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sinfonia.32 ■ やりたいこと
「あんた、あの時の外人だろ」
「外人外人って。まぁ正確に言えば人外よ」
「あ、なーるほど」
幾分力の抜けるやり取りを百合と繰り広げながら、勇太は戦況を把握すべく周囲に視線を向けた。
状況はそこまで悪くないが、やはり凛と武彦の二人が数的有利を活かしたコンビネーションを前に、些か苦労させられている。
「……百合、ちょっと加勢が遅れる」
「アンタねぇ……。私を誰だと思ってんの? 言っておくけど、周りを気にしなくて良いって言うなら私は強いわよ」
ポン、と勇太の頭を軽く小突いた百合が前へと歩み出る。
「行きなさい、勇太。こっちは心配いらないわ」
「ま、百合がそう言うならそうなんだけどさ。ヒーロー的な登場したつもりだったのにそういう言い方されるとなんか腑に落ちないなー」
「……アンタは十分過ぎるヒーローよ」
「ん?」
「何でもないわ。ほら、早く行く」
「おう」
百合に見送られて勇太が姿を消した。
一部始終を見つめていたエヴァは、勇太の登場から百合の纏っていた焦りの空気が一瞬で消え去った事に気付き、眉をぴくりと動かした。
(……オリジナルの登場で、空気が変わった……?)
――そもそも、戦いの場の空気が緩和するなど普通は有り得ない。
命をやり取りする戦いの緊張感や、高度の興奮状態。生き残った瞬間の昂揚感に、緊張の解放から弛緩される喜び。それらの狂気は人の心を容易く塗り潰す。
そんな空気を一変出来る者など、いるはずもない。
「――ずいぶん勇太の事が気になっているみたいね」
百合の言葉にエヴァがハッと我に返った。
今の一瞬で攻撃を仕掛けようとしなかった百合を前に、百合もまた弛緩された空気に影響されたのだろうと当たりをつけたエヴァは、皮肉を込めて笑みを浮かべた。
「……戦いを分かっていないわね。命のやり取りの中でそんな余裕を見せるなんて、まったくもって甘いわ、ユリ」
「勘違いしないで、エヴァ。今の一瞬で油断していたのはアンタだけよ」
「……ッ、油断なんてしてないわ。私は戦いにおいて、一切の油断もしないッ!」
琴線に触れた百合の一言が、エヴァの猛攻の引鉄となった。
――しかし、エヴァの攻撃は百合には届かなかった。
【空間接続】をした百合はエヴァから距離を取って、あっさりとそれを避けてみせたのだ。そのまま反撃する様子すら見せずに姿を現した百合に、エヴァは歯噛みし、苛立ちから手に持っていた大鎌を振りかぶり、百合に向かって投げ飛ばす。
弧を描いて百合に向かっていく大鎌は、百合の真横で姿を消すと、突如エヴァの後方に現れた。
振り向いてその大鎌を受け取ったエヴァが慌てて顔をあげるが、百合は相変わらず動こうともしていない。その行動が、エヴァに苛立ちを募らせていた。
「……どういうつもりよ、ユリ……ッ」
「どうもこうもないわ、エヴァ。アンタはもう負けたも同然なのよ」
「私は負けてないわッ! 逃げるだけのユリに負けたなんて思わないッ!」
「エヴァ、アンタが知っている戦いは命を削って奪い合う事。でも私達の戦いはそうじゃないわ」
百合がゆっくりと指差した先に視線を向けたエヴァは、思わず瞠目した。
――勇太が登場してまだ間もない。にも関わらず、すでにエヴァの仲間はすでに二人も減っている。
数的不利を抱いていた凛と武彦が、いつの間にか三人で二人を囲む形となっている。
勇太がテレポートを使って撹乱し、視線が向いた僅かな隙を武彦の放った弾丸が放たれて肉薄する。なんとか反撃に回ろうとしても、それを結界によって防いでみせる凛が、武彦と自分を守る。
たった一人のフリーマンである勇太の動きが、ただそれだけで戦況をひっくり返すに至っているのだ。
「エヴァ。勇太が来た時点で、アンタの負けは決まってる。
確かに直接ぶつかり合えば、体力も基礎能力もスペックも違うアンタに、私は勝てないかもしれない。だけど勇太が来れば、私はアンタの注意を引いてさえいればそれで良いのよ」
「……ッ」
「諦めて投降しなさい、エヴァ――」
「――フザけないで……ッ」
百合の言葉を遮って、エヴァが言葉を吐き出した。
「戦いは殺さなくちゃいけない、生きるには勝たなきゃいけないッ! 少なくとも私はそうやって生きてきた! そうやってこの身体を手に入れたッ!
