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奮闘編.23 ■ 非凡な少女―J
《――そう……。そういう事だったのね》
電話越しに聞こえた声は、納得と呆れか、はたまた同情かとも取れるような、何とも力のない声であったと美香は思う。
美香は自分が働いている店――『RabbiTail』の先輩従業員こと優奈から得た、唐島組の情報。そして、自分が一体どういう経緯で動き、学校に接触し、上八木省吾を探しているのかと、由香里に説明したのだ。
「ごめんなさい。騙すみたいな形になってしまって」
《良いのよ。それに、まさかあの煙草探偵の助手だったなんて思いもしなかったわ》
「た、煙草探偵?」
《えぇ。草間探偵事務所の草間武彦って言えば、この界隈じゃちょっとした有名人なのよ。事件を解決させる手腕と、あのチェーンスモーカーぶりは特にね。それでついた渾名が、煙草探偵。ちょっと敵に回したくはない相手なのよね》
――煙草探偵……。た、確かにその通りかも……。
そう思いながら武彦の姿を思い浮かべた美香の口からは苦笑が漏れる。
《ウチに欲しかったんだけど、残念だわ》
「あはは……、私よりもっと役に立つ子なんていっぱいいると思いますよ」
《……はぁ、まぁそういう事にしておいてあげる》
何やら腑に落ちない様子の由香里の本心に、美香は気付いていない。
――情報を得るというのは、探偵にとっては何よりも大事な力だ。
美香は素人でありながら、そして上司であるべき武彦からの助力もなく多くの場所、相手から情報を受け取り、その真相に近付くだけの能力を有している。
それは、他人との会話によって培われた胆力や性格だけで手に入るなど有り得ない。
この者の力になりたい、と相手に思わせる何かが必要なのだ。
そうした一種のカリスマ性は、後天的に自らの力によって磨かれた者と、先天的にそうした血や風格を纏った者にしか手に入れる事は出来ない。
由香里は知らない相手となるが、飛鳥や優奈というのは後者である。
自らの何が武器となり、どこが魅力になるかを客観的に理解し、磨き上げるだけの力を持った者達。
他者を寄せ付けないが魅せ付けるだけの何かを持ったカリスマとは、言うなれば一種の中毒性のある麻薬のようなものだ。
――だが、この少女は明らかに先天的に持ったものだろう。
由香里は美香をそう評している。
そして同時に、後天的なカリスマを麻薬だと言うならば、先天的なカリスマは神や偶像に等しいと思えてならない。
まだまだ幼さも、危うさもある。
だからこそ、周囲はそんな美香についぞ手を差し伸べてしまう。
ある者は美香が歩く道に石があるのは危険だと石を払い、ある者は敢えて険しい道を歩かせようと石を置く。
後天的なカリスマが5年かかった道を、先天的なカリスマというのは1年足らずで踏破する。それぐらい、両者は似ていて異なる立場にあると言える。
歩幅が大きいのではない。
歩みが速い訳でもない。
ただ、彼女の歩く道を造り、手を加える者が多い。
それは立ち止まらずとも与えられてしまうからこそ、器はそれを飲み込んで吸収し、成長する。
それが、由香里にとっての美香という少女だ。
「それに、これ以上はやっぱり危ないと思うんです」
《……そうね。でも、それはアナタにも言えている事だからね?》
「あはは……、気をつけます」
《それじゃあ、また何かあったらいつでも連絡ちょうだい》
「有難うございました、色々」
由香里との電話を切った美香は一つ安堵の溜息をこぼした。
――これで良かったんだ。
美香はまるで自分に言い聞かせるかのようにそう呟いた。
唐島組とその背景にあるヤクザの絡み。
これらはすでに、一般人が手を出して良いような範疇の話ではなくなっている。
由香里とは成り行きから知り合ったが、このまま巻き込む訳にはいかないと美香は考えたのだ。
美香は顔をあげ、歩き出す。
◆ ◆ ◆
相変わらずという言葉が似合うのは、こういう場所の事を指すのだろう。
美香は草間興信所の扉を開けて中へ入り、心の中でそんな言葉を思い浮かべた。
