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Mission.15 ■ heureux
走り出した車の中で、運転する凛の横顔を見たフェイトはゆっくりと窓の外へと視線を向けると、そっと溜息を吐いた。
(……なんか凛、機嫌悪そうだなぁ……)
自分が淡い期待を抱かせ、かつ不機嫌にさせた原因であることなど知る由もない。
フェイトはそんな凛を無理やり連れ出してしまったことに罪悪感を覚えるが、いざ謝ってみても「謝る理由が間違ってます」と小声で呟かれる始末である。
如何せん、立ち行きならぬ状況。
そんな心境でチラリと後ろに座るアリアへと目を向けた。
窓の外を見つめ、口を開けた少女。
その姿は非常に無防備であり、少女らしく。
――それでいて、あまりにも違和感を覚えさせる姿だ。
たった一人で、こんな調子でどうやってマンションまでやって来たというのか。
加えて、フェイトにとっては冷たく不気味な印象を与えた同行者――ルーシェが共にいないことも気がかりだ。
不思議な素振りや、世間を知らないのではないかと思わせる仕草。
それでも今回のIO2の仕事について来ている能力者の一人。
不意に、D-Fileの存在を思い出しながらフェイトは考え込むように視線を前に戻した。
「……はぁ。勇太にそこまで求めるのは、少し酷ですね」
「え?」
そんなフェイトの様子には気付いていなかったのか、凛が重苦しい沈黙を打ち破るように声を漏らした。
どうやら自分が不機嫌に振る舞っているせいで、フェイトもアリアも黙ってしまっているのかと気を遣う形になったようだ。
「何でもないです。それで、アリアちゃんを何処に連れて行くんですか?」
「うーん、どうしようか。とりあえず観光名所らしいところで良いんじゃないかな?」
言うならばノープランであり、フェイトもまた東京を離れていた人間である。
どこか懐かしい、良く言えば行動力のあるフェイトの思い付きで始まったのだろうと凛も当たりをつけ、それに怒るでも苛立つでもなく、凛は頬を緩めた。
「分かりました。最近の東京を知らない勇太とアリアちゃんを、良いところに案内してあげます」
「良いところ?」
小首を傾げながらフェイトが尋ね返す。
外を見つめていたアリアも自分の名前が呼ばれたことに気付いたのか、フェイトと凛へ振り返ると、フェイトを真似るように首を傾げた。
そんなアリアをバックミラー越しに見た凛は小さく笑うと、二人には行き先を告げずに車を走らせるのであった。
――東京。
かの組織――虚無の境界によって齎された襲撃と破壊から、もうすぐ5年近くが経とうとしていた。
様変わりした中でも、フェイトが一番驚いたのは東京都内を走る首都高速道路の変貌ぶりである。
以前はビルの間を縫うように造られ、分岐をあちこちに設けながら走らなくてはならず、さらに視界の見通しもあまり良くなかったが、虚無の境界ではそれが仇となり、都内の交通網はパンクした。
救急車輌が動けなかったり、車一台が横転しただけで道路を塞いでしまったりと、悪路としての短所をあまりにも晒してしまったと言えた。
今では道路は片側四車線が徹底され、対向車線も存在しない。
その代わり、東京都内を走っている凛の車の上空では、反対方面へと向かう為の道路が設けられている。
要するに、上空に道路を重ねる形となったのである。
「――あぁ、知らないんですよね。今はそういった公共事業にIO2も協力しているんですよ」
たった数年単位では到底完成出来ないはずの道路建設や街の変貌ぶり。
そんなものを目の当たりにしたフェイトが疑問の声を漏らすと、凛がそれに答えた。
「あの一件以来、能力者とそれを取り締まるIO2は、世界的に表舞台に飛び出る事になりました。テレビやマスコミ、そういったマスメディアに取り沙汰され、日本は世界各国に比べても逸早く能力者の存在を認知するに至りましたから」
「……そっか」
フェイトはかつての自分を思い出す。
自分が子供の頃、テレビに超能力少年として取り沙汰され、世間を賑わせた。
その結果、虚無の境界に捕まった。
今の能力者達は、自分が子供の頃のような境遇にはならなくて済むのだろうか。
不意にそんなことを考えて視線を落とすと、凛がそっとフェイトの手に自分の手を重ねた。
「……世間は変わりましたよ」
凰翼島で聞かされたフェイトの過去を、凛は今も憶えている。
だからこそ、フェイトのそんな感情の機微に気付いたのだろう。
フェイトが小さな声で返事を返すと、後ろにいたアリアまでもが凛を真似て、フェイトの肩に手を置いてみる。
『……悲しい?』
『いいや、そんなことないよ。心配してくれてありがとう』
拙い英語で話しかけてくるアリアに向かって、フェイトが感謝を口にすると、アリアは首を傾げて椅子に座り直し、自分の胸に手を当てた。
何かを噛み締めるように、きゅっと細く白い手を握り締めたアリアの仕草に、フェイトと凛の二人は気付いていなかった。
◆
「さぁ、着きました!」
「……うん、確かにここは日本という国のなんたるかを世界に発信している場所だと思う」
「そうでしょう? 日本と言えばやはりここですよ――」
そう言って凛は満面の笑みで振り返る。
「――やはり、秋葉原こそが日本の真髄です!」
若干引き気味のフェイトと、そんなフェイトの手を握ってキョロキョロと周りを見回すアリアの二人を前に、凛は宣言する。
二人が連れて来られたのは、日本の文化がひしめき合う街――秋葉原であった。
「……ここって確か、虚無の境界の被害も大きかったはずだけど」
「そうです。でもここは、聖地として呼ばれている程の場所ですから。凄惨な出来事こそありましたが、やはりこの聖地だけは守りたかったのでしょう。
何でも、復興には多大の寄付が送られ、その人達は誰もが必ず『板の住人』と名乗っていたそうですよ」
「へぇ……、何だろう、その名前。足長おじさん的な感じなのかな?
