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奮闘編.6 ■ 美香
あの子が私のお店に来て数ヶ月。
衝撃のネーミングセンスを披露してから二週間。私が招いた女の子、“美紀”。
初めて会った時は、眼下に広がるネオンを何も感じていないかの様な顔をして見下ろしながら、世界に絶望している様な顔をしていた。
あの顔を私は知っている。かつての私も全く同じ様な顔をしていたから。
だからこそ、私はあの子を救おうと決めた。
これはかつての私なんだ、と。
それにしても、いざ救ってみれば随分と私とは違うタイプの人間だった。
私の生い立ち。それは最悪な家庭環境だったと言えるだろう。
母はスナックを経営していて、違う男を連れ込んでは女の顔を見せた。
母が連れてきた男は皆、私が中学生ぐらいになるとその獣じみた目を私の身体に向けてきた。
ついに身体に触れてきた男の脇腹に、銀色を突き立てた事もある。
そのせいで私は警察に捕まり、学歴というものを棒に振った。
行き着く先は、まさか母と同じ水商売の道になるのだろうか。
幼いながらにそんな事を思った。
だから私は、母の様に男に靡く生き方をしない強い女になろうと考えた。
身体を売っても、この胸の中の魂は決して売らない。
そんな芯の強さというべきか、私の頑固さが幸いしたのだ。おかげで多くのコネクションを築き、自分で成功を収める事が出来た。
きっと彼女は、これからも私なんかとは違った道を歩き続けるだろう。
だから私は楽しいのだ。
あの子は染まらない。この世界にも、私にも。
根が頑固、とでも言うべきだろうか。
あの子は本当に面白い。
「ね、めけんこちゃん」
喉をやわらかく鳴らしためけんこは、私の問いかけに答える様に身体を摺り寄せてきた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
続く猛暑に、蝉が忙しなく鳴き続けている。
店に通おうとするだけでも身体が汗ばんでしまう為、最近では店に早めに行くなりシャワーを浴びざるを得ない。そんな日々が続いている事に辟易としながらも、美香は店へと向かって進む。
手に握っている袋には、彼女がネーミングした愛猫へのお土産がしっかり詰められている。
「おはようございますー」
「あら、おはよう」
美香の上司である飛鳥と、自分がつい先日名付けた愛猫のめけんこ。そんな一人と一匹が事務所で遊んでいる姿を見て、美香は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「わー、飛鳥さんとめけんこ仲良しですねー」
「美紀ちゃんより好かれちゃったかしら?」
「えぇ!? めけんこってば私より飛鳥さんが好きなの!?」
冗談混じりにからかってみせた飛鳥に対し、本気で対応する美香。そんな美香を見て、飛鳥は小さく笑みを浮かべて「冗談よ」と告げると、一枚の紙を見せた。
「これは?」
「めけんこちゃんを飼ってくれそうな人、捜しておいたのよ」
そこに書かれていたのは、名前と住所。
めけんこの飼い主。
見つけなくてはならないと同時に、あまり見つかって欲しくないとすら思ってしまうそんな存在である。
ようやく見つかった飼い主の存在に、美香は複雑な胸中に顔を顰めていた。
「……美紀ちゃん」
「大丈夫です。めけんこの為ですもんね」
「……そうね」
声をかけようとした飛鳥を制して美香は告げる。
それがめけんこの為に自分に出来る事なのだ。そう改めて自分に言い聞かせる様に。
その日の夜。
帰路についていた美香は自身の置かれた状況を改めて考えていた。
借金の返済。それにめけんこの世話。
今の自分にはそれを両立させる事は出来ない。再優先するとしたら借金の返済であり、愛玩動物を飼うのはそれなりに余裕が出来た人間にのみ許される事だろう。
獣医にいかせるにも世話をするにも、時間とお金がどうしても必要になる。
それが現実なのだ。
そんな事を考えながら、美香は今の返済額とその残額を計算してみる。
「……800万」
この数ヶ月で20万以上ずつも振り込んでいるが、その利息のせいですっかり減らない頭金。とは言え、借りたのは自分だ。その責任は自分にもあるだろうと美香は考えている。
こうした金融業において、正規の利息を大幅に超えた金額については返済義務が発生しない。つまり闇金というシステムは、法的には何の強制力も持たないのである。
それでもそれが成立してしまうのは、闇金融というものでも借りたのが自分であるという責任感が理由となって、返済してしまうからだろう。
そこにつけこみ、暴利を貪ろうとするのがそういった連中である。
美香もカモになりやすい性格をしていた。
