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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


奮闘編.4 ■ 捨てられた三毛猫






《――連日続いているこの猛暑日も、今日の夕方の雨によって一時的に落ち着く事になるかもしれません。また、内陸部では豪雨になるかもしれないので、傘を持って――》

 観ているのかいないのか解らないテレビをつけながら、美香はテーブルの上にスタンドタイプの鏡を置いてメイクを施していた。今日は出勤日。昼から夕方のシフトに組み込まれている。

「えぇー……、今日雨〜……?」

 誰に向かって告げるでもない呟きを虚空に向かって吐き出した美香は、自分の部屋から外を見つめた。

 季節はすっかり夏となっていた。
 都心部ではあまり蝉が騒がしく鳴く事もないが、このアパートの近くにある公園の木々からは蝉がけたたましく夏を祝い、その鳴き声を奏でている。
 最近は猛暑日と呼ばれる、35度前後の日々が続いていた。その為、今の美香の部屋はその蝉の喧騒と夏の熱気を遮る様に窓が閉じられ、クーラーが忙しなく働いている。

「最近あっついなぁ……」

 思わず独り言を続ける。

 一人で暮らす様になってからと言うものの、美香は独り言が多くなっていた。というのも、一人暮らしをする者なら誰もがそうなってしまう節は少なからず持っているだろう。何も、テレビに向かってツッコミを入れる程ではない。

 ともあれ美香は、ささっと済ませたナチュラルメイクに「良しッ」と軽やかに合格を告げ、クーラーを消す。窓辺に向かって歩み寄り、遮光カーテンを軽快に開けると、真夏の空気に身体を馴らすかの様に窓を開けた。
 むわっとしたジメジメした空気が部屋の冷気を押しのける様に中へと入って来る。足元は冷たいにも関わらず、この一瞬で部屋の気温は一気に押し上げられた事が理解出来る。

「……あっつ……」

 自分で招いた夏の空気だが、思わずそう言いたくもなるというものである。

 風俗嬢――否、世間は彼女の事を『泡姫』と呼ぶだろう。美紀という名は、彼女の源氏名である。
 そんな二つの名を持つ生活も些か慣れが生まれてきた。泡姫としての生活は既に三ヶ月を過ぎ、今では仕事もじゅうぶんにペース配分出来る様になりつつあった。
 もともと美香は頭が良い。それを両親、特に父親が押し付ける様な環境であった為に仲違いし、世間のあまりの冷たさに利用され、ドロップアウトする様に現状へと転がり落ちてしまったのだ。

 そう言って悲観していたのは、ほんの一ヶ月近く前までの話だ。

 飛鳥の紹介から蘭という一人の財閥を束ねた社長と出会い、そして苦い現実を打ち付けられる事件に巻き込まれた。それもまた一ヶ月近く前の話である。

 今、美香の意識は大きく変わりつつあった。
 借金の返済が十分に可能になってきた事。それに、飛鳥の人となりを知る事によって美香の感覚は大きく変わってきている。

 おかげで、美香は今ではコソコソと街の隅を歩く様な事はせず、堂々と、その女性らしい膨らみを惜しげも無く強調するかの様に胸を張って街中を闊歩出来る程である。

 余裕が生まれ、彼女の心境には少しずつ変化が生まれている、といった所だろう。






◆◇◆◇◆◇◆◇





「はぁ、お疲れ様でした……」
「あら、どうしたの?」

 仕事終わり。
 いつもなら帰りの挨拶も明るい美香が、珍しく憂鬱そうに挨拶をした事に飛鳥が気を留め、声をかけた。

「いえ、ちょっと……。今日のお客さん、ペットショップのオーナーさんじゃないですか。あの人、ペット自慢が凄くって……」
「あぁ、あのお客様ね……」

 飛鳥も知る常連である一人の男性。
 根は決して悪い人ではないのだろう。ただ、彼の場合は動物が好きだからこそペットショップを開いた、というのが体現されている様な愛情を抱いているのだ。
 自身の欲求を満たすべく来るこの店に来て、90分のコースを延々と動物の良さのなんたるかを語る事で終わらせる彼は、もはやこの店の名物である。

 そんな彼が、美香を指名しているのだ。

 他の女の子なら聞き流してみたりもするのだが、元々知的好奇心と言うべきか、或いは純粋な質問からか、美香は動物の事について色々尋ねてしまうのである。
 それが彼にとっては余程嬉しいらしい。

 元々美香は動物が好きである。しかしながら、借金のある自分が動物を飼うという事は出来ない。勿論、お金には余裕があるが、多少の余裕があれば返済に回しているのである。

「大変だったわね」
「はい〜。欲しくなっちゃいますよねぇ、犬とか猫とか」
「……そ、そう」

 どうやら飛鳥の労いは見事に美香が考えている事とは食い違っていたらしい。

 飛鳥はそのお客さんの自慢話に付き合って疲弊したのであろう美香を労う心算であったのだが、美香自身はそれに対しては疲れなどしない。彼女の疲れの原因は、ただ単純にペット欲しさへの葛藤であるのだ。

