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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


兄妹の絆








 カンカンカンカンとリズミカルな調子に合わせて、少しばかりくぐもった金属音が鳴り響いている。ステンレス製の非常階段が足音を鳴らしていた。
 決してビルとしては高くはなく、外観に至っては、もうそれなりの長い時間を経て風雨に身を晒していると推し量れる程度には古びている。何度もの地震や劣化によって壁には罅が入り、補修しなければ新しく人が借りるとは思えないような、そんな古びた雑居ビルの外階段だ。

 ――――そんな階段を昇るのは、このビルが似合いそうな初老の男性でもなければ、未だ若く社会に情熱を傾ける若い青年でもない。

 長く艷やかな黒髪を揺らした、若い女だった。
 その顔はまだどこかあどけなさが残っているようで、それでいて大人らしい自信に溢れた顔をしていた。服装も見た目ばかりを気にした物と言うよりも、機能性を重視したかのようなパンツスタイル。それでいて、どこか色香を纏っている辺り、彼女の見た目からどんな人間なのか、その本業に疑問を抱く者も多いだろう。

 そうした通行人達の好奇の視線など意に介さず、少女はまだまだリズミカルにカンカンカンカンと階段を鳴らして徐々に上へ上へと昇っていく。この古ぼけた雑居ビルを昇るにしても、運ばれる足取りに迷いは見られない。

 ようやく目的地についた女は少しばかり乱れた呼吸を、一つの深呼吸で落ち着かせる。色気に欠ける服装であっても女性らしい柔らかな膨らみの上――心臓に手を当てるように目を開けて、その女――美香は扉を開いた。

「おはようございますー」

 慣れた様子で声をかけて、扉から中に入る美香。
 そんな彼女に答える声はなく、甘ったるいシャンソン歌手の音楽ばかりが流れている室内は、煙草の残り香が微かに残っていて来客に対しては不健全な環境であると言えた。だがどうやら、この場所――つまりは草間探偵事務所の所長であり、探偵である武彦にとってみれば、これこそが探偵、だそうだ。

 事ある毎にハードボイルドの何たるかを意識している武彦は、飯よりも煙草が大事といった風情であり、その拘りはまるで昔の諺――「武士は食わねど高楊枝」を体現しているかのようである。
 とは言え、ここ最近は助手として美香を迎える程度には経営状況も安定していると言えるのか、しっかりと安いながらも給料も貰えているのだ。美香とて心配する必要はないだろうと言えた。

「あ、美香さん。おはようございます」

 恐らく美香が中に入って来た時に聞こえた僅かな声を耳にしたのだろう。一人の少女が奥から顔を出すなり、美香に向かって声をかけた。
 彼女の名前は草間 零。年の頃は十代中盤といったところだろうか。まだ成長期を迎えている最中のような、子供と大人の境目にいるかのような顔は、美香のあどけなさとは少し趣が違った。

「おはよう、零ちゃん。草間さんは?」

「お兄さんなら、今さっきお仕事で出て行きましたよ。美香さんは書類の整理をするように伝えてくれって言ってました」

「はーい。じゃあ零ちゃん、今日も宜しくお願いします」

 笑顔で声をかける美香に、零はいつもと何ら変わらない微笑みを湛えた顔で返事をした。

 零と美香の二人が並んだ光景は、端から見れば良家の姉妹といった印象だ。
 美香は本来、そうした良家に生まれて育てられたのだから当然と言えば当然である。だが、零に関しては未だ素性が知れていないのである。
 あの兄である武彦――美香にとって、武彦とは少しばかり普通の人とは言い難いために、そう表現するのが相応しい――と、いつでも柔らかな微笑みを崩すことなく周囲に接してみせる零とでは、明らかに纏っている空気とでも言うべきか、そうした物が違い過ぎるのである。

