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Episode.43 ■ 核となるべきモノ
『――どうして分かってくれないの!? 私だってもう子供じゃない!』
懐かしい言葉。
美香は虚無の卵の中へと身体を入れると、自身の記憶をモニター越しに見ているかの様な錯覚に陥った。
両親との生活に辟易として飛び出した過去。
しかしその結果に自分が遺した結果と言えば、借金を作ってお水の世界に入ったという現実。
それは簡単に言うならば、自分の認識の甘さが成した結果だ。
それだけ自分は甘かったのだと、今となって改めて再認識する。
全てがボロボロになって崩れていく、そんな日々を悲観した。
そして決意した、あの日。
屋上から眼下に広がったネオンの街を見下ろして、死のうとした所でかけられた言葉。
酷く頭痛がしていたせいか、しっかりとは憶えていない。
飛鳥さんに告げられた言葉は、何だったか。
そんな事を思い出しながら、美香は自身の過去を見つめていた。
――なんだかんだで借金を全額返済してなお、自分はお水の世界を離れようとはせずに残っていた。
当初はお水の世界を嫌がっていたにも関わらず、飛鳥という自分の命の恩人を見ていて。そして、色々な出会いを経て、美香はこの生活を決して嫌っていなかった。
そして、百合との邂逅。
虚無の境界とIO2の両方からのアプローチに、どうして自分がと呟いたものだ。
美香は随分と遠い過去を思い返す様に、小さく笑みを浮かべた。
不意に映像は途切れ、やがて意識が浮上する。
真っ暗な空間かと思えば、どうやら意識だけが別の世界に飛んでいるかの様な感覚。
赤黒く、何もない世界。
美香はそこで、何をするでもなくまっすぐ前を見つめた。
「……ユリカ」
美香の呟きにも近い小さな声に呼応するかの様に、そこにユリカの姿が現れた。
《無事に繋がったみたいね》
「……うん、多分。そっちはどう?」
卵の内側にいる美香と、卵の外にいるユリカ。
核はあくまでも美香の中にある為か、この状況でもこうして意思の疎通は可能な様だ。目の前に現れたユリカは、あくまでも美香が思念で作り上げた映像に過ぎないらしい。
《乱戦開始って所ね。悪いけど、アタシもそこまで余裕はないかもね》
「……絶対、無理しないでね」
《それはこっちのセリフよ。美香――――たいに――――いよ――――》
ザザッとノイズが走るようにユリカの映像が揺れ、音声が途絶える。
それはまさしく混線したかの様で、美香はその目の前の光景にわずかに手を伸ばすも、すぐにその手を引いた。
「……分かってる。絶対に帰るよ」
ユリカが言わんとしている言葉が理解出来たのだろう。
美香は小さくそう答えると、真正面に突如として現れた黒い人のシルエットと向き合った。
「……虚無……?」
この中ならば、直接ぶつかる事もあるのではないだろうか。
そう考えて美香は、そのシルエットこそが虚無ではないだろうかと当たりをつける。
対する影はゆらゆらとその身体を揺らしたまま、何も答えようとはしない。
油断して乗っ取られてしまっては目も当てられない。
美香はその影を真正面から睨み付け、すぐに動ける様に身構える。
《――問》
不意に響き渡った、女性とも男性とも取れない声に美香はわずかに身を震わせた。
頭の中に直接響き渡ってくる様な声。若いとも年老いたとも取れない、なんとも形容しがたい声だ。
次第に黒いシルエットは、そのままアイの見た目を形造っていく。
真っ黒な、色の違いのないシルエット。口も目もないただその身体の形を造った黒い何かは、まるでアイを真っ黒いペンキをぶちまけて上塗りしたかの様な様相となった。
《自我を持ったままここにいられるとは、人間とは面白い》
先程と同じ不思議な声で影は美香に向かって声をかけた。
「……やはりアナタが虚無なんですね」
《否。我に名はない》
「名はない……?」
美香の言葉に何を感じるでもなく、淡々と告げる様な言葉。
声はそのまま続けた。
《光、あるいは闇。天使、あるいは悪魔。神、あるいは邪神。
我は我であり、そう呼ばれてきたモノ。
故に我に名はない。時代、人、世界。それぞれが勝手にそう呼ぶのみ》
「……どういう、意味……?」
《我は喰らうモノ。そこに善悪もなく、優劣もなく、等しく全てを喰らうモノ。
変化を受け入れ、その後に繁栄するならば神と呼ばれ、変化を直接受ける者からは死神とされる》
