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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


Mission.17 ■ 天使







「IO2です! どいてください!」

 突如飛び降りて姿を現したフェイトが声をあげるが、周囲の混乱はすぐに収束とはいかなかった。血痕と共に浮上する、それを起こした犯人が近くにいるだろうという恐怖。慌てて逃げようと走り出す人々もいるが、何より野次馬となって身動きも出来ずに様子を見ている人集りが犯人を探すにはあまりにも邪魔だ。

 ――どうする……!

 瞬時にフェイトが思考を巡らせた。
 警備員はもうすぐ駆けつけるだろうが、客達が走って逃げるこの混乱に乗じて犯人が外に逃たりすれば追えない可能性もある。

 怪我人の救助も急がなくてはならないが、何より犯人に逃げる時間を与えてしまうのも問題だ。かと言って、今の状況で犯人を追おうにも混乱は収束してくれそうにない。
 そこまで考えて、フェイトは胸ポケットから耳に黒いイヤホンマイクを取り付け、そのボタンを押した。

「すみません、救急車をお願いします!」

「え、あ、ハイッ!」

 騒然とする中、一人の女性が携帯電話を手に持っている事に気付き、フェイトが眼を見て直接頼む。「誰か救急車を」と口にしたとしても、誰が呼んだのかハッキリしないのでは救助が遅れる可能性がある。

《もしもし、フェイト? どうしたの?》

『エルアナ! 今何処だ!』

《――ッ、IO2東京本部内の一室よ。事件ね? 1分――いえ、30秒ちょうだい》

 フェイトの切迫した声にエルアナが即座に状況を把握した。彼女でなければこうはいかなかっただろうと思いつつ、フェイトは倒れている若い女性の身体を上に向け、傷口を確認しながら状況を報告していく。

 裂傷。刃物によるものと思われるが、それにしても深く鋭い。腹部を斜めに切り裂いたようなそれは、今もまだドクドクと血を吐き出し続けている。
 ナイフではない。いや、ここまでの裂傷を与えるとなれば、恐らくは日本刀などで切り裂きでもしない限りは不可能だろう。そこまで考えて、フェイトはかぶりを振った。

 ――いくら何でもこんな場所で日本刀を振り回せば目立つに違いない。あの悲鳴とこの状況は、あまりにも突然起こった事態に混乱するものに見える……だったら、相手は能力者か……?

 あくまでも可能性。しかし確信めいた何かがフェイトの中に芽生える。

 恐らく悲鳴からまだ1分前後、そこまで時間が経っていないとは言え、ショッピングモールに救急車が入り、傷の処置をするには最低でも10分はかかるだろう。
 上着を脱ぎ、女性の腹部の裂傷をぐっと掴んで押さえる。圧迫止血と呼ばれる方法だが、この状況のままではフェイトは動けない。

《オーケー。状況は理解したわ。リンとの複合回線を繋がせるわ。
 それと、今そっちの監視カメラの映像に入り込んだわ。慌てて外に出て行くような怪しい素振りを見せている人間はいないわね》

『クソッ、潜んでいるのか……。犯人は多分能力者だ。俺が動ければまだ良いんだけど、傷が深い。混乱のせいか動けない人も多いし、このままじゃ――』

《――フェイト、空砲を発砲して。非常事態だわ、発砲許可はもぎ取るから処置を任せて、犯人を探すのが優先よ》

 エルアナの言葉を聞いて、フェイトは肩がけのホルスターから銃を抜き取り、空砲を天井目掛けて放った。バァン、と銃声が上がると同時に短い悲鳴が重なった。
 反射的に身を屈ませた周囲の人間に、フェイトはそのまま声をあげた。

「犯人がまだ近くにいるかもしれない! 誰か、圧迫止血が出来る人がいたら代わってください!」

 エルアナの指示によって放たれた空砲のおかげか、ようやくこれが現実なのだと認識した人々が動き出す。同時に、警備員が人集りを割って中へと入ってきた。
 女性の周りに出来た赤い池を見たからか、その顔はみるみる青褪めていく。

「IO2エージェントです。状況は?」

「は、はい! 聴こえてました!」

 警備員の男性が答えるが、所詮はアルバイトの素人だ。ここにいても混乱しているのは変わらないだろう。本来なら止血を交代してもらうか、周りを誘導してもらうつもりであったが、声が震えている。

「ならすぐにタオルや厚手の布を取ってきてください。誰か、止血をお願いします!」

「あ、あの! 私、看護師です! 圧迫止血なら私が!」

 人集りの中から若い女性の声があがる。こういった血に対する慣れは目つきを見れば分かる。フェイトに声をかけた女性はすぐにフェイトの横に駆け寄ると、フェイトの手のすぐ横の箇所に手を沿えた。

「3で手を放します。良いですか? ――1、2、3!」

 フェイトの合図に合わせ、若い女性がフェイトが手を避けると同時に傷口を押さえつけた。じわりと滲んだ血がフェイトの上着に染み込んでいる。

「処置はプロであるアナタに任せます。お願いします」

「ハイッ!」

「あ、あの、救急車、こちらにすぐ向かってくるそうです!」

「分かりました、有難うございます」

 エルアナは同じIO2のプロフェッショナルだ。多少雑な言い回しでも状況が切迫していると理解してくれるが、フェイトの周りにいるのは一般人だ。極力緊張させまいと穏やかな口調でフェイトは受け応えていた。

