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奮闘編.18 ■ 非凡な少女―E
――もう自分の出る幕はない。
そんな武彦の言葉を頭の中で反芻しながら、美香はとぼとぼと帰路についていた。
遠回りな『足手まとい』の烙印を押し付けられたような、どこか腑に落ちない気分だ。
仕事が終わった満足感も解放感もなく、ただただ漠然と、自分だけが蚊帳の外へと追いやられたようなそんな気分が、美香の胸中を支配していた。
(……私、役に立たなかったのかな……)
自分がやった行動が認められなかったのではないかと、そんな考えが美香の脳裏に過ぎる。
武彦と飛鳥が美香に対して下した評価は、『上々』。
しかしそんな評価を知らない美香にとっては、自分は足手まといでしかなかったのかと疑ってしまうのも無理はなかった。
元々、美香は探偵ではない。助手に過ぎないのだ。
そんな美香が情報を得てきたというのは、やり方はどうであれ重畳だ。
しかし評価を聞かなければ、それが良かったのか悪かったのか、判断の物差しが定まらない。
そういった美香の心情も察してやるべきであった武彦であるが、かの朴念仁にそんな気遣いを期待するのは酷というものだ。
ともあれ、美香は重い足取りではあったが家へと帰って行くのであった。
――一方で、美香がそんな感情を抱いているだろうと察した飛鳥は、未だに事務所に残っていた武彦に向かって呆れがちに溜息をしてみせた。
「……本当に、アナタって人は女心が分かってないわね」
唐突な呆れ文句に、武彦は怒るでも疑問を顔に表すでもなく、ただ咥えたタバコに火を点け、天井に向かって紫煙を吐き出した。
「……逆に聞くが。あの子の才能を知った上で俺に引き渡すような真似をするなんて、一体どういう了見だ?」
武彦の質問に、飛鳥は目を細めた。
この眼前に座った男は、美香が落ち込むであろう事を視野に入れていたのだろう。
それでも今回は手を引かせた。落ち込むように仕向けたのだ、と飛鳥は推測する。
その推察通り、武彦は今回、美香を敢えて自分の助手から外した。
このまま引き下がるようなら、それも構わない。
自分で勝手に調べるようなら、むしろ問題が増えてしまうばかりだろう。
相手はヤクザだ。
一筋縄ではいかない上に、美香の身体を狙われる可能性もある。
自分の監視下から外れてまで調べようものならば、恐らくは苦い経験をする事になるだろう。
しかし、探偵という仕事は時としてそんな輩を相手にしなくてはならないケースもある。
それが客の場合もあれば、調べる対象である場合もある。
「今回のヤマはデカい。特に、警視庁の幹部の狙いやヤクザが関わっているとなれば、素人のあの子じゃ足がつく。そういった不安を危惧したからこそ、アンタは俺から美香を外すように提案し、俺もそれに同意した。
だが、そういった事情を前に手を引かせる程度なら、最初から何で俺に預けようとした?」
沈黙を続けた飛鳥へ、武彦が改めて問いかける。
眼鏡の向こう側から見えた眼光の鋭さは、修羅場を越えてきた男達のそれと似たものがある。
飛鳥はそんな事を考えると、諦めたように嘆息し、自分も口にタバコを咥えて火を点けた。
「……この前言ったわよね? あの子を色々な場所に連れて行ってあげて欲しい、って」
「あぁ、確かに聞いた」
あのお化け騒動の終わった後だったか。
武彦の事務所へと訪れた飛鳥は、そんな言葉を武彦へと突きつけたのだ。
あの時、その本心が何処にあるのかまでは聞かなかったが、恐らくはそういう事なのだろう。
――美香をこの水商売の世界から引っ張り出して欲しい、と。
武彦がその推察を口にしながら飛鳥の反応を窺うが、飛鳥は相変わらず薄い笑みを貼り付けたまま楽しげに笑っている。
その反応に、底の知れない仄暗さが僅かに浮かんでいるようにすら見え、武彦は思わず息を呑んだ。
「……この業界は、普通の人達が思っている以上に居心地が良いわ」
「身体を売るのが仕事だってのに、か?」
「それは偏見よ。
確かに私達は――いえ、あの子は身体を売るのが仕事。だけど、心まで明け渡す必要はないの。だから仕事として捉えていられる。時には本気になってしまう子もいるけれど、きっと『美紀』ちゃんはそうはならないでしょうね」
言葉を区切った飛鳥に、武彦が続きを促した。
「短い時間で高いお金を稼ぐ事が出来る。一度身体を明け渡してしまえば、それはすぐに慣れてしまうわ。それと同時に、自分に見切りをつけてしまうのよ。
――どうせ自分は、水商売の人間だ。一度堕ちてしまったら、もう這い上がる事は出来ないかもしれない、ってね。