室内は紫煙によって灰色がかった靄に覆われ、甘ったるい外国人歌手のシャンソンが流れるレトロな空気を醸し出している、『草間探偵所』。
突然、何の前触れもなくこの場にやって来たはずの美香に向かって、武彦は呆れの混じった紫煙を吐き出し、煙草を山盛りの吸い殻に埋もれた灰皿に突っ込んだ。
「……その顔を見ると、手を引いてなかったらしいな」
開口一番、どうしてこの場所へとやって来たのかと尋ねる事もなく、武彦は美香のその顔から全てを悟ったかのように呟いた。
わずかに眼を見開いた美香であったが、その気圧されてしまいそうな空気を押し返すようにキュッと口を結び、一歩武彦の目の前にあった机に歩み寄る。
「……草間さん。私が得た情報を、聞いてくれませんか?」
その言葉に返ってきたのは、明らかに剣呑とも取れる眼光を宿した冷たい視線だった。
――怖い。
美香はその眼を見て初めて武彦に対して恐怖を抱いた気がした。
それでも、美香はその丸い眼を武彦の眼鏡越しの双眸から逸らすつもりはなかった。
そうでもしなければ、この眼前に座った男は納得しない。
力を貸そうとはしてくれないだろう。
そう、自分の中の何かが語りかけてくる。
長い長い沈黙は、どれ程続いただろうか。
それはたかが数秒であったが、一時間とも取れるような錯覚を起こす程に苦しいものであった。
「――良いだろう。聞かせてみろ」
美香の提案に、武彦は折れた。
――――美香から齎された情報には、武彦も内心では舌を巻く思いであった。
今回の一件に関して美香が得てきた情報は、優奈と学校の情報と、由香里から得たとされる情報のそれらは、間違いなく武彦が得ていた情報に近い。
同時に、唐島組がどうして麻薬を売り捌いてしまっているのかという背景にまで至っているというのだから、それに驚かない訳もない。
確かに武彦とて、唐島組の内情とバックについている大きな組の存在は知っている。
それを一介の――それも素人の女性が手に入れてくるとなれば、飛鳥の入れ知恵かとも思われるが、それはないだろうと武彦はかぶりを振る。
美香が口にした、唐島組とバックについている組織の繋がりから生まれた、両組織間の軋轢とも呼べるその齟齬は、一般的には知られていない。
それが飛鳥の立場であっても知られるような情報ではなく、加えて飛鳥ならわざわざ美香にそんな危険な情報を与えるつもりなどないだろう。
美香を今回の一件から外したのは、飛鳥もまた賛成であったはずだ。
「……ったく、本当によくもまぁこんなに情報を手に入れてきたもんだ」
ついぞ口から漏れた武彦の賞賛と呆れの混じった言葉に、美香は頬を緩ませた。
同時に武彦はそんな美香から視線を外し、机の上から一枚の紙を取り出し、美香に見えるように滑らせた。
「これは?」
「二日前、あの上八木省吾と同じ学校の生徒が暴行を受けたらしい。その際に上八木省吾を見たと言っている。
恐らく、アイツは唐島組からクスリを横領しているんだろう。それも、誰かに脅される形でな」
武彦が見せた紙に書かれていたのは、恐らくその暴行を受けた少年の証言だと思しきものだ。
曰く、どうやら脅されているかのようだったそうだ。
「……お前、このまま最後までこの事件を見届ける気があるか?」
「え?」
「明後日、ネット上の情報だが近くのクラブでクスリの売買が行われるらしい。
もしお前がこのまま解決を望み、最後まで見届けるって言うなら、手伝ってもらうぞ」
武彦の言葉に、美香は唾を呑み込んだ。
to be continued...
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いつもご依頼ありがとうございます、白神です。
ついに最終舞台へと駒を進めようとしている美香さんです。
次の話である程度は落ち着く、という形になります。
非凡な少女編もクライマックスですね。
お楽しみ頂ければ幸いです。
夏真っ盛り、体調にはお気をつけ下さい。
それでは、今後ともよろしくお願い申し上げます。
白神 怜司
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