それにしても凛、ずいぶんと詳しいんだね」
「えっ……?」
「え?」
…………………‥。
「べ、べべ、別に勇太がいなくなってから、恋愛ゲームにハマり込んだとか、そういうことはありませんよ! ちょーっとキャラの作画が勇太に似ているゲームがあったりとか、そんなキャラクターが『受け』のマンガとか、そういうのに興味を持ったりなんてしてませんから!
私はただ! 日本のIO2職員として! 日本の文化をしっかりと学んでいるだけです!」
「……そ、そうなんだ……?」
「引かれてる!?」
引くも何も、フェイトにそっちの手の知識は乏しく、凛が言わんとしている言葉があまり理解出来ていないだけである。
ズーンと肩を落とした凛に駆け寄り、アリアが凛の手にそっと手を重ねる。
「……アリアちゃん……!」
先程のフェイトに対する凛の仕草を真似ただけであったのだが、そんなアリアに励まされるように、凛はぱぁっと表情を明るくしてアリアを抱きしめた。
「ありがとう、アリアちゃん……! 慰めてくれるなんて、優しい子……!
お姉さんが今日は色々買ってあげちゃうからね!」
暴走する凛に抱きしめられ、キョトンとした顔をしながらもアリアがフェイトと目を合わせる。
何が起こったのか解らず、困惑しているのだろうか。
『――Heureux』
「……え?」
不意にアリアが呟いた言葉。
それが何を指すのか、フェイトには解らなかった。
ただ、その顔は無表情な少女にしては珍しく、目を細めて口元を少しだけ緩めた、まるで笑顔のように見えたのであった。
凛に手を引かれたアリアと、そんな二人の横を歩くフェイト。
英語は苦手なようだが、凛とてIO2の職員であり、アリアの単調な単語程度ならば問題なく聞き取れるらしく、なんとか会話が成り立っているらしい。
(……まるで姉妹みたいだなぁ)
甲斐甲斐しく世話をする姉と、そんな姉に無表情ながらもされるままにする妹、といったところだろうか。
二人の姿を見ていたフェイトは、ついそんな事を考える。
だがそれを、人は現実逃避と呼ぶだろう。
フェイトは今、そうせざるを得なかったのである。
目の前にある現実が、ジリジリとフェイトの心に押し迫るようだ。
――もしも今この時、フェイトが逸早く逃げていたなら。
――もしもこの時、凛がフェイトを無理に店内に連れて来なかったなら。
そんな後悔が後にフェイトの心に襲いかかる事になるなど、この時のフェイトは知る由もなかった。
「――ッ、な……ッ!」
不意にフェイトの身体が引きずり込まれる。
「な、にが……!」
「シーッ。こんな所に二人でいるなんて知られたら、リンに殺されるわよ?」
突如引き込まれた先でクスクスと笑う、金色の髪を揺らした少女。
身体を密着させるように、そこにはエヴァが立っていた。
「な、何で――!」
「――だから静かにって言ったでしょう? 試着室よ、ここ」
「だ……、だからって……――」
凛に連れられ、アリアの服を買おうという話から女性用の洋服店に連れられたフェイト。
所在なく現実逃避をしていたフェイトが、その隙を突いたかのように試着室へと引きずり込まれたのであった。
「――なんで下着姿なんだよ……!」
よりにもよって、下着姿のエヴァによって。
to be continued....
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