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<東京怪談・PCゲームノベル>


祭りの残照

 人の一生は、あまりに短い。そんなこと、常日頃からセレシュは思い知らされている。
「…そうか、最近見ぃひんな、とは思うてたけど」
 それでも別離の痛みが無くなる訳でも、慣れるものでもなかった。返した声は思わず力を喪う。寒暖の差が激しくなった季節の変わり目のある日、セレシュの営む表向きの職業――鍼灸院に時折顔を見せていた老人が亡くなった、と、連絡を受けたのはつい先ごろだ。ここのところ顔を見せないな、と思っていたら、訃報は思いもよらぬところからセレシュの耳に届くことになった。
 住宅街の外れの小さな丘の上、人の気配が常は少ない神社は、その日は珍しく賑やかであった。数は少ないが近くの商店街から幾つかの出店と、祭囃子と、それからどうも神主見習いの伝手で知り合ったらしい露天商やら、ストリートミュージシャンやらまで紛れているのはご愛嬌というところか。その、珍しくそこそこに人の多い境内で、セレシュは常連の訃報を聞いたわけだが、
「――そんで桜花に憑依しとるんかこの爺さん」
「何とか言ってやってよセレシュちゃん」
 まさかここのところ顔を見なかった鍼灸院の常連の「幽霊」と顔を合わせるとは思ってもみなかった。
「亡くなってはったんやね…」
 しんみりすればいいのかどうすればいいのか、正直リアクションには困る。眼前に居るのはこの神社で巫女見習いをしている少女なのだが、今は「中身」が違った。どっかと足を開いてベンチに腰をおろし、腕組みをしている姿は、所作からしてセレシュの知っている「常連」の老人のそれとそっくり同じだ。
『俺だってまさか、秋野の居候の嬢ちゃんに取りつくことになるたァ思ってなかったよ』
「…難儀やねぇ、桜花も」
「そうなんだよ。祭りの終わりで、一応桜花ちゃんにお神楽やってもらうことになってんだ。困ってるんだよ」
 カタチだけだけど、と少年――藤が些か不機嫌そうに呟く。
 秋の祭りはかつては収穫を祝うものではあったのだが、何しろこの辺りはここ数十年で畑なんてどこにも見えない住宅街になってしまっている。祭りは形ばかりが残り、豊穣の力を乞う為の儀式は完全に形骸化してしまっているのだ。とはいえそれでも、祭りの日ともなれば、普段見向きのされることの少ない「神様」を意識して貰える機会でもある訳で、細々ながら続けているものらしい。
 神楽は、この神社に古くから伝わるものらしいが、謂れの方はあまり定かではないのだ、と藤は肩を竦めて教えてくれた。
「さくらや姫なら知っとるんとちゃうの?」
 問いかけたセレシュの視線の先には誰もいない。少なくとも、傍からはそう見える。尤も、セレシュと藤にはそこに浮かんで頬杖をついている人物の姿がはっきり見えているのだが。
 名を呼ばれた二柱の「神様」、この神社の祭神達は、顔を見合わせた。
<あれって何だったっけ姫>
<わたくしが祭り上げられた頃には神楽は既にありましたわ、兄様。由来をご存知なのは兄様だけでしてよ?>
<え、あ、そっか。なんかあれじゃないかなー、隣町の神社でもやってるらしいよーみたいな、流行とかそんな感じで始めた気がする>
「いい加減だな!?」
<そんなもんだよ祭事のキッカケなんてさ。それでも長く続けば、舞自体が力を持つようにもなるし>
 要は続くかどうかってのが問題、と、薄紅色の長い髪を揺らす青年の方があっけらかんとそう告げる。
 げんなりとした顔で「神様」達のぶっちゃけ話を聞いていたセレシュだが、改めて、眼前の少女に向き直った。
「そんで、宝田の爺さん。何でまた、桜花に取りついてしもたん?」
『おう、それなんだがよ。今年も神輿は出さねェって話だよな』
「え、うん、まぁね。お神輿自体、保管場所とか維持の問題でウチの神社はだいぶ前に手放してるし」
 これもまたあっさりと告げられた。先程とは違う意味でセレシュは眉根を僅かに寄せる。
「…そうなんか」
「俺や、俺の親父が生まれるより前の話だよ」
