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Mission.8 ■ 焦燥
翌日、IO2東京本部、射撃訓練室。
長距離に移動した紙の的に向かって放たれる、連続する射撃音が奏でられていた。
訓練していたエージェント達は、先程から自分達よりも早く、そして正確な射撃を繰り返している一人の若いエージェントの姿を後ろから唖然とした表情を浮かべて見つめていた。
装填から照準を合わせ、射出から生じる火薬の爆発が起こした衝撃に対し、一切ブレない腕。定期的な射撃音。
そして12発の弾丸が打ち終わると同時に、マガジンを落として装填し、再びの射撃。
本来射撃の訓練において、的に当たっていれば一度12発の射撃を終えれば穴だらけになって的は落ちる。
しかしその銃撃は先程から中心の周囲およそ5センチ程度を円形に抉り、その後の銃弾は全てその空白を通過している。
精密な射撃技術を目の当たりにして、エージェント達は息を呑んでいた。
――再びマガジンを落とし、装填。
照準を定める僅かなタイミングで突如、背後から銃声が奏でられ、的の留め具が一際激しい銃声と共に弾かれた。
突然の銃声に周囲のエージェントらも、その射撃を繰り返していた若い青年も、ひらりひらりと舞う的を見つめてからようやくその介入に気付いたかの様に振り返る。
日本のエージェントが使う黒一色のベレッタとは違う、銀色の鈍い輝きを放った銃身。マガジンタイプとは違う、リボルバータイプの銃を構えた金髪の女性。
反動が強いリボルバータイプのマグナム銃を、一瞬にしてホルスターから抜き取った女性が、一切のズレもなくそれを撃ち抜いたのだと理解すると同時に、その妖艶とも取れる笑みを浮かべた女性――エルアナへと視線が集まる。
エルアナは先程から連発していた青年へと歩み寄り、ゆっくりと口を開いた。
『フェイト。また悪い癖が出てるわよ』
振り返ったフェイトは晴れない顔を浮かべて苦笑する。
その表情に気付いたのか、エルアナはそっとフェイトの頬に手を伸ばした。
白いカットシャツに黒いタイトスカート。そして黒いタイツに黒いヒールという、いかにもスーツ然とした姿のエルアナに見蕩れていた他のエージェント達も、徐々に散り始めていく。
『悪い癖って、何が?』
『射撃ペース。アメリカでも嫌な事とかがあると、そうやって一日中銃を撃ってたでしょ。手を見せて』
そっとエルアナが静かに声をかけ、フェイトの手を取ると、その擦り切れた掌から滲む血を見て顔を僅かに顰めた。
『今日はもうやめた方が良いわ。ベレッタもそんなに連発で撃ったら銃身が焼けてダメになるし、この手も酷くなるわ』
『……エルアナ……、もしかして、あのファイルの事――』
口を開いたフェイトの唇に、エルアナの細く白い人差し指が当てられた。
『――人目があるわ。手当もするから、移動しましょ』
◆
『これで良し、と』
自動販売機の置かれた休憩スペース。
喫煙所を兼ねたその場所で、消毒液を染み込ませたガーゼで手を拭い、傷口に新しいガーゼを当てて包帯を巻きつけたエルアナはそう呟くと、フェイトの手を包む様に手の甲から握り締める。
椅子に座ったフェイトの前で膝立ちしていたエルアナの視線に、フェイトは所在なさげに視線を逸らそうとするが、もう片方の手で頬を引き寄せられ、視線が引き戻されてしまった。
『“特異者覚醒計画”。フェアリーダンスの裏に隠れていた本当の目的について、ジャッシュに確認を取ってみたわ。やっぱり大掛かりな計画が関係しているみたい』
視線を引き戻されたフェイトが抵抗を辞めると、エルアナが頬から手を放してそう告げる。
フェイトは再び視線を落とし、握られた自分の手を見つめた。
『……何か情報が見つかったの?』
『いいえ。ただ、元ディテクターのタケヒコ・クサマがこの事件を追っていたのは間違いないみたい』
『草間さんが?』
驚きに目を見開いたフェイトの問いかけに、エルアナが頷いて肯定を返す。
『彼がジャッシュと繋がっている。あのD-FileをIO2から持ち出したのが彼みたいね』
『……って事はIO2が関係してるんじゃ――』
『――それはないみたいよ』
そっとフェイトから手を放したエルアナが立ち上がり、ポケットから煙草を取り出し、火を点けて紫煙を吐き出した。
『ただ、フランスのエージェント。ルーシェとアリア。彼らに注意すべきだと、ジャッシュも言っていたわ』
