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Mission.13 ■ Aria
カプセル型の高濃度の酸素カプセルにも似た装置の中で、真っ白な髪をした少女がゆっくりと瞼を押し上げた。
中からボタンを一つ押すと、同時にカプセルの開口部が音を立てて上昇していく。
「……起きましたね、アリア」
アッシュカラーの髪を揺らした男性、ルーシェが少女――アリアへと声をかけると、黒い輪っか状の何かを差し出した。
「まだしばらくはこれをつけていなさい。経過の観察は終わっていませんからね」
ルーシェの言葉に頷き、アリアが自分の首にカチリと音を立ててその何かを取り付けた。
首を覆う首輪、とでも言うべきだろうか。
アリアの首に取り付けられて数秒程の時間が経ち、ルーシェは手にタブレット型の端末を取り出し、何かのグラフを確認していた。
「……ほう、これは……。アリア、何か良いことでもあったのですか?」
ルーシェに尋ねられたアリアは、逡巡するかのように視線を落とすと、首を左右に振った。
その行動は「何もなかった」と告げるそれとは違い、「何でもない」と誤魔化しているかのように思える。
ルーシェはそんな一抹の変化に気付きながらも、それ以上は問いかけようとはせずに「そうですか」と一言だけ呟き、言及をやめる事にした。
アリアが言いたくないのであれば、何もわざわざ聞き出す事はない。
そんな優しさから、言及しなかった――――という訳ではない。
(……覚醒段階から使用段階に変わって以来、まるで人形のようでしたが……。何かのきっかけに自我が芽生えつつある、と考えておくべきでしょうか。
いずれにせよ、上には報告する必要がありそうですね……)
まだ幼さの残る少女が、どういう経緯で今に至ったのか、ルーシェはそれを知っている。
それが今回の一件で、一体どういった影響を及ぼすのか。
未知への興味が、アリアを泳がせようという答えに至ったのであった。
一方、アリアはルーシェの狙いなどには一切の興味も持たず、つい先程夢の中で見た光景を思い出し、胸の奥にそっとしまい込むように目を閉じていた。
――『怖くないよ。能力者なら、俺と一緒だね』
あの時、ジオフロントで出会った一人の青年が自分に向かって告げた言葉を、アリアは夢でもう一度見たのだ。
それが彼女の健康状態を調べるグラフに数値として表れ、結果として喜ぶべき何かがあったのだとルーシェに知られてしまったものの、口にしてはいけないような、そんな気がしたのだ。
(……ニューヨーク、エージェント……。フェイト……)
アリアはあの笑顔を思い出しながら、心の中でその名を呼んだ。
何かを訴える訳でもなく、その名を自分の心に刻み付けるように――――。
◆ ◆ ◆
イギリス、ロンドン。
ウェストミンスター宮殿に付属する大時鐘塔――ビッグ・ベンといえば有名ではあるが、そのウェストミンスター宮殿の一角には、一般人がおいそれと足を踏み入れられない箇所がある。
そこが、IO2イギリス――ロンドン本部だ。
英国国会議事堂とも呼べるこの宮殿にIO2の本部がある――それはつまり、イギリスの政治に深くIO2が関わってきた事を物語っていると言えるだろう。
そこに所属していた一人の女性エージェント、ネルシャ・オーフィアは日本へとやって来るなり、あまりの情報の多さに忙殺されながら、懸命に資料に目を通していた。
日本に来る飛行機ではハイジャックに巻き込まれ、到着してみれば大量の書類に目を通させられるハメになる。
確かに失恋の傷心を慰めるのに、忙殺されるぐらいがちょうどいいとはよく言ったものだが、これでは忙殺され過ぎて物理的に息が詰まりそうだ。
「ふぇぇ……、終わり、ましたぁ……」
ようやく書類を頭に入れたネルシャは、情けない言葉を口にしながら背もたれに身体をぐてっと預け、力のない溜息を漏らした。
そもそも彼女は、日本行きを立候補したのだ。
ヤケクソ気味のネルシャは、当時日本の資料を頭に入れなくてはならないという上からの命令を見事に無視し、ある種タカを括っていた。
――忙殺されるぐらいの方が、私の傷心は消えてくれない!