 それでも、祭りの際には近隣の神社から神輿を「レンタル」して、神輿で町を練り歩くことだけは続けていたらしい。が。
「人手が足りないんだよなぁ」
 大層現実的で世知辛い言葉が全てを物語っていた――ここは東京の郊外で住人こそ多いものの、昼間は皆都心へ働きに出て夜にしか戻ってこない大人が多い。商店街も三分の一ほどはシャッターの降りたシャッター街。地元や地元の祭りに愛着を持って参加してくれる人間は、そう多くはなくなっている。
『子供神輿はやるだろ。来年はもうやらんって聞いちゃいるがよ』
 苦々しげに、桜花の姿を借りた老人が言う。藤は腕組みをしてこれまた困った顔になった。
「子供、減ってんだよね。それに神輿なんて危ない、怪我したらどうするんだ、って親御さんが多くってさぁ。来年からはやらない、今年が最後ってことになって」
「……世知辛いなぁ」
 これには思わずセレシュも同情を覚えて唸る。が、苛立たしげに桜花――ではなく宝田老人は告げる。
『俺ァ毎年あれを楽しみにしてたんだ。出来れば若い頃みたいに、自分が担ぎたいくらいなんだが』
「それが心残りで、幽霊になってしもたんか」
『まぁ、そんなとこだろ。俺も死んで幽霊になるのは初めてだからよく分からん』
「そらま、幽霊になるのに二度目三度目はあらへんやろ…」
 しかし困ったものだ。神輿の存続が彼の心残りであれば、そう容易には成仏してくれないかもしれない。思案するセレシュの頭上で、微かに苦笑する気配がある。
<宝田さんは、若い頃、私に良くしてくれたからね>
<そうね>
 珍しくも人間嫌いのふじひめまでその言葉に同調する。
<単なる祭り好きだとは思うけれど。毎年、神輿担ぎの人数が足りなければ、彼があちらこちらに声をかけていてよ。今年もそうだったの>
<…人の寿命ばかりは、私達でもどうにもならないからね>
 しんみりと故人を偲ぶ神様達と少年の横で、宝田老人はと言えば、
『お前ら誰と話してるんださっきから』
「…幽霊でも見えへんもんは見えへんのやねぇ」
 それだけ祭りに熱心であった信者でも、神様の姿は容易に見えるものではないらしかった。



 そんならひと肌脱いだろうか、等と気紛れにセレシュが口にしたのは、次いで境内で出会った子供達の姿を見てしまったことも遠因だったかもしれない。境内の隅でつまらなさそうに石を蹴っていた一人が、藤を見るなり口を尖らせて告げた。
「ふじー、今年でおみこし、最後なの? マジで?」
「そうだよ、結構楽しみにしてんのにさ」
 ぶつくさとぼやく子供達は数にして10人ほどか。男の子だけではなく、女の子も半数ほど。――尤もこの年頃だと女の子の方が成長が早く、体格も良いことが多いから、神輿を担ぐにあたって男女の区別はあまりないのだろう。ふじひめやさくらを見る限り、「女子禁制」なんてことを言いだすタイプにも見えない。
「なんや、意外と人気やな、子供神輿」
「終わるとお菓子もらえるんだ!」
「商店街で使える券もあるんだよ。それでメモ帳とか、シュシュとか、色々買えるの」
「あー」
 現金だなぁ、とセレシュは思わず苦笑したが、
「それにさくらちゃん、お神輿担ぐと元気になるんでしょ?」
 そんな言葉に思わず藤を見遣った。藤はいつものように人懐こい笑みを浮かべるばかりで、こそりとセレシュに耳打ちする。
「子供達には見えてないよ。ただ、大人よりはやっぱり敏感みたいで、けっこーさくらのこと気にかけてくれるんだ」
「ねーふじ、神様、今日も居るの?」
「居る居る。今日はちょっとご機嫌斜めだけどな」
「ねぇ、来年もやろうよお神輿」
「だめ。お前らのお袋さんに俺が怒られるんだから」
「えーー」
 子供達のブーイングの声が一斉に重なる。後ろで一緒になってブーイングしている姫神の姿は、セレシュは見えないふりを決め込んだ。
『ったく、いいじゃねぇか。親に見つからないようこっそりやりゃァいいだろ』
「…宝田爺さん、頼むから桜花ちゃんの顔でそういうこと言うのやめてね。…俺だって悔しいんだからさ」
 その隣で、セレシュはしばし思案する。神輿が出ないことを心残りに成仏できない幽霊が目の前に居て、つまらなさそうな子供達が居て、おまけにその後ろでは不機嫌そうな元祟り神と、いつも通り温和な笑みを浮かべてこそ居るがあまり顔色の冴えない神様が居る。
