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奮闘編.12 ■ お化け騒動―エピローグ
「――そう、それは良かったわ」
『RabbiTails』の事務所で、飛鳥が笑みを浮かべた。
今しがた、美香によって事のあらましが説明された所である。
「〈第一寮〉の事はこちらで急いで手を打つから、心配しなくて良いわ。美紀ちゃんのおかげで、これでようやく肩の荷が下りた気分だわ。本当にありがとう」
「いえ、私はただ……、騒いで足を引っ張っちゃっただけかなって……」
「……どうしたの?」
解決を喜ぶ飛鳥とは対照的に、少々元気がない様子を見せる美香の顔を飛鳥が覗き込む。
「……私はただついて行っただけで、何も出来なかったなーって……」
「それはしょうがないじゃない。私だって美紀ちゃんと逆の立場だったら、きっと何も出来ないわ」
「……でも、良かったです。なんだか大変な事になっちゃったけど、普通じゃ見られない物も見れたって言うか。あ、でも怖いのはちょっと嫌ですけど……」
思わず本音が漏れた美香の頭を、飛鳥がそっと撫でる。
「ありがと、美紀ちゃん。美紀ちゃんが動いてくれなかったら、きっともっと時間がかかっていたわ。何が出来たとかじゃなくて、それをしたっていう事が一番大事だと思うわ」
「……はい」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
雑居ビルの一室にある『草間探偵事務所』。
そこを訪れたのは、ゆるやかにウェーブがかかった髪を束ね、30前後の年齢に相応しく大人の色香を漂わせた女性――飛鳥であった。
美女、という言葉をまさに体現するその姿は、日本人特有の幼さが似合わない程の美しさを感じさせる。
そんな彼女とは不釣合いな、古ぼけた雑居ビルの中で、彼女の存在は妙に際立って見える事だろう。
――――さて、そんな美女を前にしているのは、実に不機嫌そうな同年代の男性。
草間 武彦である。
眉間に皺を寄せながら、丸眼鏡の向こう側では訝しげに飛鳥を射抜く。微笑みを讃える飛鳥の表情に、自らの内に秘めた鬱憤の一つでも晴らしてやろうと嫌味を探す。
生憎見栄えにも問題はなく、どうしたってキツくなりがちな香水の香りも適量を弁えている。
匂いで文句を言うのであれば、自身の煙草の方が十分に害悪である事は承知している。
結局、非の打ち所がないのだ。
これには武彦もげんなりする。
「……チッ、今回はよくもまぁ色々と仕組んでくれたもんだな……」
開口一番に出た皮肉は、端から見ればチンピラ風情と大差ない。
しかし飛鳥は正面に座ったまま小さく笑みを浮かべたまま、武彦を見つめる。
「人聞きが悪いわね」
「おおかた、客に俺を紹介する様に手を回して、あの嬢ちゃんをこっちに自発的に行かせた、って所だろ?」
「……フフ、さすがは名探偵さん」
「言ってろ」
実に不愉快極まりない。
そう言わんばかりに武彦は嘆息する。
「ねぇ、探偵さん?」
「アンタなぁ……。いい加減その呼び名は辞めてくれ。俺は草間だ」
「あら、良いと思うのだけど。“発見者”なんて言葉よりはよっぽどお似合いだわ。そうでしょ、ディテクターさん?」
妖艶な笑みを浮かべて告げる飛鳥を前に、武彦は何も言わずに煙草を咥えて天井を見上げた。
立ち上る紫煙を見つめ、そして更に自身の吐息に乗せて吐き出す。
「……何処で知った?」
「私もね、こういう業界にいるんだもの。色々な所から情報は回って来るわ」
飛鳥の答えに、武彦が突如として腕を動かし、腰の後ろに隠していた銃を飛鳥に向かって突き出した。
「……どういうつもりだ」
「依頼する探偵の実力を調べるのも、依頼者として当然の権利よね?」
銃口を眼前に突き付けられながらも、一切の焦りを見せずに飛鳥は告げる。
正直これには、武彦もあっけに取られてしまった。
「……たく、ちょっとは驚いてみせろっての。可愛げのない女だ」
「可愛げはお客様の前だけで良いのよ。それに、もう私はそういう立場じゃないの。分かるでしょう? こういう裏の業界が、どれだけ厳しいかって事ぐらい」
「……ホントに可愛げないな。それで、わざわざ今回の件の礼を言いに来たって訳じゃねぇんだろ? 今日は何の用件だ?」
「あら、深読みし過ぎよ。今回はウチの娘たちの代わりにお礼を言いに来ただけ。一回ぐらいならお金もなく相手してあげるけど、どう?」
「……はぁ。軽い女を演出するには、少々貫禄がありすぎると思うんだが?」
「フフフ、やっぱり。私もそう思うわ」
クスクスと笑う飛鳥を前に武彦は深く嘆息し、煙草を灰皿へと押し付けた。
「……あのトラブルメイカーに関係する用件、か?」
「……もう、デリカシーがないのね。何でも見通せる男なんて、女にとっては天敵でしかないと思うわ」
「笑いながらそんな事言われてもな」