 だからこそ、美香は常々疑問に思っていた零と二人で作業する時は、世間話から零の素性について色々と尋ねてみたい。そんな希望を密かに胸に抱いていたのである。
 とどのつまり、今日の書類仕事――これは零が管轄している仕事であるため、美香は零と話しながら作業が出来る。

 ――今日こそは、零ちゃんの秘密を暴く!
 大仰にそんな意思を固めている美香ではあるが、単純に零が自分に対して気を遣っているのではないかと、逆に気になっているだけである。自分の精神衛生上の理由によって、その目的を果たそうと企んでみるのであった。

「じゃあ、コーヒー淹れてきますね。仕事は少ししてからにしましょう」

「うん、ありがとう」

 ――――上八木省吾捜索事件から、すでに一ヶ月の月日が流れていた。

 美香と零は武彦のやらない書類仕事に追われ、何度もこうして駆り出されているのだが、最近は草間探偵所始まって以来の盛況ぶりを発揮し、途中で依頼人が来てしまうことも多く、なかなか捗らないのだ。

 元々零が書類を整理するつもりであったそうだが、零はそうした能力を教わって来なかったらしく、その手伝いと管理を命じられ、美香に教えられながら徐々にではあるが慣れてきている。

 そういう意味では、どちらが助手なのかよく分からない、というのが武彦の感想であったりもするのだが、そう口にしてしまえば「だったらちゃんと教えてあげなきゃダメですよ、草間さん」と美香にやんわりと釘を刺されてしまうのだ。
 当然、武彦はそう言われても何も言い返せないために、何も言うまいと心に誓っているようだ。

 ともあれ、美香と零の一日。
 今までは教える事で精一杯だったが、零は頭が良く、呑み込みも早い。
 美香にとってみれば、そろそろ世間話でもしながら仕事をして、良好な関係を築きたいのである。

 こうして、ゆったりとした事務作業日和は始まったのであった。

 探偵業というのは、様々な意味で難しい。
 誰が、いつ、どういった内容の依頼をいくらで引き受け、それを完遂したのか。或いは失敗したのか。成功報酬型の依頼でかかった経費、などなど。書類上で分けなければならない項目は多く、美香もこの為に本を読み漁り、新たに勉強した程である。

 それを零に教えるには、自分もしっかりと内容を理解しなくてはならないのだ。間違った情報を与えて混乱させまいと、歳上――見た目から判断してそう思っている――としてのプライドが、中途半端な知識を与えるなと訴えているのである。

 この一ヶ月、今ではメモだらけになった本とノートを広げ、分からない所があればそれを調べてといった形で四苦八苦してきた美香と零だが、最近では日を追う毎にその頻度も下がり、溜まっていた書類もようやく片付き始めたのだ。
 武彦は何かと依頼が来るなり後回しにしがちだが、これを両方一人でこなせというのはなかなか酷だろう。今まではどうしていたのかと聴けば、これまでの仕事量であれば気が向いた時にちょっとやればすぐ片付いたようで、そこまで忙しくはなかったそうだ。

 実際、美香がここで働くようになり、客足が増えたのである。
 歩く広告塔のような美香の動きに、探偵事務所の存在が周囲に知れ渡ったとも言えるだろう。

 ――――ともあれ、書類を進めていく内に、この調子ならば時間が余るぐらいにはゆとりが出来てきたと考えた美香は、早速零に声をかけた。

「零ちゃんは、私にも敬語で話すよね? もしかして年上だからって遠慮してる?」

 きょとん、とした顔。それでも相変わらず笑顔を浮かべたまま首を傾げる零が、手に持っていたシャーペンを机の上に置いた。

「……私は、お兄さんに「笑顔でいれば良い印象が与えられる。だからお前は笑ってろ」と言われた事があるんです」

「……それって、まさか虐待とか……」

「あぁ、いえ、違いますよ。私は、お兄さんにこの事務所へと連れて来られるまでの記憶も何もないんです」

「え……?」

 しれっと、とは言わないだろうが、あっさりと零は告げる。

「最初に目を覚ました時、お兄さんが目の前にいたんです。傷ついた身体で、私に背を向けて。何も解らず、知らない私に、お兄さんは言ったんです。――さぁ、帰るぞって。当然、私は尋ねました。

 ――アナタは誰ですか?
 ――私は誰ですか?
 ――ここは何処ですか?

