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奮闘編.7 ■ めけんこの日常
朝がやって来る。
繁華街に位置するこの店は、朝になるとカラスがやって来ては忙しなく鳴いている。ゴミとして出された袋に目ぼしい獲物がないかと探っているのだろう。
この場所には誰もいない時間がよくある。
それもそうだろう。ここには誰も住んでいないのだ。
そんな場所に一人でいるというのもなかなかに特殊な環境であるとも思えるが、それはそれ。悠々自適の生活は嫌いではない。
食事も寝床も用意されているのだ。特に不平不満が出るはずもない。
――カチャり。
硬く乾いた音が鳴り響き、私はまどろみから目を醒ました。
窓の外は既に太陽も高く昇っている。どうやらすっかり二度寝を堪能してしまったようだ。身体にまとわりつく眠気を吹き飛ばすかの様に、私は身体を伸ばした。
「おはよ、めけんこ」
――そう言って、私を拾った主人と仲の良い女性は、私の頭を撫でるのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
めけんこの飼主を募集し、あの騒動から既に三日。
美香は飛鳥の提案を素直に甘んじる事となり、はれてめけんこは飛鳥の飼い猫となった。
――正確には、お店の飼い猫になった、という所だ。
飛鳥が連れて帰って世話をするのかと思われていたが、めけんこはこの事務所に住み着いている。飛鳥がそうするべきだと考え、めけんこをこの事務所に住まわせているのだ。
もちろん、飛鳥の住んでいるマンションはペット禁止という訳ではない。
これはひとえに、美香に対する配慮であると同時に、事務所にいる方が一緒にいる時間が作れるという飛鳥の考えによるものである。
詰まる所、ここでの生活に変わりはないのであった。
「しっかり食べなさいな」
飛鳥が高級な猫缶の封を開け、めけんこの食器にそれを乗せて手渡す。よくテレビでコマーシャルに使われている様な、さながらカクテルグラスの様な食器。そこに乗せられた食事を口にする。
――三毛猫が、である。
これがアメリカンショートヘアやロシアンブルー。ペルシャであったなら、コマーシャルの再現にもなっただろう。
しかしそこで優雅に食事に洒落込むのは、日本に馴染みのある三毛猫。その名もめけんこである。
ドアを開けて出勤してきた美香は、当然反応する。
「おはようございま――ぶふッ」
めけんこの優雅な食事に見とれるでもなく、飛鳥のその待遇ぶりがいかに飼い主馬鹿であるかを物語っているかを理解した訳でもなく、美香は噴き出す。
「プーッ、め、め、めけんこ……! 似合わない……ッ!」
「な……ッ!?」
思わぬ美香の一言に、飛鳥は顔を赤くして振り返った。
美香にとっての飛鳥は完璧な女性という印象が強く、隙もない人だと感じていた。
しかし目の前にいる飛鳥を見て、美香は笑わずにはいられない。それは恥ずかしがって顔を赤くしている飛鳥が珍しいからではない。めけんこの食事の姿が、その食べ物と容器のせいで豪華に見えるから、というのも一役買っているのだが。
何より、飛鳥が少しだけ近い人間なのだと、そう感じられた事が美香にとっては嬉しかったのだ。
「そ、そこまで笑わなくても! それに、めけんこだって優雅よ!」
「ぷふぃー、めけんこが優雅って……! 似合わないですよ、飛鳥さぁん……」
肩を震わせながら、やたらとキラキラと脳内補正を施しためけんこを想像し、美香が膝から崩れ落ちる。
めけんこは確かに可愛らしい、愛着のある顔をしている。しかしそれはあくまでも、三毛猫として見た範疇で、である。そこに気品さや優雅さを感じるのはなかなかに難しい話でもある。
余談ではあるが、この日の勤務終わりにはめけんこの食器は一般的な円形のものが用意され、室内には毛玉の様なボールや、ねこじゃらしの大きいタイプとも言える玩具が用意されていた。
食器を買うついでに色々買って来ただろう飛鳥は、それらを使ってめけんこと遊んでいるようだ。そう考えると、なんだか羨ましい気分になる美香であった。
「ばーべきゅー。ですか?」
事務所や女の子達の待機所に貼られた、一枚の張り紙。仕事上がりの美香が飛鳥に向かって改めて尋ねた。
「えぇ、そうよ。今度の店休日、みんなでバーベキューでもしようと思ってるの。もちろん、必要な食材と場所は私が用意するわ。みんなは水着とか着替えを持ってきて楽しんでもらえば良いわ」
「へぇー、楽しそうですね!」
めけんこを玩具で釣りながら、美香は飛鳥の提案を受け入れ、そう答えた。
この店――【RabbTail】は店休日を設けている。
これは、女の子の休養を目的として飛鳥が設けた休日である。こういった店では珍しい事ではあるのだが、飛鳥はその休みを利用し、皆に呼びかけたのである。