「…うちがひと肌脱いだろか、藤」
 思わず提案してしまったのは、多分、だから、やむを得ないことだったんだと思うことにする。
「え、何かあるの?」
「んー。まぁ、最後やって言うなら盛り上げるくらいのことはな。即席で用意できるもんは限られとるけど…子供神輿って元々どういうことしとるん?」
「子供用の小さいお神輿を子供達が担いで町内ぐるっと一周するんだ。大人も手伝ったり、子供は交代で担いで、あとはお囃子を鳴らしたりとか。って言っても、小さい音でね」
 住宅街の真ん中である。世間には昼間は眠っているような生活を送る者も少なくないため、騒音規制やら何やらでそうなったらしい。どうにも世知辛いそんな話を聞きつつ、セレシュはすぐに提供できそうな自身の所持品――「本職」で修繕や作成を依頼された魔道具の数々を思い浮かべた。
「お囃子はとりあえず何とかなりそやな」
 他には、と顔を突き合わせて彼らは喧々諤々、言葉を交わす。来年の存続を願うのならば町の住人に配慮は必要だが、それ以上に、皆に惜しいと思ってもらう必要があるのだ。眉根を寄せて難しい顔をして、セレシュはしばらく藤と計画を練る。
 その横で、宝田老人が笑みを浮かべていること等ついぞ気付かずに。


 さて、そんなことをしている間に神輿の時間である。
 ――境内の入り口にいつの間にか置かれていた「神輿」を見て、成程なぁと何やらセレシュは苦笑を浮かべるしかなかった。玩具のような「子供神輿」は、サイズも通常の神輿より遥かに小さいのだが。何より。
「最近はこういうのもあるんかー」
「いや、東雲のおばちゃん…ヒビの母さんが作ったんじゃないのかな」
 触れれば分かる。「お神輿」は実に良く出来たレプリカ、発泡スチロールだったのだ。恐らく何か塗料でコーティングしたのだろう、多少乱暴に扱っても崩れない程度の強度はあったものの、これなら確かに怪我をする恐れはなさそうだ。
「来年からこのお神輿でどうかって提案もしておかないとな。維持が面倒だけど、これなら作り方さえ教われば子供達でも作るの手伝えるだろうし」
 珍しくも本日は大層真面目な――桜花が宝田老人に乗っ取られてほぼ不在であるため、他に頼れる相手が居ないことも大きな原因であろうが――藤がそんなアイディアをメモに取っているのを横目に、セレシュは用意されたラジカセ――最近見なくなった古びたそれを見る。擦り切れたカセットテープが入っていた。
「…なぁ藤、それ何なん」
「え、ああ、お囃子」
「カセットテープやんか!」
「仕方ないだろ、もう楽器もないし、演奏できる技術だって残ってないんだよ…」
 と言いつつ後ろめたそうに藤が目を逸らす。――ふじひめがそんな彼を、扇子の影から睨んでいるようだった。
<まったくもう、人間ときたらこれだから!>
「しかもカセットって。そろそろ擦り切れてるんとちゃうか。せめて音源確保してCDにするとか…」
「そんな技術ないよ!」
「胸張って言うこととちゃうやろ!」
 呆れかえってから、セレシュは鞄に手を突っ込む。
「…まぁでもそんならかえって好都合や。代わりにこれ使い、藤」
 セレシュが取り出したのは、小さな小箱だ。木製で掌に収まるほど小さい、おまけに古びたそれは、横に小さなクランクがついていて、
「あ、これ、オルゴールだ! 可愛い!」
 藤が受け取るなり周りに幼い女の子が集まってきた。鳴らしていい? と期待を込めた視線に見つめられてセレシュは思わず口元を緩める。古今東西、女の子はどうもこういう小さくて可愛いものに弱いものらしい。
「ええよ。試しに鳴らしてみ?」
 にんまりと笑みを浮かべてセレシュが促すと、興味津々、少女達は小さなクランクをそっと回し始める。
 ――鳴り響いた音はよく聞くオルゴールの、金属を弾くあの独特の音色ではなかった。最初は微かに、しかし確かに響き始めたのは、最近流行りのアイドルの曲だ。吃驚した様子で少女が手を止めるとその音も止まる。お神輿にもたれるようにくっついていたふじひめがころころと笑った。
<あら、良い趣味ね>
「え、何、何これ!」