法に対する知識もなく、自己の責任感が強い存在。そんな彼女には、この負のスパイラルから抜け出す術がない。
一生懸命に全てを返そうとすればする程、美香はその泥沼に浸かってしまうのだ。
美香の与り知らぬ所では飛鳥が既に動きを見せているのだが、この時の美香がそれを知る由もない。
とにかく、今の美香にはめけんこを養うだけの経済力はあっても、その資格はないと考えていた。
「……やっぱり、私のワガママじゃダメだよね。めけんこは生きてるんだもん」
例え悲しくても、そんなワガママで生命を巻き込むような真似は出来ない。
美香としてはその考えに行き着くのであった。
数日後、飛鳥と美香は仕事の休みを利用してその飼主として名乗り出てくれた一人の男性と喫茶店で待ち合わせをしていた。
既にめけんこの為に色々と用意していた道具なども飼主に手渡す心算であり、それなりに大きな荷物を持っていた。
「おー、ごめんねー。待たせちゃったね」
そう言って美香と飛鳥のもとへとやって来た男性は二十代前半ぐらいの男性で、少々遊んでいそうな風貌をしている。
髪の毛は茶色い短髪で、髭を生やした色黒の男。
飛鳥は客として見れば明らかに“細い客”として断じ、美香は明らかに“チャラい人”という印象を抱く事になった。
「いえ、そんな事ありません。今回はこの子の飼主になって頂けるとか」
「へー、やっぱ写真で見るより美人だねー。あのSNSサイト、写真詐欺みてぇなの多いからあんまり期待してなかったよ」
飛鳥に向かってそんな事を言う男に、美香は僅かに眉間に皺を寄せる。
これは飛鳥の失態でもあった。
客にめけんこを託せば、それを理由に言い寄られる可能性があった。そこで第三者を探すべく利用したのが、大手SNSサイトだった。
かなり昔に使っていたサイトであったが、当時の写真などが保存されたままだったのだ。当然そこには飛鳥の数年前の写真も置かれていた。
それらをチェックした上で、下心ありきで近付いてきたのがこの男だったのだ。
「猫飼うのは良いんだけどさ。その代わり、仲良くしようよ。ほら、たまには会いたいだろ? そのブサ猫とだってさ」
「ぶさねこ?」
「その三毛猫だよ。あんまり可愛くねぇじゃん」
男の言葉に美香と飛鳥のボルテージは上がっていく一方である。
しかし男はどういう訳かそれを一切気にする様子もない様だ。
めけんこをブサ猫と称した時点ですでに美香にとって、飼主失格である。あとは飛鳥の顔を潰す事になる為、言葉を紡がなかった美香であったが、飛鳥は笑みを貼り付けている。
「そうですね。確かに三毛猫は綺麗な顔立ちとは言い難いかもしれませんね」
「だろ? で、どうする――」
「――ですが、愛嬌も可愛さもありますから。アナタと違って」
おもむろに立ち上がり、用意されていたコップの水を男の頭の上からかけた飛鳥が笑みを貼り付けたままコップを置いた。
「な、何しやがんだこのアマ――」
「――あぁ? 誰がアマだって?」
男の胸ぐらを掴んだ飛鳥がその顔を引き寄せる。
「常識も弁えないクズが、さっきから自分本位にぴーちくぱーちく囀ってんじゃねぇぞ、ガキが!」
「へ……!?」
飛鳥の声と同時に、周囲から数名の男性が立ち上がり、美香達へと歩み寄る。
「しっかり教育してもらうか、それとも二度とこんなゲスな真似しないってここで誓うか選びな!」
相手が男性である。
そんな事から、こうなる可能性を示唆していた飛鳥が待機させていた、とある面々が男を取り囲む。
一歩間違えれば美人局とでも思われそうな光景に、ただただ美香は乾いた笑いを浮かべるのであった。
「決めたわ。この子が私が責任を持って飼います」
帰り道、突然飛鳥が告げたその言葉に美香は唖然とする。
「ど、どうしたんですか?」
「なんかあんな飼主候補とか見ると、もう誰も信用出来なくなっちゃったしね。私が責任を持って飼うわ」
「……はい。私も、飛鳥さんなら信用出来ます」
「ふふ、ありがとう」
先程の般若のような怒りの様相とは打って変わって柔らかな笑みを浮かべる飛鳥。
そんな飛鳥を見て、この人を怒らせてはいけないのだと悟る美香と、その手に握られたペットハウスの中のめけんこであった。
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ご依頼有難うございます、白神怜司です。
めけんこ編はとりあえずこうして一段落です。
今回は借金についてちょっと触れるストーリーにしてみましたが、
続きは次回に持越しという形になりますね。
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは今後共宜しくお願い致します。
白神 怜司
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