 飛鳥は思わずそれに笑ってしまった。
 何せ、飛鳥にとって、美香は数少ない“読めない”女性だからだ。

 こうした仕事をする上で、何より大切なのは人心掌握術だと飛鳥は感じている。男性を客にし、女性を商品とする商売である。故に、そういった人心掌握術に長けていると自負している飛鳥である。

 しかしながら、美香にはそれが通用しない。
 だからこそ、飛鳥は美香を必要以上に可愛がるのかもしれないが。

「まったく。美紀ちゃんは大物ね」
「へ? 何でですか?」
「何でもないわ。それより、外は大雨よ」
「えっ……」

 慌てて外を見つめた美香の顔から血の気が引いていく。

「あ……、そういえば……」

 メイクをしていた時、天気予報で雨が降る事は確かにテレビで告げていた。
 しかし、家を出る頃にはすっかり忘れてしまったのである。

「傘、あそこにあるの使って良いわよ」
「有難うございます〜……」

 どうにも読めない女性、というよりも、少女である印象を強める飛鳥であった。





◆◇◆◇◆◇◆◇





 時刻は夕刻となった。
 夏特有――むしろ南国特有のスコールの様な強烈な雨。そして、空を覆った分厚い雲。この数日続いた快晴によって熱し続けられたコンクリートジャングルも、その熱を押し流されていく。
 そんな雨の中、美香は飛鳥に借りた赤い傘を手に雨の中を歩いて行く。

「あっめあっめふっれふっれ母さんが〜」

 雨音でかき消される程度の小声でそんな歌を口ずさむ美香。
 別に雨が好きという訳でもないが、動物の話を聞いたせいか心が少々穏やかな気持ちであった美香は、近道である公園の中を突っ切りながら歌っていた。

 ――そんな美香に、雨音の中には似つかわしくない微かな鳴き声が聴こえてきた。

 突如として聴こえてきたその音に、美香は足を止めて耳をすませる。

 傘に打ち付ける雨音。水溜りを跳ねて奏でる水の音。それらを除外する様に、美香は意識する。

 ――再びの鳴き声。

「……子猫、かな……?」

 甲高く弱々しいその鳴き声を聞いて、美香は思わず周囲を探し始めた。
 どこかの野良猫ならまだ良いだろう。野良猫なら野良猫で、それなりの生活をしているのだろうから。

「……こっちからだ」

 雨の中、傘をさして歩く美香は中腰姿になって周囲を見回す。
 そして行き着いた屋根のあるベンチ。その後ろに置いてあった段ボールが目についた。
 ゆっくりと歩み寄ると、そこには小さな猫が座って自身を見上げていた。

「……やっぱり子猫」

 美香の呟きに反応するかの様にミャーと鳴く子猫。
 そんな子猫に近づく様に膝を折って屈んだ美香は、その子猫に指を近づけた。

 猫はその指の匂いを嗅ぎ、そしてペロリと少々ザラついた舌で撫でる様に舐める。

「……三毛猫ちゃん、一人ぼっちなの?」

 舐めてもらった事から、少なくとも怖がってはいないのだろうと判断した美香は、その三毛猫の子猫に尋ねる様に声をかける。
 三色の毛がコントラストを強調している様な、人懐っこくもう一度返事をする様に鳴いた子猫。

「……あ、雨だしね。このまま放っておいたら、バチが当たる、よね」

 誰に対する言い訳なのやら。美香はそんな事を一人で言って頷くと、三毛猫を抱き上げた。「おいで」と言いながら抱き上げた美香は、慣れた手つきでその子猫を腕でしっかりと抱えると、マンションに向かって歩き出したのであった。





 自室に戻った美香は、猫に牛乳を与えようと試みるが断念する。

 元来猫は牛乳というものを飲める猫とそうではない猫がいる。栄養価は確かに高いが、お腹を下してしまう可能性がある。
 ペットシートすら用意していないこの美香の部屋で、下痢を促してしまってはちょっとした大惨事を招きかねないのだ。

 とは言え、何をあげれば良いかと考え、美香は結局猫の身体を拭いて、慌てて猫を置いたまま近くのコンビニに駆け込む事になったのであった。
 自身が濡れる事は厭わないという、何とも飼い主馬鹿の兆候を見せつつある自分に困った様に笑みを浮かべながら、キャットフードとシートを買い、美香は再び家へと走るのであった。




 それが、美香と子猫の出会いであった。





to be countinued...




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ご依頼有難う御座います、白神 怜司です。

めけんことの邂逅を日常タッチで描いてみましたw
次話で名前の下りが出て来る予定ですw

今回は美香さんの、まだあどけなさが残る一面を
表に出しつつ、虚無編との差をうまく描写出来ればと思ってますw

お楽しみ頂ければ幸いです。

それでは、今後共是非宜しくお願い致します。

白神 怜司