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奮闘編.13 ■ 非凡な少女―@
雑居ビルの一室に居を構える『私立草間探偵事務所』。
甘ったるい外国人歌手の歌声が、その音をひび割れて届ける様な年老いたラジオから流れていた。
紫煙の向こう側を見つめながら、椅子に腰掛けた男は机に置いた足を交差させながら、両手を頭の後ろで組んで嘆息した。
フゥッと吐き出した紫煙が、一条の陽光に照らされて浮かび上がる。
そんな紫煙の行方を見送った男――武彦は、テーブルの上に置かれていた一枚の書類を手に取ると、その眉間にまた一つ深い皺を走らせた。
「……深沢美香、か……」
写真の張ってある情報を書き込んだ書類を見つめながら、武彦は再び口先の煙草をジリジリと燃やすと、紫煙を吐き出した。
武彦の手に握られていたのは、美香についての情報を見つめながら、今に至る経緯を思い返していた。
――事の発端は、飛鳥と名乗る風俗業界で頭角を現した一人の女性からの依頼だった。
良家の才女という評価を与えたくなる様な少女であったが、大学生時代にドロップアウト。実家から離れ、あれよあれよと転落した人生に足を進める事になった。
最近じゃ、こんな悲劇を背負う少女も決して珍しくはないのだが、いかんせん汚い大人の介入が見受けられる。
そんな、捨てられた仔猫とでも言うべき美香を拾ったのが飛鳥だ。
あれから個人で依頼をして来るという予想外なハプニングもあったが、何の因果かしばらく探偵業の手伝いに使ってくれと言われる始末である。
そんな経緯を思い返しながら、武彦が渋い顔をしていた理由は一つ。
美香を依頼に同行させるにせよ、そうするだけのメリットがない、という事だ。
探偵業とは言うが、武彦の背景を考えればそれは普通の探偵とは少しばかり毛色が違う。
彼の取り扱う事件は、どういう訳かことごとく大きな背景が関係していたりと、実に厄介な経歴を持っているのである。
そんな武彦が同行者を選ぶ時、その選考基準となるのは――『能力』だ。
例えばこれで、美香が何かしらの『能力』を持っている能力者だと言うならば、こうして渋い顔で書類と睨めっこをする必要性などなかっただろう。
適材適所に連れて行くという点で考えれば、武彦の交友関係は幅広く、それはつまり裏を返せば、美香という凡庸な人間を助手として連れて行くだけのメリットがない。
つまり、連れて行く必要性を感じられない、というのが本音なのだ。
「……はぁ……、ったく。こんな事なら大見得を切るんじゃなかったな……」
本音を言ってしまえば、正しくそれであった。
美香という一人の少女は、これでは用途があっても小間使い程度である。正直、そんな人材を連れて歩ける余裕はない。
飛鳥がその賃金をまかなってくれるとは言っているが、それでは男が廃るというものである。
そんな訳で、武彦は美香の有用性について探っているのだが……――。
「どうすっかねぇ……」
――未だその答えが見つかっていなかったのだ。
能力は皆無。
一応、生活環境が整っていただけあって頭はキレる様だが、良く言えば純粋過ぎるのだ。悪く言えば、干渉し過ぎる傾向がある。
美香の人生は、両親が用意したものであって、その後は両親に反発して転落の一途を辿った。
判断材料が、これまでの人生においてあまりに欠乏していると言うべきだろう。
そんな美香の現在の状況に対して、有用性は見込めない、というのが本音である。
「お兄さん、コーヒーです」
「おう、サンキュ」
とある事情で養う事になった、妹――草間零を見やる。
彼女は元々、とある事件で自分が面倒を見ると決断するに至った『霊鬼兵』――つまりは、人ではない存在だ。端的に言うのであれば、人造人間であり、兵器とも言える様な存在であった。
引き取ってきた頃は、こうしてコーヒーを入れる事も出来ず、表情すら無表情。感情の機微というものを学ばせるには、ずいぶんと苦労した経験がある。
(……そういや、零も最初はそうだったか……)
「……? どうしたんです?」
「あぁ、いや。ちょっと懐かしい事を思い出してな」
武彦の視線に気付いて尋ねてきた零から視線を逸らし、武彦は過去を思い返していた。小首を傾げる零は、ふと武彦が持っていた、美香のパーソナルデータの書き込まれたその紙を覗き込む。
「やっぱり、連れて行くんですか?」
「まぁ、そう言っちまったから、なぁ」
零もまた、飛鳥と武彦の間でそういう会話に至った経緯は聞かされていた。
返ってきた武彦のその物言いから、今の所は何も展望が望めていない事を悟ると、零は小さく笑みを浮かべる。
「そういえば、お兄さん。私が最初にお兄さんの所に来た頃、色々な依頼に連れて行ってくれましたよね」
「……? そうだったか……?」
「はい。
――色々な物を見て、触れて、知って。そうやってこれからどうして行きたいのか、どうするのが一番合っているのか知っていけば良い――。
そう言ってもらったのは、今でもしっかり記憶しています」
「……そんな事言ったっけか」
「ふふ、言いましたよ?
