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夕闇 イリエ
《――というのが今回の仕事になる》
「了解」
黒い髪の青年は通話状態が終了した携帯電話を手に、小さく嘆息した。
「……捜索か」
今しがた連絡していた内容を頭の中で反芻する。
今回与えられた任務は、自分の所属する組織によって召喚された、とある悪魔の捜索というものであった。
聞けば、その悪魔は予想以上の大物であるらしい。
――奈落の王。
それほどまでの大物を召喚したのだと言う。
そんな大物が易易と使役させてくれる訳はないだろう。青年は嘆息する。
案の定、それは施された封印を自らの力によって打ち破り、この東京の夜の闇へと消え去ったのだという。
――厄介だな。
そう青年は判断した。
悪魔は人間の魂を喰らい、そしてその中に寄生する。
媒介となった人間は、悪魔が眠っている間は一切の変化を見せないのだ。
標的である奈落の王ともなれば、その片鱗を漏らすような真似はしないだろう。それは青年にとっても容易に想像出来た。
(……立ち止まっていてもしょうがない、か)
焦燥感に駆られる事はないが、上層部からの命令となればそれを遂行する。
ただそれだけの事だと、青年は重たい腰を持ち上げたのであった。
空には太陽に照らされて浮かび上がる下弦の月が浮かんでいた。
ネオンに染められた街。そんな街でさえ眠ろうという、丑三つ時。夜の帳に抗わんばかりに煌々と輝きを放っていた街も、雑踏がなくなってしまえば虚しいものである。
そんな街を眼下に構えながら、人の気配が消えた街の中に浮かび上がる異質な気配を辿る。
(――……これか)
青年はその異質な気配に気付き、同時に確信した。
街の中、そして人の中にいながらも、その大きな気配は消しきれていないようだ。
標的である奈落の王とて、媒介となるポゼッショナーの器があまりに小さいようではその大きな力を隠しきる事は出来ない。
水瓶になみなみと注がれた水を、小さな容器に注いでもそれは溢れてしまう。それと同じようなものだ。
青年は携帯電話を手に取って何かを文に起こし、それを送信する。
それと同時に、眼下に広がったネオンから逃げるように暗闇の中へと溶けこんで行くのであった。
煌々と輝くネオンが街を照らしている。にも関わらず、人の気配が消えている。
それはさながらゴーストタウンの様で、世界から隔離されたかのような錯覚を生み出す。
そんな街の中を駆ける一陣の風。
青年は常人とはかけ離れた速度でその静寂に足跡を刻む。
(近いな)
大きな気配はそこまで遠くはない。
しかし、その大きさ故にあまり接近するのは得策ではない事は理解出来た。
本来の指令は捜索から発見に至るまで。確保はその内には含まれない。
奈落の王が相手では分が悪いといえるだろう。
青年はゆっくりとその容器の足取りを追いつつ、その動向を探る。
よたよたと歩く中年の男性。その足取りはまるで、泥酔した男の千鳥足にも見える。
ただ大きく違う点と言えば、その開かれた瞳が真っ白である事。そして、だらしなく開いた口から、まるで飢えた獣のように涎を垂らしている事だろう。
器が限界を迎えているのだろう。そう青年は判断した。
(まずい、な。このまま放っておけば、奈落の王はあの器を捨てて再び足をくらませる。
ならば……――)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
奈落の王はその窮屈な器から、早く解放されたいと願う。
己に見合う新たなポゼッショナーを探し、今の矮小で脆弱な肉体を操り、その身体が壊れる事に何も感じる事なく徘徊を繰り返した。
奈落の王は今、強い自我を持てずにいた。
次元の狭間とでも言うべきだろう場所から、再びこの世界へと訪れた奈落の王は、そんな己を本能のままに剥き出しにする。
封じられていた事から危機感を覚え、そして彼は脱走した。
全盛期からはおおよそ比べようもない、その力の弱さ。
もしも彼が自我を抱いていたなら、そんな自分に嘲笑すら浮かべていただろう。
故に、完全体を求めて彷徨うのだ。
しかし奈落の王は、自我を持たないが故にその動きには隙が生じた。
――しかしこれが、彼にとっての僥倖となる。
