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time off
「フェイトお前、トランペット吹くんだって?」
同僚である男がフェイトにそう言った。
「……趣味の範囲だけどね。どこから聞いたの?」
「まぁその辺はいいだろ。お互い、必要以上には踏み込まない約束だぜ」
くすんだ金髪に青鈍色の瞳を持つその男は、口の端だけで笑みを象り小さく笑った。
最初に聞いてきたのはそっちだろ、と内心で思いつつフェイトはため息を零してまた唇を開く。
「聴きたいなら、次の休暇にでもどうぞ」
「お、いいね。明後日どうだ? うまいカップケーキ屋連れていってやるよ」
カップケーキ、の響きにフェイトは表情を一瞬だけ変えた。
いつもの沈着冷静な顔に、僅かな幼さが見え隠れしたかのような変化だった。
同僚の男はそれを見逃さずに、静かに目に留めた後「かわいい所あるじゃないか」と低い声で呟いた。
銃の整備をしていたフェイトには届かなかったようだが、男は変わらず口の端だけの笑みを浮かべて楽しそうにしていた。
フェイトがニューヨーク本部に所属していた頃の一部、彼の素顔を垣間見る話である。
休日の午後。
同僚の男と待ち合わせたフェイトの片手に収まっているのはいつもの拳銃ではなく、黒のトランペットケースだった。
普段は闇色のスーツのイメージが強いが、今の彼はラフな格好でどちらかというと可愛らしい。
「おっと、待たせたか?」
約束の時間ピッタリに姿を見せた同僚も、いつものイメージとは違う姿だった。黒のVネックTシャツにプレートタイプ銀のネックレスが良く映えている。
「…………」
フェイトはそんな彼の姿に瞠目していた。元々顔立ちの良い青年であったので、見惚れてしまったのかもしれない。
「どうした、ユウタ」
「!」
ビク、と肩が震えた。
フェイトではなくユウタ。
エージェントネームで呼ばれることが多い彼にとっては、やはり少しだけ不思議な感覚であった。ユウタとは彼の本名である。
「あ、いや……ごめん。なんでもないよ」
「んじゃ、行くか」
遠くに見える青い空の下。
二人はセントラルパークに向けて歩みを始める。
摩天楼に囲まれた広大なオアシスは、ニューヨークでは名所のひとつだ。
フェイトたちのように休暇を楽しむ人、観光で訪れた人、仕事の合間のひと時を過ごす人。そこに集う人たちの理由は様々である。
「夜のキラキラした光景も良いが、こういうのも悪くないだろ?」
「うん、そうだね」
フェイトより数センチ背の高い同僚は、馴染みのあるらしい風景を歩きつつフェイトにそう声をかけた。
彼を見上げる形でフェイトは小さく返事をして、にこりと笑顔を浮かべる。
それを傍で見た男は「これで天然なんだから手に負えねぇよなぁ……」と肩をすくめて苦笑した。
何を言っているのかフェイトには解らず、小首を傾げるのみだ。
「そういやお前、ちゃんと飯食ってるか?」
「……いきなり、何? 普通に食べてるけど」
「いや、俺から見ればかなり細いからなぁ。やっぱり気になるだろ?」
「ど、どこ触ってるんだ!!」
同僚が突然フェイトの腰を撫でた。
体格の良い彼からしてみればやはり細身であるフェイトの体のラインが気になるのだろうが、あまりにも突飛な行動に思わず声が裏返る。
そんな反応すらも、男にとっては楽しいと思えるものだったらしい。
ハハ、と笑いながらも謝ってくれたが、中身が無いように思えた。
「怒るなって。ほら、もうすぐ例の店だぜ。ここのカップケーキは最高に旨いし、今日は俺の奢りだ」
「……まぁ、いいけどさ……」
男が親指を向けた先には目的のひとつであるカップケーキの店があった。オープン席なども用意されていて、いかにもといった風情だった。
ケーキの甘いにおいが風に乗ってフェイトの鼻をくすぐる。