もしかして、ですけど。美香さんも、あの頃の私と同じなのかもしれませんね。あぁ、でも常識もなかった私とは雲泥の差かもしれませんけど」
愉しげに笑みを浮かべて告げる零の横顔から、武彦は資料に改めて視線を落とした。
確かに、零を最初に引き取った頃、小間使いでも良いからどういった事が出来るのか、そういった事を調べようと足並を揃えていた時期があったと、武彦は記憶を呼び起こす。
「……やれやれ。お前は本当に、良く出来た妹だよ」
「ありがとうございます」
そこまで零に言われて、ようやく武彦は自分の今の状態に気付いた。
どうにも、メリットを探そうとしていた自分のやり方が性急過ぎたのだと気付かされる事になった武彦は、少し前に依頼され、一人で片付けようとしていた仕事のファイルを机の上に引っ張りだすと、携帯電話を手に取った――――。
◆ ◆ ◆
3日ぶりの“美紀”のお休みを手に入れた美香はその日、駅前にあるとある喫茶店。
地下にあるこの店は、一般的な女性や若い男女が行く様な喫茶店とは違って、少々他人を寄せ付けない落ち着いた雰囲気を醸し出している。
チェーン点らしい安っぽいオシャレ臭さがなく落ち着いた雰囲気の店内は、サラリーマンなどが打ち合わせで使う様な、どこか格式の高さを感じさせる。
仕事用の、薄暗さもある店内で映える様なメイクから一転、プライベートではほぼスッピンにすら見える様なナチュラルメイクを施した美香が階段を降りて店内へと入ると、入り口横のカウンターから若い店員に声をかけられた。
待ち合わせをしている相手の名前を告げると、店員が先導して席へと案内する。
連れられた先に座っていたのは、丸メガネをかけた探偵、武彦であった。
すぐに店員にアイスコーヒーを頼んだ美香。
店員が離れると同時に、挨拶もそこそこに武彦は「仕事だ」と言って一つのファイルを手渡した。
受け取った美香がファイルを開くと、そこには高校生の男子生徒の姿が映った写真と、パーソナルデータが書かれた紙を見つめた。
「……これって、人探し、ですか?」
「あぁ、そうだ。それの親が警察関係のそれなりのポジションにいるらしくてな。絶賛家出中だ。長男の高校生なんだが、厄介な連中と絡んでる可能性がある。
なるべく表沙汰にしたくないそうでな。俺達はあくまでも、その少年の居場所を突き止める事だけを依頼されている」
仕事の手伝いとは聞かされていたものの、まさか本格的な依頼になるとは思っていなかった。それが美香の本音である。
店員が持ってきたアイスコーヒーを受け取り、口に含んだ後で美香はゆっくりと口を開いた。
「それで、私はどうすれば良い、ですか?」
美香の質問はもっともである。
今までこんな経験をした事もなければ、自分が探偵を手伝う事になるなど、思ってもみなかったのだ。
確かについ先日、寮の幽霊騒動を片付けるに至ったが、あれは自分も間接的な被害者であったのだから、やぶさかではなかった。
しかし今回は、完全なる探偵の仕事となる訳だ。
当然、最初は断る心算でいたのだが、飛鳥の許可と助言が美香の背中を後押しする事になっていたのだ。
曰く、「色々な世界を見て、その目を養うチャンスだから」との事。
恩人である飛鳥にそう言われてしまっては断れるはずもなく、半ば強引に手伝いを決定付けられた。
そんな背景とは関係なく、自分が全く違う事に足を突っ込む事になると考えると、僅かに胸が踊ったのも否めないが。
――そんな経緯はともかく、今は何をすれば良いのか分からない、というのが本音であった。
探偵ならば地道な捜査で聞き込みでもするのかと思ったが、武彦から返ってきた答えは、実に手厳しいものであった。
「さて、問題だ。お前は何が出来て、何をしようと考える?」
武彦の質問に美香は思案させられる事となったのであった。
to be countinued...
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いつもご依頼ありがとう御座います、白神怜司です。
新年明けましておめでとうございます。
さてさて、早速ですが、新年一発目はプロローグです。
今後の行動指針はお好きに指定してみて下さい。
それによって、その後の少年の行方をどう見つけるか、
出て来るお話と出て来ないお話があるので、
マルチエンディング的な感じですね。笑
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今年も改めて宜しくお願い申し上げます。
白神 怜司
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