そんな甘っちょろい考え方も、生き方も! 私は認めたりしないッ!」
エヴァの叫びがその場に響く。
「……ユリ、少し私の事を教えてあげるわ……」
――エヴァ・ペルマネント。
彼女はもともと、百合と似た境遇にあった少女であった。運命に翻弄されながら、戦いを選んで生きてきた少女だ。
ドイツで孤児として生きていたエヴァはその肉体を手に入れる素体となるまで、ただひたすらに戦いの中に身を投じた。
当時ドイツ軍の中でとある部隊が作られていた。
孤児や身寄りのない子供を戦闘マシーンとして育て上げ、諜報部隊に所属させる為だけに孤児を集めるプロジェクトだ。
孤児として彷徨っていたエヴァはその部隊の候補生として拾われ、来る日も来る日も戦闘技術を磨きながら、夢も希望も、感情すらも捨て去って日々を過ごしていた。
――時には同じ施設にいた子供と戦い、自分が生きる為に相手を殺す。
感情を殺す為に行われた数多くの訓練の中で、それはもっとも効果的な訓練であったと言えるだろう。
もともと非凡な才能を持った少女であったエヴァは、やがてそんな日々に終止符を送る事になった。
ドイツ軍の非人道的部隊として糾弾された部隊は、エヴァが戦闘マシーンとして完成する頃になって解体され、エヴァはそのまま処分されかけたのだ。
それを救ったのが、霊鬼兵の素体として有能な子供を探していたファングだ。
傭兵として世界を股にかけていたファングはドイツ軍のその部隊の存在を知り、霧絵の指示によって処分されそうになっていたエヴァやその生き残りを集められた。
そして霧絵は、集めて助けた子供達の全てを霊鬼兵に作り変えるべく、絞り込む。
殺し合いを命じたのだ。
生きる為には殺さなければならない。
そんな少年少女達の常識はそれに何ら戸惑う事も、躊躇う事もなく戦いを始めた。
そうして生き残ったのが、エヴァであった。
「――――そうして……ッ、ようやく、ようやく私は自由を手に入れた。この身体を手に入れて、感情を知った! もう自分の意思で生きられない日々には戻らない!」
苛烈な人生を歩んで来た事をエヴァはつらつらと語った。
それを聞いていた百合は言葉が出て来ないまま、ただ沈黙を貫いていた。
「あんたのその気持ちは、少しだけ俺にも分かる」
エヴァの叫びに答えたのは百合ではなく、勇太だ。
武彦や凛を抑えていた能力者達との戦いに終止符を打って、エヴァに歩み寄っていたのだ。
強く苦い記憶が、オリジナルの勇太とエヴァを繋いで流出したのだ。
同じ能力に近い、目に見えない繋がりが勇太にエヴァの思いを届けた。
だからこそ、勇太は俯き、拳を握っていた。
「……だからって……。だからってこんな事して、何になるんだよ……ッ! 自由に生きたければ今からだって間に合うだろ!」
「オリジナルには分かるはずがないわ! 私はもう、普通に生きる事なんて出来ないッ! 唯一の私の居場所が、虚無の境界なんだから!」
「そんなの間違ってるッ! あんたはホントは誰も殺したり、傷付けたりしたくないって思ってる! だから逆に傷付けて、その分自分で傷付いてるんだ!」
「……ッ」
「自分からそんな過去に繋がれて! そんな人生を歩んできたから。自分が殺してきた命があるのに自分だけ幸せになろうなんて思っちゃいけないって、そう思ってるから……ッ!
今更棄てる事なんて出来ないって自分で自分を縛り付けてるだけだ……ッ! そんなの、誰も望んでない!」
「……分かった様な口を聞くなッ!」
激昂したエヴァが大鎌を振り上げ、勇太へと肉薄する。
「……そんなくだらない鎖で自分を縛り付けてるって言うなら……ッ! エヴァ・ペルマネント! そんなモン、俺がぶっ壊してやる!」
肉薄して振り下ろされた大鎌を避け、勇太はエヴァの真後ろにテレポートしてエヴァの背中に手を当てて、念動力を使ってエヴァの身体を吹き飛ばした。
地面を削りながら吹き飛んだエヴァが、なんとか転がりながらも体勢を立て直すと、すでに勇太が目の前に現れ、右手を振り上げていた。
「おおおぉぉぉッ!」
勇太の拳がエヴァの頬を捉え、殴り飛ばす。
エヴァの身体が後方に倒れながら飛んでいく姿を見て、勇太がふんすと鼻を鳴らし、倒れたエヴァへとその拳を向けた。
「……過去が辛いってのは分かったけど、結局あんたが進んでる道はしがらみと義務感ばっかりだろ。あんたが本当にやりたいのが何なのか、それが見つかるまで、あんたじゃ俺達には敵わない」
「……やりたい、事……?」
「俺は、皆が笑ってられれば良いと思う。その世界を壊す虚無の境界を許さない。だから、ぶっ潰して、また学校に行けるような普通の生活に帰るんだ」
握っていた拳を広げ、エヴァに手を差し出して勇太は続けた。
「俺は欲張りだから。あんたもその普通の生活に連れて行く。殺したり傷付けたり、そんな世界じゃない場所に」
「……そんな事、出来る訳ないわ……」
「出来る。百合も、凛も草間さんも、事情を知ったならなんとか助けてくれる」
エヴァの頬を、つつっと涙が伝っていく。
「……私、は……。私は……」
流れた涙は少しずつ勢いを増して、エヴァは崩れる様に泣き始めた。
――この時、一人の少女の運命が大きく変わろうとしていた。
to be countinued...
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