「……つまり、アナタ自身は虚無ではない、と?」
《是であり否。知識や言語は糧となったのみ》
美香は虚無の言葉にその意味をようやく悟った。
つまり虚無とは、あくまでも定義の上に成り立った存在。
そこに本人の意思などは存在する事もなく、本人そのものが存在していないという事になるのだ。
等しく全てを喰らう。そういう点で考えるのであれば、やはり虚無という名が相応しい存在だろう。
本人の意思などは存在しておらず、全てを平等に無に還すのだ。
それを人間が勝手に名付けている。
つまり虚無は、簡単に言うなれば自然と同じ。
何か本人の意思によって方向性が定まるのではなく、ただただそこに現れて全てを飲み込む、ブラックホールにも近い存在なのかもしれない。
召喚された事。ただそれだけが、世界の命運を分ける出来事だったというのだ。
「……どうして、そんな存在に……?」
思わず美香は呟いた。
それは質問ではなく、むしろ嘆きに近い言葉であった。
しかし虚無は――いや、虚無と呼ばれたそれは美香の感情など一切の理解を示す気もないかの様に、答える。
《有が生まれれば無へと消える。事象そのものが我》
「……お願いします。どうか、この世界を消さないでくれませんか?」
それでも改めて、美香は声をかける。
会話が可能ならば交渉は不可能ではないのではないか。そんな淡い期待を胸に抱いたのだ。
《不可。喚ばれ、具現化すれば既にそれは事象となるのみ》
あっさりと、それでいて明確に。
美香の希望は打ち砕かれる事となった。
美香とて、虚無が一筋縄でいく相手ではないと理解していた。
しかしそれは、あくまでも“意思を持った何か”であると前提し、考えていたのだ。
意思が相手ならば、意思をぶつける事が出来るだろう。
世界の破滅を止める為に、そして外で戦っている味方の為ならば、どれだけ苦しい思いをしてでも虚無を抑えてみせようと考えていた。
しかし、これ程までに“意思のない相手”では、対抗する術が見当たらない。
眼前にいる虚無は、神ではない。事象に抗うのであれば、それ相応の手段が必要になる。
ここに来て、美香はもっともタチの悪い存在と向かい合う事になったのだと言えた。
「……でも、諦める訳にはいかないんだよね……」
奮い立たせる様に、自分で自分に言い聞かせる。
黒い影を眼前にしながら、美香はそれでも意思を持つ。
信念のない事象と名乗る存在に自分が飲み込まれ、世界を、皆を飲み込ませるなんて見逃せるはずもないのだ。
最悪、虚無が外に出られさえしなければ、武彦や憂。それにシンや百合ならば、何かしらの打開策を考えてくれるだろうと美香は信じる。
《器の存在を確認。人間、女。許容範囲内。実行する》
まるでプログラムに沿った機械の様に淡々と自身に対するオーダーを読み上げる虚無の腕が動き、美香の身体に一瞬にして伸びていく。
それを避ける事も出来ずに黒い影に捕まってしまった美香は、その光景に息を呑んだ。
黒い腕の部分から、自分に触れている箇所にインクが滲み出るかの様に黒が広がっていく。
そして同時に、美香の中に虚無が見てきたのであろう世界の滅亡の記憶がフラッシュバックされて美香の中へと流れこんでくる。
「――ッ! う、ああぁぁああぁぁッ!」
まるで身体の中を何かが這い回るかの様な感覚と、浮かんできた世界の崩壊への道筋を見て、美香が声をあげる。
悼みはないが、心が染まっていくような感覚。
それは、絶望や怒りでもなく、悲しみや苦しみでもない。
全てを失った喪失感、とでも言うべきだろうか。
ズズズッと自分の腕を通じて入って来る虚無の黒い何かに、思わず美香も恐怖する。
このままでは、自分も飲み込まれてしまうのではないか。
そんな恐怖が脳裏を過った、その瞬間。
――美香の視界は、真っ黒な闇によって塗り潰された。
to be countinued....
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いつもご依頼ありがとう御座います、白神怜司です。
せっかくのラストバトルの開始なので、
今回は一つの場面に絞って書かせてもらいました。
予定では次回、百合達一行のターンですね。笑
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後とも宜しくお願いいたします。
白神 怜司
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