《フェイト、聞こえる? リンとも回線を繋いだわ》

《フェイト! アリアちゃんが! さっきから姿が見えません!》

「……ッ、こんな時に……! エルアナ、監視カメラでフランスのエージェントの少女、アリアちゃんの姿も探してみてくれ」

《オーケー。すぐに……――ッ! な、なに……?》

「……どうした?」

 返事を返したエルアナの声は、酷く動揺したものだった。






◆ ◆ ◆






 ――予想外だった。
 男は混乱によって阿鼻叫喚とも言えるような混沌が生まれると想像しながら、たった一人の若い女を襲い、血を噴出させた。ただ殺すだけではなく、ショーの開催の為の生贄として、だ。

 首元の頸動脈を斬ってしまった方がショーとしては盛り上がったかもしれない、などと下種の思考を巡らせようとしたその次の瞬間、あの若いスーツの男が飛び込んで事態を収束させたのだ。

 人集りを少し離れた位置から眺めていたが、このまま終わらせてしまうのは癪だ。しかしここで下手に襲いかかり、足がついてしまっては面白くない。
 仕方なくこの場をやり過ごそうかと考えた男は、まるで騒動に気付いていない客の流れに乗って逃げてみせた。

 男は狡猾な、それも常習犯であった。
 能力に目覚めて以来、こうして時折人を痛めつける。それが余りにも楽しくて仕方ない。
 誰にも気付かれずに人を傷付ける。そのスリルが男の快楽を刺激してくれるのだ。

 現在フェイトや凛以下の階級ではあるものの、IO2エージェントが追っている危険能力者。それが男の正体である。
 だからこそ、フェイトの読みは僅かに外れていた。

 慌てて現場を去ろうとするのは三流。
 静かに状況を静観するのは二流。
 一流は、被害者となって流れを利用し、自分の身体から発する狂気を押し殺せる者。

 彼は自分をその一流にいる存在だと自負している。

 ――だからこそ、流れに乗って人混みから外れる事に成功したのだ。
 しかし、駐車場の中を歩いていた男の前に、明らかに日本人とは思えない一人の少女がいる事に、思わず足を止めた。

 人形のような真っ白な長い髪と、透き通るような白い肌の少女。
 容姿も、その輝きを失ったかのような瞳も、まさに人形が自立でもしているのかと目を疑いたくなるような光景だった。
 少女は男と真っ直ぐ向き合う形で、微動だにせずに立っていた。

 これまで人を何人も痛めつけ、その結果殺し、混乱する様をショーとして見てきた男は、その整った姿に惹きつけられる何かを感じていた。
 それはまさに、衝動。

 整った顔が、その綺麗な肌が裂け、血に染まり、見開いた瞳が見てみたい。
 整っている最高の素材だからこそ、それを自分のショーの道具として見てみたい、と。

 下卑た笑いを浮かべた男が口角をあげたその瞬間、少女の陶磁器さながらの整った顔が、僅かに動いた。

『……血の匂い。人を殺して、喜ぶ匂い』

 カツっと短い音を立てて少女は歌うように続けた。

『その匂いは、〈いい人〉の匂い。私が私であっても許される匂い』

 ――英語、ではない何処かの国の言語だろう。そう男は確信する。

 何処の国の言葉であったとしても、そして今、何を言っているのかは分からないにしても、そんなものは男にとってはどうでも良かった。

 苦痛に苦しむ顔に、国も言葉も関係ないのだ。
 それだけが男を満たしてくれるのだ、と男は慣れた様子で手を翳した。

 ――同時に、少女は嗤った。

「――……え……?」

 男は確かに右手を翳した。そう脳に命令し、いつもの通りに腕をあげたのだ。
 しかし、視界に映り込むはずの腕が見えなかった。
 情けない声を漏らしながら、男は自分の右肩に視線を向けた。

 そして、気付く。
 男の肩から先、腕が、いつの間にか消えていた。

 直後、今度はぐらりと身体が倒れた。
 無様に転んだ男が足元を見ると、今度は両足がその付け根から消えている。

「……あ……あぁぁ……ッ!」

『その匂いは、〈いい人〉の匂い。私が私であっても許される匂い。
 ――――その匂いは、〈消して良い人〉の匂い』

 男は理解する。

 目の前にいる少女は、天使なのだろう。
 歌うようなその口調で、自分という過ちを冒した存在を浄化する天使。
 残忍で冷酷な、天使という異質の存在なのだ、と。

『アリア! やめるんだ!』

 突如聴こえてきた一人の若い男の声に、天使は動きを止めた。
 きょとん、とした顔で天使は声の主を見上げ、そして口を開いた。

『……どうしたの?』

 それはまるで、何か不思議な物を見て尋ねたような少女の顔であった。
 狂気に染まっている訳でもなく、ただただ疑問を抱いただけの少女の姿だった。

 小首を傾げて見上げる少女に向かって、若い男は目を瞠っていた。

『……アリア、キミは、分かっていない、のか……?』

 男は天使と若い男の会話を耳にしながら。

 その会話を子守唄にするかのように、視界が暗転した。













to be continued...