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Mission.14 ■ 初めての……
――住み慣れた、とは言い難い部屋の中。
フェイトは曲がりなりにも自分の部屋であるにも関わらず、緊張した面持ちで冷蔵庫から振り返った。
「……ね、ねぇ、アリアちゃん……?」
「…………?」
フェイトの視線の先では、先程からソファーの上で身体を上下に弾ませる無表情の少女――アリアがその動きを止めずに首を傾げる。
(……何あれちょっとしたホラーなんですけど)
何故無表情でソファーの上で身体を弾ませているのか、フェイトには解らなかった。
「た、楽しいの?」
なんとなくで尋ねてみるフェイトに対し、アリアは突如として上下運動をやめ、そしてこくりと頷いた。
「……これ、なに?」
「これって、ソファーだけど」
「……ソファー、好き」
「……そ、そう」
まったくもって謎な反応を返され、フェイトの顔が強張った。
――突如として現れた謎の来訪者、フランスのエージェントである人形のような少女アリア。
そんな彼女を部屋に招き入れてはみたものの、何故突然、しかも一人でやって来たのか。
その理由を量りかねていた。
「とにかく、飲み物何が良い? あ、ジュースなら結構あるよ」
再び冷蔵庫を覗き込んだフェイトがアリアに向かって尋ねるが、アリアからの反応はない。
どうしたのかと振り返ったフェイトが、次の瞬間目を瞠った。
一切の気配もなく、アリアが自分の真横に歩み寄っていたのだ。
「……じゅーすって、なに?」
「え?」
驚いているフェイトの様子など一切意に介す様子も見せず、アリアがフェイトの隣から冷蔵庫の中を覗き込んだ。
そこに置かれていたのは、ジュースの数々だ。
フェイトの舌はどうにも子供らしさが未だ残っているらしく、タバコやブラックのコーヒーなどはただ苦いだけのものに過ぎない。
そんなフェイトに、コンシェルジュの巡が気を利かせて様々な種類のジュースを仕入れてくれたのである。
「えっと、甘い果物の飲み物って言えば良いのかな。とにかく、美味しいよ」
「……おいしい?」
「うん、美味しい」
「……食べ物?」
「…………そこから?」
どうやらずいぶん特殊な環境で育ったらしい。
フェイトはアリアの態度にそんな感想を抱きながら、コップを幾つか取り出し、何種類ものジュースを少しずつ注いだ。
「どれも美味しいから、一口飲んでごらん」
再びこくりと頷いて、アリアはコップを両手で抱えて小さな口に近づけた。
年の頃は十歳前後といったところだろうか。
肌は透き通るような白さであり、髪も真っ白なロングヘアー。服装は黒を基調にしたゴシックドレスを彷彿とさせる服装だ。
無表情な整った顔が、さらに人形めいたその服装と相俟っている。
首には黒い首輪のような何かが取り付けられているようだが、チョーカーなどのアクセサリーなのかもしれない。
フェイトはジュースを飲むアリアに視線を向けながら、その動向に注目していた。
一体何が目的で、どうしてここを尋ねてきたのか分からない。
油断して接しろと言う方が無理な話である。
だが同時に、牙を抜かれた気分でもあった。
小さな手でこくこくと喉を鳴らしている少女は、先程からジュースの一つ一つを口にする度に僅かに目を大きくしたり、苦手なものであれば少しだけ含んですぐにコップを置いている。
感情こそ乏しいが、その姿は歳相応の無邪気な少女のようであった。
「……そのオレンジジュースが気に入ったみたいだね」
「……おれんじ」
「うん。飲んだことないの?」
再びのフェイトの質問に、何度目かの肯定の頷きが返ってくる。
(……フランス。能力者覚醒計画に関与している可能性がある、か)
かのD-Fileに書かれていた内容。それにエルアナがジャッシュから聞いたという言葉を思い返し、フェイトはアリアを見つめた。
少しだけ表情の機微があるのは理解出来たが、感情の乏しい少女。
それはまるで、かつて自分が叔父に預けられたばかりの頃と似ているのではないかと、ついそんな過去を思い返してしまう。
(……この子は一体、どんな生活を送ってきたんだろ……)
かつての自分と同じく――とまではいかないだろう。
虚無の境界に捕まっていた自分とは比べるべくもないだろう。
だが、感情を失うには何らかの引鉄があったはずだとフェイトも当たりをつける。
難しい顔をしてアリアを見つめていたフェイトに気付き、アリアがフェイトの顔を見上げて小首を傾げた。
「……あ、ごめんごめん。考え事してたんだ」
「……ん」
フェイトに頭を撫でられ、アリアはどこか満足気な様子で目を細める。
「じゃあアリアちゃん、今日は俺と一緒に出かけようか」
「任務……?」
「いいや、違うよ。そうだなぁ、観光って感じかな」
「……?」
相変わらず理解出来ていない様子のアリアに、フェイトは観光とは何かを説明する事になるのであった。
◆
観光名所を回りたい。
そんな申し出を突如としてフェイトによって口にされた凛は、大急ぎで脳内デートを実現しつつある今日という日に心を踊らせた。
デートプランは決まってはいないが、フェイトがニューヨークに渡って以来、東京は様変わりした。
