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奮闘編.24 ■ 非凡な少女―K
深夜の廃工場。
お誂え向きなこの場所にて、唐島組とその背後にあった京極組の間で何やら取引がされるという噂が流れていた。
埠頭にある倉庫街といったドラマチック差がない工業地帯の廃工場は不気味な薄暗さに包まれていたが、取引の現場となるその建物だけは他者からの視線を遮るかのように窓には暗幕が張られ、中は工事現場などで使われる自立式のスポットライトが立てられているようだ。
中開きのドアの前にはいかにもといった風情の男達が目を光らせ、不審なネズミを警戒しているらしく、その周囲にも先程から銃で武装した男達が辺りを警邏している。
「……やれやれ、探偵の仕事を大きく逸脱した仕事だな」
近くにあった無人の工場に身を潜ませた武彦が独りごちりつつ、双眼鏡を手にその光景を眺めて呟いた。
その隣には、人生で初めての経験となる所謂張り込みに緊張した面持ちを見せた美香の姿があった。
「あの、草間さん」
怖ず怖ずと声をかけた美香へ、武彦は素っ気なく「あ?」と返事を返した。
「どうしてこんな場所で――それもこんな大掛かりな取引の張り込みなんてしてるんですか? 上八木省吾クンはこの現場とは無関係だと思うんですけど」
「いいや、無関係とも言ってられないのさ」
いつもの眼鏡を外して双眼鏡を覗いていた武彦がようやく壁にもたれるように座り込み、眼鏡をかけて美香へと答える。
「どうやら、上八木省吾を脅してる連中ってのは今回の取引を襲うつもりらしい」
「えっ!?」
「唐島組がクスリを扱うようになったのを、京極組は快く思っちゃいないんだがな。だからと言って、その売上で手にした純利ってのはバカにならねぇ。騒動がそれなりに大きくなってきたってのもあるが、京極組はベトナムからクスリを大量に入れて、そいつを唐島組に捌かせるって心算だ。同時に、恐らく唐島組から手を切るんだろうよ」
武彦の説明にいまいち理解が及ばなかった美香が目を丸くしていると、武彦が淡々とした調子でこの取引の背景を語った。
唐島組がクスリを手に入れ、それを捌いているとなれば京極組とてそれを黙認して見過ごす訳にはいかないのだ。それはひとえに、他の組から京極組が「自分の下の組織の手綱も握れてない」といったマイナスイメージを警戒しての行いだ。
裏稼業というのはある種、互いの組を持ちつ持たれつの関係にある。
昨今のヤクザ事情としては、水商売などが問題に直面しやすい所謂みかじめ料などという集金率が悪く、警察が積極的にそういった店を摘発し、かつ水商売も法に則った上では保護するという立場を固めたからである。
これによって、ヤクザと店という立場の関係性は以前に比べればずいぶんと与し難いものへと変わり、同時に彼らの資金力はほんの数年前に比べて明らかにダウンしている。
昔は組と組が顔を合わせればすぐにいざこざに発展したケースなどもあったが、そういった時代は終わりを迎え、ヤクザというその稼業も横の繋がりというものが必要になりつつあるのだ。
そういった意味で、イメージダウンというのは一般的な会社や企業と同じぐらいに大事になっているのだが、これも時代の移ろいと言えるだろう。
先日優奈が言ったように、クスリを捌くというのは確かに膨大なお金になりやすい。そもそも商売としては完全に個人間で取引され、違法の物品というものを取引すれば、その相手とて自分が捕まりたくないのだから公言する事はないのだから。
だが、それでも粗が生まれ易いのが現実であり、人の口に門は立てられないというものであった。
今回の唐島組から流れたクスリの販売という噂はあちこちに飛び火し、武彦が言うように「騒動が大きくなってしまった」のだ。
だからこそ、他の組へのアピールも含めて今回の取引が行われるのだ。
これまでの利益から新たに唐島組にクスリを買わせ、その利益を掠めつつ、唐島組はあくまでも自分達の影響下で商売しているのだと内外にアピールしたい、というのが京極組の本音だ。
その為に今回の取引は近くの組にはリークされ、秘密裏かつ公然の取引が行われる運びになったのである。
「――ここまでで質問はあるか?」
「えっと、つまりはそういったアピールの為に取引の情報は既にあちこちに漏れている、という事ですよね?」
「まぁそういう事だな。だがそれは同時に、上八木省吾を利用している第三者の耳にも入っている可能性が高いのさ」
「そうなんですか?」
「そりゃあな。元々、ただ簡単な取引をするだけならこんな大掛かりな人数を使ったりはしない。アイツら――ヤクザだって馬鹿じゃないんだ。金とクスリに目が眩んだ連中がいる可能性と、自分達の組織の力を見せつける為に、今回こうして『舞台』をセットしたって訳だ」
「でも、それが一体どうして上八木省吾クンと……――」
「――簡単な話だ。上八木省吾や、他の若い連中からもクスリを巻き上げていたと思われる第三者だが、入手ルートの確保は出来ていないって事だ――」