 そうした質問に、お兄さんは答えてくれたんです。

 ――お前は俺の妹だ。だから、俺と一緒に帰るんだ。

 それ以来、お兄さんはいつも私に色々な事を教えてくれています。本当は血が繋がっていない事も、私が――――である事も、教えてくれました」

 途中の言葉は、美香には聴こえない程に小さな声で紡がれていた。
 しかしそれを尋ね返すことなど、美香には出来なかった。どう尋ねて、どう声をかけて良いものか、判断出来なかったのだ。

 似ていない。
 美香が抱いた印象は確かに正しく、それは真実の一端を確かに捉えていたのだ。
 ただしそれは、美香が想像していた物よりも大きな――複雑な問題の一端でしかなかった。

 沈黙した美香に、零は相変わらずの柔らかな笑みを向けて続けた。

「お兄さんには、この事は誰にも教えるなって言われてます。だから秘密にしてくださいね?」

 脅されているのではなく、ただ武彦が零の身を案じて言った言葉なのだろうか。
 漠然と、美香は零の口調とその物言いからそんな事を感じ取り、こくりと頷いた。

「ただいま、帰ったぞ」

「あ、お兄さんです。お帰りなさい」

 ほどなくして帰ってきた武彦を見て、零が心なしか嬉しそうに立ち上がり、声をかけに行く。その姿を見送った美香は、コーヒーを淹れに行った零に代わってやって来た武彦を見て、どう反応して良いのか解らずにただ会釈をする。

 その姿を見て、武彦は零が向かった給湯室を一瞥して嘆息した。

「零から、何か聞いたのか」

「…………あの」

「いや、言わなくて良い。零がお前に言った内容が何にしろ、アイツが俺に嘘をつくなんて事は有り得ないし、問い詰めたら答えちまうだろうしな。だから――その先は訊く気はねぇよ」

「え?」

「アイツは正直過ぎて、嘘もつけなけりゃ隠し事も出来ない。そういうヤツでな。大方、その辺りの事を聞いたんだろ?」

 一瞬の困惑から全てを読み取った武彦に、隠し事が出来る自信は美香にもなかった。
 小さく頷くと、武彦は美香の頭に手を置いて「心配すんな」とだけ告げた。

「怒る気はねぇよ、お前も零も。ただ、アイツが何を話したかは分からないが、アイツとの秘密をお前が持っていてくれ。そういう事が出来る仲間っつーか。俺以外にそういう存在を見つけるのも、アイツの為になるからな」

 武彦の言葉に、美香は目を丸くしてからふっと笑った。

 ――あぁ、この人達は兄妹で、家族なんだ。
 不穏な言葉や断片的な情報から、まさか武彦が何か犯罪に関与していたのかと考えていた美香であったが、それは一瞬にして払拭されたような、そんな気がしたのであった。

「お兄さん、コーヒー淹れましたよ」

「おう、サンキュ」

 そこにあったのは、紛れも無く家族の姿。
 兄と妹の親しい兄妹仲が、確かにあったのだから。





to be continued...



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いつもご依頼有難うございます、白神です。

前回まではシリーズものだったので、今回は短編一本で書かせて頂きました。
零の話を聞きたいという要望があったので、霊鬼兵である零の過去を少しばかり掘り下げ、それでも美香さんが超常に足を踏み入れることはなく、この設定を出してみました。

お楽しみ頂ければ幸いです。

それでは、今後共機会がありましたら宜しくお願いします。


白神 怜司