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sinfonia.40 ■ 決戦―B
勇太と百合の二人が東京上空から東京駅内部へと潜入した、その数分後。
真っ暗な夜闇によって包まれた東京の街を、けたたましい音を立てて数台の車が闇を切って走っていく。
それらの車は四輪駆動型の少々角ばった印象を与える黒塗りの車で、お世辞にも一般乗用車とは言い難いような姿であった。
闇を切るように走り抜ける車のそれぞれに乗った搭乗者達の表情は、まさに真剣そのものといった具合である。
だが、そんな中。一台の車だけがそういった緊張とはまるで無縁だと言わんばかりに窓から紫煙を吐き出していた。
運転しながらも口に咥えた煙草。闇の中にぼうっと浮かび上がった紅点と、ジリジリと巻紙が燃える音。舞い上がった紫煙は僅かに開かれた運転席の窓から夜空へと舞い上がり、そのまま風に乗って消えていく。
彼らが走り去ったその場には、排気の臭いと煙草の残り香だけが取り残されている事だろう。
そうして、黒塗りの車はついにその目的地へと辿り着いた。
同時に車の後部から下りた男女数名が武装したまま周囲を見回し、警戒を顕にした。かけっぱなしのエンジン音が鳴り響き、ヘッドライトによって照らされた道路。
そこには、うぞろと奇妙な音を立てて黒い塊が姿を現し、光を浴びては闇の中へと隠れるように後ずさる。
東京を襲った魑魅魍魎。
それらが牙を剥こうと試みたのだが、ヘッドライトの光は彼らにとっては〈嫌なもの〉であったらしい。
そんな中、少しばかり遅れてやってきた車が停まり、車のドアから一人の男が降り立った。
黒いロングコート。
その下には黒塗りのスーツを着用しているらしく、まるで闇に溶けてしまいそうな気さえする。
口に咥えた煙草からは変わらずに紫煙が舞い上がり、その煙草を携帯灰皿に押し込むと、最後に肺に残っていた紫煙を吐き出した。
「……やるか」
また一本、クシャクシャになった煙草の箱を軽く振って口に咥えると、眉間に皺を寄せながら男――武彦は煙草に火を点けた。
眼前に広がったのは、さながら海外の建物を彷彿とさせるような大都市の有名な駅――東京駅。
夜闇の中にぽっかりと浮かび上がるように煌々とライトに照らされたその場所は、ライトアップされたテーマパークの城のようにすら見える。
コートの内側にかけたホルスターから、少々歪な形をした銃を右手に構えると、武彦は口に咥えた煙草を指で挟んだまま歩き出し、入り口に歩み寄る。
瞬間、物陰に隠れていた黒い何かが武彦に跳びかかり、そして――轟ッと音を立てた銃の銃口が火を噴き、魑魅魍魎が霧散する。
――手荒い歓迎だ。
口に咥えた煙草を歯で押さえながら口角をあげて、武彦は更に肉薄するそれらを撃ち抜いていく。
入り口にこれだけの魑魅魍魎を配備しているのは、恐らくは牽制の為だろう。弾が無駄になっている気しかしない武彦は苦い表情を浮かべた。
恨み辛み、憎しみ悲愴に未練、怨念。
人の世は酷く仄暗い怨嗟の声によって成り立っている。
詰まるところ、魑魅魍魎はいくらでも現れ、生者を自らの側に引き落とそうと手ぐすねを引く。
それらを銃弾によって撃ち抜く所業というのは大した苦労ではないが、際限なく湧き出るとなれば話は別だ。
こんな状況にあっても、銃弾一発あたりで文字通りに飛んでいくお金を考えれば苦い表情すら浮かべかねないのが現実であった。
――故に、武彦は呟く。
「露払いだ。頼むぜ」
「分かりました」
その一言に答えると銀閃を残して魑魅魍魎を斬り裂いた。
いつから、何処から現れたのやもしれぬ少女。
茶色い髪にはさくらんぼを彷彿とさせるヘアアクセによって留められ、まだあどけなさの残る顔とは裏腹に、冷ややかな声で返事をした。背中にかけられた赤い柄に手をかけ、直剣を背中にした姿は、その可愛らしい顔立ちとは似つかわしくない戦士の表情であった。
ふっと身体を傾け、前傾に疾走る。
煌めいた銀閃が、光を反射させる波模様が黒一色の塊を切り裂き、道を開いた。
少女――萌の剣は名刀と呼ばれる部類のものであり、破邪の力を持っているようだ。剣閃によって撫ぜられた魑魅魍魎は霧散し、一切の怨嗟を残さない。
――やれやれ、最近の若いのは優秀なのが多いな。