それに絆されたわけではないのだろうが、あっさりと表情を変えてそう言うフェイトに、男は目を細めて笑った。
見た目も鮮やかなケーキたちは、フェイトがどれを選ぶか本気で悩むほどの数があった。
女の子が好きそうなカラーリングだなと思いつつも、自分の心も楽しんでしまっているのに気がつき、少し頬が赤くなる。
向かいに座る同僚はプレーンタイプを旨いと言いながら被りつき、ブラックコーヒーをお供にやはり楽しんでいるようだった。
「どうだユウタ、旨いだろ?」
「うん、美味しい。こんなの初めてだよ、教えてくれてありがとう」
フェイトはヨーグルトクリームが乗ったものを選んで食べていたが、その食感と味は同僚の言うとおりに最高で、表情がほころんだ。本当に幸せそうに微笑んで、同僚に例を言う彼は周囲にいる人物でさえ見とれてしまうほど『可愛い』。受け止めた側の同僚も同じようにその可愛さにやられていて、肩を震わせながら「反則だろ……」と漏らしつつ何かに耐えていた。
甘い空間で広げられる展開は、ある意味同僚の狙い通りではあったが追い討ちのギャップに見事に撃ち抜かれた形ともなり、男の思考をどこまでも掻き乱す結果となった。
現況ともいえるフェイト自身は、ケーキを食べきるまで始終幸せそうな笑顔を浮かべて、同僚が震えていることにすら気がつくことなく時間が過ぎて行った。
綺麗に整備された芝生の上。
澄んだ空気と暖かな日差しの中、緩やかに風に乗るのはトランペットの音色だった。
『アメイジンググ・グレイス』
奏者であるフェイトの傍に腰掛けてその音を耳にしている同僚は、ゆっくりと瞳を閉じて唇を動かした。
――なんと甘美な響きよ。
冒頭の歌詞の一部だ。
この地では誰もが愛す曲であるそれは、道行く人々の歩みをも止めた。
どこからともなく、歌声が聞こえてくる。
それを耳に留めたフェイトは、心がくすぐったくなりながらもトランペットを吹き続けた。
たった一つの音で共感できるものがある。
そういった関連性、可能性を肌で感じることは良いことだ。
フェイトもまた、そう思いながら演奏した。
約三分間のその音は、同僚から「ブラボー」と言われ拍手までもらえるほどのものであった。
散歩中の老夫婦。ランニング中だった青年。
そういった人々からもパラパラと拍手をもらえたフェイトは少し照れたように軽い会釈をした手を上げて答えていた。
「いやぁ、本気で聞き惚れたよ。素晴らしかった」
「あ、ありがとう。そんなに褒められるとなんか恥ずかしくなるよ」
同僚が座っている隣に腰を下ろしながら、フェイトはそう言った。素直な心の吐露だった。
そんな彼を見やりながら、同僚はフェイトの頭をくしゃりと撫でる。
大きな手のひらが彼の黒髪の隙間を縫い、指に絡まってはサラリとまた滑り落ちていく感覚に男はまた心が揺れ動くが、何とか理性を保ち、ニッと笑った。
「たまにはこういう時間も悪くない。お前さえ良かったらまた聞かせてくれ」
「うん、いつでも誘ってよ。曲のレパートリーも増やすからさ」
そして二人は互いに見合って笑顔を向けた。
不思議な空気があったが、フェイトにとっても良い休暇だと思えたその日は一つの思い出として刻まれる。
――ピルルルル。
それは、任務用に支給されている携帯電話の呼び出し音。
フェイトと同僚が同時に表情を変えて携帯に目をやった。任務を知らせるためのものだった。
「やれやれ、俺たちの休暇もこれでお開きか」
同僚がそう言いながらゆらりと立ち上がる。
フェイトもトランペットをケースに素早く仕舞い込んで立ち上がり、摩天楼の向こうを見やった。
彼らの手に握られるものは馴染んだ拳銃。
任務に向かうために歩みを始めた二人の姿はすっかりエージェントそのものに切り替わり、静かに喧騒の中に影を潜ませそして消えていくのだった。
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