武彦が身体を縮こまらせながら、ライターの火によって灯された光が窓から漏れないように煙草に火を点け、紫煙を吐き出した。
「――つまり、だ。唐島組――ひいては京極組を敵に回したい組織なんてこの辺りにはいない上に、クスリを入手するルートなんて自前じゃ持ち合わせちゃいないんだろう。
だとしたら答えは一つ。――つまりは今回の取引で金とクスリを巻き上げようと考えるって訳だ」
「って、それじゃあもうすぐここで……!?」
「あぁ。ちょっとばかり騒動が起こるだろうな――って、どうやら始まったらしい」
ちょうどそんな話をしていた時だった。
外から火薬の破裂するような音と共に、男達の怒声が鳴り響いた。
「さて、俺達はこのまま介入した第三者を追うぞ。恐らくこの近くで状況を見守りつつ、逃走用の車でも用意してるはずだ。それらしい車を探す」
呆気に取られていた美香に向かって、武彦はその場を離れるべくそう告げると美香の手を引いて外へと走り出した。
◆ ◆ ◆
――どうしてこうなってしまったんだろうか。
上八木省吾は遠くに聞こえる銃声と怒声、断末魔の叫び声を耳にしながら自分がこんな事態に巻き込まれているという現実を前に、走って逃げながらも現実逃避するかのように心の中で呟いた。
きっかけは、家族内の不和だった。
エリートを地で行く父親に、そんな父が絶対だと言わんばかりの母。
それらが煩わしくなって、自分は自分の事ぐらいしっかりと対処出来るんだと背伸びし、真面目一徹で生きる父へと反目する意味を込めて、馬鹿をやっていただけだった。
だが、所詮は省吾も一介の高校生に過ぎなかった。
多額の小遣いこそもらってはいたが、世の中に出て働いた事さえなく、ただただ食費などで金は飛んでいくばかり。
そんな自分に小遣いなど渡してくれるはずもなく、金がなくなって困っていた時、友人の先輩に持ちかけられた相談。
「ワリの良いバイトあるんだけどさ、キミやってみない?」
そんな甘言にふらふらと釣られて、省吾は麻薬の売人という立場に落ちたのであった。
最初は良かったのだ。
SNSサイトを使って取引場所を指定され、そこに待っているだけの相手にクスリを売るだけ。それだけでお金が稼げたのだ。
世の中なんてちょろい。
真面目に生きてるヤツは馬鹿を見るだけだ。
そんな増長を重ねるのに、そんなに時間はかからなかった。
だが、重ねて言うが省吾は一介の高校生に過ぎなかった。
タチの悪い集団に目をつけられ、省吾は稼いだ金の半分以上を奪われ、更にはクスリを横流ししろと脅された。
そこからは、さながら坂道をボールが転がっていくかのように留まる事なく、ただただ落ち続けた。
――――そして今、省吾は必死に逃げていた。
もはや、これ以上は彼の許容範囲ではない。そもそも、こんな状況に巻き込まれるなど、自分が望んだものではなかったはずだ。
しかし、落ちた者の末路とでも言うべきだろうか。
「おいおい、省吾ォ……。お前、何逃げようとしてるんだよ……なぁ……」
走っていた先に姿を現した男に、省吾は言葉を失った。
ダメだ、見つかった。
もう終わる。
このままじゃ、自分も殺される。
「省吾ォ、お前はもう逃げらんねェんだって……。俺たちはもう一蓮托生ってヤツなんだよ。だからよォ、省吾よォ……。お前、今から戻ってあそこから金とクスリ、奪って来いよ」
「は……、はは……、な、何言ってんッスか……。あんなドンパチやってるトコに行けだなんて、無理ッスよ……!」
「いや、お前はやれるよ、省吾ォ。だってよォ、ここで行かないってんなら、お前殺しちゃうよ?」
「ひ……ッ」
省吾は目の前のこの男の危険性を知っている。
この男に常識は通じない。
だからこそ、この男が殺すと言ったのであれば、それは紛れもない本気の殺意だ。
――もう逃げられない。
自分は酷い過ちを冒して、この状況を作ってしまったのだ。
そう考えて、目の前が真っ暗になりかけた。
その時だった。
「――こっちよ! ついてきなさい!」
腕を自分よりもか細い手に取られ、省吾は駆け出した。
to be continued....
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いつもご依頼有難うございます、白神です。
さて、クライマックス編前編という形でお届けさせて頂きました今回のお話。
少々裏事情などが重なり、大掛かりな舞台に進んでしまっていますが、
今回の部分はどのルートで選択していてもいずれはぶつかるように組まれていた箇所です。
ただし、美香の立場がそのルートによって少々違っていましたが。笑
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後共よろしくお願い申し上げます。
白神 怜司
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