そんな気持ちを抱き――と言うよりも、隠れ蓑にしたようなものだろう。
ネルシャは日本の資料を、傷心の痛みのせいで手がつかない、との理由で日本に来るまで開こうとはしなかったのである。
しかしながら、目の前に置かれていた日本が入ったデータは圧縮されており、いざ開いてみれば膨大な情報量であった。
法律の違いから、IO2のデータ。それに加えて、各国からの参加者のデータまでもが用意されていたのだ。
もちろんその中には、ネルシャの傷心を消し去ったエージェント、フェイトの名もあった。
(無茶言ってくれましたよ〜、ホントに……)
乗客のいる旅客機の操縦をさせられ、挙句そのまま置いて行かれてしまったのだ。
日本のあれもこれもが解らなかったネルシャに対し、あまりにも冷たい仕打ちではないか。
だが、それもこれも自分がデータを頭に入れなかった事が原因だ。
ネルシャとてそれには気付いている。
(……日本の名所案内ぐらい、お願いしてみようかなぁー……)
疲れからか現実逃避を始めたネルシャが、和服の舞妓姿を脳裏に浮かべて心の中で呟いた。
――そんなネルシャを現実に引き戻すかのように、ネルシャの端末が着信を告げる。
鳴動した端末に慌ててネルシャが手を当て、耳につけたイヤホンの受話ボタンを押した。
《――日本は今頃、夕暮れ時といったところか?》
「もうっ! いきなり電話してこないでよ!」
電話してきた相手は同じIO2職員であり、ネルシャのサポーターを請け負っている若い男性だ。
恋仲にはまずならないだろうと誰もが思う程に、水と油といった性質を持った二人である。
《時間を合わせていたつもりだ。どうせ一息ついて、傷心したついでに新しい男の事でも思い浮かべていたんだろう》
「ふぇッ!? な、何を人聞き悪い事言ってんのよ、バカ! そんな事より、用件は!?」
図星を突かれて慌てるネルシャの動揺ぶりに、電話越しに男は失笑する。
もはやそんな癖など、十分理解しているのだ。
《まぁ良い。せいぜい新しい傷を作って帰って来るような事態だけは避けてくれよ……って、そう声をあげるな。聞こえてる。
用件は例の件だ。フランスから派遣された連中の詳細は見せただろう》
「……あぁ、ルーシェさんとアリアちゃん? 確かに見たけれど、本当にあの子なの?」
《まず間違いないだろう。
その証拠に、フランスのパリ本部からはアリアの情報は一切こちらに漏れて来なかった。やはりフランスは怪しい》
改めて突き付けられた現実に、ネルシャの言葉が詰まった。
IO2ロンドン本部では、秘密裏に今回の日本のジオフロントとフェアリーダンスの一件を調査していた。
その中で辿り着いた、フェアリーダンスの発祥地がフランスであるという可能性だ。
イギリスの有名な俳優達ですら関与しつつある、フェアリーダンスの一件。
先日のハイジャックで捕まったが、カーリア・ミデスというあの女性犯人もまたフェアリーダンスに深く関与していた存在であった。
だからこそ、IO2ロンドン本部は、今回の日本からの調査協力を引き受けたのだ。
全ては、フランスのエージェントから情報を探る為に。
そして今、その可能性が余計に色濃くなったと言えるだろう。
《――おい、聞いてるのか?》
「ふぇ……? あ、ごめん……」
《まったく、しっかりしてくれよ。とにかく、そのアリアって娘は恐らく服用者だ。少しでも情報を得て、こちらに報告してくれ》
「うん、分かった……」
心ここにあらずといった具合に、ネルシャは通話を切った。
アリア。
謎の少女が、突如エージェントの相棒としてやって来たのだ。
きっと何か裏があるに違いないだろう。
そんな予感はひしひしと感じ取れるが、願わくば子供が犯罪に関与しているという現実だけは、間違いであって欲しいとネルシャは祈るのであった。
◆ ◆ ◆
武彦からの伝言を預かり、数日が過ぎた。
今のところ、事件に関する大きな動きはないらしく、二級以下のエージェント達が現在ジオフロント内部を警備しつつ、フェアリーダンスに関する事件を調べていた。
慣れないコンシェルジュサービスにも、数日が過ぎて慣れてきた。
フェイトは朝になり、部屋に置かれた内線が鳴り響いた音に気付いて受話器を耳に当てた。
《おはようございます、フェイト様》
受話器越しの声の主は、深紅と名乗ったコンシェルジュの女性だった。
凛々しくも事務的な、淡々とした口調で深紅は一日の予定を告げるのだ。
さすがに慣れた様子で、今日もまた自宅待機を命じられるのだろうとタカを括っていたフェイトは、深紅を労いながらも事務的な口調と、呼称に様をつけるのをやめるように告げようと考えていた。
――――しかし次の瞬間、フェイトは予想だにしない言葉を告げられた。
《――実は今、お客様がいらしています》
「そっか、ありがと……う? え、俺に客?」
エルアナや凛、百合などは今日は女性のみで女性能力者の研修に立ち会うそうだ。
彼女達以外に、この場所へと客として来れる人間には心当たりがなかった。
《はい。フランスのパリ本部に所属しているIO2エージェント、アリア様です》
「…………は……?」
フェイトの気の抜けた声が、その場で響き渡ったのであった。
to be continued...
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