『フランス……。鬼鮫さんもそんな事を言ってたらしいけど、一体何で?』
『細かい情報はこちらにも届いてないわ。ただ、ジャッシュが確証もなくそう言っているとは思えないわ。何かしら尻尾を掴めれば良いのだけど、ね』
ジャッシュの性格についてはフェイトもよく分かっている。
エルアナが冷静沈着な女性、と言うのであれば、ジャッシュは冷酷非情に任務をこなす事のみを優先する節がある。
互いに似た性格をしているとは思うが、ジャッシュのそれはプロフェッショナルの意識の高さが窺い知れる、と言うべきだろうか。
いずれにせよ、確かにジャッシュという男がそんな事を憶測のみで述べたりするはずはないだろう。
そう考えをまとめたフェイトに、エルアナが続けた。
『フェイトにとっては気になる事があるみたいだけど、今は任務を優先するべきよ。その先に、きっとフェイトが気になっている何かがあるんじゃないかしら』
『……うん。そう、だよね』
何かが気になっているのだろうとは推測していたエルアナだが、あまりに弱っている様子を見せるフェイトの顔を見るなり、そっとフェイトの頭を抱き寄せた。
『エルアナ……!? ちょ、ちょっと……!』
『ねえ、フェイト。私だって、アナタが辛いと思ってるなら、少しぐらい話して欲しいって思うわ。それが話せる内容なのか、或いはそうじゃないのかは分からないけど、それにしたって、ね』
抱き寄せられたフェイトが慌てる中、エルアナが小さな声で続ける。
『私はアナタのパートナーよ。いつだってサポートするわ』
『……エルアナ……』
ゆっくりとフェイトの頭を放して、エルアナが後方に二歩三歩と下がっていく。
悪戯めいた笑みを浮かべたエルアナが、小さく笑みを浮かべた。
『もっと抱き締められたいなら、部屋とかムードのある場所を用意してね』
『……はぁ!? な、ななな、何でそんな話になってるのさ!』
『男なんだから、そういう気持ちになっても不思議じゃないでしょ?』
『いやいやいや! 真剣な話してたのにどうしてそうなるのかな!』
顔を真っ赤にして声をあげるフェイトに、エルアナが腕を組む。
『あら。そういう気持ち、私の身体じゃ抱かないっていうの? 不満かしら?』
『な……ッ! 何言ってんだよ! そ、そういう訳じゃないけど、ほら、その』
『もうっ、こういう時は立ち上がって抱き締めるとか、それぐらいするのが男ってものでしょ?』
『お、俺は日本人なの! そんなニヒルな真似が出来ないの!』
『奥ゆかしいのは女性だけかと思ったけど?』
『あーーーっ! からかってんだろ、エルアナ!』
『フフ……、でも、やっといつも通りに戻ったわね、フェイト』
『……あ』
見事にエルアナに乗せられて調子を取り戻した、と言うべきか。
思わずフェイトが恥ずかしくなって頬をポリポリと掻いて視線を泳がせる。
――アメリカでも、いつもそうだった。
ついフェイトはそんな事を思い出す。
任務に慣れず無駄が多くて怒られた事も、小さな子供が巻き込まれた事件を目の当たりにした事もあった。
その度に、フェイトはこれまで自分が関わってきただけの一件とは違うのだと感じさせられてきた。
自分の戦いなら、自分が頑張れば良いと思っていた。
しかしIO2に所属してから、他人の為に戦い、他人が傷つく。
そのせいか、フェイトが思っていた以上に精神的に落ち込む事もあった。
そんな時、エルアナはこうして自分をあっさりと励ましてくれる存在だったのだ。
(……姉とかいたら、こんな感じなのかな)
胸の内に僅かに広がった温かな感情に、フェイトは見事に明後日の方向に解釈する。
もしも彼の心の声をエルアナが聞いたら、きっと全力でツッコミを入れていた所だろう。
『ありがとう、エルアナ』
『じゃあ御礼に、東京デートでもしましょ?』
『で、デート?』
クスッと笑みを浮かべたエルアナが、ウインクをして続けた。
『草間探偵事務所。東京の名所の一つ、でしょ?』
言外に武彦を追おうという彼女の提案に気付いたフェイトは、ハッとした顔を浮かべてエルアナを見やる。
『……あぁ、そっか……。そうだね。俺にとっては、東京と言えばあそこかもしれない』
『えぇ。行きましょうか』
to be countinued...
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