「フフフ、そうね。今回私が来たのは、確かに美紀ちゃんの事よ」
「悪いが引き取る程の余裕も金もねぇぞ」
「そんなの見れば分かるわ」
飛鳥の言葉が武彦の胸にグサリと刺さる。
思わず小さな声を漏らした武彦に向かって、飛鳥は続けた。
「あの子をね、もうちょっと色々な場所に連れて行って欲しいのよ」
「……難しい注文だな。俺はもともと誰とも組む気はない。せいぜい組めるとしても――」
「――能力者ぐらい。他は足手まといでしかない、かしら?」
「……チッ、イヤミな女だ。何処まで知ってやがるんだか……」
「別に良いのよ、たいした事件じゃなくても。ただ、探偵さんが適任だと思っただけ。世界が狭い可愛い小鳥を旅させるなら、それ相応のボディーガードが必要でしょう? 世界は優しくないから、ね」
「……タダで連れて行くのか?」
「あの子を連れて行くなら、その分は私から出すわ。アナタから、という名目で渡してから請求してくれれば構わないわ」
「おいおい。そんなの俺がちょろまかす事だって出来るだろ?」
「いいえ、アナタはそんなちゃちな人間じゃない。フフフ、人を見る目には自信があるの」
再び武彦が苦々しい顔をして煙草を咥え、日を点ける。
そんな言葉を告げられてそれを不意にする程、武彦は曲がっていない。それは確かに正論だ。
だが、全てを見通されるというのも釈然としない。
それは彼なりの挟持が許さない。
「……はぁ、分かった。だが最初だけだ。数回はアンタからの依頼として受ける。だが、使い物にならないなら、その仕事は降りるぞ。逆に使い物になるなら、俺から金を出す。それで良いな?」
「あら、美紀ちゃんのお金は私が払うわよ?」
「フザけんな。助手として使うかどうかは俺が決める。言わば無料のお試し期間だけで十分だ」
武彦なりの落とし所は、そこなのだろう。
飛鳥は小さく口角を釣り上げると、再び武彦に向かって口を開いた。
「ありがと。本当に、一度ぐらいならタダで相手してあげるわよ?」
「その内、気が向いたらな」
「あっそ。それじゃ、またね。探偵さん」
立ち上がり、飛鳥が事務所を後にする。
その姿を見送り、ようやく飛鳥がいなくなった後で、武彦は思考を巡らせた。
(……何を考えてやがるんだ、ったく……)
その第一声は愚痴である。
正直、武彦は不器用な男だ。女の扱いなんてものはいまいち理解していない。
そんな武彦が、女として磨き上げられた飛鳥の考えを理解するに至るなど、到底難しいだろう。
犯罪がらみや仕事上ならばともかく、そうではないのだから。
――一度思考を切り離し、これからの事を考える。
深沢美香。
ただの女性を探偵の仕事に連れて行くのは、相当に骨が折れるだろう。
今の武彦にとって、美香という少女は実に健気な、まだ若い少女の一人としての印象しか抱いていない。
それがどう化けるかなど、今の武彦には想像など出来るはずもないのだ。
それを連れて行くとなれば、今回の様な事件に陥った場合に最低限の武力を手にする必要があるだろう。
――となれば、またあのロリっ娘研究者の手を借りて、装備を整える必要があるだろう。
「お兄さん、コーヒーおかわりしますか?」
「あぁ、頼む」
不意に声をかけてきた零を見やる。
確かに零は、霊鬼兵として戦闘能力を持っている。が、出来るだけそういった生活には戻したくない、というのが武彦の本音だ。
普通の少女として生きる様に教えているのに、美香を連れる為だけに巻き込んでしまっては論外だろう。
やはりあのロリっ娘に頼るしかないようだ。
そう武彦は行き着くと、携帯電話を手にした。
《ただいま電話に出ちゃいましたー!》
「……お、おう」
相変わらずの謎なテンションを前に、武彦が一瞬にして置いていかれる。
これが電話の相手の通常運転だと言うのだから頭が痛い。
《武ちゃん、どしたのー? 最近連絡してこなかったけど、そろそろ武器が足りない? それとも、この天才科学者の憂ちゃんが懐かしくなっちゃったのかなー?》
「相変わらずだな、憂」
《いやー、元気だからねー! それで、どうしたの〜?》
「あぁ、ちょっと頼みたい事があってな……」
こうして、美香の与り知らぬ所で、着々と美香が連れだされる経緯が築かれていたのである。
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ご依頼有難うございます、白神怜司です。
なんだかんだで今回はエピローグ、というよりも、
舞台裏のお話がメインになりました。
足手まとい状態だった美香さんを連れて行くに至る経緯、
武彦と飛鳥のお話など、本当に舞台裏ですね。
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後共宜しくお願いいたします。
白神 怜司
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