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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


奮闘編.25 ■ 非凡な少女―L






 銃声や怒声、断末魔の叫び声。
 それらを耳にしていたのは、今現在こうして上八木省吾という少年の腕を引いて走っている美香の耳にも届いていた。

 一歩。
 ただ一歩を踏み留まってしまえば、きっと再びこうして走る事は出来ないだろう。
 それは直感ではなく、確信だった。
 膝は笑って力が抜けかけ、太腿やふくらはぎには緊張のせいで嫌な痛みにも似た違和感が絶え間なく襲いかかっている。

 それでも走ったのは、きっと自分よりも年下の少年がそこにいたからだろう。
 美香はそんな事を考えながら、ただただ走り続けていく。

「省吾ォ! 逃げられると思ってんじゃねぇぞ、あぁ!? お前はもう、こっちの世界から足を洗えるような存在じゃねぇんだぜぇ!」

 徐々に遠くなっていく声であるにも関わらず、美香に腕を引かれた省吾は「ひっ」と喉を鳴らして足を止めかけた。ぐん、と身体が引っ張られるような感覚で美香もそのスピードを押し殺され、足が止まりかける。

「――走りなさいッ!」

「は、はいっ!」

 それでも、後ろにちらりと振り返って叫んだ言葉は省吾の足を動かした。どれだけ悪ぶってみせても、根っこはまだまだ青い少年だ。それはかつて美香が家を飛び出したばかりの頃――つまりは借金を負わされた頃の自分と、どこか酷似すらしているように思えるような姿であった。

 ――――そもそもこの状況で美香が上八木省吾を捕まえて走った理由。
 それは、この二人が走り去った後方で叫び声をあげていた男の前に対峙した、くしゃくしゃの煙草を咥えた男が原因だ。

「あぁ〜、何だ、お前?」

「お前らが第三勢力だとしたら、さて。俺は第四勢力――とは言えねぇな。何せ二人しかいねぇんだしな……」

 眼鏡をかけた優男といった印象で男――武彦は苦い顔をして頭を掻きながら嘆息した。

「ま、良いわ。邪魔すんじゃねぇ――よッ!」

 目の前に突然姿を見せた何者かが誰であり、何を目的にやってきたのか。
 尋ねておきながら、それでも男にとってはどうでも良い内容であったようだ。

 勢い良く振られた腕。
 そこには、月光を反射させた鈍い銀色の光があった。

「――ったく、ガキの玩具じゃねぇんだぞ、これ」

 腹部へと真っ直ぐ向かってきたそれを、武彦が手に甲で男の手を打ち払い、すかさず手を捻り上げ、背中へと回す。一連の動作によってあっさりと自由を奪われた男は、コンテナに身体を叩き付けられて短い悲鳴をあげた。

 果たして今の一瞬で何が起こったのか、男にはいまいち理解出来なかった。

 ただ背中を回して捻られた腕はギリギリと鈍い痛みを放ち、握っていたナイフはあっさりと引き抜かれた。かろうじて得られた情報はと言えば、肩越しに聞こえた煙草の火が巻紙を燃やすジジジッと鳴った音と、紫煙を吐き出す溜息のような息の音だった。

「良いか、坊主。省吾から手を引いて、金輪際関わらないと誓え。じゃなきゃ次会う時は、お前が今俺にしたようなナイフなんて生温い方法じゃ済まない、鉄の塊が肉を抉る痛みを味わう事になるぞ」

 言葉と同時に、何か固くひんやりと冷えたものが背中に当たる。
 その感触と声の冷たさに、男の顔は一瞬にして青褪めた。

「ガキが粋がって組を相手に大立ち回りってのは、別に嫌いじゃねぇが。だからって度を超えた真似すりゃ、二度はねぇ。分かったか?」

 もはや男に反論する意志などなかった。

 無様にコクコクと首を縦に振った男をコンテナから突き飛ばし、ケツを蹴って走らせる。ただそれだけで、ヤクザを前に馬鹿をするという分不相応な考えを抱いたチンピラは、現実という壁の高さを思い知ったのだろう。

 逃げ惑うように走っていく男の姿を見て、武彦は紫煙を吐き出しながら呟いた。

「……ペンは剣より強し、ってな」

 ポケットから取り出したのは、ただの無愛想な黒いペンである。
 背中に当てられた凶器がペンだったなど、あの状況では思いつかなかったのだろう。
 ポケットに入れてそう見せるだけでも脅しになるが、どうやら今日は一段とその威力を増したようだと、満足気に武彦はペンをクルクルと回しながら、歩き出すのであった。






◆ ◆ ◆






 結局、ドンパチ騒ぎはあったものの『公然の秘密』の下で行われた取引は、第三勢力の介入によって行われた物だと知れ渡り、唐島組と京極組の取引は後日、場を改めて行われる事となったらしい。
 これにはどうやら、何人かの襲撃犯が捕まって自供したという背景があったようだが、果たしてそれが真実なのかどうか、と武彦は煙草を咥えながら呟いていた。

「――例えどっちかの勢力の暴走だったとしても、結局はそうして取り仕切り直すのさ。こいつもメンツの問題ってヤツでな。別に真相なんてどうでも良いって訳だ」

 甘ったるいシャンソン歌手の歌声が聴こえ、煙草の紫煙がたゆたう草間興信所の事務所の中で、目を覚ました美香がその詳細を聞いてげんなりとした気分で「そういうものですか」と呟いた。