というのも、4年程前になるだろうか。
あの虚無の境界との戦いによって東京は一部壊滅的なダメージを負い、都市機能を麻痺させてしまった。
それが奇しくも再発展の目処となり、大々的な工事などが始まったと言える。
かつてはドーナツ化現象と呼ばれていた東京も、今では都市機能が集中し過ぎる様相を脱し、オフィス街や住宅街、それに観光名所などが区画分けされる形で大きく変わったのである。
そんな様変わりも日本にいた凛とは違い、フェイトは知らないだろう。
いずれ日本に帰った際には、デートがてらにフェイトを案内してあげたいという欲を持っていた凛のシミュレーション――と言うよりは妄想が、ついに実現しようとしているのだ。
主にデート的な意味で、である。
「お待たせ、凛」
「……え……っと……」
マンションのロビーへとやって来たフェイト。
その姿に喜色を浮かべて振り返った凛であったが、そんなフェイトが手を繋いだ先にいる一人の少女に顔を強張らせた。
デートへの介入者、アリアの存在である。
「フランスのエージェントのアリア。なんか急に遊びに来たんだけど、何処に連れて行けば良いのか俺も解らなくてさ。凛も一緒に行ってくれるなら助かったよ」
「……つまり、その子の東京案内に付き合え、と。そういうこと、ですか?」
「あぁ、うん。ありがとな、凛。ほら、アリアちゃんもお礼言おうな」
「……アリガト」
英語でお礼を告げるようにと促されたアリアが、凛に向かってお礼を口にする。
当然凛も笑顔で答えるが、内心では後悔していた。
(……あぁ、そうでした……。やっぱり、4年間ニューヨークに行ったからって勇太が大人の男になって帰って来るなんて、そうは限りませんでしたね……)
今更ながらに我に返った凛が、笑顔で白い少女に向かって話しかける姿を見て愕然とした。
この眼の前にいる男に、色恋やデートなどに興味を持てという方が無理難題なのだ。
そもそもこの男は、自分の周囲にいる女性陣がどれだけの人気を得ているかなど知るはずもなく、また人気があると遠回しに告げたところで、きっと「モテるんだなー」とあっさりと切り捨てる、そんな男である。
例え4年間海外に行った程度で変化を齎すかと言えば、その可能性はほぼ皆無だと言えるだろう。
それ程までに、フェイトという青年は疎い。
戦闘に関する知識やそれに付随する物事を学んだとしても、やれ恋愛だなんだと言われればそう簡単に振り向かない男である。
――海外に行ったからって変わらずに帰って来てくれた。
それは確かに喜んだ。
喜んだのだが、少しは成長しろと言いたくなるような、そんな複雑な心境で凛はフェイトを見やる。
「……はぁ。変わりませんね」
「ん?」
「何でもありません……。ではとりあえず、行きましょうか」
変わらないにしろ、自分を頼ってくれたのが嬉しくないという訳ではない。
どうにも複雑な心境ではあったが、凛はフェイトをせっつくかのように自分の車へと二人を案内するのであった。
◆ ◆ ◆
「――ニューヨークのエージェント、フェイト。それに日本のエージェント、凛。
なるほど。なかなかアリアの嗅覚も鋭いようですね……」
ただ一人、無機質な部屋に残っていた男――ルーシェが呟いた。
アリアの首につけられた発信機から居場所を探り、同行者である二人を監視カメラを通して把握したようだ。
地下の駐車場のカメラには、フェイトに手を引かれているアリアの姿が映っている。
車に乗り込み、三人が走り去っていく姿をモニター越しに見ていたルーシェは、早速別のモニターにフェイトと凛の情報を映し出した。
「……特異者。それにかの虚無の巫女となった少女。確かにアナタが興味を示すのも無理はないかもしれませんね、アリア」
4年前の虚無の境界との戦争で、あの二人の存在は有名だ。
特に、主力となったフェイトと虚無の巫女とされかけた凛と言えば、公然の秘密であると言っても過言ではないだろう。
そんな中、不意にルーシェがマンションの監視カメラを見ると、そこには金色の髪を靡かせた一人の少女が映し出された。
少女は監視カメラをじっと睨み付け、そしてカメラを真っ直ぐ指さした。
『――ノゾキなんて趣味が悪いわね』
日本語を堪能しているルーシェは、その唇の動きから何を言ったのかを理解する。
同時に、カメラの映像が砂嵐に切り替わった。
「……フ、フフフ……。なるほど、これは手厳しい」
まさか監視カメラの映像を覗いていた事に気付き、まっすぐに睨み付けて警告してくるとは思ってもみなかっただろう。
ルーシェは先程の少女の外見を思い返しながら、フェイトの映っていた画面を操る。
「……霊鬼兵、エヴァ・ペルマネント、ですか。新たな能力に目覚めたと書かれていますが、そのおかげですかな……。いずれにせよ、無意味です。
彼女の覚醒の条件は、すでに揃ったのですからね」
くつくつと込み上がる笑みを噛み殺しきれず、ルーシェは嗤う。
その姿にはいつもの理知的な様子はなく、まるで狂信者のそれのようだった。
フェイト達の知らない場所で、すでに何かの歯車は回りだしていたのであった。
to be continued...
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