き篭もる必要もなくなってきた陽が、診療所に顔を出してセレシュへと声をかけた。
 買い物に出かけたり、何かと外に連れ出している陽を隠す必要もいい加減なくなってきたのである。

「どうしたって訳じゃないんだけど……」

 陽はそう言って外を見つめた。
 退屈なのは陽も一緒なのだろう、とセレシュは陽の横顔を見てそんな事に思い当たる。


 連日続いている雨のせいで、セレシュと陽は最近では引き篭もる様な生活をしている。最低限の買い物に出る程度が関の山である。
 家で読書に勤しむにしても、ここ最近では読破した本ばかりで目新しいものもない。そんな日々が続いてしまっているのだ。


 そんな日々に退屈そうにしている陽だが、これまでにワガママを口にする事はない。恐らく外に出たくても出られない日々に辟易としているだろう事は、セレシュにも十分に理解出来る。
 もともと研究者気質のセレシュは、研究に没頭さえしていれば外になど出ないのだが、陽にとってはそうもいかないだろう。

「雨、止まないかな?」
「せやなぁ……。あぁ、でも……」

 セレシュは何かを思い出した様に携帯電話を取り出すと、ポチポチと操作を始めた。

「うん、明後日の休日は久しぶりに雨も上がるみたいやな」
「ホント!?」
「ほんまやで。久しぶりに外に出かけよか、陽」
「うんッ」

 咲く様な笑顔を浮かべた陽が、タッタッタッと軽快な足取りでリビングに向かって行く姿を見ていたセレシュは、そんな陽の姿に小さく嘆息混じりに笑みを浮かべたのであった。





◆◇◆◇◆◇◆◇





 空は澄み渡る――とはいかなかったものの、雨が降りそうな程の分厚い雲は見当たらない。曇り、といった所だろうか。
 久々の外出に嬉しそうな陽と共に、セレシュは外へと出た。雲が空を覆っているとは言え、日焼けしそうな程の陽射しの強さを感じる。

 セレシュの提案によって、今日は街の郊外にある少々田舎の方へと繰り出した陽とセレシュは、自然の多い野山へと訪れていた。
 この山の中腹には、山から出る湧き水が川を織り成している。その川辺へと向かう事にしたのである。

 曇り空とは言え、ジメジメとした陽気と僅かな不快感。そんなものを忘れて遊ぼうという心算だ。

「到着、っと」
「わー……」

 コンクリートで舗装されたバス停から、獣道にも近い僅かに人の手が加えられた山中を歩くこと十分弱。そこは木々に覆われた豊かな森の中、砂利が敷き詰められた川が広がっていた。
 真夏の行楽シーズンにはまだ遠い為か、おかげで人の姿はない。言うなれば自然を貸しきったかの様な光景に、陽は感嘆の息を漏らした。

「昨日の夕方から雨も止んどったから、川の水も綺麗なもんやな」

 雨で氾濫気味の川では遊ぶどころではないだろうが、どうやらその心配も杞憂だったらしい。川は透き通った水が流れ、穏やかな水のせせらぎが周囲の静寂を満たしている。

 この川の上流には、この場所から二十分程歩けば着ける。そこには高さ5メートル程度であるが、小さな滝があるのだ。人の手の入っていない道である事は間違いないが、陽にもその光景を見せようと考えているセレシュである。

 そんなセレシュの心遣いを知らぬまま、陽は履いていた靴と靴下を脱いだ。今日の陽の恰好は、セレシュに川遊びを提案された上で、足だけでも水に入れる様に、ジーンズ生地の七分パンツに淡い水色の半袖パーカーという涼しげな恰好だ。
 早速川の水に足をつけると、その冷たい心地よさに頬を緩ませる。

「セレシュお姉ちゃん、冷たくて気持ち良いよー!」

 用意してきたお弁当やらを置いているセレシュに向かって陽が声をかけた。
 セレシュも今日は私服である。ピチッと肌にフィットする七分のジーンズにパンプス。上着は白い半袖のブラウスに、淡い色合いのカーディガン姿である。

 多少は険しい道なので、シューズを履こうかとも悩んだのだが、セレシュの判断基準は異世界の山道――つまり、全く人の手など入っていない様な道こそが険しいと呼ぶのに相応しく、この様な場所でならパンプスでも至って問題ない様だ。運動神経が普通の女性とは違うセレシュだからこそ、である。