 何もかもが綺麗に解決、という訳ではなくて良いのだ。
 今回、草間探偵事務所に持ち込まれた依頼は、あくまでもソファーで眠っている彼――上八木省吾の捜索と、可能であれば引き渡しに過ぎないのだから。

「彼はこれから、どうするんですかね……」

「さて、な。それは本人の問題であって、探偵が関与するべき問題じゃねぇよ」

 あっさりと言い放つ武彦の言葉。

 ――この少年の未来はどうなってしまうのだろうか。
 そう考えると、少しばかり表情に陰が落ちる。



 ――――昨夜、美香は省吾から「どうしてこんな真似をしたのか」という話をした。
 大きな事件に巻き込まれた興奮もあったのだろう。
 省吾はぽつりぽつりと、これまでの転落してきた人生を語ってくれた。

 きっかけは家庭内の不和で、自分一人だって生きていけるという想いから始まった、家出に近いものだったと聞かされて、美香は省吾を他人とは思えなくなってしまったのだ。

 自分が今、こうして怪しげ――と言っては失礼だが、そこは本心なので言い繕う必要もない――な探偵事務所で探偵の助手として仕事をするに至るまで、様々な事があったのだ。

 騙され、借金を抱えて、世界に絶望と怨嗟を向けながら命を絶とうとして、拾われた。
 彼女――今の美香を形成するアイデンティティには、そうした紆余曲折があったからこそ、だ。
 省吾と似ていた頃の自分と、今の自分は様々な点で変わっていて。
 それはまるで、自分が失ってしまったものを省吾がまだ抱えているような、そんな風に見えてならなかった。

 だから美香は「老婆心」と言うのは少々歳が足りないが、まるでかつての自分か、或いは似た道を歩もうとしている弟を見るかのように、偉そうに何かを言うこともなく、ただ尋ねた。

 ――「後悔、していない?」と。

 その言葉は、反骨心溢れる若者の心に反発を生み出す事もなく沁み渡った。
 じわじわと自分の中に生まれていた現実の厳しさであったり、「後悔」であったりが心の何処かに燻っていたのだろう。その一言に、省吾の頬を涙が伝っていくのを、美香は見逃すこともなかったが、敢えて見ないふりをしていた。
 それを見られた気恥ずかしさを受け止められる程、こういう時の「自分」は強くなかったなと思い返しながら。

 だから美香は、ゆっくりと自分の半生を語っていく。
 彼の顔を見ることもなく、手に持っていたマグカップに注がれたホットコーヒーをじっと見つめて。
 それらが語り終えたのは、手の中のホットコーヒーはすっかり熱を失った頃であった。

 そして、美香は告げた。

「……だから、私は思う。焦る必要なんてなかったんだな、って。焦って、何も見つかってもいないのに飛び出してみたって、結局は遠回りしか出来なかったんだなって。私もね、こうなる前は『普通』に嫌気が刺していたから。だから、飛び出して、それを失ってしまった。
 でもね、今でもたまに思うんだ。「あの頃に、こうしていれば」って。あなたはその道に、まだ戻れるんじゃないかな。私が戻りたかった『普通』に」

 それは、自分がもう戻れないという悲愴からきた言葉ではない。
 飛鳥と出会い、こうして武彦と出会って仕事をしている自分を、決して美香は嫌っている訳ではないのだ。
 それはただ、自分が悔やんでいた頃に何度も考え、通った道だったのだと。
 先駆者として、美香はただそれを伝えたかっただけだ。
 それは上八木省吾に対してだけではなく、未だ自分の心のどこかに残っていた、過去の亡霊に対する言葉だったのかもしれない。

 そう気付くのは、まだ先の話だろう。



「――まぁ悪いようにはならねぇだろうさ。もしも自分のガキだけを囮に摘発して利用するつもりだったなら、最初から俺みたいな探偵に仕事を頼んだりはしねぇよ」

 美香の表情に落ちた陰を見て、武彦は椅子をくるりと回して美香に背中を向けたまま、紫煙を舞い上げる。

「……草間さん?」

「親子の関係なんてそんなもんだ。
 ガキが親の気持ちを知らないのと一緒で、親だってガキの気持ちなんて忘れて、効率的なことばかり並べ立てる。そういうのは喧嘩して、ぶつかって見つけてくもんだからな。あとは家庭の問題だ」

「……警察に突き出さないんですか?」

「いいや、突き出すさ。それも警視庁のトップに、な」

 それは結局、親のもとへ返すだけというものではないだろうか。
 そう考えると同時に、その不器用な武彦の言い回しに美香は小さく笑った。

 ――これが、探偵。
 それは美香にとって、ある意味では初めて接した探偵という仕事の本質だった。



 数時間後、省吾を迎えに来た省吾の父である依頼人と報酬の話になり、武彦が結構な金額を請求し、それを貰って二人を見送った後。
 武彦が大金を手にしてニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべてさえいなければ、その一連の事件は綺麗な幕引きとなっていたのに、と。

 そう飛鳥に楽しげに話す美香の姿があった。
 こうして、美香の探偵の仕事は幕を下ろしたのであった。










FIN

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いつもご依頼ありがとうございます、白神です。

さて、今回で一応の解決を見た、非凡な少女シリーズ。
マルチエンディング方式で選択肢を設けるという形になっていましたが、
いかがでしたでしょうか?

今回の事件は

・自分の過去
・現在の立ち位置
・探偵という仕事

など、色々な要素が描かれていました。
お楽しみ頂ければ幸いです。

それでは、今後もまた機会がありましたらよろしくお願い申し上げます。

白神 怜司