美香は美香で、一緒に働く女の子達との交流も楽しんでいる。仕事後に遊びに出かけるまでには至っていないが、挨拶や世間話を楽しむ程度には親しくなっているのだ。
こうした店では女の子の売上の順位や、派閥などがつきまとう。しかし飛鳥はそれを発表して闘争心を煽るような真似もしなければ、派閥を作ろうとした者は容赦なく切り捨てる。
派閥は一時的な相乗効果を見せるが、それ故に一過性にしかならず、店を廃らせる。様々な経験がある飛鳥だからこそ、そうした環境を一切許さないのだ。
――閑話休題。
美香も参加する事に対してはノリノリであり、すでに楽しみにしている節すら見える。それに付き合わされて、猫じゃらしもどきの玩具の動きがあまりに早くなり、めけんこが軽く目を回らせる程であったが、美香はそれに気付いていない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
バーベキュー当日。
空は快晴。ここ最近の猛暑は今日も変わらず絶好調であるようだ。
バーベキュー会場となる、広々とした河原。穴場である為、同じ目的でここに訪れている者は少ない様だが、そんな所に現れた数台の車。そこから次々と折りて来る、スタイルの良い女性達。偶然にも近くでバーベキューの準備に勤しんでいた男達がその視線を送るが、飛鳥と店の男性スタッフ達を見て、その視線は逸らされる。
荒事になりかねない業界だけに、飛鳥の店の男性スタッフは身体を鍛え、格闘技を嗜んでいるものが多い。プロを目指している者もいる程だ。
そんな男達が、飛鳥の支持で汗を流しながらバーベキューの準備に勤しんでいるのだ。一般人から見ても、特殊な環境であるある事は一目瞭然であると言えた。
一方で女性陣は、水着姿で川へと歩み寄っていく。
川の水温は上流から流れているおかげか冷たく、その冷たさに嬉しそうに黄色い声をあげていた。
「ほら、めけんこー。おいでー」
美香がめけんこと一緒になって川へと歩み寄る。淡い水色のビキニ姿で、後ろで髪を留めてアップにしている。
美香が川に足を入れてその冷たさを感じながら、めけんこにも入ってみるか尋ねてみる。しかしめけんこは近くの岩の上に寝そべり、眼下を流れる川をまじまじと見つめている。
「猫はあんまり泳ぐの好きじゃないみたいね」
そこへ歩み寄ってきて声をかけたのが飛鳥であった。
男性スタッフは準備に追われながらも、女性陣に水をかけられて盛り上がっている様だ。飛鳥は準備を任せ、美香とめけんこのもとへとやってきたのだ。
めけんこは飛鳥がやって来た事を歓迎するかの様にゆっくりと尻尾を横に揺らし、そんなめけんこの頭を撫でた飛鳥も川の中へと進んで行く。
身体にじんわりと滲んだ汗を押し流す冷たい川の水。気持よさそうにため息を漏らしながら、一度潜る。そして浮かんできた飛鳥は美香とめけんこに背を向け、濡れた髪を掻き上げた。
背中の肩に描かれた、鮮やかな緑色と青をたたえた、大きな蝶のタトゥー。美香は思わずその後姿に見惚れていた。
「気持ち良いわね。美紀ちゃんもやってみる?」
深くなっている場所でそう言って軽く手招きする飛鳥に、美香も奥へと向かって歩き出す。
「あ……――」
「――え?」
飛鳥の声と視線に、美香が思わず振り向く。
そこには、先程まで寝そべっていためけんこの姿はない。
美香の目に映ったのは、そんな無気力なめけんこの姿ではなく、空を美しく滑空してきているめけんこの姿である。
そして次の瞬間、めけんこの着水と同時に美香と飛鳥の身体に水しぶきが舞い、思わず小さな悲鳴をあげて顔をおさえる。
美香が目をあけると、何やら楽しげに犬かきならぬ猫かきを披露するめけんこの姿が飛び込んだ。
「……泳いでる……」
「私達と一緒に遊びたくなったのかしらね、めけんこも」
飛鳥がその大きな双丘と両腕でめけんこを包み込みながら声をかけると、めけんこはやわらかく喉を鳴らして肯定を示す様に鳴くのであった。
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ご依頼有難う御座います、白神 怜司です。
前回に引き続き、めけんこストーリーです。
今後の展開も考え、今はまだ事務所住まいのめけんこですw
いずれ移住し、行ったり来たりとかもする予定ですねw
今回はまったりバーベキュー編でしたw
猫のクセに泳ぐという破天荒キャットでした←
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後共宜しくお願い致します。
白神 怜司
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