いい加減この器もそろそろ壊れるだろうという所で、黒髪の若い肉体が姿を現したのだ。
「来い、奈落の王。俺の中へ」
その言葉は願ってもない一言であった。
そもそも相手が拒んだとて、奈落の王はその肉体を逃すつもりなどなかったのだ。
より素晴らしい肉体。
そして何より、自分の波長と合う肉体。
飢えた獣のように自我をもたない奈落の王は、その肉体と魂を欲しはすれど、拒む必要などないのだ。
脆弱な肉体を捨て、招かれるようにその肉体へと入って行く。
濃密な力は甘美。その魂は極上。
その相性の良さに酔い痴れながら、奈落の王は魂を喰らい、復活を成そうと試みた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「――……そうだったね」
その言葉を呟いた黒髪の青年――イリエは、自分が何者かと改めて確認し、そして小さく呟いた。
虚無の境界に所属していた“夕闇 イリエ”という一人の青年。
“彼”は自らの身体を使って奈落の王を取り入れ、確保しようと試みたのだ。
人間という生き物であったなら、それは自殺行為だと言えるだろう。
圧倒的なその存在と、魂の力。
奈落の王たるその力を前に、人間などでは到底太刀打ちなど出来るはずもない。
それでも“彼”がそうしたのは、ひとえに“彼”が生に対する執着が浅く、それでいてとある“要素”を感じ取ったが故の判断と言えた。
――奈落の王と“彼”の相性の良さ、だ。
体内に入ってきた奈落の王に、一時は“彼”が消えてしまいかけた。
しかしながらそれらはその相性の良さによって、どちらかを殺す事もなく融合を果たし、そして今ここに、“夕闇 イリエ”として存在しているのである。
“彼”であり、奈落の王である者。
それが自分なのだと、イリエは改めて認識したのだ。
一時的な魂の混在から、記憶などが混乱していたらしい。
しかし、イリエは手に持っていた十字架を見つめ、それのおかげで自分の記憶を取り戻したのだと実感する。
魂の状態は安定し、そして今、イリエは自分の部屋にいる。
マンションの一室だ。
あまりに殺風景な部屋は、家具という家具もほぼ皆無だ。
虚無の境界に所属していた“彼”――即ちイリエは、一処に長居をする事などほぼ皆無であった。
(……やっぱり、記憶も問題ないみたいだ)
イリエはその部屋を覚えていた事。そして思い出した自分の正体。
今イリエは、それを改めて噛み締めていた。
記憶を摺り合わせながら一つ一つ、確認する。
常識的な記憶はしっかりと残り、一人の青年であった頃の記憶もしっかりと覚えている。
魂が融合し安定した為か、穏やかでありながら強い力を自分の中に感じている。
それに驚きながらも、それを平然と受け入れている。そんな不思議な気分が混在している。
(……ゆっくりもしていられない、か)
イリエは改めて自分の携帯電話を見つめ、そのメールの内容を見つめた。
そこには、『見つけた』と書かれた無機質な文字が映っている。
詰まる所、自分が奈落の王と接触した事が、すでに虚無の境界には知られているという事だ。
思い返すスノーとの戦闘などから、自分の存在が確認された可能性も高い。
イリエの直感通り、それはすでに虚無の境界の関係者に知られていた。
それを報せるかの様に、手に持っていた携帯電話が鳴り響いた。
表示された文字は、『非通知』。
イリエは通話ボタンを押すと、携帯電話を耳に当てた。
《奈落の王と接触したんですって?》
電子音によって変換された、女性の声。
その声にイリエは、どう答えるのか逡巡するのであった。
to be countinued...
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ご依頼有難うございます、白神怜司です。
今回はイリエさんが何者か、そしてどういった経緯で
奈落の王となったのかというお話でした。
描写を変える事で掘り込んで書かせて頂きました。
リクエストの通り、奈落の王として統一させて頂きました。
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後とも宜しくお願い致します。
白神 怜司
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