美紀ちゃんはまだ明るい世界に戻りたいと、心の何処かで思っているわ。だからこそ、私はその橋渡しをしてあげたいだけ」
「さっき言っていた才能とやらを考えれば、勿体無いんじゃないか?」
「勿体無い、という言葉を使うなら、それこそあの子がこの業界に燻っている方が勿体無いわね。
私達はお客さんに一種の夢を見せてあげられる。でもそれは、お金だけの繋がりであって、お客さんが抱えた闇や問題の根本的な解決には至らないわ。
私はね、あの子にはそういった根本的な解決をしてあげられる、そんな立場にいて欲しいのよ」
「……だから探偵という仕事を――つまりは俺を選んだのか?」
「それだけじゃないけど、ね。調べたんでしょう? 私の事を」
飛鳥の質問に、武彦が所在なく頭を掻いて肯定した。
あの日、お化け騒動の後でIO2の職員――『影宮 憂』に頼み事をした。
それこそが、この眼の前の飛鳥の正体に関する情報だ。
自分で調べてみたが、どうしても水商売の世界に足を踏み入れる前の情報が途切れてしまっているのである。
そんな中、憂から返ってきた答えに。
武彦は大きく目を瞠る事となった。
《――九条 明日奈。元IO2職員の工作部隊に所属していた女の子だね。
でも10年以上前にIO2を離れて消息を断って以来、情報はなかったけどねー。まさか武ちゃん、知ってるの?》
特徴的な目元の三連のホクロと背丈などから、武彦が以前所属していたIO2内部に探りを入れてもらったのだが、結果は見事に当たりだった。
目の前の女性が、元工作部隊員の一人であったと、武彦はすでに理解しているのだ。
道理で、飛鳥の物腰と胆力の強さを理解出来たというのが武彦の本音であった。
何せ目の前のこの女は、かつての武彦と同じく闇の中を生きていた存在だったというのだから。
「――……九条 明日奈、だったか」
「懐かしい名前、ね。もうとっくに捨ててしまったわ」
「俺の情報を知っていたからな。もしや、とは思ったが、まさか元IO2職員だとは思わなかった。
それで、それが俺にあの子を預けた理由と何の関係がある?」
その反応に、今度は飛鳥が驚かされる事となった。
まさか自分が九条明日奈であると知った上で、IO2に引き渡すような真似をするつもりも、何があったのかを聞きもしないとも思っていなかったのだ。
武彦とて、ディテクターであった頃を語ろうとはしない。
つまり、お互いに詮索する気はないし、話すつもりも聞くつもりもないのだ。
言外に武彦がそう告げたのだと気付き、飛鳥はふっと小さく笑った。
「……アナタ程の実力があれば、あの子の表の世界の道標になってあげられる。そう思ったからよ。
私は所詮、裏の世界に生きている。表の世界に私の居場所はないわ。それはきっと、どれだけ頑張ってみても、元々風俗嬢だったという過去とIO2だったという出自が邪魔をし続けるもの」
飛鳥の狙いを耳にして、武彦は初めて飛鳥の狙いを知った気がしていた。
◆ ◆ ◆
翌日。
出勤しようと寮を後にしようとした美香に向かって一人の女性が歩み寄ってきた。
「失礼だけど、深沢美香さんかしら?」
唐突に名前を告げられ、思わず美香は頷いて答えた。
長い黒髪を頭の後ろで結った、凛々しさを携えた女性。
その女性は頷いた美香に向かって、続けて言葉を告げた。
「あぁ、ごめんなさい。私、メイヴェル女性探偵事務所の神楽 由香里よ」
「探偵さん……?」
よくよく探偵というものとは縁がある日だ。
そんな事を考えながら、美香は由香里と名乗ったその女性が差し出した名刺を見て、何の用件かと尋ねるように視線を向けた。
「『私立凪砂高等学校』から依頼を受けて、アナタを探していたの。
先日のお詫びに、どうか一度正式な謝罪を受けて欲しい、ってね」
あの上八木省吾の通う、『私立凪砂高等学校』。
その手が、美香に向かって届こうとしていた。
to be continued...
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いつもご依頼有難うございます、白神です。
今回は前回のエピローグで出た伏線の回収と、新展開のスタートです。
選択肢については、以下の通りですね。
@神楽由香里の誘いを受けて、学校関係者と会う。
A武彦に相談する。
B飛鳥に相談する。
それぞれの選択肢によって、今後の展開がまた少し変わります。
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後共宜しくお願い申し上げます。
白神 怜司
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