「うちも涼ませてもらわなあかんなー」

 陽が手招きする姿を見て、セレシュはパンプスを脱いで陽のもとへと歩いて行く。

 川の水は、まだ少々冷たすぎる程度だ。泳ぐとなれば冷たすぎる程だろうが、足元だけ浸かる分には至って問題なく、心地良いぐらいだ。多少歩いたおかげで汗ばんだ身体も、ジメジメとした湿気を帯びた空気も、川のおかげで冷やされた風に押し流された様で、セレシュも心なしに頬を緩めた。

「あ、おさかなー!」

 陽が川を泳ぐ魚を見て指を差して声をあげる。久しぶりの外出に、いつも以上にはしゃいで子供らしい反応を見せる陽に、セレシュは笑みを浮かべた。

「自然の中やから、普段とは違う虫なんかもおるやろ。蜂と蚊は大敵やけど……」

 夏の風物詩の代表である蜂と蚊の姿を思い出して小さく笑みを引き攣らせるセレシュに、陽は小首を傾げていた。





 昼食を済ませた後も川辺を散策したり、見た事もない虫に目を輝かせる陽に男の子らしさを感じるセレシュは、そろそろ滝に行こうかと陽に打診する。陽は滝に対して心を惹かれたらしく、急かす様にセレシュを引っ張って歩き出した。

 昼になる頃には空の雲の切れ間からは太陽が僅かに顔を出し、木々からの木漏れ日によって明暗のくっきりとする山道を歩く。陽は太陽の光によって輝いている場所だけを避ける様に遊びながらセレシュの前を歩いて行く。どうやら一人遊びを考えたらしい。

 ようやく滝へとついたセレシュと陽は、滝壺としては浅いその川の中に入り、近くへと寄っていく。滝から飛んでくる水飛沫を身体や顔に感じながら、陽は口をあけて滝を見上げ、セレシュはマイナスイオンに癒される様に目を閉じて身体をその音と頬を撫でる身体に預ける様に堪能する。

「すごいね!」

 滝の迫力に心惹かれる男の子。そんな表現が似合う様な陽に向かって、セレシュは悪戯を思いついた様な笑みを浮かべた。

「陽。日本の文化は滝に打たれて手を合わせるんやで。そうする事で、修行が出来るんや。これは日本人なら誰もが通る通説や」

「ホント!? じゃあ僕も――!」
「――嘘や」
「……え?」
「なんや、信じたんか? 陽もまだまだ知らない事だらけやなー」
「むぅー……、酷いよ、セレシュお姉ちゃん」
「騙される方が悪いんやー」

 悔しげな陽をからかって遊ぶセレシュと、それに対して文句を言う陽。実に微笑ましい光景であった。





◆◇◆◇◆◇◆◇





 空が夕闇に包まれる頃、セレシュは陽を連れて川のほとりへとやって来た。光源を用意する事もなくその場に腰を下ろし、陽にも座る様に促す。
 そこで何が起こるのかと聞かされず、「滅多に見れへんもん見せたる」とだけ言われていた陽は、僅かに胸を踊らせてその場で沈黙する。

 ――ふわり、と緑色の光がその中空を舞った。

「あ……」

 陽の声が小さく漏れる。

 最初の一つの光が舞うと、それにつられる様に次々と舞い始めた緑色の光。明滅しているその光が宙を自由に踊る。
 その姿に、陽はただ何も言わず、何も言えずに見蕩れていた。

「蛍やで」
「ほたる……?」
「昆虫なんやけど、ほら。あっちにも」

 それは、空が自身の視線にも広がっている様な、そんな光景であった。

 空に輝く白い星。そして、暗く光源のない川辺を舞う、緑色の星。それらが眼前から川沿いに続いている。無数の緑色の光が煌めいている。

「……綺麗だね」
「せやろ?」

 その光景を一瞬たりとも見逃すまいとしている陽に、セレシュは小さく答えた。

 陽にとっての宝物。記憶という名の、何にも代え難い宝物がまた一つ増えるのだ。
 そんな事を考えながら、セレシュは陽の横顔を見つめ、笑みを浮かべた。






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ご依頼有難う御座います、白神 怜司です。

今回描写した川や山は、実際に私が前に行った事がある場所の
動画や写真を見ながらその光景を思い出し、書きました。

さすがにその時に蛍とは出会えませんでしたが、
綺麗な所でした。伝わってくれると幸いです。

もうじき夏になろうという所ですね。
体調の変化が激しくなる時期ですので、身体には気をつけて下さい。

それでは、今後とも宜しくお願い致します。

白神 怜司