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Episode.42 ■ 集結
「止められなかったよ……」
憂の沈んだ声を聞いてなお、シンは相変わらずの微笑を湛えたまま“卵”へと歩み寄っていく。
「……成る程。これがあの“虚無”の卵ですか。確かに、この段階になってしまった以上、そう易易とは破壊出来ないでしょうね」
「何か手はないの?」
「中にはアイちゃんが!」
ユリカと美香が切迫した雰囲気を纏ったままシンへと問いかけるが、シンはゆったりと首を左右に振るだけで、美香達へと振り返った。
「出来ない手がある訳ではありませんが、先程も言った通り易易とはいかないでしょう。母体を基に虚無が孵るまで、およそあと3時間といった所でしょう」
3時間。
シンに告げられた、長いようであまりに短い時間に美香は思わず息を呑んだ。
「3時間、ね……。それで、その3時間の間に何をすれば良いの?」
憂の言葉を聞いた美香が、改めてシンを見つめた。
「……方法は3つ、といった所でしょうね。まず一つは、卵のままこれを壊してしまうこと。ですがこの卵は、外部からの攻撃をものともしません」
「そんな……」
「次に、このまま奈落の底へと叩き落としてしまうこと、でしょう。虚無は神であると同時に、人の憎悪や悲しみといった負の感情を糧とします。そういった思念のない場所に落とし、消し去る事です」
どちらにせよ、母体は助かりませんが。
そう暗に告げられた美香やユリカ、それに憂は息を呑む。
「……最後の一つは?」
憂の質問に、シンはこれまでとは違って僅かに逡巡するような素振りを見せて口を開いた。
「母体よりも高位の適合者に、依代になってもらう、という点です」
「……どういう事?」
憂の質問に対し、シンが静かに説明を始めた。
「“虚無”を召喚するには、いくつかの条件が必要なのです。
一つは、多くの魂。それも、怨嗟によって染まった限りなく負に染まった魂が必要だということ。
そしてもう一つは、依代との相性、とでも言いましょうか。私とユリカさんのように、こちらの世界に存在する為の器が重要になってくるのです」
「アイちゃん以上の適合者がいたとして、それがどうするの?」
「自我を失わず、虚無と共存。或いは喰い殺せるかもしれません」
「――ッ!」
シンの言葉に、美香とユリカ、それに憂が大きく目をむいた。
「卵から孵る前ならば、という前提になります。
もしも卵から孵ってしまえば、虚無は世界をそのまま飲み込むでしょう」
「アイちゃん以上の適合者がいても、リスクが高すぎるよ! それに、3時間なんて短い時間で、そんな都合が良い人、見つかる訳ない!」
思わず憂も声を荒らげた。シンもまた、これは望み薄だと感じているのだろうか。瞼を閉じて頷いた。
しかし、美香だけはただ思考を巡らせた。
虚無の召喚。
それを行う為に東京を凄惨な戦場へと塗り替えてきた虚無の境界。そして、器と虚無の相互関係。
つまりこの一連の事件はそもそも、霧絵は段取りを踏まえて計画していた事であるのは間違いなかった。
IO2と虚無の境界が互いに手を組んでいたのは事実だ。
だとすれば、器となるべきアイの存在に気付いていたのであれば、もっと早くから計画を実行出来たのではないかと美香は考える。
ならば何故、能力を魔神と融合させる為だけに付与させ、駒としてきたのだろうか。
そもそも、手駒を増やすだけなら魑魅魍魎を集めてしまえばそれだけで事足りると言えただろう。IO2に所属している者を手駒に出来たのなら、なおさら美香のような戦闘が出来ない人間を使う必要はなかったのではないだろうか。
この二つはそもそも、別の関係ではなかったのではないかと美香は推察する。
――もしも虚無の境界がアイを知らず、器をまだ欲していたなら。
それはつまり、器を作り、下地を作る為だけに“適合者”を探す必要があったという事だろう。
――つまり、かつて霧絵が言っていた“適合者”とは、魔神との適合者ではなく、虚無との適合者だったのではないだろうか。
ユリカが言ったように、自我を残せる程の魔神との適合に適した器はそうはいないらしい。
それは詰まる所、ユリカと美香の相性が良いのではなく、美香が適合者として高い素養を持っていたと考えられる。
「……それって、私なら出来るんじゃないですか?」
美香の言葉に、ユリカと憂が美香へと振り返った。
「……どういう事……?」
「ユリカと共存出来た私なら、アイちゃんの代わりに虚無を身体に宿す事が出来るんじゃないですか?」
動揺しているユリカと憂を他所に、シンに向かって美香がまっすぐ見つめたまま尋ねる。
僅かな間を置いて、シンは鷹揚に頷いた。
「……えぇ、その通りです」
「な……ッ!?」