その光景を咥えた煙草をじりっと鳴らして紫煙を吐き出しながら見つめていた武彦は、心の中でずいぶんと年寄りめいた言葉を呟いていた。
「行きましょう」
「あぁ」
東京駅内部――いや、正確に言うならば虚無の境界の懐であり、特異能力『誰もいない街』の中へと足を踏み入れる。
今回、阿部ヒミコの対策として戦いに出たのは武彦の萌の二人のみであった。
物量で押すにはヒミコの能力は強力過ぎる上に、同じ能力者であればそれを逆手に取った戦法で攻められかねない。
要するに、この状況において戦うべき条件をクリアしているのは武彦と萌という、得物こそあれど能力がないピュアファイターのみ。鬼鮫が今回、IO2の中枢として動きを封じられてしまっている以上、純粋な経験値と戦闘能力を鑑みてもこの二人以上の適任者はいないと言えたのである。
そんな二人が、ついにその異界へと足を踏み入れた。
「……こいつは、酷いな……」
忌々しげに呟いた武彦の隣で、萌はあまりの光景に口を手で押さえた。
――――それは正しく、呪われた世界とでも言うべきだろう。
まるで大災害に遭ったかのような崩れかけた廃墟が建ち並び、現在の東京以上の崩壊の様相を呈した街がそこには広がっていた。空は赤く、廃墟となったビルにはまるで人体の筋肉を貼り付けたかのような赤々とした何かが張り付き、真っ赤な血のような液体を流している。
景色の気味の悪さも然ることながら、何より鼻についたその血の臭いと腐臭が醜悪さを増しているようだ。特に仕事柄、そういった臭いを嗅いだ事のある二人にとっては、嘔吐感が込み上がるような感覚が腹の底からせり上がってくる。
「萌、動けるか?」
「……呑み込みます」
ぐっとせり上がってくる嘔吐感と共に、一度深く息を吸い込み、まるで水を飲むかのようにゴクリと喉を鳴らして飲み込む。これは一種の悪臭対策であり、これをする事で多少臭いに対する感覚を麻痺させる事が出来るのだ。
幾分かは楽になったのか、萌が目尻に涙を溜めながら周囲を見やり、その光景に今度は顔を顰めた。
「悪趣味、ですね」
「報告によれば『誰もいない街』ってのは荒廃した都市のような場所であって、夜の街って話だったはずなんだが、な。異能力者の能力ってのは精神状態やその他の要因によって多少なりとも変化があるはずだ」
「でもこれじゃあまるで――」
「――あぁ。何か巨大な肉体を造ってすらいるように見えるな」
萌の言葉に続く形で、武彦は周囲にこびりついて鳴動している肉塊を見やる。腐臭を放ってこそいるものの、どうやらこれらは生きているようだ。心臓の鼓動のような規則的な動きでこそないが、先程から鳴動する度にその触手めいた先を動かし、侵食を広げているらしい。
それにしても、と武彦は改めて周囲を見回した。
何処かにいるのだろうが廃墟があちこちに建ち並んでいる以上、見つけるのは骨が折れるだろう。
時間を稼がれかねないこの状況で、ヒミコが大人しく隠れていては厄介だ。
ポケットからサーモグラフ機能のついたサングラスを取り出し、武彦はそれをかけて周囲を見渡した。が、その結果は期待出来るものではなかった。
「やっぱり、か」
武彦の口から確信していた事態への愚痴が零れた。
案の定とでも言うべきか、鳴動している肉塊もどうやら温度を放っているらしく、サーモグラフィーにはその輪郭がくっきりと残ってしまっていた。
流れ出る血のような何かも温度を持っているのか、そのせいで視界は最悪だ。
サングラスを外した武彦が嘆息すると、ほぼ同時に。
その場にいた萌が武彦の後ろに向かって飛び出した。
唐突な萌の動きに瞠目した武彦であったが、ここでようやく背後にいたソレの存在に気付き、振り返った。
萌の振り下ろした刀が真っ白な服を着た少女を両断したところで、しかしそれはゆらゆらと揺れて何もなかったかのように佇んで、ニタリと口角をあげた。
『いらっしゃ――帰れ――い、ようこそ――死ね――私の――私だけの――世界へ』
それは酷く気味の悪いか細い声と野太い怨嗟が混じる声であった。
幻影と思しき少女――ヒミコが、二人の前に姿を現した。
to be continued...
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