「心の中にある音楽を鳴らすオルゴール、ってとこやな。知り合いのアンティークショップで見つけて、修理頼まれてたんやけど、まぁちょっとくらい使てもええやろ」
 そう説明しながら彼女は小さな箱を、桜花の――つまり宝田老人の手に握らせた。
「あんたが鳴らすのが一番ええやろ。一番ここの祭りを知っとって、神さん達への心も籠められるさかい」
 宝田老人は面食らったように少し間を置いたものの、ふ、と笑みを浮かべて、クランクを回す。――流れ出したのは、異国の出身であるセレシュですらも懐かしい、と感じてしまうような、笛と太鼓と鐘のシンプルな音楽。神様を喜ばせる為の、お囃子。人の「思い出」によって生み出される音楽は、それ故にか、小さな音なのによく人の耳に届いた。しばらくその音に耳を澄ませ、彼は――見てくれは桜花なのでややこしいが――顔を上げた。
『さぁ、そんじゃチビども、行くかい!』
 わっとばかりに子供達が集まり、軽々と(実際軽いのだから仕方ないが)神輿を担いでいく。慌てた様子で藤が先導する位置に立つのを、セレシュは後ろから見守ることにした。子守なんて趣味ではないが、今日ばかりは付き合ってやるのもそう悪くはない気がしたのだ。





 秋の夕暮は早い。鈴の音を遠くに聴きながら、セレシュは頬杖をついて小さな舞台を眺めると無しに眺めていた。安物の舞台ではあるが、数少ない神社に伝わる祭具の鈴を鳴らし、軽やかに舞う巫女さんの姿は、秋の夕暮の日差しに実に絵になる。
 ――町を回る神輿が終わる頃には、気付けば宝田老人の姿は消えていた。
「宝田さん、成仏しはったんやろか」
 あいにくと幽霊は見えるが、その辺りは専門家ではない。セレシュが呟くと、桜花の鳴らす鈴の音に楽しそうに枝の上で足を揺らしていた姫神が機嫌よく応じた。
<ええ。行ってしまったわ。寂しい、セレシュ?>
 問いにどう答えた物かは分からなかった。
「…別れの挨拶くらい、しときたかったなぁ」
 そんな藤の呟きが、一番セレシュの心情にも近いものがあった。人間の一生は短くて、別離はあまりにあっけなく訪れる。それを嫌という程知っていても、矢張り、物寂しさには慣れられそうにない。
<それは贅沢というものだよ、藤。死別というのはそういうものだ>
 別れを告げる暇もない。――あれはもう半世紀以上も前の評論家だったか。私達は、決して伝わらない言葉で最後の挨拶をする――そんな言葉をふと思い出した。
「でも、心残りは良かったんやろか。来年の神輿のこと、心配してはったのに」
 この言葉もまた伝わることはないのだろうか。長く生きても、セレシュとて死後の世のことは分からないことばかりだ。問うともなしに問うた言葉に応えは無かったが、代わりに、頭上の神様が柔らかな声で言った。
<これは私の勝手な想像で、本当ではないのかもしれないけれど。安心したのじゃないかな>
「安心?」
<…藤が桜花以外にも頼れる相手が居て、一緒に悩む相手が居て。祭りの事もきっと来年からも問題だらけだろうけれど、きっと何とかなるだろうと>
 無責任な話やね、と、セレシュは口ではそう返しながら、そうであればいいな、とも同時に思う。
「まぁ、来年も手が空いとったら、手伝いくらいはしたってもええよ」
 この言葉もまた、祭りの今後を心配しながら去って行った人には届かないのだろうけれども、それと知りつつも、彼女はその言葉を捧げるように告げた。神様への言葉ではなく、藤への口約束と言う訳でも無く。
 祭りの残照はそろそろ消える。
 ――まぁ、どうせ夜になれば、数は少なくとも並ぶ屋台にこの神社の若者達は大騒ぎするに違いなく。感傷に浸る暇はないのだろうと予感をしつつも、セレシュは、老人の心が奏でたお囃子の音を思い出した。この音は、きっと当分忘れまい。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【8538 / セレシュ・ウィーラー 】

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納品が遅れてしまい、申し訳ありません。
たのしんでいただければ幸いです。