「正直に申し上げれば、こうなる可能性を避ける為に美香さんをこちらに連れて来たのです。私は虚無の復活を望まない。その為にアナタがたと協力したのは本心ですが、虚無を二度と復活出来なくさせてやるのもまた、私の目的です。
アイという母体と共に封印するのも一種の手ではありますので、わざわざ美香さんに手を貸して頂く必要はないでしょうけど」
「それはつまり、アイちゃんを犠牲にして虚無を封じるという事ですよね」
美香の言葉に沈黙をもって答えるシン。
ユリカも憂も、理解していた。
目の前にいる美香という一人の少女が、誰かの犠牲の上に成り立つ解決を良しとしないだろう事を。そして――
「なら、私がやります」
――そう答えるだろう、と。
「……美香……」
「ユリカ、大丈夫。せっかくユリカと仲良くなったんだもん。虚無なんかに負けたりしないってば」
「もう、何を言っても譲る気はないの?」
ユリカの問いに、美香はただ笑顔を湛えて頷いた。
「美香さん。私の異空間に、アナタ達と虚無の卵を隔離します。そうする事で、孵化の時間を遅らせる事も可能でしょう」
「お願いします。
憂さん。アンジェリータちゃんの事、お願いします」
「……そんな事言われなくたって、なんとかするから大丈夫! 絶対、絶対帰ってきなよね、美香ちん」
「……はいッ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「草間さん! 百合ちゃん! みんな!」
「美香!」
シンに連れて来られた異界。赤黒い空に廃墟となった建物ばかりが立ち並ぶその場所へとシンに連れられてきた美香達は、久々の再会に駆け寄り、互いに声をかけあった。
それぞれに動いていた間に、ずいぶんと多くの事件が起こったようだ。しかし、美香はやいのやいのと騒がしい仲間達にもみくちゃにされながらも、嬉しそうに言葉を交わしていく。
「……バカね……。何でそんな危険な真似を……」
全ての事情を聞いた百合が、開口一番にそんな言葉を呟いた。
アイという一人の少女を見殺す形になったとしても、それはきっと必要な犠牲だと割り切れるだろう。だと言うにも関わらず、美香はそれをしようとはしないのだ。
自分の命と他人の命。
天秤にかけた時、どちらが大事かなど誰が聞くまでもないだろう。ましてやそれが、知り合って数日程度ならなおさらだ。
「私は、大丈夫だよ。絶対帰ってくるもの」
「……えぇ、そうね。神の一柱より頑固って、見せてやりなさい」
美香の言葉に百合は激励を飛ばした。
「美香っち、頑張れよな!」
『うむ。美香殿ならば大丈夫でござるよ』
翔馬とスサノオは笑顔を浮かべ、信頼する。
「……虚無になったら、斬るよ」
『こわッ!? おいおい、スノー。こないな時に何言うとんねん』
スノーとヘゲルは相変わらずなようだ。
「お前が戦ってる間、ここで待っててやる」
そして武彦は、美香の頭をグシャグシャと乱暴に撫で回した。
これが信頼であり、仲間なのだろう。
美香はそんな事を頭の中で考えながら、ゆっくりとユリカに向かって歩み寄り、抱き締めた。
「行って来るね、ユリカ」
「ぶっ飛ばしてきなさい、美香」
相変わらずのユリカの激励に苦笑を浮かべつつ、美香はユリカの身体から身体を放し、卵へと向かって歩き出した。
「……アイちゃん、待っててね」
美香が手を伸ばし、その中へと入っていく。
黒い球体はやがて光を放ち、アイの身体を染み出すように吐き出し、再びの沈黙を始めた。
融合の成功を意味しているその行為に、それぞれの表情が強張る。
「……さて、俺達もゆっくりと待たせてはくれなさそうだな」
「そうね」
武彦と百合が、横から近付いてくる気配に気づき、呟いた。
「……参りましたね。まさか同系統の能力者を使ってこんな所まで追って来るとは……」
シンも思わず呆れたように呟いた。
視線の先には、4人の男女の姿があった。
虚無の境界の盟主、巫浄霧絵。
金髪の霊鬼兵、エヴァ・ペルマネント。
銀髪の獅子、ファング。
そして、白い貫頭衣さながらの服に身を包んだ一人の少女。シンと同系統の能力、『誰もいない街』を持つ、阿部 ヒミコ。
「邪魔はさせないわよ、虚無の境界」
「邪魔はこちらのセリフよ、百合」
最後の戦いが、始まろうとしていた。
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いつもご依頼ありがとう御座います、白神 怜司です。
今回ついに対峙する、虚無と全員。
美香さんは孤独な戦いになってしまいますが、
味方達に見守られながら、虚無との戦いに入ろうとしています。
佳境に入ろうという所ですね。
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。
白神 怜司
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